スポーツ
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スポーツ 2015年12月18日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈変幻自在のトリックスター〉
格闘家にとって、引退は決して喜ばしいことではない。「もう闘えない」という自己同一性の喪失だけでなく、その後の生活の問題も関係してくる。 相撲やボクシングのように業界の体系がしっかり整った世界であっても、部屋持ちの親方やジムの会長になれるのは、一部のエリートだけ。業界を統一する組織すらない総合格闘技やプロレスともなれば、さらに引退後の身の振り方は難しくなる。 「順調にタレント活動をしていたように見えた魔裟斗までが、この年末に復帰するのは驚きでした」(格闘技ライター) 先日引退した天龍源一郎が、65歳までリングに上がり続けたように、一流どころであっても将来の保証はない。そんな中にあって、リング外でも堅調な活躍を続けるのが須藤元気だ。 引退直前に発表されたエッセイ集は、10万部超のベストセラー。俳優や映画監督をこなし、近年はパフォーマンス集団のワールドオーダーを率いて、世界的な活躍を見せている。 「格闘家としての須藤は、もちろんスター選手の一人ではありましたが、組織を代表するような看板選手ではなかった」(同) K-1に登場した当初、テレビ中継で付けられたニックネームは“だまし討ちのアーチスト”だったが、のちに“変幻自在のトリックスター”となった。しかし、トリックも「詐欺師」や「いたずら者」を意味するもので、魔裟斗の“反逆のカリスマ”や山本KID徳郁の“神の子”と比べれば、とても主役級の響きではない。 そう考えるならば、文筆や音楽での成功は、決して格闘家の知名度に頼ったものではなく、須藤個人の優れた資質によるものに違いない。 高校時代には、レスリング(グレコローマン)でジュニア世界選手権の日本代表になり、大学卒業後の'98年に渡米して柔術の修行を積むと、帰国後はパンクラスやリングスなどで活動していた。 K-1初登場は'02年で、当時、魔裟斗のライバルと目されていた小比類巻貴之と、K-1MAX日本代表決定トーナメント1回戦でぶつかった。 「総合で立ち技もやっているとはいえ、本来、須藤は寝技がベースの選手。パンクラス参戦時に菊田早苗らと立ち上げたユニットも、寝技の攻防を主体とするものでした」(同) 立ち技だけのK-1では、とても勝負にならないと見られていた須藤だが、試合開始早々にバックブローで小比類巻からダウンを奪う。結果は3R、ローキックによりKO敗戦となったが、強豪相手に善戦したことで一気に注目を集めた。 翌年の同トーナメント1回戦では、ついに魔裟斗と対戦。極端に腰を落として酔拳のように体をくねらせながら、バックブローや前蹴り、胴回し回転蹴りなどを次々と繰り出した。 結果的には、冷静に対応してローキックを当てていった魔裟斗の判定勝ちとなったが、日本のトップ選手に最後まで決定機を与えなかった須藤も、大いにその名を上げることとなった。 また、試合ぶりとともに人気を集めたのが、ド派手な入場パフォーマンスだ。ダンサーを引き連れて、自ら中心となって踊りながらの入場は、いつしか試合と並ぶ見ものとなっていった。 格闘家としてのキャリア、そして入場パフォーマンスで須藤の頂点となったのが、'05年の大みそか、HERO'sミドル級トーナメント決勝の山本KID戦であった。元レスリング五輪代表の宮田和幸らを下し、決勝に進出した須藤は、大勢の芸妓や若い衆に扮したダンサーを引き連れ、花魁道中さながらの入場で大阪ドームを沸かせた。 だが、試合自体は実に呆気なく終わってしまう。KIDのパンチで仰向けに倒れた須藤は、すぐさま上体を起こして防御の姿勢をとったものの、そこへKIDが追撃のパウンドを繰り出したところで、レフェリーのストップがかかった。 「この早すぎるストップには、『KIDを勝たせるためでは?』との疑惑の声が上がったほどでした」(同) 1R4分39秒。花道にいた時間よりも短い結末だったが、須藤は激しく抗議することもなく、ただ苦笑いを浮かべていた。 1年後の'06年大みそか。ジャクソン・ページに鮮やかな三角締めで勝利した直後、須藤はリング上で突然引退を発表した。 あの苦笑いは、いろんな意味で日本の総合格闘技に、見切りをつけてのものだったかもしれない。
