山口敏太郎
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ミステリー 2010年09月15日 12時30分
霊柩車に誘う青年
何かの弾みで、大事故から逃れた体験を持つ人は多い。寝過ごした、普段乗り慣れている筈の電車に乗り間違えた等、幸運のきっかけは様々。だが、この幸運を邪魔しようとする力もまた、存在するのだろうか。 1901年夏。後にノーベル文学賞を受賞するポーランド人作家ヘンリク・シェンキェヴィチは、南フランスの高級ホテルで休暇を過ごしていた。ある夜、シェンキェヴィチは奇妙な夢を見た。通りを歩いていると霊柩車が現れ、すぐ横まで来ると停まった。すると霊柩車の後ろから、金属のボタンが付いた青い服を着た青年が、金髪と青い瞳で微笑みながら、シェンキェヴィチを霊柩車へと促した。ゾッとすると共に息苦しさを覚えたシェンキェヴィチはそこで目が覚めた。しかし、翌日の夜も同じ夢を見た。青年が霊柩車へと促す。シェンキェヴィチが断ると手を掴まれ、むりやり霊柩車に乗せられそうになったところで、目が覚めた。シェンキェヴィチは気持ちが悪くてたまらない。が、更に二日同じ夢を見てしまった。何日かゆっくり滞在する予定だったが、これ以上耐えられない。休暇を返上して帰宅することにした。 途中、経由したパリのホテルで、昼食のためエレベーターに乗ろうとした。その時、中にいたエレベーターボーイの姿を認めた瞬間、シェンキェヴィチは言いようのない恐怖に襲われた。青い制服には金属のボタン、金髪で青い瞳のエレベーターボーイは、夢に出てきた青年だった。シェンキェヴィチはエレベーターに乗る気になれず、部屋へ戻り崩れるようにソファに座り込んだ。と、突然凄まじい音と衝撃がホテルを揺るがせた。驚いて部屋から出ると、多くの人が駆け回り大混乱に陥っている。 エレベーターの落下事故が起きたのだ。落下地点に群がる人々を掻き分けて行くと、脇にエレベーターから運び出された何体かの死体が横たえられていた。そのうちの一体は、あのエレベーターボーイだった。七海かりん(山口敏太郎事務所)山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
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トレンド 2010年09月15日 10時00分
愛知県のご利益テーマパーク「五色園」
愛知県日進市岩藤町にある五色園は、昭和9年、当時の管主・森夢幻により設立された。この地方では公園墓地としてCMでも紹介されている。 ここは大安寺という浄土真宗系単立寺院の施設の一部なのだが、20万坪の広大な敷地に浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生涯を再現する塑像を配置した、日本で唯一の宗教ランドなのである。 公園内の至る所に、親鸞聖人にまつわる各エピソードのシーンを人形を使って再現したジオラマがある。およそ普通の人間の1.5倍もの大きさのコンクリート製の人形が、100体以上も立ち並んでいるのだ。これらは親鸞聖人の教えを視覚的に感知させることを目的としている。 人形は、コンクリート像作家・浅野祥雲氏が手掛けており、塑像マニア必見のスポットでもある。浅野祥雲氏の作品は関ヶ原ウォーランド(岐阜県不破郡関ヶ原町)、桃太郎神社(愛知県犬山市)でも見ることができる。 公園内は舗装された道路が通っており、シーンからシーンへの移動は車でもできる。レジャーランド感覚で宗教に親しむことができるという、有難いスポットである。 五色園の名前の由来は、公園内に生えている5種類の樹木の彩を表している。松・竹・梅・桜・紅葉の樹木にちなんでつけられたもので、四季折々の自然が楽しめる。特に桜の名所として有名で、4月には園内の約3000本もの桜が満開となり、多くの観光客が花見に訪れる。学校の遠足のオリエンテーリングにも使用され、また公園内には宿泊施設もあり、宗派問わず、研修・合宿など一般の方も利用できる。(写真:「月見の宴」のシーン)(「三州(さんず)の河の住人」皆月斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/
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トレンド 2010年09月14日 18時00分
面白過ぎて泣いてしまう!? そんな邦画シリーズが存在していた!!
