スポーツ
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スポーツ 2015年01月15日 15時30分
2014年ペナントレース総括 数字で分かるアノ補強とドラフト指名(東北楽天編)
大久保博元・新監督(47)は『星野野球の継承』を明言した。しかし、大久保監督は新たなチームスタイルを構築するのではないだろうか。そのヒントは、2014年のシーズン途中、『代行指揮官』も務めたときの大久保采配にあり、そのとき、楽天ナインは『星野・佐藤体制』との相違を実感していたという。 14年シーズン前半戦を、2つに分けてみた。 星野仙一監督は47試合を指揮した。そこに、佐藤義則・投手コーチ(現ソフトバンク)が監督代行を務めた22試合を合わせた69試合で、楽天打線が記録した犠打は『44』。同時点で12球団最少であり、『1.6試合で1犠打』という計算になる。 それに対し、佐藤コーチのピンチヒッターとして緊急登板した大久保・二軍監督(当時)は、8試合で『11』の犠打をカウントした。『投手出身』と『野手出身』の指揮官の違いである。投手出身の監督は攻撃面での采配で、バントを嫌う傾向が強い。相手投手の心理状態が手に取るように分かるからで、「投球スタイルが整わず、苦しんでいるところにわざわざアウトカウントを1つくれてやる必要はない」と考えるのだ。しかし、野手出身の監督は違う。走者を一塁に置いた場面でヒッティングの強攻策に出た場合、併殺打になる可能性もある。『無死一塁』の好機が『二死走者ナシ』に一変するのだから、盛り上がり掛けたベンチのムードも暗転する。“責任バッター”も精神的ダメージを次打席まで引きずるかもしれない。したがって、安全策のバントを選択する。どちらが正しいのかは分からないが、大久保監督は“打者心理”で『犠打を絡めた攻撃スタイル』に変えていくのではないだろうか。 優勝、日本一を決めた13年と最下位に沈んだ14年の成績は以下の通り。○チーム打率 13年=2割6分7厘(リーグ2位) 14年=2割5分5厘(同3位)○チーム総得点 13年=628点(同2位) 14年=549点(同ワースト)○チーム本塁打数 13年=97本(同3位) 14年=78本(同ワースト)○チーム防御率 13年=3.51(同2位) 14年=3.97(同5位)○総失点 13年=537点(リーグ最小) 14年=604点(同5位) チーム打率の下がり幅はさほど大きくないが、得点、本塁打数は激減している。4番・アンドリュー・ジョーンズは打率2割2分1厘と振るわなかったが、13年も打割2割4分3厘とあまり高くなかった。“打率の低い4番”が同じなのに、チーム総得点が『79』も違うのか? まず、打率2割9分2厘、93打点と活躍した5番打者・マギーの退団が痛かった。その穴を埋めるはずだったケビン・ユーキリスが4月下旬に離脱し、帰国したまま退団となってしまった。その後、前巨人のボウカー、ラッツ、エバンスなどを獲得したが、マギーの代役は務まらなかった。 大久保監督はジョーンズを切り、もう一度打線を作り直す決断をしたわけだが、よくよく考えてみれば、楽天打線に“一発のないこと”は12年シーズンも課題に挙げられていた。銀次、岡島豪郎などの好打者もいるが、生え抜きの現有戦力を見渡してみると、『俊足堅守』のタイプが多い。打線全体の出塁率は3割2分7厘。ソフトバンク、オリックスの強力打線に次ぐリーグ3位だ。高い出塁率が得点につながらないのは『大砲タイプ』がいないからであり、現有野手陣の顔ぶれを見ると、当面、その弱点は外国人選手で補っていくしかないようだ。 監督代行時の大久保監督が犠打を多用したのは、得点圏に走者を進め、シングルヒットで『1点』を積み重ねていこうとしたからだろう。 推定年俸2億円で獲得したブラックリーは3試合に登板しただけ(1勝2敗)。ファルケンボーグは20セーブを挙げたが、「契約事項に3試合以上の連投はやらない」とあったとされ、2ケタ勝利した先発投手が則本昴大しかいないチーム事情に適応できなかった。ドラフト1位で安楽智大(18=済美高)、2位で小野郁(18=西日本短大付高)を指名したのは、多少遠回りしてもチームの柱になる投手が欲しかったからだろう。3位指名の福田将儀(22=中央大)は“盗塁”で頭角を現した。楽天の盗塁数はリーグワーストタイの『64』。安楽は右肘に問題がなければ1年目から一軍ローテーションに加わると思われるが、3位の福田もスタメンデビューする可能性が高い。クローザーは前広島のキャム・ミコライオ(30)が務める。野手では前ヤンキースのゼラス・ウィーラー(27)を補強した。チームが欲する長距離タイプではない。但し、「巨漢のわりには守備が巧く、肩も強い」(米国人ライター)とのこと。このウィーラーが三塁を守れるのであれば、銀次を一塁に固定できる。銀次は14年シーズン前半、不慣れな三塁守備に入り、打撃にも影響した。ウィーラーの獲得は生え抜きの銀次を光らせる補強とも言えそうだ。 15年、松井稼頭央が中堅手として再スタートを切る。某選手によれば、楽天投手陣を救ってきたのは松井と二塁の藤田一也だという。2人は「ピンチのときに声を掛けてくれるタイミングが絶妙」とのことで、今後、その役目を藤田一人が担うわけだ。大久保体制のキーマンは銀次と藤田ではないだろうか。
