スポーツ
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スポーツ 2010年12月28日 14時00分
実戦向き左腕・土肥が語るメジャーへの夢
「野球を続けたい」−−。土肥義弘投手(34=前埼玉西武)に大リーグ挑戦を決意させたのは、純粋な情熱からだった。 土肥は春日部共栄高校(埼玉県)、プリンスホテルを経て、97年ドラフト会議で西武ライオンズ(4位)に入団した。プロ2年の99年からはセットアッパーもできる『シチュエーショナル・レフティー』として、一軍に定着した。年間本塁打数55本の日本タイ記録保持者、タフィ・ローズ(近鉄−巨人−オリックス)に「大の苦手」と言わしめたのは有名だが、メジャー流に称すれば、チーム事情によって先発、救援と、さまざまな役どころもこなせる『スイングマン』でもある。 そんな彼がアメリカでのトライアウトを終え、帰国したのは12月3日。「準備していったことは全て出せた」と、“手応え”を語っていた。代理人によれば、メジャー各球団との交渉は小康状態とのこと。トライアウト中、「対左打者に投げたチェンジアップ」を称賛するメジャースカウトの声は日本にも届いていた。ウィンター・ミーティングも行われる12月は、メジャー各球団にとっては『補強シーズン』とも言えるが、米FA選手や有名選手との交渉が優先されてしまう。今は朗報を待ちながら、来季に備えているという。 土肥の人柄を物語るこんなエピソードが聞かれた。 食事を兼ねた代理人との打ち合わせで、彼はいつも違う場所を指定してきた。 「理由? 会ったときに話すから…」 代理人は土肥投手の言葉に従い、都内某所に向かった。 「英会話を習い始めたんだ」 日本通算13年、335試合を投げ抜いたレフティーはストイックでもある。サプリメントに関する知識も独学で習得し、『内臓』面での身体作りのため、定期的に3日間の断食も行う。その間、特性ジュースは口にするが、あくまでも血糖値を下げないためであり、外食でオーダーするメニューも『野菜の量』を気に掛けているという。 「弁えている…」 帰国後、土肥は何度かそんな言葉を口にした。米トライアウト中、ニューヨークメッツで成功した高橋尚成投手(エンゼルス移籍)と「タイプが似ている」との声も伝えられていた。ボールのキレ、コントロール、駆け引きで相手打者を崩すピッチングは、確かに類似する部分も多い。渡米中、土肥は「高橋タイプ」なる日本人メディアの取材に相槌こそ打っていたが、本当は「高橋さんの方が直球のキレは上。自分はもっと頑張らなければいけない」と思っていた。そんな謙虚でひたむきな性格が、トレーニング後の『英会話学習』にも向かわせたのである。 一般論として、150強の直球を投げ続ける投手なら、メジャースカウトへのアピールも簡単だ。しかし、土肥はセットアッパーもこなせる『シチュエーショナル・レフティー』である。満塁の場面を想定し、低めの変化球やチェンジアップで対戦打者を崩す投球術を米トライアウトで披露していた。 「縫い目の高いメジャー球が合っていた」とも伝えられたが、トライアウト前、感触や湿度、手の渇き具合、ロージンを付ける量の加減など何パターンもテストし、短期間で適応させたのが真相である。 野球に対する貪欲な姿勢は、並大抵ではない。2011年、新しいステージのために。今はその『大いなる助走』と言ったところだろう。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)※土肥投手の直筆サインボールプレゼント<http://npn.co.jp/present/detail/8976616/>
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スポーツ 2010年12月28日 14時00分
亀田興毅、日本初の3階級制覇も、ボクシング業界内では冷ややかな反応
WBA世界バンタム級2位の亀田興毅(亀田ジム)が、12月26日、さいたまスーパーアリーナで行なわれた同級5位のアレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ)との王座決定戦で、3-0の判定勝ちを収めて王座奪取。日本初の3階級制覇を達成した。 過去に2階級を制した日本のジム所属選手はファイティング原田、柴田国明、井岡弘樹、畑山隆則、ホルヘ・リナレス、粟生隆寛、長谷川穂積と、興毅を含め、わずか8人しかおらず、その上を行く3階級制覇は、日本ボクシング界ではまさしく偉業。 にもかかわらず、ボクシング業界内の反応は冷ややかというのだ。その理由は亀田陣営の手法にある。興毅が世界を奪取したタイトルマッチ3戦中2戦が王座決定戦であること。決定戦での王座獲得は、現役の世界王者を下したわけではなく、その価値も薄れるとの考え方がある。今回の対戦相手はランキング5位の選手で、陣営が“勝てる相手”を選択したとの見方も根強くある。 また、興毅が狙ったバンタム級の層の薄さも評価を下げる要因となった。今まで、興毅は2階級下のフライ級だった。飛び級したからには、それなりの理由があった。バンタム級の王座は現在空位、元王者・長谷川が階級を上げるなどして、この階級は人材不足となっていたのだ。 興毅は近い将来、スーパーフライ級に1階級落として、4階級制覇を狙う意向を明らかにしたが、なぜ、最初からスーパーフライ級を狙わなかったのかの疑問が残る。 日本人初の2階級制覇を成し遂げた原田は、興毅の3階級制覇を評価する一方で、「当時とは階級制が違う」と発言。原田が2階級を制した65年当時は8階級しかなかったが、今やボクシングは17階級にまで増えた。原田の時代に1階級上げると、かなりのウエイト増がしいられ、階級数が少ない分、人材もあふれていた。日本初といえ、昔と今では比較対象にはならないのだ。 本来なら、称賛されてあまりある快挙なのだが、業界内で評価されないというのは寂しすぎる。(ジャーナリスト/落合一郎)
