スポーツ
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スポーツ 2012年02月09日 11時00分
横綱昇進が遠い把瑠都
大相撲初場所は、本命の横綱白鵬が終盤に大崩れしたため、大関把瑠都(27、尾上)が13日目に早々と初優勝を決めた。 大関の13日目優勝決定は平成14年九州場所の朝青龍以来。 「把瑠都がこれまで優勝できなかった最大の原因は、相撲が荒っ削りで、ポカが多かったから。とりわけ序盤の取りこぼしが目立ち、先場所も4日目までに3敗したが、5日目以降は1敗しかせず、千秋楽には全勝優勝を目指す白鵬を破っています。もう少し謙虚さと緻密さがあったら、とっくに横綱に上がり、優勝回数も2ケタ台に乗っていたんじゃないでしょうか」(協会関係者) 把瑠都が入門前、エストニアでナイトクラブの用心棒をやっていたのは有名だ。そのせいか、トラブルとはやたら縁が深い、それも、解決する側ではなく、起こす側として。力士の服装規定に反して短パン、ティーシャツ姿で繁華街をウロつき、協会主脳からお目玉を食ったことがこれまで2度もある。さらに大相撲界の再生を目指した去年の5月技量審査場所でも、「お客さん、無料ですから、たくさん観に来てくれている。でも、悪いけど遊びの場所みたいだ」とノーテンキ発言をし、役員室に呼び出されて厳重注意を受けている。 しかし、一向にトラブルとは縁が切れず。この初場所12日目の稀勢の里戦でも、立ち合いに左に大きく変わって叩きこみ、観客のブーイングを浴びた。 「とりわけ、横綱昇進のカギを握る横審の怒りは相当なもの。鶴田卓彦委員長は、幕下力士なら変化するのもいいけど、横綱はみんなに範を示さなければいけない立場、変化するような大関に横綱になる資格はない、とカンカン。この優勝で次の春場所は綱取りがかかるけど、ひと揉めしそうな雲行きです」(担当記者) 大相撲界に揉めごとのタネは尽きない。
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スポーツ 2012年02月08日 17時33分
球春慟哭スクープ ベンチ裏は殺伐 阪神が強行する金本、城島ベテラン粛清
豪華補強の巨人の裏で、ベテラン陣の一掃を図っているのが阪神だ。広岡達朗氏(79)から「コーチの心得」を説かれたコーチ陣が、アニキ金本(43)、城島健司(35)、桧山進次郎(42)らのレギュラー権を強引に剥奪するのだという。 阪神担当記者が話す。 「今年最大の課題は世代交代。講師に招いたのが巨人OBの広岡氏でした。そこで熱弁したのが『ほかにいい選手がいれば、例えどんな高給取りでも使わない』というコーチの意識改革。この方針を伝え聞いたベテラン勢は戦々恐々でした」 現在の阪神の主力は金本、城島、新井、平野、小林宏、マートン、ブラゼルといったFA外様選手と外国人。生粋の生え抜き野手は遊撃の鳥谷と中堅・柴田だけという体たらくだ。ここに阪神の巻き返しの鍵があると、球団首脳は見ている。 「広岡氏は西武の監督時代、就任していきなり2連覇すると、3年目には一転して田淵、山崎、太田、片平といったベテラン主力をまとめてベンチに下げ、抑えエースの江夏に至っては8月以降二軍に落とし、そのまま起用せず自由契約にした。その間に秋山(ソフトバンク監督)、伊東(元西武監督)、渡辺(現西武監督)、工藤らの若手を育て上げ、翌シーズンの優勝に繋げたのです。この手法で阪神もまた世代交代を図ろうとしているのです」(スポーツ紙デスク) 広岡氏の介入を進言したのは、実は昨年11月に死去した西本幸雄氏だという。計7回のリーグ優勝を果たし、阪神監督を招請されたこともあった西本氏は生前、こう話していたという。 「選手を集めて勝つより、育てて勝つ。自分は常にそう心掛けてきたし、広岡君もそうだ。タイガースに欠けているのは彼のような厳しさと精神」 右肩を痛めている金本の代役は昨秋のドラフトで1位指名した伊藤隼太。左ひざと右ひじを痛め、昨年後半を棒に振った城島の代役は楽天の2番手捕手だった藤井がいる。昨秋イベント参加中に転倒し、左鎖骨を骨折した「代打の切り札」桧山はもはや出番なし。ひと足早くグラウンドを去った赤星、矢野と同じ道を歩むことになるのか。 「和田監督も若い選手が力をつけて、この選手だったら(金本が)ポジションを明け渡しても仕方がない、と思わせる導き方をしたいはず。城島も今年は一塁と併用する考えのようですが、ひざに爆弾を抱えている城島は全力疾走さえできない」(前出・阪神担当記者) 「広岡爆弾」の投下で和田阪神はビッグネーム一掃というイチかバチかの大ナタを振るうことになるが、FA選手と外国人選手の引き留めで阪神の金庫は空っぽの状態だけに、球団は全面支援を約束。いずれにせよ混乱は避けられない。
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スポーツ 2012年02月07日 11時45分
カンボジア五輪委員会が猫ひろしの五輪代表選出に待った!