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スポーツ 2015年12月18日 11時22分
虎の変革「金本監督は勝ちに行く」(育成編)
金本知憲監督(47)が真っ先に挙げたチーム改善点は『チーム盗塁数』の少なさだった。2015年シーズンはトータルで「48」。リーグトップの巨人は「99」。つまり、半分以下である。得点能力を挙げるには機動力を高めなければならない。一発(本塁打)に頼らない野球をするためにも、「走る意識」は選手に持たせるべきである。 「秋季キャンプでは走塁練習に時間を割いていました。走塁の順番待ちをしている選手に『休んでる暇はない』と喝を入れ、走塁の状況判断の大切さを唱えたりしていました」(スポーツ紙記者) しかし、どの球団監督も機動力の重要性は分かっている。なのに、機動力がペナントレースのメインにならないのは何故か…。相手チームのバッテリーによる牽制やクイックなどが発展したせいもある。いちばんの理由は、選手に「走る意識」を定着させた後の明確なビジョンがないからだろう。 「常に選手にプレッシャーを掛けて行く」 この金本知憲監督のコメントは興味深い。 03年シーズンのことだった。阪神移籍1年目のこの年、選手・金本は主に3番を任されることが多かった。その当時の2番バッターは赤星憲広だった。前年まで2年連続盗塁王のタイトルを獲得した韋駄天である。当然、ベンチは盗塁を期待する。このとき、3番・金本は「ファーストストライクを見送る」と約束していた。 赤星からすれば、プレッシャー以外の何者でもなかった。クリーンナップの金本がファーストストライクを捨てることの重要性は分かっている。その考えが「絶対にスチールを成功させなければならない」とするプレッシャーとなったが、同年、赤星は61の盗塁数をマークし、後に5年連続盗塁王の記録を打ち立てていく。当時を知るチーム関係者は「ファーストストライクで盗塁を決めなければ」の重圧が赤星を成長させたと見ている。 監督・金本はこうしたプレッシャーを各選手に与えながら育てていくのではないだろうか。 その機動力アップの教育を一任されたのは、高代延博ヘッドコーチである。今さらだが、高代コーチは91年ドラフトで広島入りしたときの金本監督の指導者でもある。高代コーチは“教え子の参謀”ともなったわけだが、 「走塁練習でいちばん手こずったのが金本だった」 とも一部メディアに話していた。 その言葉通りだとすれば、「苦労して覚えたことこそ、最大の武器になる」ということだろうか。 金本監督の現役時代を知る若手は「怖かった」とも話していた。近寄りがたい雰囲気も醸し出していたのだろう。しかし、それは対戦投手の得意球で仕留められたら、チームの士気にも影響するとし、常に自身にプレッシャーを掛けていたからだという。球団の指揮官選びは決して話題作りではなかったようだ。
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スポーツ 2015年12月17日 12時00分
虎の変革「金本監督は勝ちに行く」(投手編)
金本知憲監督(47)は投手継投策については、矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ、香田勲男投手コーチに「全て任せる」と言い切った。しかし、実際は違う。おそらく、解説者時代から温めていたプランなのだろう。点差、相手ベンチの代打要員の有無などを見極めてからになるが、クローザーを休ませ、「思い切って、若手投手をマウンドに行かせる試合も作る」という。 経験値の浅い若手が重圧に負け、楽勝ムードも一変してしまうかもしれない。だが、それくらいの修羅場を経験させなければ、育たないという金本流の育成持論なのである。 「9回に若手投手を登板させるのは、呉昇桓の残留を前提とした構想でした」(球界関係者) 阪神渉外担当は、呉昇桓に代わる新たなクローザー候補を探している。 一部報道によれば、先発ローテーションの一角であるメッセンジャーのクローザー転向も検討されているという。メッセンジャーはかつて奪三振のタイトルも獲得した。