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スポーツ 2015年01月15日 15時00分
プロフェッショナル 巧の格言 杉山邦博(元NHKエグゼクティブアナウンサー) 「すべて土俵が中心」相撲実況アナのブレない心意気(3)
最近は日本語の中にやたらと横文字が入り込んでいるが、これもあまり好ましいことではないという。 「相撲の世界では、なるべく横文字をダラダラ並べないというのが基本です。たとえば、『淡い黄色』という表現を、今の人は『パープルイエロー』と表現するようですが、それで視聴者は映像をイメージできるか。また逆に、『群青色』というやや紫を帯びた深い青色を今の人に聞くと、どんな色かわからないと言う。これは困ったと思いました」 「繻子の締め込みが土俵の電光に映える」と実況すると、ラジオを聴いているファンは絹糸でできたまわしが土俵の上の電光で光り輝いているんだなというイメージが湧く。まわしの色が淡い黄色だとして、そこで「パープルイエロー」と言ってしまえば一気に興ざめしてしまう。 「色遣いを日本語で表現するとどうなるのか。実際、道端で出会ったものを放送で言うとなると、どんな感じになるか。現役時代は常にそうしたことを考えていました。『浅葱色』は薄い藍色ですが、『水浅葱』という水色がかった浅葱色もある。カラー放送の時代ですから、それを言う必要もないが、ラジオではそうはいかない。アナウンサーという職業は四六時中勉強ですよ」 実際にそれは、ラジオとテレビでの実況方法の差に表れる。 「例えば、白鵬が上手を取ったとします。テレビだったら『上手を取った白鵬』、これで十分かもしれませんが、ラジオは必ず主語を頭に持ってくる。ラジオはきめ細かく聴いている人が映像を描いていただけるように表現することが大切です。そして、色までわかるように言う。色遣いを日本語で表現するとどうなるかにこだわったのは、そのためなんです」 また、杉山は常に客観的で冷静に実況をするように心がけていたという。 「あらゆる情報は土俵にある。すべて土俵が中心というのが私の信念です。健康に恵まれているということもあって、これまで61年間、本場所の土俵は欠かさず見てきた。ブレない頑固さが私の誇りですね」 「泣きの杉山、泣かせの杉山」と呼ばれ、人情アナの異名を取った杉山は、大の初代・貴ノ花贔屓。貴ノ花が引退した'81年初場所7日目の実況放送では、思わず感極まった。「今日貴ノ花関が引退です」、その後の言葉が続かず涙が止まらない杉山に視聴者はより感動を覚えた。記者は、その杉山の様子を横で見ていた解説の玉の海梅吉氏が、貴ノ花の初土俵からの思い出を語り始めたのを覚えている。名解説者と名アナウンサーの人間ドラマを見る思いだった。 角界一の猛稽古で鳴る二子山部屋を見てきた杉山が、昨今の稽古不足をこう嘆く。 「土俵の鬼の初代若乃花と弟弟子の元小結若ノ海は、三番稽古といって2人で続けて申し合いをする稽古を1時間半くらいやっていましたよ。それくらいやると逆に荒い息遣いも収まり、さらにそれを超えると汗も出なくなる。いくら雑巾を絞っても水が出ない、そんな感じになるわけです。最近は稽古といっても、20番やる稽古は珍しい。30番やると、かなりいい稽古したなと満足してしまうほどです。高田川親方の安芸乃島が現役の頃、100番以上の稽古をやって親方からやめろと言われましたが、今は総じて稽古が足りません。大横綱大鵬は現役の時、涙ぐましい努力をした。しかも、質、量ともに考えながらです。ファンに納得してもらえる相撲を見せるには、まずしっかり稽古すること。それに尽きますよ」 61年土俵を見続けてきた努力の男が大相撲に贈る言葉は「稽古せよ」。これに反論できる力士は一人もいないだろう。 (文・大津太郎/写真・山田隆)すぎやま・くにひろ1930年福岡県生まれ。日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授。プロ野球、高校野球、競馬の実況中継も手掛けたNHKを代表するアナウンサー。「土俵の鬼 三代」(講談社)などの著書もある。
