スポーツ
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スポーツ 2012年01月18日 15時30分
シーズン総括 キャンプ直前補強はあるのか? 埼玉西武編
「85」−−。ライオンズといえば、攻守に渡る堅実な野球のイメージも強かった。秋山、清原、デストラーデのクリーンアップは破壊力バツグンだったが、『西武ライオンズの黄金期』といえば、「1点を取る」以上に、「1点をやらない」スタイルだった。その野球スタイルが強く印象に残っているせいか、2011年の走攻守のデータを見直してみると、「アレ!?」と首を傾げてしまう内容も少なくない。 気になったのは、12球団ワーストの失策数「85」だ。チーム防御率3・15(4位)。チーム総盗塁数「88」はリーグ4位。盗塁数トップはソフトバンクの「180」だから、その半分にも及ばない。しかし、チーム打率2割5分3厘はリーグ2位、チーム総得点の「571」、チーム総本塁打数の「103」はリーグトップだ。本塁打と打点の二冠王に輝いた中村剛也(28)のおかげだが、『守りの野球』から『攻撃野球』に完全に変貌している…。 また、渡辺久信監督(46)にすれば、ここまで投手陣のやり繰りにも苦労させられるシーズンはなかったのではないだろうか。 まず、先発投手だが、規定投球回数に達した先発投手は涌井秀章(25)と帆足和幸(32=FAでソフトバンクに移籍)の2人。1年間を通じて、ローテーションをきちんと守ったのは「この2人だけ」ということになるが、2010年も涌井、帆足のみの規定投球回数到達だった。菊池雄星(20)、大石達也(23)の成長に期待したい。 涌井は2010年の14勝から9勝、帆足は11勝から9勝へ。ともに勝ち星を落としているが、2011年はベテラン・西口文也(39)が復調。新人王・牧田和久(27)の活躍もあり、プラス材料も少なくなかった。それでも、渡辺監督がやり繰りに苦しんだのは、クローザーが“欠落”してしまったからだ。 序盤戦は岡本篤志(30)が奮闘した。当初は前年33セーブを挙げたスコースキー(37)、復調に懸けるグラマン(34)を予定していたが、震災の影響で外国人選手は調整を怠り、岡本に託さざるを得なかった。2010年の先発要員だったミンチェ(35=許銘傑)を中継ぎに、新人で先発タイプの牧田をクローザーに配置転換して巻き返してみせたが、前半戦でもたついた分、3位争いは144試合目まで続いた。3割3分4厘まで落ち込んだチーム勝率が5割3厘7毛まで回復できたのは、9月の大逆襲があったから。同14日から引き分け2つを挟み、10連勝。その牽引役となったのはベテラン西口だった。 西口は06年6月以来となる完封(8月28日)、9月18日まで自身4連勝を飾り、それに涌井、帆足、岸が続き、ようやく先発陣の足並みが揃った。クローザー・牧田について、投手出身のプロ野球解説者がこう評する。 「アンダースローだが、バッターボックスに立つと、彼の直球は数値以上の速さを感じさせます。それが彼の持ち味なんですが、走者を背負うと、直球が遅くなる。連投になったときも直球のキレが悪くなる弱点もあり、クローザータイプではありません。臨時措置とはいえ、救援失敗で炎上するのは時間の問題だった」 39歳のベテランがローテーションの中核を託され、クローザーの適性を持たない牧田が救援にまわるなど、2011年は特異なことが多すぎた。 “特異”といえば、本塁打王・中村の記録もそうだった。自身3度目の同タイトル獲得だが、2位に23本もの大差を付けたのは史上初。中村の放った48本は2011年のパ・リーグ総本塁打454本のうち、1割強となり、その占有率でも過去最多となる。134個の三振で『三振王』ともなった(リーグタイ)。「本塁打王のタイトルを獲得した年」の中村は、必ず『三振王』ともなる。『本塁打王&三振王』のダブル受賞を3度も記録したのは、元近鉄・ブライアントと中村だけだ。 超僅差で3位に滑り込んだ最終戦はドラマティックではあったが、投手力と守備力を再整備しなければ、中村のバッティング同様、さらに豪快かつ大味なチームとなっていくだろう。もっとも、過去の野球スタイルにとらわれず、現有戦力の長所を引き出した渡辺監督の手腕は評価すべきだが…。※2012年1月の配布資料にチーム防御率に関する誤植がありました。関係者に多大なご迷惑をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。