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スポーツ 2010年12月28日 13時00分
なぜチケットショップの社長がリングに上がるのか? 『T-1』二見社長インタビュー(2)「5万のグラサンも割られたし、離婚もした。でもT-1興行を続ける!」
“二見激情”でおなじみのプロレス界きっての爆弾男・二見理(ふたみ・おさむ)。とはいっても彼は現役プロレスラーでも団体経営者でもなく、東京・水道橋のチケットショップ『T-1』の名物オーナーである。 そんな彼がなぜ、女子プロレス興行『T-1興行』を打ち、業界に波紋を広げ続けるのか? ショップ『T-1』、そして『T-1興行』の生い立ちについて、プロレスにも造詣の深いオカルト作家・山口敏太郎氏が、二見社長にインタビューを敢行した。 山口 なぜチケットショップの社長がプロレスのリングに上がって試合をしているのか、いろんな角度から聞きたいんですけど、まず初めにT-1興行のリング上で、離婚を発表されたこともあったそうですね。 二見 2007年の7月に離婚し、10月8日の『T-1グランプリ(以下・GP)』新宿FACE大会で発表しました。試合後の独演会で離婚のことを言ったんですが、離婚そのものよりも、自分が結婚してたことに、選手やファンは驚きだったみたいで(笑)。それまで、一切プライベートを公表していなかったから。 山口 奥さんには「プロレスのリングに上がるなんて危ないからやめてくれ」と言われてたんですか? 二見 実は、一回観に来てるんですよ。前川久美子と金網越しでガチ口論した1回目の『T-1GP』を。その時、「お金を払ってるプロモーターが何であんなことを言われなきゃいけないの!?」って、前川に対して怒って。普通の感覚だったら怒るよねぇ。 お金を出してリングで痛い思いをして、そこまでして興行を打つ神経がわからないって言うんですよ。おっしゃる通りなんだけど、このままじゃ引き下がれないって気持ちがあるじゃないですか? 男が夢を追いかけると、女性は冷静になると。 山口 経営者として、男として、引けない時ってありますもんね。でも、女はわかってくれない(苦笑)。 二見 今は独身の身だから、何やってもいいって気持ちですけど。前の女房は仕方ないにしても、子供には一度観に来てほしいという気持ちはありますね。今年で高校を卒業するんですが、その年齢になれば、「お金を稼ぐのは大変なんだ」という、親父の苦労もわかってくれると思うんですけど。【チケットショップ『T-1』】 山口 本業のチケットショップの話を聞きたいんですけど、チケット&トラベルT-1を始めたのは何年前ですか? 二見 1995年8月23日に開業したので、15年経ちました。売上のメインはプロ野球のチケット。東京ドームの巨人戦から、神宮のヤクルト戦、西武、横浜、千葉ロッテ…と、首都圏の野球のチケットを中心に扱ってます。 山口 野球が一番売り上げがいいのですか? 二見 断トツですね。自分はアンチ巨人なんですが、巨人戦でメシを食っているという(笑)。 山口 どこのファンなんですか? 二見 阪神ファンです。T-1のTは、タイガースのTですから(笑)。 世間からは「野球人気は落ちた」といわれてますけど、全然落ちていないですね。逆に伸びてますよ。落ちたのは巨人の人気だけであって。日本ハムや楽天を始め、地域密着型のチームが増えて、地方での野球ファンは増えているし。 水道橋に店舗を構えているので、チケット買うのは巨人ファンだけと思うかもしれませんが、アンチ巨人も多いですから。たとえば巨人vs中日戦を買いに来た中日ファンのお客さんが、巨人戦と一緒にヤクルトvs中日や横浜vs中日のチケットも買ってくれる、そういう相乗効果もありますから。それに広島やソフトバンクのファンは、結束力が強いんですよ。首都圏での試合は全部観戦するとか。巨人戦より、ロッテ戦の方が売上がいいですし。プロレスとはファンの絶対数も違うので、野球のチケットは安定して売れますね。 山口 プロレスのチケットはどうなんですか? 二見 …全然駄目ですね(苦笑)。そもそも後楽園ホールでの開催が激減したから。 一番の問題なのは、プロレスラーがファンと、mixiやツイッターで直接やり取りしちゃうでしょう? あれじゃ、ファンとの境界線がどうでもよくなる。小劇団じゃねぇんだから。プロじゃねぇよって話で。 山口 そのレスラーのチケット手売りの営業力が、マッチメイクに左右される。