山口敏太郎
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ミステリー 2012年01月30日 15時30分
聖徳太子と愛知川の人魚
愛知川は鈴鹿山脈から滋賀県東部を流れる淀川水系の一級河川で、その下流では彦根市と東近江市の境界となりつつ琵琶湖へと注いでいる。愛知川には昔、河童が生息していたと『日本書紀』に記載されている。また、聖徳太子と人魚にまつわる伝説も残されている。 今から約1400年前のこと。聖徳太子が東近江市を流れる愛知川の川沿いの道を従者と共に歩いていた。すると、聖徳太子一行を呼びめる女の声がした。声がした方を見ると愛知川の水面から若い女性が顔を出していた。女性の肌は透きとおる様に白く、長くて黒い髪、瞳は潤んで艶かしく、唇は小さくてほんのりと赤い。「これは、都でも見ることが無いほどの美しい人だなぁ」と、従者達は驚嘆の声を上げた。 「どうかしましたか?」と、太子は馬を河岸に近づけ訪ねた。すると女性は「実は、私は人魚でございます」と言って水中にあった尾鰭を出して見せた。驚いた太子に女は更に話を続けた。 「私の母は、人に化けた琵琶湖の主の大鯉と契り、私を産みました。私は里で暮らしたいのですが、このような身なので無理です。この際、仏様の元に行きたいとおもいます。願わくは、その方法を教えて下さい。いつまでもこの身を人目に晒したくはありません」 人魚の問いに暫く太子は考え込んでいたが「あなたのために観音菩薩を彫り、寺を建立しましょう」と言ったが、成仏できないと知った人魚はうなだれていた。そこで太子は「それでも、仏の元に行きたいのならば、夏の暑い時期に、干しあがった岩の上でこの薬を飲みなさい。そうすれば、あなたは観音菩薩様の元へ召されるでしょう」と、薬籠の中から仙薬の包みを取り出し、人魚にあたえた。 さて、ある真夏の昼下がりのこと。村人が愛知川の水辺に遊びに出掛けた所、暑さで焼け付いた巨石の上に人魚が横たわっていた。人魚はすでに事切れており、石の上で眠っている間に体内から水分が抜け出し、ミイラのようになっていた。人魚は仏様の元に召されたのであった。そして、人々は人魚の骸を聖徳太子が建立した観音正寺に届け、冥福を祈ったという。 このミイラは近年まで寺に保管されていたのだが、平成五年に起きた寺の火災で本堂と共に人魚のミイラも焼失してしまったという。(画像は、山口敏太郎事務所所有の人魚のミイラ写真(※ただし、記事中の観音正寺所有の物ではない))(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月28日 17時59分
天狗だらけのパワースポット!? 鎌倉・建長寺の半僧坊
古都・鎌倉でも有名な観光地の建長寺。鎌倉五山の第一位でもある、長い歴史のある禅宗の寺院だ(臨済宗建長寺派大本山)。 昨今のパワースポットブームを受けてか、日曜祝日になるとより多くの人が参詣するようになった建長寺だが、その後ろにそびえる勝上ヶ岳の中腹に少し変わったパワースポットがある事はご存じだろうか。建長寺一山の鎮守を司る、半僧坊大権現だ。ここに祀られている“半僧坊”は、実は天狗とされているのである。 半僧坊は一風変わった人物で、後醍醐天皇の子であり、出家して臨済宗の僧となった無文元選禅師の従者であったとされている。彼は元選禅師の元を突然訪れて弟子入りし、以後長年にわたって従者を務めた。死後も墓守を務めるなど生涯彼に仕えた。彼が亡くなった時、方広寺は彼の志を汲んで禅師の墓の傍らに埋葬したと言う。しかし、彼は仏門の弟子ではなく半僧半俗であったため、彼の墓は半僧の墓と呼ばれるようになった。また、一説には弟子入りした頃から既に白髪頭の老人であったという話や、非常に強い神通力を持っていたという話もあり、いつしか彼は山を守る半僧坊という天狗として祀られるようになったのだという。 無紋元選禅師は後に静岡県浜松市にある方広寺を創建した人物でもあり、半僧坊はここの鎮守であった。それが明治22年に建長寺に勧請され、以降はこちらの方が本家に勝る人気を得る程になっているのである。 建長寺の裏から案内板通りに順路を辿っていくと、半僧坊の堂が見えてくる。もっとも、初めて来た人は最後の石段がある岩壁にずらりと並んで立つ大小様々な天狗像を見て驚くだろう。階段の左右に鼻高天狗に烏天狗、岩壁にはそれぞれ色々なポーズをとる小さな烏天狗が並んで、今も参拝者ににらみを利かせている。(写真は鎌倉半僧坊絵姿/山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年01月27日 15時30分
