スポーツ
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スポーツ 2011年05月02日 11時45分
甲子園ダークサイド情報 カントクはつらいよ(平成23年春編)
「今の子供たちは諦めるのも切り換えるのも早い!」 某私立高校のカントクがそう嘆いていた。 4月某日、練習を見ているときだった。ユニフォームのポケットに忍ばせておいたケータイが突然、鳴った。 電話の主は学生時代のセンパイでもある某大学野球部の監督だった。センパイの大学には1人か2人ではあるが、毎年、野球推薦で教え子を引き取ってもらっている。そのセンパイが早口にいきなり切り出した。 「オマエから預かった部員(推薦入学者)が、野球部を辞めたいと言ってきたんだ」 「えっ!?」 スポーツ推薦で進学した野球部員は、年明けの1月には大学の練習に合流する。 大学の練習は確かにキツイ。しかし、大学は部活動の出欠席にさほどうるさくはない。また、スポーツ推薦学生の退部は認めていない大学もある。たとえ退部が許されたとしても、翌年以降、その生徒の母校(高校)の推薦枠が取り消されることもある。したがって、送り出す側のカントクも慎重に推薦学生に選んできたつもりでいた。 その生徒の退部理由は『現実的』だった。 「勉強がしたい」 カントクはその部員の顔を思い出し、「アイツが勉強!?」と思わず、口にしてしまった。 だが、高校時代の成績は悪くなかった。テストはいつも70点。一夜漬けでなんとかする、要領の良いヤツだった。その部員はさらにこう続けたそうだ。 「大学を卒業しても、就職できないかもしれない。だから、大学院に行きたい。そのためには単位を取るのにも『A』でなければならないので…」 一昔前、大学でレギュラーになれば、企業チームから引っ張りダコにされたが、今は違う。社会人チーム(実業団)は廃部や休部に追い込まれ、一握りのプロ野球に指名される者と同じくらいのレベルにあるか、よほどのコネがなければ、拾ってもらえないのが現状だ。学生時代の大半を野球に費やしたことが『就職活動の出遅れ』となり、マイナスに転じる場合もないわけではない。 センパイもカントクに教え子の就職を相談したことがあった。 「教員免許を取得した教え子がいるんだ。何処か、指導者を探している高校を知らないか?」 就職難の現実を知るセンパイは、その生徒の退部を認めてやったと言う。これも、指導者としての愛情だろう。カントクも退部した生徒を責める気にはなれなかった。しかし、退部者を出した以上、来春の同大学への推薦枠消滅は免れないだろう。 「せめて、ウチの推薦枠は来年からも残してくれないか?」 「大学の規則だから、オレ1人の力では…」 高校球児を持つ父母の圧倒的多数は大学進学を希望している。センパイのいる大学への推薦枠は有望中学生を集めるピーアールポイントにもなっていた。退部者を出し、推薦枠が消滅してしまったことは、ボディーブローのような後遺症ともなるだろう。 「アイツなら、大学でもレギュラーを張れると思ったんだけど…」 カントクはポツリと呟いた。センパイもその素質は認めていたが、こうも付け加えた。 「就職難は誰のせいでもない。野球で就職できなくなったのはかわいそうだが、自分で何とかするって考えがないんだよ、今の子には。せめて、あの子には勉強と両立してみせるって気構えをみせて欲しかった。それでもって、両立は無理だったから、勉強に集中させてくれと言ってくれたら…」 数日後、カントクのもとに新一年生が訪ねてきた。「大学受験の勉強がしたいから、野球部を辞めさせてくれ」という相談だった。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2011年04月30日 17時59分
10連戦決定! 楽天ナインに課された本当の試練