資本主義社会の見地からすれば正しいんですけど、それじゃプロレスが持ってた「幻想」っていうものがなくなっちゃいますよね。 二見 プロ野球やプロサッカーの選手が、ファンにメールでチケットを買ってくれと、やり取りしますか? 元々プロレスラーは、近寄りがたい凄い存在だったのに、今じゃ普通のお兄ちゃんみたいなヤツが手売りでしょ。一般人と同じなんですよ。そこを変えたくてT-1興行をやってるんですけど、その思いは伝わってないですね。じゃなかったら、こんな傷を作ってまでやらないですよ!(と、シャーク土屋の有刺鉄線バットでできた左手の傷を再度差し出す)。【『T-1興行』と“二見激情”】 山口 では、T-1興行旗揚げの経緯と、二見社長が自らリングに上がり始める軌跡を振り返りたいと思います。 二見 「T-1興行とは何か」という話から始めないといけませんね。まず5年前の8月23日に後楽園ホールで、T-1創立10周年として『T-1 GP』を行ったんですよ。 山口 なるほど、この時から「フタミデー」を選んでたんですね(笑)。 二見 店を開業した時からです(笑)。後楽園ホールでやったことが重要で。この頃に新木場1st Ringに新宿FACEと、後楽園よりももっとお手軽に興行が打てる会場が都内に立て続けにできたことで、後楽園での興行が減ってきたんですよ。これではイカンということで、復興を掲げて女子プロレスのオールスター戦を後楽園でやろうと。 ところが興行を打ってみたら、予想以上に女子プロの内情が腐っていた。今までは外からの立場で見ていた時は、停滞の原因はフロントだと思ったんですよ。要するに周り背広組のフロントがどうしようもなくて、選手の足を引っ張ってるのかと思ったら、業界の中に入って自分でマッチメイクしてみたら分かったのが、違うんだ、根っこは。選手がダメだった。フロントは選手傷つけないために泥を被ってただけの話で。諸悪の根源は選手なんです。 その女子プロのダメな部分を露呈したのが第1回の『T-1 GP』ですよ。そこで、今や伝説となっている前川久美子のマイクが出たんです。「今日は仕方なく試合をしました。こんな意味のない試合はやりたくないです。すみませんでした」って暴言を吐いたんですよ。プロが泣き言を言ったわけです。それでオレがブチ切れて、ガチンコの口論になったんです。 山口 そこから「T-1興行はガチ!」というイメージが定着したんですね。 二見 試合より、そのガチンコの喧嘩が一番湧いちゃったんだよね。自分のマイク「二見激情」が試合を超える人気を博すという逆転現象になったんですよ。最終的にリングに上がらざるを得なくなっちゃった、というのが経緯ですね。 で、まだ第1回は口論しただけだったんですけど、第2回大会ではリング上で堀田祐美子と喧嘩したわけですよ。その堀田には新調したての5万円のGUCCIのサングラスを割られて(笑)。見ます? ほら(写真参照)。 山口 それは精神的にダメージ受けますね(笑)。 二見 このサングラスは、T-1の歴史そのものですよ(笑)。 ちなみに二見は毎回試合をやっているのかとよく聞かれるんですが、実際はそうじゃなくて、初めて試合に出たのは、第8回目の07年6月27日の新宿FACE大会ですね。第8回大会の大会名に、二見デビュー戦と謳っていたんですが。全14回大会中、試合をやったのは6大会。 山口 いつも乱闘してるイメージだから、ずっと出ているのかと思いました(笑)。 二見 結局ファンも、「二見激情」を観に、チケットを買って会場に来てるんでね。引っ込みがつかないというのもありますね。 山口 男子プロレスは興味ないんですか? 二見 男子は自分がやらなくてもやる人がいるし。あと男子を復興させるのは難しいと思う。女子のほうが可能性があるので。 山口 T-1興行がメディアにあまり取り上げられないのはなぜですか? 二見 本当のこと言うからじゃないですか。あと、選手より目立つから。業界として好ましくない部分も遠慮なく言うからね。今の専門誌は、選手の広報誌に成り下がって傷の舐め合いをしている。 山口 まぁ、プロレスマスコミの売上が落ちてるのもそこでしょうね。 二見 やっぱり記者にメシ食わせたり、パンフの原稿などの仕事を与えたりしないと駄目みたいで(苦笑)。DEEPの佐伯繁代表が慕われているのは、そこが大きいわけだし。実際、格闘技マスコミは佐伯さんのことを「親分」と慕っているし。 山口 見た目だけじゃなくて、懐も太っ腹なんですね(笑)。 二見 反面、競技性を追求してる修斗はそういうことやらないから、kamiproでの記事が少ない。で、K-1の谷川さんや佐伯さんばっかり載っているという(苦笑)。そういうことだろうね。 T-1興行には、毎回格闘技の関係者が観戦に来てくれるんですよ。佐伯さんや島田裕二レフェリーとか。あと、修斗の北森代紀広報に、ジュエルスの尾薗勇一社長にヴァルキリーの長尾メモ8氏、パンクラスなど…。そうだ、ジュエルスの杉山しずか選手も来たし。こっちはプロレスのリングであって、格闘技業界とはあまり接点がないから来やすいというのもあるでしょうけど、やっぱり彼らにしたら、自分たちが言えない本音を二見が言ってくれる…というのがあるんでしょう。 ただプロレスだと、そうはいかない。