スポーツ
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スポーツ 2009年09月15日 15時00分
中西に続け 小島・秋山“夢破壊”に名乗り
夢の世代闘争実現へ。全日本プロレスの小島聡、プロレスリング・ノアの秋山準が14日、新日本プロレス「蝶野正洋25周年特別興行」(10月12日、東京・両国国技館)への出撃を表明。蝶野&武藤敬司&小橋建太との対戦に名乗りを上げていた“野人”中西学との合体が決定的となった。史上初の「三銃士&四天王VS第3世代」という世紀の一戦が実現する。 今大会のプロデューサーでもある“黒いカリスマ”蝶野が、三銃士の武藤とプロレス四天王のひとり小橋と越境タッグ結成を発表したが、対戦相手は未定となっていた。 「どんどん名乗り出て欲しい」(蝶野)と相手を募ると、中西がイの一番に反応。9・13新日プロ後楽園大会前に会見を開き、対戦相手に名乗り。「上の世代と戦うには、同世代じゃないと出来ない戦いがある」と他団体を含めた、第3世代に共闘を呼びかけていた。 すると、14日には小島が「中西選手が新日本の代表として第3世代にメッセージを残した。その中で私が全日本の第3世代と呼ばれている人間として立候補したい。新日本でタッグパートナーだったこともありますし、タッグベルトを獲ったこともある。蝶野、武藤、小橋という強力なトリオに対抗するには、自分が入りたいという気持ちが強い」と出撃を表明した。 だが、野人のラブコールに応えたのは小島だけではなかった。秋山だ。 秋山は専修大学レスリング部では、中西の後輩にあたり、新日プロ1・4東京ドーム大会では、シングルマッチで勝利。アマレス時代から中西のレスリングに対する真摯な思いを目にしてきており、中西をよく知る人物のひとりでもある。 「中西さんが『三銃士と四天王が組んでやる。オレを呼ぶしかないでしょう』って言ってたけど、それはオレのセリフだよ。興味? 無いことは無いよ」と“第3の男”として名乗りを上げた。 蝶野、武藤、小橋がタッグを組むことはもちろん、メジャー3団体の第3世代レスラーが組むことも史上初の出来事。中西42歳、秋山39歳、小島39歳の“アラフォートリオ”が三銃士&四天王狩りに挑む。
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スポーツ 2009年09月15日 15時00分
ゾディアック F4入団
全日本プロレスきっての人気ユニットF4(小島聡、KAI、大和ヒロシ、ゾディアック)が14日、都内の同事務所で会見を行い、ゾディアックのF4入団を正式発表。ブードゥ・マーダーズ(VM)に盗まれたゾディアックのパスポートを奪回すべく、9・23後楽園ホール大会でVMとの全面対抗戦も決定した。 13日の後楽園大会でVMに公開処刑されているゾディアックを救出し、電撃合体を果たしたF4。この日の会見で、ゾディアックは「TARUはオレをモンスターとしか扱わなかったが、小島さんはオレに戦う幸せを教えてくれた」と入団のいきさつを説明した。 新戦力が加入し勢いづくF4だが、やらなければいけないことがある。パスポートの奪還だ。ゾディアックの裏切りを察知したTARUに盗まれたものだ。 そんな矢先、F4VSVMのキャプテン・フォールイリミネーションマッチが決定。小島は「是非とも取り戻したい」と誓った。 なお、11・20国立台湾大学総合体育館大会で所属8選手によるワンデーシングルトーナメントの開催、グレート・ムタの参戦、11・21同大会で「世界最強タッグ決定リーグ戦」開幕戦を行うことが正式決定した。
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スポーツ 2009年09月15日 15時00分
9・27出撃 天龍 健介と対決
プロレスリング・ノアの田上明社長が14日、都内の同事務所で会見を開き、故三沢光晴さん追悼興行(27日、日本武道館&10月3日、大阪府立体育会館)の追加カードを発表した。 9・27武道館大会では、天龍源一郎がかつて三沢さんの付き人を務めていた小川良成、鈴木鼓太郎とタッグを組み、佐々木健介&森嶋猛&中嶋勝彦と対戦することになった。 また、10・3大阪大会では、かねてより田上社長が語っていたように小橋建太と新日プロの蝶野がGHCヘビー級王者の潮崎豪とタッグを結成し、力皇猛&モハメド ヨネ&齋藤彰俊との6人タッグ。金丸義信&鈴木VS新日プロの邪道&外道のGHCジュニアタッグ選手権も決定した。 三沢さんの追悼興行に豪華なメンバーが勢ぞろいし、どんな戦いを見せるのか注目だ。
