新日本
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スポーツ 2013年12月17日 11時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第2R 秘めたるエンタメ魂〈ラッシャー木村〉
「UWFはもともと、ラッシャー木村がエースになる予定の団体だった」というと、眉にツバするプロレスファンも多いだろう。 しかし、これは事実だ。 「当初UWFは、アントニオ猪木が新日本プロレスを離れ、フジテレビかTBSを中継スポンサーにして新団体を立ち上げようという計画から始まったものでした。そうして新日を中継するテレビ朝日とダブルで放映権料を得ようという皮算用だったのです。ところがいろんなシガラミから猪木は新日=テレ朝を離れられないということになり、そこで新団体のエースとして白羽の矢が立ったのがラッシャーでした」(当時を知る新日関係者) 後にUWFの絶対エースとなる前田日明もこの当時は一介の若手にすぎず、テレビ局からカネを引っ張るためには、元・国際プロレスのエースで猪木との抗争で名前を売ってきたラッシャーの看板が必要だったというわけだ。 しかし結局テレビ局との交渉は不調に終わり、UWFは将来を前倒しする形で、前田をエースとして旗揚げすることになる…。 そのUWFからラッシャーが早々に離脱したことについて「格闘色の強いファイトスタイルについていけなかったから」と見る向きもあるようだが、それは明らかな誤りである。もともとラッシャーの所属した国際は、社長の吉原功が早大レスリング部出身ということから、毎日レスリングの練習を欠かさなかった。よって格闘技の下地としては全日、新日の所属選手たちよりも、しっかりとしたものを持っていたのだ。 さらにラッシャーは、ビクトル古賀からサンボを、ビル・ロビンソンからキャッチ・レスリングを学んでいた。そうして見れば、むしろ格闘技的な試合においては当時国内トップクラスだったものと思われる。 かの鉄人ルー・テーズも猪木、馬場との比較で「相撲とレスリングをマスターしているラッシャーが一番強い」と評している。 国際の招きで来日していたときのコメントだけに多少の割引は必要だろうが、ルー・テーズともあろう者が、まるっきりのデタラメを言うとも思えない。少なくとも、第一次UWFの当時はプロレス流の練習しかしていなかった前田に比べて、ラッシャーが技術面で遅れをとることはなかっただろう。 では、なぜラッシャーはUWFにおいて、そうした能力を発揮しようとしなかったのか。 国際時代は「地方プロモーターのウケがいいから」との理由から、エースとして日本各地で金網デスマッチを繰り広げた。 新日では国際時代のエースから一転してヒールに徹し、猪木と国際軍団による1対3の屈辱の試合にも臨んだ。 全日では、衰えを隠せなくなった馬場にお共して『義兄弟コンビ』『ファミリー軍団』としてマイクパフォーマンスを売りにした。 いずれもクライアントや雇い主の意に従った振る舞いであり、ならばUWFにも継続参戦してよさそうなものなのだが、なぜそれをしなかったのか。 実はそこに、プロレスラー・ラッシャー木村の真の姿がうかがえる。 ラッシャーは、プロレス入りする以前の力士時代、十両目前まで昇進しながら「プロレスラーになりたいから」と周囲の反対を押し切って廃業している。つまり、それほどまでのプロレス愛を持っていたということである(ちなみに力士時代の所属は、当代きっての大横綱・白鵬と同じ宮城野部屋。つまり白鵬の兄弟子ということになる)。 力士廃業後、国際で本格デビューする前にはアメリカ遠征しており、そこで時にはマスクマンにもなるなど、エンターテインメントとしてのプロレスを身に付けてきた。 つまり、朴訥な外見からは想像し難いが、ラッシャーの本質は、実は筋金入りの“アメリカン・エンターテインメントプロレス”なのである。 だからこそ、金網からヒール役、お笑いまでこなすことができた。そして、そんなラッシャーのプロレス哲学、レスラーとしてのプライドからすると、UWFの格闘風プロレスは興味の対象外だったというわけである。ラッシャー木村 1941年、北海道出身。大相撲から日本プロレス入りした後、東京プロレスを経て国際プロレス入り。国際崩壊後は新日、全日、ノアに参戦した。2010年、誤嚥性肺炎のため死去。享年68。
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スポーツ 2013年12月12日 11時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第1R 死を招いた計算高さ〈ブルーザー・ブロディ〉
“超獣”ブルーザー・ブロディが亡くなったのは1988年7月。それから、はや四半世紀が過ぎた。 死因は、プエルトリコでの興行最中、控え室で腹部をナイフで刺されたことによる出血多量。「あのブロンズ像のような体躯を誇るブロディが、たかが一本のナイフで絶命した」という事実に、多くのプロレスファンは言葉を失った。 ちまたでは、同地プロモーターとの間でトラブルのあったブロディを、その配下選手が制裁の意味で刺したと伝えられている。ただし、この事件における加害選手はその後の裁判で「正当防衛による無罪」の判決を得ていることには留意しておくべきだろう。 「プロモーターの意向を汲んだ目撃者たちが黙秘を貫いたため、加害側の主張が通って無罪となった」ともいわれるが、さて、ブロディ側に明白な正義があったならば、そうした結果にはなっただろうか。また、プロモーターが商品である選手を「言うことを聞かないから」と意図的に制裁を加えたのでは、自らの評判を落とすことにもなる。気に入らないなら契約しなければいいだけで、その点にもいささかの疑念は残る。 ブロディにまつわる明らかな誤解としては、1985年、新日本プロレスに“引き抜かれた”というものがある。 当時を知るスポーツ紙記者は語る。 「全日本プロレス側がギャラや勝敗にうるさいブロディを持て余していたのを見て、全日担当記者が新日担当記者に紹介したというのが実際のところ。選手の大量離脱で苦しんでいた新日からすれば渡りに船の話で、すぐに飛び付くことになったのです」 いわば全日が自ら放出したような形だったのだ。 そうであれば、ブロディが新日を離れた後、1年も待たずしてスムーズに全日復帰となったことにも説明がつく。復帰の際には以前よりも契約条件が下がったというから、「安く済むなら使ってもいい」という判断が全日側にあったのだろう。 一方のブロディは、なぜファイトマネーが下がっても全日参戦を選んだのかといえば、それは「馬場への信頼」があったからだった。契約条件や試合のアングルなど、全て事務方に任せた上で時に勝手な変更もする猪木=新日と、自ら選手に全て説明をする馬場=全日の違いは、当時来日参戦した多くの外国人レスラーが口にするところだ。 多少条件は落ちても働きやすいところで…というと、まるで一般人の会社選びのようだが、ブロディがそういった、いわゆる常識的な考えの持ち主であったと当時の関係者たちは口をそろえる。 「一度は馬場を裏切ったことをブロディは後悔していた」と、盟友スタン・ハンセンも後に語っている。 またブロディ自身も全日復帰後のインタビューで、その理由を問われたときには馬場の名を挙げて「相互の信頼によって成り立った典型的なビジネスの例かもしれない。馬場と私は1回もお互いを疑ったことはないし、だからこそ20年も全日本にいられたんだ」と語った。 新日で藤波辰爾に負けることより、多少ギャラが下がっても、全日でのジャンボ鶴田との互角の戦いを選んだ。ブロディがIWGPタッグリーグ戦欠場から全日復帰に至るまでの要点はそこにある。 自身の望む働き方と長期の安定収入を求め続けたブロディが、ようやく日本でその場所をつかんだ。全日復帰後のインター王座選手権で鶴田に勝ち、涙を流してまで喜んだのは、そうした心情の表れだったといえそうだ。 そんなブロディが、日本での歓喜の涙から半年も経たずしてプエルトリコの地で客死するとは、何とも皮肉な話である…。ブルーザー・ブロディ 1946年、米国ミシガン州デトロイト出身。初来日は'79年の全日本。'85年、新日本に移籍するも、翌年離脱。'87年に全日復帰となる。'88年7月、興行中の控え室で腹部を刺され死亡。享年42。
