スポーツ
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スポーツ 2012年02月15日 15時30分
魔裟斗の元ライバル小比類巻が再興する3・9リングスで2年ぶり復帰!
かつて、K-1 MAX(中量級)で魔裟斗のライバルとして活躍し、10年3月に引退した小比類巻太信(34=小比類巻道場=旧名・貴之)が、3・9後楽園で約10年ぶりに再興されるリングス(前田日明代表)で、総合格闘家として2年ぶりに現役復帰することになった。小比類巻はベン・アボット(リングスUK)と77キロ契約で対戦する。 14歳で空手を始めた小比類巻はもともとリングスに憧れていたという。引退後は自身の道場で後進の指導に当たりながら、昨年からはPRIDEなどでファイトした大山峻護の下で総合の練習を積んでいた。小比類巻は「タイミングがバッチリ合った。打撃を生かして一発で倒すことを総合でもやっていきたい。リングスに上がる以上、KOで勝ちたい」と意欲を見せた。 小比類巻は97年1月31日、全日本キックボクシング連盟のリングでデビュー。同年5月には初対決の魔裟斗(当時・小林雅人)にKO勝ちしている。99年10月よりK-1参戦。魔裟斗と並ぶ日本中量級の代表的な選手として活躍。K-1ワールドMAX日本代表決定トーナメントでは、04、05、09年と史上最多の3度制覇。同世界一決定トーナメントでは04年にベスト4入りを果たしている。10年3月23日に股関節の故障のため、引退を表明した。09年10月26日のドラゴ戦が最後の試合となった。K-1での魔裟斗との対戦成績は2戦2敗(いずれも判定負け)、通算では1勝2敗である。 小比類巻が参戦するリングスは、前田代表が新生UWF解散後の91年3月に設立。オランダ、ロシア、グルジア、オーストラリアなどの格闘技大国にネットワークをもち、後にPRIDEで名を上げたエメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、ギルバート・アイブルらを発掘した。初期には正道会館から佐竹雅昭、角田信朗も参戦。日本人では田村潔司、高阪剛、長井満也、金原弘光、坂田亘(タレント小池栄子の夫)らが所属。02年2月にWOWOWの撤退とともに活動を休止した。(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月15日 11時45分
キャンプ情報 2012年大混戦の予兆 広島編
背番号121。一軍キャンプに唯一、帯同が決まった育成選手がいた。投手・池ノ内亮介(23)である。ドラフト1位・野村祐輔に関心が集まっているが、一軍キャンプに呼んだということは、野村謙二郎監督も期待しているのだろう。キャンプ初旬で比較するのは乱暴だが、ストレートの威力は野村祐よりも「上」かもしれない。コントロールはアバウトだが、この右腕の名前は覚えておいた方が良さそうだ…。 期待の3年目、今村猛がフリー打撃に登板したのは2月8日。当人は「この時期にしては良かった」と手応えを語っていたそうだが、「今季は救援にまわる」との情報も現地では聞かれた。この今村と青木高広が広島投手陣のキーマンになるだろう。青木は昨季、セットアッパーとして76試合に登板した。貴重な左の中継ぎエースであり、投球練習を見た限りでは、昨季の登板過多の疲れも感じさせない。この青木の負担を今村が軽減できれば、守護神・サファテに託す継投策も確立する。昨季チーム最多の13勝を挙げたバリントンもハイペースで仕上がっている。昨年9月にヘルニアの手術で戦線を離脱したサファテの出遅れも心配されたが、守備練習でも軽快な動きを見せており、開幕には十分間に合いそうだ。大竹寛はスロー調整だったが、野村祐が先発ローテーションに入ってくると、面白くなる。前田健太、バリントン、福井優也、野村祐…。野村監督も人材難で頭を抱えることはなくなるだろう。 野手陣でも、外国人選手の存在が光っていた。ニック・スタビノア外野手だ。1日の『ランチ特打』で柵越えを連発し、スポーツ新聞を賑わせたが、実際に見てみると、バットを軽く振っていた。パワーではなく、ミート力で飛ばすタイプである。バットを構えた位置も高くない。