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スポーツ 2009年09月15日 15時00分
K-DOJO TAKA 因縁対決にケリをつける
TAKAみちのく(写真)がKAIENTAI-DOJOで絶対的な壁になる。 現在、CHAMPION OF STRONGEST-K王座に就くTAKAは、9・23千葉大会において、DDTのヤス・ウラノの挑戦を受ける。ヤスはK-DOJOの一期生で2年前に退団。TAKAは「円満な卒業」と捉えていたが、ヤスの受け止め方は違っていた。 「アイツが自分や会社のことを批判しているのは耳に届いている」というTAKAは「タイトルマッチでケリをつける」とキッパリ。技巧派のヤスに警戒心を抱きながらも「ウチで育った人間と巡り巡ってベルトを賭けて戦えるのは嬉しくもある」と感慨深げであった。 コンディションは良好だ。今年に入ってから加圧トレーニングに励んでおり、「長年苦しんできた首と腰の痛みが解消された」と効果のほどを語る。何より同世代のカズ・ハヤシ(全日本)、タイガーマスク(新日本)がジュニア戦線のトップを走っていることが「いい刺激になっている」という。 ここ数年、K-DOJOは真霜拳號を筆頭とした次世代のメンバーがリードしてきたが、TAKAは「もう一度ヤツらの壁になってプロレスの奥深さを伝える」と宣言した。
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スポーツ 2009年09月15日 15時00分
風香 長野美香にラブコール
アイドルレスラー風香が女子格闘界で強さ・美しさともにナンバーワンの呼び声高い長野美香との対戦を熱望した。長野は中京女子大レスリング部出身で全日本4位になったという実力の持ち主。また、先日写真週刊誌で見事な手ブラヌードを披露、そのプロポーションでも話題となっている。 8・23アイスリボン後楽園大会でタッグを組んだ風香は「是非シングルで戦ってみたい。プロレスのスタイルが似たところもあるので楽しみ」とラブコールを送るが、「もちろん、やるなら勝つことが前提。レスリングの世界ではかなわないですが、自分のプロレスの世界に持っていきたいですね」と早くも闘志を燃やした。
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スポーツ 2009年09月14日 15時00分
「時代」を彩った男と女 元東映フライヤーズ投手尾崎行雄編 29歳で引退した元凶はボウリングの“剛球”
浪商(現・大阪体育大学付属浪商高校)を2年で中退、17歳で華々しいプロデビューを飾り、“怪童”と呼ばれた元東映フライヤーズの尾崎行雄氏は、9月11日に64歳を迎えた。 5年間の大活躍の後は肩痛に泣かされ、29歳の若さで現役を引退。 その後は、レストラン経営、スポーツ関係の仕事に就き、現在は少年野球の指導、マスターズリーグの「東京ドリームス」に参加している。 怪童伝説は数々ある。高校時代の3度にわたる法政二高のエース・柴田勲(元巨人)氏との一騎打ちは、高校野球史上に残る伝説になっている。法政二高の3連覇がかかる1961年夏、準決勝で激突した尾崎氏は、延長11回、4対2で下し、三度目の正直で優勝した。 そんな甲子園の大ヒーローが高校2年で中退、プロ入りとあって大争奪戦が勃発。当時としては破格の契約金6000万円は大きな話題になった。 「あの時代にスピードガンがあったら、尾崎は160キロを出していたのではないか」(球界OB)といわれ、そのほとんどがストレートだった。 176センチと上背はないが、体重83キロで胸板が分厚く、ゴリラのようなごつい体だった。上体を大きく揺らす、ロッキングモーションを繰り返すからなおさらそのイメージが強い。だが、この投法は禁止を通達される騒動に発展した。 それでも20勝9敗、防御率2.42で新人王に輝き、東映の球団史上初のリーグ優勝と日本一にも貢献している。 東映在籍12年で通算107勝を上げたが、そのうちの98勝は最初の5年間で達成。しかし、67年からは右肩痛によって不振に陥り、野球人生は暗転する。 投手寿命を縮めた右肩痛は酷使だけでなく、ボウリング元凶説がある。