山口敏太郎
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トレンド 2011年01月29日 12時00分
うちなんちゅやまとんちゅ〜沖縄身の丈見聞記〜(2)「緊急潜入特集:オーハ島に市橋達也被告の影を追う!」(前編)
2009年11月。沖縄に越してきて数か月、南の地で初めての冬を迎えようとしていた頃。突然飛び込んできたニュースがあった。 市橋達也容疑者、身柄確保−−沖縄へ逃亡する直前に逮捕。 リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件、そして犯人である市橋達也被告については、その事件の背景−−家宅捜査に駆けつけた警官の前から逃走したことや、度重なる情報公開など−−もあって、印象に残る事件であった。 そんな事件の容疑者が、ここ沖縄に来ようとしていた。自分たちも沖縄に引っ越してきたばかりということもあって、かなり衝撃を受けたニュースだった。 1月26日に発売された彼の手記『逮捕されるまで〜空白の2年7カ月の記録』(幻冬舎)によれば、沖縄へ向かったのは、離島にある隠れ家へ行き、そこでしばらく潜伏生活を送るためであったという。しかも彼は、この隠れ家を使うために4回は沖縄を訪れていたという(※)。 彼が向かおうとしていた場所は、沖縄県は久米島の脇、オーハ島。 彼は一体何を思い、何を求めて離島の小島へ行ったのか。 筆者は一路、オーハ島へ向かった。 1月27日。取材日はあいにくの天候で、風は強く、雨もぱらついていた。波もやや高く、島に向かう小舟は時折海の上を跳ねるようにして進んでいく。合羽と長靴を身に付けていたとはいえ、吹きさらしの海上では、強い風と波しぶきであっという間に服や髪がべしょべしょになる…かなり寒いっす! 実は数日前、久米島ではあられが降ったとか。沖縄でも、寒い時は降るんです。 市橋被告が潜んでいた小屋はオーハ島の南端になるのだが、船長曰く今日は波が荒く、いつも船を着けている所に船を寄せられないという。そこで、小屋の近くの砂浜に船を寄せ、岩場を回って現場に向かうことにした。 オーハ島外周の大部分は、珊瑚のかけらや貝殻が寄せる白い砂浜であるが、潜伏場所近辺は沖縄独特の石灰岩の岩場が広がっている。波による浸食を受けた岩場は滑りやすい上に、岩の表面が鋭利に尖っている。平らな所や足をかけやすいくぼみも少ないので、足場はすこぶる悪い。しかも、小屋の建っている高台へ行くためには、大人の身長を超える岩壁をよじ登らなくてはならない。 峻険な岩場を抜けると、次は深い藪が続く。原生のノニなどが生い茂る藪は、大人でもすっぽり中に隠れてしまえるほどだ。警察や取材陣が殺到した今でこそ、小屋までのルートには細い獣道が出来ているが、市橋被告のみがいた時は、恐らくこんな獣道すらもなかったのではないかと考えられる。 彼は潜伏場所である小屋を、海に居た時に見つけたという。そのまま海側から小屋を目指したとすれば、距離の割に骨の折れる道だったはずだ。 ハブに気を付けながら深い藪をかき分けていくと、やがて目の前にコンクリート製の小屋が見えてきた−−市橋被告の潜伏先である。(後編に続く)(※リアルライブ・1月27日付「市橋達也被告が潜伏していたオーハ島って、どんな島?」参照)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/86362946/(黒松三太夫 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
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社会 2011年01月28日 18時00分
愛知県西三河地方の伝説「引馬野爾」
