新日本
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スポーツ 2011年12月22日 11時45分
“日本人悪役プロレスラーの元祖”上田馬之助さんが死去
髪の毛を金髪に染め、“金狼”と呼ばれた悪役レスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司)が、12月21日午前10時7分、自宅がある大分県臼杵市内の病院で死去した。関係者によると、上田さんは朝食後、のどを詰まらせた様子を見せたため、救急車で病院に搬送されたが、呼吸不全で息を引き取った。享年71歳。 上田さんは40年6月20日、愛知県海部郡(現弥富市)出身。大相撲追手風部屋を経て、60年に日本プロレスに入門。61年4月に故平井光明(スーパー・ヘイト=平井伸和選手の父)戦でデビュー。同団体時代はファイトスタイルも地味な中堅レスラーの域を脱せなかったが、故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木ら主力選手が離脱した後の73年3月には、故大木金太郎さんとのタッグでインタータッグ王座(現在は世界タッグ王座に統合)を奪取した。 同団体崩壊後、いったんは故馬場さん率いる全日本プロレスに合流するも、待遇への不満等の理由でフリーとなり渡米。全米で悪役として活躍した後、76年に国際プロレスに参戦。故ラッシャー木村さんを破って、IWA世界ヘビー級王座も奪取した。当時は日本人=善玉、外国人=悪役の図式があり、日本人でありながら、金髪で悪役としてファイトした上田さんは、まさに日本人悪役レスラーの魁となった。 77年からは新日本プロレスに戦場を移し、タイガー・ジェット・シンと凶悪コンビを結成。このタッグチームは、上田さんの代名詞にもなり、日本中のファンを恐怖のドン底に陥れた。78年2月には猪木とリング下に釘板ボードを敷き詰めて闘う釘板デスマッチを敢行し、プロレス史において伝説の一戦となった。 81年からは全日本に参戦し、ここでもシンとの凶悪タッグで猛威を振るい、インタータッグ王座も奪取した。その後、新日本に出戻り、正規軍とも共闘。日プロ時代、「ガチンコに強い」といわれていた上田さんと、シュートスタイルのUWF軍との激突は注目を集めた。 新日本から去った後はNOW、第2次NOW、IWAジャパンといったインディー団体でファイト。そのIWA参戦時の96年3月、巡業で移動中の車が交通事故に逢い、上田さんは脊椎損傷の大ケガを負い全身不随の身となった。 事故後は熊本県内の病院で治療、リハビリに当たっていたが、98年4月に新日本、力道山OB会協力の下、熊本で引退興行が開催され、上田さんも車椅子で姿を見せた。退院後しばらくは熊本県内で暮らしていたが、夫人の故郷である臼杵市に移り住み、夫人とリサイクルショップを営んでいた。事故から実に16年、上田さんの苦しく厳しい闘病生活は幕を閉じた。 かつてのライバルである猪木は、「また一人、同じ時代を過ごし、闘いを通じて信頼し合えた友人の旅立ちを見送るのは大変辛い気持ちです。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを寄せた。 なお、通夜は23日、葬儀は24日午後1時から臼杵市市浜堂尻1126の玉泉院臼杵会館で、家族葬として執り行われる。喪主は妻・恵美子さん。(最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)
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スポーツ 2011年12月14日 16時00分
Hカップのグラドルレスラー・愛川ゆず季が女子プロレス大賞を受賞! 「2011プロレス大賞」受賞者が決定!
