メキシコはWBCでも上位進出を果たしており、多くのメジャーリーガーも排出している。野球レベルは侮れないが、球場や施設は日本の比ではない。食生活を含めた生活環境も劣悪といわざるを得ないものがあった。
「メキシコの野球は、投手はパワーでスピード勝負してくるタイプだと勝手にイメージしていましたが、コントロールが良く、変化球も多いのでちょっとビックリしました。グラウンドはボコボコで、本当に穴が空いていたり、試合球も長打を食らったら、形が変形してしまうというか…。縫い目も高くて、慣れるまで苦労しました」
メキシコ球界に関する知識もなかった分、ヘンな先入観もなかった。
しかし、『生活環境』では衝撃の連続だった。観光利用者が少ないからだろうか。成田空港で『円』を『ペソ』に両替できなかった。生活も不自由させられた。都市部を離れれば、英語も通じない。機関銃を持った警察隊ともすれ違った。「球場で射殺事件があった」なんてニュースも耳にした。飲食店は治安の関係で深夜営業されていない。日本人の口に合わない料理もあった。屋台で売られているタコスが夕食の定番になったが、すぐに飽きてしまう。気持ちを整理するため、1人になりたいときもある。だが、メキシコの人たちは“明るい”。ラテン系の音楽を掛け、執拗に絡んで来る。こうしたお国柄の違いは、野球スタイルにも表れた。
「自分は主にリリーフだったんですが、(首脳陣に)行けって言われたら、次の打者でいきなり、マウンドに向かわされたり。捕手とも、こちらが投げたいボールが投げられなかったり、呼吸が合わない時期が続きました。言葉がわからないから、何か言われても全然理解できないし…。審判も雑でしたね。ストライクゾーンに入っていても、逆球(捕手が構えたのと反対に行く)だと、ボールカウントになって」
“メキシコ・スタイル”に慣れるまで、4球団を渡り歩いた。
だが、絶対に泣き言は言わなかった。生き残るため、何よりも、この劣悪な環境から一刻も早く抜け出したい。そのためには、『結果』を残すしかない。岡本は寡黙に野球と向き合った。登板のタイミングが分からないのなら、試合展開を読めばいい。いつ、登板を命じられてもいいように、ブルペンではストレッチなどをしながら待機する。審判が逆球をストライクコールしてくれないのなら、その特徴をこちらが利用すればいい…。対応策を考え、寡黙に実行する。実直に身体も鍛えた。愚直なまでに突き進む強い精神力が、岡本を変えた。今、彼のストレートは日本時代を上回る94マイル(約151キロ)をマークし、変化球のキレ、コントロールにも鋭さが増した。
「(アメリカの)何球団かが観に来ているぞ」
4球団目のマリネロスでは、2勝0敗20セーブを挙げた。チームのプレーオフ進出に大きく貢献した岡本の名は、メジャースカウトのもとにも届いていた。
岡本はメキシコでの野球経験をこう振り返っていた。
「今までの自分は『誰かが観ているから』と言われても、『観ているもんかっ!』と思っていました。でも、自信を持って、自分はやれるという気持ち、自分を信じること、何を言われても、『オレはやれる』という強い気持ちを持って頑張れば、道は切り開けると思います」
マイナーだが、名門・ヤンキースとの契約を勝ち取った。左のリリーバーは働きどころも多く、順調に行けば、早期のメジャー昇格も夢ではない。
「いずれは先発で…」
2011年、新しいステージに立つ岡本は、新たな挑戦も課していた。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)