連投のできるタイプでもあり、適任かもしれないが、阪神には「5番手以降の先発投手が脆い」という弱点がある。メッセンジャーをクローザーに配置換えすれば、計算の立ちにくい先発投手が4番手以降になってしまう。 新外国人投手が安定しないようならば、4季ぶりに帰還した藤川球児との併用も検討しなければならないだろう。 金本監督が考えていた継投策は、主に3パターン。1つはごく普通のパターンで、先発投手からセットアッパーを挟んで、最後はクローザーで締めくくるというもの。この基本的な継投のほかに、先発投手からいきなりクローザーに繋ぐケースと、前述の若手を抜てきしてクローザーを休ませる策も考えていた。 投手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「2つ目は『消滅』と見ていい。阪神だけではないが、昨今の救援投手はセットアッパー、クローザーのポジショニングを問わず、『イニング跨ぎ』が苦手になっている。金本監督の先発投手からいきなりクローザーに繋ぐ継投策は、イニング跨ぎを苦にしない呉昇桓の残留を想定したものであって、新外国人投手には同様のケースを期待しないほうがいい。メジャーリーグを経験したクローザーは『イニング跨ぎ』をやりたがらないので」 メジャーリーグを経験したクローザーは契約段階でイニング跨ぎを拒否する者が多い。また、連投に関しても「5試合続けて投げさせない」といった条件も突き付けてくる。 賭博疑惑による呉昇桓の退団は、もっとも大きい痛手となるだろう。 「FA補強した高橋聡文(32=前中日)をクローザーで使ってくるのではないか」(前出・プロ野球解説者) 考えようによっては、若手に修羅場を経験させる機会が増え、投手陣が逞しくなっていく。金本監督は目先の勝利にもこだわると話していたが、将来を見据えた若手登用なら、ファンも許してくれるのではないだろうか。
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スポーツ 2015年12月16日 16時00分
オコエの育成方法を巡って対立? お互いに実績のある星野と梨田
東北楽天ゴールデンイーグルスのドラフト1位、オコエ瑠偉(18=関東一高)が、新入団選手発表会でも“異彩”を放った。 12月1日に行われた新入団選手発表会で、オコエが美声を披露したのは既報通りだが、梨田昌孝監督(62)の表情はどこかぎこちなかった。 「オコエの育成法ですが、キャンプは一軍に帯同させるのか、二軍でじっくり鍛え上げるのかまだ決まっていません。2013年1位の松井裕樹は一軍キャンプに帯同させ、2014年1位の安楽智大は二軍スタートでした。楽天には一軍帯同と二軍スタートの両方の例があるので、決めかねているようでした」(プロ野球解説者) 正確に言えば、現場を預かる人間2名の意見が分かれてしまったのだ。 球団の編成と運営を任された星野仙一副会長(68)は中日指揮官時代から、新人を抜てきすることでチームを勢いづけてきた。来季から楽天投手コーチとなる与田剛コーチもその一人で、高卒野手では立浪和義氏も一年目から正遊撃手でデビューさせた。 しかし、梨田監督は違う。どちらかといえば、リスクをともなうギャンブル的な采配はしない。過去に指揮をした近鉄と日本ハムでも、計算の立つベテランを使い、単独スチールでさえ嫌ってきた。 梨田監督はオコエを二軍で鍛え上げ、将来に備えたい。しかし、星野副会長の考え方は違う。 「2014年の星野副会長が楽天で指揮を振るった最後のシーズンのことです。星野副会長は高卒ルーキーだった松井裕樹を一軍キャンプに帯同させましたが、『いまのままでは通用しない』と見抜いていました。佐藤義則投手コーチ(元ソフトバンクコーチ)も同意見でしたが、本人に自覚させなければ、どんなに練習させても意味がないとして、一軍マウンドを踏ませました」(球界関係者) その“プロの洗礼”が、2年目の飛躍につながったというのが星野副会長の意見らしい。 オコエが一軍で通用するかどうか、そのカギは打撃力にある。夏の甲子園大会中と、その後に招集されたU-18大会とでは、打撃フォームが違った。代表指揮官の西谷浩一監督(大阪桐蔭)がプロ入り後のことを見越して、オコエの打撃フォームを改造したのだ。 また、プロの投手のスピードに対応できるかどうか、やってみなければ分からない点も多い。梨田監督は「二軍で自信を付けさせてから一軍」という育成法だが、球団の営業面を考えれば、すでに人気のあるオコエに関しては星野式が採用される可能性のほうが高い。 持論を却下された梨田監督がへそを曲げ、星野副会長に反旗を翻さなければいいのだが…。