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芸能 2013年11月26日 15時30分
いつの間にか“売れっ子タレント”の仲間入りを果たしたボブ・サップ
かつてはK-1やPRIDEのリングで大暴れし、お茶の間でも人気者となった格闘家のボブ・サップが今年に入って再ブレークした。 1月に新日本プロレスの東京ドーム大会に参戦し久々にプロレスのリングにカムバックすると、3月にはK-1のずさんな運営体制を真っ向から批判するなどした著書「野獣の怒り」(双葉社)を発売。以後、アントニオ猪木率いるプロレス団体・IGFを主戦場としながら芸能活動を並行。 「ソフトバンク」や「明治安田生命保険」のCMに登場してコミカルな演技をみせ、嵐が司会をつとめる「VS嵐」(フジテレビ)などのバラティー番組にも出演。10月にスタートした堀北真希主演の連ドラ「ミス・パイロット」(同)への出演も果たしたが、芸能活動以外にも大きな実入りがあるというのだ。 「著書は5万部ほど売れ、CMのギャラもそれなりの金額だったようだが、実は、かなり効率的に稼ぎまくっているのは全国のパチンコホール店での営業で、芸能人だと酒井法子と同ランクの1本100万円。ホールをハシゴして2、3本こなす日もあるのでとにかく稼ぎまくっている。今年だけで年収は軽く1億円を突破したはずですっかり“売れっ子タレント”の仲間入りを果たした」(格闘技関係者) 今月17日には熊本県内の興行で元プロボクサーでK-1やPRIDEのリングでも活躍した西島洋介の引退試合の相手をつとめて1RKO負け。しかし、「サップにとって試合は“おまけ”みたいなもので、地元の企業のCM撮影などがメインの仕事。本来、西島が主役のはずだったが、地元ではかなり前から『サップ来たる!』と大盛り上がりだった」(地元の格闘技関係者)。 来年も日本でがっぽり稼ぎそうだ。
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芸能 2013年10月23日 15時30分
プロレスデビュー2戦目をひかえる赤井沙希 心中を語る!
最初は、仕事だった。ラジオ日本の深夜番組『ラジオ新日本プロレス』のアシスタントを務めることになったため、プロレスを学ばざるをえなかった。2012年、春のことである。 「もともと、K-1とかPRIDE、ボクシングは好きで観にいってたけど、プロレスはぜんぜん知らんくて。仕事でやるようになったんで、観にいくようになったら、そこからどっぷりハマってしまった」 父は、“浪速のロッキー”こと赤井英和。現在は、俳優だ。英和と前妻の間に産まれたのが、赤井沙希。タレント。伝説のプロボクサーの長女で、170cmを超える長身。関西人というパーソナリティも含めて、リングに立つ素材が整っていた。現に、22、3歳のころ、ボクシングを習ったこともあり、石井和義(正道会館宗師&K-1創始者)さんから「K-1の女子選手になれ」と言われたことがある。 ところが、その話はいつしか立ち消え。26歳になった今年、所属するオスカープロモーションを介してDDTを知った。気づいたら、8・18両国国技館大会のリングに立つことになっていた。セコンドでもなく、ラウンドガールでもなく、プロのレスラーとして、だ。 「ボクサーの娘というだけで、めっちゃハードルが上がるんですけど、ほんまは運動神経ゼロ。