浅尾の陰に隠れてしまったが、58試合に投げた小林正人も、防御率も0.87。56試合の岩瀬仁紀も1.48、鈴木義広(55試合)も1.08と見事な“火消しぶり”を見せている。チーム全体での『ホールド』は110。同セーブも「47」。浅尾、岩瀬、小林正、鈴木の4人は計208回3分の2を投げたが、被本塁打は「僅か1本」…。まさに、リリーバーの力で優勝したシーズンだった。
中日はシーズン後半に向け、尻上がりに調子を上げていく勝ち方なのだが、2011年は例年以上に演じるが掛かるのが遅かった。まず、チームが『貯金』を作ったのは26試合の5月18日。だが、6月は8勝11敗、7月も9勝14敗1分けと負け越し、首位ヤクルトへの追撃態勢が整ったのは(当時)、8月以降だった。8月4日からヤクルトが5連敗、8月を7勝15敗3分けともたつく間、13勝8敗3分けと大きく勝ち越し、3位に浮上。9月にヤクルトが息を吹き返したが、9月22日からの直接対決で3連勝(4試合)、10月10日の直接対決でも4連勝(4試合)を飾り、優勝を決定づけた。
どちらかといえば、中日はヤクルトとの相性が良くなかった。2010年も8勝15敗1分け、2011年も8月末時点で3勝9敗3分けだったが、9月以降は8勝1敗。形勢逆転の勝因もリリーフ陣による鉄壁の継投である。
高木守道監督は、打線の強化を最優先すべきではないだろうか。
『得点圏打率2割3分2厘』もリーグワーストで、規定打席に到達した野手陣のなかで、いちばん高い数値を残したのが和田一浩の2割5分2厘では、浅尾たちを投入する展開に持ち込めないだろう。2010年・得点圏打率が3割2分4厘もあった森野将彦が2割1厘まで落ち込んだのはビックリだが、中日の1試合平均の得点は2.91。こちらもリーグワーストである。
中日が中盤戦まで苦しんだのは、吉見一起、チェンの出遅れだけが理由ではない。エース級の投手との対戦成績が芳しくなかったせいもある。日本シリーズ7試合で9得点しか奪えなかったのもそのせいだろう。2011年に挙げた79勝のうち、「1点差」が33勝。「点をやらないスタイル」は確立されたが、「点を奪う攻撃力」も備えるべきである。
平田良介が2試合連続でサヨナラアーチを放ったのは6月4、5日。堂上兄弟もそうだが、粗削りでも使えば面白そうな中堅・若手も多い。彼らの成長が『新しいチーム』の確立にもなるだろう。
近年、先発ローテーションを支えたチェンの退団により、先発投手陣の再整備も急務となった。川上憲伸が4年ぶりに復帰するが、「往年の力はない」という評価と、メジャー40人枠を外れることになった右肩の故障は「癒えつつある」と好意的な声の両方が聞かれた。2010年ドラフト1位の大野雄大が出てくると面白いが、まず、先発陣が責任イニングを投げきらなければ、鉄壁のリリーバーを投入する展開に持ち込めない。打線にも破壊力がない以上、先取点を奪われると非常に厳しい。『点を与えない野球』を繰り広げてきたが、野手陣は世代交代の時期にあることを再認識させられたシーズンでもあったようだ。