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スポーツ 2008年02月27日 15時00分
戦極 川村亮が男を磨く最終調整
2人の女性からオイルマッサージを受け、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべているのは、3月5日に旗揚げする「戦極-SENGOKU-」(国立代々木第一体育館)で、アントニオ・ブラガ・ネトと対戦する川村亮だ。 試合を8日後に控えた26日、埼玉・大宮市内のメンズエステで公開練習(?)を行った川村。格闘技とは縁もゆかりもないエステサロンでのトレーニングとなったが、川村によれば「男を磨くため」に大事だという。 「プロとしてやっていくうちに、男を磨かなければ、と思って」とエステ通いのキッカケを明かす川村は「あとはより良い状態でリングに上がれれば」と最終調整のためにエステに訪れた。 ペパーミントの香りのオイルを選び、女性エステティシャン2人からのマッサージを受けた川村は時折「おお〜っ」と妙な声を出しながらも「相手がデカイと言っても問題ない。僕はいま、2人から4本の手で攻められている。それに比べたら大したことじゃない」と、192cmのネト打倒に自信の表情だった。 お肌も「ツルッツル」となり、心身ともにリフレッシュした川村。自慢のボディーを包む新コスチュームもスタンバイ完了。あとはリング上で男っぷりを見せるだけだ。
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スポーツ 2008年02月27日 15時00分
DREAM 川尻達也に“カレーな”報酬
3月15日にさいたまスーパーアリーナで幕を開ける総合格闘技の新イベント「DREAM」の追加カードが26日、都内のホテルで発表された。HERO'Sのブラック・マンバとの対戦が決まった元PRIDE戦士、川尻達也=写真=に笹原圭一プロデューサーがハッパ。毒蛇狩りのマル珍報酬が懸けられた。 会見では「DREAMライト級GP」初戦の追加3カードが発表。川尻がマンバとのPRIDE vs HERO'S対決に臨むほか、宮田和幸VSルイス・ブスカペ、ヨアキム・ハンセンVS朴光哲の2カードが決まった。 PRIDEとHERO'Sでそれぞれ活躍してきた各選手だけに、3・15の旗揚げ興行は負けられない一戦。もちろん川尻も「PRIDEで闘ってきた自負があるので、HERO'Sの選手には負けられない」とその思いは強く、パフォーマンス面でも「こっちはカレーを持って入場しようかな」と対抗する構えだ。 旧PRIDEと旧HERO'SによるDREAM初戦。今後を占う意味でも落せない闘いとなるが、そんな川尻に笹原プロデューサーからは「勝ったらカレー1年分」と、異例の勝利ボーナスでハッパをかける声も上っていた。
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スポーツ 2008年02月27日 15時00分
ゼロワンMAX 大森隆男が新日本プロレスの中西学戦に向けて禁断の特訓中
3・2ゼロワンMAX東京・後楽園ホール大会で、新日本プロレスの中西学との一騎打ちに挑む大森隆男が26日、野人対策を告白。“禁断特訓”を行っていることを明かした。 中西とのこれまでの対戦は1・23後楽園、2・17後楽園でのダブルヘッダーとホームリングで3連敗。もう負けられない。 それだけに、野人対策に余念がない大森は「雑誌のインタビューで中西が『新日本の強さは足腰だ』と語っていた。自分の強さを敵に教えやがって」。つまり中西の強さの秘密を知ったわけだ。 自らもその強さを手に入れるべく、即座に実践に取りかかった。「アルゼンチン(バックブリーカー)でへし折られないような腰を作っている」と下半身強化に努めているという。現在はウエートトレーニングや坂道ダッシュ、スクワットなどはもちろん、ウサギ跳びにも取り組み、下半身を徹底的に鍛えている。 ウサギ跳びといえば「巨人の星」などに代表される根性トレーニングの代名詞。しかし、現在では膝を痛める可能性がある非科学的でタブーなトレーニングとされている。それでも大森は“禁断特訓”を連日行っているという。 野人狩りに向けて禁忌トレに励む大森。一騎討ちに勝利し、反撃ののろしを上げることができるか。
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その他 2008年02月27日 15時00分
「アキバ探検隊」あっちょんぶりけ!なトイレットペーパーが爆発的人気
先週20日発行号のホワイトデー対策記事で紹介した「東京アニメセンター」(千代田区外神田4ノ14ノ1)のオフィシャルショップでは、実は“びっくりアニメ菓子”のほかに飛ぶように売れる大人気グッズがある。漫画とそのセリフなどをびっしり印刷した特製トイレットペーパーだ。 何の変哲もない白いトイレットペーパーとは異なり、最後まで人気キャラクターの名セリフを噛みしめながら力むことができる。主力商品は手塚治虫さんの人気漫画「ブラック・ジャック」に関わる2種類。トイレタイムが楽しくなること請け合いだ。 「ブラック・ジャック名台詞トイレットペーパー」には、難易度の高い手術に挑む主人公のぐっとくるセリフが何本も巻き込まれている。「ピノコ語講座トイレットペーパー」では、人気脇役ピノコの舌ったらずな言葉づかいを“和訳付き”で丁寧に解説する。たとえばこんな具合。「れったい」→絶対。「うちょ」→うそ。…どうってことのない企画ではあるが、思わず発音してみたくなるから不思議だ。いずれも1巻200円と安価なのがうれしい。 同ショップの及部奈津美副店長は「1番人気は断然『ブラック・ジャック』ですね。1カ月で平均150個ほど売れますから。マニアックな人をもうならせる泣けちゃうセリフがたくさん収録されています。『ピノコ』も平均100個は出ますよ」と人気ぶりを語る。 ほかには同センター限定の「絶体絶命でんじゃらすじーさん」「親子クラブ」をモチーフとした商品もある。 じっくり読むとトイレタイムが長くなるので注意。それと、先に進みすぎるとトイレット・ペーパーの消費が早くなるのでこれまた注意!
