14歳で空手を始めた小比類巻はもともとリングスに憧れていたという。引退後は自身の道場で後進の指導に当たりながら、昨年からはPRIDEなどでファイトした大山峻護の下で総合の練習を積んでいた。小比類巻は「タイミングがバッチリ合った。打撃を生かして一発で倒すことを総合でもやっていきたい。リングスに上がる以上、KOで勝ちたい」と意欲を見せた。
小比類巻は97年1月31日、全日本キックボクシング連盟のリングでデビュー。同年5月には初対決の魔裟斗(当時・小林雅人)にKO勝ちしている。99年10月よりK-1参戦。魔裟斗と並ぶ日本中量級の代表的な選手として活躍。K-1ワールドMAX日本代表決定トーナメントでは、04、05、09年と史上最多の3度制覇。同世界一決定トーナメントでは04年にベスト4入りを果たしている。10年3月23日に股関節の故障のため、引退を表明した。09年10月26日のドラゴ戦が最後の試合となった。K-1での魔裟斗との対戦成績は2戦2敗(いずれも判定負け)、通算では1勝2敗である。
小比類巻が参戦するリングスは、前田代表が新生UWF解散後の91年3月に設立。オランダ、ロシア、グルジア、オーストラリアなどの格闘技大国にネットワークをもち、後にPRIDEで名を上げたエメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、ギルバート・アイブルらを発掘した。初期には正道会館から佐竹雅昭、角田信朗も参戦。日本人では田村潔司、高阪剛、長井満也、金原弘光、坂田亘(タレント小池栄子の夫)らが所属。02年2月にWOWOWの撤退とともに活動を休止した。
(落合一郎)