山口敏太郎
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ミステリー 2012年04月17日 15時30分
あの“都市伝説の女”がついに!? 写真に撮られた女怪『八尺様』
近年になって巷を騒がせている奇妙な都市伝説に、『八尺様』というものがある。 『八尺様』は若い女性の妖怪なのだが、その名の通り身長が八尺、約2〜3メートルはあるかという天をつくような大女。この女は奇妙な呪文とも鳴き声ともつかない声を発し、気に入った若い男に目を付けて追い回し、いずれはとり殺してしまうと伝えられている。 一種の憑き物というか、祟り神のような性格を持った妖怪で、普段は祠などに厳重に封印されているのだが、何らかの要因で封印が解かれた場合若い男性を襲いだすという。『八尺様』に一度魅入られると、なかなかその呪縛を解く事は出来ないとされており、徳の高い僧侶らによる加護や、村に伝わる大がかりな儀式を行う必要があると言われている。 民俗学的に興味深い妖怪『八尺様』だが、服装が近代的であったり、インターネットの発達した近年になって囁かれ始めた事から、ごく最近創作された物ではないか、との説も上がっていた。 しかし、その説を覆すような写真がオカルト研究家、山口敏太郎のもとに送られてきたのである。 この写真を見て頂きたい。やや解像度の悪い夜道の写真だが、男性の横に異様に縦に長い女性? の姿が写っている事が解る。立ち位置から男性の後ろに立っているのは明らかなのだが、その割に男性を超えるぐらいに身の丈が大きいのが気になる。頭は異様に小さいのか、それとも白い何かを被っているのか解らない。また、黒いロングコートないしはロングドレスをまとっているような格好をしている。 これらの特徴は、都市伝説の『八尺様』の目撃証言の一つと合致している。それでは、この男性は『八尺様』に魅入られてしまった男性なのだろうか。それとも、まだ獲物として見られていないのか。そもそも、この不気味な人影は『八尺様』のものなのか…。 果たして、真相はいかに?(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年04月14日 17時59分
幼児に一番人気だった妖怪「ろくろ首」
ろくろ首は「轆轤首」、「呂久呂首」、「飛頭蛮」「飛頭」と書き、「ぬけ首」とも呼ばれる日本の妖怪である。ろくろ首には、首がクネクネと伸びるものと、体から首だけが抜けて、頭部が自由に飛行するものの2種が存在する。夜、寝静まった頃、首を永く伸ばし獲物を探す。一説には、人が寝ている内に精気を吸い取るとも言われている。ろくろ首には女性が多いと思われがちだが、男性もいる。首が伸びるのは、夜だけで、昼間は不通の人間と変わらない。熟睡している時に首が伸びるので、一種の「離魂病」だという説もある。 2003年、滋賀県東近江市で開催された「怪画展」に展示された妖怪画に、奇妙な傾向がみられた。「怪画展」とは、東近江市の中心地八日市で毎年開催される「八日市は妖怪地」という記念祭での妖怪イベントの1つである。プロ・アマ問わず、いろいろな人々が自由な発想で描いた妖怪・モノノケ・神様などの妖怪画を募集し、「ショッピングプラザアピア」にある情報プラザやセントラルコートで、幼児、小学生低学年、小学生高学年、中学生、大人の5つの部門に分け展示する展覧会のことである。 その年の怪画展では、幼児の部に応募された作品の殆どが、ろくろ首の絵であった。それに対して、他部門では、ろくろ首をメインで描いた作品は無く、描かれてあったとしても、妖怪軍団の中の1つとして描かれているだけであった。 何故、幼児の間では、妖怪の中で、ろくろ首の人気が高かったのか? 幼児の妖怪に対する認知度を考えてみると、妖怪アニメの定番「ゲゲゲの鬼太郎」第5シリーズの放送が、2007年4月1日からなので、当時の幼児は鬼太郎に登場する妖怪を観て育った世代ではない。また、東近江市大森町には、ろくろ首の伝説が残っていた。「悪いことをするとろくろ(ろくろ首)が巻きつくぞ」と、子供をたしなめていたというが、今時、そう言って子を叱る親もいないし、子供達も信じないであろう。 