スポーツ
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スポーツ 2011年12月26日 11時45分
ダルビッシュが行く…!? 『レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリトン』は、こんなところ(球場編)
テキサスレンジャーズの本拠地『レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリトン』は、「ヒッターズパラダイス」である。右翼約106メートル、左翼約108メートル、センターバックスクリーン約122メートル。球場の大きさでは「広域球場」の部類に入る。それでも、打者有利のヒッターズパラダイスと位置づけられているのは何故か…。『高温乾燥』だからである。 マリナーズで活躍した大魔神・佐々木主浩も、この球場を「苦手」とこぼしていた。 現レンジャーズ在籍の建山義紀は今季、44イニングに登板し、8本の本塁打を献上している。建山の被弾と言えば、9月10日の満塁被弾が思い出される。このアスレチックス戦で食らった一撃は「2試合を挟んでの2者連続満塁被弾」であり、メジャー史上2人目という“屈辱の記録”ともなってしまった。1試合目のレッドソックス戦はアウェイだったが、2発目は「失投がそのまま本塁打になる」本拠地の怖さを痛感させられたはずだ。また、現地入りした特派員によれば、「9月に入っても夜の気温は32度ほど」とのこと。日本では「空気が乾燥しているから打球が飛ぶ」と言われてもピンと来ないかもしれないが、アメリカでは空気、高地などによって、ボールの飛距離が本当に違ってくるのである。 MLBの公式HPを見てみると、同球場の1試合平均の本塁打数は「1.500」、得点平均も「1.409」とあり、ともに“30球団ワースト”だった。対照的に、サンフランシスコジャイアンツの本拠地『AT&Tパーク』も打者有利な球場とされるが、1試合平均の本塁打数は「0.596」(1位)。風の影響を受け、ライト方向への本塁打が出にくいからだ。2000年の開場以来、ジャイアンツで30アーチ以上を放った左打者はいない。 被本塁打率の高い『レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリトン』で成功した日本人投手と言えば、大塚晶則(06〜07年)が思い出される。ストレートは140キロ台後半、球種はフォークボール、チェンジアップ、スライダー。大塚には失礼だが、ストレートの速度もフォークの落差も佐々木ほどではない。佐々木が苦手にする球場で適応できた理由は、「この球場の怖さ」を学習したからだろう。当時の大塚の投球内容に関するMLBデータを改めて見てみると、「全投球の70パーセント近くが変化球」となっていた。それも、スライダーが全投球の約50パーセントを占めており、「大塚のスライダーは縦軌道だった」ことを思い出すと、「ゴロ・アウト」を取ろうと意識していたことが窺える。「フライ・アウト」は本塁打にされる可能性がある。ウイニング・ショットのフォークボール以外に縦の変化球を投げられたことが勝因だろう。 ダルビッシュは変化球が多彩だ。投球内容に関するデータによれば、ストレートが約30%、スライダー(横軌道)が約25%、チェンジアップ、フォーク、ツーシーム系の変化球を投げる割合は全体の20%程度に止まっていた。大塚に倣って、ウイニング・ショットは縦軌道の変化球に変更すべきである。 レンジャーズは救援陣が強力なチームでもある。ダルビッシュは「完投する」という意識の高い投手ではあるが、ロン・ワシントン監督は夏場を乗り切るための『体力温存』を理由に、リリーバーを何人もつぎ込んで来る。完投へのこだわりは捨て、建山たちに甘えるつもりでスタートした方がいいのではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2011年12月24日 17時59分
女子プロレスで前代未聞の珍事発生! 引退セレモニー中に引退撤回!