泳げないし、逆上がりできひんし、二重跳びもできひん。50m走で10秒切ったことないし、リズム感もない。だから、怖くて、不安で。試合が近くなったころは、夜ひとりで新木場(1st RING)行って、練習してましたね」 芸能の仕事がハードでも、1日3時間、週3ペースで練習した(現在は、東京女子プロレスのメンバーと練習)。モデル体型を崩さないまま、レスラーとして通用する肉体づくりを、食事とサプリメントで駆使した。 「私が注目されることによって、よく思わへん選手がいっぱいいるんちゃうかなって。ポッと出で、プロレスを踏み台にしてんちゃうの、そう思われるかもって、最初は怖かった。でも、DDTの選手は家族みたいで、私の身長や手足の長さを生かした技を一緒に考えてくれたり、教えてくれたり」 “ポッと出”の選手ではないことを証明すべく、DDT11・4大阪で、デビュー2戦が決定した。早すぎる凱旋マッチだ。 「2戦目から、評価がさらに厳しくなると思うんです。母はアドバイスをくれますね、『あんたはドンくさいねんから、もっとウィービングとステップを使え。家で紐張って、練習しろ』って」 母は元ジムトレーナー。「運動神経ゼロ」で「ドンくさい」沙希はじつは、サラブレッドなのだ。(伊藤雅奈子)●赤井沙希デビュー第2戦目日時:11月4日(日)時間:16時半開場、17時半開始場所:大阪・ボディーメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)第二競技場対戦カード:坂口征夫&赤井沙希vs彰人&紫雷美央(※パートナーの坂口は、父が元プロレスラーの坂口征二、弟は俳優の坂口憲二)詳細はホームページにてhttp://www.ddtpro.com/
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芸能 2013年09月04日 11時45分
元弟子がブログで明かした佐々木健介“裏の顔”
昨年は一家4人で「24時間テレビ」(日本テレビ)のチャリティーマラソンランナーをつとめ、妻で元プロレスラーの北斗晶とともにCMやバラエティー番組に引っ張りだこのプロレスラー・佐々木健介だが、健介の団体に所属していた元弟子のレスラー・西川潤が自身のブログで健介の“裏の顔”を複数回にわたって暴露している。 西川は高校時代は柔道部、大学時代はレスリング部に所属し、その後、ブラジリアン柔術を学び08年に健介主宰のプロレス団体「健介オフィス(現DIAMOND RING)」の入門オーディションに合格。大学卒業と同時に入門し、10年5月にプロデビューし、11年9月に退団し、現在はフリーとして活動している。 西川にとって健介は師匠にあたるが、8月中からブログで健介の日常的なシゴキや理不尽な言動について“告発”。イニシャルで「SK」と書いているが、それが健介のことを指しているのは明らか。 先月30日に更新したブログでは11年2月に「プロレスリング・ノア」の栃木大会に参戦した際のことを振り返り、「SKの元へ行くと『ちょっと来い』と言われ階段の踊り場へ連れて行かれました。SKは周りをキョロキョロ見渡し、人がいないのを確認すると、思いっきり殴りかかってきました。髪を鷲掴みにされ、コンクリートの壁に頭を打ち付けられました。頭が一瞬真っ白になり倒れると『立てコラッ!』と言われ立ち上がりました。今度は頬を3発張り手、腹に蹴りを1発入れられ、襟元を掴まれ色々怒鳴り散らされ終わりました」と暴行現場を赤裸々につづり、その後、2週間ダメージが残ったという。 さらに、その夜、北斗から自宅に呼び出され、「今日、何で西やんが殴られたかわかるか?」、「ここに白いマグカップがあるだろ? でもな、先輩が黒って言えば黒だし、黄色と言えば黄色だぞ」、「先輩の言うことは絶対の世界だから、先輩に逆らうようなことはするなよ」と言われたことも明かしている。 「西川が退団する際は『健介オフィス』から一方的に引退と発表されるなどしたため、西川は“告発”の機会をうかがっていたのでは。健介といえば、新日本プロレスで道場長をつとめていた時代の“鬼のシゴキ”を日常化させ、95年には健介とスパーリング中に練習生が脳挫傷で事故死しているが、結局、弟子を持つ身分になっても何も変わっていなかったようだ」(プロレスライター) 西川のブログでのイメージダウンは必至なだけに、健介と北斗がブログやメディアでどのように反論するかが注目される。