東京理科大学準教授・武村政春氏によれば、ろくろ首という妖怪の容姿は、不通の人間と変わらない。唯一の違いは首が長く伸びるだけである。幼児が妖怪を描く時、人間の姿を描いて、長さを問わず、首だけ長く描けば、ろくろ首になる。その描きやすさこそ、幼児がろくろ首を選んだ理由のひとつである。また、ろくろ首の顔や衣装に決められた規定がない。首だけ長くすれば、自分の好きなイメージで顔や衣装を描けることも、幼児にとって魅力的な妖怪となった。それに対して、幼児以上の年齢になると、妖怪を描くにあたって、ろくろ首では、不通の人間とあまり変わらないので、何か物足りなさを感じるので、描かれなくなったのである。(写真:「怪画展」ショッピングプラザアピア情報プラザ)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年04月10日 15時30分
犬に犬の霊が写る!? 可愛い霊は幸運の印か
空中に浮かんだ半透明の顔、消える腕や下半身、一面に舞うオーブ…テレビや雑誌で取り上げられ、視聴者や読者を恐怖におとしいれる心霊写真。 オカルト研究家である山口敏太郎の事務所には、こういった心霊写真と思しき奇妙な写真の鑑定を求めて、画像や写真を持ち込む人が時折現れる。 当然ながら、その殆どは二重露光や光の加減、残像や見間違いと言った科学的な解説がついてしまうものが大半なのだが、それでも時々説明のつかない奇妙な写真が現れるのだ。 今回は、そんな心霊写真の中でも変わり種? のものを紹介したい。 まずは、記事に添えられた写真を見て頂きたい。 これは、ある人物が山口敏太郎氏の愛犬(シーズー♀、名前を「anちゃん」という)を携帯のカメラ機能で撮影したものである。この犬の耳の部分に注目してもらいたい。 黒い耳の部分に、うっすらとではあるが白抜きでもう一匹の犬の姿が映っているのが分かるだろうか。この犬も白くて顔も体もふわふわした毛に覆われた、耳の大きいもの。撮影者は「まるでもう一匹のシーズーがいるように見えた」と語った。 人を撮影して、亡くなった人の霊が写り込む心霊写真はよくあるが、犬に犬の霊が移り込むケースは珍しい。 この犬の影は果たして何なのだろうか? この写真を撮影したのはプロレスラーの刃駈氏。氏は、この度中部でプロレス団体「プロレスリング侍志團」を旗揚げ、7月8日には目出度く旗揚げ興行を行う予定となっている。 犬の妖怪も何種類かいるが「白い犬」となると、有名な物にヤマトタケルが東征の際に道案内をしたという白い狼の伝説がある。こちらは狼であるが、犬は狼が人に飼われるようになり、家畜化するようになったもの。とすれば、この白い犬も新しい道を進んでいこうとする刃駈氏を導くために現れたものなのだろうか?プロレスリング侍志團の詳細はこちらhttp://ameblo.jp/jishidan/(山口敏太郎事務所/写真は、刃駈氏提供によるもの)
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ミステリー 2012年04月07日 17時59分
天から何かが降ってくる…「妖星・虎尾星(とらおぼし)」
最近、北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射実験のため、落下するミサイルの破片で日本本土や沖縄などに人的被害が出る恐れがあると大問題になっている。昨年秋には、人工衛星の破片が空から降ってきて、世界の誰かに当たる確率が3200分の1であると「注意報」も出た。近年、空からカエルやオタマジャクシが降ってくる不思議な現象も頻繁に起こっている。その原因は竜巻のせいだとも言われているが、未だに原因は解明されていない。このようにいつの時代にも空から色々な物が降ってきて、人々はその度に恐怖する。江戸時代の文献には、石、ドジョウやアナゴ、さらに全裸の男までも空から落ちてきたと記されている。いずれにしても、これらの現象は、不思議な出来事と考えられた。 天保6(1835)年に小田切春江によって名古屋城下の出来事を日記の形態で描かれた絵本『名陽見聞図会』の記事には、天保7(1836)年7月6〜7日、愛知県名古屋市のあちらこちらに「毛のような物」が降ったとある。