2011年の日本ハムは「ダルビッシュがチームの明暗も握っていた」と言ってもいいだろう。
ダルビッシュが『10勝一番乗り』を遂げたのが、6月30日。8月に入って、ケッペル、ウルフの両外国人投手が2ケタに到達したが、この時期、首位・ソフトバンクを僅差で追っており、チームの牽引役はダルビッシュだった。8月31日の千葉ロッテ戦で16勝目を挙げ、この時点で最多勝レースの2位投手を3勝も引き離していた。「投手タイトル独占の予感」と同時に、逆転優勝の機運も高まってきたわけだが、9月5日からのソフトバンクとの直接対決で3連敗を喫し、ゲーム差も「7」まで広がってしまった。その3連敗の敗戦投手の1人にダルビッシュも含まれていたのだ。
ダルビッシュは直接対決の第2ラウンドに先発。失点は「1」。味方打線の援護に恵まれなかっただけだが、同23日までの4試合に先発し、32イニングを投げ、勝ち星ナシ。もっとも、この4試合の防御率は「1・13」だから、不振に陥ったわけではない。しかし、ダルビッシュが『勝ち運』に見放されたのと同時に、チームは大きく失速。9月の1カ月間で6勝18敗と負け越し、逆転優勝は絶望的なものとなってしまったのである。
10月18日のチーム最終試合、先発が予想されていたダルビッシュが登板を回避した。その理由は「若手にチャンスを与えたい」(本人談)というもの。23歳の吉川光夫がチャンスをもらったが、16日時点で田中将大が19勝目を挙げている。18勝でラスト登板を譲った若手とは、田中を指していたのではないだろうか。「オレがいなくなった後の日本球界を頼む」という、思いで…。
5年連続・防御率1点台の大エースを喪失したが、投手陣の補強には積極的ではないという。ドラフト1位・菅野智之の入団交渉に失敗した(1月6日時点)。何よりも、それなりの力を持った先発投手はどの球団もトレード放出しない。ケッペル(14勝)、ウルフ(12勝)、途中加入のスケールズの残留が決定。前横浜・スレッジの帰還も決まったため、外国人選手をダブらせたくないという球団方針もあって、補強先を海外に向けることもできなくなった。斎藤佑樹に多少の上積みを期待するとしても、投手力のレベルダウンは避けられない。しかし、外国人投手ではなく、スレッジを帰還させたことで、打線に厚みが増したのは間違いない。中田翔が成長しつつあり、今季は故障した田中賢介も帰ってくる。ベテラン・稲葉、糸井嘉男、陽岱鋼…。日本ハムは99年の『ビッグバン打線』のようなビッグイニングを作れる強力オーダーを編成し、最後はクローザー・武田久が締めるというスタイルに変貌するのではないだろうか。