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松田美由紀、前妻の前で自殺を図り略奪? 一途な愛は永遠に不滅か【芸能界“ドロ沼不倫”ファイル】

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松田美由紀

 故・松田優作さんが主演した「遊戯シリーズ」のデジタル版が、17日から8月6日まで東京・丸の内TOEIにて公開される。同作は、デジタル版としては初の劇場上映となる。
 同作は、“殺しのエキスパート”と呼ばれる一匹狼の殺し屋を主人公とするハードボイルドアクション映画。全3作からなる「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」「処刑遊戯」は、今でも多くの作品に影響を与える人気作品だ。

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 松田さんというと、言わずと知れた“昭和の名俳優”である。1973年放送の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)では「ジーパン刑事」として人気を獲得し、劇中での殉職シーンは今なお語り継がれている。

 1980年公開の映画『野獣死すべし』では、撮影のために10kgの過酷な減量だけでは飽き足らず奥歯を4本抜き、さらに山ごもりまでしたというストイックさを見せるなど、役者魂のみなぎる演技で人々を魅了してきた。

 私生活では、劇団仲間だった作家・松田美智子氏と1975年9月に結婚し、76年に長女が誕生。しかしながら、松田さんは79年放送のドラマ『探偵物語』(日本テレビ系)で共演した女優・熊谷美由紀 (現・松田美由紀) との不倫が原因で81年12月に離婚している。そして、83年に2人は晴れて夫婦になったが、結婚にたどり着くまでには壮絶な略奪劇を繰り広げ、まさに“ドロ沼”そのものだったといわれている。

 「松田さんは、当時17歳にして哲学にハマる美由紀に興味を持ち、『今まで見たことがないエキセントリックな女だ』と衝撃を受け、『この女から離れられない』とロックオンされたといいます。2人はやがて恋に落ちたものの、80年に不倫の事実が公に。その時点で松田さんは『子供がいるので離婚しない』と言っていましたが、美由紀は母子の自宅へ押しかけ、目の前で手首を切りつけ自殺を図ったといいます。美由紀は松田さんを奪うためなら手段を選ばなかったのでしょう。命を張った美由紀の一途さに観念したのか、前妻は離婚を承諾したのです」(芸能ライター)

 その後、2人は同棲を始めると美由紀は妊娠。だが、2人は早々に入籍することなく、1983年5月に長男で俳優の龍平が誕生。そして、同年に再婚へと至った。85年9月に次男で俳優の翔太、88年11月に長女で歌手のゆう姫が誕生し、3児の母として子育てに専念した。

 だが、幸せな生活はそう長くは続かないものだった。1988年9月、血尿が続いていたという松田さんはとうとう尿が出なくなったといい、膀胱がんと診断された。しかし、松田さんは家族や周囲への告知を拒否し、遺作となった89年公開のアメリカ映画『ブラックレイン』の撮影で渡米したのだ。

 無事撮影を終え帰国した松田さんは、治療に専念しようとしたが、時すでに遅し。映画の公開を待ったかのように、同年11月、40歳の若さでこの世を去った。
 「葬儀では気丈に振る舞っていた美由紀でしたが、出棺の直前には『私を置いていかないで』と遺体にすがりつき、号泣したのです。松田さんの葬儀は大々的にメディアにも取り上げられていたのですが、ようやく父の死を理解したのか、当時6歳の龍平、4歳の翔太も『置いていかないで』とつぶやいては大粒の涙を流し、そして1歳のゆう姫の呆然とする姿に多くの人は涙しました」(前出・同)

 決して許されない関係を全うした夫婦だったが、いずれにせよ結ばれる運命だったのかもしれない。松田さんの棺には冒頭映画のビデオが入れられたというが、あれから30年もの時が過ぎ、間もなくスクリーンによみがえる。美由紀は今何を思うのだろうか。

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