一般論として、身体に近い箇所でスイングするタイプは「変化球の多い日本球界に適応できる」という。ニックもそれに近いバッターである。おそらく、3番は廣瀬純、4番は栗原健太の打順になるだろう。このニックと2季目のバーデンが5番、6番に入り、昨年ブレークした丸佳浩を7番に下げられるのなら、チーム得点力は確実にアップするはずだ。 守備練習で光っていたのは、ドラフト2位の菊池涼介だ(中京学院大)。ショートの深いところからも一塁へ鋭いスローイングを見せていた。昨季、故障に泣いた梵英心もいい動きをしていたが、菊池は守備範囲も広い。菊池、梵の正遊撃手争いが熾烈を極めれば、三塁が予定されているバーデン、二塁・東出輝裕のどちらかを蹴落として「両方を使う」なんて事態にも発展するかもしれない。外野の土生翔平(ドラフト4位=早稲田大)もバットでアピールしていた。大学4年時は打撃不振だったので「プロ1年目は苦労する」とも思われたが、実戦形式の打撃練習でもセンター中心に鋭い打球を飛ばしていた。 外国人選手、野村祐、新人野手2人、育成の池ノ内。今季の広島は“台風の目”になりそうである。
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スポーツ 2012年02月14日 11時45分
相撲部屋の親方がまた急死! 史上初めて高校生でアマ横綱となった元幕内・久島海の田子ノ浦親方が死亡
角界では九州場所を目前に控えた昨年11月7日、元横綱・隆の里の鳴戸親方(本名・高谷俊英=たかやとしひで)が、急性呼吸不全のため急死したばかりだが、また親方の訃報が届いた。元幕内・久島海の田子ノ浦親方(本名・久嶋啓太=くしまけいた)が2月13日、急死した。 同日午後4時45分頃、東京都江東区北砂にある田子ノ浦部屋で、田子ノ浦親方が吐血して倒れたと通報があった。東京都墨田区内の病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態だった。46歳の若さだった。この日の朝もふだん通り、出稽古先の春日野部屋で弟子の稽古を見守ったという。警視庁城東署によると、田子ノ浦親方は部屋で家族といた際に突然吐血して倒れたという。死因は13日時点で不明だが、事件性はないとみられる。残された弟子は出羽海部屋に移籍することになるもよう。 田子ノ浦親方は和歌山・新宮高校在学時、3年連続高校横綱となり、3年次には全日本選手権をも制して、史上初めて高校生としてアマチュア横綱となった。進学した日本大学でも3年連続で学生横綱となるなど、史上最多の28個のタイトルを獲得した。 鳴り物入りで出羽海部屋に入門。88年初場所(1月)にて幕下60枚目格で初土俵を踏んだ。幕下ではややもたつき、所要7場所で関取になった。十両では2場所連続優勝を果たし、2場所で通過。89年名古屋場所(7月)で新入幕を果たした。 しかし、周囲の期待とはうらはらに幕内では故障もあって伸び悩み、自己最高位の前頭筆頭まで3度上がったが、いずれも負け越して三役に昇進することはできなかった。98年初場所(1月)で5度目の十両陥落。翌春場所(3月)で3度目の十両優勝を飾るも、これ以降、幕内に復帰することはできず、同年秋場所(9月)で大きく負け越して幕下陥落。翌九州場所(11月)を前に引退した。 準年寄を経て、年寄・田子ノ浦を襲名。00年2月に出羽海部屋から独立し、田子ノ浦部屋を興した。昨年11月の九州場所では、ブルガリア出身の碧山が部屋初の幕内力士となったばかりで、これからという矢先だった。田子ノ浦親方は03年に急性心筋梗塞で倒れてからは、80キロの大減量に成功し健康管理にも注意を払っていたという。 通算成績462勝442敗。幕内在位は35場所。敢闘賞を2度受賞、金星は2個上げている。三役には上がれなかったが、最盛期には200キロを超す巨体を、対戦相手に真正面からぶつけるド迫力の相撲は印象深い。慎んで哀悼の意を表します。(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月14日 11時45分
キャンプ情報 2012年大混戦の予兆 巨人編
