スポーツ
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スポーツ 2016年02月05日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈小橋vs健介“伝説の剛腕対決”〉
“科学的トレーニング”や“合理的ゲームプラン”が推奨される昨今のスポーツ界だが、こと日本においては、今なお精神論がもてはやされる傾向にある。 幼少時からマンガやドラマ作品で「努力」「忍耐」「根性」を打ち出した、いわゆる“スポ根もの”に親しんできた影響もあるのだろう。これをリング上で再現してみせたのが、プロレスラー・小橋建太である。 高校卒業後にいったんサラリーマンとして就職するも、プロレスラーになるため退職。新弟子試験では書類審査で落選するが、それでも諦めることなく全日本プロレスの事務所へ直談判。通っていたトレーニングジムの会長で、プロレス界に知己の多い遠藤光男の紹介を得て、なんとか全日本プロレスへの入門を果たした。 「実のところ、当時は大相撲十両・玉麒麟(田上明)の入門が決まっていて、20歳すぎで特別な格闘技経験もない小橋は、完全に“いらない子”でした」(プロレスライター) それでも小橋は、並外れた練習を積み重ねることで徐々に周囲に認められ、ついにメーンイベンターまで上り詰めた。 「ウエイトトレーニングには否定的だったジャイアント馬場が、小橋の練習ぶりに感化されてそれを取り入れたそうです」(同) 一方、佐々木健介も小橋同様、努力と根性でのし上がったプロレスラーである。 長州力に憧れてジャパンプロレス入りしたものの、決して体は大きくなく、格闘歴も目立ったものではなかった。そのため、健介に対する長州の方針は、「適当にしごいて追い出してしまえ」だったが、そんなパワハラ稽古に耐え切ったことで、目をかけられる存在となっていった。 「長州の直弟子として、新日本プロレス入団後は優遇されたように見えましたが、弟子だからこその使い勝手のよさから、重要な試合では損な役回りをさせられることも多かった」(同) UWFインターナショナルとの対抗戦での垣原賢人戦や、新日初登場時の大仁田厚戦などは、健介にとってきっと不本意なものだったろう。しかし、それにもめげず、与えられた役回りを全力で尽くすことで、トップの一角を担うまでに成長していった。 そんな小橋と健介の初対戦となったのが、2005年7月18日、プロレスリング・ノアの2度目となる東京ドーム大会であった。 いずれもラリアットを得意とするパワーファイターと、スタイルも似た両者。健介オフィス(のちにダイヤモンドリング)を立ち上げたばかりでノア初参戦となる健介と、直前にGHC王座を力皇に明け渡すまで“絶対王者”と称された小橋が、いったいどんな試合を繰り広げるのか。 勝敗への興味は自ずと高まったが、4月のノア武道館大会でカードが発表されて以降、健介は一切、コメントを口にしなかった。 これについて健介は、試合後「コメントを口にしないことで己の緊張感を高めていた」と語っている。それほど特別な試合だったというわけだ。 これは小橋も同様で、入場テーマ曲にはGHC王座戴冠前まで使っていた『グランド・ソード』を選んだ。健介戦での原点回帰を期していたのだ。 6万2000人の大歓声の中、いきなりの健介のバックドロップで始まった試合は、手探りなしの一直線。互いの得意技を惜しげもなく繰り出していく。 山場は、今なお語り継がれる伝説のチョップ合戦。5分以上にもわたって互いに繰り出した逆水平チョップの総数は、なんと218発を数えた。 衝撃から逃れることなく体を前に突き出して、相手のチョップを受け続ける。1発ごとに飛び散る汗のミストが、ライトに照らされてキラキラと輝く。2人の厚い胸筋は、ドームのスタンド席から分かるほど、ドス黒く変色していった。 この試合に影響され、闇雲にパンチやエルボーの打ち合いをするレスラーが増えたが、このときの2人とは1発ごとの重みが違う。チョップだけで試合が終わったとしても、きっと観客は満足する。それだけの迫力は、おいそれと真似できるものではない。 最後はローリング袈裟切りチョップの連発からのラリアットで、小橋が健介を抑え込んだが、もはや勝敗など関係ない。両者の激闘を讃えるファンの大歓声は、いつまでもやむことがなかった。
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スポーツ 2016年02月05日 13時30分
球界復帰の思いが空回りした? 元盟友・桑田真澄氏が明かした清原容疑者の裏の顔