「2011プロレス大賞」(東京スポーツ新聞社制定)の選考会が、12月13日、都内で開かれ、各賞の受賞者が決定した。 MVP(最優秀選手)は棚橋弘至(新日本プロレス)が2年ぶり2度目の受賞となった。棚橋は1・4東京ドームでIWGPヘビー級王座を奪取し、1年を通じて、同王座を守りV10を達成したのが評価されたもの。有効投票総数24の内、23票を得ての圧勝となった。 各賞受賞者の中で、ひと際、目を引いたのが女子プロレス大賞を受賞したゆずポンこと愛川ゆず季(28=スターダム)。Hカップのグラドルレスラーとして注目を集める愛川は、昨年10・31新木場でデビューしたばかりで、キャリアはわずか1年あまりの新人選手。いきなりの女子プロレス大賞の受賞には驚くばかりだが、大物女子選手を差し置いて、24票中18票を得ての堂々の受賞。 グラドルとの掛け持ちということで、どうしても色メガネで見られがちだが、7月には初代ワンダー・オブ・スターダム王座を奪取。11月にはゴッデス・オブ・スターダム王座も獲得し、2冠王に輝いた。12・11後楽園では男子のメジャー団体、全日本プロレスに初登場し、武藤敬司と夢のトリオを結成し、カズ・ハヤシからフォールを奪うなど、女子プロの枠を超えた活躍も見せた。 リング外では女子プロレスを舞台としたドラマ「ここが噂のエル・パラシオ」(テレビ東京系列)にレギュラー出演するなど、女子プロの世間へのアピールという点で大いに貢献した。 愛川は「期待を込めた分も、票に入れていただいたと思います。それに応えたい。地元への凱旋興行や、グラレスラーの発掘オーディションとか、新しいことをやっていきたい」と喜びのコメントを残した。来年、さらなる愛川の女子プロ改革に期待したい。 なお、各賞受賞者は以下の通り。●「2011プロレス大賞」受賞者▽MVP(最優秀選手賞) 棚橋弘至(新日本)▽年間最高試合賞 8月27日・日本武道館「ALL TOGETHER」(東京スポーツ新聞社主催) 武藤敬司(全日本)&小橋建太(ノア)vs矢野通&飯塚高史(新日本)▽最優秀タッグチーム賞 関本大介&岡林裕二(大日本)▽殊勲賞 秋山準(ノア)▽敢闘賞 永田裕志(新日本)、望月成晃(ドラゴンゲート)▽技能賞 KENTA(ノア)▽新人賞 鈴川真一(IGF)▽女子プロレス大賞 愛川ゆず季(スターダム)▽特別賞 該当者なし▽功労賞 該当者なし▽レスリング特別表彰 小原日登美(自衛隊)、吉田沙保里(ALSOK)、伊調馨(ALSOK)(最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)
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スポーツ 2011年12月14日 15時30分
蝶野正洋赤っ恥! プロデュース興行が資金難で中止!
元新日本プロレスでフリーの大物プロレスラー、蝶野正洋がプロデュースすることで注目されていたプロレスとフードのコラボイベント「FIGHT&LOVE in パシフィコ横浜 プロレスフェスタ×ミートフェスタ」(12年1月9日=神奈川・パシフィコ横浜展示ホール)の中止が、12月13日に発表され、波紋を呼んでいる。 同興行は株式会社リニューアス(東京都千代田区)が主催し、蝶野がそのプロデュースを任されていたものだが、同社の本案件に対する資金調達が困難となったため中止となった。 同興行は全日本プロレス、レジェンド・プロレスリング、プロレスリングZERO1、大日本プロレス、みちのくプロレス、大阪プロレスなどと、フリーのプロレスラーが全面協力し、全12カードがすでに決まっていた。出場予定となっていたのは、初代タイガーマスク、藤波辰爾、長州力のレジェンド勢、諏訪魔、大谷晋二郎、関本大介、ザ・グレート・サスケ、空牙ら各団体のトップ選手と、曙、吉江豊らのフリーの大物選手。 なかでも、レジェンド・プロレスリングは当初、同日に後楽園ホール大会を予定していたが、この興行のために、わざわざ日程を1月8日にずらすなどして、協力関係を築いていただけに被害は甚大。協力予定だった他の団体、フリー選手にとっても、影響は少なくない。 蝶野は主催者ではなく、あくまでも、その知名度とネットワークを評価されて、“興行の顔”として任命されたわけで、資金繰りの責任はない。その意味では、蝶野も被害者の一人といえなくもないが、中止となってしまっては、面目丸潰れだ。 同社はアセットマネジメント、コンサルティング、不動産、イノベーションなどの事業を手掛ける企業で、プロレス興行に関しては素人。興行関係者のA氏によると、「これだけのトップ選手を集めて、かつこれだけ多くの選手を出せば、ギャラがかなり高額になるのは言わずもがなです。たかが、キャパシティ2000人程度の会場でやっても経費倒れするのは最初から目に見えていました。資金調達が困難なんて、笑うしかない。予算の組み方、プランニングが甘すぎます」と苦言を呈す。 同社ではチケット払い戻しの要項を発表したが、場合によっては協力予定だった団体、選手から損害賠償の請求を受けても致し方ないところだ。(落合一郎)
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スポーツ 2011年09月20日 15時30分
小島聡が新日本プロレス出戻り
新日本プロレスリングは、レスラー小島聡(40)が10月1日付けで古巣に復帰することを発表した。小島は2002年1月に新日本を退団し全日本プロレスへ移籍、10年5月には全日本を退団しフリーとなっていた。全日、新日本の区別なくリングに上がっていたが、最近は新日本プロレスの夏の恒例「G1クライマックス」に参戦するなど、新日本との距離を狭めていた。現在、右眼窩下骨折で治療中の小島は、10月10日の東京・両国国技館大会で盟友・天山広吉との対戦で復帰することが確実視されている。
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スポーツ 2011年09月17日 13時30分
激突! 初代タイガーVS小林邦昭、“最後の一騎打ち”!!
9月23日(金・祝)に行われるレジェンド・ザ・プロレスリング「LEGEND THE PRO-WRESTLING」愛知・名古屋国際会議場イベントホール大会で、シングルマッチを行う初代タイガーマスクこと佐山サトルと、“元祖虎ハンター”小林邦昭が15日、東京・赤坂のスカパー!本社にて会見を行い、「最後の一騎打ち」に賭ける熱い思いを語った。 1980年代の新日本プロレスマットを熱く盛り上げた両者の一戦。3年8か月ぶりの対戦となった5月7日の大阪大会では、初代が小林にリングアウト負けし、約30年と長年にわたる争いの中で初黒星を喫していた。 古傷のヒザのじん帯の調子は万全ではないが、「体はすごく調子いい」という初代イガーマスク、「前回は不本意だったのでお返ししたい。全力でぶつかりたい」とリベンジ宣言。一方、この一戦のために有酸素運動によるトレーニングや食事制限などで、約7キロの減量を成功させた小林邦昭は「フィッシャーマンスープレックスを2、3発は続けて出す」と必殺技の大開放予告。<名古屋>『LEGEND THE PRO-WRESTLING 2011』■開催日時:2011年9月23日(金・祝)■開催場所:名古屋国際会議場イベントホール■チケット:VIP席:10,000円S席:7,000円A席:5,000円e+(イープラス) http://www.e-link.me/real/rw/1314720580.htm【対戦決定カード】<メインイベント シングルマッチ>藤波辰爾 VS 長州力<セミファイナル シングルマッチ>初代タイガーマスク VS 小林邦昭<第4試合 タッグマッチ>ウルティモ・ドラゴン&AKIRA VS エル・サムライ&高岩竜一<第3試合 タッグマッチ>藤原喜明&タイガー・シャーク VS アレクサンダー大塚&青柳政司<第2試合 6人タッグマッチ>ヒロ斉藤&長井満也&ベアー福田 VS 本田多聞&泉田純至&菊地 毅<第1試合 シングルマッチ>倉島信行 VS 斎藤彰文<函館>『LEGEND THE PRO-WRESTLING 2011』■開催日時:2011年9月29日(木)■開催場所:函館市民体育館■チケット:VIP席:6,000円S席:5,000円A席:4,000円e+(イープラス) http://www.e-link.me/real/rw/1314720579.htm【対戦決定カード】<メインイベント タッグマッチ60分1本勝負>藤波辰爾& AKIRA VS 長州力&石井智宏<セミファイナル タッグマッチ45分1本勝負>初代タイガーマスク&タイガー・シャーク VS 藤原喜明&空牙<第4試合 シングルマッチ 