それは、馬のしっぽのような毛で、黒、茶、白と色は混ざっており、長さもバラバラであった。そして、多くの人が珍しがって拾っていた。 また、空から正体不明な物が降ってきたら、人々は恐れおののくに違いない。富永華陽が蒐集した仏教説話集『尾張霊異記』の記事では、寛政12(1800)年4月13日の昼頃、名古屋市中区橘の七面山に空から黒くて鞠のような物が落ちてきて、転がりながら「諏訪屋」という商家の庭に入っていった。その後、外に飛び出して煙となって消えた。人々は、不吉な事が起こる前兆かもしれないと神仏に祈ったという。 古来、天から降ってくる彗星や箒星も恐怖の対象であった。これらは細長い楕円軌道を描いて空を飛んでいた。この星は「妖星」として、忌み嫌われた星で、空に現れた時には兵乱が起こるとされた。例えば島原の乱の時にも現れたという。また、彗星は、虎の尾を踏むように恐怖にかられところから、別名「虎尾星」とも呼ばれた。 尾張藩士・高力種信によって明和9(1772)年〜文政4(1822)年まで書かれた日記『猿候庵日記の記事では、文化9(1811)年5月18日、北の空に珍しい星が現れた。これは妖星であって、疫病や災害をもたらすものと信じられており、妖星が現れた時に、「天地のみたまなりける此人に つく事なくて業をなす哉」とか、「人間は天下の神のみたま也 つく事ならず災いの神」など、人々は災い除けの歌を貼って、難を逃れたと記されている。(「虎尾星」イラスト:ナマハゲさん)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年04月03日 15時30分
実物!! これが呪いの人形だ!
オカルト研究家でもあり、作家でもある山口敏太郎は研究の一環として、不思議なものやいわくつきのものを集めている。 今までにもたびたび、呪いがかかっているという奇妙なデスマスクや、夜に笑うという“笑い面”などの奇妙なものが事務所に届けられた。 そして、今回もたまたまではあるが実際に使用されたという呪いの人形を入手した! 画像がその“呪いの人形”である。 大きさは15センチほど。やや黄色がかった茶色で、体のふくらみや目鼻を彫り込んである事から小さくも女性を精巧にかたどったものである事が分かる。そして、頭にはリンゴのへたのような木の枝が2センチほど飛び出ている。 素朴でありながらどこか不気味な印象を漂わせる、この小さな人形がかつて呪いに使われ、現在は丑の刻参りで五寸釘を打ち付けられるわら人形のルーツとなったものなのだ。 この人形の制作年代は平安末期と推測されている。空井戸に捨てられていたものがこの度出土され、山口敏太郎のもとに辿り着いたというわけだ。 山口敏太郎氏は「あくまで推測であるが」と付け加えた上で、「漆喰の中に髪や爪を入れて人形にし、空井戸に放置したのではないだろうか」と述べる。 井戸は異界、現世と地獄を繋ぐなどの言い伝えが残っている。このような所に放置する事で、呪詛をかけたい相手に確実に届くようにしたのではないだろうか。見る人によっては「今でも呪詛が残っている」と称するこの“呪いの人形”。あなたにはどのように見えるだろうか?(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年03月31日 17時59分
侍女の怨念が妖虫と化した「お菊虫」
寛政7(1795)年、彦根藩士・孕石氏の屋敷にある古井戸からジャコウアゲハの幼虫が大量に発生したことがあった。幼虫の容姿は、女が後手で縛られた様であったため、その井戸に身を投げたお菊という侍女の怨念が幼虫と化した虫とされ、「お菊虫」と呼ばれた。 お菊とは、孕石家の当主・備前守泰時の看病のために侍女として奉公に上がった足軽の娘であった。泰時が他界した後もその息子・政之進に仕えていた。政之進はまだ若く独身であったので、一つ屋根の下で暮らすうちに、二人は身分を越えて深く愛し合うようになった。しかし、政之進には、父が生前に結婚の約束を交わした婚約者がいた。父の死後、相手の家から結婚の催促が続いたが、政之進は結婚を断ることが出来ず、返事を延ばし延ばしにしていた。