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スポーツ 2012年01月18日 11時00分
公益法人化でモメる相撲協会
相撲協会が2年後の平成25年11月末までに移行を目指す公益財団法人化で、最大の関門になっている年寄名跡問題が紛糾している。 「税金面などで優遇される公益財団法人化を目指すには、高額で譲渡されている個人名義の年寄名跡が公益性という点でどうしても引っかかる。これを修正するため、協会内に設置された公益法人制度改革委員会(委員長=放駒理事長)は、親方たちが退職する際に年寄名跡を協会に返上し、その代わりに退職金とは別に一定額の功労金を上乗せするという案を取りまとめ、親方たちに提示したんです。年寄株の協会一括管理化で、これ以外に問題をクリアする方法はないと言い切っています」(協会関係者) とはいえ、この案も問題点は多い。年寄名跡は105もあり、協会のフトコロ具合から一定額の功労金は4、5000万円が限度、と言われているが、親方たちの中には3億円以上支払って年寄名跡を入手した者もいる。この億単位の差額をどうするのか。また、名跡の持ち主は退職するときに後継者を推薦できることになっているが、最終決定は理事会がする。しかし、その際の決定基準はどうなっているのか、などだ。 「後継者指名権も一つの利権なので、中には高額の推薦料を要求する者が出てくるかもしれない。協会主脳は、そういうヤカラに厳しいペナルティーを課す、と言っているが、裏でやられると手の出しようがない。何百年も続いてきたものを一気に変えようというんだから、大変な作業なんですよ」 と協会幹部は話しているが、突きつめれば協会よりも親方たちの流す血の方が断然多い。このため、いくら協議を重ねても親方たちの合意をなかなか得られないのだ。 「監督官庁の文科省から年内に改善方針を決定するように、と厳しく言われているので、協会も必死。現執行部には任せられないので、来年1月の役員改選で新理事長が誕生するまで待とう、という親方も出て、年内にまとまるメドはついていません」(担当記者) 今年も大相撲界はトラブルに始まってトラブルで暮れようとしている。
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スポーツ 2012年01月17日 11時45分
ゴジラ松井がアノ人と一緒にロスに行く!?
松井秀喜(37)が年末年始を郷里・石川県で過ごしたのは既報通りだが、02年オフのメジャー挑戦以降、去就が決まらないで里帰りしたのは、今年が初めてである。松井は「焦り? 全然ないですよ」と語っていたが(12日)、この余裕は何処から来るのだろうか。 松井が帰国の途に着いた昨年末、興味深い一報がアメリカ国内で報じられていた。 <ダルビッシュとの独占交渉権を落札したレンジャーズとの大型契約を花道にして、ドジャース幹部に転身するようだ> ダルビッシュ有(25)の代理人、アーン・テレム氏に“転職”の可能性が出てきたという。『ロサンゼルス・タイムズ』(30日付)によれば、<新生ドジャースの球団社長に就任するかもしれない>ともあった。昨年6月、ロサンゼルスドジャースは『連邦倒産法第11章』の適応を申請している。事実上の倒産に直面した伝統球団は、大富豪のスティーブ・コーエン氏が出資する企業グループに買収される方向だ。テレム氏はそのコーエン氏の買収グループにも参画しているのだ。コーエン氏を始め、複数の幹部役員が「新社長の適任者として、テレム氏の名前を挙げている」とあった。 その一報は松井の去就にも影響を与えるのではないだろうか。 ドジャースの監督は、ヤンキース時代の松井を指導したドン・マッティングリー氏だが前任のジョー・トーリ氏も幹部として球団に残っている。 米ウインターミーティングを開催されていた昨年12月、松井に対するドジャース関係者のコメントがいくつか報じられていた。 