若い選手がT-1に近づくと、団体の上層部から「なんだ二見のところに行って…」と文句言われるとか、実際にあるので。T-1のリングに上がりたいという選手、実は多いんですけどね。 山口 でもそれは、選手一人ひとりの判断に任せる問題ですよね? 二見 顔色伺う選手ばかりでね。そこからして駄目なんだけど。自分は、大御所に嫌われているんですけど、言われたヤツはそこから次のストーリーを展開することを考えたほうがいいと思う。 山口 昭和の新日本プロレスの新間寿(元・営業本部長)さんだったら、スキャンダルを必ず次の興行に結びつけてたんですけどね。(つづく)◆『二見記念日 T-1スペシャル〜一期一会〜』日時:平成23年2月3日(木)開場/19:00 開始/19:23(※イク〜・フタミ!)会場/新木場1st RING(東京都江東区新木場1-6-24)出場予定選手:二見社長、川田由美子、キラ☆アン、松澤チョロ特別ゲスト:ターザン山本!、草間政一≪決定カード&特別トークショー≫シングルマッチ キラ☆アン vs 松澤チョロ特別トークショー ターザン山本!&草間政一◇前売りチケット料金表 ※当日券は500円UP トップワンシート(最前列) ¥4500T-1スペシャルシート(ひな壇) ¥3500ペアシート(2枚1組) ¥5000(T-1のみ、当日販売なし)主催:チケット&トラベルT-1(東京・水道橋)
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スポーツ 2010年12月28日 12時01分
元近鉄戦士・吉岡雄二氏が引退表明!
巨人、近鉄、楽天を渡り歩いた吉岡雄二内野手が現役引退を決意した。 吉岡は08年オフ、楽天から戦力外通告を受けた後、メキシコ球界に挑戦。「メキシコ球界初の日本人バッター」として、ヌエボラレド・オウルズで活躍した。2010年は現地・野球アカデミーの指導も務めたが、帰国後、家族、関係者とも話し合い、現役引退を正式に決定した。 ちょうど1年前の今頃、筆者は吉岡に「今後」について質問したことがある。 「自分自身に納得していれば、(楽天を)クビになったときに(現役を)辞めていたと思うんです。気持ちのなかで何かモヤモヤしているものがあって、次に何かするとき、それが野球以外だったとしても、モヤモヤしているものが残るんじゃないか、と。一軍の試合にも出られない状態が続いていて、そういう気持ちが強くなったんだと思います」 まるで事前に答えを用意していたかのような淀みのない口調で、そう答えていた。 2年間のメキシコ生活で、自分自身を納得させる「何か」を得たのだろう。 メキシコの野球レベルはWBCの上位進出で証明済みだが、その環境は日本の比ではない。吉岡の話によれば、外野席を儲けていない球場も少なくなく、従って、ホームランは「スタンド・イン」ではなく、「球場に外にボールが消えた」ようなイメージだという。「もし、日本なら設計段階で何かしらの対策が施されていたはず」という劣悪な球場もあったそうだ。三塁を守っていて、一塁にスナップスローをしたら、強風で送球がホームベース方向に押し流され、打者走者をセーフにしてしまったこともあった。荒野のような場所にポツンに造られたスタジアムで、『強風地帯』なのである。しかし、吉岡は「みんな同じ条件なのだから」と、決して泣き言は言わなかった。むしろ、野球を続けている喜びに眼を輝かせていた。 「自分が『外国人選手』という立場になって、言葉の通じないところに来て、チームとの接し方、コミュニケーションが成績を左右することを実感しました。野球だけをやっていればいいというのは、非常にストレスの溜まることで、日本に来る外国人選手もそういう気持ちだったんでしょうね」 幸い、吉岡のチームには日本球界を経験した外国人選手もいた。彼らが「分からないことがあったら、何でも言ってくれ!」と声を掛けてくれたことが「本当に有り難かった」と言う。 こうした貴重な経験は大きな財産になったはずだ。また、彼が指導者の道に進んだ場合も同様である。テレビ中継されるメジャーリーグのスタジアムは常に華やかである。しかし、華やかなだけが「外国の野球」ではない。生活や野球環境の違うなかで夢を追うことがどんなに辛いことなのか…。そして、自らに課したノルマを克服したとき、それが人生の大きな糧になる。吉岡は異国で精神的にも大きく成長した。 「もっと、野球を知りたい。巧くなりたい。まだまだ知らないことがあるんじゃないか」 2001年、近鉄で経験した優勝は「巨人時代よりも嬉しかった」という。チームに貢献していたからである。近鉄時代を知るバファローズ選手がまた1人バットを置いた。吉岡のこれからの人生にエールを送りたい。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)サインボールプレゼント<http://npn.co.jp/present/detail/8294490/>
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スポーツ 2010年12月28日 09時00分
ドン底から這い上がったオトコの意地 元横浜・岡本直也投手がヤンキースに合流!