愛知県知立市山町を通る旧東海道の松並木に「引馬野に にほふはりはら いりみだれ 衣にほはせ たびのしるしに」という万葉歌碑が立っている。この辺りの地名は引馬野といい、昔時より万葉集引馬野の跡と伝えられている。 大宝2(702)年、持統天皇は三河行幸を行った。『続日本紀』によれば、その帰朝の行程は三河国から尾張国へは旧東海道を行く陸路をとっている。その際、「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢多鼻能 知師爾 長忌寸奥麻呂」と、長忌寸奥麻呂がこの捧呈歌を詠んだとされている。 また、知立市にある牛田町から山町の間を『ひくま』と呼び、牛田町にある西教寺は、山号を『牽馬山』(ひくまさん)といい、山町には現在でも南引馬、北引馬の地名が残っている。昔から三河の地は良馬の産地で、毎年、初夏の頃になると知立市で馬市が開かれるのが習わしで、設楽の山地で育った馬が、『ひくまの原』の大草原に集められていたという。 引馬野という場所は、この他に愛知県豊川市御津町の引馬神社説と静岡県浜松説があるが、昭和28年9月、当時の知立町長・加藤玉堂氏は知立引馬説を強く主張してこの万葉歌碑建立した。 知立市にある旧東海道の松並木は、慶長9(1604)年、江戸幕府が諸国に対し、五街道に一里塚と並木を設置することを命じたもので、その当時、幅7m、約500mにわたり、約170本の松が植えられていた。知立市の街道には側道があるのが特徴で、この地で行われていた馬市の馬を繋ぐためのものであった。(写真:「引馬野爾」愛知県知立市山町)(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2011年01月28日 17時30分
日曜朝には見られない!? あなたを吸いつくすスーパーヒロインが登場!
1月23日、新宿ロフトプラスワンにて行われたイベント『レイパー佐藤のスーパーエーロータイム』でモノマネ芸人・レイパー佐藤氏初の商業監督映画となるアダルトヒーロー作品『超好色戦士ランジェリオン』の完成披露試写会が行われ、『ランジェリオン宣伝大使』の大槻ひびきアナ(東京女子アナ商会所属)もランジェリオンのコスチュームを身にまとい登場した。 レイパー佐藤氏は「大人のサザエさん」などの下ネタモノマネを得意とする芸人で、パラダイステレビで放送されているアダルトグッズ通販番組『ジャパネットはだか』の「はだか明社長」としても人気がある。 また、レイパー佐藤氏はかつてロフトプラスワンを中心に上映されていた特撮自主映画『クラッシャーカズヨシ』の監督を勤めていた経緯もあり『ヒーロー』+『エロ』が盛りだくさんの『ランジェリオン』はまさにファン待望の一作と言えるだろう。 気になるストーリーは、私立枕々丘学園で平和なエロ生活を送る主人公・玉沢留美(演・深田梨菜)は担任の山形先生(演・レイパー佐藤)の持ってきた「世界最古パンティー」を好奇心から装着してしまい『超好色戦士ランジェリオン』に変身する能力を手に入れる。ランジェリオンは健全な男子の生気をエネルギー源にし、悪事を企む『宇宙快賊アクメルダス』(演・葉月奈穂)と戦うのだった!! …というなんともバカバカしいものだが、アニメ・特撮マニアのレイパー氏らしく「3億5千年前のパンティー」「一発! コンプリート」「悶絶! 百烈拳」など知っている人ならばついニヤリとしてしまうキーワードが随所に散りばめられており、観ている人を飽きさせない作品となっている。 また、映画の前半では笑いに包まれていた客席も、終盤になるにつれ徐々に笑いが減っていき、真剣にランジェリオンの活躍を応援する姿が多くあったのも、ヒーロー番組の「ツボ」を熟知しているレイパー氏ならでは技であろう。 このイベントの模様はパラダイステレビで2月10日に放送される『東京女子アナ商会〜ノーパンNEWS〜』の中で放送され、『超好色戦士ランジェリオン』本編もパラダイステレビのHPで配信中だ。(http://www.paradisetv.co.jp/information/-/campaign_ppv/) かつて、仮面ライダーやウルトラマンを観ていた君も、そうじゃない君も、ランジェリオンを応援しよう!・パラダイステレビHP(http://www.paradisetv.co.jp/)・パラダイステレビ携帯HP(http://mobazo.net/)(昭和ロマン探求家・穂積昭雪 山口敏太郎事務所) 【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2011年01月27日 15時30分