キャバ嬢列伝 〜帰ってきたキャバ嬢〜
今から3年ほど前、東北地方にある某人気フィリピンパブにとある女性が勤務しだした。その女性の名はジェニファー(仮名)。フィリピン人独特のエキゾチックな顔立ちとメリハリのあるスタイル、フレンドリーな性格などが受け彼女はたちまち人気ナンバーワンの売れっ子になったという。 彼女の接客を受けたとある男性はこう語る。 「ジェニファーさんはとても気さくな良い方で、初対面のお客さんには必ずあらゆる質問をするんですよ。『仕事は何をやっている?』とか『家族は?』とか…本当に他愛のない簡単な質問ばかりなんですが、女性と話す事が大好きな僕としてはこんな簡単な質問でもとても楽しかったんです。なんか無邪気でかわいいじゃないですか…」 彼女の『質問攻撃』は一般のサラリーマンはもとより、地元の有力者、さらには『そっちの筋』の人間にまで平等に繰り広げられ、周囲をほんわかした空気に包み込んだという。 ジェニファーはそのまま『天然ボケの女王』としてその人気を不動のものにするが、ある日、忽然と姿を消した。母国に帰ったという噂もあれば、とある常連客と結婚し引退したという噂までありハッキリしなかった。 それから2年の時間が流れ、人々がジェニファーの事を忘れかけようした頃、この『質問女王』は日本に再びやってきた。ただし、東日本大震災の国際ボランティア活動員の一人として。 被災者となり、避難場所だった近場の小学校で彼女に気がついた元常連客は、ジェニファーに質問をした。すると、ジェニファーの国籍はフィリピンでは無く、インドネシア人だったことが判明。フィリピンパブにいた頃は国籍を隠していたのだ。「なぜ」と常連客が聞くと『元・質問女王』彼女はこう答えたという。 「わたしの国も津波で大変な被害を食らった…日本に来てお金がたまったのでお店を辞めたんですが、日本がこんな状況になったので感謝をしたかったのです…」 彼女の実家は2010年のスマトラ沖地震で崩壊。彼女は同情されるのを恐れてあえてフィリピン人として勤務していたのだ。 インドネシア人はとてもフレンドリーな国として知られている。彼女の国で『質問』はあいさつ変わりに近いものだという。彼女はその自国での武器を最大限に活かし、被災地でも多くの人の心を和ませ、勇気づけているという。(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月25日 15時30分
山口敏太郎事務所に、MIB現る!?
ごく最近の話である。作家であり、オカルト研究家でもある山口敏太郎の事務所に、頻繁に不審車両が停まるようになった。それとほぼ時を同じくして、事務所の郵便受けに「“山口敏太郎のオカルト黙示録”や電子書籍の配信を止めるように」と妙な文言の書かれた手紙が届くようになったのである。夜中に無言電話や、「UFOの真実に触れるな」と言うような怪しげなメールも届いていた…が、オカルト研究家をやっていると、こういったイタズラで興味を惹こうとする人は多いもので、こちらとしても事務所スタッフ共々「ああ、またか」と言って流していたのである。 それにしても最近はイタズラの頻度が高い、等と思っていた所、深夜に郵便受けを覗く怪しい男をスタッフが発見。その人物は、全身黒づくめの服装でサングラスをかけており、スタッフに気づくときびすを返してそこから立ち去ろうとした。この時は車は止まって居らず、男はそのまま足早に住宅地の方に逃げようとしたのである。その男はまるで機械仕掛けの人形のようなひょこひょこした奇妙な動きでぎこちなく歩いていた。 すわ不法侵入者か、そうでなくても不審者だと、スタッフと山口敏太郎が追いかけたものの、数メートル先の丁字路を折れた所で、姿は消え失せてしまった。 ハリウッド映画『MIB』の題材にも使われていたこの“黒い男達(Men in Black)”は主にアメリカなどで報告される、「UFOや宇宙人を目撃した人々の元に現れて、警告を発して去っていく」とされる奇妙な人物のことである。見た目はスーツを着込んだ黒づくめの男達なのだが、奇妙な言葉を操ったり、非人間的な動きをしてみせることもあるという。 まさかこの人物がMIBだと言うわけではないが、不気味この上ない事件であった。MIBにまつわる都市伝説は、このような体験や目撃談から生まれたと言えるのかもしれない。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月23日 15時30分
滋賀県甲賀地方の妖怪と不思議話「鏡岩の鬼」
