田村は先発で5回0/3イニングを投げ2失点。チームが7対2で勝利し、初の勝ち投手となった。
田村は慶応高時代の08年の甲子園に春夏連続出場し、エースとして活躍。夏にはベスト8入りを果たした。注目を浴びて大学に進学したものの、ケガに泣き結果が残せないでいた。
日本プロレス界の祖である力道山は朝鮮時代を含め、4人の女性と婚姻関係があったといわれている。最後の妻である田中敬子さんとの結婚生活は10カ月しかなかったが、力道山の没後すぐに産んだ娘の子息が田村である。プロレス界に進んだ長男・百田義浩(故人)、二男・百田光雄(フリー)は、田中敬子さんとの間の子どもではない。
戦後のヒーローの血を継ぐ田村。この白星をきっかけに、野球選手として飛躍を期待したいところ。
(ジャーナリスト/落合一郎)