「プロフェッショナルなベテランの左翼手が必要」(ネッド・コレッティGM/12月6日共同) 「彼(松井)ほど安定して打点を稼げる打者はいない」(マッティングリー監督/12月12日付・スポーツニッポン) 「松井は(チームが目指す)左打者獲得候補の1人。リストの上位」(球団幹部/12月12日・スポーツ専門局ESPN電子版) 米メディアの1人がこう続ける。 「ドジャースはセンターのケンプ、ライトのイーシアーのレギュラーは決まっているものの、レフトは流動的です。松井の両ヒザは完治しているとの情報はこちらでも聞かれますし、指名打者制のないナショナルリーグでも十分にやっていけるでしょう」 帰省中、松井は日本球界への復帰は「ない」と言い切っている。「マイナー契約しかなかった場合は考え直すのではないか?」との見方もあり、実際、松井は「そのとき考える」と明言を避けている。 「古巣のヤンキースが指名打者候補に考えていたポサタが引退し、松井の姓が急浮上しているとの一報も、こちらではありました。ポサタは本人の意思ではなく、球団が半ば強引に引退させています。その経緯については『松井を獲るため』という見方も、『ポサタのメンツを潰すような補強はない』という声の両方がありますが…」(前出・同) ダルビッシュとレンジャーズの契約交渉は大詰めを迎えたようだが、テレム氏はNBAの労使協定の仲介役も託されており、松井の去就問題については「手付かずになっている」そうだ。しかし、「手付かず」にできるということは、ドジャース入りの見通しが立っているからではないだろうか。※メジャー関連の球団名、人物名のカタカナ表記は『大リーグ選手名鑑2011年版』(廣済堂出版)を参考にいたしました。
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スポーツ 2012年01月16日 15時30分
福島原発事故の余波でJリーグ・名古屋グランパスにピンチ到来!
中部電力がサッカーJ1リーグの名古屋グランパスの公式スポンサーから、撤退することが濃厚となった。 福島原発事故の影響で、政府の要請に基づいて浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)が全面停止となり、中部電力の業績が悪化。12年3月期の連結決算で1100億円の赤字となる見通し。同社が赤字に転落するのは、51年の会社設立以来初で、由々しき問題。同社では広告宣伝費などを大幅に削減する方針で、グランパスの公式スポンサーからも下りる方向で検討している。グランパスの運営会社への出資は継続する予定で、将来的に浜岡原発が再開し、業績が回復すれば、公式スポンサーに復帰したい意向だ。 同社広報部によると、「決定ではない」と明言を避けているが、すでにグランパス側に撤退する意向を伝えており、今年のユニフォームが決まる今月末までに最終的な方針を決定するという。 グランパスの公式スポンサーはトヨタ自動車、中部電力、トヨタファイナンス、アイシン精機、デサントの5社。中部電力は08年からスポンサーとなり、ユニフォームの袖に社名広告を出しており、スポンサー料は数百万円から1000万円強と見られている。 グランパスは一度もJ2に降格したことがない名門クラブ。05年は14位、07年は11位と低迷したが、08年にドラガン・ストイコビッチ監督が就任すると、成績も上向き、10年にはJリーグ初優勝。昨季も好調で、優勝した柏レイソルに、わずか勝ち点1及ばず、惜しくも2位に終わった。天皇杯は95、99年の2度制している。昨季のJリーグ公式戦の観客動員数は28万4590人(1試合平均1万6741人)で、J1で4位の人気クラブだ。 やむを得ない状況とはいえ、ここ2年間、好成績を残しているだけに、クラブの財政を支える公式スポンサーが1社はずれるのは、非常に痛い事態だ。(落合一郎)
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スポーツ 2012年01月16日 15時30分
八百長でクビになった元力士がアントニオ猪木の元でプロレスデビュー!
