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侍女の怨念が妖虫と化した「お菊虫」

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 寛政7(1795)年、彦根藩士・孕石氏の屋敷にある古井戸からジャコウアゲハの幼虫が大量に発生したことがあった。幼虫の容姿は、女が後手で縛られた様であったため、その井戸に身を投げたお菊という侍女の怨念が幼虫と化した虫とされ、「お菊虫」と呼ばれた。

 お菊とは、孕石家の当主・備前守泰時の看病のために侍女として奉公に上がった足軽の娘であった。泰時が他界した後もその息子・政之進に仕えていた。政之進はまだ若く独身であったので、一つ屋根の下で暮らすうちに、二人は身分を越えて深く愛し合うようになった。しかし、政之進には、父が生前に結婚の約束を交わした婚約者がいた。父の死後、相手の家から結婚の催促が続いたが、政之進は結婚を断ることが出来ず、返事を延ばし延ばしにしていた。お菊は、政之進の結婚話が出る度に気が気でなかった。政之進は「お前以外に妻は娶らぬ」と宥めすかすが、お菊はますます不安になっていた。

 孕石家には、将軍家から井伊家へ拝受した中国古来の白磁の皿が10枚一揃えで、家宝として代々伝わっている。この皿は、初代・孕石源右衛門が大阪夏の陣の時、井伊家の旗奉行として出陣し、功績を挙げ、壮絶な戦死をしたため、井伊家から2代目・泰時に500石の禄と共に拝領したものであった。お菊は、家宝の皿と自分かどちらが大切か政之進の本心を確かめようと、皿を1枚故意に割ってしまった。

 お菊は心試しに故意に皿を割ったとを知った政之進は逆上し、刀の柄に手をかけた。だが、その瞬間に自分の煮えきらぬ態度がお菊をここまで追い込んでしまったこと悟り、刀を放り出して奥の間に篭ってしまった。一方、お菊は、愚かな事をしてしまったと悔い、自分は浅はかな女だったと知り、もはや政之進に合わす顔がないと、井戸にその身を投げ果てた。

 その後、政之進は家宝の皿があったために愛しいお菊を死なせてしまったことを悔い、残りの皿を打ち砕いてしまい、出家し生涯供養の旅を続けた。そして、割られた皿は、お菊の母が拾い集め、滋賀県彦根市後三条の長久寺に供養のために奉納され、現在でも継ぎ合わされた皿が6枚のみ残っている。

(写真:「姫路城内のお菊井戸」、「お菊虫『絵本百物語』より」)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)

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