「絶対に這い上がってみせる!」−−。1年間に『4度のクビ』を宣告された投手が、世界の名門・ニューヨークヤンキースとの契約を勝ち取った(マイナー)。2009年オフ、岡本直也投手(27)は横浜ベイスターズから『戦力外』を通告された。その後、トライアウトや阪神などの入団テストを受験したが叶わず、2010年シーズンは単身メキシコに渡った。 メキシコはWBCでも上位進出を果たしており、多くのメジャーリーガーも排出している。野球レベルは侮れないが、球場や施設は日本の比ではない。食生活を含めた生活環境も劣悪といわざるを得ないものがあった。 「メキシコの野球は、投手はパワーでスピード勝負してくるタイプだと勝手にイメージしていましたが、コントロールが良く、変化球も多いのでちょっとビックリしました。グラウンドはボコボコで、本当に穴が空いていたり、試合球も長打を食らったら、形が変形してしまうというか…。縫い目も高くて、慣れるまで苦労しました」 メキシコ球界に関する知識もなかった分、ヘンな先入観もなかった。しかし、『生活環境』では衝撃の連続だった。観光利用者が少ないからだろうか。成田空港で『円』を『ペソ』に両替できなかった。生活も不自由させられた。都市部を離れれば、英語も通じない。機関銃を持った警察隊ともすれ違った。「球場で射殺事件があった」なんてニュースも耳にした。飲食店は治安の関係で深夜営業されていない。日本人の口に合わない料理もあった。屋台で売られているタコスが夕食の定番になったが、すぐに飽きてしまう。気持ちを整理するため、1人になりたいときもある。だが、メキシコの人たちは“明るい”。ラテン系の音楽を掛け、執拗に絡んで来る。こうしたお国柄の違いは、野球スタイルにも表れた。 「自分は主にリリーフだったんですが、(首脳陣に)行けって言われたら、次の打者でいきなり、マウンドに向かわされたり。捕手とも、こちらが投げたいボールが投げられなかったり、呼吸が合わない時期が続きました。言葉がわからないから、何か言われても全然理解できないし…。審判も雑でしたね。ストライクゾーンに入っていても、逆球(捕手が構えたのと反対に行く)だと、ボールカウントになって」 “メキシコ・スタイル”に慣れるまで、4球団を渡り歩いた。 だが、絶対に泣き言は言わなかった。生き残るため、何よりも、この劣悪な環境から一刻も早く抜け出したい。そのためには、『結果』を残すしかない。岡本は寡黙に野球と向き合った。登板のタイミングが分からないのなら、試合展開を読めばいい。いつ、登板を命じられてもいいように、ブルペンではストレッチなどをしながら待機する。審判が逆球をストライクコールしてくれないのなら、その特徴をこちらが利用すればいい…。対応策を考え、寡黙に実行する。実直に身体も鍛えた。愚直なまでに突き進む強い精神力が、岡本を変えた。今、彼のストレートは日本時代を上回る94マイル(約151キロ)をマークし、変化球のキレ、コントロールにも鋭さが増した。 「(アメリカの)何球団かが観に来ているぞ」 4球団目のマリネロスでは、2勝0敗20セーブを挙げた。チームのプレーオフ進出に大きく貢献した岡本の名は、メジャースカウトのもとにも届いていた。 岡本はメキシコでの野球経験をこう振り返っていた。 「今までの自分は『誰かが観ているから』と言われても、『観ているもんかっ!』と思っていました。でも、自信を持って、自分はやれるという気持ち、自分を信じること、何を言われても、『オレはやれる』という強い気持ちを持って頑張れば、道は切り開けると思います」 マイナーだが、名門・ヤンキースとの契約を勝ち取った。左のリリーバーは働きどころも多く、順調に行けば、早期のメジャー昇格も夢ではない。 「いずれは先発で…」 2011年、新しいステージに立つ岡本は、新たな挑戦も課していた。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2010年12月27日 17時00分