9月3日(金)の深夜、東京・新宿バルト9の大スクリーンで、1995年公開の怪獣映画『ガメラ大怪獣空中決戦』と、その続編である『ガメラ2 レギオン襲来』が上映されました。 今、映画ファンの間で非常に大きな話題となっている「ドリパス」というサイトでは、「新宿バルト9で上映してほしい映画」「もう一度、映画館のスクリーンで見たい映画」の募集がtwitter上で呼びかけられ、そこで多くタイトルが挙がった作品が、新宿バルト9の上映企画のクーポンとして提案され、購入希望者が予定数まで集まった時点で、企画の実行とクーポン販売が決まるという試みが行われていたのです。 この「ドリパス」により、最初に新宿バルト9で上映されたのが、世界中で絶賛され、大ヒットした『ダークナイト』。そしてその次に上映されたのが、この『ガメラ大怪獣空中決戦』と『ガメラ2 レギオン襲来』だったのです。 10年以上も前に公開された怪獣映画がなぜ、今でもそんなに支持されているんだろう? と、疑問に思われる方もいるかも知れません。 ですが、この『ガメラ大怪獣空中決戦』と『ガメラ2 レギオン襲来』。そして今回の企画では上映されませんでしたが、この2作品に『ガメラIII 邪神覚醒』を合わせた平成ガメラ3部作は、怪獣映画ファン、そして多くの邦画ファンにとっても、いまや伝説の作品として語られる名作なのです。 怪獣映画は日本独自の文化ともいえるようなジャンルですが、その一方で「所詮、怪獣映画なんて子供が見るものでしょ?」「ゴジラとか、ガメラとか馬鹿馬鹿しいわ」。…そんなふうに思う方も多いのは事実です。ジュラシックパークは観てもゴジラは観ない。スパイダーマンはいいけど仮面ライダーは嫌。そういった感覚を大多数の日本人が持っていることは間違いありません。 日本最古の映画雑誌である『キネマ旬報』が1926年から毎年行っている「キネマ旬報ベストテン 邦画部門」で、怪獣映画が選ばれたことは1995年までは一度もありませんでした。あの黒澤明が選んだ「世界の映画100本」の中にも入っている昭和29年公開の『ゴジラ』(監督・本多猪四郎)ですら完全無視という有様です。 それだけ「怪獣映画などまともに観るものではない」という偏見は強くあったのでしょう。悲しいことに、その偏見は今でも多くの日本人が持ったままなのですが、しかし、先ほども言いましたように、怪獣映画がキネマ旬報ベストテンに選ばれたことが一度もなかったのは、1995年までのことだったのです。 より正確に言うのならば、80年以上続くこのベストテンで怪獣映画が選ばれたことは、この1995年のベストテンのみだったのですが…。 そうです! 1995年公開の『ガメラ大怪獣空中決戦』こそ、キネマ旬報ベストテンにも選ばれたことがある現在のところ、唯一の怪獣映画なのです。 怪獣映画を評価するようなことなどまず無かった人たちまでも「面白い!」と認めざるを得ないようなパワーが、この平成ガメラ3部作にはあったのです。 私もリアルタイムで平成ガメラ3部作を見て、そのあまりの面白さに衝撃を受けた一人です。 今回、久々にスクリーンで『ガメラ大怪獣空中決戦』を鑑賞した後、休憩中にトイレヘ行っておこうと席を立ったら、一人の女性が涙を流し、号泣している姿が見えました。 平成ガメラは非常に面白い映画ですが、いわゆる今流行りの「泣ける映画」のようなタイプの作品ではありません。 気になって「どうされたんですか?」と、その女性の方に聞いてみたら、「私、初めて、この映画を観たんですけど、こんなに凄い映画だなんて思ってもいなくて…もう自然に涙が流れちゃって止まらないんですよ!」と答えてくれました。 あまりの面白さに、その衝撃に、涙まで流してしまう映画。 平成ガメラ3部作は、怪獣映画のことなんてよく知らない、怪獣映画なんてくだらない。…そんなことを思っている人にこそ、見てほしい本物の娯楽映画です。できればスクリーンでの鑑賞をお勧めしたいところなのですが、それが無理そうなら、是非DVDでご覧になってみてください。 …あなたも、面白過ぎて涙を流すことになるかもしれませんよ。 (「作家・歩く雑誌」中沢健 山口敏太郎事務所) 参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月14日 16時00分