杉内俊哉、ホールトン、村田修一…。原巨人の戦力は他球団を圧倒している。当然、大型補強に批判的な声も多いが、昨年と比べ、チームの雰囲気は確実に良くなっている。「チームに喝を入れるためにも、2、3年おきに大型補強をすべきではないだろうか」−−。これが巨人キャンプを見た正直な感想である。 阪神、中日などのスコアラーの姿も確認できた。新加入の杉内たちに脅威を感じているからだろう。データ解析やクセ盗みに定評のある敏腕スコアラーがキャンプ序盤から派遣されるケースはあまり多くない。彼らは杉内に対し、「140キロ台後半が出ていた」とハイペースでの仕上がりぶりを認めていたが、好不調は実戦登板してみなければ分からない。ホークス時代からそうだったが、杉内のブルペンでの投球練習は独特である。直球とスローボールを交互に投げる。「投球フォームの溜め」を身体に覚えさせるためらしいが、2球続けて直球が見られないうえに、上下にバラつくときもあり、球質そのものを判断するのが難しいのだ。もっとも、7日にブルペン入りした際には阿部慎之助の構えたところに、寸分も狂わず、投げ込んでいたそうだが…。 「(調査内容の詳細は言えないが)去年と比べて、杉内がハイペースで調整しているのは間違いない」(ライバル球団スコアラー) 開幕戦は3月30日。昨季は震災の影響で4月12日に変更されたが、当初の予定は3月25日だった。移籍1年目でハイペースになりがちになるのは分かるが、経験豊富なローテーション投手なら、自分のペースで調整できるはずだ。ひょっとしたら、杉内は『開幕投手』を内々に伝えられているのではないだろうか。 巨人投手陣で目立ったのは、東野峻。フリー打撃に登板し、阿部、実松一成に約50球を投げ、ヒット性の当たりは2本だけ。重心を低くするため、投球フォームをマイナーチェンジしたのは聞かされていた。左腕のアクションが小さくなったので迫力はなくなったが、ストレートがシュート回転する弱点は克服されていた。 杉内、内海哲也、沢村拓一、昨季パ・リーグ最多勝のホールトンは『先発6人枠』に入るのは間違いないだろう。ゴンザレス、小野淳平、東野が5番手以降を争っているのだから、先発投手陣のレベルはかなり高い。 しかし、救援陣には一抹の不安が残る。クローザーが予定されている久保裕也は、右足股関節の故障で、開幕に間に合うかどうかといったところ。新外国人投手のスコット・マシソンだが、ブルペン投球を見る限りでは制球難に苦しみそうな気がする。全体的にボールが高いのだ。原辰徳監督が「今季の新人王候補」とも期待する宮國椋丞は、先発タイプ。二軍で52試合にリリーフ登板したリン・イーハウが「影のクローザー候補」とも聞いていたが、一軍レベルの細かい野球にはまだ付いていけそうにない。サイドハンドで150キロ近くが出るのは魅力的だが、投内連携プレーを見た限りでは、セットポジションからの投球にばらつきがあり、クイックモーションも一軍レベルには達していなかった。「ゴンザレスかホールトンが救援にまわる」なんて情報も飛び交っていたが、見方を変えれば、救援陣の人材難を懸念する声がチーム内部からも出ているということだろう。 打撃陣だが、阿部を4番に固定する構想が進められている。原監督の「左打者が続く打順を好まない」、「1番に斬り込み隊長的なバッターを置く」これまでの采配を考えると、1番・坂本、2番・藤村、3番・長野、4番・阿部、5番・村田、6番・小笠原…の打順も予想されるが、この場合、昨季の敗因の1つにも挙げられた『犠打の成功率の低さ』は解消されないだろう。『2番・藤村』は出塁してこそ光る選手であり、坂本が出塁した後の打席で、「バント」でベンチに帰らせるのはもったいない。藤村ほどのスピードがあれば、「併殺はない」と捉え、ヒッティングのサインを出した方が得策だ。 犠打の練習は、主に打撃マシンによるもの。他球団も同様だが、巨人はそれに割く時間が少ないように感じた。 杉内、村田の加入で緊張感のある練習が行われていたが、長打で得点を狙うイケイケの攻撃スタイルは今年も変わらないようだ。
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スポーツ 2012年02月13日 11時45分
南海キャンディーズしずちゃん 本当にロンドン五輪に行けるの?