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レジャー 2008年02月27日 15時00分
阪急杯(GIII 阪神芝1400m 3月2日) 昨春の短距離王スズカフェニックスが始動
前走の阪神Cカップでは短距離王者らしい強烈な末脚を爆発、GI馬の底力を示したスズカフェニックス。 「前走はレース中にトモを引っ掛けられて外傷を負うアクシンデトがあった。それを跳ね返してよく頑張ってくれた」 橋田師は着差以上の勝利を強調する。 前走後は栗東に居残ってじっくり調整。外傷の影響もなく、十分な攻め馬を消化してきた。 「状態に関しては前走と変わらないくらい。去年はこのレースで3着だったけど、外々を回らされた分の負け。いつも馬群をさばくことが課題になるが、体調面はいいので楽しみにしている」 高松宮記念連覇に向けても、ここは負けられない。 【最終追いVTR】1週前に武豊騎手がケイコでまたがってから気配がガラリ一変。今朝の坂路も物すごい気合乗りで自ら鞍上を引っ張っていった。最後も抜群の切れ味でフィニッシュ。余力十分に800m50秒9→12秒5の好時計をマークした。
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レジャー 2008年02月27日 15時00分
中山記念(GII 中山芝1800m 3月2日) エアシェイディ 重賞V2へさらに加速
AJC杯でついに重賞制覇(15戦目)を成し遂げたエアシェイディが、連覇に虎視たんたん。 その伏線となったのが、前々走の中山金杯2着。このレースから後藤騎手に乗りかわり、脚質転換。後方一気から、中団で脚をためる作戦が見事に奏功した。 「1600mの時はアンカツ(安藤勝騎手)さんが、マイル仕様の競馬(後方一気)をさせた。勝てなかったのは勝ち運がなかっただけ。勝ったから本格化したという言い方も変だが、毎回、重賞で上位争いをしてきたように、力はあった馬だからね。調子に変動はないし、数(レース)を使ってないから年の割りに馬も若い」と中鉢助手。 「相手より、自分の競馬をすれば自ずと結果はついてくる」と重賞2連覇に自信をのぞかせた。 【最終追いVTR】ダートを1周してポリトラックへ。ツルガオカハヤテ(古馬オープン)を2馬身追いかけ、直線に向くと内から合体。バネの利いた躍動感あふれるフォームで最後はクビ差先着した。5F63秒5→49秒3→36秒5→12秒0の時計も素晴らしく充実著しい。
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レジャー 2008年02月27日 15時00分
遠い記憶 根岸競馬場の歴史(12)
1906(明治39)年1月、社団法人となった日本レーシングクラブは、この年から1908(明治41)年にかけ、全盛期を迎える。「日本レースクラブ五十年史」によると、このころクラブは横浜総合病院、地元慈善団体、傷病兵基金、警察協力基金、孤児院、競馬場周辺道路工事などへ、しばしば寄金したとしている。 このように、根岸競馬は施設や組織の整備とともに、社団法人に移行する直前の1905年(明治38年)末、政府が馬の改良という面から馬券発売を黙許する方針を決めたこともあって、世間の人気を集めていった。 これらの反響を受け、東京では東京競馬会が池上本門寺近くに池上競馬場を、さらに翌年には目黒競馬場を建設して1906年秋には4日間の開催を行った。ほかにも、全国各地で横浜をモデルとした競馬が盛んに催されるようになり、翌1907(明治40)年7月には、川崎でも京浜競馬倶楽部が4日間の競馬を催している(同倶楽部は3年後に、東京競馬会と合併、川崎の馬場は1933年=昭和8年秋、現在の府中に移転)。 根岸からノウハウを教わってスタートした全国十数カ所の競馬はどこも賭けの人気で繁盛をみせた。一方で、その馬券熱が高まるつれて競馬場内の騒ぎやトラブルが増えていく。大もとの根岸競馬場でも、1907年秋季競馬で「緑号事件」というのが起きた。 「緑」という馬が先頭でゴールインしたが、その騎手が、規定の負担重量を欠いていたことが分かり、失格と判定された。そのため、観客が非難、投石騒ぎとなり、警察がこれを解散させる一幕となった。この事件は根岸競馬の公正さを印象づけることとなったが、トラブルの頻発に、世論の批判も高まり、新聞も悪影響を書き立てた。 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬
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芸能 2008年02月27日 15時00分