そりゃないぜ、カンボジア五輪委員会! ロンドン五輪出場が有力になったはずのタレント・猫ひろし(34=本名・滝崎邦明)の代表選出に、同委員会が待ったをかけたのだ。 猫は五輪代表権獲得を懸けて、2月5日、大分県下で開催された別府大分毎日マラソンに出場。50位ながら、自己ベスト2時間37分43秒を7分以上更新する2時間30分26秒の好タイムを記録した。 大会前、同委員会は08年北京五輪代表のヘム・ブンティン(26)の昨季最高タイム2時間31分58秒を上回る記録を内定の基準としており、そのタイムを1分以上超えた猫は当確と思われた。ところが、同委員会は「自己ベストを更新したのは良いニュースだ」としながらも、「五輪代表には2時間25分程度の記録を期待している」と手のひら返し。 五輪に参加するためには五輪参加標準記録B(マラソンは2時間18分0秒)をクリアする必要があるが、ひとつの国・地域で陸上のどの種目も標準記録を破れなかった場合、男女1人ずついずれかの種目に出場できる特例がある。猫はこのケースを狙って、国籍まで変えて五輪を目指してきた。 もう1人の候補は北京五輪代表のブンティン。昨季最高は2時間31分58秒だが、09年12月にラオスで2時間25分20秒の国内記録をつくった実績がある。同事務局長は2人の記録について「大きな違いはない」とコメント。ブンティンは現在、ケニアで練習中。レースに出る予定はなく、待機状態。 ブンティンは北京五輪のマラソンで76人中73位に終わったが、開会式でカンボジア選手団の旗手も務めた。やはり、五輪には日本人の猫より自国人を送り込みたい同委員会の意図も見え隠れする。関係者によると、今月下旬から3月上旬頃に同委員会が代表を決定するもようだ。果たして、劣勢を覆して、猫の五輪出場の夢はかなうのか?(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月07日 11時45分
シーズン総括 『戦況分析』直前補強はあるのか? 中日編
チーム打率2割2分8厘、総得点「419」。ともにリーグワーストの数値である。リーグワースト打率で優勝したのは61年の巨人、82、87年の西武があるので、史上4球団目の“快挙”ということになる。過去3球団もそうだったが、2011年の中日の勝因は投手力である。チーム防御率2・46もリーグトップではあるが、救援投手だけで計算し直してみると、2.43。最少得点差で逃げ切る、あるいは、僅差のゲームを確実にモノにする力があったわけだ。とくに79試合に登板した浅尾拓也の防御率『0.41』は、群を抜いている。こちらの数値も調べ直してみたところ、年間80イニング強を投げたリリーバーで、「0.50」以下の防御率をマークしたのは、浅尾が初めてだった。 浅尾の陰に隠れてしまったが、58試合に投げた小林正人も、防御率も0.87。56試合の岩瀬仁紀も1.48、鈴木義広(55試合)も1.08と見事な“火消しぶり”を見せている。チーム全体での『ホールド』は110。同セーブも「47」。浅尾、岩瀬、小林正、鈴木の4人は計208回3分の2を投げたが、被本塁打は「僅か1本」…。まさに、リリーバーの力で優勝したシーズンだった。 中日はシーズン後半に向け、尻上がりに調子を上げていく勝ち方なのだが、2011年は例年以上に演じるが掛かるのが遅かった。まず、チームが『貯金』を作ったのは26試合の5月18日。だが、6月は8勝11敗、7月も9勝14敗1分けと負け越し、首位ヤクルトへの追撃態勢が整ったのは(当時)、8月以降だった。8月4日からヤクルトが5連敗、8月を7勝15敗3分けともたつく間、13勝8敗3分けと大きく勝ち越し、3位に浮上。9月にヤクルトが息を吹き返したが、9月22日からの直接対決で3連勝(4試合)、10月10日の直接対決でも4連勝(4試合)を飾り、優勝を決定づけた。 どちらかといえば、中日はヤクルトとの相性が良くなかった。2010年も8勝15敗1分け、2011年も8月末時点で3勝9敗3分けだったが、9月以降は8勝1敗。形勢逆転の勝因もリリーフ陣による鉄壁の継投である。 高木守道監督は、打線の強化を最優先すべきではないだろうか。 