12月23日、東京・後楽園ホールでのJWP女子プロレスの興行で前代未聞の珍事が発生した。 同興行は米山香織(30)の引退興行として開催された。米山はこの日、メーンイベントで春山香代子と対戦。18分49秒、ダイビングギロチンドロップからの片エビ固めで敗れた。 試合後には先輩レスラーや関係者が登場し、米山の労をねぎらい、セレモニーの最後として、10カウントゴングが鳴らされていた。ところが、この最中に米山は「待ってください!」とゴングをストップ。すると、同団体のリーダー的選手であるコマンド・ボリショイがリングに上がり、「引退発表したからって、無理にやめなくていいよ」と発言。米山は「私、やめたくないよ。引退が決まってから、プロレスをもっと好きになっちゃって。でも、もう引き返せなくて、どうしよう」と号泣。 そこに、来年1月8日、東京ドームシティホールで自身の引退興行を開催するブル中野(元全日本女子プロレス)が現れ、同大会への出場オファーを意味する封筒を手渡し、受け取った米山は「プロレス引退、撤回します」と発言。「嫌われても応援されなくなってもいい。もう2度と引退試合できないかもしれないけど、覚悟を決めて、この大好きなリングに上がり続けます」と現役続行を宣言した。 過去に似たようなケースはあるにはある。“鬼嫁”として、精力的にタレント活動もしている佐々木健介夫人の北斗晶は、94年11月20日の東京ドーム大会(全日本女子プロレス主催)を最後に引退することをほのめかしていたが、試合後に引退発言を撤回した。また、安藤あいか(アイスリボン)は、08年8月28日の東京・新木場1st RING大会でプロレス卒業マッチを行ったが、試合後に撤回した。ただ、安藤はもともとタレントで、その活動の幅を広げるためにプロレスをやっており、引退と卒業とではニュアンスが違う。 リングで繰り広げられたやりとりを見る限り、引退撤回は米山のその場での思い付きではなく、事前に決まっていたことは明らか。この日、会場に詰めかけたファンの大多数は、米山の最後の雄姿を見るために来場したはずだ。米山は7月に年内引退を表明したが、それ以降、「引退するのなら」と彼女の試合を目当てに観戦に訪れたファンを裏切ったことになる。 いくら、エンターテインメント性の高いプロレスとはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろう。米山の気持ちが変わった時点で、JWPは事前に引退撤回を発表する必要があったのではないか。さすがに、引退試合を行った後のセレモニー最中での引退撤回は、なんとも後味が悪いものだ。(落合一郎)
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スポーツ 2011年12月24日 17時59分
山本美憂&聖子姉妹ロンドン五輪出場ならず 山本ファミリーの夢散る!
12年ロンドン五輪出場を目指し、レスリング全日本選手権に臨んだ姉・山本美憂(37=白寿生科学研究所)、妹・山本聖子(31=ジャパンビレッジ)の姉妹はともに敗れ、山本ファミリーの夢は散った。 6月にロンドン五輪出場を期し、7年ぶり3度目の復帰を果たした美憂は、12月22日、女子48キロ級にエントリー。しかし、7年のブランクは大きく、2回戦で登坂絵莉(愛知・至学館高)に判定負けした。美憂は「半年しかないなかで、ここまで戻ってこれた。半年でやめるのはもったいない。一から練習して、また世界のチャンピオンになる」と、現役続行を宣言。 一方、聖子は23日、女子63キロ級に出場。準決勝で五輪金メダリストの伊調馨(27=ALSOK)に判定で敗退。2人とも、五輪への道が途絶えた。聖子は「今すぐ結論を出すことはできない」と進退については明言を避けた。美憂は「一緒に海外の大会に行ったこともない。いつか一緒に行けたら」と、聖子の現役続行を促した。 美憂は世界を3度、全日本を8度制した“元祖・女子レスリングの女王”。聖子も世界を4度、全日本を2度制した実力者だが、ブランクと年齢的な衰えは、いかんともしがたかっかようだ。 08年の北京五輪に向けては、美憂の弟で、聖子の兄の山本“KID”徳郁(34)が、プロ格闘家活動を休止して挑んだが、試合中に右ヒジを脱臼し断念した。アテネ五輪(04年)以降、ファミリー3人が代わる代わる五輪にチャレンジしたが、ことごとく夢は砕け散った。72年ミュンヘン五輪代表の父・山本郁栄氏(66)は、「まだ次がある。いつか家族から五輪選手を出したい。それまで指導者はやめられない」と、ネバーギブアップの姿勢を崩さなかった。 なお、女子72キロ級の浜口京子(33=ジャパンビレッジ)はV15を達成し、来春のアジア予選にロンドン五輪出場への夢をつないだ。04年アテネ、08年北京五輪で連覇を果たした55キロ級の吉田沙保里(29=ALSOK)と、63キロ級の伊調馨は、ともに優勝し、3大会連続の五輪出場を決めた。(落合一郎)