“ぽっちゃり王子”古田幸希選手にタレント転向のすすめ
“ハンカチ王子”や“ハニカミ王子”“ハンド王子”。さらには“テニス王子”と数多い王子の中で芸能界の期待を一身に集めているのがアマゴルフ界の“ぽっちゃり王子”こと古田幸希選手(15)だ。もっとも古田クンが期待されているのは本業のゴルフではなく、そのタレント性…!?あの“デブタレ”ブームの仕掛け人である石塚英彦(46)も「将来、日本のバラエティー番組を背負って立つ人物」と太鼓判を押したというから本物だ。 「いわばデブタレとして古田クンは認められたということ。ゴルフがダメでもタレントとして食べていけるということです」(放送作家) 石塚と古田クンが共演したのは先月末のこと。石塚がレギュラーを務める人気番組「元祖!でぶや」(テレ東)にサプライズゲストとして古田クンが登場した。 「古田クンは、番組内で青森山田高に合格したことを報告し、大盛り肉丼を平らげながら、お決まりの『マイウ〜』を連発。また、アドリブで“古田丼”を作ってもらえるようお店に提案するなどまさにバラエティー番組のツボを知り尽くしていた。自ら“ぽっちゃり王子”と公言しているが、実際は、非常に頭がいい人物といえる」(制作関係者) この“ぽっちゃり王子”を巡り民放各局及び芸能プロダクションは早くも熾烈な争奪戦を繰り広げているという。 「ある大手芸能プロは、6000万円の契約金を提示したそうです。いずれはスポーツキャスターという道もある」(芸能プロ関係者) 民放キー局の編成マンも「ゴルフのリポーター兼グルメレポーターにも起用できれば一石二鳥だ」と断言する。 しかし、古田選手はまだ高校1年生。芸能界転身の可能性は低いのではないだろうか!? 「高校の勉強に支障がでない土日を中心に活動はできるはず。正直、本人も芸能界には興味を示している」(同) こんな話もある。 「いま話題の“ハニカミ王子”はプロになった以上、勝負が全て。あの若さでプレッシャーに勝てるかどうか疑問だ。また、常にお金の話がついて回る。一方の古田は楽しみながらゴルフをし、芸能界からもタレントとして注目されている。2人は対照的で面白い」(民放編成関係者) 果して最後に大笑いするのは“ハニカミ”それとも“ぽっちゃり”か!?これからの2人の動向が気になるところだ。
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トレンド 2008年02月27日 15時00分
しょこたんまで!アイドル失言症候群を徹底検証する
つい3週間前にしょこたんこと中川翔子(22)についてこのコーナーで絶賛した。と思ったら、24日放送の『サンデージャポン』(TBS系)で“失言”してしまった。例の海上衝突事故に対して「絶対に避けられるべきだった事故ですよね。本当に2人とも絶対に避けられた、死ぬことを。死ななくて済んだはずなのに。こんなことになるなんて…」と発言したのだ。沈痛な表情で語ったしょこたんだったが、放送の時点でまだ2人の安否ははっきりしていなかったのだ。 確かに今回の発言にはしょこたんに過失がある。今回だけでなく、昨今の芸能人の“失言”は目に余るものがある。特にアイドルによるテレビやブログでの発言をめぐって、すぐにネット上で大騒ぎになってしまう。「羊水」発言の倖田來未(25)しかり、「痴漢」発言の大島麻衣(20)しかり。それに「車はぶつけるもん」発言の亀田大毅(19)も。 ブログを始めること自体は悪いことでも何でもない。どんどんやればいい。だが、これだけ失言が頻発すると、それなりの対応を考えておくべき時期にとっくに入っている、と考えるべきだ。対応を考えるのは、タレント本人でもあるし、事務所サイドでもある。 だって、失言が原因になってタレント生命が絶たれる可能性だってあるし、それによって億単位の損害が出るかもしれないからだ。もっと本気で取り組むべきだ。 子供たちは間違えるんです!だから、まわりの大人が教育するんです!…というようなことをはるか昔に金八先生が言っていた。しょこたんは成人しているから「子供」と呼ぶべきではないが、ブログが1億人に監視されている時代、そんなことは言っていられない。 もし私が事務所スタッフならば、世の中的に言うべきではないこと、芸能界のタブーなんかを1週間かけてレクチャーし(タレントからはかなりウザがられること請け合い)、どれだけ理解したかをテストし(さらにウザがられる)、それに合格したタレントだけにブログを書かせるなり、テレビの世界に羽ばたかせるなりするのだが…。 教習所で講習を受けずにいきなり路上に出るから、交通事故率が高くなる。それは講習を受けるシステムを作らない側にも責任の一端があると思うのだ。
