スポーツ
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スポーツ 2009年10月06日 15時00分
DREAM 桜庭に地獄の要請
「DREAM.11」(10・6横浜アリーナ)に出場する全選手が5日、前日計量に臨んだ。ミドル級ワンマッチのルビン“Mr.ハリウッド”ウィリアムズ戦で約10カ月ぶりの復帰を果たす桜庭和志は「DREAM.12」へ連続で参戦する可能性を示唆した=写真。 桜庭は前日計量を83.5キロで一発パス。計量を終えた桜庭は自身のコンディションについて「次の『DREAM.12』とは3週間違うんできついところ。スタミナだったり動きの調整だったり」と10日前に知らされた緊急参戦への不安を口にした。現役プロボクサーのウィリアムズについては「『怖いな』って感じですよね。身長もあるし、リーチもある」と情報のほとんどない相手を警戒していた。 時間がない中での緊急参戦、そして相手についてほとんど情報もない。そんな状況で今回勝つことができれば「DREAM.12」への連続参戦への呼び声はいやがおうにも高くなる。 連続参戦について桜庭は「終わってみて調子がよければ」とあくまでこの闘いが終わるまで慎重に考える姿勢だが「トシなので、すぐケガをしてしまう。できるのであればやりたい」と意欲を語った。 また、DREAMを主催するFEGの笹原圭一イベントプロデューサーは桜庭の連戦について「桜庭選手が出てくるとリングに違った世界観が出てくる。」と強気の姿勢だ。
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スポーツ 2009年10月06日 15時00分
朝青こっそり韓国へそしてモンゴル?
この約束、どこまで信用できるか。大相撲秋場所で宿敵・白鵬を優勝決定戦で破って4場所ぶり24回目の優勝をした朝青龍。 しかし、勝負が決まったあとのガッツポーズが問題視され、“天敵”と目される内館牧子さん(脚本家)に「相撲道は武士道に通じる。ああいうことは絶対にいけない。今回の優勝もマグレでしょう」と散々コキおろされた。 これで少しは思い知ったのか。場所後の朝青龍は一転して優等生。今月2日、両国国技館で行われた「全日本力士選士権大会」(明治神宮主催)に姿を見せたときも、「来週ぐらいからけいこを始めるよ」と珍しくやる気をみせ、場所後の恒例となっているモンゴルへの帰国についても「帰って何が悪いんだ」と毒つきながらも、「いまのところ、帰る予定はない。帰るときはちゃんと言うよ」ときっぱり否定した。 ところが、今回も3日に、こっそり韓国に渡っていたことが判明した。一応6日に再来日といわれているが、モンゴルに直行も噂されている。 朝青龍のモンゴル帰国に関する約束は、これまですべて口から出まかせの嘘っぱち。まったく信用できなかったのだ。しかし、今回は違う、と部屋関係者は断言する。 「本人にとっても、秋場所の優勝はまさに望外。まだまだやれる、という大きな自信になったはずです。ファンの熱狂ぶりもすごかったですし。もっと優勝したい、と朝青龍は親しい人にはもらしています。今回、モンゴルに帰らないと宣言したのは、朝青龍の新たな決意の表れです」 果たして朝青龍は秋場所の優勝で新境地を開拓したのか。それとも相変わらずなのか。モンゴルに帰国せず、という約束をしっかり守り韓国から日本に帰ってくるのか、それとも…まずは一両日の朝青に注目だ。
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スポーツ 2009年10月06日 15時00分
OPBFを守る男と奪う女 フラッシュ赤羽ジムの二枚看板に迫る