東海道の鈴鹿峠は、昔から難所の1つであったが、平安時代には「阿須波道」と呼ばれる官道となっていた。しかし、欝蒼とした林が覆って、昼間でも薄暗い場所であった。やがて、鈴鹿山には鬼とその娘の鬼女「立鳥帽子姫」が棲みつくようになった。鬼の母子が住んでいる近くには大きな岩があり、その岩を二人は朝晩毎日磨きあげ、鏡のようにしていた。そして鬼の母子は、岩に映る旅人や村人の姿を見るたびに、峠で待ち伏せし金品を取り上げては苦しめていた。母子は「鏡岩の鬼」とに呼ばれ、人々に恐れられていた。 この噂を聞きつけたのは、武将の坂上田村麻呂(758〜811)であった。田村麻呂は平安時代初期の武将で、蝦夷征伐に大きな功績を残した。また、征夷大将軍であり、模範的な武将として、民衆に支持を得ていた。 田村麻呂が軍勢を率いて、鈴鹿の峠の近くの辺りまでやって来た時、鏡岩に映った田村麻呂の軍勢を見た鬼の母子は、何千もの鬼に分裂して襲いかかった。田村麻呂は少しも恐れることなく、その場に座り必死に祈った。すると突然、千手観音様が現れて光りを出しながら、千の手の一つ一つに弓をもち、鬼目がけて一度に矢を打ち放った。果たせるかな、何千もの鬼に全ての矢が当り、鬼は残らず倒されてしまった。 鬼の母子はこれでは敵わないと分かって諦め、今までやってきた悪事を悔い改め「二度としません、命だけは助けてください。」と請い、鈴鹿の峠から去っていったという。 それ以後、坂上田村麻呂の鬼退治の成功を記念して、滋賀県甲賀郡土山町に田村神社が建立された。田村麻呂が鬼を仕留めたとされる2月18日前後には「厄除大祭」が開催されるように。また、現在、鏡岩は、「鬼の姿見」とも呼ばれ、三重県の天然記念物に指定されている。(写真:「田村神社」滋賀県甲賀市土山町)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月21日 17時59分
因縁の地の生首地蔵「道了堂」
東京都八王子市、大塚山公園内にある道了堂跡はかつて東京・多摩郡から横浜港への街道として栄えた“絹の道”沿いに建ち、人々の信仰を集めていたお堂の跡である。 『道了』とは曹洞宗の修験層、妙覚道了の事であり、道了尊、道了大権現などとも呼ばれる。彼は怪力の持ち主で、神奈川県南足柄市にある最乗寺の建立に助力。師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られている。民間信仰としてかなり人気のあった神様らしく、この地に道了堂が出来たのは明治7年、鑓水商人が浅草花川戸より勧請されたことが始まりだという。かつては絹の道の中継点として栄えたものの、鉄道の開通により街道が衰退してゆき、昭和58年には解体されて今の土台のみが残る状況となっている。 本来なら歴史的・文化的にも注目されるべき道了堂だが、現在では残念ながら心霊スポットとしての側面が強くなってしまっている。道了堂付近では堂が解体される前に何件かの痛ましい事件が起こっており、その事件の「被害者の霊が今もさ迷っている」との噂も流れている。特に、公園内の首無し地蔵は「触ると祟りがある」と言われ、稲川淳二の怪談によってさらにその認知度は全国に広がった。 付近には街灯がなく、治安の関係もあってこの近辺に住む人は「夜の道了堂には絶対近づいてはいけない」と特に子供に言い聞かせているという。事実、八王子に実家のある事務所スタッフ(今回の写真提供者でもある)も「幼い頃からそう言われて育ったので、今回が初めての来訪だった」と語る。昼間の道了堂跡近辺は自然が豊かで「晴れた日は散策に良いかもしれない」との印象を受けたそうだ。しかし、近年になってちゃんと修復され、首の着けられた『首無し地蔵』には違和感を感じたという。それは、単純に体と頭で年期の入り方に違いがあることからくる物だけではなかったそうだ。そして、彼は更に異様な物を発見する事になる。 それは、今までの『首無し地蔵』とは全く逆の『生首地蔵』とも言うべき物。側には「地震の影響で一部倒壊しておりますが、余震の影響等がありますので、復旧まで時間がかかります。しばらくの間ご迷惑をおかけします」との注意書きの文章があった。 「震災直後なら解らなくもないですが、そろそろ直しても良いはず。何もあんな風にさらし首のままにしなくても…。それに、しばらくの間『ご迷惑』って、どういう『迷惑』何でしょうか…?」 彼は、写真を見ながら首を傾げていた。(写真提供:穂積昭雪/山口敏太郎事務所)
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トレンド 2012年01月20日 15時30分
ハイパーメディアフリーター黒田勇樹が元ニコ生の暴れん坊、片桐えりりかと初コラボ?
