ゴール直前には長男で俳優の小園凌央と次男の隼輝(トシキ)さんが伴走、マラソン終盤でサプライズゲストとして登場した妻・松本伊代は、先回りした会場から自身の楽曲『センチメンタル・ジャーニー』を歌唱するなど、ヒロミのゴールを盛り上げた。
家族愛に溢れたフィナーレとなり、改めてヒロミと松本の絆の強さを感じさせる放送となっていたが、この芸能界きってのおしどり夫婦にも、過去に不倫報道があった。
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ヒロミは1986年、デビット伊東、ミスターちんとお笑いトリオ「B21スペシャル」を結成。1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞するなど、人気を博した。松本とは1993年11月に結婚しており、当時珍しかったお笑い芸人とトップアイドルの結婚は、大いに世間を賑わせた。
しかし、ピンの仕事が増え人気絶頂だった2004年頃、ヒロミの姿はテレビから消える。当時、大物タレントを怒らせて干されたと言われていたが、原因は親友の放送作家との死別だったと、2017年2月放送のテレビ番組で語っている。
その後、2014年に本格テレビ復帰を果たすが、それまでの10年間は加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営で辣腕を振るっていた。そして2009年6月、『女性セブン』(小学館)に自身が経営するジムのインストラクターとの不倫デートが報じられる。相手は、「樫木式 カーヴィーダンス」というエクササイズで有名となったボディメイクインストラクターの樫木裕実。記事では、ヒロミが車で樫木を家に送る姿や、食事風景の写真が掲載されていた。
樫木は、神田うの、優香、ほしのあきらへのトレーニング指導で有名になり、「カーヴィーダンス」の関連書はいずれもベストセラーとなるほどの人気だった。しかし2012年8月にヒロミのジムから独立、この独立の理由が他でもない、ヒロミとのトラブルだったと伝えられている。
一部メディアでは、不倫関係にあったヒロミとの関係を清算するため、と報じられていたが、結局、当時月給制で著書の印税がほとんど入らなかったことがきっかけだったと、当サイトでも後の2013年10月に報じている。樫木は神田らに背中を押され、芸能人のクライアントを引き連れ独立、女性オーナーのバックアップを受けて都内にジムをオープンさせた。
このせいでヒロミのジムは経営が傾き、タレント活動を再開するきっかけともなったという報道も。樫木が周囲にヒロミの悪評を吹聴しており、神田が「(著書の)印税は(ヒロミから)もらっていない」と援護射撃をしていたと2014年3月当サイトでも伝え、ヒロミのイメージは大幅にダウンした。
しかし樫木のジムは、オープンから約1年の2013年12月に閉鎖。2014年3月『週刊文春』(文芸春秋)が、樫木と女性オーナーのトラブルを報じている。記事によると、女性オーナーは同年1月放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)がスタジオ閉鎖を巡り、樫木の言い分のみを放送したと激怒、TBSに抗議したという。女性オーナーは樫木に毎月250万円のプロデュース料などを支払っていたにもかかわらず、ほとんど一般人にレッスンをしなかったことなどから袂を分かったことを明かしている。
同記事では、ヒロミも樫木について「カーヴィーダンスが注目されてからは、僕のスタジオにいたときも彼女は一般の会員にはほとんどレッスンしませんでした」と暴露。一般客のクレームが殺到するなど営業に支障をきたしたため、独立を勧めたという。印税については、樫木の会社に対して1億円以上払っていたとも明かしている。そして2014年には、閉鎖した樫木のジムの跡地にヒロミがジムをオープンさせたという。
その後、樫木はスタジオをオープンし、また閉鎖を繰り返したようだが、還暦を迎えた現在も新たなスタジオのトレーナーとして活動、エクササイズイベントなどにも出演しているようだ。
金銭を巡る破局劇はまさにドロ沼だが、この騒動がなければヒロミの芸能界復帰もなかったかもしれない。