「虹を渡って来た男」…谷啓さんをふりかえって
9月11日未明、クレージーキャッツの谷啓さんが亡くなった。 2007年の植木等に続きクレージーキャッツの物故者は5人目。残ったメンバーは犬塚弘と桜井センリの2人だけとなってしまった。 さて、谷啓といえばハナ肇、植木等に次ぐクレージーの「第3の主役」であったわけだが、それと同時にクレージーにおける「若い世代へのかけ橋」的存在だった気がする。たとえ、クレージーキャッツの存在は知らなくても谷啓は『笑う犬の冒険』のオープニングMCやNHKの『ざわざわ森のがんこちゃん』のOPテーマを歌っていた人として若い世代にも馴染みの深いタレントであった(ちなみに『がんこちゃん』は植木等の息子が校長役を演じている等、クレージーにはとても縁が深い番組でもある)。 谷啓が常に最前線で笑いを与えてくれていたからこそ、クレージーキャッツは古びたイメージが少なく今を生き続けるバンドとして維持できていたのかもしれない。 さて、ここで筆者オススメの谷啓さんを振り返るアイテムをご紹介したいと思う。若い人達にも楽しめるようなものばかりなので、参考にしていただけたら幸いである。★映画★ 谷啓は『釣りバカ日誌』の上司役等、脇役のイメージが強いが、かつては主演作が多く撮られる役者でもあった。中でも映画『空想天国』は谷啓の魅力が存分に味わえる一本。マザコンサラリーマン谷啓の生み出した怪獣ガマラとのやり取りがやたらに可愛い作品だ。DVDもレンタルされているので癒されたい人にオススメ。怪獣ファンや女性ファンにも楽しめるはずだ。★音楽★ 植木等がやや大人味のウィットな笑いならば、谷啓はどこかとぼけた明るい曲が多いのが特徴。『虹を渡って来た男』はほのぼのとした名曲。散歩をするときに聴くと10倍は楽しめるはず。『僕はしゃべれるんだ』はそのまんま「喋れる」という事の素晴らしさをえんえんと語った曲で、シンプルながらも深みのある歌詞がいい。 アニメ主題歌の『おらぁグズラだど』は谷啓の頭に抜けるような高音が楽しめる曲。特筆すべきは「怪奇ラップ現象」大のホラー映画マニアでもある谷啓がひたすら恐怖にまつわるキーワードをラップ調にして歌いあげたもの…ちなみに「ラップ現象」のシャレである事は言うまでもない。 これらの曲は全てクレージー結成50周年CD『クレージーキャッツ コンプリートシングルス』の『HONDARA盤』及び『HARAHORO盤』に収録されている。★書籍★ 谷啓単独というわけではないが、クレージー自体を知るには『日本の喜劇人』(小林信彦著)という本がオススメ。クレージーキャッツがどのようにして生まれ、どのように時代を駆け抜けたかが一目でわかる。 名コメディアンであり名歌手であり、名エンタティナーであった谷啓さん。あなたが元気で活躍してくれたからこそ、僕らもクレージーを知ることができました。ご冥福をお祈りいたします。(昭和ロマン探求家・穂積昭雪(「元」クレージーキャッツという表現に怒りを覚える24歳)山口敏太郎事務所)【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月14日 12時30分
玩具道〜マルチフォームジバンの巻