『得点圏打率2割3分2厘』もリーグワーストで、規定打席に到達した野手陣のなかで、いちばん高い数値を残したのが和田一浩の2割5分2厘では、浅尾たちを投入する展開に持ち込めないだろう。2010年・得点圏打率が3割2分4厘もあった森野将彦が2割1厘まで落ち込んだのはビックリだが、中日の1試合平均の得点は2.91。こちらもリーグワーストである。 中日が中盤戦まで苦しんだのは、吉見一起、チェンの出遅れだけが理由ではない。エース級の投手との対戦成績が芳しくなかったせいもある。日本シリーズ7試合で9得点しか奪えなかったのもそのせいだろう。2011年に挙げた79勝のうち、「1点差」が33勝。「点をやらないスタイル」は確立されたが、「点を奪う攻撃力」も備えるべきである。 平田良介が2試合連続でサヨナラアーチを放ったのは6月4、5日。堂上兄弟もそうだが、粗削りでも使えば面白そうな中堅・若手も多い。彼らの成長が『新しいチーム』の確立にもなるだろう。 近年、先発ローテーションを支えたチェンの退団により、先発投手陣の再整備も急務となった。川上憲伸が4年ぶりに復帰するが、「往年の力はない」という評価と、メジャー40人枠を外れることになった右肩の故障は「癒えつつある」と好意的な声の両方が聞かれた。2010年ドラフト1位の大野雄大が出てくると面白いが、まず、先発陣が責任イニングを投げきらなければ、鉄壁のリリーバーを投入する展開に持ち込めない。打線にも破壊力がない以上、先取点を奪われると非常に厳しい。『点を与えない野球』を繰り広げてきたが、野手陣は世代交代の時期にあることを再認識させられたシーズンでもあったようだ。
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スポーツ 2012年02月06日 18時10分
真樹日佐夫先生を偲ぶ会 多くの関係者が参列
新年早々の1月2日神奈川県の逗子マリーナにて、自身が保有するヨットに乗船しようとした際に倒れて意識不明となり、息を引き取った劇画原作家・小説家であり、世界空手道連盟・真樹道場宗師 真樹日佐夫先生を偲ぶ会が、2月4日(土)東京・青山葬儀所で行われ、先生を悼む参列者は1,000人以上にも及んだ。 徳光和夫が司会を務め、初代タイガーマスクの佐山サトル掣圏真陰流興義館総監、映画監督の三池崇史監督、極真館盧山初雄館長らが挨拶を行い、友人を代表して士道館・添野義二館長がお別れの言葉を述べた。 極真会館・松井章圭館長や新極真会・緑健児代表らの空手関係者、藤原ジム・藤原敏男会長、ウィラサクレックムエタイジムのウィラサクレック・ウォンパサー会長、真樹ジムとして加盟していたMAキック連盟の各会長、ミュージシャン・俳優のジョニー大倉、弔電にも浜田衆議院議員や内田裕也など、様々なジャンルから追悼の意が集まり、通常ではあり得ない呉越同舟の組み合わせもあり、真樹日佐夫先生ならではの人徳をあらわしていた偲ぶ会であった。
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スポーツ 2012年02月06日 15時30分
シーズン総括 『戦況分析』直前補強はあるのか? 東北楽天編
17試合連続で本塁打ナシ。ペナントレース144試合を改めて振り返ってみると、東北楽天ゴールデンイーグルスの打線は『本塁打ナシ』の試合が101試合もあった。1本が34試合、2本が8試合、3本以上を放ったのは1試合しかない。今さらではあるが、星野仙一監督が就任当初から「機動力を生かした…」と口にしていたのも分かる気がする。現有戦力に“一発”の破壊力を秘めた選手が少ない以上、機動力で1点を積み上げていく攻撃スタイルに変貌させなければならないが、星野監督はそういった采配に徹していなかったのではないだろうか。 2010年のチーム総本塁打数は「95」。2011年は「53」まで激減した。 機動力を比較してみると、チーム総盗塁数は「78」から「130」にアップ。犠打は「106」から「113」に微増。単独スチール数の大幅増は盗塁王争いにも加わった聖澤諒の成長によるものだろう(53盗塁)。もともと、「走れる選手が多いチーム」だった。しかし、チーム総得点は「576」から「432」にダウン。聖沢1人の得点は「57」。他チームのトップバッターや俊足タイプは、だいたい「60台の数値」を叩き出している。