ハイパーメディアフリーターとしてTVやネットメディアで注目を集めた元俳優の黒田勇樹。 自身が主宰するUSTREAM番組、黒田運送(カフェ)のゲストに昨年、ニコニコ動画の生放送で放火騒ぎを起こして書類送検されたセクシー女優、片桐えりりかの出演が電撃決定!(1月26日(木)放送) ハイパーメディアフリーター黒田勇樹がいかにしてセクシー女優、片桐えりりかを迎え撃つのか? 今回、片桐えりりかの番組起用の理由をはじめ、TV出演した時のエピソード等を聞いてみた。 Q:昨年から今年にかけてTVのバラエティ番組で見かけることが増えましたが、出演した時の印象深いエピソードはどのようなことでしょうか? A:黒田運送関連コンテンツの宣伝のために露出を増やしてみましたが「元子役がフリーター」という部分しか取り上げられず、今は後悔しかしていません。 Q:吉田豪、中村うさぎをゲストに招いた(1月15日)イベント「黒田運送(寿)黒田運送新年会〜あれから一年〜」を終えた感想はいかがでしょうか? A:トーク界のチンピラがトーク界の暴力団幹部2人に絡んでしまったと思いました。 Q:1月26日(木)放送のUSTREAM番組、黒田運送(カフェ)のゲストに昨年、騒動を起こして社会面を騒がせたセクシー女優、片桐えりりかを起用するのはどのような理由でしょうか? A:共通の知人に紹介され、何度かお世話になったことがあったので是非お礼がしたいと思い起用に至りました。 Q:黒田運送(カフェ)史上最もカオスな内容になるのでは? と一部で囁かれていますが、打開するプランは固まっていますか? A:消火器を数台用意しています。 Q:黒田勇樹ファンに向けて、元気が出る言葉をお願いします。 A:銀行の残高が31円ですが今日も元気に生きています!※2012年1月26日(木)【開始時間はHPやTwitterにて確認要】黒田運送(カフェ)http://cafe.yuukikuroda.com/※ゲスト:片桐えりりか※黒田運送(株) http://yuukikuroda.com/(記事:ドラゴン・ジョー/山口敏太郎事務所)
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レジャー 2012年01月20日 15時30分
キャバ嬢列伝 〜接客業の神髄はキャバクラにあり! “おもてなしのこころ”を学んで〜
ある政令指定都市のクラブで働くAさんは異色の経歴を持っている。 なんと彼女はそこそこ歴史のある旅館の跡取り娘なのだ。 本来ならばお嬢様である彼女が、なぜ夜の世界に飛び込んだのか。それには正しく彼女の生まれ育ちが関係していた。 将来母の跡を継ぐことが大方決まっていた彼女は、幼い頃から礼儀作法を習い、厳しくしつけられてきた。そんな彼女がクラブで働きたいと言った時、当然家族は猛反対したと言う。特に、現女将の母親の反対は大変なものがあったという。しかし、彼女は夜のバイトをするからとごまかしてそのクラブで嬢として働き初めてしまったのだそうだ。 彼女がクラブで働いていることは、ひょんな事から明らかになる。昔から旅館に来てくれていたお得意様である年配の社長さんが、偶然付き合いで彼女の勤めるクラブに来店したのだ。 社長は当然ながら彼女に驚いたが、それはむしろ彼女の接客態度を見てだったという。テーブルについたお客様の様子をよく見、細かいところまで配慮を怠らない、完璧な接客技術が身に付いていたからだ。 そもそも彼女がクラブで働く事を決意したのも、接客技術を学ぶためだった。日毎に違うお客が入り、人によって応対を変えなければならない業種で一番学べると彼女が考えたのがお水の世界だったのだ。 この店で働く事に決めたのは、彼女の昔から通っていた活け花教室にこの店のママも通っていたことがあった。ドレスが主流になった今でも上等の着物を着こなすママはお客や店の事を第一に考える人だった。活け花を習ってお客様のために手づから花を飾る、そんなママのもとで接客技術を学んで将来のために活かしたいと考えていたのだ。そして、彼女の考えを知ったママも彼女に協力する事にしたのだと言う。 彼女はそんなに長くこの店では働かないと言っている。もっと接客技術を学んで、実家の旅館を継ぐ。 「だから今は修行中なの」 彼女はそう言って笑った。(和田大輔/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月18日 15時30分
繰り返されなかった悲劇