“兇悪獣” 新型ベアハッグ「十八番絞め」を解禁! 1・23 地下プロレス『EXIT-60 EYES』(2)
【第1試合】“地下の悪童”ジョータ & “襲撃メタル”YASU vs “格闘僧侶”日龍 & “求道妖怪”入道 2010年最終戦『EXIT57-ZEST』にて“革命王子”矢野啓太に敗れ、キャプチャーインタナショナル王座を失い、丸腰で新年を迎えたジョータ。しかしこの悪童がいつまでも落ち込んでいるワケもなく、猛烈なシバき合いの中に相手をおちょくるムーヴを見せる、いつものジョータらしさはこの日も健在。 対戦相手チームの日龍は、今までになく大きな声を張り上げ気合を入れ、積極的に打撃技を繰り出し、昨年までとはひと味違う闘いを見せる。パートナーの入道も、いつにも増して気合一杯でジョータに一歩も退かずに立ち向かう。2011年にさらなる飛躍を誓う“坊主頭コンビ”の闘いは、その強い気持ちがビンビンに伝わるものであった。 しかしながら“襲撃メタル”YASUの重厚な蹴りの連発が、入道を襲う。もんどり打って倒れた入道は、そのまま10カウントを聞き、無念のKO負けとなった。YASUもまた、地下のリングで生き残りを図る一人なのだ。地下の生存競争は、2011年を迎えさらに加速する。○YASU(16分08秒 KO)●入道【第2試合】“兇悪獣”ナイトキング・ジュリー vs “ブラジル大車輪”ペドロ高石 “富士山頂地下プロレス”に“ムエタイ vs カポエイラ”の異種格闘技タイトルマッチ(vs 紅闘志也)を経て、2010年の地下マットで俄然存在感を増したペドロが、シングル戦で地下の顔役・ジュリーを迎え撃つ。 3m四方のリングにおいても、ペドロの変幻自在のカポエイラ殺法のキレは、まったく衰えることを知らない。予測不可能の動きから繰り出す多種多彩の蹴り技で、兇悪獣ジュリーを大いに困惑させた。 最後は若さとパワーに上回るジュリーが十八番・ベアハッグを繰り出し辛くも勝利を収めたが、このベアハッグがただのベアハッグではなかった。なんと、ペドロの両腕を後ろで交差させて極め、なおも腰を締め上げる拷問ベアハッグ、その名も新技「十八番絞め」(おはこじめ)となっていたのだ! ジュリーに新兵器を解禁させるほど、ペドロの猛攻が驚異的だったのだろう。そして新技を開発したジュリーの、2011年の暴れっぷりにも注目である。○ジュリー(13分31秒 十八番絞め)●ペドロ 全試合結果は以下の通り。◆地下プロレス『EXIT-60 EYES』2011年1月23日(日)開始:16:00会場:東京・高田馬場『ALAISE』<指名演武“予測不能ラッパー”PRIMAL><第1試合>ジョータ、○YASU(16分08秒 KO)日龍、●入道<第2試合>○ナイトキング・ジュリー(13分31秒 十八番絞め)●ペドロ高石<指名演武“戦場の舞踏女神”Ishtaria><第3試合>小笠原和彦、○梅沢菊次郎(16分44秒 レフェリーストップ)●紅闘志也、富豪2夢路 ※逆エビ固め※試合はすべて時間無制限一本勝負。KO、ギブアップのみで決着。地下プロレス『EXIT』公式サイトhttp://www7.plala.or.jp/EXIT/梶原劇画で伝承された「地下プロレス」が、この日本に存在した! 闇の闘いを伝える『EXIT』とは何か!?http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/97320773/魔都・東京の地下ネットワークが、高田馬場に拡散! 8・22地下プロレス『EXIT-45 MOONLIGHT』(1)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/22766825/(山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2011年01月27日 13時00分
怪物・梅沢菊次郎、2011年に大噴火!? 地下世界王者・紅闘志也を撃破! 1・23 地下プロレス『EXIT-60 EYES』(1)