2月4日、巨人キャンプを表敬訪問していた桑田真澄氏(47)が記者団の要請に応え、盟友・清原和博容疑者(48)が逮捕された件についてコメントを発した。 その映像は同日中のTVニュースでも伝えられたが、桑田氏の「3年ほど絶縁状態であった」なる発言に驚いた巨人関係者も少なくなかった。 「桑田さんの話が全て真実だとすれば、清原容疑者の態度はどうかと思います。桑田さんが仲介した野球関係の仕事をスッポかしたり、手を抜いたりしたと聞かされれば、桑田さんだって怒るし、心配もするでしょう。そういう気遣いをうっとうしいとし、距離を取った清原容疑者のほうが間違っています」(球界関係者) 桑田氏は自身の元に来た解説の仕事や野球関係の講演会依頼がこなせないとき、クライアントに「清原を是非使ってほしい」と推薦していたという。だが、清原容疑者はマジメに仕事をしなかった。それを諫めた桑田氏に「もう放っておいてくれ」と、一方的に絶縁を告げ、約3年が経過したそうだ。 現時点で、清原容疑者が覚醒剤に手を染めた背景に「プロ野球界復帰を願っていたが、叶わず、その焦燥感と寂しさがあった」と伝えられている。 民放テレビ局スタッフもそれを裏付けるように、こう話していた。 「逮捕までの約半年間、清原容疑者は自分から売り込んで来たり、『なんでもやるから』みたいな言い方までしていました。1時間の情報番組の5分くらいの出演でも引き受けていました。具体的な金額は言えませんが、駆け出しのお笑い芸人が得るくらいの出演料の仕事でもこなしていました」 「生活のため」もあっただろう。清原容疑者が“ドブ板営業”を引き受けたのだが、テレビに出演し、その人気と存在感を示すことによって、どこかのプロ野球チームからお声が掛かると思っていたそうだ。 近年誕生したプロ野球監督のなかには、野球見識や指導者経験ではなく、ネームバリューで招聘された者もいる。しかし、バラエティや情報番組は“畑違い”であり、復帰の希望は叶わないだろう。 すでに時遅しだが、ならば桑田氏に謝罪し、関係を修復して野球解説の仕事を仲介してもらったほうが良かったのではないだろうか。 スポーツ中継のTVプロデューサーが「一般論」と前置きし、こう言う。 「大半のプロ野球OBは地上波でのプロ野球中継が減ったことを指して『仕事がない』とこぼしています。一理あるけれど、今は衛星放送で12球団6カードの中継をやっており、メジャーリーグも中継しています。仕事はないわけではない。ひと昔前のような高額なギャラはお支払いできませんが、私たちがお願いしたいと思える解説者が少ないんです。大半のプロ野球OBは勉強してくれない。アナウンサーが話を振っても、気の利いたコメントを出してくれないので」 孤独の責任は清原容疑者の側にも責任があったようだ。 2月4日、巨人キャンプを表敬訪問した桑田真澄氏(47)は、どこかぎこちなかった。 「盟友の逮捕」について語ったのだが、記者団の質問が途切れると、「もう大丈夫ですか?」と、桑田氏のほうから聞き返していた。桑田氏はどちらかといえば、マスコミ嫌いなほうである。自身もかつてはスキャンダル報道の標的にされ、現役時代は番記者たちに「勉強不足だ」と噛み付いたこともある。もっと言えば、記者団が「清原容疑者の逮捕について会見を」と要請したとき、断るのではないかと思っていた。清原容疑者と絶縁状態にあったことは、桑田氏自らが切り出している。直接、清原容疑者に伝えることができないため、囲み会見という形でしか、伝えられないと思ったのだろうか。 「今年1月、母校・PL学園野球部のOB会が開かれましたが、清原容疑者は欠席でした。PLのOBたちはKKコンビの絶縁を察していたようです」(高校野球の要人) だが、PL時代の仲間たちとは縁が切れていなかった。昨年12月半ば、清原容疑者は一学年先輩のPL野球部卒業生と個人的に会っていた。清原容疑者のほうから連絡を取り、食事をしたという。 「PL関係者が会うと必ず話題になるのは、母校野球部の存続問題です。なんとかして野球部を残したいとの声が圧倒的で、会えば必ずと言っていいほど存続策の話し合いになります。でも、清原容疑者だけは『何かあれば自分も』という、一歩引いた言い方でした」(前出・同) 清原容疑者はプロ野球界への復帰を希望していた。指導者願望があり、人一倍強く持っていたという。仮にだが、清原容疑者が「自分が母校の指導者になる。後輩たちのために」と口にしていたら、どうなっていただろうか。卒業生たちは全面的に協力したはずだ。しかし、学校側は賛成しただろうか。高校時代の彼は“ヤンチャ”で通っていた。野球以外、つまり、学園生活は劣等生であり、人間教育の場でもある高校部活動の指導者に相応しいタイプではない。清原容疑者はそういった自身の評価を知っていたので、母校野球部の存続問題については積極的に意見を言わなかったのではないだろうか。 プロ野球解説者が『野球人・清原』をこう評する。 「彼はスタメンのレギュラーでしか野球をやったことがない。極端な言い方をすれば、少年時代から中心選手でしか野球をやっていないんです。巨人移籍後、悪態ばかりが報じられるようになりましたが、客観的に見れば、年齢的に力が衰えていました。肉体改造などで頑張ったことは認めますが、ベテランとして、どうやってチームに生き残っていけばいいのかを考えず、4番であり続けようとしていました。4番であり続ける生きざまもけっこうですが、ベテランとして一歩引いてチームのために尽くす野球を受け入れようとしなかったから、引退後の生活に適応できなかったのではないか」 かつて、清原容疑者を指導した森祇晶元西武監督がこんなことを話していた。「名将の下で野球をしなければ、監督にはなれない」と。自身が現役時代に川上哲治氏に鍛えられた経緯について語っていたのだが、清原容疑者はPL学園で名将の誉れ高い中村順司氏に鍛えられ、23年のプロ野球生活で森、長嶋茂雄、仰木彬の3氏の下で学んでいる。清原容疑者は「現場復帰したい」とこぼしていたが、恵まれた環境にいたのである。清原容疑者が名将の下で学んだ経験を生かそうと思えば、引退後の人生は変わっていたのではないだろうか。(了)