お菊は、政之進の結婚話が出る度に気が気でなかった。政之進は「お前以外に妻は娶らぬ」と宥めすかすが、お菊はますます不安になっていた。 孕石家には、将軍家から井伊家へ拝受した中国古来の白磁の皿が10枚一揃えで、家宝として代々伝わっている。この皿は、初代・孕石源右衛門が大阪夏の陣の時、井伊家の旗奉行として出陣し、功績を挙げ、壮絶な戦死をしたため、井伊家から2代目・泰時に500石の禄と共に拝領したものであった。お菊は、家宝の皿と自分かどちらが大切か政之進の本心を確かめようと、皿を1枚故意に割ってしまった。 お菊は心試しに故意に皿を割ったとを知った政之進は逆上し、刀の柄に手をかけた。だが、その瞬間に自分の煮えきらぬ態度がお菊をここまで追い込んでしまったこと悟り、刀を放り出して奥の間に篭ってしまった。一方、お菊は、愚かな事をしてしまったと悔い、自分は浅はかな女だったと知り、もはや政之進に合わす顔がないと、井戸にその身を投げ果てた。 その後、政之進は家宝の皿があったために愛しいお菊を死なせてしまったことを悔い、残りの皿を打ち砕いてしまい、出家し生涯供養の旅を続けた。そして、割られた皿は、お菊の母が拾い集め、滋賀県彦根市後三条の長久寺に供養のために奉納され、現在でも継ぎ合わされた皿が6枚のみ残っている。(写真:「姫路城内のお菊井戸」、「お菊虫『絵本百物語』より」)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年03月30日 15時30分
キャバ嬢列伝〜キャバクラ辞めたら何になる?その2〜
春は別れの季節…我々に憩いの時を与えてくれたキャバクラのお嬢さん達にも当然、サヨナラはやってくる。 では、お店を辞めたお嬢さんたちは一体どこへ向かっていくのか…前回に引き続きそんな彼女らの後を追う。(1)勤勉学生に戻ったキャバ嬢さん 八王子市の某店に勤めていたRさん(23)は大学2年生のときにアルバイトとしてキャバクラを選んだ。家が豊かでなく、常に多額の学費が必要であったRさんにとって高収入のキャバクラ勤めはまさにうってつけの仕事であったという。 しかし、すでに成人だったとはいえ、バレたら当然退学をさせられてしまうリスクを一緒に背負っているのは事実。彼女のキャバクラ勤めは結局1年ちょっとで終了した。 「収入も良かったので、個人的にはいままでで一番おいしい仕事だったと思います。日中は大学へ通うので夜しか仕事をしないキャバクラはある意味、学生的と言えますよね(笑)。でも、やっぱり店内での風当たりは良くないし、友達にも言い辛いしで結果的にストレスになってしました。それで、就職活動を開始する数か月前には辞めていました。アルバイトの経験の有無を聞かれたときに『キャバ嬢だった』とは言えませんから(笑)」 彼女は結局、新卒では就職できず、今も就職活動を続けている。もし、今年就職できなかったらその時はキャバ嬢に戻ることも検討しているという。悔いの無い人生になるよう頑張ってほしい。(2)風俗情報雑誌のライターになったキャバ嬢さん 新宿の某店に勤めていたHさん(36)はキャバクラを辞めたあと、ライターとしてデビューした。受け持つジャンルはもちろんキャバクラをはじめとする風俗関連。 Hさんは高校卒業後、15年以上に渡り風俗業界に身を置いていたため、キャバクラの裏話については業界で屈指の情報量を持つライターの一人である。実はキャバ嬢時代も少しではあるが、雑誌に寄稿などをしていたという。 「きっかけは現役時代にお店で知り合った雑誌記者さんがいて、情報提供などをしていたのが最初です。最初は私がインタビュー形式で答えるだけだったのですが、メールなどでやりとりするうちに私へのインタビューが面倒になって、結局私が書くことになってました(笑)。それで徐々に人気が出て、気がついたらその記者の連載を奪ってました。なので、筆名はその記者が使っていたペンネームをそのままなんですよね。まさか、キャバ嬢を辞めた後、男の名前を名乗るとは思いもよらなかったです(笑)」 彼女は現在ウェブなどを含め月刊8本の連載を持つ、売れっ子ライターになっているという。 さて、大好評をいただいておりましたキャバ嬢列伝は今回の記事で最終回になります。笑顔の裏に隠された壮絶な過去、ど根性話、奇妙な噂など様々なキャバ嬢さんの話が次から次へと飛び出しました。 皆さんも週末はキャバクラへ行ってジャンジャン接待をうけて、今も起こっている伝説の目撃者になりましょう!(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年03月27日 15時30分