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スポーツ 2015年01月14日 15時00分
プロフェッショナル 巧の格言 杉山邦博(元NHKエグゼクティブアナウンサー) 「すべて土俵が中心」相撲実況アナのブレない心意気(2)
それは野球の実況についても同じことだった。 「野球では、背番号を見ないと誰かわからないようでは半人前。遠目でもわかるようでなければダメだと先輩から言われました」 そして杉山は、金田正一の剛速球、杉下茂のフォークボール、そして神様、仏様、稲尾様の迫力ある投球も、その声で伝えてきた。 「ある人から『あなたは“相撲の杉山”と言われるが、他のスポーツを実況したことはあるんですか?』と聞かれたことがあるんです。私は名古屋の次に福岡に赴任しましてね、西鉄の実況はよく担当しました。'58年9月27日に行われた西鉄-南海戦は、稲尾と杉浦が投げ合って0-0で延長戦。結局引き分けでしたが、あれを実況したのが私でした」 '68年のメキシコ五輪では、レスリングの中継も務めた。実況したのは、レスリング重量級で銀メダルを獲得した、モンゴルのジグジドゥ・ムンフバト。白鵬の父親だ。閉会式の中継で杉山は「モンゴル人ただ一人のメダリスト、ジグジドゥ・ムンフバトさんが行進しています。私の目の前を通っています。嬉しそうです」と実況している。 そんな中、杉山にはあるこだわりがあったという。 「基本は現場にすべての情報がある、というのが私の持論。NHKも民放も、今の実況ではアナウンサーが解説者とのやりとりで済まそうという人が少なくありません。しかし、私は紙切れ1枚を前に置いて、現場、つまり目の前の試合を見た。解説者を気にして横を見ていると大事なものを見落とす可能性があるからです。野球で言えば、1.5の視力を広角レンズにしたつもりで、スコアボードからキャッチャーまで丸ごと見ました。バッターによって左中間が広くなったり、右中間が狭くなったりと守備位置が微妙に変わる。そんな野手やバッターの一挙一動を伝えることが必要なんです」 確かに現在の実況方法は当時と大きく変わっている。野球放送ではアナウンサーが解説者とのトークを楽しんでいる場面も多い。そこには、今や鮮明に映しだされるきれいな映像を見せておけばいいという安心もあるのだろうが、緊張感がないのも事実で、物足りなさも感じられる。 杉山は、時計を見なくても30秒でまとめて欲しいと言われれば、ピタリとその時間通り話をまとめる“特技”を持ち、かつてテレビの特番でも紹介されたことがあった。 「それは半世紀もやっていればやれるようになります。しかし、あえて言うと、表現は一行で完結することを心掛けること。言葉が伝わっていくのは一行、一行に重みがあるからです。そのために説得力も出てくると思います」 アナウンサーの口癖を注意して聞いていると、今の特徴は「…けれども」で言葉を繋いでいく人が多いことである。 「以前は『…まして』でつないでいく人が多かったが、これもいただけません。また、言葉が途切れると、不安に思うのか『え〜』『あ〜』『う〜』となる人もいるが、これも絶対に言ってはいけない。そうするとね、これが結構、間になる。そこを我慢しなければならないんです」
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スポーツ 2015年01月14日 11時45分
2014年ペナントレース総括 数字で分かるアノ補強とドラフト指名(中日編)
最多勝投手を輩出したが(山井大介=36)、先発ローテーションが確立されないまま、ペナントレースが終わってしまった。しかし、その投手陣を預かる森繁和ヘッドコーチ(60)の手腕が健在であることも証明されたシーズンではないだろうか。 落合博満GMが監督だったころ、その右腕でもあった同コーチはキャンプ、オープン戦中、現有投手陣を見極め、「期待値ゼロ」で先発ローテーション入りを予定している投手6人の勝ち星を客観的に計算し、優勝ラインに届かない分を救援投手で補う戦略を立てていたという。中日は首位争いに残れなかったが、福谷浩司が72試合、又吉克樹が67試合、祖父江大輔が54試合に投げている。落合時代の強い中日は救援投手陣が充実していた。チーム最多セーブは今季も岩瀬仁紀だったが、その岩瀬が戦線を離脱した8月以降、福谷が代役を務め、11セーブを挙げた。福谷、又吉、祖父江、田島慎二らを中心とした新たな中継ぎ陣で90ホールドを稼いでおり、“逆襲の礎”を築いた1年とも言えるだろう。 補強の最優先事項は『先発投手』ということになるが、ドラフト会議以降、中日内部から不安の声は全く聞かれない。 「ドラフト前日、1位候補を野村と浜田の2人に絞りました。両投手の競合を覚悟していたのに、1位候補の2人を両方獲得できたのは大きい」(関係者) ドラフト会議では、落合GMのカラーが色濃く出たとされている。