当時の番記者が回想する。 「なにしろボウリングが好きで、ボウリング場通いをしていた。野球の剛速球並みに投げるから、ピンが壊れてしまったこともあった。でも、太く、短くは尾崎らしいと思った」と。これまた怪童番外伝説だ。 怪童・尾崎行雄をプロ野球ファンに対し強烈に植え付けたのは、大毎オリオンズ相手のデビュー戦だった。新装された神宮球場で迎えた、62年4月8日の開幕第2戦。ダブルヘッダーの第1試合だった。3対3の延長10回。マウンドに立った尾崎は「ミサイル打線」の中核の葛城を凡打に打ち取ると、榎本、山内から2者連続三振を奪い、鮮烈なデビューを飾った。しかも、その裏に決勝点が入り、サヨナラ勝ち。記念すべきプロ入り1勝目をあげたのだ。 甲子園の宿命のライバルだった、同じルーキーの巨人・柴田勲投手と明暗を分けたデビュー戦でもあった。伝統の一戦、阪神との、同じく開幕第2戦に先発した柴田氏はKOされ、「投手失格」のらく印を押されて野手に転向することになったからだ。「柴田はまだいいよ。開幕第2戦の阪神戦に先発してから、野手に転向したんだから。オレなんかセンバツ優勝投手といってもプロで1球も投げないうちに投手失格だから」とは王貞治氏の弁。17歳・尾崎氏のデビュー戦が際立つ。
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スポーツ 2009年09月14日 15時00分
女子プロ 三田英津子の引退と“東洋の猛女たち”ラスカチョの軌跡
女子プロレスで一時代を築いた『ラスカチョ』がついに、その名声を閉じる時が来た。三田英津子が11・1NEO後楽園ホール大会で引退。“東洋の猛女たち”の波乱万丈の歴史にひと区切りがついたが、その花とイバラの道を振り返ってみる。 三田英津子の引退表明により、下田美馬との名物タッグであるラスカチョも見納めになる。ラスカチョとは、ラス・カチョーラス・オリエンタレスの通称でスペイン語では“東洋の猛女たち”の意味を持っている。 そもそも、このラスカチョは1992年3月に北斗晶&三田のメキシコ遠征で誕生した。当時、2人が所属する全日本女子プロレスはEMLL(現CMLL)と提携しており、精鋭選手を次々にメキシコに送り込んでいた矢先の出来事だ。 メキシコでルーダ(ヒール)に変身した北斗&三田は帰国すると下田を配下に入れた。その際、北斗はなんとリング上で土下座をさせて入門を許すという斬新な行動を強要したのだ。三田と下田は同期だが、先輩の北斗はライオンの親のような存在で、いつも谷底に突き落とそうとする恐怖をチラつかせた。他の選手の前でキレられ、侮辱されるという緊張関係が続いたのだ。 北斗が引退騒動でラスカチョの活動を休止すると、三田&下田が繰り上げ当選のように2代目を襲名。UWA世界女子&JWPのタッグ2冠王に君臨し防衛記録を重ねていったが、全女の2番手タッグの域は出られなかった。そのため、王座を返上後は一転して三田と下田は敵味方に発展。和解と抗争を繰り返した。 WWWA世界タッグを奪取した後も、2人はさらなる欲望を満たすため97年に全女を離脱。ネオ・レディースに新天地を求め、デビュー10年目の賭けに出た。だが、旗揚げ戦こそ盛り上がったものの、ネオは資金難で頓挫。お決まりの内部分裂の末、三田&下田はフリーに転じたのだ。 ここからラスカチョは大ブレイクしていく。古巣の全女、GAEA、アルシオンの3団体を股にかけ、タッグ王座を総なめ。特に全女とGAEAの団体同士の対立はラスカチョにとって神経戦を余儀なくされた。フリーとして修羅場をくぐり抜けたのも、各団体の若手ホープの前に立ちはだかり、大きな壁となり成長させていくことを役目としたからだった。 解散は突然やって来た。02年10月にはデビュー15周年の自主興行を成功させたが、ラスカチョの活躍はここまで。下田は井上貴子と新たにコンビを組み、三田も高橋奈苗と共闘。03年6月、下田は三田に相談することなく引退を表明し、新団体AtoZのマネージャーに転身した。引退試合には三田も駆けつけ、最後のラスカチョを見せたが、ここから両者は長い冷戦関係となったのだ。 下田は1年後に復帰し、その後メキシコへ旅立ち、三田はNEOに入団。もはや両者の関係は永遠に修復不可能とされていたが、三田のデビュー20周年試合に下田が花束を持って駆けつけたことで事態は好転した。 