IGFプロレスリング・アントニオ猪木会長が、1月15日、会見を開き、大相撲元十両の霧の若(28=本名・岡本将之)が、2・17東京ドームシティホール大会でデビューすることを明らかにした。 霧の若は一連の八百長問題で関与したと認定され、昨年4月に日本相撲協会から引退勧告を受けて、相撲界から去っていった。昨年4月28日には、同所でのIGFの興行に、千代白鵬、旭南海らとともに来場していた。八百長問題で処分を受けた元力士が、他のプロスポーツでデビューするのは、霧の若が初めてとなる。猪木会長は「(体が)もうひと絞りできればいい。寝技の素質がある。本当は12月にという話もあった」と好評価している。 霧の若は熊本県出身で、99年3月に陸奥部屋に入門。長く幕下で伸び悩んだが、08年1月の初場所で新十両に昇進。現陸奥親方(元大関・霧島)が育てた初の関取となった。同年11月の九州場所では幕下に陥落したが、09年3月の春場所で再十両。同年9月の秋場所では最高位の十両4枚目まで昇進した。その後は10年7月の名古屋場所で再び幕下陥落。引退勧告を受けた際の昨年夏場所(技量審査場所)での番付(順席)は東幕下28枚目だった。十両在位は13場所、通算成績は310勝291敗。 IGFには大麻取締法違反(所持)で逮捕され、協会を解雇された元幕内・若麒麟こと鈴川真一が所属しているが、霧の若は鈴川と同年齢で、99年3月の春場所でともに初土俵を踏んだ同期生である。 ワケありでプロレス入りした鈴川もそうだが、霧の若も事情が事情だけに、デビューすれば、好奇の目にさらされることになる。必然的にファンやマスコミの目も厳しいものになるであろう。霧の若はまだ28歳と若く、“八百長力士”のレッテルを吹き飛ばすようなファイトを期待したいところだ。(落合一郎)
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スポーツ 2012年01月16日 11時45分
シーズン総括 キャンプ直前補強はあるのか? 広島東洋編
14年連続−−。1997年シーズンに3位になって以来、広島東洋カープは“万年Bクラス”に喘いでいる。特定選手に敗因を押し付けるつもりはないが、主力投手陣は前年に比べ、成績を落としている。エース・前田健太(23)が前年15勝から10勝、ジオ(33)が8勝から3勝、6勝を挙げたスタルツ(32)は退団。前年34試合に登板し、6勝6敗だった篠田純平(26)は5勝7敗へ…。しかし、悲観する材料ばかりではない。2010年は規定投球イニングに到達したのは前田1人だったが、2011年はバリントン(31)、福井優也(24)も加わり、今村猛(20)、岩見優輝(24=ドラフト2位)、弦本悠希(22=同7位)といった若手も頭角を現した。新人・野村祐輔(22=明大)がそれなりの成績を上げれば、投手陣はなんとかやっていけるのではないだろうか。 2011年は『打撃陣』の脆さを痛感させられたシーズンでもある。開幕から3番を託された廣瀬純(32)が、右太股を故障で中盤戦からいなくなった。廣瀬離脱も痛かったが、今季喫した76敗のうち、「0対1」が10試合、「1対2」が6試合、「3対4」が5試合…。30敗が「1点差」で敗れたものなのだ。93年シーズンも「1点差負け試合」が「29試合」があったが、数字上では、昨季が球団史上、もっとも1点差負けが多かったということになる。 この話を広島関係者にぶつけてみると、「5番バッターの適任者がいなかったからねえ〜」と嘆いていた。 5番の人材難か…。144試合のスタメン表を繙いてみると、野村謙二郎監督(45)は、12人を5番に入れている。しかし、この12人が5番の打順で放った本塁打は僅か3本、巨人は5番打者が27本塁打を放っており、他4球団も少なくても、15本塁打以上を打っていた。打撃陣の大きな補強は、ドラフト4位の土生翔平外野手(22=早大)だけ。4季連続打率3割、3年秋に首位打者も獲得したように、「5番=長距離タイプ」のバッターではない。 時系列で2011年を振り返ってみると、4月17日には首位浮上。5月25日の西武戦で涌井に完封されると、以降は完全に調子を落とし、6月6日まで10連敗。5月26日の西武戦5イニング目から50イニング連続無失点(セ・リーグワースト)という不名誉な記録も作ってしまい、5月、6月の不振(39試合23敗)を最後まで取り返せなかった。丸佳浩(22)の成長が救いだが、57試合に登板したリリーフのサファテ(30)がいなかったら、もっと負けていたかもしれない。