昨年8月の初試合以来、既存のプロレスに飽き足らぬ地下フリークたちの間で、地下プロレスの“新聖地”として、今やすっかり定着した感のある高田馬場『ALEISE』。この新聖地での2011年初試合『EXIT-60 EYES』が、23日に挙行された。 観客席には、昨年最終戦(2010・12・21『EXIT57-ZEST』)で鮮烈デビューを飾った“おんな人間狂気”AIの姿が。ビール瓶片手にリングに鋭く睨みを入れるその姿はやはり禍々しく、特異な存在感を放っていた。【メインイベント】“人間狂気”紅闘志也 & “頭突き世界一”富豪2夢路 vs “足技の魔術師”小笠原和彦 & “地下横綱”梅沢菊次郎 地下王者・紅と“先生”小笠原の“ムエタイ vs 極真”対決、夢路と梅沢の“カンパイ・ボーイズ”対決と、どの組み合わせもこの上なく魅力的な、豪華絢爛タッグ戦。 このメインイベントの前に、あるサプライズが起こった。この日もリングアナは、昨年最終戦『EXIT57-ZEST』同様、マスクの端から金髪を覗かせる銀色の虎の仮面を被った男(!)が務めていた。地下に現れる金髪の虎仮面といえば、“超竜”高岩竜一に手錠マッチを強制する、緊縛師・春兜京(はると・きょう)の緊縛パフォーマンスに乱入するなど、昨年は神出鬼没の奇行を繰り返していたのが印象的。何から何までが謎だらけなのが、この男なのだ。 入場時に夢路は、「今日こそは逃がさないぞ!」とばかりに、虎の仮面を指さし、睨みつける。すると虎仮面は、なんとゆっくりとマスクを脱ぎ始めた。虎仮面を被っていた金髪の男は、なんとミスター雁之助だった…。 「おい、虎の仮面は、カナダのあの野郎じゃなかったのか?」 呆気にとられた夢路は、眼帯で覆われていない方の片眼を、ただただ丸くするより他なかった。 試合は熾烈を極めた。それにしてもこの四人の存在感たるや、リングに収まりきらぬ規格外のスケールを感じさせる。紅と小笠原の蹴りの応酬は、一歩間違えたら観客を直撃してしまうのではないかと錯覚するほどスリリングで、夢路と梅沢のカンパイ対決は、角を突き合わすバッファローの果たし合いのように重厚である。 夢路と梅沢の“地下最大の兄弟喧嘩”は、いつしか張り手とエルボーの応酬となり、試合もクライマックスを迎える。いつにも増して激しい攻防を見せる夢路だが、この日は眼帯を付けて試合に臨んでいた。 実は夢路は、試合2日前に紅とともに参加した、リアルライブ関係者も参列する某パーティーの席にて、謎の忍者レスラー・刃駆(はかる)の不意をついた乱入により、右眼に深刻なダメージを背負っていたのだ。とっさに火を吹いた夢路の頭突きが、刃駆の額を叩き割り、なんとか返り討ちにしたのだが…。試合2日前にアクシンデントを引き起こした刃駆。彼はもしや、地下組織WUW(World Underground Wrestling)が送り込んだ刺客だったのか…!? 片眼の闘いを強いられながらも夢路は、梅沢との頭突き勝負に挑む。無論、梅沢も一歩も退く構えはない。それにしても、夢路の世界一の頭突きを二発、三発と立て続けに喰らっても倒れずに耐え、なお頭突きの返礼を浴びせられる男など、地下・地上を問わず、世界に梅沢ただ一人ぐらいのものだろう。 声にならない咆吼とともに、渾身の力で何発目かの頭突きを梅沢にぶち込む夢路。すると、頭蓋骨どころか脳漿(のうしょう)が潰れるような衝撃音とともに、鮮血を噴き出し梅沢の巨体が地響きをたて、ついにダウン! しかしこの流血で、梅沢の怪物性に火が点いた。何かに覚醒したかのように叫び声を挙げながら、紅と夢路の“地下ツートップ”相手に大立ち回りを始める梅沢。覚醒した地下横綱の勢いを止めるのは、この二人をもってしても至難の業だった。 紅のヒザ爆弾をキャッチした梅沢は、そのまま紅を抱え上げ、深紅のマットめがけて全体重を浴びせ叩きつける! そしてすかさず、紅を逆エビに固める。途中夢路がまたも頭突き(!)でカットに入るも、小笠原が紅と夢路の二人に上段回し蹴りをマトモに入れる好フォロー。血を噴き出しながら、またも紅を極める梅沢。紅の肉体があり得ない角度までねじ曲がり、そのまま数十秒。紅がまったく動けなくなったのを確認したレフェリー・RIKIYAがストップを宣告。地下横綱がついに、地下世界王者を撃破したのだ! 新年2戦目にて、絶対王者・紅が黒星を背負う結果となったが、それにしても、あの規格外の巨体に揺るぎない自信が備わった梅沢は、まさに鬼に金棒。2011年は、梅沢菊次郎が活火山となり、大噴火を繰り返す年となりそうだ!○梅沢(16分44秒 レフェリーストップ)●紅 ※逆エビ固め地下プロレス『EXIT』公式サイトhttp://www7.plala.or.jp/EXIT/梶原劇画で伝承された「地下プロレス」が、この日本に存在した! 闇の闘いを伝える『EXIT』とは何か!?http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/97320773/世界に拡散する地下プロレス…ネパール、香港で繰り広げられた“世界地下行脚”を追う!(3)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/84212018/魔都・東京の地下ネットワークが、高田馬場に拡散! 8・22地下プロレス『EXIT-45 MOONLIGHT』(1)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/22766825/地下世界戦、至極の対決の行方は!? 初参戦“おんな人間狂気”AIとはいったい何者? 2010年から2011年へと紡ぐ、地下プロレス闘い模様http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/54446867/(山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2011年01月24日 12時30分
野球バカコラム・東京ドーム“ドームラン”の噂が生まれた真の訳
今回は筆者の愛する巨人軍に関係したコラムを一つ。 1988年から現在まで読売ジャイアンツが本拠地としている東京ドームでは、昔からある有名な噂が都市伝説的に語られていたと思う。 巨人の攻撃の番になると、東京ドームの球場職員が空調を操作して、スタンド側に空調が流れるようにしてホームランを打ちやすくするという、俗に言う“ドームラン”の噂である。 確かに、例えば昨年など典型的で、東京ドームの試合では巨人はやたらホームランを連発するのに、ナゴヤドーム辺りになると、途端に打線がピタリと沈黙してしまう試合が多かったイメージがある。中日の投手陣がそれだけスゴかったことや、そもそもナゴヤドームが非常にホームランが出にくい球場だという事実もあるが、これだけ極端だと、さすがの巨人ファンの筆者も、やはり東京ドームにはインチキなカラクリがあるのかと勘ぐりたくもなってしまう。 超重量打線、ミレニアム打線、史上最強打線と呼ばれたジャイアンツ打線の破壊力は、東京ドームの空調操作のお陰なのか? あるいは、巨人と同じく88年から03年まで東京ドームを本拠地としていた日本ハムのビッグバン打線も“ドームラン”なのか? 結論から言うと“ドームラン”は完全に事実無根のガセネタである。東京ドームは元々、右中間や左中間スタンドがだいぶ浅い作りとなっているので、どうしてもホームランが出やすい構造となっている。“ドームラン”も“ジャンパイア”などと同じく、ただの噂話に過ぎないのである。 しかし火のない所に煙は立たないともいわれる。もしかして別の所に“ドームラン”のルーツがあるのではないか? 筆者が調べたところ…あったのだ! 今シーズンより「前・ロッテ」西岡剛が所属する、大リーグのミネソタ・ツインズが09年まで本拠地にしていたメトロドームが、その場所となる。 このメトロドームも、屋根を空気圧で押し上げるエアドーム式となっていて、東京ドームのモデルとなっているのだが、なんとこのメトロドームでは、事実としてツインズの攻撃時には打球が飛びやすくなるように空調を操作したと暴露した球場職員がいたらしい。時代的にいうと、まさに日本に東京ドームが完成した直後ぐらいの頃だそうである。 東京ドームのモデルとなったドーム球場で実際に“ドームラン”が起きていたのだから、それなら東京ドームにも同じように“ドームラン”の噂が立つのは必然なのかもしれない。 ツインズも昨年の2010年シーズンより屋外の新球場・ターゲットフィールドに本拠地を移転し、“ドームラン”のあり得ない環境となった。空調操作ではなく自然の追い風を味方にして、西岡選手には活躍してほしいと、いち野球ファンとして祈っている。 もちろん我らがジャイアンツも、元々東京ドームに“ドームラン”はないけれど、猛打爆発で今年こそ日本一奪回を、いち巨人ファンとして祈っている。(「野球狂のアキバ系」伊藤博樹 山口敏太郎事務所)
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社会 2011年01月22日 15時00分
戦場より日本の方が死亡率高い? 自殺について考える
警察の発表によりますと、日本で殺人事件に巻き込まれて殺される人は09年で474人でした。 そして09年の自殺者数は3万2845人!! これを単純に計算すると、他者に殺されるよりも、自分で自分を殺してしまう確率が69倍も多いということになります。 年間の自殺者が3万人を越えるようになってから13年だといいます。つまりはこの13年間で39万人以上の人が自殺で亡くなっているのです。 もっとリアルに感じたければ、読者の皆様がいまお住みになっている町が、すべて自殺者ばかりだったと仮定すると、何年くらいで壊滅してしまうかと想像してみると、よくわかるかも知れません。 人口10万人の市区町村なら、わずか3〜4年で死に絶えることになるのです。 また他に、イラク戦争は約7年間続いたとされていますが、アメリカ兵の戦死者は、全部で4千433人といわれています。 日本では一年の自殺者が3万人以上。 もしかしたら、わたしたちは決して平和な日常を送っているのではなく、戦争状態のような日常を送っているのかも知れません。 警察の調査によると、原因・動機別状況は「健康問題」「経済・生活問題」「家庭問題」「勤務問題」の順となっており、どれも身近なものだったりします。 また、わたしたちが自殺問題について語るときに忘れてはいけないのが、自殺者本人だけではなく、その家族や周囲の人の影響です。 1人が自殺をすると、家族や周囲の人5名以上に深刻な心理的負担をかけてしまい、中には自責の念からPTSD(心的外傷ストレス障害)になったり、うつ病になったり、最悪の場合、周囲の人も自殺してしまうことさえ起こったりしています。 もしわたしたちが、この国を真の平和な国にしたいと思っているのなら、もっと自殺予防に関心を持つべきでありましょう。(巨椋修(おぐらおさむ) 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
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トレンド 2011年01月22日 13時30分
生誕100周年。国民栄誉賞受賞者が主演しているカラオケPVに注目
今年、2011年は著名人の生誕100周年ラッシュである。 100年前、1911年生まれの著名人をざっと挙げると、彫刻家の岡本太郎、映画『ゴジラ』の本多猪四郎監督、俳優の加東大介、講談社元社長の野間省一など業種を問わず様々な才人を生み出していることがわかる。 たかが100年、されど100年。さすがに存命中の方は限られてくるものの、先人たちの残した作品や活躍している姿は本やDVDなどで気軽に知ることができる人達ばかりだ。 さて、今年の生誕100周年の中でひと際、盛り上がり、再評価が期待されているのがかつて『国民的歌手』と呼ばれた藤山一郎(1911〜1993)である。 彼の代表曲のひとつである『東京ラプソディー』は明快なメロディラインと垢ぬけた歌詞で70、80歳以上の方はもちろんのこと、若い世代にも知名度が高い。 藤山一郎の名は知らなくても『東京ラプソディー』は歌えるという方はきっと多いと思う。 藤山一郎は1911年4月8日、東京都中央区の問屋の3男として生まれ、幼年の頃から母に音楽の教育を受け、東京音楽学校予科声楽部(現・東京藝術大学音楽部)を卒業した音楽のエリート。 大学在学中に(学校には隠して)デビューし、彼の歌った『丘を越えて』は当時の若者で知らぬものはほとんどいないというほどの大ヒットを飛ばした。 その後も『白虎隊』『青い山脈』など数々の名曲を歌い上げ、藤山一郎は瞬く間に流行歌手の仲間入りを果たした。 歯切れのいい江戸弁と美しくも艶っぽい歌声は、世代を問わず長きに渡り日本人に愛され続け、1992年、藤山一郎は国民栄誉賞を受賞した。なお、存命中にスポーツ選手以外で国民栄誉賞を受賞したのは藤山一郎が史上初。「記録」を重視しがちな国民栄誉賞の中ではまさに異例の事である。 さて、そんな昭和を代表するスター歌手にも関わらず藤山一郎の歌っている姿を収録されたDVDなどは現在全く発売されていない。 ピシッとした姿勢で歌い上げる藤山一郎はとても美しいので、是非クリアな画質で見てみたいのだが…。 ところが、動いている藤山一郎は今、意外な形で観る事が出来る。 カラオケ機種の「DAM」では藤山一郎の曲のいくつかを選ぶと、本人映像として藤山一郎主演の短編ムービーが見れちゃうのだ。これは生前に収録されたもので、カラオケのPVには珍しく、ストーリーのオチがきちんとついているものが多い。(特に『青い背広で』のPVは管理職となった藤山一郎が若い部下の恋愛模様を陰ながら見守るという設定でファン感涙の出来! 必見!)かつては俳優としても活躍し、さらには映画まで監督した藤山一郎だけに演技もなかなか達者であるのがニクイ。 藤山一郎生誕100周年の今年はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にカラオケに行って『東京ラプソディー』(これには藤山一郎が銀座や新宿を練り歩くというPVが用意されている! これも必見!)などを歌って、昭和トークを楽しむのも一考かもしれませんね。 かつて、藤山一郎はとある番組でキザにこう言った「old singer never die i hope so」(私は願う。歳をとっても歌手は死なずと)…ファンは「藤山一郎生誕100周年記念番組」が製作されるのを期待しましょう!(昭和ロマン探求家・穂積昭雪(カラオケでは「丘を越えて」が十八番の24歳)山口敏太郎事務所)【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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トレンド 2011年01月22日 11時00分
うちなんちゅやまとんちゅ〜沖縄身の丈見聞記〜(1)「冬の沖縄の注意点」
今月より、リアルライブで連載することになりました、黒松三太夫と申します。山口敏太郎事務所にて、ホラー、オカルト系のジャンルでライターとして細々と活動している若輩者です。 日本海側のド田舎で生まれて二十数年、地元を出ることがなかった自分でしたが、ひょんなことから沖縄に引っ越すこととなりました。初めこそ地元とまったく違う気候、環境に戸惑っていましたが、やれ取材だ現地調査だ観光だ(←これが8割)と、興味の向くまま沖縄本島をうろうろしているうちに、そこそこ詳しくなってしまいました。さらには今まで沖縄で見聞きしたこと、体験したことを公表してみないかと声が掛かりまして、リアルライブに参加することと相成った訳です。 沖縄のことはまだまだ勉強中ですが、沖縄の不思議なスポットや伝承、時には時事ネタなどをナイチャー(※)目線でゆるゆると紹介していこうと思っています。 さて、今年は日本列島を覆った寒波の影響もありまして、日本の津々浦々で非常に寒い年明けとなりました。大雪の被害を被ってしまった方も多いことと思われます。 ここまで冷え込みますと、寒さから逃れて暖かい南の方へ行きたい! と思う方も多いでしょう。例えば沖縄なんて、天気予報じゃ毎日最高気温が2ケタじゃん! みたいな…。実際、沖縄の1〜2月の平均気温は16.6度あります。 ここでやっぱり沖縄は南国だ、きっとコートもいらないはず…と考えるのは早計です。というのも、沖縄は計測上では気温が高いのですが、海からの強い風と冬場の乾燥した気候のせいで、体感温度は大幅に低く感じます。特に今年は冷え込みが厳しいので、万座毛や喜屋武岬などの見晴らしの良い場所に行く場合は、本土の人でも厚手のコートが必要になるかもしれませんね。 年末年始、本土から身内が遊びに来る機会があったのですが、みんな「ヒートテック系のアンダーまではいらないけれど、コートはいる!」と震えながら言っていました。 