山口敏太郎
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ミステリー 2012年01月14日 17時59分
アンコール・ワットのレリーフは恐竜と人間が共存していた証拠なのか!?
かつて地上を闊歩し、約6500年前の白亜紀末期に絶滅したとされている恐竜。隕石の衝突や気候の変動など、何らかの要因で絶滅に至ったとされる。 しかし、実は恐竜は絶滅を免れており、一時期は人類と共存していた。そして、今でも細々と生き残っている…という説がある。例えばメキシコはアカンバロの恐竜そっくりの土偶や、恐竜と人間の姿が共に描かれているカブレラストーンなど、共存していた証拠とされる遺物が多く出土されている。 そして、今回紹介するのがカンボジアの世界遺産、アンコール遺跡の『恐竜のレリーフ』だ。 カンボジアのアンコール遺跡は、9世紀から11世紀頃にかけて建設されたクメール王朝の建築群である。代表的な寺院遺跡であるアンコール・ワット、城塞都市の遺跡であるアンコール・トムなど複数の建築群から成る大規模な遺跡群だ。このアンコール遺跡東部に、タ・プロームという寺院の遺跡がある。仏塔に大きな顔が彫られた観世音菩薩像や、遺跡に根を張るガジュマル群といった自然と文化が渾然一体となった景観が魅力的な遺跡である。この独特の景観はアンコール遺跡の中でも特に異彩を放つものであり、映画『トゥーム・レイダー』の撮影が行われたりもした。 このタ・プロームにある門の一箇所に、奇妙な動物が彫られているのだ。四つ足で歩き、背中に花びらのような背ビレを生やした奇妙な生物…どこからどう見ても中生代に生きていたステゴサウルスとしか思えないシルエットなのだ。しかし、タ・プロームが建立されたのは12世紀頃。恐竜が絶滅したとされる時期からは大きく隔たっている。このレリーフをして、「実は恐竜はジャングルの中で生きており、人間と共存していたのだ!」とする説がある、のだが…。 実際に現地へ赴き、実物を見て写真に納めた山口敏太郎氏は「恐らく、サイなどの動物をデフォルメして彫ったものではないか」とみている。実際、よく見るとサイ独特の鎧のような皺ににた彫り込みがされているのも解る。 とは言え、当時の人が実際に何をモチーフにしてこのようなレリーフを作ったのかは解らない。もしかしたら既に絶滅してしまった動物かもしれないし、架空の、全く空想の生き物を彫り込んだのかもしれない。果たして、このレリーフの正体は何なのだろうか?(山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年01月13日 15時30分
キャバ嬢列伝 〜震災によって立ち上がった彼女〜
現代社会の縮図とも言えるお水の世界に生きる女性達の生き様から、教訓やアドバイスを読み解くキャバ嬢列伝。5回目は昨年の3月に起きた震災に関係した話。 今回紹介するA子は、取り立ててウリのないキャバ嬢だった。普段ならばそこそこ目立つ容姿かつスタイルの彼女だが、互いに化粧やドレスで飾り立てるキャバ嬢の世界では対して目立つ訳でもない。入店当初こそお客が何人かついていたが、次第に別のキャバ嬢にお客も流れていくようになった。 友達の誘いから、軽い気持ちで入ったキャバ嬢の世界。生活費等の足しになればと思っていたが、入ってみると思った以上に厳しい競争の世界。たいして取り柄もない自分には合わなかったのだろうと思い、向いていないならそろそろ辞めようかとも考えていたのだという。そんな矢先。あの震災が起きたのだった。 奇しくも彼女の実家は福島。津波などの大規模な震災被害は免れたものの、実家は福島第一原発の避難区域に入っており、家族は全員避難を余儀なくされた。 両親を始めとした家族の仕事が無くなり、家にも帰ることが出来なくなった…この事実が、逆に彼女の心に火を着けた。震災で家族が大変な中、稼ぐことができるのは自分しかいない。被災地や避難先で苦労している家族を支えられるのは自分しかいないのだ。 彼女は接客態度やサービスを見直し、お客様により満足してもらえるよう心がけた。