お笑いコンビ・南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代(33=よしもとクリエイティブエージェンシー)が、2月11日、広島市中区スポーツセンターで行われたアマチュアボクシングの全日本女子選手権ミドル級(リミット75キロ)決勝戦に出場。鈴木佐弥子(30=ワールドスポーツ)に26-11の判定勝ちで優勝を果たした。しずちゃんはロンドン五輪代表枠を争う世界選手権(5月、中国・秦皇島)日本代表に選ばれた。 日本の女子ミドル級は選手層が薄いため、しずちゃんはこれが通算2試合目、国内では初の公式戦。ミドル級のエントリーはわすか3人で、しずちゃんはシードされた。10日の準決勝で石井智紋(福山平成大コーチ)を破った鈴木に、しずちゃんが勝利し見事全日本を制した。 さて、問題はこれからだ。しずちゃんは本当にロンドン五輪に行けるのだろうか。女子ボクシングは同五輪で正式種目として採用された。階級はフライ級(48〜51キロ)、ライト級(57〜60キロ)、ミドル級(69〜75キロ)の3階級のみ。 五輪に出場できるのは各階級12人ずつ計36人。5月の世界選手権でベスト8に入れば、無条件で五輪への出場権を獲得できる。ただ、五輪では3階級しかないため(全日本は6階級)、重い選手が体重を落として、ミドル級に出場する可能性も高く世界は激戦区となる。公式戦わずか2試合の経験しかないしずちゃんがベスト8に入るには、相当厳しい道が待ち受けていると見られている。 では、世界選手権でベスト8に入れなかった場合だが、3階級で残り12人が出場できる。残りの枠は開催国枠と各大陸枠で、その枠に入る必要がある。各大陸枠は各国・地域に振り分けられるが、その選考基準は日本アマチュアボクシング連盟によると、3月のアジア選手権(16日開幕=モンゴル)の結果が反映される可能性があるものの、正式な決定方法はまだ決まっていないという。従って、世界でベスト8に入れなかった場合に備えて、まずはアジア選手権で好成績を挙げておく必要がある。 「やっと五輪のスタートラインに立てた。後で振り返ったとき、今日の自分は弱かったなと思えるくらい強くなりたい。練習あるのみ。マネージャーと日程を調整し、しばらくは練習に集中できる環境づくりをしたい」と先を見据えたしずちゃん。勝負の世界は結果がすべて。五輪に行けるかどうかは、今後に懸かっている。(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月13日 11時45分
セ・リーグ予告先発制の導入は球界再々編の布石
球界再編が加速する−−。セ・リーグが『予告先発制』の導入を検討していることが発覚したのは、去る2月3日。「1月下旬の非公式な会合で意見交換された」とのことだが、本誌が球界要人に確認した限りでは「その気運が高まっている」という。導入は規制路線と見て、まず間違いないだろう。 「良い面もあるだろうし、(先発予想が)駆け引きという考え方をする監督もいらっしゃる。難しい。簡単には言えない」(3日/阪神・和田豊監督) 「賛否両論あるだろうが、うちの事情から言えば、もし観客動員に繋がるなら、やってもいいという思いはあります」(同/東京ヤクルト・小川淳司監督) 「いいじゃないか…。反対する理由はありません」(同/広島・野村謙二郎監督) 「世論、メディアも含めてファンの人たちなど現場じゃない声も聞いてみたい気がする」(4日/巨人・原辰徳監督) 当事者となるセ・リーグ6球団のなかで、中立的な物言いをする監督もいたが、今のところ、『反対』を唱える声は出ていない。 「要するに『保険』ですよ。どのメディアも指摘していますが、先発投手を予告することでお客さんを呼べるという考えによるもの。どの球団も『年間指定席』の売上げが落ちていますし、先発投手を事前告知することでテレビ放映も取れるのではないか、と考えたわけです」(前出・球界要人) 加藤良三コミッショナーは巨人キャンプを視察した4日、「私個人の意見は持ち合わせていません」と明言を避けたが、「導入の方向」で意見調整しているのを知らないはずがない。昨年の震災による開幕日の調整で混乱した際もそうだったが、連盟会長職がなくなった以上、イニシアティブを握れるのはコミッショナーだけである。