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スポーツ 2015年12月16日 11時22分
虎の変革「金本監督は勝ちに行く」(打撃編)
2015年オフのプロ野球報道は、金本阪神が独占したと言っても過言ではないだろう。また、今季も“ペナントレース終盤で失速した”というのに、ファンから出るのは新生・金本タイガースへの『期待論』ばかりだ。 その金本知憲監督(47)だが、すでに一部メディアでも明かしているが、阪神指揮官のオファーがあった際、断ろうと思ったという。その気持ちを一変させたのは、交渉にあたった南信男・前球団社長の言葉だった。 「チームを変えてほしい。そのためなら、たとえ(来年から)2年連続最下位でもかまわない。その代わり、3年目に優勝してくれ」 しかし、就任後の金本監督はこうも語っている。「ファンの方は(若手が育つまで)待ってくれるとは言ってくれますが、実際、(ペナントレースが)始まっちゃったら、どうかな(笑)」。これは、関西系メディアに出演したときに出たコメントだ。 金本監督は阪神ファンが熱いことを分かっている。最優先事項は若手の育成だが、最下位では許されない現実も熟知している。「目先の勝負にもこだわる」と明言しており、来季の勝つための構想もすでにコーチスタッフと話し合っていた。 『攻撃的2番打者』を置き、“野球偏差値の高い3番バッター”を育てる。 通常、2番打者は犠打、右方向へのバッティングなどが強要される。金本理論によれば、「1番バッターから始まるイニングは、実際は少ない」とのことで、クリーンナップ同様のバッティングをさせていくつもり。この構想はすでにコーチスタッフにも話しており、異論は出ていないそうだ。 そこで、考えられる新たな新2番打者だが、鳥谷敬(34)、大和(28)のいずれかだろう。 「金本監督が秋季キャンプで自ら指導したバッターの一人が大和でした。大和の打撃センスには一目置いていました」(チーム関係者) 大和は前任の和田豊監督時代も2番打者を経験している。しかし、右方向への打撃を意識しすぎるあまり、持ち前である長打力が消えてしまい、金本監督は「内角球は引っ張れ」「強い打球を打つように意識しろ」とアドバイスを送っていた。 また、鳥谷を2番にコンバートする私案を一部OBに打ち明けていたという。大和か、鳥谷が新打線のキーマンとなるだろう。 「点差、イニングなどを考えて打撃スタイルを変えることのできるバッターを3番に定着させ、一発のある4番、5番に繋ぐスタイルを理想としています。秋季キャンプで、金本監督の目に止まった新3番バッター候補はいませんでしたが」(前出・同) 従来通り、鳥谷を3番で使う選択肢もある。来春のキャンプ次第だが、新人の高山俊(22=明大)を抜てきする可能性も聞かれた。ドラフト1位で即戦力投手ではなく、バッターを指名したということは、「使う」の意思表示だろう。高山に攻撃的2番を託し、鳥谷を3番に置く打順も十分に考えられる。 通常、犠打を嫌う傾向が見られるのは投手出身の指揮官だ。「バント=相手投手にアウトカウントをくれてやる」の発想からで、打者出身の監督は「強行策=併殺の危険性」を懸念し、確実に進塁させる方法として犠打を好む。打者出身の金本監督が犠打を好まないというのは“異質”でもある。 金本監督の攻撃的打線を組む目的は、得点力を高めることにある。チーム全体の弱点でもある救援投手陣の負担を軽減させたいとしている。また、阪神には先制点を奪われると、すぐに諦めてしまう傾向も見られた。打ち勝つ野球を定着させることで、精神面でもチームの意識を変えていこうとしているのだ。
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スポーツ 2015年12月15日 16時00分
松田移籍阻止にホークスが全力 工藤監督に王会長、オーナーも説得開始