今までは話を合わせていればいい、程度に考えていたものを、良く来るお客の為に話題についていけるよう自ら勉強する程になったのだ。 また、彼女が福島出身で家族の為に頑張っていると知って、敢えて彼女を指名するお客様も増えた。しかし彼女はそれに奢ることなく、営業も重ねてひたすらキャバ嬢として勤めることに邁進した。そうしている内に、始めは彼女に同情して指名していたお客も、彼女との会話を楽しみサービスを受けたいが為に、彼女を指名するようになった。そして、いつしか彼女は店でナンバーワンの売り上げを叩き出すまでになったのだ。 ちなみに彼女は、稼ぎのほとんどを実家への仕送りと被災地支援に使っている。 「今の自分があるのは家族と、地元のおかげ。だから少しでも恩返しがしたい」 そう語る彼女の目は輝いていた。(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月11日 15時30分
木の上の焼死体
日常で遭遇する、小さな驚きをもたらす偶然。それは、時に人を酷く動揺させ死へと追い詰める。 1980年頃のアメリカ。消防士たちの決死の消火活動により鎮火した森林火災は、アメリカでは珍しくない森林火災の一つとして、すぐに忘れられる筈だった。しかし、焼け跡から発見された一体の焼死体が人々の関心を誘った。木の上、それも、とても人が登れないような高い木の上で発見され、更には傍にシュノーケルの付いたゴーグルがあったことからダイバーらしいということで、ちょっとした騒ぎとなった。 さて、翌日。消火活動の一端を担った一人の男が自殺した。言わばヒーローとも言うべき男が何故…。 森林火災が起きる2日前のこと。男はカジノでブラックジャックに高じていた。だが、大負けした男はディーラーに殴り掛かった。森林火災発生の際、男にこのことを思い留め置く余裕はなかっただろう。あったところで運命が変わろうはずはないが。 男はセスナ機の操縦士だった。消防当局から要請を受けた男は、すぐさま湖へと向かうと湖水を汲み上げ、燃え盛る炎目がけ散布した。同じ時、ダイビングを趣味とするディーラーは湖で潜水中、突然強い力で引きずられ宙を舞った。そして、その強い力から解放されるや、炎の中へと落ちて行った。 男がセスナでディーラーを引っ掛けたのは偶然である。だが、森林を焼き尽くそうとする炎を鎮めたヒーローも、己の罪悪感を鎮めることは出来ず、頭に当てた銃の引き金を引いた。 (七海かりん/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月09日 15時30分
踊る薬師如来と薬師堂裸まつり
新しい年の始まりに合わせて、正月にちなんだ不思議な話と、それにまつわる風習を紹介しよう。 鎌倉時代の話である。破塚の里(現在の滋賀県東近江市辺町)の村長の3歳になる一人息子が高熱で寝込んでしまった。正月8日の深夜、息子は体を硬直させ、白目をむいて意識を失ってしまった。「このままでは死んでしまう。これは仏様にお願いするしかない」と、村長は着物を脱ぎ捨て井戸水を頭から浴びると、裸のまま法徳寺の薬師堂に駆け込んだ。破塚の里は雪が多いので、冬の木枯らし吹く夜半に雨戸がカタコトと音を立てる頃、「早く寝ないと「雪んこ」が連れて行くよ」と、子供をさとしていたほどだ。寒い中、彼が1時間程願掛けをして家に戻ると、息子は何事も無かったように眠っていた。翌日、村長はお薬師様に感謝して、木の枝に餅をつけた繭玉を薬師堂に奉納した。これが正月八日に薬師堂で「チョチセイ(頂礼)、チョチセイ(頂礼)」と繰り返し唱えながら、天井高くつるした繭玉の争奪するという「薬師堂裸まつり」の起源である。 さてある年のこと。正月から雪が降り始め、8日の「裸まつり」の当日には猛吹雪で積雪量も家の軒下までも雪が積もるほどになっていた。夕方になると吹雪は益々激しくなり、一寸先も見えず、何処に道があるのかもわからない。村人は外出もせず、雪の止むのをジッと待つしかなかった。その日は薬師堂に参拝する者も無かったが、まつりの係の者だけが、薬師堂に数人集まっていた。