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芸能 2013年05月24日 11時45分
バラエティ番組で出た“迷言”週間トップ3(5/17〜5/23)
●第1位「すすきののキャバクラで、新しいお母さんだって説明された」(平成ノブシコブシ・吉村崇/フジテレビ系列『ウチくる!?』5月19日) 1人(あるいは1組)の有名人の出生から現在までを明かす、ヒューマンバラエティ。2度目の出演となったノブコブ・吉村に内緒で招いていたゲストは、実父・耕治さんだ。両親は、崇が6歳のときに離婚。実母は、耕治さんと崇の目の前で、ヒゲを蓄えた金持ちそうな男性のもとに去り、以降は父子家庭となった。崇が小学生だったころ、耕治さんが珍しくイトーヨーカドーで洋服を買ってくれ、寿司屋で夕食。その後、「すすきののキャバクラで、新しいお母さんだって説明された」。まだ子どもだった崇は、店内のホステスに遊んでもらったが、その“新しいお母さん”になる予定だったホステスと耕治さんは、再婚を考えていた。冗談だと思っていた崇は、再婚を反対。耕治さんはその後も再婚することなく、北海道で独り寂しく暮らしている。●第2位「マセキ臭、感じますね。出川、狩野、棚橋」(狩野英考/テレビ朝日系列『アメトーーク!』5月23日) 4度目となるプロレス企画で、今回は「今、プロレスが熱い芸人」。過去に出演経験があるメンバーが、新日本プロレス、全日本プロレス、DDTの選手のコスプレに扮して、試合、名フレーズなどを語りあった。プロレスを知らない芸人としては狩野が登場し、素人目線で疑問を投げた。新日本の棚橋弘至に扮したのは、ユリオカ超特Q。棚橋の特徴である、間をたっぷり取るわりには、大したことを言わないことを、笑った。「相手にとって…不足なし!」や、「次のシリーズ…出ます!」などの実例を挙げると、狩野が、「マセキ臭、感じますね。出川、狩野、棚橋」とつぶやき。マセキ臭とは、マセキ芸能社に所属する芸人の香りが漂うということ。出川哲郎を筆頭に、天然系だという意味だ。ちなみに、棚橋は提携業務としてマセキに所属。“マセキ臭”があって当然だ。●第3位「(妻を)できたら、水槽に入れておきたい」(木村祐一/テレビ朝日系列『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学 2時間スペシャル』5月21日) ビートたけしの健康番組SP。最近増えている、妻に過干渉な夫を検証すべく、芸能人夫婦の外食時を隠しカメラで激撮して、夫の反応を見た。木村にとって3人目の妻で、22歳年下の女優・西方凌の場合は、「ひとり旅行をしたい」と切りだした。すると、木村は「付いていく」と言いだす始末。モニターチェックしていたドクターから、「過干渉」の判定を下された。西方いわく、「料理してても、ソファーでテレビを見てればいいのに、私が家事をしてるのを見ながら、酒を飲みたい、みたいな」と、夫はかなり重症なよう。たいして木村は、「(妻を)できたら、水槽に入れておきたい」と痛い自分をさらけ出した。(伊藤由華)
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その他 2013年04月30日 11時21分
声優・上坂すみれ 決起集会で鶯谷を赤く染める!