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スポーツ 2016年02月02日 15時00分
10年ぶりに日本人力士優勝! 琴奨菊の小心キャラ克服の裏
記録はいつか途切れるものとはいえ、それをやってのけたのが31歳で引退間近の“お荷物大関”になるとは誰が予想しただろうか。 大相撲初場所(東京・両国国技館)で'06年初場所の大関・栃東以来10年ぶりとなる日本出身力士、大関・琴奨菊(31)が初優勝した。それも白鵬など3横綱を3タテするなど、文句のつけようのない内容だった。 「神がかり的、というのはこの場所の琴奨菊のことです。4日目の安美錦戦で物言いをつけられてもおかしくない勝負を拾うなどツキもありましたが、終盤は持ち前の鋭い出足とパワーで完全に相手をねじ伏せましたから。どうして突然、こんな目の覚めるような相撲が取れたのか。本人もよく掴みきれていないようでしたが、相撲協会の中でも、この優勝に驚いた関係者が多かったことは確かです」(担当記者) そんな初優勝の裏にあったのが、新妻の内助の功だ。 昨年7月に結婚した祐未夫人とは入籍を済ませただけで、式を挙げるのは1月30日。実は今場所好調だったのも「賜杯の横に必ず座らせてあげる」と彼女に約束していたからだという。 そしてもう一つ、あのルーティンにも秘密があった。 「琴奨菊は精神的に弱く、小心キャラだった。精神安定剤を服用しながら出場を続けたり、大関昇進前には写経をしていました。今は心を落ち着かせるため、深呼吸をする。それが、最後の仕切りの際、上体を大きく反らして深呼吸をする“琴バウアー”です。確か、深呼吸の効用は東海大の先生に教わったと聞いています」(スポーツ紙記者) そんな苦労が知られていただけに、琴奨菊が豪栄道を破って優勝を決めた直後の国技館内はまるでお祭り騒ぎ。初場所が終わると、大相撲界ではもう一つのビッグイベント、理事選(役員候補選挙)が行われるが、苦戦が予想される九重親方(元横綱・千代の富士)までお祝いの言葉を述べたほど。 だが、当のヒーローの目にはドラマチックな優勝につきものの涙はなく、支度部屋に戻るなり、「感無量。今日も迷いなくいけた。日本人10年ぶりの優勝は、たまたま自分がそのときに優勝しただけ。本当に(ケガだらけの)この体でよく闘った」と語った。 さあ、来場所は綱取りだ。日本人横綱がいなくなって丸13年。果たして琴奨菊はもう一度、旋風を巻き起こすことができるか。
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スポーツ 2016年02月01日 16時31分
ヨシノブは集客戦争で生き残れるか
キャンプイン直前の1月30日、長嶋茂雄終身名誉監督(79)の特製ベースボールカードを2月20日と同21日に配布すると発表した。2月20日は長嶋氏の80歳の誕生日だ。それを記念してのファンサービスだという。 「キャンプ報道の優先順位は、新任監督、話題のルーキーがいる球団からです」(ベテラン記者) 高橋由伸監督(40)を就任させた巨人も大きく扱われるだろうが、『新監督インパクト』でいえば、阪神・金本知憲監督(47)のほうが上だ。また、近年の宮崎キャンプの注目度だが、タクシーで10分ほど離れた『生目の杜運動公園野球場』の福岡ソフトバンクホークスのほうが来場者数で勝っている。 ホークスよりも先に宮崎でキャンプをスタートさせた巨人からすれば、 「九州地区はホークスファンが多いとはいえ、キャンプ来場者数では負けたくない」と、地団駄を踏んでいるはずだ。 まだ日程は明らかにされていないが、長嶋氏が今年も巨人キャンプを訪れる予定になっている。長嶋監督時代の巨人打線をともに支えた盟友・松井秀喜氏もいる(臨時コーチ)。 この3人が揃う日、野球報道は巨人一色になるのは間違いない。しかし、こんな悲鳴も聞かれた。 「あくまでも主役はヨシノブです。松井氏がヨシノブよりも目立っては…」(関係者) 松井氏も自身の“立ち位置”は分かっているはず。一歩引いて、長嶋氏とともにヨシノブを盛り立てるつもりだが、報道陣は「一に長嶋氏、二に松井氏」で質問攻めにするのではないだろうか。 「長嶋氏、松井氏、ヨシノブ」でお隣のホークス、金本阪神に対抗。でも、立ち位置では長嶋氏と松井氏はヨシノブより目立ってはいけない…。何か不思議で、気疲れしてしまいそうである。 本来なら、巨人はドラフト1位ルーキー・桜井俊貴(22=立命館大)を目立たせ、チームの顔に育てなければならないはず。チーム関係者によれば、高橋監督もそう考えているそうだ。 「高橋監督は岡本和真、大田泰示を覚醒させることを考えています。2、3年先のチーム像を考えたら、それが正しいと思います」(プロ野球解説者) キャンプの集客戦争で引けを取れば、巨人はペナントレースで「阪神の次」なんてことにもなりかねない。しかし、高橋監督は冷静にチームを分析できている。その意味では、ライバル球団と十分に張り合っていけそうだが…。
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スポーツ 2016年01月31日 12時10分
ヨシノブがもっとも恐れているのはDeNA ラミちゃんと遺恨対決になる?