海外FA権を行使した松田宣浩内野手(32)が、米球団との交渉を担う代理人にピーター・グリーンバーグ氏を選定した。 氏はヤクルトや巨人などで活躍したロベルト・ペタジーニ、アレックス・ラミレスなどを担当し、2004年オフ、稲葉篤紀が米挑戦しようとした際も窓口役を務めている。 松田はグリーンバーグ氏と“綿密な打ち合わせ”も終えているというが、福岡ソフトバンクホークスも『慰留』の意向は変えていない。 「年内にも、ホークスは第2、第3の矢を放つつもり。松田残留の可能性はゼロになっていない」(ベテラン記者) 松田は代理人に、「マイナー契約でのスタートはNG」と伝えてある。年俸、生活面では強い要望はないそうだが、メジャーリーグの三塁手はパワーヒッターのポジションでもある。「いくら、松田でも太刀打ちできない」との見方が支配的だ。しかし、ホークスが松田慰留を諦めていない理由はこれだけではない。 「優勝パレードですよ…」 チーム関係者がそう言う。 ホークスは11月22日に、福岡で優勝パレードを行った。これには孫正義オーナーも参加しており、オーナーを載せたオープンカーに同乗した選手は松田だった。決して多くの言葉を交わさなかったが、そのとき、オーナーの口から松田に残留要請があったという。 「オーナー自らが残留要請をした以上、松田が退団するようなことになれば、本社役員が黙っていません。ホークスもオーナーの言葉の重みを承知しています」(同) ホークスは12月中に松田との慰留交渉を行う予定。すでに4年総額25億円という破格の内容が松田側に内示されているという。あとは松田の心情に訴えるしかなく、その説得役に工藤公康監督(52)を登用するそうだ。 「孫オーナーは連日多忙で、その合間を縫ってのパレード参加でした。オーナーがパレードに参加した時点で松田慰留が球団に科された必須事項となりました。工藤監督でダメなら、王貞治会長にもお願いしなければなりません」(同) しかし、王会長は「FAは選手の権利」と捉えており、「工藤監督のようにFA行使で退団しても、将来的に帰還してくれれば」とも考えているそうだ。そのため、王会長は松田の去就に関しては一歩引いた立場にいる。そうなると、工藤監督の双肩に“親会社のメンツ”が掛かったことになるが…。 「工藤監督も自分がFA権を行使して退団した経緯がありますから、強くは出られないと思います。でも、松田はチームを牽引できる打者で、ムードメーカーなので喪失は痛い。ホークスにとっては、小久保、松中と左右の主力打者がいた時代が理想であり、松田と柳田でそういう打線を再編したいとも考えています。ましてや、李大浩の退団が決定した後なので、戦力的には松田を手放したくないはず」(ベテラン記者) いまのところ工藤監督は静観しているが、松田流出がお家騒動になりかねない事情は分かっているはず。戦力ダウンは見過ごせるわけがなく、自身のFA退団は棚上げしてでも説き伏せるしかないようだ。
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スポーツ 2015年12月12日 17時09分
外様の村田、片岡は用済み? 巨人が脇谷に続き、前ロッテのクルーズを獲得
巨人は12月11日、前ロッテのルイス・クルーズ内野手との契約が合意に達したことを発表した。条件は2年総額400万ドル(約4億8300万円=推定)とみられる。 クルーズは今季主に二塁を守り、133試合に出場。打率は.255と低かったものの、16本塁打、73打点で勝負強さを発揮。守っては堅い守備で、ゴールデングラブ賞を受賞した。2年在籍したロッテとは条件面で折り合わず、退団していた。メジャーでも三塁、遊撃を守った経験があり、本人はポジションにはこだわらない意向だという。 そこで、問題になってくるのが西武からFA権を行使して、古巣・巨人に復帰したばかりの脇谷亮太内野手との兼ね合いだ。脇谷もクルーズ同様、内野ならどのポジションもこなせるユーティリティプレーヤー。脇谷は引退した井端弘和(コーチに就任)の“穴埋め”として補強したが、「その上、なぜクルーズまで獲得する必要があるの?」との疑問が生じる。同じ内野手の脇谷、クルーズのダブル獲得は何を意味するのか? 「ズバリ、外様である三塁手の村田修一、二塁手の片岡治大への刺激剤です。2人とも今季は絶不調で規定打席にすら到達できませんでした。