その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えたので、朝廷は三浦介、上総介の両名に退治させた。ところが、身体が朽ち果てても凄まじい怨念は残り、妖狐は石と化した。石は常に毒気を放って、草木は枯れ、近づく者はもちろん、上空を飛ぶ鳥さえも殺していた。人々はこれを「殺生石」と呼んで、近寄ることを禁じた。
室町時代、源翁和尚という高僧が九尾の狐の霊を退散させようと、「殺生石」を一喝すると、石は砕け、日本中に飛び散った。
愛知県岡崎市保母町から生平町に向かう道すがら,北の山並みを眺めると、一つ飛び出た形のよい山が目に止まる。その山が村積山(標高256.9m)である。岡崎市蓬生町(よもぎゅう)に位置し、「三河富士」とも呼ばれている。蓬生町の三河富士は、古来よりその名で呼ばれ,山頂に富士浅間神社の社がある。富士浅間神社の社は通称「村積神社」とも呼ばれている。山頂にある村積神社の神殿の左手には奇妙な石があり、石の柵に囲まれている。この石が那須から飛んできた「殺生石」の破片といわれている。高さ1mほどの板状の石で、縦に筋が入っており、木の筋目のような模様になっている。石に人が触れれば、たちまち病に罹るという。昔、村の猟師が、この石の付近で動物がバタバタと死ぬのを見たという言い伝えも残っている。
(「三州(さんず)の河の住人」皆月斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou