スポーツ
-
スポーツ 2009年09月16日 15時00分
K-1 小比類巻が魔裟斗のラストファイトに名乗り
大みそか魔裟斗の引退で一時代が終えんするK-1MAXブランドに新展開だ。15日には都内ホテルで「K-1ワールドMAX2009」(10月26日、横浜アリーナ)の会見。魔裟斗とともにMAX創成期を闘ってきた武田幸三の引退試合が決まったほか、小比類巻太信は魔裟斗のラストファイトに名乗りをあげた。 魔裟斗のフィナーレを前にMAXをともに支えてきた日本人戦士がそれぞれの決意を示した。 「魔裟斗選手とは8、9年ぐらい一緒にK-1をやってきた。だから最後でやらないと」。よもやの対戦アピールをしたのは、小比類巻だった。この日はGP決勝戦が行われる10・26横浜大会でドラゴとスーパーファイトに臨むことが決まったが、開口一番に出てきたのは今回の一戦についてではなく「魔裟斗選手と試合したいってのがある」と、カリスマへの最後の挑戦状だった。 MAX初期に魔裟斗と日本人エースとして双璧をなしてきたミスターストイックの対戦名乗り。谷川貞治イベントプロデューサーも「小比類巻クンが魔裟斗選手とやりたいなんて初耳です」と驚くばかり。 魔裟斗の大みそかはGP王者との対戦が規定路線だけに、会見では「もちろん魔裟斗クンの最後はMAXから選手を出したいと思っています。なのでとりあえず今回は査定試合になりますね」と応じるに留めた。 小比類巻自身も「今年ドラゴとは佐藤選手と山本選手が闘っていますから、ボクも早い段階で倒したい」と、早期KO決着で魔裟斗戦をアピールするつもりでいる。 なお、魔裟斗の引退を前に同じ時代を歩んだあの武田幸三もMAXを去る。会見では同大会で初代世界王者アルバート・クラウスとのラストマッチが決まり「年齢もあって引退を決めた。最後までやるかやられるかバチバチの試合をして完全燃焼したい」と語っていた。
-
スポーツ 2009年09月16日 15時00分
IGF 15歳の定アキラデビュー
プロレス界に新風が吹く! 15日、IGFが都内事務所で会見を開き、アントニオ猪木会長と宮戸優光GMが出席、11・3東京JCBホール大会で15歳の現役高校1年生・定アキラがプロレスデビューすることを発表した。 平成5年11月24日生まれの定がプロレスラーになる決心をしたのは、わずか4歳の時で、両親に連れられて平成9年9月28日のFMW川崎球場大会を観戦。ハヤブサ&新崎人生VS小橋建太&太陽ケア戦で「大好きなハヤブサさんが小橋選手にボコボコにされたので、僕が強くなってかたきを取ってやる」と決意。 そして打倒・小橋を目標に、小学生になると宮戸が主宰する『スネークピットジャパン』に通い始じめ、小学生ちびっ子レスリング全国大会で3位に入賞。昨年暮れからプロの練習にも加わるようになり、師匠の宮戸の推薦によりIGFのリングでデビューすることになった。 この日、初めて定と対面した猪木は「各業界も若い人が出てきている。15歳らしさではなく、『これで15歳かよ!?』と思わせてほしい。 彼が出てくることで格闘技、プロレスを目指す若者が増えてくれれば」と期待を寄せた。 そのコメントを横で聞いていた定は、緊張しながらも「猪木さんのような強くてかっこいい選手になりたい。ガムシャラに前に行くだけです」と力強い言葉を返した。 なお、宮戸は定のデビュー戦の相手は公募で決めることを発表。「18歳以下の高校生で俺の方が強いという若者を募集したい」とした。ただし、身長175センチ、体重80キロ以上の格闘技経者が条件で、IGF事務所が応募の窓口となる。時の流れは早く、闘魂の遺伝子は、昭和から平成世代の若者へと継承されていく。
-
スポーツ 2009年09月16日 15時00分
蝶野「武藤、小橋と凄い事やる」
新日本プロレス10・12両国国技館で自身のデビュー25周年記念興行を開催する蝶野正洋が15日、都内の同事務所で追加カードを発表した。武藤敬司&小橋建太とのタッグで中西学&小島聡&秋山準の対戦が正式決定。メジャー3団体の同世代同士が組み、団体の垣根を超えた世代闘争が繰り広げられることになった。 三銃士&四天王タッグが新日、全日本プロ、ノアからなる第三世代越境トリオを迎え撃つことになった。自身の25周年で豪華タッグ戦に臨むことになった蝶野。会見では「非常に素晴らしいカードが組めたことに満足」と語ったが、今回の対戦には黒い思惑も見え隠れしている。 「3団体のこれだけの選手が集まれば、そう簡単に終わらないでしょう。というか、この1戦でカタがつけられるかどうかだよね」。単なるお祭りマッチで済ませる気はサラサラない。むしろこの夢対決を機にプロレス界にさらなる闘いを巻き起こすつもりでいる。 また、会見ではシングル対決が決まった大森隆男とカール・アンダーソンが一触即発。火花を散らしたほかに曙、ジャイアント・バーナード、吉江豊がボディスラム3WAYマッチに臨む。
-
-
スポーツ 2009年09月16日 15時00分
9・26 小路 越中と試練の勝負
ハッスルの小路晃が15日、都内のハッスル道場で会見を開き、自ら試練の五番勝負を志願。9・26後楽園ホール大会で“ケツオヤジ”こと越中詩郎と対戦することになった。 11日のリアルジャパン後楽園ホール大会で、レジェンドチャンピオンのアレクサンダー大塚とのタイトル戦に臨むも撃沈してしまった小路。もちろん本人も「内容、結果ともに満足していない」と猛省している。 そこで、会社と協議の結果、実戦経験を増やし、進化を遂げるべく試練の五番勝負を決意。「新日本、全日本、ノアと他団体との交流がありますし、対戦相手は会社に一任します」と懇願したところ初戦が越中戦に決定した。
-
スポーツ 2009年09月16日 15時00分
独立リーグ解雇“伊良部の我がまま”
ロッテ、米大リーグのヤンキースなど日米通算106勝を挙げ2004年に引退し、今年から米独立リーグで復帰し、8月から日本の独立リーグ、四国・九州アイランドリーグ高知でプレーしたのが、あの“160キロスピード王”といわれた伊良部秀輝(40)である。 ところが独立リーグ高知で2試合に登板したものの全くいいところなく(勝敗つかず)結局、先週の練習中に右手に違和感をおぼえ、検査の結果けんしょう炎で全治3週間と診断され、伊良部は契約解除を申し入れ受理された。 一体どうなってるの? あまりにも日本の球界を“ナメ”ているのではないか。おまけに伊良部は今後、再び米独立リーグでの仕事を模索するというのだから驚きである。 当初は独立リーグから日本プロ野球への復帰も狙っていたようだが、そんなに世の中甘くない。現役時代から言いたいことをズケズケ言う性格で、いろいろ物議をかもしただけに、そのわがままは毛嫌いされた部分もあった。 とりあえずアメリカに帰って今後のことを考えるという伊良部。果たしてどんな結末が待っているのか。神のみぞ知る、といったところか。
-
-
スポーツ 2009年09月15日 15時00分
イチロー 9年連続200本安打達成秘話
大リーグ、シアトルマリナーズのイチロー外野手(35)が前人未到の9年連続200本安打の大記録を達成した。14日(日本時間)のレンジャーズ戦、第2試合で記録したものだが、イチローが大リーグの歴史を変えるまでにはある“秘話”があった。 「イチローは大リーグの象徴であるホームランの魅力、あのベーブ・ルースに代表される一発屋の時代を一気に変えた選手。100年前の古き良き時代を思い出させてくれた偉大なプレーヤーだ」。こう語るのは大リーグに精通する作家のロバート・ホワイト氏だ。 大リーグの歴史を彩ったスーパースターは数多くいる。ルースはもちろんハンク・アーロン、ピート・ローズ、ジョー・ディマジオ、テッド・ウィリアムス、スタン・ミュージアル、ヨギ・ベラなど枚挙にいとまがないが、「イチローは彼らとは意味の違うスーパースター。日本から来てデビューから9年連続での大記録は前代未聞の出来事で、紛れもなく大リーグの歴史を変えた選手だ」(前出のホワイト氏)となれば、イチローとは一体何者か。 「大リーグの中で一番ストライクが取れないし、同じ攻め方は一切通用しない、信じられない選手だ」というのは現在イチローと首位打者を争っているツインズのマウアー。 こんなイチローも常に努力を重ねていることを忘れてはならない。試合中もベンチ内のモニタールームでフォームの改良を怠らない。自宅にもトレーニングルームがあり、試合直前まで体を作ることに専念している。 「バッティングは答えがないし終わりはない」というイチローが精神面で大きな変化を感じたのが、あの一打だ。 WBC決勝、延長10回の決勝タイムリー。「もう技術じゃない。日本国民の思いが自分の一打に詰まっている。これは恐怖だった。その結果が今シーズンにつながっている。もう何が起こっても怖くなくなった」 イチローは開幕から胃の病気で欠場しながらも復帰してから安打を量産し、メジャー通算2000本安打もふくらはぎ痛から復帰後に軽く達成してしまった。 解説者の与田剛氏は言う。「イチローはカメレオンですね。相手に合わせて自分をどうにでも変えられる。全世界で一番怖さを知っている男だと思うが、それを克服したのは、もう並の人間じゃないですよね」 イチローは他の大リーガーたちの憧れ。今年のオールスター戦でも、ヤンキースのロドリゲスらスーパースターが教えを請いに来たほど。それに気軽に話し合うのがイチローの魅力でもある。 最近では大リーグの野球殿堂入りもささやかれ始め、レッドソックスの主砲オルティスは「彼がもうプレーしないと決めるまでの間に殿堂入りは疑いのないものになっている」と語る。 イチローの実績からすれば、「殿堂入りには大リーグで10年以上プレーする必要がある」という規約も関係ないか。イチローは今季9年目だが、今回の9年連続200安打が決め手となり、まず間違いなく殿堂入りとなる、といわれている。ここでもイチローは大リーグの歴史を変えることになるのか注目される。 大リーグの奪三振王で知られる、あのノーラン・ライアン(現レンジャーズ社長)は「打つだけでなく守備もエキサイティングな選手。なんでもできる男で大リーグの歴史に残る偉大な選手だ」と絶賛する。 「イチローはバットコントロールでも天才。100年に一人の大打者です」。ロッテ、バレンタイン監督の言葉が天才イチローのすべてといえる。
-
スポーツ 2009年09月15日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元プロレスラー・ストロング小林さん
アントニオ猪木と名勝負を展開し、日本プロレス界に大きな“クサビ”を打ち込んだストロング小林(本名・小林省三)さんも、いまは68歳。東京・青梅市の自宅で老後を過ごしているが、プロレスラー時代に負った腰痛もあり、杖をつきながら生活している。 高校卒業後、一時は国鉄(当時)に転職。そのかたわらボディービルに打ち込み、コンテストに参加した会場で国際プロレス社長の吉原功氏にスカウトされた。1966年12月に旗揚げしたばかりの国際プロレスに入門、覆面太郎のリングネームでデビューした。 日本でデビューした覆面レスラー第1号。小林さんが素顔になったのが68年1月で、海外修業を重ねてパリでIWA世界タッグ王座を獲得するなど活躍。一躍名をあげたのはIWA世界ヘビー級王座を奪ってからで、同王座を73年から25回防衛する日本記録(後に馬場の38回に破られる)を持っていた。文字通り国プロのエースに君臨した。 しかし、74年2月に猪木に挑戦を表明して国プロを離れたこと(別掲)から人生が変わった。猪木戦は74年3月に行われ、いまだに日本人同士の名勝負とうたわれている。結果は猪木の原爆固めに敗れたものの、S・小林の名前は一般的にも知られるようになった。 小林さんはWWWF(現WWE)遠征後、75年に新日プロに正式入団したが、あまり脚光を浴びないまま一線を退き、81年から俳優・タレントへの道を選んだ。持ち前の風ぼうを生かして映画『伊賀忍法帖』に出演。当時の役名「金剛坊」からとり「ストロング金剛」に改名した。愛嬌(あいきょう)のあるキャラクターから子供にも親しまれた。 しかし、ビートたけしのテレビ番組に出た時、再び腰を痛め、ついにリタイアするに至った。小林さんは現在、講演などもこなしながら「まあノンビリとやってますよ。昔の思い出は大切にしまってありますよ」と“ごっつい顔”でニコッと笑う。杖をついても車イスでも、あの怪力男・小林さんは昔のままだ。◎新日プロVS全日プロ 引き抜き合戦の発端 74年、小林さんが国際プロを離脱して猪木に挑戦した時に事件は起こった。小林さんは国プロがエースに押したG・草津らとの対決から国プロを離脱し、新日プロに参戦。国プロは小林さんに対し移籍金の支払いを要求した。 このトラブルは猪木戦を直前に控えた時で、結局、興行を後押していた東京スポーツ新聞社が中に入り一件落着したが、小林さんは一時「東スポ所属レスラー」となった。 小林さんの離脱で国プロは迷走を始め、果ては倒産してしまった。その猪木VS小林戦は史上初の日本人トップレスラー同士の対戦で大注目を集め、それまで主流だった日本人VS外国人の戦いから日本人同士の戦いにシフトするきっかけにもなった。 小林さんが原因で起きた『離脱→移籍騒動』はその後、新日プロと全日プロの引き抜き合戦となってプロレス界を騒がせた。現在の業界では考えられない大ギャンブルでもあった。
-
スポーツ 2009年09月15日 15時00分
亀田兄弟を追い越す!! 「沖縄の星」目指す江藤3兄弟
ボクシング界で3兄弟といえば、亀田3兄弟が有名だが、ここにも世界チャンピオンを目指して日々奮闘している兄弟がいる。白井・具志堅スポーツジムの江藤3兄弟だ。キャリアはまだ浅いものの、いずれは世界に名を刻む可能性は十分にある。仲良し3兄弟の素顔に迫った。 亀田3兄弟に個性があるように、江藤3兄弟にもそれぞれカラーがある。 長男・光喜は口数こそあまり多くはないが、胸には熱いものを秘めている。 ボクシングを始めるきっかけも、双子の弟・大喜の活躍が闘争心に火をつけたからだった。 「大喜が大会で優勝すると、小さな町なんで話題になるんですよ。祝勝会で皆から『やっぱりタイキは目が違うね』とかチヤホヤされてるのを見て、オレだけ取り残された気持ちになった。オレも出来るだろうって思ったね」 4年前に上京してきてから本格的にボクシングを始めたため、3兄弟の中でキャリアは一番浅い。そのため、まだまだ発展途上とあって、「全体的に直さなければいけない」と課題は多い。 まずは10月12日の後楽園ホール大会(4回戦)で結果を残し、ベルト挑戦への階段を駆け上がっていく。 一方、次男の大喜は兄と違って本当によくしゃべる、江藤3兄弟のムードメーカー的な存在だ。 他の2人がボクシングを始めたのも、大喜が最初に始めたのがきっかけだ。 「ただ格闘技をやってみたいっていうのがあって、高校に入ってから始めたんですけど、1年生の時は誰も教えてくれる人がいなくて、自己流でやりましたね。初めてのアマチュアの試合で余裕で勝てると思ってたらボロ負けして。本格的には1年の終わりくらいからジムに通い始めました」 その後、メキメキと実力をつけて、沖縄県大会で優勝。プロを意識し始めた。4年前に上京し、具志堅用高会長が亀田兄弟と舌戦を繰り広げていたころ、父親の友人を介して白井・具志堅スポーツジムを紹介してもらった。 現在は高校時代から悩まされていた腰椎の分離症の治療に専念していており、ボクシングは休養中だが、「1日でも早く治してボクシングを始めたい」と復帰に向けて意欲を見せている。 三男の伸悟は才能あふれる江藤兄弟の秘密兵器でもある。高校時代は2007年の選抜大会フェザー級で準優勝という実績を残した。プロに転向するのは自然の流れだった。「兄貴もやってるし、プロになりたいなって気持ちがあった」とその当時を振り返る。 その才能はすぐに目にとまり「高校卒業して2週間ぐらいでこっちに来て、1カ月後に試合しました」という。 当面の目標は新人王。3兄弟の中で唯一トーナメントに勝ち残っており、9月25日には東日本新人王準決勝(後楽園ホール)が控えている。 「新人王になって日本タイトルに挑戦したい。結果を出さないと認めてもらえないし」と気合が入っている。そんな伸悟にも悩みがあるんだとか。「(大喜から)おやすみってメールが毎日必ず来るんですよ」。 今後はその才能をどこまで伸ばすことができるのか。 この3兄弟は本当に仲がいい。現在は、親元を離れ、ひとつ屋根の下で別々の部屋で暮らしているが、食事は3人一緒に食べる。 特に当番や役割が決まっているわけでもない。「ひとつの目標に向けて3兄弟でやると早いよ」(光喜)、「誰かが料理を作って、皿を用意して、コップに水を入れて」(伸悟)と、以心伝心で動いている。 そんなこともあって「兄弟ゲンカはほとんどしない」(大喜)という。「どっちかが言い過ぎると誰かが止め役になる」(伸悟)と自然と役割が決まってくるという。 もちろん目標も3人一緒。「理想は3人で世界チャンピオン」(光喜)、「3人でチャンピオンになりたい」(大喜)、「3人ともベルトを持って沖縄に帰るのがかっこいい」(伸悟)と思いはひとつだ。 まだまだ“はじめの一歩”を踏み出したばかりの3兄弟だが、夢の世界王者トリオが誕生するのもそう遠くはないかもしれない。<プロフィール> 長男・江藤光喜(えとうこうき)1988年2月8日生まれ。21歳。血液型A型。沖縄県国頭郡本部町出身。172センチ、54キロ。フライ級。右ボクサー。4戦3勝(1KO)1敗。尊敬するボクサーはアレクシス・アルゲリョ。趣味・三味線、得意曲「安里屋ユンタ」。好きな芸能人、中島美嘉。 二男・大喜(たいき)1988年2月8日生まれ。21歳。173センチ、56キロ。血液型、出身地同じ。フライ級。右ボクサーファイター。8戦7勝(5KO)1敗。尊敬するボクサーは具志堅用高会長。趣味・カラオケ、十八番「Lovers Again」。好きな芸能人、土屋アンナ。 三男・信悟(しんご)1989年7月15日生まれ。20歳。血液型、出身地同じ。177センチ、63キロ。フェザー級。右ボクサーファイター。6戦5勝(4KO)1分。尊敬するボクサーは徳山昌守。趣味・映画鑑賞。好きな芸能人、香里奈。