その分、大ベテランの井端がカバーしましたが、引退したため、井端に取って代わるような選手が必要。その点で、どこでも守れるクルーズは打ってつけの存在。これで、村田も片岡も来季のレギュラーは保障されません。スタメンから外される機会も増えるでしょう。一方、脇谷はあくまでもバックアップ要員で、左の代打としての活躍も期待されます。クルーズと脇谷では、求められる役どころが違います」(某スポーツ紙記者) 村田も片岡も、FAで巨人に移籍した外様組だが、レギュラーの有力候補であるクルーズが加入したことで、完全に尻に火がついた格好。来季も今季のようなぶざまな成績が続くようなら、それこそ“用済み”にされかねないだろう。(落合一郎)
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スポーツ 2015年12月11日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ファンクスvs最凶悪コンビ〉
力道山&木村政彦vsシャープ兄弟のタッグマッチにより、人気沸騰となった日本のプロレス界。 「そもそもプロレスのリングが今のサイズになったのは、タッグ形式が生まれた20世紀初頭のアメリカで“タッグ戦にはこのくらいの広さが必要だ”ということで決まったもの。つまり、タッグマッチこそが近代プロレスの神髄とも言えるのです」(プロレス研究家) しかし、日本においては“最後の決着は一騎打ち”との武士道的価値観が根強く、どうしてもシングル戦より格下のものと見られがちだった。 日本プロレス末期の'70〜'72年に開催されたNWAタッグリーグ戦も不入りの赤字続き。「タッグリーグ戦はダメ」というのがいつしか定説となっていた。そんな風潮を覆したのが、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが旗揚げ5周年記念として開催した、'77年の『世界オープンタッグ選手権』である。 「日プロのリーグ戦の失敗は、馬場と猪木を別チームに分けたことが大きかった。そのため馬場と鶴田の日本勢トップ2がチームを組み、これと対抗できる強豪チームとしてザ・ファンクスらを集めた。その結果“世界で一番強いタッグチームを決める”という文句に偽りのない、豪華メンバーをそろえたのはまさしく偉業といえるでしょう」(スポーツ紙記者) ブッチャーとシーク、ファンク兄弟はいずれも一枚看板のスター選手。そんなトップどころをセットにするぜいたくさは、この当時、本場アメリカでもなかなか味わえるものではなかった。 さらに馬場の最も大胆かつ革新的な試みとしては、主役に外国人選手を抜擢した点が挙げられよう。シリーズ開幕戦の後楽園ホール、メーンイベントのブッチャー&シークvs馬場&鶴田では、シークによる馬場への急所打ちから、ブッチャーのダイビングエルボードロップでフォール勝ちを収めた後も、最凶悪コンビは執拗に馬場&鶴田をいたぶり続ける。 このとき、救出のためリングに飛び込んだのがテリー・ファンクであった。テリーは最凶悪コンビの返り討ちに合って血だるまにされたものの、日本人を救おうとする外国人の健気な姿は、ファンの心をいっぺんに鷲づかみにした。 「高度なテクニックで評価を得ていたドリーに対し、テリーはNWA王者としての戴冠期間も1年少々と短く、ファンからの印象は薄かった。それが一度の救出劇によって、シリーズの主役になったのです」(同) 公式戦以外でもファンクスとブッチャーらのシングル戦が組まれ、互いの因縁が深まったところで蔵前国技館での最終戦を迎えた。メーンはもちろんファンクスvs最凶悪コンビ。そこまでの星取りでは馬場&鶴田組がトップも、メーンでどちらかが勝てば逆転優勝を果たすことになる。 先に入場したファンクスは、ブッチャー&シークがリングインするや急襲する。試合の主導権を握ったが、ブッチャーの地獄突きから攻守は逆転。そして10分すぎ、シークがテリーの右上腕に凶器攻撃を加えたことから惨劇が始まる。 続いてテリーを襲うブッチャーの右手には、観客の目にもそれと分かるフォークが握られていた。躊躇なくフォークで腕をえぐるブッチャー。おびただしい血がテリーの体を赤く染める。なんとか場外脱出したテリーだが、今度はドリーが捕まってしまう。 