皆、吹雪が止むのを待っていたが、あまりの荒れように「今年の護摩供養と裸まつりは中止だ」と決まり、帰り支度を始めた。すると、誰もいるはずのない薬師堂の中から太鼓の音と賑やかに踊り回る声がする。村人はコッソリとお堂に忍び寄り、扉の隙間から中を覗いた。すると、薬師堂の中では薬師如来像と四天王、十二神将らが踊っているのが見えた。「このお寺のお薬師様は踊りがすきなのか?」と、村人は驚いた。そして、お薬師様は自分達のために子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣、家内安全、息災延命を願って、一人でも踊っているという事に思い至ったのだ。「これでは、お薬師様に申し訳ない」と、村人達は考え、それ以来「薬師堂裸まつり」はどんなことがあっても中断しない、という決まりになった。この冬の裸祭りの風習は、現代もなお続いている。(写真:「法徳寺・薬師堂」)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月07日 17時59分
湖畔に建つ廃ホテル 神奈川の心霊スポット・相模湖
神奈川県相模原市にある相模湖。多くのボートが浮かび、都会からも比較的楽に来る事の出来る景勝地のここは、実は神奈川県内の知る人ぞ知る心霊スポットだ。 何度か相模湖畔へ出向いた経験のある弊社所属ライターの言によると、確かにここは一種異様な雰囲気を放っているように感じたという。 相模湖で特に有名なのは、この湖畔に建つリゾートホテルだ。かつては地上5階、地下2階と湖畔を見下ろす形で立派な姿を見せていたのだそうだが、諸事情により地上部分は現在は解体されてしまっている。地上部分があった頃は窓から湖を見下ろす幽霊らしき人影が見える事もあったそうだ。 かつてはホテル内にオーナーの幽霊や女性の霊が「出る」と噂されていたのだが、今は現存する地下スペース(従業員用の更衣室を示すプレートやエレベーター、地下駐車場の名残があった)に移動している、との噂もまことしやかに囁かれている。なお、この廃ホテルは地下部分しかないとは言え、かなり老朽化が進んでいる。面白半分で行くと、怪我をする危険性も高いので注意が必要だ。 今でこそ基礎しか残っていないとは言え、廃ホテルがあった当時は美しい湖畔にそぐわぬ一種独特の雰囲気を放っていたという。観光客や行楽客の目にはかなり異様な光景に見えたことだろう。また相模湖にはかつて悲惨な水難事故が起きた記録もあり、この2つの要因が故に心霊スポットと呼ばれるようになったのでは、と見られている。 そんな相模湖では、すぐ近くのさがみ湖リゾートプレジャーフォレストにて現在関東最大級の規模の冬期イルミネーション『さがみ湖イルミリオン』も行われている。新宿からの直通高速バスも出ており、今年の4月8日まで行われる。心霊スポットで震えた後は、ここで癒されて帰るのもまた一興、かもしれない?(写真提供:穂積昭雪/山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年01月06日 15時30分
キャバ嬢列伝 〜マンガ家になりたかった彼女〜
現代社会の縮図とも言える、お水の世界に生きる女性達の生き様から、教訓やアドバイスを読み解くキャバ嬢列伝。5回目はある店に勤める彼女の話。 都内でもかなり大きな繁華街にあるキャバクラに務める彼女。明るい色に染めた髪を大きく盛り、派手なギャルメイクにドレスと、ギャル雑誌『小悪魔ageha』に出てきそうな典型的な姿の彼女には、意外な一面があった。なんと、かなりのオタクで漫画家を目指していたと言うのである。 差し出した手帳のページにさらさらとイラストを書き付けながら彼女が語った所に寄ると、年の近い兄が持っていたマンガのお陰でマンガにはまり、高校の頃は見た目もギャルっぽかったのだが「中身は完璧なオタク」だったという。ギャル系の友人がいたため表には出さなかったが、携帯やパソコンでのサイトを通じて知り合ったオタク友達と交流を深め、次第に漫画家になる夢を募らせていったのだという。 