ファン拡大のためにも持論を述べるべきだと思うが…。 セ6球団が『予告先発』によるサンプルとして取り上げたのは、昨年9月9日の『東北楽天対北海道日本ハム戦』。田中将大と斎藤佑樹の投げ合いにより、チケットが完売しただけではなく、テレビ中継も緊急決定されたのは記憶に新しい。『田中対斎藤』と同じ効果までは期待できないが、有名・人気投手の出場(先発)、タイトル争いの佳境にある投手の登板が明確にすれば、観客減を食い止めるくらいは出来るだろう。 こうした一連のセ・リーグの動向に対し、オリックス・岡田彰布監督は「珍しいわな。セがパのやることに合せていくというのは…」とコメントしていたが(3日)、これにはDeNA社の球界参入も影響しているという。 「中畑清監督のパフォーマンスによるところも大きいが、プロ野球界のオフの話題は横浜DeNAが占拠したと言っても過言ではありません。某球団はベイスターズの売却を『明日は我が身』と捉えており、親会社に出資する外資系産業に球団の赤字経営を快く思っていません」(前出・要人) チケット販売収益を挙げたいとする切実な思いもあるだろうが、今回の予告先発制導入の動きは「売却という有事」に備えた市場拡充との見方もされている。 「DeNA社に限らず、球団買収(売却)の話し合いが始まると、買い手側が驚くのはチケット販売に関してなんです。販売ルートが拡張されていないうえに、昭和50年代から販売システムのほとんどが変わっていません。もちろん、各球団とも努力していますが、一般企業から見れば、首を傾げたくなるような経営システムなので…」(前出・同) DeNA社はプロ野球による宣伝・広告を実感しているという。プロ野球の主な支持層は30代後半とされ、同社本業のケータイゲームの利用者層とは異なる。球界参入を会社の知名度アップ、事業拡充の契機と考えれば、第2、第3のDeNA社も現れるだろう。予告先発制の導入には100%反対ではないが、球界がヘンな方向に流れていかなければいいのだが…。
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スポーツ 2012年02月11日 17時59分
シーズン総括 『戦況総括』直前補強はあるのか? 千葉ロッテ編
史上3球団目の屈辱…。前年日本一から最下位に転落したのは、61年の大洋、79年のヤクルト以来だという。 投打ともに苦しいシーズンとなったが、低反発の統一球にもっとも苦しんだのも千葉ロッテだったようだ。2010年は両リーグ最多の8人が2ケタ本塁打をマークしたが、2011年はゼロ。チーム最多本塁打数が井口資仁の9本である。チーム総本塁打数は「46」。そう、パ・リーグ本塁打王の中村剛也よりも少ないのだ…。ここに追い打ちを掛けるようなデータも発見した。本拠地・QVCマリンで、千葉ロッテ打線が放った本塁打数は21本だが、対戦チーム11球団は合計で35本を放っている。チーム防御率は前年の3.55から3.17に向上しているので、2010年は「打線の低迷で負けた」と言わざるを得ない。 昨季、こんなシーンも何度か見掛けている。試合前、打撃担当の金森栄治コーチが選手に技術指導をしていたときだった。遅れてグラウンド入りしてきた西村徳文監督はその光景を目にするなり、プイと背を向け、何処かへ行ってしまった。 西村政権は『和の野球』を掲げたが、不協和音もないわけではなかった。いきなり二軍担当に配置換えされた西本聖コーチは「聞いてない!」と怒っていた(当時)。「投手起用法を巡って意見衝突するときもあった」(関係者)そうだが、一枚岩になりきれない部分もあったのかもしれない。仮にそうだとしても、最下位転落の屈辱は足元を固め直す機会に変えてもらいたい。 2010年をトータルで振り返って見ると、前半戦は4、5位をウロウロしていた。7月に12勝12敗1分けで食い止め、「そろそろエンジン全快かな…」と思わせたが、投打の歯車が狂い始める。7月まで8勝1敗と“お客サマ”にしていた埼玉西武に、球宴明けの直接対決でいきなり3連敗を喫し、最終的には11勝11敗2分け。つまり、球宴明け15試合で3勝しか挙げられなかったのである。投手陣も息切れを見せ始める。8月30日時点で2ケタ勝利に到達していたエース・成瀬善久は、その後6試合に登板するが、勝ち星ナシ。