とくに、1位の野村亮介投手(21=三菱日立パワーシステムズ)は落合GM自らが見極めという。2位の浜田博智(22=九州産業大)も国際大会で好投している。この2人の先発ローテーション入りは確実だが、意外と(?)評価が高いのが8位の山本雅士(20=独立L・徳島)である。 「ボールが重い。スピードガンでは140キロ台後半だが、タイミングが取りづらいというか、実戦的な投球ができる」(他球団・中国四国担当スカウト) 『実戦的な投球』とは、対戦打者の胸元や低めを攻めて来るという意味。「球種が少ない」とのことで指名を見送ったチームもあったそうだが、中日投手陣は速球派タイプが少なくなっただけに“働き場所”は十分にありそうだ。 野手陣も再整備しなければならない。 中日はレギュラーの高齢化と若手・中堅の『伸び悩み』が指摘されて久しいが、改めて見てみると、高橋周平(20)は61試合、谷哲也(29)は59試合、松井佑介(27)は52試合に出ている。2014年は和田一浩(42)の故障離脱、荒木雅博(37)の出遅れなどで中堅・若手にもチャンスはあったが、それを掴みきれなかったと見るべきだろう。落合GMが外野手・友永翔太(23=日本通運/3位)、内野手・石川駿(24=JX-ENEOS/4位)、同・遠藤一星(25=東京ガス)と、容赦なく松井たちと同じ年代の野手を指名したのは「世代交代」が進まないことへのジレンマと『喝』だったのだろう。 チーム打率2割5分8厘は、リーグ4位。総得点570は同5位、87本塁打は同ワースト。打線に『破壊力』がない…。ただ、13年はチーム打率2割4分5厘(同ワースト)、総得点526得点(同ワースト)、111本塁打(同4位)という数字だった。打率と得点は「前年比で微増した」が、規定打席数に到達したのは、大島洋平(29)、ルナ(34)、森野将彦(36)、平田良介(26)、荒木の5人。“現有戦力”が頑張っただけなので、「新戦力が出てきた」という期待には繋がらなかった。和田が長期離脱したように、チームを支えているレギュラー、ベテランに何か起きた場合、欠場した選手の分だけ攻撃力が落ちるという図式にある。 契約更改でモメた大島、平田のモチベーションがちょっと気になる。ルナ、エルナンデス(32)の優良外国人選手には15年も打ってもらわなければならないが、2人は守備面での不安を抱えている。ルナはリーグ2位タイの14失策、エルナンデスは11失策(同8位タイ)。チーム全体の失策数が『75』。攻撃力で外すことのできない外国人選手2人がチーム全体の約34%を作った計算になる。谷繁元信・兼任監督にすれば、森ヘッドによる継投策で逃げ切り体制に入った際、両外国人選手を守備力の高い若手と交代させたいのではないだろうか。その谷繁兼任監督から正捕手の地位を奪う捕手も現れなかった。終わってみれば、もっともマスクを被ったのは87試合の谷繁であり、ドラフト5位の捕手・加藤匠馬(22=青学大)を期待しなければならなくなった。 中日は潜在能力の高い中堅、若手が多いとされている。しかし、レギュラーの地位は与えられるものではなく、奪うものである。そんなプロの世界の鉄則に従い、チャンスを生かしきれなかった若手に対し、落合GMは彼らと同年代の『社会人野球の新人選手』をぶつけ、さらに厳しいサバイバルレースをさせようとしているようだ。
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スポーツ 2015年01月13日 15時30分
2014年ペナントレース総括 数字で分かるアノ補強とドラフト指名(広島東洋編)
チーム打率2割7分2厘はリーグ2位、同防御率は3.79で4位。投手陣の成績は決して高くないが、ペナントレース前半戦を牽引したのは、投手陣である。その投手陣が息切れしてしまい、チームも首位再浮上のキーマンを見つけられないままペナントレースが終了した。したがって、2014年のオフは「投手を補強してくる」と思われた。しかし、緒方孝市・新監督(46)が有原航平(日本ハム指名)を抽選で外した後に選択したのは、外野手・野間峻祥(21=中部学院大)だった。走攻守3拍子揃った逸材だが、「野手陣が確実に育っていたので、まさか1位とは…」というのが、他球団の感想である。チーム関係者によれば、ドラフト上位指名候補のVTRを観たとき、緒方監督が惚れ込み、「絶対に指名してほしい!」と唸ったそうだ。 ヘスス・グスマン内野手(30=前アストロズ)を獲得したのは、本塁打王を獲得したエルドレッドに相手チームのマークが集中した14年シーズンの反省もあったという。 