聖沢を本塁まで返すことのできないのは、本塁打数の激減だけが原因ではない。楽天打線の年間出塁率は2割9分8厘、選んだ総四球の数「307」。ともにリーグワーストである。つまり、「次打者に繋ぐ」という意識が低いと言わざるを得ない。2011年の打線は一発の脅威もなければ、出塁能力も低く、さらに、得点圏に進んだ走者も進める工夫をしていなかったわけだ。 星野監督は中日指揮官時代に逆上っても、『仕掛けるタイプ』ではない。どちらかといえば、「スタメンを固めたら、あとは彼らに託す」という采配だった。だからこそ、オフの補強に熱心なのかもしれないが、新加入の松井稼頭央が2割6分、岩村明憲が1割8分3厘に低打率に終わったのは痛かった。岩村にいたっては途中、二軍降格もあった…。 “補強の失敗”も5位低迷の原因ではないだろうか。 聖沢の盗塁のほとんどは8月までに稼いだもの。対戦チームも警戒を深めたため、走る機会が減ったのだろう。「盗塁してみせる、いやさせない」の『対相手チームバッテリー』との駆け引きは、聖沢個人が克服しなければならない今後の課題となる。『個人技』では、もう1つ。楽天打線には“一発の脅威”がない…。チーム本塁打数は2010年の95本から『53本』に激減した。この数値は球団創設2年目の06年の67本を下回るワースト記録だ。7月下旬から『17試合連続アーチナシ』という低迷ぶりで、144試合中101試合が本塁打ナシだった。1試合に放った本塁打数の最高数値は9月28日の3本(対西武戦)。07年からチームトップの本塁打数を放ってきた山崎武司の退団にも納得がいかないが、2011年、20代の選手でもっとも多く本塁打を放ったのは横川の4本だ。 岩隈久志のFA退団により、確実に白星が計算できる投手は田中将大だけになった。打線の援護があれば、2番手以降の塩見、永井、戸村を育てていける。一発の脅威を秘めた大砲の出現が待たれる。 チーム別投手成績では、楽天の救援陣がトータルで稼いだ『ホールド』は56。リーグワーストである。シーズン途中からラズナーをクローザーにコンバートさせ、急場を凌いだが、リリーフ投手全体の力不足は否めない。2011年は、投打ともに1枚も2枚も足らなかったと言っていいだろう。 聖沢がコンスタントに走れるようになれば、1点ずつコツコツと得点を積み重ねていける。長打力のある選手も欲しいが、楽天打線は聖沢を二塁に進め、シングルヒットで本塁に帰還させるスタイルを構築させるべきだろう。
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スポーツ 2012年02月06日 11時45分
猫ひろしの影で別大マラソン・日本人トップになっても注目されなかった松村のトホホ…
2月5日、大分県下で開催された別府大分毎日マラソンは、ケニア出身のアルン・ジョロゲ(23=小森コーポレーション)が2時間9分38秒で初優勝、初マラソンの松村康平(25=三菱重工長崎)が2時間11分18秒で日本人トップの4位に入った。招待選手の森脇佑紀(JFEスチール)は松村に抜かれ、2時間11分52秒で5位に終わった。 カンボジア代表としてロンドン五輪出場を目指すタレント・猫ひろし(34=本名・滝崎邦明)は、自己ベスト2時間37分43秒を7分以上更新する2時間30分26秒の50位で、ロンドン五輪出場へ大きく前進した。カンボジア五輪委員会は、北京五輪代表のヘム・ブンティンの昨季最高タイム2時間31分58秒を上回る記録を内定の基準としており、五輪代表が有力となった。 同大会はTBSで生中継されたが、同局では猫専用のカメラを設置。放送では先頭争いと並行して、猫の走りも随時流された。こういったケースは異例だが、お茶の間の視聴者にとってはありがたい放送形態となった。残念ながら、放送は午後2時24分で終了し、猫のゴールインは間に合わなかったが、猫の走りは視聴率獲得に大いに貢献した。 このレースはロンドン五輪選考レースではなく、有力選手の出場もなかったため、大会後のテレビ、新聞等、メディアの報道は松村には目もくれず、猫一色。松村にとっては、せっかく日本人トップになったにもかかわらず、トホホな報道となってしまったのは同情される。しかしながら、今大会は最初からレース自体より猫の方に注目がいってしまっていたので、これも致し方ないところだろう。 猫にはぜひカンボジア代表に選出されて、ロンドン五輪の男子マラソンを盛り上げてほしいものである。(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月04日 17時59分