高橋由伸監督(40)がこんなことを口走ったという。 「僕のことをいちばん知っているからね…」 DeNAのアレックス・ラミレス監督(41)のことだ。同僚として、4年間いっしょにプレーしている。高橋監督は自身の性格をラミレス監督に知られており、代打や投手継投などを読まれてしまうだろうと考えていた。見方を変えれば、高橋監督もラミレス監督の性格は分かっている。今季の両球団の対戦は『心理戦』になりそうだ。 「ラミレス監督は巨人戦を意識したような発言もしています」(プロ野球解説者) ドラフト1位ルーキー、今永昇太(22=駒大)を巨人戦でデビューさせたいと言う。 「巨人に勝つことで彼も勢いづく。だから…」 今永が大学ナンバー1左腕と称されながら、DeNAの単独指名となった。大学最後の2015年は故障から復帰を目指す1年となり、本来のピッチングができなかった。それに加え、ドラフト候補は「豊作の年」とされ、「不安要素が残るのなら、他の候補へ」と1位指名を見送った球団も出た。 その今永はドラフト後の東都リーグ入れ替え戦で、被安打3、奪三振12の好投を見せている。「完全復活」を信じて疑わなかったDeNAスカウト陣の眼力を立証するようなピッチングであり、ラミレス監督のコメントも、 「ローテーションの軸として活躍してくれると信じている」 と、さらに期待を高めるものと変わった。 巨人関係者の一人がこう言う。 「ラミレスが巨人戦で今永をデビューさせるなら、高橋監督もそれに相応しい舞台を用意するのでは」 巨人も1位指名の桜井俊貴(22=立命館大)をDeNA戦でデビューさせるかもしれない。巨人はドラフト会議1週間前、1位候補を数人に絞り込んだが、結論を先送りした。そして、山下哲治スカウト部長自らが対関西大の試合を視察し、最終決断を下したという。「失点1、206球で延長14回を一人で投げ抜いたスタミナ、試合終盤でも球速をほとんど落とさないストレートが決め手になりました」(同) 桜井が大会タイ記録の18奪三振を奪った明治神宮大会初戦は、高橋監督も視察している。高橋監督も当然、桜井の先発ローテーション入りを期待している。第2節、DeNA3連戦の初戦に1位ルーキーを抜てきしてくるかもしれない。 「今永は自身の1位入札がDeNAだけだったことを受け、他球団の1位選手に敵愾心を抱いているとも聞いています。桜井は公立校から立命館大学に進んだ叩き上げです。もし対決が実現すれば、両投手とも意地の張り合いになるでしょう」(前出・プロ野球解説者) 1位ルーキー同士の激突。期待感の膨らむ遺恨試合なら、ファンも大歓迎だろう。 ラミレス監督はDeNA投手陣に対戦バッターへのインコース攻めを徹底させるとしている。高橋監督は大田泰示、岡本和真の育成に重点を置いている。両球団の試合では絵になるような「投手対打者」も見られそうだ。
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スポーツ 2016年01月31日 12時10分
KING OF STRONG STYLEを胸に…中邑真輔“世界”に挑戦!