「でも、上には上がいるしー、(出版社に)持ち込みもしたけどあまり良いって言ってもらえなくてー」 周りのギャル友にはオタクで漫画家になりたい事も言えず、しかし夢は捨てきれず悩む事もあったのだという。そんなある日、ギャル友の勧めでキャバクラに勤めてから彼女は変わった。キャバクラには仕事が終わってからやって来るサラリーマンが多い。彼女がそんなお客さんと話をしている時に、話の流れから何気なくイラストを披露した所、これが大変好評になった。悩みながらも夢を捨てきれず、秘かに漫画を書き続けていた彼女の腕は上達しており、彼女の腕を見込んだ客からイラストの仕事を頼まれるようになったのだとか。 今、彼女は少ないながらもイラストカットや数ページのマンガを雑誌に連載するなど、夢を少しずつ形にしていっている。ちなみに彼女が本当に描きたいマンガは、週刊誌などに連載されている王道の少年マンガだそうだ。 お客から受ける絵の仕事にも、接客にも手を抜かず、日々勉強だと語る彼女。ひょっとしたら、いつかは彼女の描いたマンガが大手の雑誌でお目見えする日も近いのかも知れない。(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2011年12月28日 15時30分
勝運をもたらす「日本一の大天狗が棲む神社」
滋賀県東近江市小脇町にある赤神山(標高350m)の中腹にある阿賀神社は、通称「太郎坊宮」、「太郎坊赤神社」、「太郎坊さん」の名で親しまれている。祭神は天照皇大神の第一皇子神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊を祀っている。特に、この祭神は勝運の神と崇められており、どんな事にでも勝つと云うことで、ご祈祷の申し込みが数多くある。その他にも、厄除・開運・商売繁盛・合格祈願・病気平癒などにも御利益がある。 阿賀神社は、明治の神仏分離令が発せられるまで、神道・修験道・天台宗が相混ざった形態で信仰されてきた。また、御本殿前にある夫婦岩は神の神通力により開かれたという伝説があり、昔から悪い心の持ち主や、嘘をついた者が通れば庭に挟まれるといわれている。夫婦岩には、その名前のとおり夫婦円満や縁結びのご利益もある。 創建は、約1400年前、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を建立された時、赤神山の霊験が顕著であることを聞かれ、国家の安泰と万人の幸福を祈念され、創建されたと伝えている。 後に伝教大師(最澄)が参篭し、そのご神徳に感銘し、50余りの坊を建立して当社を守護させられた。また、山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭し、修験道もさかんになった。その修験者の守護神とされたのが「太郎坊天狗」で、現在も神社の守護神とされる。 「太郎坊天狗」というは全国代表四十八天狗及び八天狗の一人で、京都の愛宕山に祀られる天狗。栄術太郎とも呼ばれ、多くの眷族を従える日本一の大天狗とされている。京都の鞍馬山次郎坊とは兄弟でもある。(写真:「太郎坊宮」滋賀県東近江市小脇町2247)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2011年12月26日 15時30分
薩摩藩士・小松帯刀と赤神山の狐
幕末の頃。薩摩藩家老・小松帯刀(1835〜1870)は、江戸藩邸において、朝廷の公卿と幕府閣僚との交渉を担う職に就いていた。後に京都で朝莫諸藩の間を行き来するうち、倒幕運動や大政奉還に尽力するようになった。そのため、京都では幕吏の追っ手に追われるようになってしまった。身の危険を感じた帯刀は、京都から逃れ滋賀県東近江市中野町東沖野ヶ原辺りに粗末な庵を結び、隠遁生活をするようになった。 ある時、帯刀は赤神山(東近江市小脇町)の中腹にある阿賀神社に参拝に出掛けた。その帰り道のこと。日も暮れ、月の明かりを頼りに帰り道をブラリブラリと東沖野ヶ原の隠れ家に向って歩いていた所、野原の草むらに罠にかかった狐がもがいているのを発見した。