渡辺俊介も9月11日以降、勝ち星が付いていない。チームトップの12勝を挙げた唐川も、8月と9月の7試合に登板し、1勝しか挙げられなかった。 打線の失速も否定できない。打率3割をキープしていた新人の伊志嶺翔大も、8月以降は打率2割1分台…。9月13日からの11連敗は『投打の不振が重なった結果』である。しかし、育成出身の岡田幸文がゴールデングラブ賞に選ばれ、二軍では08年高校生ドラフト5位の阿部和成が100イニング強を投げている。岡田はすでにレギュラーを獲得したと言っていいが、若い世代には「チームの不振=レギュラー獲得の好機」と捉え、もっと貪欲な姿勢も見せて欲しかった。故障離脱した荻野貴司を含め、2011年にショートを守った選手は8人。西岡剛の米挑戦、荻野貴の離脱をチャンスと捉え、「レギュラーを掴んでみせる!」と意気込む選手が現れなかったのも、敗因ではないだろうか。 指名打者で出場した野手陣のなかで、もっとも多く本塁打を放ったのは、福浦和也の3本。5月13日以降、「指名打者の本塁打ナシ」でシーズンが閉幕してしまった。金泰均の途中帰国、先発陣の一角を託されたマーフィー、ペンの故障…。ポスト・小林宏と期待された内竜也も怪我による出遅れを取り戻せなかった。故障者続出も痛かったが、西村監督にとっては「主力選手と控え選手の力量差」を痛感させられたシーズンでもあったようだ。
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スポーツ 2012年02月10日 11時00分
前途多難の協会船出 最後までドタバタだった理事選の”舞台裏”
1期2年の任期満了に伴う日本相撲協会の理事選(定員10人)が1月30日、両国国技館で行われた。 今回、貴乃花当選を側面から演出したのが、一門から票が流れた立浪一門で、混戦の震源地にもなった。というのも、前回、一門の長老・大島親方(元大関旭国)が落選。凄惨な裏切り者捜しまで繰り広げた後遺症から「今度は手堅くいこう」と、いち早く若手にも人望がある新人の春日山親方(元幕内春日富士)の擁立を決めた。当選ラインは10票。立浪一門には18票の基礎票があり、候補者一人なら悠々と当選だ。 「その代わり、8票が死ぬことになる。これに対する一門内からの批判を背に、まず現職の友綱親方(元関脇魁輝)、さらに伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も手を挙げ、3人が立候補することになった」(担当記者) この内輪揉めで追い風が吹いたのが、基礎票が13票しかない高砂一門から新人の八角親方(元横綱北勝海)に次ぐ2人目の候補として立った九重親方(元横綱千代の富士)だ。 「今回も第1候補の座は八角親方に奪われ、一門内の予備選で高砂親方(元大関朝潮)に競り勝ち、やっと第2候補に滑り込みました。この第2候補は、連携する時津風一門の協力を仰がないと当選ラインには到達しませんが、問題はこの時津風一門。湊親方(元幕内湊富士)、錣山親方(元関脇寺尾)、時津風親方(元幕内時津海)ら3親方が貴乃花親方に投票する意向を示していました。このため、当選ラインに届くのは非常に難しかったのですが、結局は友綱親方が落選、伊勢ケ浜親方は投票直前に辞退を申し入れ、九重親方が当選となったのです」(協会関係者) 一方、貴乃花親方は、安泰モード。この2年間、地道に勢力拡大を図った結果、人材難から現職の鏡山親方(元関脇多賀竜)一人しか候補を立てることができず、票がダブついていた時津風一門から3人以上の賛同者を得ることに成功。いち早く当選圏内に到達した。 また、新理事の互選で決まる理事長には、北の湖親方が返り咲いた。 「大相撲界はこれから公益財団法人の認可に向け、協会の一括管理が決まった年寄株の買い上げ値段の設定など、直面する重大問題が山積している。前回、指導力でもう一つ物足りなかった北の湖親方がどう牽引していくか。いずれにしても大変ですよ」(協会関係者)
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スポーツ 2012年02月09日 15時30分
懲りない亀田興毅 次戦もやっぱり“勝てる相手”と防衛戦!