エルボースマッシュで凶器ごと吹っ飛ばしても、相手が2人掛かりでは攻勢もそこまで。ブッチャーのエルボードロップをくらい万事休す…。だがそこに、負傷した右腕に包帯を巻いたテリーが復活。最凶悪コンビにサウスポーのパンチを容赦なく叩き込んでいく。国技館は割れんばかりの大歓声に沸いた。 シークがレフェリーのジョー樋口に凶器攻撃を加えたことによる、ファンクスの反則勝ちという結末は、現在の基準なら不透明決着ともなろうが、会場はそれを言わせない圧倒的な多幸感に包まれたのであった。 以後、ファンクスは日本勢を差し置いて全日本の看板スターとなる。そして、この試合が評判を呼び、タッグリーグ戦はプロレス界の冬の風物詩として定着していくことになった。
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スポーツ 2015年12月10日 11時00分
オコエ入団で沸く楽天に潜む『対立』の火ダネ
首脳陣は『スピードスター』をどうやって育てていくのだろうか。 東北楽天ゴールデンイーグルスの新入団選手発表会でも“存在感”を見せてくれた。ドラフト1位・オコエ瑠偉(18=関東一高)が会見中、茂木栄五郎(21=早大/3位)に振られ、美声を披露したのは既報通り。将来は球界を代表する1番バッターになってくれるだろう。夏の甲子園を沸かした彼の早期デビューに期待するファンは多いが、梨田昌孝監督(62)はまだその育成ビジョンを明かしていない。 一年目から実戦で使っていくのか、それとも、二軍で鍛え上げてから一軍に昇格させるのか−−。 投手はともかく、高校卒の野手がいきなり一軍で結果を出すのは難しいとされている。しかし、それをやってのけた選手もいる。そこで思い出されるのが、梨田監督と星野仙一副会長(68)の新人に対する考え方の違いだ。 星野副会長は中日指揮官時代に逆上っても、新人を抜てきし、チームの活力にも変えてきた。来季から楽天投手コーチとなる与田剛氏(50)もその一人であり、近藤真一(現・真市)、森田幸一なども一年目から一軍マウンドを経験した。高卒野手では立浪和義もいる。一方で、アメリカでの野球留学を経験させて一人前に育てた山本昌のようなケースもあった。阪神、楽天の監督時代は“大抜てきのサプライズ”はなかったが、野球・日本代表監督だった08年2月、日本ハムキャンプを視察し、こうも語っていた。 「オレなら、50試合打てなくても使い続ける」 新人だった中田翔の室内打撃練習を見ているときに出たセリフだった。将来の日本を背負って立つスラッガーの一日も早い実戦デビューを訴えたわけだが、中田は開幕を二軍で迎えた。プロ初スタメンは3年目、規定打席に到達したのは4年目の2011年である。 そのとき、中田の早期デビューを許さなかった日本ハム指揮官が、今日、星野副会長と二人三脚を取ることになった梨田監督というのも、何かの巡り合わせだろうか。 梨田監督だが、近鉄、日本ハムでの采配を振り返ると、大一番で新人に頼るようなギャンブル的なことはしない。何事にも慎重な指揮官である。中田の新人時代を知る日本ハムOBがこう言う。 「当時の中田はまだ精神的に子供でした。考え方が甘いというか、野球でメシを食うんだとの自覚も稀薄だったように思います。梨田さんはそういう時期に試合に出しても、本人のためにならないと考えていたんだと思います」 今日の中田の活躍を見れば、梨田式の育成は間違っていなかったことになる。しかし、楽天のチーム編成権を任された星野副会長がそれで納得するだろうか。 関東一高と試合をしたこともある高校の監督がこう言う。 「オコエ君の一軍デビューの時期は打撃力で決まると思う。夏の甲子園時とその後に招集されたU−18大会とでは、打撃フォームが違うんですよ。代表指揮官の西谷浩一監督(大阪桐蔭)がプロ入り後のことを見越して、オコエ君の打撃フォームを改造しています。その打撃フォームが固まっていて、かつプロの投手のスピードに対応できるのなら一年目からでも活躍できると思う」 かつて星野副会長が言った「50打席打てなくても使う」のセリフが“リップサービス”でなかったとしたら、実力不足であれば、それも実戦で痛感させることになる。 2014年、星野副会長が指揮を振るった最後のシーズンのことだ。監督・星野は高卒ルーキーの松井裕樹に一軍マウンドを踏ませ、『プロの洗礼』を浴びさせた。星野副会長と梨田監督がオコエの育成方針を巡って衝突しなければいいのだが…。(一部敬称略/スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2015年12月09日 14時00分
