今から約1400年前のこと。聖徳太子が東近江市を流れる愛知川の川沿いの道を従者と共に歩いていた。すると、聖徳太子一行を呼びめる女の声がした。声がした方を見ると愛知川の水面から若い女性が顔を出していた。女性の肌は透きとおる様に白く、長くて黒い髪、瞳は潤んで艶かしく、唇は小さくてほんのりと赤い。「これは、都でも見ることが無いほどの美しい人だなぁ」と、従者達は驚嘆の声を上げた。
「どうかしましたか?」と、太子は馬を河岸に近づけ訪ねた。すると女性は「実は、私は人魚でございます」と言って水中にあった尾鰭を出して見せた。驚いた太子に女は更に話を続けた。
「私の母は、人に化けた琵琶湖の主の大鯉と契り、私を産みました。私は里で暮らしたいのですが、このような身なので無理です。この際、仏様の元に行きたいとおもいます。願わくは、その方法を教えて下さい。いつまでもこの身を人目に晒したくはありません」
人魚の問いに暫く太子は考え込んでいたが「あなたのために観音菩薩を彫り、寺を建立しましょう」と言ったが、成仏できないと知った人魚はうなだれていた。そこで太子は「それでも、仏の元に行きたいのならば、夏の暑い時期に、干しあがった岩の上でこの薬を飲みなさい。そうすれば、あなたは観音菩薩様の元へ召されるでしょう」と、薬籠の中から仙薬の包みを取り出し、人魚にあたえた。
さて、ある真夏の昼下がりのこと。村人が愛知川の水辺に遊びに出掛けた所、暑さで焼け付いた巨石の上に人魚が横たわっていた。人魚はすでに事切れており、石の上で眠っている間に体内から水分が抜け出し、ミイラのようになっていた。人魚は仏様の元に召されたのであった。そして、人々は人魚の骸を聖徳太子が建立した観音正寺に届け、冥福を祈ったという。
このミイラは近年まで寺に保管されていたのだが、平成五年に起きた寺の火災で本堂と共に人魚のミイラも焼失してしまったという。
(画像は、山口敏太郎事務所所有の人魚のミイラ写真(※ただし、記事中の観音正寺所有の物ではない))
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)