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スポーツ 2011年12月24日 11時00分
立浪一門大荒れで理事続投にヒヤヒヤの貴乃花親方
稀勢の里の大関昇進フィーバーもひと段落し、大相撲界はようやく静けさを取り戻したかにみえるが、一歩裏にまわればキナ臭い動きが激しさを増している。来年1月30日に投開票が予定されている任期2年の理事選が、あと1カ月あまりに迫ったからだ。 まだ多くの一門が候補者を絞りきっていないが、その動きを手に汗して見つめているのが、現職の貴乃花理事の続投が決定的だった貴乃花グループだ。 このグループの基礎票は7。当選するためには10票必要で、もし選挙にもつれこめば、前回と同じように、どこからか3票切り崩して持ってこなければいけない。このカギを握っているのが立浪一門で、いまだにモメているというのだ。 「立浪一門は、すでに九州場所前、若い親方たちからも信頼が厚いニューフェースの春日山親方(元幕内春日富士)の擁立を決めています。もしここが一本化すれば、他の一門、グループの動きから候補者は定員ぴったりの10人となり、2期ぶりに無投票となる。貴乃花理事の続投もスンナリ決まりでした。ところが、その後、現職の友綱理事(元関脇魁輝)が、『まだやり残したことがある』と言いだして立候補に意欲を見せたため、調整がつかず紛糾しているんです。立浪一門内の票は18票で、立候補者が春日山親方1人だけでは8票がムダになる。『7票しかない貴乃花グループから理事が立候補して、8票も余るところから1人しか立たないのはどうみてもおかしい』と、友綱支持派の親方は険しい顔で話しています」(相撲担当記者) しかし友綱理事、去年も一門内の候補者選びで一度は落選しながら、ゴネて再選に持ち込み強引に候補になったいきさつがあるためか、あまり評判はよろしくない。 「前回、2人も貴乃花派に寝返って、一緒に立候補したベテランの大島親方(元大関旭国)が落選の憂き目にあったのは、まだ記憶に新しい。だから今回もまた、友綱親方が一門内の予備選で候補者から外れたにもかかわらず、理事選に立つ動きをしていることを知った一門内の多くの親方たちの反応はすこぶる冷ややか。一方、友綱親方側は自分の部屋だけで4票持っていることもあって、強行する構えを崩していない。どうなるかわかりません」(一門関係者) この行方が自分にストレートにハネ返るだけに、少数派の貴乃花親方は気が気ではない。
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スポーツ 2011年12月23日 17時59分
落合監督解任効果? 中日ベテラン主力勢に大甘更改
12月22日、中日の主砲である和田一浩外野手(39)が契約更改交渉に臨み、年俸4億円(以下、金額はすべて推定)から17.5%ダウンの3億3000万円+出来高でサインした。 和田自身、1億円を超える選手の減額制限40%程度のダウンも覚悟していたというから、まさに大甘の更改だった。今季の和田はフォーム改造、視力低下の影響で、131試合出場、打率.232、本塁打12、打点54の惨たんたる成績。MVPを獲得した昨年は、144試合出場、打率.339、37本塁打、92打点で、すべての部門で大きく成績を落とした。和田は西武時代の02年にレギュラーとなったが、それ以降では打率、本塁打は自己ワーストだった。それでも、わずか7000万円のダウンですみ、しかも出来高まで付いた契約には和田も御の字だろう。 実は今オフの中日のベテラン主力勢の契約更改を見ると、和田に限らず、かなり大甘の査定となっている。今季、故障のため、2軍でも1試合の登板もなかった大ベテランの山本昌投手(46)が、1億円から60%ダウンの4000万円+出来高に落とされたが、それを除けば一様に甘々だ。 和田同様、主軸ながら極度の不振で、142試合出場、打率.232、本塁打10、打点45に終わった森野将彦内野手(33)は、年俸2億2500万円から、わずか3500万円ダウン(-15.6%)の1億9000万円でサイン。 また、規定打席不足で打率.234だった井端弘和内野手(36)は1億8000万円から、わずか1000万円ダウン(-5.6%)の1億7000万円。逆にヒザの故障で102試合の出場にとどまった谷繁元信捕手(41)は、1億7000万円から、異例の1000万円アップ(+5.9%)の1億8000万円で更改。荒木雅博内野手(34)は昨年の打率.294から.263と、3分以上も率を落としたが現状維持の2億円。 極めつけはチーム最高年俸の岩瀬仁紀投手(37)か。今季の岩瀬は投球内容も悪く、抑えに失敗する試合も目立った。中継ぎエースの浅尾拓也投手(27)に抑えを取って代わられる機会も多く、セーブ数は昨年の42から37に減少。内容的にはとても、年俸に見合った働きではなかったが、防御率が2.25から1.48と良くなった点を評価され、4億3000万から2000万円アップ(+4.4%)の4億5000万円を勝ち取った。 他球団なら成績不振の高額年俸選手には大ナタが振るわれるのが常。たとえば、今季5勝に終わった横浜DeNAのエース、三浦大輔投手(37)は3億円から50%ダウンの1億5000万円。スタメンでの出場が減った金本知憲外野手(43=阪神)は3億6000万円から減額制限ギリギリの38.9%ダウンの2億2000万円を受け入れた。 中日に関しては優勝祝儀もあるだろうが、ベテラン主力勢にとっては、まさに大甘更改となった。そもそも、コスト削減のためにも推定で3億7000万円ともいわれた高額年俸の落合博満前監督(58)を解雇したのに、いったいどうなっているのか。 スポーツジャーナリストのA氏は、「まぎれもなく落合監督解雇効果です。高木守道新監督の年俸は1億円。つまりは、監督交代だけで、2億円以上の資金が浮いたわけです。ベテラン主力に甘い査定をしても、大幅アップした選手は一人もいませんから、ベテラン全体では今季より年俸総額は減るはずです。その分を大幅アップの吉見(一起)や浅尾に回せます。何の問題もないでしょう。これで、ベテラン勢も、来季気持ちよくプレーできますね」と語る。 落合前監督の解任効果にあやかった中日のベテラン主力陣。その胸中たるや、いかがなものだろうか。(落合一郎)
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スポーツ 2011年12月23日 11時45分
未曾有の大型補強は原監督の意志ではない? 大田に異例の檄を飛ばした真意は…
今オフの巨人の大型補強は、原辰徳監督(53)の本心ではないのかもしれない。 盛岡市内で学童対象の巨人イベントが開催され、長野久義(27)ら7人の選手がそれに参加した(12月10日)。同イベント冒頭でトークショーが行われ、そのとき、「いじられキャラ」にされたのが、大田泰示(21)だった。司会者が「大田選手の立派な身体を手に入れたら、40本塁打は打てるという人は?」と質問。すると、長野が「いや、50発は打てます!」と答え、同期の橋本到にも「僕の方が、打撃センスがある。その体があればもっと打てますよ」と言われてしまった。おそらく、事前に用意された質問に対し、巨人ナインが会場を笑わせようと思い、「大田イジリ」の答えを用意していたのだろう。 しかし、大田がその素質を開花しきれないのも事実である。身長188センチ、体重91キログラム(公称)。一軍での本塁打はまだゼロだが、「きっかけを掴めば、爆発する」というのが周囲の一致した意見である。 「来季は外野手で勝負することになりますが、一軍のレギュラー外野手は長野だけ。ラミレスもいなくなり、高橋由にも年齢的陰りが見えてきました。大田にチャンスを与えるため、今季途中から外野の練習をさせてきました」(球界関係者) シーズン終了直後の話になるが、巨人フロントが今季で契約満了となる主砲・ラミレスを慰留しなかったのは「大田を使うため」との声も聞かれた。しかし、フロントは強打の外野手として、前フィリーズのジョン・ポーカー(28=左投左打)を獲得。原監督は各メディアに来季の打順として、<1番・坂本、3番・長野、4番・阿部、5番・村田>を示唆しており、ポーカー加入後、小笠原と6番を競わせ、ジグザグ打線を編成できる利点も口にするようになった。そうなると、大田は高橋由伸、亀井義行、鈴木尚広、谷佳知、矢野謙次、松本哲也、さらには同期の橋本とも『残る右翼手』のレギュラー争いをしなければならない。それならば、従来の三塁、一塁を守った方がレギュラー定着の可能性が高そうだが…。 「大田の課題は守備です。ファームで盗塁王争いが出来るほど足も速いし、肩も強い方です。守備面での精神的負担が軽い外野手に専念させた方が大田のためです」(前出・同) 秋季キャンプ中(11月18日=2日目)、こんなシーンが見られた。 サンマリン球場で練習が始まる直前、不意に原監督がと大田にこう話し掛けた。 「来年、5番を打ちたいか?」 振り向いた大田は“5番抜擢”の言葉に驚いたものの、「はい、頑張ります」と返した。今オフ、巨人は横浜の4番・村田修一、ソフトバンクのエース・杉内俊哉、パ・リーグ最多勝のホールトンを獲得した。原監督は母校・東海大相模の後輩にも当たる大田には大きな期待を寄せてきた。その大田に「5番を打て!」と檄を飛ばしたところから察するに、今オフの補強は原監督の意志に反する部分もあったのではないだろうか。 