「悩んでいたのは、2年ぐらい前からですかね」 25日に新日本プロレス本社で行われた退団記者会見で「決意した時期」について質問されると、中邑はこう明かした。最終的に決意したのは昨年11月だったと語っているが、今にして思えば2014年からは「中邑真輔サヨナラツアー」だったと言っても過言ではない。それぐらいこの2年というのは、中邑とゆかりがある選手との対戦が多い期間だった。その軌跡を振り返ってみよう。【棚橋、柴田との再会、グレイシーに12年越しのリベンジ】 2014年は、まず1・4東京ドーム大会で“運命のライバル”棚橋弘至に敗れ、IWGPインターコンチネンタル王座(以下インターコンチ)を失う形でスタート。2月の広島大会でのリターンマッチにも敗れた。しかし、3月のNEW JAPAN CUP 2014では決勝に進出。対戦相手であるバッドラック・ファレのパワー殺法に苦しみ、流血するハンデを背負いながらも逆転勝利を果たし優勝。試合後にはIWGPヘビー級王座ではなく、インターコンチへの挑戦を表明した。 4月の両国国技館大会で棚橋からベルトの奪還に成功すると、中邑がINOKI BOM-BA-YE 2002にて総合格闘技ルールで対戦し、敗れた相手であるダニエル・グレイシーが挑戦表明してきた。バックステージでは「ダニエルもホーレス(・グレイシー)もいつか、こっちから突っついてやろうかって思ってたんスよ。それが向こうから来るとはね」と感慨深い表情でコメントしている。 桜庭和志とのタッグで臨んだ5・3福岡大会では敗れてしまったが、5・25横浜アリーナ大会でダニエル相手にインターコンチの防衛に成功。自身が語った「出世試合」のリベンジを新日本のリングで果たした。 6月の大阪大会でファレに敗れインターコンチを明け渡すが、7月から開幕した“空前絶後”のG1クライマックスでは決勝に進出。決勝の舞台となった8・10西武ドーム大会で行われたオカダ・カズチカとのCHAOS同門による決勝戦は名勝負だったが、惜しくも敗れ準優勝に終わる。 9月の神戸大会でファレを破り再びインターコンチ王者に返り咲くと、10月の両国大会ではタッグで対決した柴田勝頼を次期挑戦者に逆指名。棚橋とともにかつて“新・闘魂三銃士”と呼ばれた柴田との危険な再会は話題を呼んだ。その柴田を11月の大阪大会で退けると、飯伏幸太の襲撃と挑発に遭い、2015年の闘いに続いていく。【飯伏との激戦、同期対決、棚橋との惜別マッチ】 「2015年の新日本プロレスにおける自分の試合というのは、常に100%以上のモノを求めて、かつ自分にとっては特別な、今の中邑真輔を形成する上で特別だった人間とやり合えた。1月4日の飯伏君、12月の後楽園での田口(隆祐)に至るまで」 中邑は退団を決意したポイントについて質問されると、このように2015年の闘いを例に挙げた。2015年は1・4東京ドームで飯伏との激戦を制すと、2月の仙台大会では中邑が新日本本隊を離れてからも一目置いていた“ミスターIWGP”永田裕志を相手に防衛。そして5月の福岡大会では、中邑が仕掛ける形で“同期”の後藤洋央紀と防衛戦を行うも敗れ、7月の大阪城ホール大会でのリターンマッチにも連敗。 同月から開幕したG1クライマックスでは、怪我で戦線離脱してしまったものの途中復帰し、2年連続で決勝まで駒を進めた。決勝の相手は棚橋となり、2人のシングル戦の集大成のような試合を繰り広げたが中邑は惜敗し、2年連続で準優勝。試合後には中邑から手を差し伸べて握手を交わし、手を挙げて棚橋を称えた。もしかしたら、中邑の中で「これが棚橋との最後のシングル」という思いがあったのかもしれない。 9月の神戸大会では、後藤に再び挑戦し、インターコンチを三たび奪取。11月の大阪大会では、デビュー後にLA道場で練習を積み、苦楽をともにしたカール・アンダーソンを相手に防衛に成功する。そして、試合後に挑戦表明したAJスタイルズとの対決が、今年の1・4東京ドームで組まれることになった。 中邑が語っているように、昨年末の後楽園大会では後藤と同じく同期で、中邑を意識した“オヤァイ”でブレイク中の田口ともシングルを行っており、同期という点で言えばヨシタツ(長期欠場中)とリング上で再会できなかったのが悔やまれるが、改めてこの2年間を振り返ってみると、AJとのシングル初対決というのは新日本マットで残された最後のピースだったことがよく分かる。 「今後は新たな刺激、環境、舞台を求めて、挑戦し続ける所存であります」 退団会見で中邑が表情を崩すことはほとんどなかった。しかし、菅林直樹会長から激励の花束を渡されると、数秒間深々と頭を下げ、握手。その姿からは、新日本を“旅立つ”のではなく、新日本の“KING OF STRONG STYLE”中邑真輔が“世界”に挑戦する決意が感じられた。 新日本のプロレスが世界に通用することを証明するため、中邑は世界へと旅立つ。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.3>
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スポーツ 2016年01月30日 18時13分
中日・落合GMvs谷繁監督 仁義なき戦争が再燃か!?