30分1本勝負>長井満也 VS アレクサンダー大塚<第3試合 タッグマッチ30分1本勝負>大森隆男&菊地毅 VS 関本大介&本間朋晃 <第2試合 シングルマッチ 20分1本勝負>本田多聞 VS 斎藤彰文<第1試合 シングルマッチ 20分1本勝負>泉田純至 VS 倉島信行<札幌>『LEGEND THE PRO-WRESTLING 2011』■開催日時:2011年9月30日(金)■開催場所:札幌テイセンホール■チケット:VIP席:8,000円S席:6,000円A席:4,000円e+(イープラス) http://www.e-link.me/real/rw/1314720578.htm【対戦決定カード】<メインイベント シングルマッチ 60分1本勝負>藤波辰爾 VS 長州力<セミファイナル シングルマッチ 45分1本勝負>初代タイガーマスク VS 空牙<第4試合 タッグマッチ30分1本勝負>大森隆男&石井智宏 VS 関本大介&本間朋晃<第3試合 タッグマッチ30分1本勝負>藤原喜明&アレクサンダー大塚 VS 本田多聞&泉田純至<第2試合 シングルマッチ 20分1本勝負>AKIRA VS 菊地毅<第1試合 タッグマッチ20分1本勝負>長井満也&倉島信行 VS タイガー・シャーク&斎藤彰文
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スポーツ 2011年07月06日 15時30分
格闘技バブルはなぜはじけたか?
数年前までテレビのゴールデンタイムで放送されていた格闘技番組が、ほぼ壊滅状態となっている。一時期は大晦日の特別番組で地上波の多くが取り上げていたほどであったのに、いまはその勢いはない。数十年続いていた格闘技ブームが去ったということであろうか? 戦後日本のテレビは、力道山のプロレスからはじまり、日本最初のボクシング世界チャンピオン白井義男、キックボクシングの沢村忠と、常に格闘技ブームの渦中にあった。キックボクシングなど、主要テレビ局のほとんどが各局で毎週試合を中継していたほどである。 キックボクシングブームが終わっても、ジャイアント馬場、アントニオ猪木というプロレス界の大スターがいた。全日本プロレス、新日本プロレス国際プロレスも毎週テレビのゴールデンタイムに放送されていた。ブルース・リーという映画スターの登場で、世界中に空手やカンフーに憧れる人々があふれ出た。 また、アントニオ猪木は、ボクシングヘビー級チャンピオンであるモハメッド・アリとの対決をはじめとした異種格闘技戦は、格闘技ファンの心をつかんで話さなかった。猪木の異種格闘技路線は、やがて初代タイガーマスクである佐山聡や前田明といったプロレスラーに引き継がれていき、ショー的要素が強かったプロレスと違う、格闘技色の強い【UWF】という団体を立ち上げ人気となっていく。 また打撃系格闘技も人気で、空手界の異端児といわれていた大山倍達が創始した極真空手が、少年マガジン連載の「空手バカ一代」が大ヒット。やがて極真空手から独立した諸団体が独立した。 80年代から90年代では前述した【UWF】もいくつかの団体が分かれ、それぞれに人気があった。特に佐山聡は、プロレスとは違う総合格闘技団体【シューティング】という総合格闘技団体を創設する。この【シューティング】が、打撃技・投げ技・寝技を取り入れた格闘競技のプロ化の最初であった。 アマチュアでは極真空手から分かれた東孝が【大道塾】という団体を81年に設立。打撃技を中心に投げ技や寝技を取り入れた競技を行なうようになり、この団体も人気であった。また、やはり極真空手から分かれた【正道会館】が93年に【K-1グランプリ】を開催し人気となる。 そしてやはり90年代、、寝技が中心のブラジリアン柔術が、空手家やボクサーを次々と負かしていく姿に、日本中どころか世界中の格闘技ファンが愕然とした。 テレビでは、日本では【K-1】が大人気なり選手を主人公にしたコミックも登場。また、打撃に投げ技・寝技も取り入れた【プライド】等の総合格闘技もテレビに登場するなど大人気となった。 思えば戦後のプロ格闘技は、数年前まで絶えることなく人気があった。 それがここ数年で急速に人気が落ちてきてしまっているのだ。 原因は何か? おそらくは格闘技におけるロマンが薄くなってきてしまったせいではないであろうか? 格闘技において、すべて出尽くした感があるのだ。 いまや「ボクシングとプロレスどっちが強いか」とか「柔道と空手どっちが強いか」などという人すら少なくなってしまった。そして日本人の闘争欲も薄れてきているのではないだろうか? 格闘技のジム経営者や道場主に聞くと、いまの時代、10代の入門者が少なくなってきているという。むしろ40代50代の人が「昔やりたかったけど」と入門してくる人が目立つという。 格闘技の過激化、過剰化で格闘技はバブル化しはじけてしまったようだ。巨椋修(おぐらおさむ)(山口敏太郎事務所)
