西村というと24歳の時に劇団に入団。27歳で脚本家・三谷幸喜氏率いる東京サンシャインボーイズに入団し、多くの三谷脚本作品に出演。1993年放送のドラマ『振り返れば奴がいる』(フジテレビ系)での演技が注目され、94年よりスタートした『古畑任三郎』(同)シリーズにおける配役が当たり役となり、知名度を高めた。以後、映画やテレビドラマを中心に活躍。97年には日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞をはじめとする数々の名だたる賞を受賞。名バイプレーヤーと名高い。
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西村はブレイクし始めた1994年ごろ、同じ劇団に所属する元妻と結婚。間もなくして長男をもうけるが、女性の影も絶えなかったようだ。
それまで所属していた事務所から独立した西村は、“愛人”とささやかれた女性と二人三脚で芸能事務所を設立したという。同時に、“育ての親”ともいわれた三谷氏との絶縁も噂された。その後は、“愛人”を社長に据え、袂を分かつと、今度は人気女優との不倫騒動が浮上した。
2000年11月、西村は愛車のポルシェで当て逃げをしたとしてメディアを騒がせた。当時の『女性セブン』(小学館)によると、事故後、西村はディーラーで点検と一緒に接触した傷も同時に修理していたという。その際、接触した傷について西村は「駐車場に入れる際にこすった」と説明していたが、そこには深いワケがあったようだ。
「そもそも、タクシーへの“接触事故”が明らかになったのは、事故から10カ月後だといいます。その理由が、助手席に乗っていた女優・戸田菜穂との“不倫関係”を隠すため、その場から逃走した“当て逃げ”事故だと同誌は報じています。不倫の真相は不明ですが、深夜に女性を助手席に乗せていること自体、ただならぬ関係にあったことを示しているのではないでしょうか」(芸能ライター)
2017年、西村は「西村まさ彦」へ改名している。一部報道によると、改名と同時に新たに事務所を移籍している。“愛人”といわれた女性とは長年歩んできたが、これを機に決別したと報じられている。
「役にのめり込みすぎるタイプの西村は芝居を抱えている時は周囲とほとんど口をきかなくなり、コミュニケーション不足から夫婦関係にも亀裂が入ったともいわれています。また、西村はデビュー30年を迎えた2017年に改名をしていますが、“愛人”社長のスピリチュアルのお告げであるという報道も。さらに同時期、妻には事務所名義で建てた家から出ていくように強要し、19年に妻の乳がんが発覚すると西村は診断書の提出を依頼したそうです。そして、追い打ちをかけるようにがんで怯弱になっている妻に弁護士を介して離婚を求め、離婚調停はコロナの真っただ中に行われていたといいます。元妻が外出も通院も大変な状況の中、なぜ西村は離婚を急いだのかが疑問です」(前出・同)
病床の妻は、かつて西村の売れない時代を支え続けた糟糠の妻だったという。60歳を目前とした離婚には、何か深い意味があったのだろうか。身軽になった西村の演技にも注目していきたいものだ。