平安末期の12世紀頃、比叡山の名僧皇円阿闍梨が、「末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなし」として自ら龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高の弟法然上人が恩師の供養をされたという。この「龍神伝説」にまつわる不思議な石が、花園村(現在の愛知県豊田市花園町)に住んでいた酒造りで有名な寺田伝兵衛の家に伝わっている。
2代目の寺田伝兵衛という人物は大変な癇癪持ちで、何か気に入らないことがあると怒ってばかりいた。時には妻にも手を上げることもあり、家人も困っていた。しかし、そんな時もどうすることも出来ず、ジッと我慢する他なかった。ところが、優しい妻も若くして亡くなってしまった。伝兵衛は嘆き悲しみ、今までの自分の行いを深く反省した。
明和2(1765)年3月2日、心を入れ替えた伝兵衛は妻の追善のために巡礼の旅に出た。『二十四輩巡り』といって、親鸞聖人の遺跡24ヶ所巡るというものである。大変な旅であったが、伝兵衛は一か所づつ一心不乱にお参りし、その確認として巻物に印を押してもらい、旅を続けていた。
遠州(静岡県)に辿り着いた時、龍神伝説で有名な桜ヶ池に立ち寄った。この池の畔で石を拾い、旅の記念に持ち帰ることにした。そして、同年8月17日、半年近くも掛かった巡礼の旅は終わった。
家に戻った伝兵衛は巻物を仏壇に備えて、桜ヶ池で拾った石も汚れを落とそうと取り出した。そして水をかけたところ、石には見る見るうちに「南無阿弥陀仏」という文字が浮かび上がってきた。伝兵衛は、石を何度も手を合わせて拝み、家宝として大切に保管したという。
それ以後、毎年、正月とお盆になると、寺田家ではこの石と巻物が飾られるようになったのだそうだ。
(写真:「寺田伝兵衛屋敷跡地」愛知県豊田市花園町)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)