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スポーツ 2011年06月20日 12時30分
永田をこだわりバックドロップ葬! 諏訪魔が3冠防衛
全日本プロレスは19日東京・両国国技館で三冠王者・諏訪魔が新日本プロレス・永田裕志をバックドロップホールドで破り今春のチャンピオンカーニバルのリベンジを果たした。 試合は凄ましい戦いを展開しラリアートから岩石落とし固めで永田からピンフォール奪った。8000人の観衆から諏訪魔コールが沸き起こる中、諏訪魔は「本日は熱い声援をありがとうございます。これからもリング上で示していきます、本当にありがとうございます」と絶叫した。 試合後、諏訪魔は「バックドロップのこだわりが俺のすべてだ! もっともっとバックドロップを使えと言う意見もあるが俺はここぞと云うときに技を見せたい。それを実践していきたい」と話し「(永田について)目先の人間は消えたけど、新日本には中西だろうが、これからもぶっ潰す」と豪語した。 またセミの世界タッグはムタ、KENSO組が奪取したがムタがKENSOに毒霧噴射の謎の行動。 K-1世界ヘビー級王者・京太郎がプロレスデビュー戦を船木誠勝と行った。得意のキック、掌打を見せ船木を追い込んだが最後は船木の胴締めチキンウイングフェイスロックで敗れた。京太郎はこれからもプロレス参戦の意欲を見せた。三冠ヘビー級タイトルマッチ○諏訪魔(30分13秒岩石落とし固め)●永田裕志世界タッグ王座決定戦○グレート・ムタ KENSO(8分54秒体固め)●浜亮太 曙K-1世界王者プロレスデビュー戦○船木誠勝(9分57秒胴締め羽根折り固め)●京太郎(アミーゴ・タケ)
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スポーツ 2011年06月13日 11時45分
アントニオ猪木が東京スポーツに宣戦布告!
IGF会長・アントニオ猪木が、東京スポーツ新聞社(以下、東スポ)にケンカを吹っかけた。 猪木は6月11日、会見を開き、8月27日に東京・両国国技館でビッグマッチを開催するプランであることを明言した。 8月27日といえば、東スポが主催者となり、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体による夢のオールスター戦〜東日本大震災復興支援チャリティー興行(日本武道館)が開催される。猪木はあえて、その同じ日に興行戦争を仕掛けようというのだ。「別に同じ日にぶつけなくてもいいんだけど、話題としておもしろいでしょ」と猪木。当日はオールスターメンバーの武道館に対抗して、「みんながビックリする、ひっくり返し」で勝負するという。 5月下旬から、ドイツ、オランダ、オーストリアの欧州3カ国を視察した猪木。オランダではK-1のアーネスト・ホースト(引退)、ピーター・アーツらとも食事会で会談し、彼らの門下生の売り込みも殺到したという。 また、スーパー・ヘイト選手(本名=平井伸和)に関する報道姿勢が原因となり、東スポに個人的な取材拒否を通告した全日本プロレス前社長・武藤敬司の参戦にもまんざらではない様子で、武藤の出場が実現すれば、より東スポへの対抗意識が鮮明となる。 並の人間なら、夢のオールスター戦のウラでビッグマッチ開催など思いもつかないが、ここがまた猪木らしいところ。猪木は「今までやってきたものとは違うものをやりたい」とも語っており、オールスター戦からはずされた団体の大物選手、意外な大物格闘家が、猪木興行に集結するかもしれない。(落合一郎)
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スポーツ 2011年06月08日 11時45分
次期社長は貧乏くじ? 全日本プロレス・武藤社長が引責辞任!