12月時点で、広島の外国人選手は、エルドレッド(34)、グスマン、ロサリオ(25)、ヒース(29)、フィリップス(28)、新加入の先発タイプの左腕、クリス・ジョンソン(30=ツインズ)、マイク・ザガースキー(31=ブルージェイズ傘下)で、計7人。ロサリオ、ヒース、フィリップスが二軍待機する可能性も考えられるだけに、贅沢な布陣となった。 だが、クローザーに一抹の不安が残った。ミコライオの退団により、『空席』となってしまった。セットアッパーの中田廉(24)、一岡竜司(23)、ベテランの永川勝浩(34)をコンバートするのか、それとも、米球界では主にセットアッパーで投げていたザガースキーに託すのか、緒方監督は明らかにしていない。残留を表明したエース・前田健太(26=187回)、大瀬良大地(23=151回)を始めとする先発スタッフは“責任イニング”を投げきる能力が高いだけに、クローザーを固定せず、「試合展開を見ながら」という継投も考えられる。ただ、今季は前田が8月以降、2勝5敗と振るわなかった。大瀬良の8月以降の成績は6勝4敗。トータルで見れば、両投手で貯金は『2』しか作れなかった。九里亜蓮(23)、野村祐輔(25)、福井優也(26)は、シーズンを通して負け越している。そう考えると、先発での起用を予定しているジョンソンがキーマンになるのではないだろうか。 また、前田の将来のメジャー挑戦を考えると、1日も早く大瀬良に次ぐ『先発の柱』が欲しい。ドラフト2位の藪田和樹(22=亜細亜大)だが、「素質は山崎康晃(DeNA1位/同大)よりも上」(在京球団スカウト)の声もあったが、投球は“荒れ馬スタイル”で、プロでは下半身の強化から始めなければならないとの声も多い。また、3位の高校生左腕・塹江敦哉(18=高松北)に対しても、一軍戦力になるまで3年以上掛かるかもしれない。「投球フォームがキレイ」と評するドラフトフリークもいたが、プロのスカウトは「リリーフポイントがバラバラ」(前出・同)と見ており、チーム事情から3年以上の育成期間を掛けられないとして、下位リストにまわした球団も少なくなかった。両新人とも将来性が高い。弱点を補うというより、「3年以上先を見越して、一級品の素材を集めた」というところだろうか。 今季、會澤翼(26)、石原慶幸(35)、倉義和(39)、白濱裕太(29)がマスクを被った。盗塁阻止率2割2分3厘はリーグワースト。捕手の補強は急務であったはずなのに、補強したのは、ドラフト7位の高校生捕手・多田大輔(18=鳴門渦潮高)、育成1位の松浦耕大(21=MSH医療専門学校)だけだ。ともに強肩であるが、即戦力ではない。だが、同専門学校の片岡新之助監督は元広島バッテリーコーチであり、倉、石原はその薫陶を受けている。松浦は「プロで生き残る捕手とは」を教育されてきた。多田は『4番』も張ってきた。こちらも将来性という補強だった。 エルドレッドに集中する相手バッテリーのマークを分散することに成功した。しかし、バッテリー部門は弱点を抱えたまま15年シーズンに臨むことになる。野村監督は1位指名で即戦力投手を集めてきた。それが14年の快進撃の礎になったわけだが、緒方体制になって、『育てる』という意味合いがまた強くなってきた。広島は目先の補強よりも、数年後に期待できる補強をしたようだ。 2014年12月26日未明、黒田博樹(39)が帰還するとの一報が飛び込んできた。「戦力として活躍できるうちに帰還したい」なる言葉からして、年齢を感じさせないピッチングを繰り広げてくれるはずだ。黒田が元気なうちに、『一級品の素材』(=新人)を一人前に育てたい。
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スポーツ 2015年01月13日 15時00分
プロフェッショナル 巧の格言 杉山邦博(元NHKエグゼクティブアナウンサー) 「すべて土俵が中心」相撲実況アナのブレない心意気(1)
「私が放送ジャーナリストに魅せられたのは、戦前の双葉山-玉錦の横綱同士の一番と、大学野球の早慶戦の実況でした。それがきっかけで、ジャーナリストを多く輩出している早稲田大学の文学部に進んだのです」 当時をそう振り返った元NHKアナウンサー杉山邦博(84)。双葉山-玉錦の一番を実況した一人は、後に杉山の上司となる山本照アナウンサーだった。その名調子に魅入られ早大に入ったのだが、最初、門を叩いた放送研究会では「声がアナウンサー向きではない」「小倉訛りがある」と言われ、入会を許されなかったという。 「私は悔しくて、その後は覚えたラジオドラマのセリフを繰り返すことで訛りをなくし、標準語に近づけました。そして自らアナウンス研究会を立ち上げ幹事となったのです」 早大のアナウンス研究会は、現在もNHKや民放各局に人材を輩出している。当時の放送研究会を排除された悔しさが、ブレない放送ジャーナリストの原点となったのだ。 