08年10月、アマンドラ(木村響子&江本敦子)に急襲された三田はついにラスカチョ復活を決意。メキシコに移り住んだ下田も承諾し、5年ぶりに猛武闘賊の勇姿を披露したのだ。 引退まで1カ月半を切った三田だが、ラスカチョでの活躍以上にプロレス界に残した大きな功績がある。それは男子でも世界的な流行になったデスバレー・ボムの考案者ということだ。174センチの長身から繰り出す破壊力は男子も顔負けするが、三田はあえて他の使い手と差別化するように“元祖デスバレー・ボム”と明記した。 また、三田は数年前から介護の資格を取得し、老人介護に従事している。「痴呆症やアルツハイマーの老人の介護をしています。慣れるとやり甲斐があり楽しい仕事ですよ」と語る。 三田の引退までラスカチョは止まらず突き進むのみだ。
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スポーツ 2009年09月14日 15時00分
全日本 KIYOSHIとグレート・ムタ“毒霧狂演”
全日マット初登場となる、TNAファイターの雷陣明あらためKIYOSHIがグレート・ムタとのダブル毒霧で“狂演”した。 ムタとの親子タッグでチームディストラクションの諏訪魔&近藤修司と対戦したKIYOSHI。序盤はスワコンのパワーファイトに苦戦したが、イス攻撃で諏訪魔を流血に追い込み、場外戦でペースをつかむと反撃にうって出た。 木づちやパンチ連打で諏訪魔の傷口を広げ、ムタとのW毒霧で近藤の視界を奪うと、ムタの閃光魔術で動きを止め、最後はKIYOSHIが月面水爆で圧殺した。 見事親子タッグで初勝利を飾ったが、試合後は「アイルビーバック、カミングスーン」(ムタ)とだけ言い残し、魔界に帰還していった。
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スポーツ 2009年09月14日 15時00分
全日本 みのる146秒の“船木KO予告”
鈴木みのるが9・26横浜大会を、怨敵・船木誠勝との最終決着戦と位置づけた。 みのるはシリーズ開幕戦で歳三と対戦。試合前に急襲を受け、そのまま場外戦に持ち込まれてしまう。 勢いは不利かと思われたが、みのるはまったく動じない。戦局がリングに戻ると、歳三に逆落としを決め、裸絞めで一気に決着をつけてみせた。 試合時間は146秒。終わってみれば完勝であった。 歳三は「眼中にない」というみのる。その視界に入っているのは、横浜大会で一騎打ちを行う船木のみだ。 「胸を貸してやる。勝負をつけようぜ。俺とアイツの過去を清算する。俺とアイツの生きてきた道にケリをつける」 みのるの闘志を超えた憎悪は、もはや爆発寸前である。
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スポーツ 2009年09月14日 15時00分
新日本 「辞めちまぇ!」中邑にブーイングの嵐
セルリアンブルーのマットでいまや「最後のストロングスタイル」と称されるトップ戦士にまさかのつるし上げだ。新日本プロレス中邑真輔が13日、東京・後楽園ホールでIWGPヘビー級王座決定戦で激突するG1覇者・真壁刀義と前哨戦。待っていたのは散々な結末だった。 もはや、みんな敵だ。9月シリーズ第2戦となるこの日の後楽園大会。最終戦となる27日神戸大会のIWGPヘビー級王者決定戦に向け、タッグで真壁との前哨戦に臨んだ中邑だったが、そこには実に厳しい洗礼が待っていた。 アウェー同然。CHAOSを結成して殺伐としたファイトスタイルになり、試合後も平気で「本当に殺せば良かった」と言ってのけることから、G1では歓声とブーイングが入り交じっていたが、この日は周囲の様子が違った。 言われようのない野次があびせられた。真壁をいなせばと「つまんねーぞ」のバッシング。G1クライマックス準決勝でチャンピオン棚橋弘至と対戦した際に相手の右目を壊し、期せずしてベルト挑戦のチャンスを得たことから、試合中には「オイ棚橋を返せ!」「辞やめちまぇ!」と心ないゲキも飛ばされた。 試合もパートナーの飯塚高史が真壁のキングコングニーに3カウントを献上し、相手を勢いづかせる結果。宿敵の真壁からも「おぼっちゃまクンよ、オマエのたわ言なんてファンには届かねーんだよ」と言われる始末に、中邑は表情ひとつ変えることなく会場を後にした。
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