全日本プロレス・武藤敬司社長が辞任を表明した。 同団体は6月7日、会見を開き、一連のスーパー・ヘイト選手(本名:平井伸和)の事件に関し、武藤社長が責任を取って辞任することを明らかにした。辞表は同日付で提出され、武藤は取締役にとどまる。後任の社長には内田雅之取締役が内部昇格する。武藤は「選手を処分するのは断腸の思いだった。選手を罰するなら自分自身ケジメをつけないといけないと思った。木曜日(2日)には決意が固まっていた」とコメント。 5・29神戸大会でヘイト選手が、試合後に急性硬膜下血腫で倒れて開頭手術を受け、いまだに意識が戻らない状態が続いている。その試合前には、TARUがヘイト選手に暴行を加えていたことが判明。TARUを始め、同じ控え室にいた軍団メンバーのKONO、稔、MAZADAの計4選手が無期限出場停止処分となった。 事件後、武藤は沈黙を守っていたが、即社長辞任に至った。後任の内田氏はプロレス畑以外の出身で、武藤に乞われて同団体の経営に参画。斬新なアイデアで、武藤全日本をサポートしてきた。当初は社長就任を固辞したという内田氏は、「このような状況のなかで、代表取締役という大任を仰せつかり、重責を全うできるか大変不安でもあります。選手、スタッフ一丸となって、この難局を乗り越えていこうと決意しました」と話した。 企業で事件が起きた場合、代表者の対応はさまざまだが、事件の処理に一定の区切りがついた段階で身を引くのが一般的。その意味では、次期社長の内田氏は、まさしく火事の真っただなかに、火の中に入るようなもので、貧乏くじを引いたともいえる。再発を防ぐため、同団体では現場責任者のカズ・ハヤシが中心となって、フリー選手を含めて、より一層管理体制を強化する方針を示した。大役を担った内田氏の手綱さばきに注目が集まる。 なお、武藤はこの事件に関して、一連の過剰な取材、報道をしてきた東京スポーツ紙に対し、個人的な取材拒否を宣告。全日本、新日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体が協力する同社主催のオールスター戦、8・27日本武道館大会への出場が微妙になった。(落合一郎)
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スポーツ 2011年06月07日 08時00分
大仁田厚が被災地で長州力とガチンコ遭遇!
元参議院議員でタレント兼プロレスラーの大仁田厚が、被災地で“旧敵”長州力と奇跡的な再会を果たした。 大仁田と長州は東日本大震災以降、人知れず被災地での支援活動を続けている。6月5日、大仁田は福島の南相馬市を訪問。まず、給食センターに物資を届けた後、避難所となっている原町第二中学校へ、炊き出しに向かった。 すると、先に同所を訪れていたのが長州だった。偶然の再会に、大仁田が声をかけると、かつて抗争を繰り広げた長州とガッチリ握手。旧交を温めた2人は、今後も被災地への支援活動を続けていくことを確認し合ったという。 両者の関係といえば、引退していた長州に対し、大仁田が執ように対戦要望を出し、それに長州が折れて、00年7月30日に対戦が実現。この試合をきっかけに、長州は本格復帰を果たした間柄。その後、長州が新日本プロレスを退団し、WJプロレスを旗揚げしてからも抗争は続いた。 2人が会うのは08年7月12日に開催された大仁田主催興行(ディファ有明)、長州主催のリキプロ興行(新宿FACE)に双方が出場し合って以来、実に2年11カ月ぶりだという。 思わぬ旧敵との偶然の遭遇に刺激を受けた大仁田は、「会えてうれしかった。これからも、被災者を元気づけていきたい」と笑顔を見せた。(最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)