杉山は'53年、NHKに入局。翌年、赴任したのが名古屋だった。当時、名古屋では準本場所が行われており、杉山は新人にもかかわらず新横綱・吉葉山(宮城野部屋)の土俵入りや、幕内力士の一番一番を見事に実況したのだ。新人で相撲実況をこなすのは、素人目に見ても難しいことはわかる。 「少年時代から相撲が好きだったので、大相撲の知識は一通り身につけていました。でも、当時はラジオが主流でしたから、言葉としての決まり手は知っていても、実物を見たことがない。それでも立合いから勝負がつくまで、専門用語も含め技の解説にも触れながら実況しなければならない。新人アナには確かに至難の技です」 しかし、それを見事乗り越えたのは、前述した上司のアナウンス部長、山本氏の教えがあってのことだった。杉山は予め、相撲を実際に取りながら実況稽古を受けたのだ。 「中継を想定して、喋りながらスタジオ内で何度も何度も山本先輩に転がされましたよ(笑)。相撲の決まり手は48手ありますから、それを全部やったわけです」 相撲を知り尽くしたベテランアナを相手に稽古ができたのだから、これに勝る教えはない。とはいえ、相撲担当アナに必要なのは立ち会いの実況だけではない。力士の数は約700人。その顔と名前が一致しないと話にならないのだ。 「先輩によく言われたのは、『背中を見て誰だかわからないとプロじゃない』ということでした。だから毎日、各部屋の朝稽古にまだ薄暗い朝の5時頃から行って、5時間くらいは座敷に座っていました。すべてが勉強でしたね」
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スポーツ 2015年01月12日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈橋本真也vs小川直也〉
1・4東京ドームはプロレスファンにとっての事始め。新年初出勤もそこそこに切り上げてJR水道橋駅を降りる会社員の姿が、かつては多く見られたものだった。 だが、1999年の大会では、そんな正月気分の抜け切らないファンを“目覚めさせる”事件が勃発する。 『小川直也VS橋本真也』 猪木が小川育成のために立ち上げた新団体UFO(世界格闘技連盟)と、新日との対抗戦として組まれたこの試合。大会前の話題の中心は大仁田厚の新日初参戦であって、過去に2度対戦しているこの顔合わせは、実はさほど注目されていなかった。 だが、小川の入場とともに会場の空気は一変する。 シェイプアップされた身体はかつての新日参戦時とまるで別人。さらには両の手にはめられたオープンフィンガーグローブ。この3カ月前には高田延彦がヒクソン・グレイシーに2敗目を喫したばかりで、そんなプロレスの敵ともいうべき総合格闘技スタイルは観客を当惑させるに十分だった。 一方の橋本もいつになく緊張した雰囲気で、観客席からはそれとわからないが、その上半身には組み付かれても逃げられるようにオイルが塗られていた…。 場内が緊張した空気に包まれる中、ゴングが鳴る。 小川が間合いを詰めてジャブを放つと、これがいきなり橋本の顔面にヒット。実質的にはこの一発で試合終了だった。 崩れるようにして後ずさりをした橋本は以後反撃らしい反撃を見せることなく、小川から一方的にマウントパンチ、顔面踏み付けと攻め立てられる。 試合時間6分58秒−−。結果こそはノーコンテストとされたが、誰の目にも橋本の惨敗は明らかだった。 この試合を「小川が仕掛けたセメント」と評する声は今も根強い。小川のセコンドに付いた佐山聡が後に「小川に興奮剤を使わせた」と語ったことも、セメント説を補強することになった。 だが、それとは異なる証言もある。 「小川は試合後、電話で“俺は何もやってませんから”と言ってきた」(新日、UFO双方と関わりのあったX氏) “何もやっていない”とはどういうことか。 「小川はあくまでもプロレスとしてリングに臨んだということ。それを橋本が一人で“仕掛けられた”と勘違いして怯んでしまったために、おかしなことになったんだ」(同) これまでも小川は、UFO自主興行において格闘技色の強い試合をしていたが、それはあくまでもプロレスの範疇のこと。そしてこの日もそれと同じ闘いをしただけだというのだ。 だが、それが真相だとしても、橋本だけを責めるわけにもいかない。 「試合前には誰が言うともなしに“猪木さんが何か仕掛けてくるに違いない”との噂が流れていて、新日勢はみんなピリピリしていました」(新日関係者) それもあって、試合後の両軍入り乱れての乱闘では新日勢が感情的になり、小川のセコンドに付いた村上一成を病院送りにするほどの過剰な暴行を加えることにもなった。 試合前日に予定されていたルールミーティングという名の“事前打ち合わせ”に小川が欠席したことも、橋本を疑心暗鬼にさせた。 