衰え加速で一代年寄取得に焦る横綱・白鵬vs八角理事長代行の攻防
それは、新米理事長代行の足元を見透かしたような横綱の先制パンチだった…。 北の湖理事長の急死を受け、急遽ナンバー2の八角事業部長(52・元横綱北勝海)が理事長代行に昇格した。相撲協会の大所帯を託された八角代行は、「常々、理事長が言っていた土俵の充実という思いを引き継いでいかなければいけない」と早速、北の湖路線の継続を打ち出した。任期は来年の3月いっぱいまでで、そのあと後任の理事長が選出されることになっているが、八角代行がそのまま理事長に就任する可能性が高いと見られている。 この八角代行の頭をさっそく悩ませることになりそうなのが、横綱白鵬(30)の“一代年寄問題”。 白鵬は北の湖理事長が亡くなったとき、こう言って周囲の神経を逆なでしている。 「(北の湖)理事長の手から一代年寄をもらいたかった」 一代年寄とは、協会に大きく貢献した力士に贈られる年寄株で、これまで贈られた顔触れは、大鵬、北の湖、貴乃花と錚々たる大横綱の名が並ぶ。いずれも20回以上優勝した横綱ばかりで、白鵬がここに名を連ねても何の違和感もない。 白鵬は「横綱は、20回優勝したら一代年寄をもらえる」と主張するが、協会のどの規約、規定にもそうは書かれていない。あくまでも理事会の判断次第なのだ。しかも、その前に「日本国籍を有する者」という規定が横たわっている。 「白鵬の父・ムンフバトさんは、モンゴル相撲の大横綱でモンゴル人初の五輪メダリスト。そんな英雄の息子が日本国籍を取得すれば、モンゴル国民からの非難は免れない。それゆえ白鵬は、なんとかモンゴル国籍のまま年寄(親方)になりたいという強い要望を持っている。しかし、亡くなった北の湖理事長は、たとえ白鵬といえども規定をクリアしない限り年寄になることは認めない、と言い続けてきた。それを承知の上で、白鵬がああいう発言をしたのは、八角代行に対するプレッシャー。九州場所の終盤の崩れ方を見ても、衰えは急ピッチですから、そうとう焦っているのは間違いない」(担当記者) 八角代行は北の湖理事長が急逝した直後、とみ子夫人から、「理事長は、ブレずに頑張れと言っていた」という遺言を受け取っている。この難問をどう対処するのか。 土俵外バトルは続く。
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スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
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2025年08月05日 23時00分
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野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
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2025年07月25日 23時30分
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豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
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2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
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2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
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2025年04月28日 19時03分