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ミステリー 2008年02月26日 15時00分
日本にもあった魔の海域 ドラゴントライアングル
先日、千葉県房総半島野島沖で起きた海上自衛隊のイージス艦と漁船の衝突事故をきっかけにオカルト業界ではにわかに「ドラゴントライアングル」への注目が再燃している。有名な魔の海域、「バミューダトライアングル」の日本版なのだが、今回は「ドラゴントライアングル」をクローズアップしてみた。 われわれNMR取材チームはまず、神奈川県で釣り船屋を営むある漁師に話を聞いた。 「船同士の接触事故は時々起きるんだよ。でも漁師同士はめったにない。船の上じゃ緊張しているし、バッティングするとしても顔の知っているヤツ同士だからね。あるとしたらヨットとか一般人の乗っている船とかな」 最近のボートは高性能な上に、運転に慣れていない船長が海上の状況も考えずにびっくりするくらいのスピードで運転し事故につながるケースは多いという。 「ただね、昔貨物船に乗っていたヤツに聞いたことがあるんだけど、時々、考えられないような見落としをすることがあるらしいんだ。気がつくとすぐそこに船がいたというような」 一般的に大型船舶の場合、性能にもよるが、90度の角度に船体を持っていく場合、最初に舵を切ってから5分以上の時間を必要としその間に1km近く進むことがあるという。われわれが普段当たり前としている車の運転などの安全確認とは随分と認識が違う。 「イージス艦の乗組員がずっと赤いランプが見えていたって話があったけれど、似たようなことは結構多くの人が経験しているんじゃないかな。緑のものが赤く見えたり、普段見えるものが見えなかったりすることもある。海の上では時々考えられないことが起きるんだ。もちろん夜は特に視界が悪いしね」 漁師の話によると、貨物船などの大型船舶の場合、ずっと同じ景色を見ている影響や孤独などの心理的な作用も働き考えられないような見落としを誰もが一度は経験するらしい。 さて、本題のドラゴントライアグルだ。海難事故に詳しい専門家に話を聞いた。 「野島埼、小笠原諸島近海とグアム諸島の3つを結んで“ドラゴントライアングル”と呼ばれており、有名な“バミューダトライアングル”に並び不思議な事故が相次いでいる場所なんです」 この専門家が話すドラゴントライアングルとはアメリカのオカルト研究家チャールズ・バーリッツの著書で最初に唱えられた。しかし、大規模な事故が少なかったこともあり日本人の間ではそのような呼称がついていることを知らない人の方が多いという。しかし、1969年から1980年までの間に救難信号を出す間もなく沈没した大型船が14隻もあり、危険な海域であることは疑う余地もないようだ。 ちなみにバミューダトライアングルだが、フロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ約283平方キロメートルの三角形の海域を指す。 昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという伝説があり、この伝説をもとに多くのフィクション小説、映画なども製作され、オカルト系のネタとして定番中の定番となっている。なぜバミューダトライアングルで事故が多発するかについては、これまでブラックホール説、宇宙人説、メタンハイドレート説などが提唱されている。 ところで、その専門家はドラゴントライアングルについてこう続ける。 「バーリッツがドラゴントライアングル内で発生したとされる原因不明の海難事故は、多くのケースで、発生年月日や発生場所が実際とは間違っており、日本近海で発生した海難事故をドラゴントライアングル内で発生したことにする傾向も見受けられます。バーリッツが唱えていた、日本海軍艦艇の失踪事件も実際には存在しないようです。ただ、この海域はしばしば台風や温帯低気圧による暴風雨が起こり、そのため強い波が起こって、船が遭難することが珍しくないのは確かです」 ドラゴントライアングルの存在には反論もしっかり存在しているわけだが、それにしても、日本にも”魔の三角海域”があったとは驚きだ。
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GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
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