29日、声優の上坂すみれが、東京キネマ倶楽部でライブイベント「決起集会Vol.2〜大正一○二年度御挨拶」を行った。 上坂は、「昨日、原宿も赤く染めたので、鶯谷も赤く染めていきます!」と新曲『テトリアシトリ』他4曲を熱唱。会場へ駆けつけた600人のファンは、「ウラー!(ロシア語で万歳)」で応えた。また本イベントでは、「生産!・団結!・反抑圧!」のライブでの正式なコール方法も決定。上坂自らが同志(ファン)に向かって指導を行った。 会場では、2ndシングル『げんし、女子は、たいようだった』が7月10日にリリースされることも発表。さらに7月から8月にかけて、東京、名古屋、大阪で決起集会(ライブイベント)が開催されることも決定し、上坂は、「この夏、革命的ブロードウェイ主義者同盟は東京を飛び出します!」と宣言。イベントの最後は万歳三唱ならぬウラー三唱で大盛況の内に終了した。 イベント終了後の囲み取材では今日のイベントについて、「(東京キネマ倶楽部に)視察に来た時、会場が現代っぽくない、大正時代のアングラっぽい感じがあり、テンションがあがりまして、(イベントを)大正っぽくしました」とコメント。2ndシングルが上坂の好きなマンガ、『げんしけん』の続編である、『げんしけん 二代目』のアニメ主題歌であることに関しては、「げんしけんは古本で買って好きになりました、今回二代目の主題歌を私が歌わせてもらっていいのかな? と思っています(笑)」と答えた。 また、イベントでプロレスラーのケンドー・カシンのテーマ曲で入場したことを質問されると、「入場曲からプロレスにハマりました、ケンドー・カシンさんのテーマ曲は気持ちが高まります」とプロレス好きでもあるとコメント。「永田さんもいつか(イベントに)来ていただけたら嬉しいな…」と敬礼ポーズが有名な、新日本プロレスの永田裕志選手と一緒に敬礼をしたいことも明かした。(斎藤雅道)
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スポーツ 2013年02月27日 15時30分
故ジャイアント馬場さんが創設した「全日本プロレスリング」が終えんへ
プロレス界の大手団体・全日本プロレスリング株式会社(内田雅之社長、武藤敬司会長)が、事実上の身売りをしていたことが2月25日に明らかになった。 同日に会見を開いた同団体は、昨年11月1日付で、企業再生支援会社の株式会社スピードパートナーズ(以下、SP社)の白石伸生社長(40)に、100%の株式を売却していたことを発表した。 さらに、SP社は新たに「全日本プロレスシステムズ」を発足。内田社長、武藤会長の役職は変わらないが、白石氏が実質的なオーナーに就任。SP社から三阪輝(あきら)氏を副社長として送り込んだ。今後、同団体は新会社の下で、運営されることになる。 白石氏は買収について、「新日本(プロレス)と全日本の差がつきつつあった。私が資金面、財務面をサポートし、中小企業から業界のリーディングカンパニーにする」と話した。 昨年1月にカードゲーム制作会社のブシロードが親会社となって、業績がアップした業界最大手の新日本に対して、白石氏は「1年で追いつく」とライバル心を燃やした。さらに、2年以内の東京ドーム進出、3年後に4大ドームツアーの開催との大目標を掲げた。 日本テレビ、TBSとテレビ中継について、水面下で交渉に入っていることも明かし、総合格闘技への進出や、4月以降は他団体に選手を貸し出さない鎖国政策も打ち出した。 同団体はリング上では、昨年12月いっぱいでプロレスリング・ノアを離脱した秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志のバーニング軍5選手を、2月から丸抱えして、息を吹き返した。その一方で、人件費が大幅に増えたこともあり、現在フリー参戦している選手については、3月いっぱいで契約を継続するかどうかを判断するリストラプランも浮上した。 同団体は故ジャイアント馬場さんが72年に創設。馬場さんの死後、故三沢光晴さんが社長職を務めたが、ノア設立のために離脱し、以降は未亡人の馬場元子氏が陣頭指揮を執ってきた。02年9月に新日本から移籍した武藤が新社長に就任し、その後、元子夫人から株式の譲渡を受けた。 今回のポイントは新日本のケースと違い、単なる身売りではないという点。同団体の運営は、新会社に委ねられることになる。通称こそ「全日本プロレス」で変わりはないが、馬場さんが興した「全日本プロレスリング」という会社は、旗揚げから40年にして、興行活動を停止し、事実上その役目を終えることになる。時の流れとはいえ、一抹の寂しさは禁じ得ない。(落合一郎)