それでも多少体を動かすとすぐに体が温まって、「上着いらなかったかなぁ」とか思えてしまうのですが、ウチナーからすると「やっぱりナイチャーは寒さに強い」ということになるようです。 私が沖縄で暮らし始めて、はや1年と半年が経ったのですが、去年はほとんど必要としなかったコートを、この冬は早々に引っ張り出すことになりました。「こりゃ沖縄の気候に体が慣れちゃったんだなぁ…」としみじみ思っていましたら、生粋のウチナーの方々が口を揃えて「今年の冬は寒すぎる!!」と言っておりました。どうやら自分が越してきた年の冬はかなりの暖冬だったようです。 以上、冬の沖縄を旅行する際の注意点でした。 連休やもう少し先の春休みに沖縄旅行を考えている方は、寒さ対策にお気をつけください。(※内地人=沖縄県外の人を意味するウチナーグチ(沖縄弁)。ヤマトンチュ(大和人)とも。対義語が沖縄県民を指すウチナー、ないしはウチナンチュとなる)(黒松三太夫 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
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トレンド 2011年01月21日 11時30分
ウルトラマン映画最新作はミラーマンファン感涙の出来?
現在、公開中の映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』。 この作品は最新のウルトラマンである「ゼロ」を主役にした映画で、ウルトラ兄弟がオリジナルキャストで総登場、今をときめく若手声優陣の起用と、話題作が立ち並ぶ今冬の映画激戦区の中でもなかなかの人気を呼んでいるという。 しかし、今回の映画の目玉はなんといっても、ウルトラマンとともに1970年代の子供たちに絶大な人気を誇ったヒーロー「ミラーマン」「ファイヤーマン」「ジャンボーグA」がウルトラマンと夢の競演を果たした点だろう。 この夢の競演はかつて計画された過去があるのだ。 かつて、円谷プロの特撮作品には「銀河連邦」という構想があった。これはウルトラシリーズと他の円谷ヒーロー(前述のヒーロー+「トリプルファイター」)との世界観を統一させるために小学館を中心に立ち上げられたいわゆる裏設定。 「ウルトラマンA」の主題歌にも「銀河連邦」というキーワードがあり、作品の枠を超えた壮大な展開が行われる予定だった。しかし、この構想は途中でうやむやになってしまったらしく、「銀河連邦」はどの作品でも語られることなく現代に至っていた。 今回の映画では劇中で特に語れてないものの「銀河連邦」設定の復活にマニア心をくすぐられたファンも多いことだろう。 デザインの方はファイヤーマンとジャンボーグAは前作と全然違う容姿のため、意外性という意味では度肝を抜いたらしいが(ジャンボーグはグリッドマンに近いという意見アリ)ミラーマンだけはオールドファンがつい唸ってしまう大満足の出来なのだという。 実はミラーマンのデザインは今作に出てきたミラーナイトが最も元のデザインに近いのだ。 ミラーマンは1971年の放送に先立って1969年から学年誌に漫画版が連載されていた。その際のミラーマンはテレビに登場した人間タイプの顔ではなく、ゴーグルを付けたマスクタイプの顔だった。 当時の学年誌を読んでいた読者はシャープでスマートなフェイスのミラーマンが急に人間臭い造形になってしまい、残念に思った人も多いとか少ないとか…。 本作『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』に登場するミラーナイトはシャープな外見に鏡を使った美しい技が魅力で、ゼロに次ぐ準主役扱の活躍を見せてくれる。 「黒バラ」の挿入歌として、はたまた植草教授から知ったという人も「元祖・ミラーマン」の活躍には要注目だ!※写真は1971年のミラーマン。渋い!(昭和ロマン探求家・穂積昭雪(ゼロの顔は正直怖いと思う24歳)山口敏太郎事務所)【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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