プロ野球 深いイィ話
いよいよキャンプが開幕したプロ野球。 かつては、グラウンドに金が落ちている、などと言われた夢の世界・プロ野球。実は、深イィー話が満載である。皆さんは、いくつ知っているだろうか。 「2010年の交流戦で、打席に立った前田健太投手に、ダルビッシュが持ち球を全球投げた、という話があります。若い前田をエースと認めて、俺から盗めるものがあったら盗め、という、ダルビッシュ投手ならではの熱い思いが込められていた」(スポーツライター) これは有名な話であるが、今思えば、自分が大リーグに行った後にプロ野球界を頼むぞ、という意図もあったのかもしれない。 「2011年8月14日。年に一回の相模原球場でのベイスターズ公式戦。この日、快投を続けた三浦大輔とバッテリーを組んだ黒羽根捕手(24)は、小学校の時、トークショーで自分が大ファンのハマの番長・三浦選手に花束を渡した際、三浦投手と『将来バッテリーを組もうな』と約束したことがあったんです。それから努力してプロ野球選手になって…」(同) まるで映画だ。オーマイガーという感じである。 「その試合は大ピンチがあったんですが、三浦マニアで三浦のピッチングのことを知り尽くしている黒羽根のリードで難を逃れた。番長が思わずガッツポーズした場面は印象的でしたね」(同) ベイスターズには、もう一つに似た話がある。今は同チームから放出された佐伯貴弘選手に、スタンドから『打ってよ!』と声をかけた少年がいた。佐伯は、『わかった。ホームラン打ってくるぞ』と言い残し、バッターボックスへ。…なんと、その打席で佐伯は逆転3ランホームランを打った。この日以来、佐伯選手の大ファンになった少年は、プロ野球選手になることを決意。その少年が、2005年にドラフト3巡目でベイスターズに入団した内藤雄太選手。 2002年、教育リーグ時代の阪神の狩野。病で車椅子に乗っている狩野選手の叔父が彼の活躍を観に球場へ来た。あいにく、狩野は先発マスクから外れ、試合も3回降雨ノーゲーム。しかし、そのことを伝え聞いて知った当時の岡田二軍監督は、審判と相手チームに掛け合って4回までやることに…。狩野もマスクを被り、叔父の方は甥のユニホーム姿を目に焼き付けて帰ったという。いい話は尽きない…。 最後に、元ファイターズの新庄が、病気の少女に「俺、明日きみのためにホームラン打つ」と言って、オープン戦ながら本当にホームランを打ってしまったエピソードも忘れるわけにはいくまい。 5000円札の新渡戸稲造は猛烈な野球嫌いで、「野球は害毒である」というめちゃくちゃな名(迷)言を残しているそうだ。しかし、それほど人の人生に影響を与えるほどの魔力を持っているのが、プロ野球なのかもしれない。
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スポーツ 2012年02月03日 11時00分
独走キャッチ 栗山日ハムがダルビッシュ40億資金で松阪強奪の裏工作(2)
さらに、栗山監督の松坂獲得にはもう一つ大きな意図がある。「清武騒動」で進退が微妙になってきた巨人・原辰徳監督の招請だ。 「現在の日本ハムのスタッフ布陣は暫定的なもので、最終形は『原監督、栗山GM』。原監督はかつて栗山氏に巨人入りを打診したことがあった。今度は逆の形ですが、両者は昵懇の間柄。王貞治氏が福岡ソフトバンクス監督に転身して大成功したように、原監督にもまた北海道日本ハムで大きな花を咲かせてほしいと、栗山監督は球団に説いている」(スポーツ紙デスク) 球団側も“監督”原に異存はない。今抱えている最大の悩みが昨秋のドラフトで1位指名した菅野智之(東海大)の入団拒否にあるからだ。 伯父が巨人・原監督という特殊な家庭事情の菅野は、「伯父さんと一緒のユニホームで戦いたい」と、ノンプロにも独立リーグにもいかず、1年間の浪人を表明している。 