プロボクシングの亀田ジムが、亀田三兄弟の長男でWBA世界バンタム級王者・亀田興毅(25=亀田)の4度目の防衛戦を、4月4日、神奈川・横浜アリーナで行うことを発表した。挑戦者は同級12位のノルディー・マナカネ(28=インドネシア)。 もはや、あきれるしかない。今度こそはと期待された興毅のV4戦だが、彼が懲りることはなかった。10年12・26さいたまで同級5位のアレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ)との王座決定戦を制し、同王座を奪取した興毅。以降、昨年、選んできた挑戦者はV1戦(5・7大阪)でランキング14位のダニエル・ディアス(ニカラグア)、V2戦(8・31日本武道館)でランキング8位のデビッド・デラモラ(メキシコ)、V3戦(12・7大阪)でランキング12位のマリオ・マシアス(メキシコ)と無名のランキング下位の選手ばかり。 だが、V4戦は指名試合とあって、いよいよ逃げられないと思われていた。ところが、対戦を予定していたWBA同級暫定王者のウーゴ・ルイス(メキシコ)が、3月中旬に国内での試合を計画しているため、交渉は1月下旬に決裂した。そのため、WBAは年内に指名試合を行うよう求めた一方で、日程に余裕がないことから、次戦は相手を自由に選べる選択試合で構わないとした。 そこで、亀田陣営が選んできた相手が、またもランキング下位の無名選手であるマナカネ。先のV3戦の挑戦者は、あまりにもお粗末で、とても世界戦を闘うようなレベルではなかった。マナカネは現在7連続KO勝利中というが、戦績は35戦24勝(15KO)10敗1分けと極めて平凡なもので、世界タイトルに挑戦できるような実績がないことは明らか。まさしく、今回も勝てる相手を招へいしての防衛戦となる。交渉日程に余裕がなかった点は割り引くとしても、もう少しランキング上位の選手を選択すべきである。興毅は「レベルの違いを見せつけて完勝する」と語ったが、そもそも、「レベルが違う相手など連れてくるな」という話である。 興毅は防衛に成功した後のV5戦について、5階級を制覇したWBO世界バンタム級王者のホルヘ・アルセの名を挙げ、「夏ぐらいに統一戦をやりたい。ロスかニューヨークで」と大きな花火を打ち上げたが、これまでの経緯を考えると説得力に乏しかった。 なお、4・4横浜での同興行では昨年8月にWBA世界スーパーフライ級王座を奪取しながら、右目の負傷で休養王者とされた清水智信(30=金子)と、同級正規王者のテーパリット・ゴーキャットジム(タイ)の王座統一戦を行う方向で調整中。昨年12月に、そのテーパリットの王座に挑戦し敗れた次男・亀田大毅(23=亀田)の再起戦も組まれる見込みだ。(落合一郎)
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スポーツ 2012年02月09日 11時45分
かつてノーヒットノーラン達成したセ・リーグMVP男・野口茂樹がNPO法人ルーキーズのコーチに就任!
中日在籍時の96年8月11日、東京ドームでの巨人戦でノーヒットノーランも達成した元中日、巨人の野口茂樹(37)が、NPO法人ルーキーズ(愛知県常滑市=山田豪理事長)のコーチに就任することが分かった。 野口は昨年、独立リーグの四国アイランドリーグplusの三重スリーアローズでプレーしたが、チームが経営難のため解散。NPBの合同トライアウトを受験したが、どの球団からもオファーはなかった。 ルーキーズは野球を志しながらも、中卒や高校中退などで野球を断念した者に門戸を開き、野球をやりながら高卒資格取得を援助する目的で10年12月に設立された。社会人野球を統括する日本野球連盟に加盟し、都市対抗野球出場を目指している。監督は00年に沖縄県立那覇高を初の夏の甲子園に導いた池村英樹氏。 野口は92年ドラフト3位で中日に入団。4年目の96年にノーヒットノーランを達成したが、伸び悩みが続いた。98年にようやく開花し、初の2ケタ(14勝9敗)をマ−クし、最優秀防御率(2.34)のタイトルを獲得。翌99年には自己最多の19勝(7敗)を挙げリーグ優勝に貢献、セ・リーグMVPを受賞した。3度目の2ケタ勝利(12勝9敗)を記録した01年には、最多奪三振(187個)のタイトルも獲得した。 しかし、04年に就任した落合博満監督(当時)の信頼が得られず、05年オフにFA権を行使して巨人に移籍。ところが、巨人での3年間は惨たんたるもので、1年目(06年)はわずか1試合の登板。07年はリリーフで31試合に投げ、2年ぶりの勝利投手となったが、これが巨人での唯一の勝ち星。08年は1軍登板がなく、オフに戦力外通告を受けた。09年2月に米メジャーのブルージェイズとマイナー契約で合意したかに伝えられたが、メディカルチェックで左ヒジに異常が見られたため、契約は破棄された。2年のブランクを経て、昨年は独立リーグでユニフォームを着ていた。通算281試合登板、81勝79敗2セーブ、防御率3.69。 多くのタイトルを獲った割りには、成績にムラがあり浮き沈みが激しい選手だった野口。ルーキーズという特殊なチーム環境のなかで、指導者としての才能を発揮できるかどうか注目されるところだ。(落合一郎)