とはいえ、小川と橋本は、ほどなくして互いに矛を収めている。 「橋本が小川を信用していなければ、その後の“負けたら即引退”なんていうバカげた試合など受けるはずないからね」(前出のX氏) 小川もまた橋本のそんな度量の広さを信頼し、橋本が『ZERO-ONE』を旗揚げするとこれに参戦。小川&橋本のOH砲として共闘も果たしている。 2人の関係はそうして丸く収まったが、しかし、収まらないのはプロレスファンの心中だ。「新日本プロレスのファンのみなさん、目を覚ましてくださ〜い」との小川の試合後のマイクは、まさしくその言葉の通り、プロレスファンの目を覚まさせた。格闘スタイルの小川に橋本が完敗したことは、プロレスラーの強さに疑念を抱かせることにつながったのだ。 そうしてみるとこの“1・4事変”こそが、プロレス界長期低迷のきっかけであったと言えるのかもしれない。
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スポーツ 2015年01月11日 15時00分
青学・神野大地も東京五輪マラソンで活躍できない駅伝出身選手育成の大問題
正月の風物詩ともいえる箱根駅伝は青山学院大学の初優勝で幕を閉じた。神野大地の活躍もあり2位の駒沢大学に10分以上の差をつける圧倒的な強さが際立ったが、今年の駅伝中継でたびたび耳にしたのが「東京五輪で」のフレーズだった。 駅伝で活躍した学生たちには、来る2020年の東京五輪で活躍してもらいたい。しかし、前回ロンドン大会の男子マラソン代表3選手は、箱根駅伝の出場経験はあるが目立った成績は残していない。かつて『山の神』と称された柏原竜二(25=富士通)も、実業団入りした後は、むしろ伸び悩んでいると言っていい。 「“マラソンと駅伝は別競技”の解釈も、陸上関係者の間で定着しつつあるようです。やはり、約20キロの起伏の激しい山道と42.195キロを走るのとは違う。どちらも専門的な練習を積み重ねなければならず、マラソンと駅伝、選手を分けて育成すべきかもしれません」(スポーツライター・飯山満氏) とはいっても、実業団=企業にはマラソン、駅伝の両方の専門ランナーを雇用する資金力はない。 「元旦恒例の企業駅伝でも好成績を残している実業団チームのスカウトによれば、長距離ランナーが国際マラソン大会に出場するには、最低でも3カ月の専門トレーニングが必要だそうです。そのため、12月に福岡国際マラソンがあっても、元旦の『ニューイヤー駅伝』と時期的に重なるから、マラソンのトレーニングに専念させられないと嘆いていました」(同) 五輪競技ではない『駅伝』を企業チームが重要視する理由は、一昔前に企業が野球チームを持っていたのと同じで社員の注目度が高いから。またマラソン、駅伝ともに、1年間その専門トレーニングをさせる環境を維持するためには、約2000万円の費用が掛かるという。同じ2000万円を投資するなら、社会的にも関心の高い駅伝をより重要視した方が企業の宣伝にもなると判断しているのだ。 「駅伝は国際大会があっても、日本独自の競技。マラソンとの共存は今後の課題です」(大会関係者) 5年後に間に合うか…。
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スポーツ 2015年01月11日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(17)第三部・100を切るゴルフ実践編「パー5コースの攻略法(ヘッドアップ・実践編)」
皆さん、新年明けましておめでとうございます。2015年も宜しくお願い致します。 初打ちはいつですか? 私はお仕事の関係で未定ですが、今月中には何とかコースに立ちたいと思います。 新年初めは年末から引き続き「パー5」について。「パー5」は本稿で終了なので、恒例の実践編を交え、よくある失敗談である「ヘッドアップ」についても綴っていこうと思います。 まず、ヘッドアップについてご紹介しますね。何度も書いていますが、このホールは誰しも飛距離が気になります。ドライバーで目一杯のショットを打ち、飛距離を稼ぎ、最悪でもパー…。これが一般的な考え方です。この考え方については、私なりの見解があるので、それに関しては前回・前々回で確認して下さい。 それはさておき、飛距離を意識するとボールの行方が気になります。そうするとインパクト時から顔がボールを見ていない…ボールは足元、顔は遠く250ヤード先…心が控えめになっていない。アドレナリンが出ている証拠ですね。ただ、この手の話は一般的。改善策としてはとにかくスコアを意識しない事。パーで上がろうとしないで、ゆったりとプレーしましょう。 パー5は、プロ・セミプロではない限り基本、大叩きするホール。