明治時代にも“ゆるキャラ”がいた!? 『悪病除けの人獣絵』
『ひこにゃん』を筆頭に、ユニークかつ独特な“ゆる〜い”雰囲気をまとったキャラクター、ゆるキャラ。主に各地域の町おこしやキャンペーンで活躍する着ぐるみのご当地マスコットキャラ達に付けられたこの呼び名も定着して久しく、今ではゆるキャラ達の運動会『ゆるキャラカップ』や一番人気のゆるキャラを決める『ゆるキャラグランプリ』等のイベントが行われるまでになっている。 時には微妙にリアルな『メロン熊』や頭に段ボールを被っただけの『やなな』等のイレギュラーなキャラが混じる事もあるが、全体的に言えるのがなんともゆるく時にキモカワイイ系のデザインである事があるだろう。 近年になって注目され始めたこの“ゆるキャラ”。その元祖とも言える奇妙なUMAが江戸時代に存在していた!? という驚愕の報告例がある。 掲載された写真画像を見て戴きたい。『悪病除けの人獣絵』と題してあり、人の顔をした奇妙な動物を描いたものらしいのだが、この人獣が何とも言えずゆるい雰囲気を放っているのだ。うつろな目とやたら大きな鼻をしたリアルめの人の顔に反し、獣の体はぬいぐるみのような適当すぎる造形。絵師が途中でやる気を無くしたのだろうか。 こちらの絵は明治期に活躍したジャーナリスト、宮武外骨が著作内で紹介しているもの。江戸時代は文政年間に描かれた絵の写しで、当時富山の薬売りが「この4〜5年のうちに悪い病気が流行するが、この絵を描いて飾っておけば病気の害からは逃れられる」と触れ回っていたものだそうだ。 科学的知識や病気に対する明確な治療法がなかった昔は、魔除けの絵を飾って病気にならないように祈る、という対処法がよく取られた。はしかや疱瘡(天然痘)除けに金太郎や桃太郎、鍾馗様などを赤一色で描いたものや、災厄除けや魔除けに怪物の絵を描いて飾る、というものが多かった。特に魔除けの方は白澤や件といった人面牛身の瑞獣をモチーフにしたものが多かった。 この絵もその一つだと思われるのだが…恐らく下手な人や容姿をよく知らない人が描いたためにこのような結果になってしまったのだろうか。類似の『縁起の良い化け物を描いているはずなのに絵が微妙でゆるキャラ化してしまっている』ケースに『アマビエ』などの妖怪が報告されている。(山口敏太郎事務所/画像は宮武外骨 著作の挿絵より)
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ミステリー 2012年03月24日 17時59分
昭和の怪奇事件「殺した子供が枕元に立ち殺人を白状させる」
「殺した者の亡霊が枕元に立ち殺した者を苦しめる」 このようなシーンを映画や小説で見たことがある人も多いだろう。 心霊体験としてはかなりベタな場面であるが、今から30数年前、似たような事件が日本が起こっていたことは意外と知られていない。 先日、山口敏太郎事務所所属のライター、昭和ロマン探求家を自称する穂積昭雪氏から一枚の新聞記事が山口敏太郎事務所へと届けられた。それは1977年(昭和52年)3月2日朝日新聞夕刊のものでその記事の中央には『夢まくらで「マンマ、マンマ」ーうなされ続け長女殺しも自供ー』というタイトルが不気味に躍り出ていたものであった。 記事によると1977年1月23日に広島県の某所で母親が自分の長男(2歳)を浴槽に沈め殺害するという痛ましい事件が起こった。母親は後日、逮捕されたのだが、その直後、母親は警察の留置所内で夜な夜なうなされ続ける状態になってしまったという。 不審に思った刑務官が、前年の1976年に不審死を遂げた彼女の長女(当時1歳)についても言及したところ、母親は涙を流しながら長女も殺したことを告白したという。 記事によると毎晩、殺したふたりの子供が母親の枕元に現れ、長女は「マンマ、マンマ」と言いながら乳房に触れてくる、長男は「カアチャンツメタイヨウ」と泣き叫んでいたという。 彼女の見た息子の姿は亡霊的なものなのか、それとも罪悪感から現れた幻覚なのかは不明だが、なんとも不気味かつ興味的な事件である。(写真:1977年3月2日朝日新聞夕刊3版より)(山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年03月23日 15時30分
キャバ嬢列伝〜キャバクラ辞めたら何になる?〜
春は別れの季節…我々に憩いの時を与えてくれたキャバクラのお嬢さん達にも当然、サヨナラはやってくる。 では、お店を辞めたお嬢さんたちは一体どこへ向かっていくのか…今回はそんな彼女らの後を追う。(1)映像業界へ行ったキャバ嬢さん 立川市の某店に勤めていたSさんはキャバクラを辞めた後、小さい映像制作会社に事務員として入社した。Sさんはその時25歳。キャバ嬢としてはまだまだ働き盛りなはずだ。いったい、彼女はなぜキャバクラを辞めたのか? 「やっぱり、安定性ですかね。キャバクラのお仕事は収入はいいけど、体を壊したらそれまでなんで…小さくてもいいから、どこかに就職したかったんだと思います」 収入より安定性を選んだ彼女は今は楽しく仕事をしているそうだ。でも、なんで映像業の世界? 「お店で働いていた時に、名刺をもらったお客さんのひとりだったんです。名刺は個人情報だから、本来ならお店で処分するのですが偶然持っていたのが映像プロの社長さんだったんです(笑)。駄目もとで電話かけたら『まあ、いいよ』と(笑)。映画撮りたいとかそんな気持ちじゃ全然ないのですが、お店で働いた体力がありますので、うまくやっています。あの業界もスケベですから(笑)」 うーん。そういうものなのか…。(2)塾講師になったキャバお嬢さん 横浜市の某店に勤めていたAさん(31歳)はキャ バクラを辞めた後、塾講師になったという。 元々、勉学優秀で大学も国立出。新卒で入った会社は上司と折り合いがつかずに1年弱で退職し、その後、数年はキャバクラに勤めていた。 「30歳にもなってキャバクラが生業というのもどうかと思いまして…同窓会にも行き辛いですからねぇ。塾講師もキャバクラも相手にする年齢は違えども同じ接客業ですから」 彼女がキャバクラで勤めたときに得たスキルは『記憶術』だという。一度会ったお客さんの顔と名前を絶対に忘れないという彼女独自の記憶術は受験に悩む少年達を優しくほぐしてくれているという。もっとも、30を越えてもAさんのフェロモンはムンムン。少年たちにとっては別の悩みも増えそうだが…。 意外や意外。キャバ嬢さんたちは割と再就職に成功しているパターンが多い。それはやはり若いうちから成功者もしくは苦労人を多く相手にしているからこそなのだろう。 あなたの職場の同僚ももしかしたら元キャバ嬢かもしれない?(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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特命! 日本ダービーを予想せよ! 馬の姓名判断、霊能犬の動物予知で大予想
2008年05月28日 15時00分
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衝撃!! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!!
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船橋の神社で、狐の生首が出現!
2008年03月18日 15時00分
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2008年02月05日 15時00分
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2008年01月22日 18時18分