サファテは9月27日に故障帰国しており、シーズン終了まで元気だったら、セーブ王のタイトルは十分に狙えた。60イニング3分の2を投げても、自責点9の好ストッパーを持ちながら、1点差ゲームに弱いのは、「打撃陣の不甲斐なさ」につきる…。 古葉竹織監督時代の1979年、チーム平均打率は12球団ワーストの2割5分7厘だった。それでも、同年は優勝、日本一に輝き、昨年の落合中日もチーム平均打率2割2分8厘でペナントレースを征している。広島チーム平均打率・2割4分5厘は、79年の古葉カープよりも『下』だが、2011年データではセ・リーグ2位なのだ。統一球の影響である。 乱暴な比較になるが、79年の広島には江夏豊という絶対的クローザーがいて、昨季の中日にも岩瀬、浅尾がいた。古葉時代の足を絡めた攻撃に回帰し、継投策で逃げ切るというスタイルを徹底すべきではないだろうか。(一部敬称略)
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スポーツ 2012年01月14日 17時59分
シーズン総括 キャンプ直前補強はあるのか? 北海道日本ハム編
「被打率1割8厘」−−。2リーグ制後、2点未満の防御率を5年続けたのは、ダルビッシュ有(25=ポスティングによる米挑戦)だけである。そのダルビッシュが相手打者を2ストライクまで追い込んだ後の「被打率」が1割8厘であり、この数値は往年の江夏豊の「1割1分1厘」を上回るものである。ダルビッシュは変化球の持ち球も豊富だ。2ストライクまで追い込まれると、いかに打ち崩すのが難しいかを証明する数値でもある。 2011年の日本ハムは「ダルビッシュがチームの明暗も握っていた」と言ってもいいだろう。 ダルビッシュが『10勝一番乗り』を遂げたのが、6月30日。8月に入って、ケッペル、ウルフの両外国人投手が2ケタに到達したが、この時期、首位・ソフトバンクを僅差で追っており、チームの牽引役はダルビッシュだった。8月31日の千葉ロッテ戦で16勝目を挙げ、この時点で最多勝レースの2位投手を3勝も引き離していた。「投手タイトル独占の予感」と同時に、逆転優勝の機運も高まってきたわけだが、9月5日からのソフトバンクとの直接対決で3連敗を喫し、ゲーム差も「7」まで広がってしまった。その3連敗の敗戦投手の1人にダルビッシュも含まれていたのだ。 ダルビッシュは直接対決の第2ラウンドに先発。失点は「1」。味方打線の援護に恵まれなかっただけだが、同23日までの4試合に先発し、32イニングを投げ、勝ち星ナシ。もっとも、この4試合の防御率は「1・13」だから、不振に陥ったわけではない。しかし、ダルビッシュが『勝ち運』に見放されたのと同時に、チームは大きく失速。9月の1カ月間で6勝18敗と負け越し、逆転優勝は絶望的なものとなってしまったのである。 10月18日のチーム最終試合、先発が予想されていたダルビッシュが登板を回避した。その理由は「若手にチャンスを与えたい」(本人談)というもの。23歳の吉川光夫がチャンスをもらったが、16日時点で田中将大が19勝目を挙げている。18勝でラスト登板を譲った若手とは、田中を指していたのではないだろうか。「オレがいなくなった後の日本球界を頼む」という、思いで…。 5年連続・防御率1点台の大エースを喪失したが、投手陣の補強には積極的ではないという。ドラフト1位・菅野智之の入団交渉に失敗した(1月6日時点)。何よりも、それなりの力を持った先発投手はどの球団もトレード放出しない。ケッペル(14勝)、ウルフ(12勝)、途中加入のスケールズの残留が決定。前横浜・スレッジの帰還も決まったため、外国人選手をダブらせたくないという球団方針もあって、補強先を海外に向けることもできなくなった。斎藤佑樹に多少の上積みを期待するとしても、投手力のレベルダウンは避けられない。しかし、外国人投手ではなく、スレッジを帰還させたことで、打線に厚みが増したのは間違いない。中田翔が成長しつつあり、今季は故障した田中賢介も帰ってくる。ベテラン・稲葉、糸井嘉男、陽岱鋼…。日本ハムは99年の『ビッグバン打線』のようなビッグイニングを作れる強力オーダーを編成し、最後はクローザー・武田久が締めるというスタイルに変貌するのではないだろうか。
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スポーツ 2012年01月13日 15時30分
横浜DeNAが村田の人的補償で“お騒がせ男”藤井を獲得! 中畑監督は使いこなせるのか?