東沖野ヶ原には人を騙す悪い狐が棲んでいるという噂があったので、村人が狐の罠を仕掛けていたのだ。しかし帯刀は哀れに思って、罠を解いて狐を逃がしてやった。 数日後、帯刀の隠れ家に若い娘が訪れた。娘は旅の途中で道に迷い、日も暮れてしまったので、一夜の宿を貸して欲しいと頼み込んだ。帯刀の隠れ家は手狭で寝る場所もなく、しかも男所帯だったので断った。しかし娘は土間の片隅でも良いから泊めて欲しいと、泣きそうになって頼み込んでくる。さすがの帯刀も気の毒に思い、娘を泊めることにした。しかしこの家には煎餅布団が一組しかないので、帯刀は娘に布団を譲り、自分は軒下で眠ることにした。翌日、帯刀が目覚めると娘の姿は無く、布団の上に阿賀神社の護符が置いてあった。娘は帯刀が罠から助けた赤神山の化け狐だった。 その後、帯刀は京都で勤皇の志士として活動するようになっても、阿賀神社の護符を片時も肌身離さず懐に忍ばせておくようになった。しかしある時、帯刀は木屋町で幕吏の捕り方に捕縛され、軍鶏駕篭で江戸送りの身になってしまう。その護送中、三条大橋のたもとに差し掛かった時。不思議なことに駕篭の扉が開き、阿賀神社のご加護のお陰か、彼は無事に脱出することが出来たという。 明治時代になって、帯刀は江戸送りから無事に脱出できたのは阿賀神社の護符のご加護かもしれないと考え、その恩返しとして、阿賀神社に小松家の家宝である狩野深幽筆の「三十歌仙」を額に設え奉納したという。(写真:「阿賀神社」滋賀県東近江市小脇町2247)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2011年12月24日 17時59分
現代に甦った怪異!? 明治実話怪談朗読中に起きた変事
古来より、怪を語れば怪に至る、と言う。ことわざの『噂をすれば影がさす』にも似ているが、怪談話を皆と交わしているうちに実際に変事が起き、幽霊が現れたりする、と言うことだ。百物語の後に本物の幽霊が出る、というのもここから来ている。 聞き手の怖がる感情を幽霊が察知してやって来るのだろうか、現代でも体験談がちらほら聞かれるこの現象。ホラー映画を撮影したら例らしき物体が映り込んだ!? と言うのも、形は違うがこの中に含めても良いだろう。 さて、山口敏太郎事務所では新しい試みとして、小泉八雲などの著した古典怪談を読み解く『怪読』が発足した。読み手は女優であり怪談師の牛抱せん夏、山口敏太郎による解説を交えてのこの企画は先日の12月17日に“序章”と銘打ったイベントが封切られるなど各所で披露されてきた。 この『怪読』は基本イベントで披露される物なので、イベントに来られない人にも観てもらえるよう、ネットで放送できるように動画の撮影を某所で行った。この時収録したのは、田中貢太郎という作家の手による短編『阿芳の怨霊』。恋仲だった男女が心中を企てるも、男性のみが生き残るが、それ以後彼の前に女の霊がついて回るようになり…という話だ。怪談としては割とポピュラーな物と言えるかも知れない。 ところが、この撮影中、カメラやマイクが変な音を拾ってしまうなどの事態が何度か起きた。更には動画の編集中にも編集用のパソコンが意味不明な動作不良を起こし、何度も作業が中断。編集が振り出しに戻ることも複数回、ついには動画を再生しようとするだけでパソコンがフリーズするまでになってしまった。 実はこの『阿芳の怨霊』という短編は、田中貢太郎氏が実際にあった話や体験談を短編の形にした実話怪談。この話に出てきた女性の霊、そして最後には狂乱し取り殺されてしまうこの男性も、残した念が相当強かったのか、彼がこの体験談を採取した当時はこの事件がらみの変事が幾つかあったという。例えば彼らが心中を企てた場所に芝居小屋が建ったが、恋愛物の芝居を上演した所、上映期間中は雨が降り続いて客足も落ち、芝居は台無しに。心中で生き残った男も、何かを訴えたかったのか彼の親類の少女の前に現れた…などである。 なお、この記事を執筆中の現在も、不可解な家鳴りが何度も続いている事も付け加えておこう。 果たして本当にこの話にまつわる怪異が我々の身に起きてしまったのか、詳しいことは解らない。 ともあれ、21世紀に生きる我々が、明治の人々が震えた実話怪談の世界に浸ってみるのも面白いのではないだろうか。 怪読『阿芳の怨霊』はYouTubeで視聴可能だ。 (山口敏太郎事務所)関連・参考URL牛抱せん夏 〜千年之夢〜http://ameblo.jp/ushi-life-999/牛抱せん夏 怪読「阿芳の怨霊」http://www.youtube.com/watch?v=ONu5s2VnUps