10月12日のプロボクシング後楽園ホール大会では、トリプルタイトルマッチが行われる。フラッシュ赤羽ジムから初代OPBF(東洋太平洋)女子フライ級王座決定戦に、同級2位の四ヶ所(しかしょ)麻美が挑戦。さらに同スーパー・ミドル級王者の清田祐三が3度目の防衛戦に臨む。フラッシュ赤羽の二枚看板を見逃すな。 同ジムで唯一の女性プロボクサーの四か所。12日の後楽園大会では、初代OPBF女子同級王者の座を懸け、OA・ゴーキャットジム(同級3位)とのタイトルマッチに臨む。 元々はアマチュア出身。2003年から07年まで全日本女子アマチュアを5連覇している。五輪出場を目指していたが、当時、女子ボクシングは、採用されていなかった。現役続行か…。悩んでいる時にプロが認可。「アマチュアをこのままやめちゃうのも不完全燃焼。プロで再出発」を誓った。 プロに転向し、ファンの大切さを実感。「ファンの皆さんはお金を払って見に来てるんで。人を感動させることって頻ぱんにできることじゃないので、試合終わって『感動した』って言ってくれるとうれしいですね」と意識は変化した。 それだけに「スピードだったり、スタミナだったり、瞬発力だったり、技術すべてにおいてレベルの高いボクサー。現在の女性のボクシングレベルを超えるボクシング」と自分に求める理想もかなり高い。 そんな中プロ転向後、つかんだビックチャンス。勝利すればジムから2人目のチャンピオン誕生となる。「タイトルマッチって一生に一度経験できればいい。このチャンスを無駄にしたくない。何が何でも勝ちます」と意気込む。 前回減量で苦しんだ“教訓”を生かし、3カ月前から独学で調整を開始。食生活を見直し、野菜を中心にタンパク質を摂取し、昼夜食べ過ぎないよう心がけてきた。 「前回は重さだけ落としていた。今回は筋肉を落とさず、余分な脂肪を少しずつ落としていってる。ウエートはガクっと減らないんですけど、今は全然バテないで動ける。食事の大切さを実感しました」と順調に調整は進んでいる。 タイトルマッチの5日後には30代に突入する。「最高の誕生日プレゼントにしたいですね」と語る四ヶ所。20代最後の試合を最高の形で締めくくる。 清田は現役の日本人ボクサーの中で、一番重い階級のベルトを巻く男。そして同ジム唯一の現役王者だ。 本来は、ひとつ下のミドル級の選手。だが、同級ではタイトル挑戦のチャンスが巡ってこない。そのため、東洋のSミドルにシフトチェンジして千載一遇のチャンスをものにした。 清田が属するSミドル級は、過去に日本人が世界王者になった例が一度もない、前人未到の領域である。それだけに「目標は世界チャンピオンですよ。30歳までには何とかと思っています。」と偉業達成の青写真を描いている。 ボクサーになるきっかけは就職活動の失敗だった。17歳までは北の大地でサッカーに明け暮れる毎日。ボクシングは、当時放送していたテレビ番組がきっかけで、友人に誘われ何となくジムに通ってみた程度だった。将来はその右足を生かしサッカーで生計を立てるつもりでいたが、その道は「素質なし」といわれあえなくとん挫。また自衛隊を目指したものの落選してしまった。 ここで清田は一念発起した。周囲からのススメもあって、釧路の高校卒業後にK-1ファイターを目指して上京。空港で見送られる際、父親から「好きな車を買ってやっから何とか残れないのか」と諭されたが、「ここが勝負」と誘惑を振り切った。 上京した清田は地元ジムの会長の紹介で、フラッシュ赤羽ジムを紹介してもらった。キックを目指している清田は入門する予定ではなかったが、見よう見マネでボクシングをやっているうちにその魅力にとりつかれていった。 その後、メキメキと頭角を現し、新人王を獲得。OPBFのチャンピオンにまで上り詰めた。 12日には、後楽園でのV3戦が待っている。「全部、守ると言うよりももう一回取りに行く。挑戦者みたいな気持ちで」。今後、世界を目指すためにはこんなところでつまづいてはいられない。<プロフィール> 四ヶ所麻美(しかしょあさみ)1979年10月17日生まれ。29歳。東京都板橋区出身。家族構成…祖父母、母、父、妹。全日本女子アマ5連覇。3戦2勝(1KO)1敗。WBCフライ級11位。好きな男性のタイプ…男らしい人。自分より強い人。肉食系。気持ちがナヨナヨした人はNG。座右の銘「成せばなる」 清田祐三(きよたゆうぞう)1983年10月6日生まれ。26歳。北海道釧路市出身。180センチ、85キロ。戦績20戦17勝(15KO)2敗1分。2003年新人王、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王者。好きな女のコのタイプ…色白で美巨乳なコ(C〜F)
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スポーツ 2009年10月06日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 マラソンランナー・中山竹道さん