東北楽天ゴールデンイーグルスが本拠地・仙台に帰って来た(4月29日)。田中将大(22)、オリックス・朴賛浩(37)の投手戦となり、本拠地開幕戦に相応しい緊迫したゲーム展開が繰り広げられた。 そんな楽天ナインと星野仙一監督(64)に、試合前、日程問題に関する一報も届けられていた。6月27日、『西武対楽天』(西武ドーム)の1試合を追加されることになった。これによって、楽天、西武の両球団は6月24日から7月3日まで『10連戦』を戦わなければならなくなった。 「変則日程はプロ野球選手会も覚悟のうえです。27日の同カードが組み込まれるまでは、9連戦が最長でしたが」(プロ野球関係者) 4月27日の同対戦カード(皇子山)が雨天中止になったため、10連戦を組み込まざるを得なかったという。『10連戦』に変更されたことへの不平不満は出ていないが、こんな声も聞かれた。「エース・岩隈は大丈夫か!?」 開幕投手でもあった岩隈久志(30)は、昨季までと違う起用がされている。ここまで3試合に投げ、防御率1.37(リーグ)3位。3勝0敗、奪三振27(リーグトップタイ)と順調な滑り出しを見せてくれたが、26回3分の1を投げている(数値は全て28日時点)。そう、先発した3試合とも「9イニング目」に突入しているのである。 岩隈といえば、野村克也元監督から何度も苦言を呈されたほど「完投試合」の少ない投手だったが…。 「完投能力がないのかと聞かれれば、答えは『ノー』。肘などの故障歴もあるので慎重になっていた時期があるだけ」 近鉄時代を知るプロ野球解説者はそう否定していた。 「岩隈はチェンジアップなど緩急で勝負していた時代もありますが、近年はスライダー、フォークボールの割合が増えています。田中が『9〜10球に1球』の割合でフォークを使うのに対し、岩隈はだいたい、『6球に1球』の割合で投げています。配球術に長けた投手なので3ボールカウントになるまで、故意にボール球を投げるところもあります。1試合で投げる球数も増えてますが、これは岩隈の長所でもあります。フォーク多投の傾向もそうですが、肩、肘への負担を考えれば、無理に完投させる必要はないと思いますよ」(ライバル球団スコアラー) この解析コメントは昨年オフに聞かされたものだが、すでに「3試合26イニング強」を投げている岩隈の疲労度は、相当なものだろう。先発ローテーションの組み換えがあるかもしれないが、『10連戦』が与える岩隈への負担は計り知れない。連戦中、チームは救援投手陣を酷使せざるを得ない。先発投手陣は彼らの負担を軽減させてやりたいとし、長いイニングを投げようとする。エースとしての自負、責任感からして、岩隈も10連戦中の先発登板は“完投”を目指してくるだろう。 「何処かで岩隈を休ませてやらないと、たとえ10連戦を乗り切ったとしても、夏ごろ、前半戦の疲労が肘や肩の痛みに化すかもしれない」(前出・プロ野球解説者) 29日の地元開幕ゲームは一部避難所にも中継されたという。「がんばろう 東北」を宣言した楽天ナインが乗り越えなければならない試練は、これからが始まりである。
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スポーツ 2011年04月29日 17時59分
アントニオ猪木拍子抜け! 八百長関与力士はプロレス転向に否定的
4月28日、東京ドームシティホールでIGFプロレスリングの興行が開催された。メーンイベントではエース格の元幕内・若麒麟の鈴川真一が、IGFチャンピオンシップトーナメント1回戦で、“K-1の番長”ジェロム・レ・バンナと対戦しKO負けを喫した。 試合とともに注目されていたのが、先の八百長関与認定でクビになった元力士の動向。同団体会長のアントニオ猪木が、これらの元力士に門戸開放を宣言していたからだ。鈴川のつながりで、同大会には多くの八百長関与力士の来場が予想され、前夜祭では「現役、引退した人で25人くらい来るかもしれない」(鈴川)と語っていたことから、がぜん注目を集めていた。 ところが、この日来場した引退力士は元千代白鵬、元旭南海、元霧の若の3人だけ。北大樹ら数名の現役力士の姿もあったが、鈴川が言った25人には遠く及ばず。引退力士はプロレス転向について、「若麒麟(鈴川)の応援なんで」(元千代白鵬)、「ないです」(元霧の若)とつれないもの。格闘技転向に興味をもっていた元旭南海は「体が張ってきました」と発言したものの、30日には夫人の地元である福岡への転居が決定済み。プロレス転向には誰も前向きな姿勢を示さなかった。 猪木会長は「ボクの師匠の力道山も相撲出身。これから時代の変わり目で対応したい」と門戸は開き続ける意向を明らかにしたが、1人も前向きな元力士がいなかったことで意気消沈。 IGFではエースの小川直也が戦列を離れ、日本人スター選手不足に頭を悩ませており、“ワケあり商品”といえども、即戦力となる元力士はノドから手が出るほどほしい人材。観戦に訪れた3人の発言も表向きということもあろうし、来場しなかった八百長関与力士のなかに、プロレス転向に活路を見いだす者もいるかもしれない。ここは、長期的に注視して見た方がいいだろう。(ジャーナリスト/落合一郎)