異例の檄が飛ばされたこの日、大田は左翼だけではなく、右翼のノックにも挑戦していた。内野への返球を見る限り、やはり肩は強い方である。また、居残り内野守備で絞られていた今春のキャンプ時よりも生き生きしているようにも見えた。 今季のチーム成績では投打ともに補強せざるを得ない。だが、大型補強には巨人ファンも批判的である。その声を一掃できるのは大田しかいないということか。 「いや、大田が大成できるかどうかは、原監督次第ですよ。多少打てなくても試合で使い続けるべきです」(プロ野球解説者) 今季の原采配について、“我慢不足”を指摘するプロ野球解説者は少なくなかった。結果の出ない選手をすぐに引っ込めてしまうので、選手が萎縮してしまったというのだ。 イベントで同僚たちが大田をいじったのは、ポーカー獲得後で「5番抜擢の期待を寄せたことを忘れないでくれ」と、原監督に念押しする目的もあったのかもしれない。
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スポーツ 2011年12月22日 11時45分
“日本人悪役プロレスラーの元祖”上田馬之助さんが死去
髪の毛を金髪に染め、“金狼”と呼ばれた悪役レスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司)が、12月21日午前10時7分、自宅がある大分県臼杵市内の病院で死去した。関係者によると、上田さんは朝食後、のどを詰まらせた様子を見せたため、救急車で病院に搬送されたが、呼吸不全で息を引き取った。享年71歳。 上田さんは40年6月20日、愛知県海部郡(現弥富市)出身。大相撲追手風部屋を経て、60年に日本プロレスに入門。61年4月に故平井光明(スーパー・ヘイト=平井伸和選手の父)戦でデビュー。同団体時代はファイトスタイルも地味な中堅レスラーの域を脱せなかったが、故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木ら主力選手が離脱した後の73年3月には、故大木金太郎さんとのタッグでインタータッグ王座(現在は世界タッグ王座に統合)を奪取した。 同団体崩壊後、いったんは故馬場さん率いる全日本プロレスに合流するも、待遇への不満等の理由でフリーとなり渡米。全米で悪役として活躍した後、76年に国際プロレスに参戦。故ラッシャー木村さんを破って、IWA世界ヘビー級王座も奪取した。当時は日本人=善玉、外国人=悪役の図式があり、日本人でありながら、金髪で悪役としてファイトした上田さんは、まさに日本人悪役レスラーの魁となった。 77年からは新日本プロレスに戦場を移し、タイガー・ジェット・シンと凶悪コンビを結成。このタッグチームは、上田さんの代名詞にもなり、日本中のファンを恐怖のドン底に陥れた。78年2月には猪木とリング下に釘板ボードを敷き詰めて闘う釘板デスマッチを敢行し、プロレス史において伝説の一戦となった。 81年からは全日本に参戦し、ここでもシンとの凶悪タッグで猛威を振るい、インタータッグ王座も奪取した。その後、新日本に出戻り、正規軍とも共闘。日プロ時代、「ガチンコに強い」といわれていた上田さんと、シュートスタイルのUWF軍との激突は注目を集めた。 新日本から去った後はNOW、第2次NOW、IWAジャパンといったインディー団体でファイト。そのIWA参戦時の96年3月、巡業で移動中の車が交通事故に逢い、上田さんは脊椎損傷の大ケガを負い全身不随の身となった。 事故後は熊本県内の病院で治療、リハビリに当たっていたが、98年4月に新日本、力道山OB会協力の下、熊本で引退興行が開催され、上田さんも車椅子で姿を見せた。退院後しばらくは熊本県内で暮らしていたが、夫人の故郷である臼杵市に移り住み、夫人とリサイクルショップを営んでいた。事故から実に16年、上田さんの苦しく厳しい闘病生活は幕を閉じた。 かつてのライバルである猪木は、「また一人、同じ時代を過ごし、闘いを通じて信頼し合えた友人の旅立ちを見送るのは大変辛い気持ちです。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを寄せた。 なお、通夜は23日、葬儀は24日午後1時から臼杵市市浜堂尻1126の玉泉院臼杵会館で、家族葬として執り行われる。喪主は妻・恵美子さん。(最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)
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スポーツ 2011年12月22日 11時45分
アマスポーツ界でハレンチ行為続出!? 今度はレスリング日本代表選手が女性のスカートの中を盗撮で逮捕?