「瀬古選手には這ってでも出て来い、と言いたいです」こんなショッキングな発言を記者会見の場でしたという“伝説”がある中山竹道を覚えているだろうか。80年代後半、瀬古利彦、新宅雅也、宗兄弟らと共に日本のマラソン界を牽引してきた人物だ。 その中山が一躍、マスコミの“寵児”となったのが、冒頭の発言。瀬古とは勿論、瀬古利彦を指してのモノだが、当時の瀬古は誰もが認めるスターであった。 「87年のソウル五輪選考を兼ねた『福岡国際マラソン』に瀬古が足の骨折で欠場することになった。それに対して中山が記者会見中に発したコメントですが、彼にしては瀬古と一騎打ちして結果を出したかったのです」当時を知る関係者。 だが、このコメント、実は一部全国紙が「僕だったら這ってでも出て来ますがね」という中山発言をわい曲して報じたものだった。しかし、中山は一切、報道陣に意見を言わず、関係者の非難を受け入れたのだ。 中山は高校を卒業後、実業団には行かず、国鉄で嘱託社員をしながら、一人で練習してきた苦労人。そのため、独自の世界を確立、相手が誰であろうが、気に入らない事はすべて、言葉にしてきた。瀬古へのねつ造も“それこそ本心”であった公算が高いのだ。 「中山はソウル五輪で4位入賞も『優勝しなければビリも一緒』と共同記者会見でしゃべり国民を敵に回しただけでなく、次大会のバルセロナ五輪ではマスコミのメダル至上主義に真っ向反論。(マスコミがメダル、メダルとあおるので)『五輪のマラソンは走ってもつまらなかった。大体、五輪なんか大した大会じゃない』とまで公で言い切ったのです。前代未聞です」(前出・関係者) ライバルと目されていた瀬古や谷口浩美は爽やかなスポーツ刈りであったのに対し、やや長めのパンチパーマを決め込んでいた中山。バルセロナ五輪4位入賞も満足せず引退していった姿は今も“伝説”となっている。◎アクの強い性格が… 中山は長野・池田工業高校卒業時に実は養命酒陸上部からスカウトされていた。ところが、高校の教員が面接の日に筆記試験だと指示を出し、何と中山がバスケットシューズを履いて試験会場へ行ってしまい不合格に。結果として、国鉄・信濃大町駅の嘱託社員になったのだ。 その後、富士通長野工場に移るも実業団選手扱いにはならず、自己連でマラソンに挑戦。一躍、注目選手となったことから、ダイエーにスカウトされ実業団生活を開始。 ところが、アクの強い性格が災いし、指導者の高橋進、佐藤進と相次いで対立。バルセロナ五輪での問題発言に当時の中内会長が激怒し、ダイエーと決別する格好で、92年引退した。 マラソン成績は16戦5勝、2位4回、3位1回。 引退後は大阪経済大の監督を経て同大付属高の監督に。04年から今年3月まで愛知製鋼の監督を務めていたが、これも会社と指導法で揉め事実上の解任となった。ちなみに長男・卓也は早稲田大競走部の2年生。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
DREAM サップは集金ファイター!?
ボブ・サップが4日に都内ホテルで「DREAM.11スーパーハルクトーナメント準決勝」(6日、横浜アリーナ)の意気込みを語ったが、その一方で年内6戦の強行日程を組んでいることが発覚。周囲から皮肉な見方も出ている。 無差別級の最強を決する同トーナメント1回戦でミノワマンに敗れたサップだが、準決勝に勝ち上がったゲガール・ムサシの負傷欠場のため、急きょ代打参戦が決定。この日は対戦するソクジュを「ビーストが大きな象だとしたらヤツは蚊」と虫けら扱いし「こうやって叩き潰すのみさ、ガッハッハ」と必勝を誓った。 相変わらず威勢は良いものの、ここのところ結果が伴っておらず、ビッグマウスも決まり文句にしか聞こえなくなってきている。某プロモーターは「DREAMの後に何試合も予定を入れているようですが、まずは結果。無理せずケガせず試合数をこなして稼ぎたいのかもしれませんが、彼は強くてナンボでしょう。ミノワマン戦のタップは早すぎたし、今回も全力かどうかはいささか疑問。嫌な予感がします」と明かす。確かにサップの試合数はハンパではない。今大会後は大忙し。