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スポーツ 2011年04月28日 15時30分
ハンカチ王子・斎藤佑樹投手に初の“ガチンコ”スキャンダル浮上
デビューから2連勝とやはり何か“持ってる”日本ハムの佑ちゃんこと斎藤佑樹投手だが、女運は“持っていなかった”ようで、プロ入り初の女性スキャンダルが発覚した。 今週発売の「女性セブン」(小学館)に元カノと名乗る女性は小柄ながら、色白でグラマーな華原朋美似。自ら同誌編集部に売り込みをかけ、告白記事とともにラブホテルでの“ベッド写真”が掲載されている。 同誌によると、女性は佑ちゃんよりも一回り近く年上の元キャバ嬢。2人が出会ったのは07年。佑ちゃんが早大に入学したころで、女性が携帯電話の番号を添えたファンレターを出したのがきっかけとなり、その後、メールや電話でやりとりをして6月に初めて会ったという。 その日は、日米大学野球のため米国に出発する前夜だったが、佑ちゃんが宿泊する同じホテルに女性が部屋を取り、佑ちゃんは女性の部屋で一夜を共にし、その後、08年4月ごろまで交際。女性は結婚が決まったため、「彼との関係に区切りをつけたい」と告白に踏み切ったという。 「大学時代にも週刊誌で北川景子や深田恭子と食事デートしたのが報じられた。ところが、斎藤投手は北川のことは気に入らなかったみたいで、北川は『なんとか王子だか知らないけど、なんで私に惚れないの?』と激怒。一方、深田は齋藤投手と同じ治療院に通っており、治療院のスタッフが2人を引き合わせようとセッティングしただけ。“ガチンコ”のスキャンダルは今回が初めて」(野球担当記者) 高校時代は甲子園で、大学時代は神宮でそのさわやかなスマイルでフィーバーを巻き起こした佑ちゃんだが、世間が抱くイメージと素顔はちょっと違うようだ。 「とにかく女好きでかなりガードが緩い。しかも、年下よりも年上の派手な女性が好みのようで、今回告白したような女性はストライクゾーンど真ん中。ファッションもさわやか系ではなく、いわゆる某アウトロー系雑誌に登場するような“オラオラ系”を好んで着ている」(同) 同誌の記事について報道陣から問われた佑ちゃんは「(記事が出ることを)知っています」とうつむき加減に話すにとどまったが、これで少しは女性に対するガードが堅くなりそうだ。
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スポーツ 2011年04月28日 08時00分
無名新人が先発デビューか… 巨人のユウキが変える(?)スカウティング・リスト
“巨人のユウキ”もスゴイらしい。 24日、東京ドームで巨人の練習が行われた。そこで、打撃投手を務めたのがドラフト4位の小山雄輝投手(22=天理大)だった。その小山が健闘すれば、大学球界の指導方法は一変するかもしれない…。 「一軍昇格のテスト登板でもありました。ヒット性の当たりを4本食らいましたが、首脳陣は『合格点』を出しました」(チーム関係者) 4月30日、先発デビューか−−。そんな見出しが踊ったのは、その翌25日だった。30日に対戦する横浜はもちろんだが、他4球団も「小山ってダレ!?」と慌てて情報収集を開始したという。 「キャンプは二軍でしたが、オープン戦終盤、一軍昇格もあり得るのではないかと騒がれていました。首脳陣は時期尚早と言っていましたが、本当は5、6月の一軍合流を予定していたんです。まあ、巨人に限らず、小山を追った広島、阪神、ソフトバンクのスカウトは『一人前になるまで1、2年はかかる』と見ていました。早期の一軍昇格は本人の努力でしょう」(前出・同) 二軍では4試合に登板し、防御率1.80。