1912年4月10日。イギリスのサウサンプトン港からニューヨークへ処女航海に出航した豪華客船は、14日深夜に氷山と衝突、沈没した。タイタニック号の悲劇である。 それから、23年の時を経た1935年4月。イギリスからカナダに向け航行中の貨物船があった。船上で見張りに立つ水夫ウイリアム・リーブスは、この時、タイタニック号の事故に思いを馳せていた。すると、穏やかだった海が様相を変え始め、やがて視界が効かなくなった。タイタニック号が氷山と衝突した夜のように。奇しくも見張りが終わる時間は、タイタニック号が氷山と衝突した時刻。そして日時が1912年4月14日。それはリーブスの生年月日でもあった。 卒然として襲われた恐怖に、リーブスは警報を鳴らした。エンジンは全速後進、逆回転を始めたスクリューは海水を撹乱させ、貨物船は停止した。数メートル前方には、そびえ立つ巨大な氷山が迫り、周囲に目をやると、無数の氷山がひしめいていた。それが、如何に危険な状況だったかは、救援の砕氷船が海路を切り開くのに要した日数が9日だったことから窺える。 シンクロニシティがもたらせた幸運だろうか。貨物船の名は「タイタニアン号」。更に、タイタニック号の事故を予言した小説と話題になった、モーガン・ロバートソンの小説に出てくる船の名は「タイタン号」。シンクロニシティは連鎖している。(七海かりん/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月16日 15時30分
静岡県御前崎市桜ヶ池「龍神伝説の石」
静岡県御前崎市佐倉にある桜ヶ池は、三方を屏風のように原生林に囲まれた所にあり、池は深い緑色の水を湛え、2万平方メートルもの広さがある。今から約2万年ほど前、地殻の変動により形成された丘陵の谷が風や波によって運ばれた砂によってせき止められて出来た堰止湖だ。そんな桜ヶ池には「龍神伝説」が伝わっている。 平安末期の12世紀頃、比叡山の名僧皇円阿闍梨が、「末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなし」として自ら龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高の弟法然上人が恩師の供養をされたという。この「龍神伝説」にまつわる不思議な石が、花園村(現在の愛知県豊田市花園町)に住んでいた酒造りで有名な寺田伝兵衛の家に伝わっている。 2代目の寺田伝兵衛という人物は大変な癇癪持ちで、何か気に入らないことがあると怒ってばかりいた。時には妻にも手を上げることもあり、家人も困っていた。しかし、そんな時もどうすることも出来ず、ジッと我慢する他なかった。ところが、優しい妻も若くして亡くなってしまった。伝兵衛は嘆き悲しみ、今までの自分の行いを深く反省した。 明和2(1765)年3月2日、心を入れ替えた伝兵衛は妻の追善のために巡礼の旅に出た。『二十四輩巡り』といって、親鸞聖人の遺跡24ヶ所巡るというものである。大変な旅であったが、伝兵衛は一か所づつ一心不乱にお参りし、その確認として巻物に印を押してもらい、旅を続けていた。 遠州(静岡県)に辿り着いた時、龍神伝説で有名な桜ヶ池に立ち寄った。この池の畔で石を拾い、旅の記念に持ち帰ることにした。そして、同年8月17日、半年近くも掛かった巡礼の旅は終わった。 家に戻った伝兵衛は巻物を仏壇に備えて、桜ヶ池で拾った石も汚れを落とそうと取り出した。そして水をかけたところ、石には見る見るうちに「南無阿弥陀仏」という文字が浮かび上がってきた。伝兵衛は、石を何度も手を合わせて拝み、家宝として大切に保管したという。 それ以後、毎年、正月とお盆になると、寺田家ではこの石と巻物が飾られるようになったのだそうだ。(写真:「寺田伝兵衛屋敷跡地」愛知県豊田市花園町)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー
特命! 日本ダービーを予想せよ! 馬の姓名判断、霊能犬の動物予知で大予想
2008年05月28日 15時00分
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ミステリー
衝撃!! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!!
2008年05月13日 15時00分
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ミステリー
グラビアアイドル疋田紗也がゴム人間に襲われた!!
2008年04月01日 15時00分
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ミステリー
船橋の神社で、狐の生首が出現!
2008年03月18日 15時00分
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ミステリー
東京にザシキワラシ出現!!
2008年02月19日 15時00分
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ミステリー
小さな侍幽霊 新宿に出現!
2008年02月05日 15時00分
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ミステリー
うずまき生物
2008年01月22日 18時18分