試合翌日の7日には香港でキックボクシングの大会があり、来月は20日に中国、25日にもフランスでキックの試合をこなし、12月に入ってからも16日にアフリカ、さらにはオファーがあれば大みそかの「Dynamite!!」だってある。 これだけの試合数をこなすことについて、サップによれば「コーチから試合がたくさん入ってるほうがオマエの試合はエキサイティングだって言われたから」とのこと。だが、年末まで格闘技6戦に加えてプロレスも10・20韓国と11・3IGFの2大会を予定している強行軍。 今回蚊に例えたソクジュにやられているようでは、試合やりすぎ“集金ファイター”と疑念を抱かれても仕方がない。◎桜庭の相手は超記念 「DREAM.11」に緊急参戦することになった桜庭和志の対戦相手が、米国で活躍する現役プロボクサーのルビン“ミスター・ハリウッド”ウィリアムズに決まった。 プロ戦績38戦29勝(16KO)のウィリアムズは、2005年にIBF世界スーパーミドル級王座に挑戦したほどの経歴を持つ。元世界ランカーで、得意の右のパンチには逸話があり「ミーのパンチを食った相手は星が見えるらしい。だからミーはミスターハリウッドって呼ばれているのさ」という。しかもMMA初挑戦ながら「ミーは頭の良いファイター。パンチをうまく使って勝つ」と言ってのける大胆不敵なボクサーだ。 初の総合マットで通用するかは未知数だが、今年はまだ1試合もしていない桜庭には脅威だ。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
全日本 三冠王小島に大逆風
全日本プロレス新三冠ヘビー級王者の小島聡にいきなりの大逆風が吹き荒れた。4日、埼玉・青伸産業運輸特設リングで行われた全日プロ秋祭り大会で、アジアタッグ王者・浜亮太が三冠挑戦をぶち上げ、さらに諏訪魔からは王者の姿勢を猛批判された。発足したばかりの新政権だが、早くも“小島おろし”の機運が高まっている。 9・26横浜大会で高山善廣を下し、GURENTAIから三冠ベルトを奪還した小島。同時に政権交代にも成功し、第2次小島内閣を発足させた。 だが、新チャンピオンを待ち受けていたのは、思いもよらぬ反応だった。アジアタッグ王者の浜には「個人的には、体調もいいし、勢いのあるうちに早く三冠に挑戦したいと考えています。お世話になった人に勝つのが恩返しといいますか、角界のしきたり。恩返しをしたいと思います」と挑戦状を叩きつけられた。 それだけではない。8・30両国大会で高山に挑戦した諏訪魔からは「ひとつ言わしてもらうよ。小島聡、(横浜での)あのマイクなんだよ。客にこびんなよ。『オレが全日本引っ張っていく』って何で言えないんだよ。今のチャンピオンは認めません」と非難を浴びた。 まさか浜から挑戦表明を受け、味方から批判されていることなど、知る由もない小島は「初めて聞いたことなんで、きちんと考えてから返答します」と保留した。 この日は、メーンでKAI&大和ヒロシとのF4トリオで武藤敬司&カズ・ハヤシ&近藤修司と対戦。大和が武藤のシャイニングウィザードにごう沈し、初陣を白星で飾ることは出来なかった。 まさに踏んだり蹴ったり。それでも「俺はどんな試合会場でも、どんな街に行っても、三冠のベルトを持っているのを頭に入れて試合をやっていきたい」と巻き返しを誓っていた小島。第2次政権は前途多難な船出となったが、小島の反撃が見ものだ。◎船木がみのるとの再戦準備 船木誠勝が“怨敵”鈴木みのるとの再戦に向けて、準備を整えている。 この日、河野真幸と組み“無我の哲人”西村修&真田聖也と対戦した船木。序盤のグラウンドでの静かな攻防だったが、船木が西村のお株を奪うエルボースマッシュを叩き込むと、同じ技で反撃された。 さらにコブラツイストを食っても、コブラツイストで返すなど一進一退の攻防。西村との初対決を十分満喫した。 最後は、ミサイルキック、ソバット、バックドロップの波状攻撃で真田を仕留めた。 次期シリーズ開幕戦(11日、東京・後楽園ホール)でみのるとのタッグ戦が控える船木は「意外に早かったですね。不完全燃焼で終わってしまったんで、ひと区切りができなかった。それでいいと思います」と語る一方で「シングルは当分いらないですね。向こうはしたくないと思ってるだろうし、もうやらないと思います」と見切りをつけていた。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