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レジャー 2011年12月23日 15時30分
キャバ嬢列伝 〜人気の秘訣はおばあちゃんの知恵にあり〜
現代社会の縮図とも言えるお水の世界に生きる女性達の生き様から、教訓やアドバイスを読み解くキャバ嬢列伝。4回目は一風変わった彼女の話から。 中堅規模のキャバクラに務めるAさん。店でもなかなかの売れっ子で、お客からの評価も高い彼女。しかし、彼女の容姿は取り立てて良いというわけでもない。むしろ同じ店に勤める他のキャバ嬢と比べると見劣りするぐらいだ。体型もそこまでグラマーであったりする訳でもない。そんな割と「普通の子」な彼女がなぜお客からの支持を得て人気もトップレベルでいられるのか。 それは、彼女の接客姿勢にあった。話がうまかったり、サービスが良かったりするのはよくあることだが、彼女の場合はその充実度が段違いなのだ。いわゆるかゆい所に手が届くと言うべきか、細やかな気配りが随所に見られるのだ。 彼女の常連である人々も、口々に彼女といると非常に良い気持ちでいられると話している。 そんな彼女の人気を支える『接客』の秘訣は、彼女がお祖母ちゃん子だったことにあった。彼女は両親が共働きで、小さい頃は祖父や祖母に育てられていたのだという。昔気質の祖父や祖母はしつけが厳しく、特に礼儀作法について教え込まれた。しかし、その裏には他人に対しての気遣いや心配りが少なからず含まれていた。しつけと共に、他人の気持ちを思いやることの大切さも教えられた彼女は、こうして接客業を行う事になった現在、祖父母にとても感謝しているという。 「お客様を満足させてあげられるのも、お祖父ちゃんお祖母ちゃんのお陰だから」 そう言う彼女は、年末年始の休みには必ず郷里に帰り、常に両親や祖父母等への孝行を忘れずにいるのだという。(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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特命! 日本ダービーを予想せよ! 馬の姓名判断、霊能犬の動物予知で大予想
2008年05月28日 15時00分
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衝撃!! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!!
2008年05月13日 15時00分
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グラビアアイドル疋田紗也がゴム人間に襲われた!!
2008年04月01日 15時00分
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船橋の神社で、狐の生首が出現!
2008年03月18日 15時00分
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東京にザシキワラシ出現!!
2008年02月19日 15時00分
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ミステリー
小さな侍幽霊 新宿に出現!
2008年02月05日 15時00分
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ミステリー
うずまき生物
2008年01月22日 18時18分