横浜球団カレンダーにファン大ブーイング
監督が交代しても3年連続で最下位独走の挙げ句の果てに身売り問題で大揺れした今年の横浜ベイスターズ。年が変わっても波瀾万丈は免れない。年末になっても来年のカレンダー問題で早々とファンの怒りを買っている。 2011年の横浜ベイスターズカレンダーの表紙にいきなり佐伯貴弘の顔がある。今季限りで戦力外通告を受け、中日に移籍しているというのに。3月には、オリックスへトレードされた寺原隼人。さらには、6月にもソフトバンクへFA移籍した、元首位打者の内川聖一がいる。 「他の球団に行ってしまった選手がいるのは、変だ。違和感がある」「思い出してしまうから、寂しくなる「寺原と内川は決まったのが遅かったからともかくとして、佐伯は早々と来季戦力外と決めていたのだから、いくらなんでもおかしいだろう」etcファンからは怒りの声が噴出している。 球団側では、「11月23日のファン感謝デー前に発売する計画のために、人選の締め切りが10月初旬だったために、こうなってしまった」と釈明しているという。確かにカレンダー作りには日にちがかかるし、出て行ってしまった選手が載ることはままある。が、他球団へ移籍した選手が3人もというのは、異例だし、ファンが怒るのもわかる。 しかも、カレンダー問題には単なるスケジュール上の理由では片づけられない深いチーム事情も隠されている。来季、4年連続最下位独走を回避するためにチーム改造するのは当然だが、チームリーダーになるべき内川に逃げられ、不必要な村田修一にFA残留されているのだから、話にならない。来季の新しい目玉は2年目の筒香嘉智で、現場首脳陣は「絶対に新人王を取らせる。巨人時代の松井に劣らない素材だ。三塁手として将来の4番に育てる」と明言していた。 が、村田の残留で筒香を三塁に使えず、一塁で起用するしかなくなるが、一塁しか守れないハーパーをどうするのか。それなら、筒香を外野へコンバートするのか。将来の4番というのならば、まずポジションを確定して育てなければしようがない。 理にかなったチーム改造をしないから、ファンも希望を持てないのだ。本来ならば、チームを去った村田が載っていると言われなければいけないカレンダー問題にも、迷走する横浜球団首脳の姿が表れていると言える。来年も早々に前途多難を思わせ、ファンにしたら、いい加減に愛想が尽きるだろう。 マスコミの方はいち早く非常事態宣言が出ている。「来年、いつまた身売り問題が起こるか分からないから、これまでのように若手記者に任せるわけにはいかない」。新聞各社は、こう厳重警戒しており、いつ身売り問題が再燃してもいいように、横浜担当にベテラン記者を配置する緊急シフトを敷いている。 「とりあえず来年1年間、横浜を担当する」という、これまでフリーで動いていた元遊軍記者がいれば、「横浜球団がマルハからTBSへ身売りした時に担当していた」と語る、横浜球団身売り取材経験者もいる。親会社TBSの横浜球団身売りに対し、準備は万端整っている。 TBSのトップが「今後、いい話があれば応じたい」と、球団の身売り交渉の継続を明言しているのだから、当然だろう。横浜の身売り話再燃は時間の問題であり、Xデーがいつになるのかだけだといっていい。 来オフまでに身売りが決まれば、TBSが所有する横浜ベイスターズは今季限りになる。そうなったら、ファンから大ブーイングを浴びている2011年のカレンダーは、貴重な記念品として稀少価値があるのだが。
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スポーツ 2010年12月27日 13時00分
全日本フィギュア優勝・安藤美姫は、リンクの内外も絶好調!?