-
スポーツ 2009年09月15日 15時00分
戦極 「石井VS吉田」夢対決決定の舞台裏
石井慧が12・31か1・3に開催される戦極のニューイヤーイベントでの吉田秀彦との対戦が決まった。初陣から注目の日本人柔道王対決が組まれたわけだが、その背景には戦極をさらなるビッグイベントとして拡大していこうとする主催者の狙いが透けてみえる。 ついに夢の闘いが実現する。プロ転向発表後、デビューの舞台を模索しながら、今年6月4日に戦極と正式契約。あれから3カ月、日本人柔道王対決が実現。ついに念願かなった石井は「吉田選手とやれるのは幸せ、そのアゴにパンチを打ち込めるのも幸せ」と早くも強気。それに対し、吉田は「(アゴへのパンチは)そうそう当たるものではない」と実戦の難しさを教える構えだ。 このカードは戦極にとっては至極のカード。バルセロナ五輪柔道78キロ級金メダルの実績を引っ下げ総合に転向後、世界のトップファイターと激戦を繰り広げ、格闘技界で確固たる地位を築いた吉田。一方の石井は北京五輪柔道100キロ超級金メダリストの実力もさることながらその発言でも話題となった男。 対戦の日程や会場は未だ確定していないものの、戦極を主催するワールドビクトリーロード(WVR)の國保尊弘代表は「総合格闘技史上語り継がれる試合になる。日本中のファンひいては世界中のファンに勇気と感動を与えたい」と“世紀の一戦”を強調した。 このカードを出したのには理由がある。國保代表によれば「この両名またニューイヤーイベントに出る選手にふさわしい新たなるステージの名前を考えている」と「戦極」を改め、新イベント名での飛躍を狙っている。イベント名は今月中にも発表される予定だ。 また、WVRは現在ニューイヤーイベントの放映について複数の放送局と交渉しており、テレビ界に対しても相当なインパクトを与えることにもなるだろう。 石井のデビュー戦のカードを発表し、同じ席でイベント新名称へ変更の発表をすることは、まさに異例。夢のカードを試合の3カ月前に出すことでもこのイベントへの力の入れようが分かる。 いずれにせよ、格闘技界再浮上のきっかけとなるのか、注目の一戦となるのは間違いない。
-
-
スポーツ 2009年09月15日 15時00分
中村俊輔 “茸ヘア”の秘密
サッカー岡田ジャパン不動のエースで日本屈指のファンタジスタ中村俊輔。今季はスコットランドリーグのセルティックから、スペインリーグのエスパニョーラに移籍して注目を集めているが、そんな2010年南アフリカW杯の日本を背負って立つ天才レフティーには、あまりにも不名誉な異名がある。 それが「茸」(きのこ)だ。ゆえんはその髪形で、マッシュルームのようなヘアスタイルをしているから。高校時代からプロ入りしても続けていた。ただ、いままで「茸」呼ばわりされてきたのは、あくまでネット掲示板に限られたことだった。 しかし、トルシエ時代に監督から「ナカムラは髪ばかり気にしている」とそのヘアスタイルを茶化されてしまった。その後「茸」はネットのみならず、側近の中でも密かなあだ名になってしまった。 茸というとハッキリ言ってダサいイメージ。だが、あの“茸ヘア”には“ダサ良い話”もある。「茸の原点は高校時代。高校サッカーの強豪、桐光時代に校則で頭髪検査が厳しく、練習にあけくれていた俊輔は髪を切る時間などなかった。なので先生に切ってもらっていたそうで、それが茸のルーツらしい」(前出記者) 不名誉な異名もなんのその。日本が誇る天才レフティーは、きょうも世界最高峰リーグとも称されるスペインのピッチで“茸ヘア”をなびかせ、躍動している。その活躍と共に“茸”の名前が上がる?
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
-
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
-
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分