「マルチフォームジバン」(写真)は『機動刑事ジバン』(1989年・東映)の初期主力アクションフィギュアとして発売されたアイテムだ。『ジバン』は『宇宙刑事ギャバン』(1982年)から始まる通称『メタルヒーローシリーズ』の第8作にあたる作品でもある。 本製品は、発売時期の関連もあり中盤までの装備しか再現しておらず、最終必殺武器=「オートデリンガー」等は付属されていないが、頭部のバイザーが可動し、脚部へのマクシミリアン(専用銃)収納ギミックを再現している他、必殺武器でもあるダイダロスを装備。フライトユニットにも忠実に変形可能とプレイバリューは高く、特筆すべきはメタルヒーローシリーズの関連玩具の中でも珍しく膝関節の蛇腹をゴム素材にて再現、20年以上前の製品でありながらなかなかにクオリティは高い。 今回、写真ではライティングを施した撮影で紹介しているのだが、この「マルチフォームジバン」は背面から光を当てることによって、劇中の様に頭部のセンサーアイや胸部を発光させる事が出来る仕掛けとなっている。シンプルなギミックではあるが、この悪を見据える文字通り“眼光”の輝きがシビれる。『ジバン』に限らず、センサーアイの輝きは、言わば『ギャバン』の頃からの『メタルヒーローシリーズ』の伝統とも言えるだろう。 ちなみに番組終盤にはより豪華な仕様となり、サイズも1/6(RAHシリーズとほぼ同じくらい)とスケールアップした「超電装DXパーフェクトジバン」が発売。「オートデリンガー」をはじめとした強化武器が付属する他、発行ギミックも透過タイプから電飾式に文字通り“パワーアップ”している。 その後も『特捜ロボジャンパーソン』(1993年)や『重甲ビーファイター』(1995年)等においてセンサーアイ発光ギミックを再現したフィギュアが発売されたのだが、『メタルヒーローシリーズ』の放送枠は『仮面ライダークウガ』(2000年)のスタートと共にシフト&消滅。結果的に、近年はあまりセンサーアイ発光演出を売りにしたヒーローも少なくなってしまった。 またいずれ再び、重厚感溢れる“メタルヒーロー”の勇士とその眼光煌めく雄姿を目にしたいものである。(小野寺浩 山口敏太郎事務所)【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月13日 17時00分
「ゲゲゲの女房」の漫画家が描いた幻のウルトラマン漫画とは!?
現在好評放送中のNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』。ご存知のように、このドラマは人気漫画家である水木しげるの妻、武良布枝の自伝を原案として描かれているドラマです。 当然、ドラマの中では、水木しげるが漫画の原稿を描くシーンがあるし、水木しげる以外の漫画家が描く漫画も多く登場しています。 ところで、そんなドラマの中で何気なく登場している漫画を実際に描かれているのは誰か、皆さんはご存知でしょうか? おそらく、ほとんどの人は、水木先生が当時描いた漫画の原稿をコピーして使っていると思っているのじゃないでしょうか。 実はこのドラマに登場している漫画の大部分は、漫画家の海老原優さんが描いているものなのです。海老原氏は「ゲゲゲの女房」に、漫画指導として参加しており、ドラマの中に登場する漫画や漫画原稿などの監修をしているのです。 ご存知の通り、NHKでは実在する商品の名前などを、ドラマの中でも使うことができません。そのため『週刊少年マガジン』の代わりに登場した『少年ランド』や、『月刊漫画ガロ』の代わりに登場した『月刊ゼタ』などの表紙も、当時の雰囲気を意識しながらも海老原氏がデザインして、雑誌に掲載されている漫画も描いているのです。 それにしても、海老原氏がこのドラマのために描いた水木しげるの漫画原稿の再現度はスゴイ。私は相当の水木マニアであるのですが、ドラマを見ていても、水木しげる先生の原稿のコピーを使っているのだとずっと思い込んでいました。 ドラマの中に登場する漫画を、海老原優という漫画家が描かれていると知った私は、どうしても海老原氏がどのような人物なのか気になり、取材を試みてみることにしました。 海老原氏は、この9月から新潟の長岡造形大学の視覚デザイン学科で非常勤の講師を始められるとのことで、非常にお忙しい中、取材に応じてくださいました。 海老原氏からは、挨拶もそこそこに出会い頭から、相当に熱い水木しげるトークを語っていただきました。おまけに私が怪獣映画や特撮モノなども好きだと知ると、ゴジラやウルトラマンについての非常にマニアックなトークも、物凄い勢いで語り始めたのです。 ある程度の予想はしていましたが、水木マニアでも当時の漫画原稿のコピーを使っていると勘違いしてしまうぐらいに、漫画原稿をこだわりを持って再現してしまう海老原優氏は、相当に濃いマニアックな人物なのでした。水木しげる以外の漫画家についても、特撮やアニメ、さらにはアイドルについてだって、語り出したら止まりません。 海老原氏は、私が特撮モノも好きだということを知ると、以前に趣味で描いたという、ウルトラセブンの未映像化脚本をモチーフに描いたという同人誌『地球最悪の侵略』をプレゼントしてくださいました。ウルトラマン、セブンに登場する全怪獣が登場するというサービス満点のこの漫画に、特撮マニアである私は大興奮! 惜しむらくは、マニア大感激なこの傑作漫画も、あくまで海老原氏が趣味で描いたものであり、怪獣好きの友人たちに配るためだけに作られた同人誌であるため、一般の方々の目に触れることはないのだとか。うーん、もったいない! それにしても、ドラマの中で一瞬しか映らない水木しげる先生の漫画原稿の再現や、全怪獣に見せ場がしっかり用意されているウルトラマンの漫画を趣味で描いてしまったりしている海老原さんを見ていると、自分が面白いと思うものを描くことにこだわり、作品を描き続けた水木しげる先生の姿と一瞬被ってしまうように見えてしまったのは、私の気のせいでしょうか?(「作家・歩く雑誌」中沢健 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月13日 11時30分
仮面ライダー&スーパー戦隊出身俳優が結成したムード歌謡グループ「純烈」、そのライブに潜入取材!(3)
私は、純烈のサイン会に並んでいたファンの方々から話を聞いてみることにしました。私は、純烈のファンはそのほとんどが特撮ファンだと思っていました(特撮ヒーローが集まって結成されたという部分のみに当初は注目していたからなのでしょう)。 もちろん、純烈のメンバーが演じていた仮面ライダーやスーパー戦隊のファンなので、そのまま純烈のことも応援しているというファンの方も多かったのですが、「純烈の歌うムード歌謡を聞いたら、懐かしくなってファンになってしまったんですよ」なんてふうに、最近になって彼らの存在を知ってファンになったという方も非常に多いようなのでした。 確かにサイン会に並んでいる人たちを見てみると、50〜60代くらいの男性や女性といった、あまり特撮のイベントでは見かけることのない客層の人たちの姿も多く見かけました。純烈は特撮ファンだけではなく、新しいファン層もどんどん開拓していっているようです。 ある純烈ファンの女性は、私にこんな話を聞かせてくれました。 「純烈のCDをたくさん買って、お友達や親戚に配っているんですよ。彼らの歌を一人でも多くの人に聞いてほしくて(笑)」 ここまで、ファンの人たちを熱くさせる純烈。 ムード歌謡グループになっても、かつて私たちを熱狂させてくれたヒーローを演じていた時と変わらない熱いファンを、どんどん生み出していっているようです。 その後、ライブ&サイン・握手会を終えた純烈のメンバーにご挨拶させてもらうために、私は楽屋へと伺わせていただきました。 ですが、記者としてよりも特撮マニアとしての精神が先走ってしまい、思わず「僕が一番大好きな等身大ヒーローは、仮面ライダーゾルダなんですよ!」と、涼平さん以外のメンバーには失礼なことも口走ってしまったりしたのですが、メンバー全員おかしそうに笑っていただけたので助かりました。やっぱり、ヒーローは優しいのです。 涼平さんは、仮面ライダーゾルダの大ファンである私にサインをしてくださったのですが、ゾルダを演じていた当時のサインをしてくださるというファンサービスぶりでした。 涼平さんのサインを貰ってテンションが上がっている私の隣で、こんな会話が聞こえてきます。 「酒井さん、衣装のまま帰るんですか? 風邪ひいちゃいますよ」 「いや、大丈夫だよ、このまま帰れるって」 私は最初、この会話を聞いた時に意味が分かりませんでした。なぜ、スーツを着て帰ることで風邪をひいてしまうんじゃないかと心配されているのか。 でも、その答えはすぐに分かりました。 炎天下の中、一生懸命に歌って踊った純烈の衣装はたっぷりと、その汗を吸収しているのです。そんな汗を大量に含んだスーツで冷房の効いた電車に乗ったりしたら、スーツが吸い込んだ汗が冷えてしまって、体を壊してしまうかもしれないということなんでしょう。 汗いっぱい流してムード歌謡を歌う、かつてのヒーローたち。 ぜひ、皆さんもそんな純烈を応援して、一緒に爽やかな汗を流してみませんか?(了)「純烈 オフィシャルサイト」http://www.junretsu.com/「純烈 公式ブログ」http://gree.jp/junretsu「純烈リーダー酒井一圭 twitter」http://twitter.com/junretsusakai(「作家・歩く雑誌」中沢健 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月11日 18時00分
文科系忍者記者ドラゴンの道「夢は紅白!? 三重県伊賀市のキャラクター、いが☆グリオ」
三重県伊賀市のマスコット・キャラクター、「いが☆グリオ」。あまりにも強烈なルックスは一度見たら決して忘れることはない個性的なキャラクターだ。「いが☆グリオ実行委員会」の榊さんに「いが☆グリオ」の魅力を聞いてみた。 ◆「いが☆グリオ」が誕生したキッカケは? A:伊賀地域は素晴らしい伝統・文化の宝庫ともいえる古(いにしえ)のまちです。我々は伊賀市の将来を考え、次代を担うこどもたちにその文化を伝え、地域の内外に発信したいと考えております。そのために、伊賀のマスコットキャラクター「いが☆グリオ」を作成しました。「いが☆グリオ」は伊賀地域が大好きな小学生の忍者。彼の夢は伊賀の文化を世界中に発信することです。「いが☆グリオ」を通した一連の事業により地域のこどもたちの「郷土愛」や「創造力」を育み、将来、積極的にまちづくりが出来る青年に育成していく事をもうひとつの目的とします。 ◆「いが☆グリオ」のプロフィール(設定)は? A:イメージは、伊賀市の小学校3年生の忍者。頭は伊賀(いが)ぐり坊主。服は忍者装束。少しふくらんだお腹には伊賀の美味いもの(伊賀牛、伊賀米、かたやき等)と、グリオの夢(伊賀の文化を世界中に広めること)がつまっています。 ◆「いが☆グリオ」に対する県内の反応は? A:デビュー当初はインパクトが強すぎる、可愛くないなどなど賛否両論ありましたが、グリオの活躍につれ県内でも人気が上がってきました。 ◆「いが☆グリオ」に対する県外の反応は? A:ゆるキャラ界ではわりと知名度も高く(笑)各地で評判は上々です。 ◆「いが☆グリオ」の経済効果は、どのくらいでしょうか? A:いが☆グリオに会いに伊賀市にいらっしゃる方もみえます。ただ経済効果はまだまだと考えております。 ◆最初の頃と比べて何か変化したことはありますか? A:全国ネットのテレビ出演や雑誌の取材なども増えたこともあり、グリオくんは忙しい日々をおくっています。 ◆「いが☆グリオ」グッズはどんなものがありますか? A:ストラップやぬいぐるみ、エコバッグなど数十種類あります。 ◆何かエピソードはありますか? A:テレビ東京のテレビチャンピオン2の収録で決勝まで進出したのですが、サッカーをしたとき当初の予定以上に収録時間がのびてグリオものびそうになりました。 ◆「いが☆グリオ」の最大目標は? A:伊賀市の伝統文化を世界中に広めること(目指せ! ハリウッド)今年は紅白に出たいです。※文科系忍者記者ドラゴン・ジョー(山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月11日 13時30分
酷暑の秋に一時の涼「お化け屋敷」が人類を救う!
「今年の夏は異常気象である」と、気象庁は発表した。9月に突入しても残暑・熱帯夜が続いている。特に東海地方では連日のように各所で日本一の暑さの記録を打ち立てている。そんな酷暑・残暑に一時の「涼」を与えてくれたのが、お化け屋敷である。 愛知県名古屋市中区栄・オアシス21「銀河の広場」では、今年で3回目を迎える人気の恐怖アトラクションの完結編・都市伝説ホラーハウス「あきら最終章」が開催された。内容は歌にまつわる都市伝説スポットを巡り、怨霊となった「あきら」を探すという設定だ。このアトラクションに参加した観客は、喉が渇き(絶叫を上げるから)、足がガクガクになり(逃げ回るから)、出口で転ぶらしい(早く出ようとして)と、人々の暑さを吹き飛ばしていた。 また三重県桑名市にある長島スパーランドでは、人気のお化け屋敷がリニューアルされた。「血塗られた都市伝説」として、コースの全長も長くなり、恐怖も倍増し、大人気を博している。 「涼」を提供するだけではなく、街の活性化の原動力になっているお化け屋敷もある。 三重県津市の門前町にある門前商店街では、シャッターを下ろした店が多く、人通りもまばらであった。突如、そんな商店街にお化け屋敷が登場した。商店街にある現在使用されていない築88年の三重銀行・津支店だった洋館を改装したお化け屋敷である(建物の古さから怖い雰囲気を漂わせている)。コースは、ビル1階部分の約30mもの暗闇の中で、驚かしに出てくるお化けを振り切り、奥の部屋にあるお札を取って戻ってくる。お化け役には商店街の人々の他にも近隣の若者も参加している。「今までに入ったお化け屋敷の中で一番怖かった」と言う子供もいた。お化け屋敷からは子供たちの悲鳴が響き渡り、外では順番待ちが出るほどの盛況ぶりで、商店街の活性化に一役を買っていた。(「三州(さんず)の河の住人」皆月斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2010年09月10日 17時00分
玩具道〜今はなき懐かしのハイパーヒーローシリーズ
撮影用のスーツの質感をそのままに立体フィギュア化したシリーズ=通称・スーツフィギュアと言えば、有名な「変身サイボーグ」シリーズ等を祖に、現在も展開中のメディコムトイの「RAH」(リアル・アクション・ヒーロー)シリーズが有名であるが、筆者にとって忘れられない、長いシリーズを誇りながら玩具史の中へ消えていった、スーツフィギュアブランド・オオツカ企画のハイパーヒーローシリーズ(通称HH)がある。 HHシリーズはラインナップも『仮面ライダー』を中心に実写作品を多数商品化。その他にも『覚悟のススメ』『聖闘士星矢』『北斗の拳』といったTVアニメ・コミックス作品までスーツフィギュアとして出ていた程の充実ぶり。ただ、昭和ライダー10人が揃うのは意外と遅く、『スーパー1』『ZX』が発売されたのはまさにシリーズ末期であった。これも敗因の一つだったのかもしれない。 終盤には『ウルトラマン』シリーズにもいよいよ参入し、『クウガ』から始まる平成ライダーも続々と商品化。中でも『ファイズ』はそのクオリティとプレイバリューは玩具通の中でも大きく話題を呼んだものである。 また、通常のラインナップのクオリティもさる事ながら、人形の本体である「素体くん」が改造フィギュア通には欠かせないアイテムであった。触れるのが遅くなったがフィギュアとは言え、オオツカ企画のHHシリーズは、他社製品と違いプラモデルのように部品を組み立てて自分で制作するのである。 故に、改造しやすいのは勿論のこと、同サイズのソフビ等を素材としてマスクやグローブ、その他装飾として活用し、コスチューム部分を自作して「オリジナルの可動フィギュア」を作ったファンも多かったのではないだろうか? せめて、素体くんだけでも製造を続けていってくれたなら…と、オオツカ企画のフィギュア部門撤退をつくづく惜しむのは筆者だけではあるまい。(小野寺浩 山口敏太郎事務所)【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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ミステリー
特命! 日本ダービーを予想せよ! 馬の姓名判断、霊能犬の動物予知で大予想
2008年05月28日 15時00分
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衝撃!! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!!
2008年05月13日 15時00分
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ミステリー
グラビアアイドル疋田紗也がゴム人間に襲われた!!
2008年04月01日 15時00分
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ミステリー
船橋の神社で、狐の生首が出現!
2008年03月18日 15時00分
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東京にザシキワラシ出現!!
2008年02月19日 15時00分
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小さな侍幽霊 新宿に出現!
2008年02月05日 15時00分
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ミステリー
うずまき生物
2008年01月22日 18時18分