家では、暗くなっても新吉が帰ってこないので、心配した両親は提灯を持って探しに出掛けた。森の小道にあるケヤキの木の下に、新吉の木剣が落ちていたので木の上方を提灯で照らしてみるも、暗くて何も見えない。
このように、滋賀県東近江市今掘町では、森にある大きなケヤキに夜になると、妖怪「つるべ落とし」が出るといわれていた。この「つるべ」とは、井戸水をくむために、縄の先につけておろす桶のことである。
そのため、村人達はこのケヤキを切ろうとしたが、切る度に鋸の歯が欠け、切ることが出来なかった。そこで、両親は寺の和尚に助けを求めた。和尚は「地蔵院の地蔵尊にお願いしなさい。お地蔵様は、子どもの守り仏だから、必ず助けてくれるはずだ」と、両親に言った。直ぐに、両親は地蔵院に参篭した。両親は、一生懸命に祈り続け、翌日ふと顔を上げると、地蔵尊の姿が忽然と消えていた。
実は、ケヤキには天狗が棲んでおり、子どもが下を通ると『つるべ』を使ってすくい上げていたのだ。寺から地蔵尊が消えたちょうどその時、ケヤキの下を一人の小僧が歩いてきた。これを見た天狗は早速、小僧をすくい上げようとつるべを下ろしたが、引き上げもつるべはビクともしない。下を見ると、小僧が綱を引っ張っている。綱はジリジリと引っ張られ、このままでは天狗が引きずり落とされそうになった。
天狗は綱を木に縛りつけ、大団扇を仰いで団扇の先から出た炎を小僧の頭上に浴びせた。しかし、小僧は火達磨になりながらも、綱を引き続けている。すると、天狗が足場にしていた枝が折れ、枝もろとも真っ逆さまに落下し、小僧の石頭に顔面を打ち付けてしまった。
消えた地蔵尊を探しに盛りにやって来た和尚と両親は、黒焦げになった小僧と顔を真っ赤に腫らした天狗が飛び去って行くのを見た。慌ててケヤキの下に駆け寄ると、小僧の姿はフッと消えてしまった。そして、ケヤキに梯子で登ってみると、縄で縛られた新吉が見つかった。その後、和尚が地蔵院に帰ると、地蔵尊が焼け爛れた状態で戻っていたという。
滋賀県には昔から、この「つるべ落とし」と呼ばれる妖怪ないしは怪奇現象の話が多く残っており、原因を北近江の話のように天狗の仕業とする物や、「つるべ落とし」という全く別の妖怪が居るとする説もある。例えば、同じ滋賀県の彦根市では「つるべ落とし」という妖怪が下を通る通行人の上につるべを投げ落としてくる、と言う話もある。
今より大木の多かった昔だからこそ、大木に対する畏敬や恐れの念がこのような妖怪を生み出す結果となったのかも知れない。
(写真:井戸の「つるべ」)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)