プロ野球は2月1日、いよいよキャンプインするが、4年ぶりのAクラス入りを目指す中日ドラゴンズが、“ある爆弾”を抱えることになった。それは、落合博満GM(62)と谷繁元信監督(45)の確執だ。 昨季終盤、落合GMはチームの功労者でもある山本昌投手(50)、和田一浩外野手(43)、小笠原道大内野手(42)、谷繁捕手、朝倉健太投手(34)といったベテラン陣をバッサリ切り捨て、若返りを図った。 ただ、谷繁監督は和田、小笠原に関しては、翌年も戦力として考えていたため、落合GMとの間にミゾが生まれた。現実として、和田は打率.298、小笠原は.294の好打率を残しており、今季も構想に入っていたのだ。ところが、落合GMの若返り策の前に、2人は強制引退させられてしまった。 これで終わりならまだいいのだが、ここに来て、落合GMと谷繁監督とのバトルが再燃しかねない事態に陥ってしまった。それは、大ベテラン・多村仁志外野手(38)の獲得だ。中日は1月15日、多村と年俸300万円(推定)で育成選手契約を結んだことを発表した。 多村は昨オフ、DeNAを戦力外になったが、どこからもオファーがなかった。手を差し伸べたのは、“若返り”を図ったはずの落合GMだ。01年の秋季キャンプで、横浜の臨時コーチを務めた落合GMが、多村を指導しており、2人はいわば師弟関係にあたる。 かつて、06年オフ、中村紀洋内野手(前DeNA)がオリックスと年俸交渉でもめて自由契約になった際、獲得する球団がなかったことがある。そこで、中村と師弟関係にある落合監督(当時)が翌07年のキャンプにテスト生として呼び、育成選手を経て、支配下選手に昇格し、レギュラーとして活躍したケースがあった。今回もまた、そのときと同じパターンだ。 ただ、こうなると、谷繁監督以下、首脳陣からは「だったら、和田を残しておけば良かったのに…」とブーイングが飛んでいるのだ。多村は3月28日で39歳となり、チームの若返り方針には逆行する補強だ。 しかも、和田が抜けた後の左翼のレギュラー候補は、FA権を有しながら、あえて残留の道を選んだ藤井淳志外野手(34)と、メジャー66発の新外国人であるダヤン・ビシエド外野手(26)。保険の意味で、リカルド・ナニータ外野手(34)も残留させたため、新たに外野手を補強する必要はない現状。 昨季、多村は中畑清監督(当時)に干される格好となり、わずか4試合の出場で、1安打打ったのみ。横浜時代の04年には40本塁打を放った長距離砲だが、年齢的に今季どこまでやれるかは未知数だ。 「谷繁監督と多村は、横浜時代のチームメイトですから、谷繁監督自身、多村の潜在能力はわかっているはずです。ただ、こういう形になると、『和田を引退させないでほしかった』と思うのは当然のこと。左翼手はたくさんいますし、多村が支配下選手に昇格しても、役どころは右の代打要員でしかありません。だとしたら、『どうせなら、もっと若い選手を獲ってほしかった』となるのです」(某スポーツ紙記者) 落合GMの息のかかった選手である以上、谷繁監督もチャンスを全く与えないわけにもいかず、頭が痛いところだ。中日は、落合GMと谷繁監督とのバトルが再燃した状態で、キャンプを迎えることになる。(落合一郎)
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スポーツ 2016年01月30日 17時10分
「巨人&DeNA専属評論家」はおいしいゾ! 中畑清氏がモテモテ
中畑清氏(62)とDeNA球団の間で“異例の契約”が交わされていた。「年末まではウチの所属で」ということで、中畑氏に対する取材窓口は、12月末までDeNAになっていたのだ。通常は11月までだ。 「中畑氏は球界に新規参入したDeNAにメディアを連れてきてくれたと言っても過言ではありません。中畑監督にDeNAのことやラミレス新監督(41)のことを聞きたいとするメディアが多いことも分かっていましたから」(球界関係者) 邪推だが、取材の窓口を務めたということは出演料の何パーセントかは球団に入ったのでは…。 しかし、中畑特需はまだ終わらない。 中畑氏の古巣・巨人は高橋由伸(40)の監督就任を発表した。その巨人とDeNAは開幕第2節でぶつかる。両球団の新監督を知る球界OBとして、今も中畑氏の発言に注目が集まっているのだ。 「両新任監督の性格を知っていますからね。DeNAの主力戦力は中畑氏が育てたようなものですし、きわどい内部情報だとしても、中畑氏が言えば、イヤミにはならないし」(TV局スタッフ) その中畑氏がヨシノブの監督抜てきについて、興味深い発言をしている。巨人は「生え抜きのOB」から監督を選んできた。今回もそうだったが、現役のヨシノブの名前が出たことに対して、「やっぱり」という言い方をしていた。ペナントレース終盤に、そういった気配を感じたのではない。巨人の監督選考について「生え抜き」という言い方では説明不足だったのだ。 選手経験のない人、選手兼任で巨人監督を務めた人もいる(大日本東京野球倶楽部時代を含む)。しかし、それはプロ野球の興行が整っていた時代のことで、藤本定義氏以降(1936〜42年)は、4番かエースに限られている。「伝統球団の重圧で人間教育を受けた者しか選ばれないし、務まらない」と、中畑氏は話していた。 「中畑氏は初代のプロ野球選手会・会長でもあり、今後、ご意見番として選手会をサポートしていくとの情報も交錯しています」(前出・関係者) いずれ、中畑氏の口からDeNA球団が旧ベイスターズOBではなく、アレックス・ラミレス氏を新監督に迎えた理由も語られるだろう。当面は解説者だが、指揮官生活の疲れが癒えれば、いずれまたユニフォーム姿を見せてくれるのではないだろうか。「4番かエース」が巨人監督に迎えられる条件だとすれば、中畑氏も候補の一人だが…。
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スポーツ 2016年01月29日 10時47分
正捕手を育てる前にバッテリーコーチが体を壊してしまわないか!?
2015年シーズン、規定打席に到達したセ・リーグの捕手は東京ヤクルトスワローズの中村悠平(25)だけである。パ・リーグにしても、埼玉西武の炭谷銀仁朗(28)のみ。東北楽天・嶋基宏は故障離脱がなければ到達しただろう。しかし、大半のチームは『正捕手不在』と言っていい。 強いチームには好捕手がいる。常に言われてきた言葉だ。 金本知憲監督(47)は就任と同時にいくつかのチーム再建ビジョンを語ったが、トラの正捕手不在を気に掛けていた。近年、阪神が解消できなかった“難題”でもある。3年目を迎える梅野隆太郎(24)、ドラフト2位・坂本誠志郎(22=明大)がその座を争うが、教育係を託されたのが、矢野燿大作戦兼バッテリーコーチである。 「当初、矢野コーチの肩書はバッテリーコーチのみで予定されていました。金本監督は矢野コーチを指して『野球観が同じ』と話しており、攻撃面でも相談に乗ってもらいたいからとフロントにお願いして、作戦兼任のコーチとなったんです」(球界関係者) 矢野コーチの捕手育成ビジョンが明らかになった。同コーチは「ペナントレースが始まってからが教育の本番」とし、「毎試合、帰りは午前サマになるだろう…」とこぼしていた。 梅野、坂本の両方が一軍で開幕を迎えた場合だが、『チャート表』を書かせるという。 そのチャート表とはどんなものか…。関係者によれば、スコアブックをもっと専門的にしたものだと話していた。相手チームの出場打者1打席が2コマに分かれていて、1コマはホームベース上のストライク&ボールゾーンを「縦横4×4=16マス」に分割されたもの。チャート表は『捕手目線』で作成されているので、右打者は向かって左側に描かれており、2コマ目は野球場を上空から記したもの。野球場区画線図である。 そのチャート表に、対戦チームのスタメン選手はもちろん、途中出場の選手を含めた全打席分を書く。もっと言うと、味方投手が試合開始の1球目からゲームセットまで投げた全球を書き込ませるものだそうだ。 直球、カーブ、スライダー、シュート、フォークボールなどの球種を、申し合わせた「○、△、▲、▽」などの記号で書き、打球の方向はヒット、凡打、ファールに関係なく、2マス目の野球場区画線図に書いていく。ゴロ、フライ、ライナーで「線の種類」も変わる。これを試合開始の1球目からゲームセットまで全て書かせ、矢野コーチとスコアラーで答え合わせをする。次に矢野コーチが、相手選手に安打された配球について、「なぜ打たれたのか、この打者の傾向は? 次はどうすればいいのか」を質問する。 配球に「絶対打たれない正解」はない。しかし、次は抑えられると確信が持てるまで徹底議論するつもりだという。 「矢野コーチは現役時代、それもプロ入りした中日在籍のころから続けてきたそうです。野村克也氏が阪神監督だった時代、さらにストライク&ボールゾーンを細かく分割した図がチームで使われましたが、配球に定評のある捕手は多かれ少なかれ、同じようなチャート表を書かされた経験があるはずです」(前出・関係者) 1試合で味方投手が投げた投球数が仮に130球だとしても、全て書き込めるのだろうか。矢野コーチは「やればできるようになる」と言っているそうだが、毎試合後に記憶力を試され、かつ配球の議論までやるのだから、2、3時間では終わらないだろう。ゲームセットが午後9時半として、そこからシャワーを浴び、着替えて1時間。11時前に『矢野教室』がスタートしたとすれば、矢野コーチが球場を出られるのは、明け方近くということになる。 「金本監督、矢野コーチは大学時代から親しくしていますが、2人で飲みに行ったのは数えるくらいしかありません。金本監督は試合後に素振りやティー打撃をし、矢野コーチはチャート表を書き、スコアラーと配球の相談をしたので、『時間』の約束ができないんです」(前出・同) 作戦コーチの肩書もあるため、矢野コーチは攻撃面の反省会にも加わらなければならない。本当に、体を壊してしまうのではないかと心配になってくる。梅野、坂本は矢野コーチの“献身的な指導”に応え、高いレベルでの正捕手争いをしなければ、それこそファンが許さないだろう。
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スポーツ 2016年01月27日 15時00分