04年アテネ、08年北京五輪の柔道66キロ級で連覇を果たし、2大会連続で金メダルを獲得した内柴正人容疑者(33)が、準強姦容疑で逮捕されたばかりだが、またしてもアマチュアスポーツ界でハレンチ行為が起きていた可能性が出てきた。 疑惑をもたれているのは、昨年の全日本選手権覇者で、9月にトルコ・イスタンブールで開催されたレスリング世界選手権に男子グレコローマンスタイル66キロ級日本代表として出場したA選手(23=警視庁=イニシアルではない)。A選手は世界選手権では3回戦で敗れて9位に終わったが、帰国後、「競技を続ける意欲がなくなった」として、日本レスリング協会に引退を届け出ており、連覇が懸かった全日本選手権(21日開幕)には出場していない。 疑惑の内容はA選手が世界選手権から帰国した後、女性のスカートの中を携帯電話で盗撮したとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕されていたというもの。協会は21日、事実関係の調査に入ったが、高田裕司専務理事は「本人に連絡がつかない。事実なら処分も検討する」と話している。 これは9月19日に盗撮で逮捕された男性が、当時、警視庁警察学校学生の巡査で、A選手と同一人物の可能性があることから浮かび上がったもの。警視庁はこの男性を停職1カ月の懲戒処分とし、男性は辞職した。 現時点では断定はできぬが、もし同一人物であれば、日本スポーツ界にとっては由々しき問題。内柴氏の容疑に比べれば、軽微な犯罪ではあるが、日本を代表するスポーツマンがやるような行為ではない。現在、日本選手権の開催中であるが、1日も早い事実関係の解明が望まれるところ。 競技こそ違うとはいえ、内柴容疑者もA選手も同じ66キロ級。内柴容疑者の犯行は9月19日だったが、犯行日もほぼ同じ。もし、A選手の犯行だったとしたら、なんとも皮肉な偶然な話だ。(落合一郎)
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スポーツ 2011年12月22日 11時45分
仰天! 日本ハムが期限ギリギリまで受諾回答を引き延ばした真相
テキサスレンジャーズがダルビッシュ有(25)と独占交渉へ−−。しかし、米メディア陣は『最悪の状況』も考えていた。最悪の事態とは日本ハム球団が応札金を不服とし、「拒否する」というものだ。 ポスティングシステムには、在籍球団には、2度断る機会が“保障”されている。1つは選手からその申し出があったとき。もう1つは、入札球団があったとしても、その応札金額に納得いかなければ“ご破算”にできるのである。日本ハム側に『最高入札額』が知らされたのは、12月15日。正式に受諾したのは同20日。球団側の説明によれば、「19日の夜遅くに決まった」とのことだが、ルールに定められていた回答期限は、21日午前7時(米東部時間20日午後5時/4営業日以内に)。つまり、締め切りまで24時間を切っていたわけだ。米メディア陣の1人がこう言う。 「メジャー全球団がダルビッシュを追いかけてきました。各担当スカウトは独自ルート、知人等を使ってさまざまな情報を集めてきました。だから、日本ハムという球団がどういう考え方なのかは分かっているつもりです。慎重に物事を進める球団だと解釈されています」 しかし、最高額入札球団とその金額が報告されてからというもの、日本ハム側の対応は不可解なものも多かった。 青木を送り出す東京ヤクルト、中島を見送ることにした埼玉西武は最高額入札球団が告げられるのとほぼ同時に、受諾の連絡を入れている。また、回答期限の前日(19日)、日本ハムの大社啓二オーナーが報道陣に囲まれたときのことだ。オーナーは不機嫌そうな顔を浮かべ、こう答えている。 「日にちが決まっているので(回答期限)、指定された日までに返事を出すというのは、島田(利正・球団代表)が言っている通り。非常に大きな問題。これからのことも考えて…」(共同通信配信より) このとき、「拒否の可能性もゼロではない」と察した関係者も少なくなかった。 日本ハム球団は何故、受諾回答にこんなにも時間を掛けたのか…。