「落差の大きいフォークボール、150キロ近いストレートが特徴」とのことで、3月20日の対日本ハム戦(二軍)では、対戦打者のバットを2本へし折る“衝撃デビュー”も果たしている。 小山は天理大学の出身。ドラフト関係の季刊誌を発行する有名出版社の『2010年ドラフト候補生紹介号』を改めて読み直してみたが、<大学生 投手欄38人>にその名前は掲載されていなかった。同級生の田中将大、斎藤佑樹たちが活躍した05年秋〜06年のセンバツ、06年・夏の甲子園大会に関する高校野球雑誌も繙いてみたが、同様である。05年、東海地区・秋季大会で、『大府対三重 敗戦投手=小山』と、その名前をやっと見つけることができたくらいだ。在阪球団スカウトの1人もこう続ける。 「大学2年生途中で内野手にコンバートされています。投手に再び専念したのは3年生になってからでした。小山のスカウティングで、多くの球団が遅れを取ったのはそのためです」 20歳を過ぎてから急成長したタイプなのだろう。このまま、小山が活躍すれば、大学球界に与える影響はかなり大きい。 前出のスカウトによれば、投手に再コンバートされた後、投球フォームの改造に着手したという。その指南役は当時、新任したばかりの中村良二監督だった。同監督は近鉄、阪神を渡り歩いた元プロ野球選手なのである。資料によれば、中村監督は94〜95年にウエスタンリーグ二冠王(本塁打、打点)に輝いたスラッガーとあった。「投手経験は中学まで」とのこと。専門的な投手経験のなくても、小山をプロ野球のレベルにまで引き上げてみせたのである。 巨人・澤村拓一は元プロ野球投手の高橋善正監督に鍛えられた。慶応大学も江藤省三氏を監督に迎えてから強くなり、東京大学も谷沢健一氏が打撃指導を始めてから一目置かれるようになった。元広島、大洋監督の古葉竹識氏も08年4月より東京情報大学の野球部を指導している(アドバイザー期間は除く)。 「高橋監督(中央大)の成功もあり、大学側もプロ野球経験者を監督に迎えたいと考えるようになりました」(同) もちろん、プロ野球経験のなくても、名将の誉れ高いアマチュア指導者はたくさんいる。しかし、高野連ほど規制が厳しくない大学球界では、元プロ野球選手の指導を歓迎する向きが年々、強まっている。このまま小山が活躍したら、今秋のドラフト会議にも影響が出るのではないだろうか。※中村良二監督の経歴は日外アソシエーツ刊『プロ野球人名事典』を参考にいたしました。
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スポーツ 2011年04月26日 15時30分
超満員のシュートボクシング後楽園大会 アンディ・サワーが佐藤に判定勝利
東北地方太平洋沖地震復興チャリティーイベントとして23日行われた『シュートボクシング2011 act.2』。 「日本のために戦う。試合はもちろん、復興支援にも全面的に協力したい。まずは今回のファイトマネーを被災者のために活用したい」と被災者チャリティーに協力を申し出たアンディ・サワーと、シュートボクシング初参戦の佐藤嘉洋がメインで激突(70キロ契約の3分3回戦)。2007年4月以来、4年振りの一騎打ちが実現した。 懐に入ろうと前に出るサワーを、ヒザ蹴りや前蹴りで突き放す佐藤の攻めは序盤は有効だったものの、2Rにサワーの左ハイキックで追い込まれ徐々に失速。0-3の判定負けに終わった。 「少し記憶が飛んだ。悔しいです。でも、今回はパワー負けはしなかった」と振り返った佐藤。7月に予定されていた次戦がキャンセルとなったことに関しては「K-1が再開されるまで頑張りたい」と今後の活動は未定ながらも、しっかり前を見据えていた。 また、対戦相手が来日しなかったことでエキシビションマッチでの出場となった、ガールズS-cup王者のRENAは、WPMF世界女子ミニフライ級王者の神村エリカと3分1Rで対戦。まさかのダウンを喫し「天狗になってた」と反省し、今後の飛躍を誓った。
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スポーツ 2011年04月26日 15時30分
「埼玉プロレス」in 埼玉! サバイバル飛田が人間の煩悩を叩き潰す!
4月25日、埼玉県越谷市のケルベロス道場で「埼玉プロレス旗揚げ創立自由に執念記念興行」が行われた。 「自由に執念」の意味は無論説明するまでもないが「12周年」の当て字である。 1999年からはじまった「埼玉プロレス」も早いもので12年。 聖地とまで呼ばれた「聖蹟桜ヶ丘ファーストスピリット」を“とある事情”で追い出され、代表のサバイバル飛田が次に選んだ(ターゲットにした)舞台は埼玉県越谷市であった。 ちなみに「埼玉プロレス」の「埼玉」はサバイバル飛田の在住地という意味であり、埼玉県内での興行はわずか数回しかやっていない事実はもはや常識である。 これまでの聖蹟桜ヶ丘から数十キロも離れた越谷市での試合であったが、会場には前回と変わらない20名を超える観客が押し寄せ、試合前には既に満員となる盛況ぶりを見せていた。 なお、試合は18時開始の予定であったが控室での混乱により10分遅れ、さらには予約した客が現れないという大ハプニングが発生したために大幅に遅れてしまい、18時20分よりのスタートとなった。 オープニングトークにはもちろんサバイバル飛田。 「プロレス業界に自粛を求めているところもあるようだけど、みんなストレスを発散するために観にきてんのに電気が暗いとかじゃエンターテインメントじゃないよね。だから今日は『ノーモア震災』で。無理矢理楽しませるんで、期待しないで期待してください」 と、誰しもが感じていたモヤモヤを吹き飛ばしてくれるかのようなナイスな挨拶を吐き、飛田は控室に戻っていった。【第1試合15分1本勝負】山田マン£ VS かへる君 「見世物小屋」とプリントされたパンツの眩しい山田マン£。その対戦相手は青空球児よろしく「ゲロゲーロ!」と鳴くカエルの化け物、かへる君。 「コイツ気持ちわりーよー!」と山田マンいきなり戦意喪失。かへる君は巨体を使ったボディプレス攻撃で山田マンを苦しめる。まるで「ど根性ガエル」の世界があべこべになったかのような壮絶な戦いだ! 山田マン大ピンチ! しかし、そこは山田マン。かへる君の飛び出ている目玉に注目し、両手で目玉を握りつぶす! これにはさすがのかへる君もダウンした。 「終わります!」とフィニッシュ宣言を行った山田マン。通行止めの標札をかへる君の頭にクリーンヒットさせるものの無傷。逆上したかへる君は山田マンを追いかけるが、リングに倒れてしまい標札が腹に突き刺さる。 「いてー!!」と日本語で泣き叫ぶかへる君。キャラが半分崩壊したところで、山田マンが「だるまオ・ン・ナ」でフィニッシュを決めた。○山田マン£(5分30秒 だるまオ・ン・ナ)●かへる君【第2試合20分1本勝負】佐野直 VS U.C.L.A.ファッションリーダー 「Y.M.C.A」のリズムに乗ってU.C.L.A.ファッションリーダーが登場。「ファッションリーダー」とはいっても着ているのはローソンの制服で、とてもセンスがあるとは言い難い。 ダンスの得意なファッションリーダーは空中殺法で佐野を苦しめ善戦するが、佐野が鉄アレイを取り出したところで形勢逆転。 