来年3月に東京で開催される世界選手権の選考会を兼ねた「全日本フィギュアスケート選手権」(長野・ビッグハット)が12月26日に終了、女子の部は安藤美姫が女王・浅田真央を逆転し、6年ぶりの優勝を果たすハッピーエンドとなった。 大会の注目は、バンクーバー五輪終了後不振が続く浅田に集中していたが、今大会で浅田は、25日のショートプログラム(SP)で今季初のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決め、首位。翌26日のフリー演技もソツなく決め、女王復活を印象づけたが、ここ最近フリー演技が好調の安藤(SP2位)が、今季最高の演技を見せ、観客の大喝采を浴びる。結局安藤は137.58点の高得点を挙げ、みごと女王・浅田を逆転。劇的な優勝を達成した。 完璧なスケーティングに成功し逆転勝利を確信したか、演技終了の瞬間から満面の笑みを浮かべたミキティ。スランプのまま迎え15位と惨敗した06年のトリノ五輪以来、泣き顔と苦悶顔ばかりが印象的だった彼女だが、苦難を乗り越えた笑顔は、晴れ晴れしく爽やかで、観る者たちの心を大いに打った。 しかし最高の笑顔を見せたあとのミキティの姿に、「おいおい」と思った男性ファンは多かったのではなかろうか。スケーティング後、専属コーチのニコライ・モロゾフ氏と抱擁を交わした安藤。その刹那モロゾフ氏が思わせぶりな動きを見せたせいで、「モロゾフがミキティの胸を触ろうとしていた」「モロゾフが熱いキッスを交わそうとにじり寄ったが、安藤が恥ずかしがって避けた」などなどと、ネット上が騒然となったのだ。 安藤の専属コーチに就任以来、両者の目標は、ズバリ4年後のソチ五輪金メダルに他ならないが、今季の安藤は、得意のジャンプに磨きをかけ絶好調が続いている。この好調も、今年3月より、モロゾフ氏との専属契約の続行が決まったことによるモチベーションアップが大きそうだ。やはり、愛の力は強いと言うべきか。
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スポーツ 2010年12月27日 12時00分
投打の英雄を再生できるか? 岡田手腕に韓国メディアも注目
2011年、岡田彰布監督(53)の“露出度”も高まりそうである。オリックスがメジャー通算124勝を挙げた朴賛浩投手(パク・チャンホ=37)の入団を発表した(12月20日)。村山良雄・球団本部長は「相乗効果も含めて大いに期待している」と興奮ぎみに語っていたが、オリックスは巨人を退団した李承●(●は火へんに華)(イ・スンヨプ)内野手(34)も獲得している。『投打のコリアン・ヒーロー』を得たことで、今後、韓国TV局がオリックス戦の放映権買収を検討してくるのは必至。韓国への市場拡大の相乗効果も、期待されているのである。 朴はドジャース、レンジャーズなど7球団を渡り歩いた。ド軍時代には5年連続2ケタ勝利もマークしたが、近年ではリリーフでの登板も多くなってきた。 米メディア陣の1人がこう評する。 「球速が著しく衰えたということはありません。内外角に変化球を散らす技巧派に変わりましたが、90マイル(約145キロ)以上は出ていました。スタミナ面では年齢的な衰えは確かにあるかもしれません。でも、先発責任イニングの5回なら…」 イ・スンヨプが千葉ロッテから巨人に移籍した06年、韓国TV局が巨人戦の放映権を購入している。その後、イ・スンヨプが二軍落ちし、契約更新はされなかったが(年度契約)、チーム関係者によれば、「内海(哲也)など何人かの20代選手も韓国メディアから取材を受けた」という。それなりの相乗効果はあったわけだ。 「オリックス本社は韓国の銀行を買収しています。アジア市場における事業実績はもちろんですが、李、朴両人気選手のダブル獲得は本社の市場拡大の狙いもあったのでは?」(経済ジャーナリスト) しかし、朴賛浩の配球術は別の意味でもクローズアップされそうだ。 朴は『2年連続与死球王』(01〜02年)でもある。若手時代は威力のあるストレートで押しまくり、30代前後からは相手打者の身体をかすか否か、ギリギリのところに“高速変化球”を投げ込んでいた。性格的にも「熱いタイプ」なので、シーズンを通して先発ローテーションを守った年は、100強の四球も与えてしまうのだ。オリックス入りしても、この「攻めの投球スタイル」は変わらないだろう。 そうなれば、乱闘に発展しかねないが…。 「岡田監督も熱くなりやすいタイプですからねえ…」 プロ野球解説者の1人がそう言う。 岡田監督は2010年、感情的なコメントも発していた。その理由は「チームのレベルの低さ」とも言われている。オリックスは選手の新旧交代の時期であり、仕方ないことなのだが、「強い阪神」で指揮を執ってきた岡田監督は我慢できなかった。仮に負けが込んでいたとき、朴の際どい投球で両軍入り乱れた状態になったら…。岡田監督は理性を完全に失ってしまうかもしれない。 「岡田監督は『ダメだ』と思ったら、見限るのも早い。2010年開幕戦で4番のカブレラのワガママを許さず、スタメンから外しました。今オフ、何人かのコーチも入れ換えましたが、岡田監督の方針に合わなかったからです」(在阪メディア陣の1人) また阪神指揮官だったころ、岡田監督は巨人の4番に入った李承を指し、「外角の変化球が打てない。そこに投げておけば…」とコケ下ろしている。その指摘は間違ってはいなかった。事実、イ・スンヨプは外角を意識しすぎるあまり、インコースまで打てなくなってしまったという。 そのイ・スンヨプを再生することができるのか、否か…。朴賛浩も近年、先発投手として実績を上げていないだけに、韓国ファンの朴復活への思いは強い。岡田監督の手腕と言動にも韓国メディアの注目が集まりそうである。
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スポーツ 2010年12月25日 15時00分
横綱白鵬の6連覇達成に暗雲! 師匠宮城野親方に八百長問題で交代勧告!