横浜DeNAは1月11日、FAで巨人に移籍した村田修一内野手の人的補償で、藤井秀悟投手(34)を獲得したことを発表した。横浜DeNAは駒不足の左の先発として期待している。 藤井といえば、かつてはヤクルトの左のエースとして活躍し、2年目の01年には14勝を挙げ、最多勝も獲得したほどの選手。そんな実績がある藤井がプロテクトからもはずされていたというのはどうしたものか。 藤井はヤクルト時代、“お騒がせ男”として名を馳せた。不倫騒動、サッカーW杯を観戦に行って風邪を引いて登板回避、交通事故、顔面付近の投球に怒ったタイロン・ウッズ(当時中日)に舌を出し殴られる、ヒーローインタビューで翌日の先発投手をばらす、母校・早大の選手に焼肉をおごりプロアマ規定に抵触、フリーアナウンサーとの車内キスを写真週刊誌に掲載される等々、グラウンド内外での騒動は数知れず。 あまりの奇行ぶりに、面倒見きれなくなったヤクルトは07年オフに藤井を放出。日本ハムに移籍したが、2年間で10勝止まり。09年オフにはFA宣言したが、どこも引き取り手がなく、本人が巨人志望だったこともあり、巨人がやむなく引き取った経緯がある。 移籍1年目の10年には7勝をマークしたが、11年シーズンはわずか1試合の登板に終わって、プロテクトからもはずされていた。 ヤクルト時代には“巨人キラー”として鳴らし、01年には巨人から5勝、通算で13勝を挙げている。古巣の巨人戦に闘志を燃やす横浜DeNA・中畑清監督は、その実績に期待を寄せての獲得だ。 巨人時代はさすがに気を遣ったのか、目立ったトラブルもなく、おとなしくしていた藤井だが、巨人ブランドからはずれることで、タガがはずれる懸念もある。藤井の2ケタ勝利は05年の10勝以来、6シーズンもない。横浜DeNAで復活できるかどうかは、中畑監督の手綱さばきにあると見ていいだろう。(落合一郎)
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スポーツ 2012年01月13日 11時00分
現地レポート ダルビッシュが「潰される」メジャー移籍全情報(2)
ダルビッシュが好んでマスクを被らせてきた鶴岡慎也(30)が今季は故障で出遅れ、開幕は'09年のドライチ捕手の大野奨太(24)が代役を務めたが、結果は自己ワーストの7失点で途中降板。“枕が変わると眠れない”神経の細かさを見せてしまったのだ。 「試合途中、ダルと大野はサインも変えています。大野のサインに首を振り続け、平常心を失い、捕逸のミスまで誘ってしまいました。ダルは投げたい球種を投げ、それで抑えてきた天才肌。球場の特質、環境の変化などに対する適応能力も高いが、神経質な一面もある」(日ハム担当記者の一人) また、覚悟しなければならないのが、米南部の土地柄だ。事実、米メディアの一部ではイラン人の父を持つダルへの人種差別を指摘する声もあった。前出・友成氏は「レンジャーズに在籍した日本人投手はダルが初めてではないし、大塚や伊良部の時代にさかのぼっても、その手の話はなかった」という。 しかし、現地特派員の一人は「バッシングの質が違う」という。メッツ時代、かつて松井稼頭央が餌食にされたように「ミスをした選手、期待外れに終わった高年俸選手」に対し、米メディアとNYのファンは容赦しなかった。しかし、テキサスのバッシングは、こうしたファンとは異なり、日本では考えられないような報道もされている。 「レ軍には'10年ア・リーグMVPのハミルトンがいます。彼はアルコール中毒、薬物中毒から再起した経歴があり、今では完全に立ち直っています。しかし、'09年のキャンプ前、彼が上半身裸になってナイトクラブで騒いでいる写真が報じられたんです。それも、『飲んだくれてコカインを欲していた』と…。