金本監督が本当に頼りにしているのは… 「ベテランは世代交代の潤滑油」(2)
1月22日、西宮市内の虎風荘で、一、二軍首脳陣を一堂に集めたスタッフ会議が開かれた。話し合われたのは、キャンプの一、二軍の組分けである。 注目すべきポイントはいくつかある。 新人選手で一軍帯同が決まったのは、2位の坂本誠志郎(明大=22)だけ。1位・高山俊外野手(明大=22)は右手有鉤骨の修復手術のリハビリ中であり、大事を取ることになった。また、将来の大砲候補として期待される横田慎太郎(24)も一軍スタートが決まった。 金本知憲監督(47)は報道陣の「一年を通して使っていくのか」の問いに、 「使ってみたいというレベルになるかどうかは彼次第」 と返している。 チーム関係者の一人がこう続ける。 「金本監督の就任以来、生え抜きの大砲育成への期待が高まっています。監督もそういう主旨の発言をしましたが、年齢、実績に関係なく、各々のポジションでレギュラーを掴んだ選手で開幕オーダーを組むつもり。小技を使う選手がレギュラーを掴めば、機動力、チーム打撃重視の打線を作り、大砲タイプが揃えばそういう打線になるでしょう」 新生タイガースのスタメンは、まさにキャンプ、オープン戦次第というわけだ。 「鳥谷、ゴメス、福留は昨年の球団納会で名前を出しており、この3人はレギュラー確定。やってもらわなければ困ります」(在阪記者) 金本監督が名前を挙げたベテラン投手がいる。その投手の使い方も変わってくるかもしれない。 新クローザー候補、マルコス・マテオ(31)の入団が正式発表された1月7日、金本監督は“意味シンなコメント”を出していた。 「できれば(マテオに)クローザーをやってほしいけど、福原のほうが安定感があるのなら…」 普通に考えれば、クローザーはマテオか、もう一人の新加入助っ人のラファエル・ドリス(27)だろう。一軍投手を預かる香田勲男コーチ(50)は4季ぶりに古巣復帰した藤川球児(35)も「候補の一人」と話していた。福原忍(39)は2年連続で『最優秀中継ぎ投手』のタイトルを獲得している。2011年シーズン以降、セットアッパーとして存在感を見せてきたが、来年40歳になるベテランにクローザーを託すのは『世代交代』に逆行する。しかし、 「金本監督は福原を投手陣のキャプテンに指名したように、かなりの信頼を寄せています」(前出・関係者) 福原は良い意味で投手陣全体に“睨み”が利く。エース・藤浪晋太郎(21)が勝ち星に恵まれなかった昨季序盤、 「もうちょっと胸を張って投げたほうが」 と、アドバイスを送っている。 リリーバーは試合中、ブルペンで待機する。試合の流れを見て肩を作るのだが、“コーチ目線”でブルペンのモニターテレビを見ていたわけだ。このアドバイスが投球フォームをマイナーチェンジさせ、シックリ行っていなかった藤浪を立ち直らせるきっかけとなった。 「昨季3勝10敗だった岩崎(優=24)にも、『試合終盤でスタミナが切れるのなら、投げ込み練習の途中にランニングを取り入れてみたら?』とアドバイスしていました。福原より1歳年下の安藤優也も若い先発候補に色々とアドバイスをしています」(前出・同) シーズンを通してクローザーができるのか、年齢的な不安は残る。しかし、チームでもっとも信頼されている投手に重要どころを託すのは間違っていない。むしろ、結束力は高まるのかもしれない。 投手出身のプロ野球解説者にセットアッパーとクローザーの違いについて聞いてみた。 「セットアッパーはチームの勝敗に関係なく、ほぼ毎試合、肩を作らなければなりません。でも、クローザーは勝ち試合だけ肩を作ればいい。セットアッパーのほうが肉体的負担は大きいですよ」 一年でも長く現役を続けさせてやりたいと思うのなら、クローザー福原も悪くない。「マテオのコントロールに不安アリ」とこぼす関係者もいた。メッセンジャーのリリーフ再転向を推す阪神OBもいたが、そうなると、タダでさえ頭数の足らないローテーション投手が少なくなってしまう。安藤、FA加入の高橋聡文(32)、マテオと繋ぎ、それで逃げ切れなかったときは福原を投入する…。そんな継投策も考えられる。金本監督のベテラン福原の使い方にも注目したい。
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