来年1月の初場所で6連覇を目指す横綱白鵬に、暗雲が立ち込めた。 日本相撲協会は12月24日、両国国技館で理事会を開き、白鵬の師匠に当たる宮城野親方(元十両金親=41)に主任から平年寄への降格処分を通知。さらに宮城野部屋付きの熊ケ谷親方(元十両竹葉山=53)と年寄名跡を交換させ、新たに熊ケ谷親方が宮城野親方として部屋の師匠に就き、宮城野親方は部屋付き親方になるよう勧告した。 宮城野親方は、07年5月に愛人とされる女性に八百長を告白するテープが存在すると、「週刊現代」(講談社)に報じられた。この問題は相撲協会が「週刊現代」側を訴え、勝訴が確定しているが、これにより、「多大な風評被害があった」として、今回の勧告となった。 異例の師匠交代勧告について、放駒理事長(元大関魁傑=62)は「もう一度、指導者として勉強してもらう」とコメント。勧告自体に強制力はなく、宮城野親方は明言を避けたが、拒否すれば解雇などの重い処分が下される可能性もある。 連勝記録こそ途絶えたが、初場所では過去に朝青龍(7連覇)と大鵬しか記録していない6連覇にチャレンジする白鵬。この状況ではけい古にも集中できない。記録への最大の敵は、相手力士ではなく、部屋のゴタゴタかもしれない。(ジャーナリスト/落合一郎)
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スポーツ 2010年12月25日 12時00分
佑ちゃん特需に沸く日本ハム本社&出版社
今や国民的スター並みだ。日本ハムのゴールデンルーキー・斎藤佑樹株が天井知らずで高騰している。日本ハム本社の株が急上昇しており、佑ちゃん本がバカ売れしているというのだ。 ドラフト会議後の11月2日に928円だった日本ハム本社の株価が、今月22日の終値は1078円。わずか20日間で150円高になっている。斎藤の活躍で早大が50年ぶりの早慶優勝決定戦を制してから状況が一変したという。11月18日、明治神宮大会でも初優勝を飾り、斎藤が胴上げ投手になると、1000円の大台を突破した。 日本ハム球団だけでなく、本社の株価を高騰させる佑ちゃん特需まで起こったのだから、驚くべき経済効果と言える。ドラフトで4球団競合した斎藤の当たりクジを引いた藤井純一球団社長の姿がTシャツになったり、その後もなにかと藤井社長がマスコミに露出するなど一躍ヒーロー扱いされるのも当然だろう。 「来春はさらにチームが盛り上がる。日本ハム本社の製品、業績も期待できる」。証券会社関係者はこう太鼓判を押しているという。過去に03年オフ、新庄剛志がメジャーから日本球界復帰、日本ハム入りした際に日本ハム球団出資会社の株価が軒並み上がったことがあるが、斎藤経済効果は新庄を上回るものになるだろう。 出版不況といわれる出版界にも佑ちゃん人気が波及しているからだ。母・しづ子さんが11月30日に出版した『はばたけ佑樹』がバカ売れしている。斎藤の少年時代、大学生活の苦悩などをつづったこの本は、初版1万部という異例の扱いだったが、重版が決まったのだ。ベストセラー作家以外は、初版5000部が相場になっている出版不況の時代に、考えられない売れ行きだ。 しかも、07年3月に出版した、両親が子育てをつづった『佑樹』までが再び売れ始めているという。この本は、2006年夏の甲子園大会決勝戦で駒大苫小牧・田中将大との再試合を制して優勝したのを受けて出されたが、プロ入りで佑ちゃん人気が再爆発。売れ始めたのだ。 止まることを知らない斎藤狂騒曲に「ミスター以来の国民的スーパースターだ」と、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の再来だという声まであがっているが、それは早計だろう。「神宮のスーパースターだった長嶋が巨人に入ったおかげでプロ野球はメジャーになり、国民的なスポーツにまでなった」と、球界OBたちが口を揃える。 当時は、「六大学の人気はプロ野球をはるかにしのいでいたからね」と、長嶋氏は述懐する。六大学のスーパースター・長嶋茂雄人気がプロ野球人気を爆発的に引き上げたのだ。今の斎藤にはそこまでの集客力はないだろうし、実力も足りない。長嶋氏はルーキーイヤーにいきなり本塁打王、打点王の二冠王に輝いている。 斎藤の場合は、人気にどこまで実力がついていくかが勝負になる。が、沖縄・名護キャンプ、オープン戦までは間違いなく斎藤佑樹旋風が吹き荒れる。
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