成田をたって33時間。香港、シンガポール、ヨハネスブルクと3度の乗り継ぎを経て、インド洋に面する南ア第5の都市・ポートエリザベス入りした。拳銃強盗やカージャックが頻発する国とあって警戒心を募らせていたが、我々を迎えてくれたのは港町特有の抜けるような青空と美しい海岸線。一瞬、高級リゾート地に迷いこんだのかと錯覚したほどだ。
この町はサーフィンやホエールウオッチングの中心地。11〜2月の夏場には欧州からも観光客が訪れる。ヨハネスブルクに比べると治安も悪くない様子で、女性の私もグループ行動なら海岸近辺を歩くのも平気だった。
しかしながらアパルトヘイト(人種隔離政策)時代の名残はいまだ随所にある。かつての黒人居住区「タウンシップ」にはバラックの家が立ち並ぶ。仕事がなく、日中から目がスワった状態でたたずむ黒人も少なくない。想像を絶する貧富の差こそ、治安悪化の元凶なのだ。
犯罪を封じ込めるため、W杯では尋常ならざる警備態勢が取られる。ポートエリザベスのネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム周辺は倉庫街でかなりの危険地帯。夜間はもちろん日中でも一人歩きは厳禁だ。
我々はドライバーを雇って会場へ行ったが、施設周辺は数千人規模の警備態勢。中に入る車はトランク、室内、車両の下まであらゆるチェックを義務付けられた。火薬探知犬まで登場したのには驚かされた。
日本サッカー協会の犬飼基昭会長には10台のパトカーの護衛がついたという。こうした警備によって交通渋滞や混乱が起きるのは必至であり来年の本番は物々しさが一段と増すだろう。過去の大会のようにスタジアム周辺でにぎやかな雰囲気を楽しむのは不可能だ。
ブブゼラ(チアホーンのような鳴り物)の音が地鳴りのように響く中、行われた日本対南ア戦は両者とも不完全燃焼に終わった。日本は前日に合流した中村俊輔(エスパニョール)が先発できず、岡田武史監督は苦肉の策として長谷部誠(ヴォルフスブルク)、稲本潤一(レンヌ)、遠藤保仁(G大阪)をボランチに並べる新布陣を採ったがこれが不発。「点の取れない日本」に逆戻りした。10月3連戦で合計13点をたたき出したのがうそのように攻め手がない。シュート5、6本というのはあまりに内容が乏しすぎた。
南アはFIFAランク85位の格下(日本は40位)。この守りをこじ開けられないようでは「W杯4強」の目標など即刻返上すべきだ。
結局、「南アの雰囲気を体感したことだけが収穫」といわれても仕方なかったこの試合。岡田武史監督にW杯本番までに底上げを図る手腕は果たしてあるのだろうか…。
◎日本戦開催予定地2度変更
南アW杯は2010年6月11日〜7月11日にかけて、ヨハネスブルク(2会場)、ダーバン、ケープタウン、プレトリア、ポートエリザベス、ブルームフォンテーン、ネルスブロイト、ボロクワネ、ルステンブルクの10会場で開催される。が、スタジアム整備の遅れ、宿泊施設の不足、交通網の不備など懸念材料を挙げればキリがない。
今回の日本戦も当初、ダーバンで開催予定だったが、モーゼス・マヒダ・スタジアムの建設が遅れ、ヨハネスブルクに2度変わった。だが「W杯会場でないと意味がない」という判断からわずか10日前にポートエリザベスに変更されている。
ただ、こちらもゲートや駐車場など付帯施設が完成しておらず、日本戦当日も周辺での違法駐車が相次いだ。本番までにすべてがそろうとも考えられず、大会がどうなるのか予想できない部分が多いのは事実である。