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スポーツ 2012年12月11日 15時30分
大みそか「猪木祭り」が地上波テレビ進出! 北京五輪柔道金の石井慧も参戦
明るい話題に乏しいプロレス界に、久しぶりにビッグなニュースが飛び込んできた。 アントニオ猪木会長率いるIGFプロレスリングが12月31日、東京・両国国技館で「INOKI BOM-BA-YE 2012」を開催するが、同大会の地上波テレビ中継が決定した。 残念ながら、当日中継ではなく録画となり、フジテレビ系列で1月3日深夜1時40分から60分枠で放送される。また、BSフジでは当日午後7時から2時間25分枠で、ディレード中継する。 現在、地上波で放送されているプロレス中継は、テレビ朝日系列の「ワールドプロレスリング」(土曜日深夜=新日本プロレス)のみで、録画中継とはいえ、プロレスファンにとっては朗報となった。 昨年の大みそかはIGFとDREAMが合同で、「元気ですか!! 大晦日!! 2011」(さいたまスーパーアリーナ)を開催した。今年はDREAMがゴールデン・グローリーとの共催で、「DREAM.18&GLORY4〜大晦日SPECIAL 2012」(さいたまスーパーアリーナ)を決行するため、興行戦争となる。 「猪木祭り」の目玉は、08年北京五輪柔道100キロ超級金メダリスト・石井慧(25)の参戦で、元UFCヘビー級王者のティム・シルビアと総合ルールで対戦する。石井は昨年大みそかにエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、KO負けを喫した。3月にブラジルで、9月にインドで試合が組まれたが、いずれも中止となっており、1年ぶりの再起戦となる。 また、しばらく試合から遠ざかっていた92年バルセロナ五輪柔道95キロ超級銀メダリスト・小川直也(44)が、現IGF王者の藤田和之とノンタイトル戦で激突する。こちらも注目の一戦だ。 この数年、格闘技に押されてきたプロレス界だが、IGFの地上波進出で巻き返しを図ることになりそうだ。(落合一郎)
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スポーツ 2012年10月18日 15時30分
逮捕された我龍だけじゃない K-1戦士の不祥事
“喧嘩師”と称し、暴走族キャラで活躍した元K-1戦士の格闘家・我龍真吾(本名・山本真吾)容疑者(37=住所不定)が、離婚した元妻を脅したとして、10月16日、警視庁高尾署に暴力行為法違反容疑で逮捕された。 逮捕容疑は16日午前0時半すぎ、東京都八王子市内を走行中の自家用車内で、約8分間にわたり、元妻の30代会社員の女性に対し、暴力団の名前を出して「家族をメチャクチャにするぞ」などと脅した疑い。 同署によると、我龍容疑者は脅したことは認めたが、「暴力団の名前は出していない」などと供述しているという。2人は子どもの親権をめぐり、トラブルになっていた。 我龍容疑者は新日本キックボクシング協会でデビュー。99年には同団体の初代日本ライト級王座に就いた。05年10月にK-1初参戦。09年5月23日、東京都渋谷区内で大麻約2グラムを所持していたとして、大麻取締法違反(所持)の容疑で警視庁代々木署に逮捕された。だが、初犯であることから不起訴処分となった。これをもって、K-1から追放された。11年7月に引退し、後進の指導に当たるなどしていた。 2度目の逮捕となった我龍容疑者だが、日本人K-1戦士が起こした不祥事は彼だけではない。07年8月23日には、宮本正明(44)が乾燥大麻5グラムを譲り受けた疑いで、大麻取締法違反(譲り受け)容疑で、大阪府警薬物対策課と住吉署に逮捕された。 また、同年10月25日には、天田ヒロミ(39)が東京都荒川区の車道を自転車で走っていたところ、トラックに幅寄せされたと思い、運転手を殴打。傷害容疑で書類送検された。天田はK-1から出場停止処分となったが、先の新生K-1の10・14両国国技館大会で、5年ぶりに参戦した。 決して少なくはないK-1戦士たちのトラブル。リング上で暴走族キャラを演じるのはいいが、リングを下りたら紳士であってほしいものだ。(落合一郎)
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