日本ハムの単独交渉権は今年3月で切れることもあり、もう待ったなしの状況なのだ。 逆に考えれば、原監督が日本ハムのユニホームを着ることになれば、将来的にも目的が果たせるわけで、問題は解決する。今季は不可能としても原監督と巨人の契約は今季から2年。再来年の“原日本ハム”誕生は可能だし、来季から江川巨人発足となれば、1年の前倒しもありうる。 そんな壮大な計画を菅野が知れば、急転日本ハム入団の可能性はある。 「チームの3本柱が松坂、菅野、斎藤佑樹という超豪華な顔ぶれとなれば、原監督も巨人への愛着が断ち切れるのではないか。さらに言えば、来季から菅野が巨人に加わったとしても、自身が巨人監督でなければ、意味をなさない。まして今秋のドラフトで巨人が菅野を単独指名できるとも限らない。これは原ファミリー全体の問題であり、だからこそ、日本ハムはすべてを解決するためにも原氏を監督に招きたいのです。それにはまずは松坂の獲得です」(日本ハム担当記者) ダルビッシュは1月21日、レンジャーズの本拠地・テキサス州アーリントンで入団会見を開き、「ベストを尽くすだけ。プレッシャーは頭が悪いのか、あまり感じない」と自信を口にした。さらに、1年以上長引いた、紗栄子夫人(25)との離婚も成立し、前途洋々。 あとは北の大地に残した、超特大の置き土産の行く末に期待が集まるところだ。
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スポーツ 2012年02月02日 17時18分
独走キャッチ 栗山日ハムがダルビッシュ40億資金で松阪強奪の裏工作(1)
「風が吹けば桶屋が〜」の例えではないが、ダルビッシュ有(25)のレンジャーズ入りで日本ハムの笑いが止まらない。 マスコミは「6年総額43億円」の年俸だけを強調するが、見逃せないのは球団がダル売却で得る約38億8000万円の入札金だ。球団はこれまでダルビッシュに費やした総資金を全額回収できたばかりか、そのほぼ同額の余剰金を得るからである。 そのダルマネーの使い道について、津田球団社長は「球団発展へ幅広く検討する。まだ具体的には決定していないし、発表する段階じゃない」と言葉を濁したが、すでに遠大な補強計画が決まっているという。 「思い出してほしいのが、当初、栗山英樹監督は監督ではなく、GMとして日本ハムに招聘されていたことです。つまり球団はダルビッシュをポスティングで売却することを前提に、そのダルマネーで知性派の栗山氏にチームの再構築を託したのです。今季の栗山監督に求めているのは勝敗など度外視して、来季以降に不動の人気を誇る常勝チームに作り上げること。極言すれば、条件を問わず、ダルビッシュに勝るとも劣らないスーパースターを獲得することです。ズバリ! 今季で6年契約が満了するレッドソックスの松坂大輔(31)の獲得です」(担当記者) 栗山監督は'07年に松坂を題材にした本を著している。『怪物前夜“60億円の男”松坂大輔を育てた「嫌いにさせない」子育て術』。“いかにして松坂という天才投手が育て上げられたのか”という、ある種の教育本である。 この一例だけを見ても、いかに栗山監督が松坂及び松坂ファミリーと太いパイプを設けているかがわかるが、見逃せないのは、松坂家のルーツが北海道だということだ。現に北海道稚内市には'08年に完成した『松坂大輔スタジアム』という公式記念館があり、松坂の幼少期から現在までの活躍を紹介した年譜とともに、横浜高校、西武、レッドソックス、WBCで使用したグローブ、バット、ユニホーム、トロフィーなどが展示されている。 松坂の祖父・徳次さん('06年に81歳で死去)は同市の出身で、戦時中は手投げ弾の遠投記録を塗り替えた北海道の著名人。 3人いた子供のうち二男が稚内の高校を卒業して上京。それが松坂の父・諭さんである。 「だから北海道民は松坂に親近感を覚えているのです。'98年のドラフトで日本ハムが1位指名したこともあり、北海道でプレーしてほしいと願っている。栗山監督が密かに松坂を狙っているのはそのためです」(地元放送関係者) 松坂は昨年9月、右ひじの手術を受け、復帰は早くても今季後半。今年で契約が満了することから、来季は日米のどの球団にも行ける。年俸は1000万ドル(約7億2000万円)だが、日本復帰は十分に可能だ。