ドラディション 藤波があの百田氏に触手
レジェンド路線拡張を目指す藤波辰爾が百田光雄(フリー)に参戦を呼びかけた。 方向性に迷いはない。ドラディション10・1新宿大会では、初参戦を果たしたドン荒川がレジェンド・タッグマッチに参加。肌を合わした藤波の記憶によれば「新日本旗揚げ初期以来の対戦」で、37年ぶりの激突が実現している。「常にいいコンディションをキープしている荒川さんからは見習うべき点がいろいろとあった」と大いに刺激を受けた藤波は4日、茨城・大子町大会で長州力と組み、グラン浜田&GENTARO組と対戦。安定感のある試合運びをみせ、ドラゴンスリーパーでGENTAROを下した。 そして、試合後には「荒川さんに限らず、我々の世代でスポットライトを浴びた選手はまだまだいるはず。百田さんにも声をかけてみたい。失礼のないようにレジェンド絡みの試合を打診して、百田さんの勇姿をドラディションでお披露目したい」と、レジェンドの輪をさらに広げていくことを宣言。百田との対戦が実現した場合は「日本プロレス以来で38年ぶり」となる。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
JWP 春山が無差別級7度目防衛
JWPが今年3回目の後楽園大会を開催した。メーンではJWP無差別級王座を賭け、王者の春山香代子が米山香織と激突。春山が米山を退け、7度目の防衛に成功。同タイトルの防衛記録を更新した。 試合序盤では勢いに勝る米山が気を吐いたものの、徐々に春山ペースに。米山はジャンピング・二ーから得意技の米ーZOUを敢行するも決めきれない。逆に春山が粘る米山にラリアート放ち、最後はキーンハンマーで沈めた。 春山は次回の挑戦者について「もう一回同期とやりたいというのもあるし、同世代よりちょっと上の世代ともやりたい」とし、具体的な名前には高橋奈苗、さくらえみを挙げていた。 もうすでに王者の目は次の闘いに向いている。防衛記録はいつまで続くのか。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
極悪同盟 ダンプ “血祭り”ジャガーに敗北
ダンプ松本率いる極悪同盟の自主興行「極悪血祭り9」が4日、新宿FACEで開催された。メーンではダンプ松本がHydraと組み、ジャガー・横田&立野記代組と対戦。ダンプは興行名にふさわしい悪の限りをつくした。竹刀を持って登場したダンプ。まず、リング上にいたファンをその竹刀で叩き、リングアナウンサーのマイクに向かっても振り下ろした。 ゴングが鳴ると暴走特急はさらに加速。竹刀攻撃に飽きると今度はジャガー横田をフォークで串刺し刑に。ジャガーの額から鮮血がしたたり落ちる。それを見て、ダンプは満面の笑み。さらには一斗缶攻撃だ。 最後はダンプが飛びつき式の前方回転エビ固めでジャガー横田にうまく押さえ込まれ敗北。それで不満が爆発したダンプはレフェリーのTommyを客席に向かって投げ飛ばした。 試合後、ダンプは「ふざけやがってカウント早かったよな。肩は上がってたんだけど、レフェリーが自分の腕が太くて分からなかっただけ」と負け惜しみで笑わせた。 「毎回来てくれてありがとう」。極悪な興行だったが、さすがのダンプも最後には感謝の言葉。 なお、堀田祐美子が「『血祭り10』でお前とシングルやってやる。時間無制限でな」とダンプに宣戦布告。まだまだ極悪の闘いから目が離せそうにない。
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スポーツ 2009年10月05日 15時00分
西口プロレス・アントニオ小猪木 涙と笑いの格闘人生