「人が死ぬ瞬間を見せてやる!」と佐野ならではのギリギリ宣言を行いファッションリーダーの頭に鉄アレイを直撃させる。 フィニッシュは佐野のスイングDDTからのデルフィンクラッチで3カウント。空中殺法VS残虐ファイトは残虐ファイトが勝利した。○佐野直(7分08秒 直伝デルフィンクラッチ)●U.C.L.A.ファッションリーダー【セミファイナル 埼玉プロレス旗揚げ創立自由に執念記念興行記念バトルローヤル】 出場選手は山田マン£、佐野直、U.C.L.A.ファッションリーダー、かへる君。そして今回、特別参戦したマンモス半田の豪華5人でのバトルローヤルとなった。 しかし天然スタイルのマンモス半田があまりに強すぎたため、山田マン、佐野、ファッションリーダーが次々と踏みつけフォールで敗れていく。 かへる君は最後まで戦ったものの結局、半田の暴走を止める事が出来ず、アックスボンバーからの踏みつけフォールで敗れる。 自由に執念記念バトルローヤルは、マンモス半田ショーとして嵐のように過ぎ去った。【メインイベント時間無制限一本勝負】サバイバル飛田 VS 仰天生物・煩悩〜ン108 人間には108の煩悩が存在するという。仰天生物・煩悩〜ン108はその108つの煩悩が具現化した怪物…なのだろうか? 煩悩〜ン108は戦いの最中、「腹減った」「車欲しい」「セ○クスしたい」など己の欲望をつぶやきながら戦うスタイル。途中、「AKB欲しい」「ビニール欲しい」「インドに修行に行きたい」と、煩悩なのかどうかも怪しいセリフがあったが、実力はかなりのもので、サバイバル飛田もこれには大苦戦。 飛田は顔をストーブで焼かれ、背中からダンベルの上に落とされるなど、大ダメージを食らっていた。しかし、飛田はどこからともなく水鉄砲を取り出し応戦。 4月下旬とはいってもまだまだ寒い埼玉県。これには煩悩〜ンも「寒い〜」と戦意を喪失。 続いて「寒いならこれだ!」と言わんばかりのサバイバル飛田お得意のCG攻撃! 今回はCGにクロスチョップを加えた技と“いつものCG攻撃”で煩悩〜ンを苦しめる。 最後は飛田のX固めでフィニッシュ。サバイバル飛田は見事、人間の煩悩に勝利した。○サバイバル飛田(14分54秒 X固め)●仰天生物・煩悩〜ン108 疲労困ぱいの飛田。メガホンで「飛田集会」を行おうとするが、変な音が出てしまう。これには客席も爆笑だった。なお、今回の「飛田会」は実に18分に及ぶ長時間のもので、尊敬する由利徹を例に出し「俺はクソ爺になりたい。人生は一度しかないんだ」などと語っていた。 飛田代表曰く、次の埼玉プロレスは7月下旬を考えているらしい。次も埼玉でやるのか、それとももっと都心から離れるか? それはファンの善意と国家にかかっている!?
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スポーツ 2011年04月26日 15時30分
元K-1世界王者・魔裟斗が震災復興支援でリング復帰!