しかし、調べてみたら、写真はかなり以前のものだということ判明した」(同特派記者) 全てのメディアがそうだとは言わないが、“悪意”のある報道も少なくないのだ。 「私も現地に行ったことがありますが、9月夜なのに気温が32度もあって、まさに“ダラスの熱い日”でした。空調の効いたドーム球場から高温乾燥の野外球場への移籍ですから、体調管理も大変だと思います」(友成氏) 本来ならば、栄養や健康を管理してくれるのが紗栄子夫人。だが、離婚や慰謝料問題も未解決。ダルのテキサス行きは不安要素いっぱいと言わざるを得ない。
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スポーツ 2012年01月12日 11時00分
現地レポート ダルビッシュが「潰される」メジャー移籍全情報(1)
メジャーリーガー・ダルビッシュ有(25)の誕生が確定的だが、その未来は決して明るくないようだ。高温乾燥の土地柄に中4日のローテーション、人種差別…と、幾重にも重なる困難が待ち受けていた−−。 ダルビッシュを落札したのは、テキサスレンジャーズ。“伝説の奪三振王”ノーラン・ライアンが球団社長を務めるレ軍は「ダルの本命だった」という。 「日ハムは明らかにしませんでしたが、米各紙の報道によれば、落札額は5170万ドル(約39億円)。『松坂大輔の5111万ドル(約60億円/当時)を上回る争奪戦』として全米に報じられました。しかし、松坂も巨額な落札金、高額年俸で契約しなければ、ここまで叩かれることはなかった。ダルの不幸は既に始まっており、全米が好奇の目線を向けています」(スポーツライター・飯山満氏) レ軍は2年連続でワールドシリーズ決勝戦に勝ち上がった強豪チームである。先発枠5人は埋まっているが、ライアン社長はダル加入について「嬉しい悩み」とコメントしていた。日本球界の至宝といえども、レギュラー争いは楽ではあるまい。移動も多く、なおかつダルは中4日での登板の経験はほとんどない。さらに、夏は気温が40度にも達するアーリントンがホームなだけに、体力的な心配は尽きない。 また、本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンはメジャー30球団で被本塁打率がワースト1位ということでも知られている。 メジャーリーグ名鑑を編著しているスポーツジャーナリスト・友成那智氏がこう解説する。 「比較的広い球場にもかかわらず、“ヒッター・パラダイス”なのは、夏場の高温に加え、空気が乾燥しているからです。大魔神・佐々木もこの球場を大の苦手にしていましたし、建山は9月に2試合連続で満塁本塁打を喰らっています」 日ハム時代の先輩にも当たる建山義紀(36)は今季44イニングに登板して、被弾は「8」。本拠地球場のあるテキサス州のアーリントンが、いかに高温乾燥地帯なのかがわかる。 「フライアウトピッチャー(フライでアウトをとる投手)は大変です。失投が即本塁打になる。ダルビッシュはシンカー、スライダーなどを操って、『ゴロアウト』も取れるので、なんとかやっていけると思いますが…」(友成氏) 成功のカギは変化球と配球術にあるようだ。しかし、レ軍の正捕手はマイク・ナポリ。典型的な『打』の選手で、ボールキャッチ、配球、スローイングの実力は全て平均以下。日本式の配球も通用しないと言われている。建山も帰国直後の会見でダルに次のようにアドバイスしていた。 「いろんなことを気にしすぎない方がいい。ある種、適当な感じの方がいい」 建山によると、レ軍ナインからダルについて色々と質問されているそうだが、いくら元同僚でも今季の“事件”については知るまい。ダルは今季の開幕戦で、捕手(配球)に関する弱点を露呈している。