天保6(1835)年に小田切春江によって名古屋城下の出来事を日記の形態で描かれた絵本『名陽見聞図会』の記事には、天保7(1836)年7月6〜7日、愛知県名古屋市のあちらこちらに「毛のような物」が降ったとある。それは、馬のしっぽのような毛で、黒、茶、白と色は混ざっており、長さもバラバラであった。そして、多くの人が珍しがって拾っていた。
また、空から正体不明な物が降ってきたら、人々は恐れおののくに違いない。富永華陽が蒐集した仏教説話集『尾張霊異記』の記事では、寛政12(1800)年4月13日の昼頃、名古屋市中区橘の七面山に空から黒くて鞠のような物が落ちてきて、転がりながら「諏訪屋」という商家の庭に入っていった。その後、外に飛び出して煙となって消えた。人々は、不吉な事が起こる前兆かもしれないと神仏に祈ったという。
古来、天から降ってくる彗星や箒星も恐怖の対象であった。これらは細長い楕円軌道を描いて空を飛んでいた。この星は「妖星」として、忌み嫌われた星で、空に現れた時には兵乱が起こるとされた。例えば島原の乱の時にも現れたという。また、彗星は、虎の尾を踏むように恐怖にかられところから、別名「虎尾星」とも呼ばれた。
尾張藩士・高力種信によって明和9(1772)年〜文政4(1822)年まで書かれた日記『猿候庵日記の記事では、文化9(1811)年5月18日、北の空に珍しい星が現れた。これは妖星であって、疫病や災害をもたらすものと信じられており、妖星が現れた時に、「天地のみたまなりける此人に つく事なくて業をなす哉」とか、「人間は天下の神のみたま也 つく事ならず災いの神」など、人々は災い除けの歌を貼って、難を逃れたと記されている。
(「虎尾星」イラスト:ナマハゲさん)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)