皆さんは西口プロレスをご存知だろうか? 同プロでは長州小力やハチミツ二郎などの芸人レスラーがリングに登場し、爆笑プロレスを展開する。 その中で、芸人とは思えない身体能力と技の数々で異彩を放っているのがアントニオ小猪木だ。これまで武藤敬司、高山善廣、ザ・グレート・カブキなど数々のトップレスラーと「名勝負」を繰り広げてきた。 芸人としてプロレスに交わっている男の笑いあり少し涙ありの人生にスポットを当てた。 埼玉県志木市出身の小猪木が初めてプロレスを見たのは小学4年生の時。 「親がプロレス観戦反対だったけど、兄が誕生日の前日に『誕生日プレゼントに見せてやって』と言ってくれたんですよ」。その日、大宮の会場で控室にいたスタン・ハンセンが今も心の中に残っている。 中学・高校ではプロレスごっこに明け暮れた。「中学生になったらクラスの連中とリーグ戦やってましたね。誰と誰が組んだら面白いか授業中に投票させて。さすがにバレて先生に投票用紙を奪われたけどね」。 高校生の時に役者を目指したが「才能はなかった」。それでも喜劇をやりたいと思い、卒業後芸人の道へ。 モノマネを得意としていた小猪木は新日本プロレスの大会にゲリラで出没。お客さんとともに「ダッー」をやるようになった。猪木引退興行の時には群衆と一緒に「大猪木コール」を巻き起こしたこともあった。◎小猪木になった時 30歳になった2001年、同年旗揚げした西口プロレスから入団のオファーが来て、しばらくして入団、小猪木の人生が変わり始めた。西口プロで本格的にアントニオ猪木のモノマネに専念するようになったのだ。 旗揚げした西口プロレスは興行を開くので精いっぱいで「新宿のビアガーデンの興行のギャラがビールと唐揚げ。ビールは1人1杯、唐揚げは1人1個くらいでしたね」と当時を振り返る。 ようやく団体が軌道に乗り出した旗揚げ3年目の時、JDスターとコラボが実現。ここから名勝負の歴史が始まった。◎ベイダー戦 まず、ビッグネームではビッグバン・ベイダーと対戦。「そりゃめちゃくちゃ怖かったですよ。あいさつに行ったら『ノープロブレム』って追い返されて」 リングに上がると「カモン、カモン」と手招きするベイダー。思いっきりぶつかっていくと本当にショルダータックルで倒された。最後は腕ひしぎ逆十字でタップも奪ったが、その後、ボコボコにされるオチがついた。◎鈴木みのる戦 名勝負の中で対戦したレスラーからはさまざまなことを学んだ。「絶対遠慮するなよ」と言われていた鈴木みのるとの対戦では面白いやら恐いやらの心理戦があり、舌戦も展開した。「とにかくプロレスの魅せ方を教えてくれた」。今思うとお笑いプロレスで一番重要な間合いを引き出してくれたと感じるという。◎武藤敬司戦 武藤敬司からはリングでの最初の1分間の大事さを学んだ。 「その1分で負けない気持ち、コンディションの良さ、そして自分のキャラクターを充分アピールしないといけない」 今でも最初の1分を意識してリングに上がる。◎曙・新田戦 名勝負の中では、やりにくい人もいた。それが第64代横綱曙と全日本キックボクシング王者・新田明臣だ。「間合いがプロレスじゃなかったですね。相撲とキックボクシングの間合いで。新田さんも曙さんも立ち技の圧力があった。これぞ世界の間合いだった」◎A・猪木戦? このほかにも藤原喜明、小島聡、高山善廣らと戦ったが、まだ対戦したくても実現していない相手がいる。尊敬するアントニオ猪木だ。「猪木さんには今のレスラーにない心がある。ブルース・リーのように観客をひきつける。感情移入できる試合がしたいですよね」◎今後の目標 目標はプロレスの面白さの入り口になること。「若者でプロレスを見る人間が減っている。彼らのきっかけになれれば」 お笑いプロレスというジャンルを開拓することを目指す。 「もっと認知されたいです。芸人さん達がいろいろとプロレスをやっているのでコラボできればいいですね」とやりたいことは数え切れない。「自分のやっていることが、いつか評価されればいいですね。猪木さんのマネをする芸人で僕が一番動けますよ」意気軒昂の小猪木である。◎西口プロレス・小猪木興行日程10月27日 西口DXプロレス東京・渋谷0-EAST 19時30分開始11月5日 アントニオ小猪木芸能生活20周年記念イベント東京・新宿ロフトプラスワン歌舞伎町 19時30分開始<プロフィール>あんとにお・こいのき(本名=田村暢人)1971年8月22日の38歳。埼玉県志木市出身。158センチ、56キロ。血液型はB。西口プロレス所属。獲得タイトルは西口ヘビー王座、小IWチービーヘビー級王座など。趣味はダンス。好きな芸能人は天海祐希。年間試合数は120試合以上。
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