“K-1のカリスマ” 魔裟斗が、震災復興支援でリングに帰ってくる。 4月25日、魔裟斗は山本“KID”徳郁と強力タッグを組み、5月7日、東京・六本木ヒルズアリーナ(14時)で「東日本大震災復興支援チャリティーファイトイベント〜立ち上がろう ニッポン!」を開催することを発表した。同イベントは賛同する現役選手、引退した格闘家が集結し、エキシビションマッチを行う。入場無料だが、会場での募金、オークションの売上金等が義援金として日本赤十字社に寄付される。 魔裟斗は「今の自分があるのは格闘技のおかげ。格闘技に助けられたので、格闘技で恩返しをして、東北の人たちに元気を与えたい」とコメント。 03年、08年のK-1 WORLD MAX王者の魔裟斗は、09年大みそか「Dynamite!!」でのアンディ・サワー戦を最後に現役生活に幕を下ろした。引退後はスポーツキャスターとして活躍しているが、現在もトレーニングは続けており体調に問題はなし。「スパーリングだけど、ガチ」(魔裟斗)と自信を覗かせた。 注目される魔裟斗とKIDの対戦は、「引退しているから」(魔裟斗)との理由で回避。現役のKIDとの激突は見られないが、魔裟斗は同じく引退した元シュートボクシングの緒方健一とのスパーを希望した。 エキシビションマッチといえども、「ガチンコ」宣言した以上、本気のファイトとなるのは必至。これで闘志に火が点いて、現役復帰となれば、低迷するK-1の救世主となり得るのだが…。 なお、同イベントの賛同者は魔裟斗、KID、緒方、小比類巻太信、HAYATO、新田明臣、安廣一哉、武田幸三、平野仁。(ジャーナリスト/落合一郎)
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スポーツ 2011年04月26日 11時45分
力道山の孫が東京六大学野球で初勝利!
力道山(故人)の孫で慶応大3年の田村圭投手が、4月25日、神宮球場での法政大との東京六大学野球公式戦で初勝利を挙げた。 田村は先発で5回0/3イニングを投げ2失点。チームが7対2で勝利し、初の勝ち投手となった。 田村は慶応高時代の08年の甲子園に春夏連続出場し、エースとして活躍。夏にはベスト8入りを果たした。注目を浴びて大学に進学したものの、ケガに泣き結果が残せないでいた。 日本プロレス界の祖である力道山は朝鮮時代を含め、4人の女性と婚姻関係があったといわれている。最後の妻である田中敬子さんとの結婚生活は10カ月しかなかったが、力道山の没後すぐに産んだ娘の子息が田村である。プロレス界に進んだ長男・百田義浩(故人)、二男・百田光雄(フリー)は、田中敬子さんとの間の子どもではない。 戦後のヒーローの血を継ぐ田村。この白星をきっかけに、野球選手として飛躍を期待したいところ。(ジャーナリスト/落合一郎)
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スポーツ 2011年04月26日 11時00分
田中理恵が女王・鶴見虹子に挑んだが、段違い平行棒での失敗が響いて準優勝
23日から行われた全日本体操競技総合選手権大会。女子は鶴見虹子(18=朝日生命)が110.700点を挙げ史上最多の6連覇を飾った。 成長著しい田中理恵(23=日体大大学院)は、優勝した鶴見に1.350点差及ばす第2位。予選で失敗した段違い平行棒のマロニーという難易度の高い技を最終日では成功させたが、その後の連続技でミス。この種目で鶴見に1点差をつけられたのが敗因か。 だが、前日の2位をキープできたことについては、 「うれしいです。自分の演技ができれば結果はついてくることがわかりました。今年に入って最初の大きな試合で、すごくいいスタートがきれました。虹子さんに近づき、少し強くなっている自分がうれしい」 と満足気の様子。それでも、 「減点の少ない演技、連続技が自分の中で減ってしまったので、NHK杯までの課題です」 と、今後続く鶴見との直接対決に向けて気を引き締めた。 今回の結果を受けて、日本体操協会は8月のユニバーシアード夏季大会(中国)の女子代表として、田中理恵、新竹優子、山岸舞、大島杏子、美濃部ゆうの5人を選出した。 男子の結果は、来年のロンドンオリンピックで金メダルを狙う世界選手権個人総合2連覇中の内村航平(22=コナミ)が予選に続いてトップを走り、188.900点の圧勝。史上6人目の4連覇を果たした。
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スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分