しかも100切りを目論んでいるプレーヤーにとっては鬼門ですね。 私の知り合いに100切りを目指しているコがいるのですが、彼女はパー5ではすごく叩く。10打、11打は当たり前です。で、必ずと言っていい程、彼女はヘッドアップする。力んでヘッドアップするため、ボールは大きくスライス。第2打で飛距離を出そうと焦って打つので今度はボールが遥か彼方へ…この悪循環で大叩きします。足元のボールだけを見る事…集中する事です。 アウトに2ホール、インに2ホール、パー5がありますが、一番厄介なのはホールアウト目前にあるパー5。大体、スコアが気になるところで、欲を出して大叩きして終わるというのが通例です。ここは諦めて最終のパー4で巻き返しを狙った方が効率がいいです。 私はゴルフを始めたばかりの頃にとんでもない失敗をしました。何と18ホール目がパー5。ここをパーで上がれば100切りが達成する…という緊張する場面でした。パーだと99。ボギーだと100…。やはり“100を切ったー!”と言いたい場面です。緊張しました…。 右に池があり、絶対にそこにはボールを入れたくない。そこで私は「とにかく左に打って行けばいいや」という結論に達したのです。クラブをいつもよりもかぶせて打ちました。結果、緊張のあまりかぶせ過ぎて打球は左に…。「池に入らなかっただけいいじゃない」と思えれば良かったのですが、普段よりも距離が出ていないことに焦りを感じた私はセカンドで距離を出し、ここで一気に畳み掛けようと思ってしまい…案の定、距離が気になりヘッドアップ。ボールは低空飛行でコース脇の木に直撃。それも、木のド芯に当たるアクシデントです。跳ね返ってきたボールは私を超え、後方にあるバンカー内に落ちました。 そのバンカーも普通に打てば楽に出せる程の傾斜でしたが、ここでも100切りが頭をよぎりヘッドアップ…結局、バンカー内で3回も同じミスを犯し、試合終了。11打を叩いて、100どころか110くらいのスコアになりました。 因みにバンカーにハマっていた時、先生から「今日は100、切れないね」と言われたのですが、そう言われて緊張がホグレ、その直後、普通に打ったら、綺麗にバンカーからボールが出ました。そればかりか、最後のグリーンも完璧でした。 緊張して力んでしまうこと、ボールの行方が気になりヘッドアップしてしまうこと…仕方の無い事かもしれませんが、平常心を忘れず心にゆとりを持つ事が大事ですね。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年01月10日 18時00分
結局、阪神残留! 夢より“金”を獲った鳥谷
阪神タイガーズは1月9日、FA宣言して、メジャー移籍を目指していた鳥谷敬内野手(33)の残留を発表した。 鳥谷にはブルージェイズを筆頭に、パドレス、メッツ、ナショナルズなどが興味を示していたが、日本人内野手の米国内での評価は低く、水面下で出された条件は単年で、昨季年俸(3億円)を下回るもので、鳥谷側の希望に見合うオファーはなかった。 一方、阪神は4年以上の長期契約で、年俸は大幅アップの4億円程度を提示したともいわれる。米国と阪神の条件の差は明らかだった。 鳥谷には“凄腕代理人”のスコット・ボラス氏が付いている。ボラス氏は米国残留を希望していたともいわれる中島裕之内野手(32)とオリックスとの間に、破格ともいえる3年総額12億円の大型契約を成立させたばかり。 代理人の報酬は契約した金額のパーセンテージであり、ボラス氏が鳥谷に対しても、年俸の安い米国より、自身の実入りが多い阪神残留を指南したであろうことは容易に察しが付く。 青木宣親外野手(33)のように、ヤクルト時代より年俸が下がっても、夢を優先して、メジャーに挑戦した選手もいる。川崎宗則内野手(33)や田中賢介内野手(33)はマイナー契約でも、夢を追って海を渡った。 しかし、最終的に鳥谷は“金”を優先した。その年齢、阪神が用意する長期契約を考えると、残留はメジャー断念を意味する。それでも、鳥谷は夢を捨てて現実を取った。それは、ビジネスなら当然のことで、非難されるものではない。 阪神は鳥谷流出を想定して、中日ドラゴンズを戦力外となった森越祐人内野手(26)を獲得。もともと、内野手だった大和外野手(27)の遊撃再コンバート、西岡剛内野手(30)の外野転向も構想にあったが、それは白紙に戻った。 阪神球団、ファンにとっては、あきらめかけていた鳥谷が残ってくれたのは願ったりかなったりだ。 なお、ブルージェイズは鳥谷が残留を決めたことで、FAとなっていた川崎と再契約を結ぶ可能性が高くなったようだ。※年俸は推定(落合一郎)
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