予想していた金額よりも「最高落札金額が安かったからだろう」と予想する声も多く聞かれたが、それだけではないらしい。 「ダルビッシュと日ハムが内々に連絡を取り合っていたようです。ダルビッシュがテキサスレンジャーズとの交渉を前向きに進めるのかどうかを確かめたかったようです」(球界関係者) 今回の米挑戦において、ダルビッシュ側にも『譲れない一線』があったのは、本編でも再三伝えてきた。『3年20億円が最低ライン』だったそうだが、さらに代理人を通じて、メジャー各球団がどこまでこちらの『要望』を受け入れてくれるか、内々にリサーチしていたという。 「ダルビッシュ側の要望? 通訳、専属トレーナー、調整方法についてです。松坂(大輔)はレッドソックスと大型契約を交わしましたが、調整方法に関しては球団の言いなりです。ダルビッシュにもここまで築き上げてきた独自の調整方法があって、メジャー移籍を機に、全てを変えるつもりはありません。練習内容や調整方法に関して、どこまで自己主張が許されるのかどうか、確認したかったんです」(同) 大型契約の先輩・松坂がレッドソックスの強要する調整方法に不満をブチまけたのは1度や2度ではない。右ヒジにメスを入れたのも、レッドソックスの調整方法が遠因になったと言っていいだろう。 選手の側からすれば、ポスティングシステムでは交渉球団を選ぶことは出来ない。松坂の二の舞を恐れ、日本ハム側はダルビッシュ側にも“内偵調査”をさせる時間を与えたのだろう。受諾回答が遅れたのは、ダルビッシュと日本ハム球団の信頼関係によるものと言っていい。
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スポーツ 2011年12月21日 15時30分
ソフトバンク孫オーナーも怒った! 杉内流出許した東大出身エリートフロントに厳罰!
ソフトバンク杉内俊哉投手(31)の巨人への流出を許した発端をつくったとして、12月20日、同球団は小林至取締役兼執行役員編成育成部長(43)の引責辞任を発表。同日付で海外担当兼中長期戦略担当部長への事実上の降格異動を決めた。 杉内は19日の会見で、昨オフの契約更改交渉時に某球団幹部から、「FAしても名乗りを挙げる球団があるのですか?」といった主旨の発言をされ、球団への不信感をぬぐえなかったことが移籍の大きな要因となったことを涙ながらに語った。 同球団は杉内引き止めに当たって、4年総額20億円を提示。巨人の条件も同等で、金銭的な条件に差はなかった。移籍するとなると、引っ越しを伴うが、「1年、野球に集中すれば、わだかまりもなくなると思っていたけど。ただ、個人の感情的なことで移籍するのは正直、大人げないと思う。でも、感情の部分が戻らなかった」(杉内)と語った。 球団には某球団幹部への苦情の電話やメールが殺到。インターネット上でも批判が相次ぎ、孫正義オーナーの逆鱗にも触れた。孫オーナーはツイッターで「厳しく処置したく思います」と書き込んで、担当者への厳罰を予告していた。 責任を取って辞任をさせられたのが小林取締役で、昨オフ、杉内に非礼な発言をしたのは同氏であったことが判明した。辞任に当たって、小林氏は「杉内投手が残留できなかった点と、ファンにご迷惑を掛けることになった責任を取りたい。不用意な発言で杉内投手にご迷惑をお掛けした。誤解を生む発言をしてしまった」と話しているという。 小林氏は91年のドラフト8位で指名され、翌92年に千葉ロッテに入団。史上3人目(当時)の東大出身のプロ野球選手として話題になった。しかし、1軍登板はなし。2軍ですら1勝もできず、わずか2年間で自由契約となり現役引退。米国に渡って、コロンビア大学経営大学院を修了し、ケーブルテレビ局「ザ・ゴルフ・チャンネル」で通訳、翻訳、解説などに従事。帰国後、江戸川大学社会学教授などを経て、05年に同球団取締役に就任。昨年からは編成育成担当部長を兼務していた。 球界では数少ない東大出のエリートフロントだが、今回の件はまさに“口は災いの元”の典型的な例。移籍を決めた杉内は地元福岡県出身で、球団としてもファンとしても、生涯ホークスを貫いてほしかった選手。杉内の流出は単なる一FA選手の移籍ではすまされない問題で、同球団にとっては痛い話だ。(落合一郎)