社会
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社会 2009年05月11日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(40)
結婚した徳次に巻島が新居を見つけてきた。前と同じ林町の町内(2丁目35番地)だが、新居は2階建てで以前の2軒に比べるとだいぶ広い。上を住居、下を仕事場に使った。職人も増やして7人になった。 徳次は「機械がほしい」と口癖のように言った。職人仲間は陰で徳次のことを“機械狂い”と言っていた。徳次は常日ごろ、これからはいい機械を使わないと成功しないと考えていたのだ。 ようやく最初にセットしたのが、結婚と同時に200円余りで購入した1馬力のモーターとシャフトだ。当時の徳次にはかなりの支出だが、仕事場に据え付けられたモーターは、徳次が考えた通り、早速、万年筆クリップの加工でもその威力を発揮した。ひとつだけ困ったのは、モーターを始動すると隣家のおばあさんが「やかましいよ!」と怒鳴りこんで来ることだった。 万年筆のクリップとは、万年筆を胸のポケットに留めておくための物で、万年筆と別売りされていた。このクリップにも模様を入れる工夫をしたところ、注文が殺到。さらに万年筆のキャップに最初からクリップを取り付ける方法を考案する。現在の万年筆の形だ。これがまた評判になり、スワン、オリバー、サンエス、パイロットといった国産万年筆メーカーがクリップ付きキャップを採用するようになった。 そのころ、得意先の一つに亀戸のプラム製作所という文具製作所があった。プラム製作所は万年筆の模様入りクリップのほかに、繰出鉛筆内部に使う金具の製作を徳次の工場に依頼していた。当時の繰出鉛筆はセルロイド製で、金具が何個も組み合わせてあるために壊れやすく、形も太くて持ちにくい物だった。 徳次には文具というより一種の高級玩具のように思えた。プラム製作所に繰出鉛筆の部品を納品するうちに、徳次は繰出鉛筆そのものの改良を考えるようになる。何とか万年筆並みの実用品にならないかと思ったのだ。 「次の発明は繰出鉛筆だ」決心すると徳次はさっそく開発にかかった。(経済ジャーナリスト・清水石比古)
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社会 2009年05月09日 15時00分
タモちゃん現象!? 日本一の危険人物は実は女性にモテモテ
いま日本で一番危険な男といっても過言ではない田母神俊雄・前航空幕僚長(60)が8日、都内の書店で人生初のサイン会を行った。著書「田母神塾 これが誇りある日本の教科書だ」(双葉社)は2月の刊行から早くも7万部のベストセラー。解任劇から半年あまりで田母神氏への注目度は増すばかりだ。 一部ではこれを「タモちゃん現象」と呼ぶのだとか。当日も約200人がこの“危険人物”に一目会おうと書店に長蛇の列をつくった。驚くことに女性が多く、マダムから若い女のコまで…。本人も「若い女性の追っかけがいるんです」と打ち明けるほどのモテ男ぶりだった。 友人4人と来た短大生(18)は「近くで見たけどカッコイイ。ダンディーで、頼れる感じがする」と熱狂。そのうらやましすぎる人気の秘密は? 答えは同書の中に見てとれた。たとえば「戦争に負けた日本は自分たちの歴史観を奪われ、勝戦国の歴史を強制的に押しつけられてしまいました。自虐史観に基づいた歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません」などと言い切っている。 ハッキリと物事を言う性格。草食系男子が増える中、常識や権力にひるむことなく立ち向かう姿が若い女性の目には新鮮に映るようだ。還暦を迎えた“危険な核弾頭”から、今後も目が離せない。(関 淳一)
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社会 2009年05月09日 15時00分
日本初!? 霊柩車のショールームがオープン
自動車メーカーの光岡自動車(富山県)は8日、霊きゅう車などの冠婚葬祭向け車両専門のショールーム「おくりぐるまショールーム」を東京・葛西にオープンした。 同社は2月にも、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」にちなんで名付けた霊きゅう車「おくりぐるま」(ミツオカリムジンtype2-04、価格522万9000円〜)を発売し話題になったばかり。重厚感タップリの霊きゅう車・婚礼車がショールームに並ぶ光景は圧巻だ。 同社によれば冠婚葬祭車両のみのショールームは全国初という。同社リムジン・特販課の北川茂久さんは「葬儀屋は全国に4000店舗あまりしかないニッチ市場ですが、ハンドメイドによる完全受注生産の光岡らしさを出していきたい」と語る。映画のヒットに後押しされて多数の来客が見込まれそうだ。 問い合わせは「おくりぐるまショールーム」東京都江戸川区南葛西4-6-5。(J)
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社会 2009年05月09日 15時00分
永田町血風録 新型インフルエンザ対策が解散・総選挙のカギ
民主党幹事長・鳩山由紀夫が、自民党総裁で首相・麻生太郎に「早く衆院を解散し、国民にその信を問え」と国会の演壇から、こう挑戦状を叩きつけた。 西松建設の違法献金事件で、民主党代表・小沢一郎の公設第1秘書が逮捕・起訴されたことで、民主党の支持率はこのところわずかだが、自民党を下回っている。 “小沢ショック”がないとしていた鳩山も「事件の影響なし」とは言えなくなったこともあってか、麻生の口から「解散」の言質を何とかして引き出そうと、あの手この手を使い始めた。 しかし民主党には、この事件が“負の遺産”として重くのしかかっているのは否めない。それよりも矢継ぎ早に出してくる麻生の経済政策に民主党ほか野党はことごとく後手に回り、これといった目新しいことをやらないものだから、国民は民主党支持から少しずつだが離反している。 副代表・石井一は「今の日本の政治を救うのは小沢しかいない」と、かつての盟友を必死で庇(かば)っている。鳩山も、やはりかつては小沢と同じところで政治を学んだ関係から当然のように庇うが、小沢の責任説明がなされていないのをもどかしく感じている。 そこへ今回の発生した新型インフルエンザ事件。麻生もこの対応に真剣だ。「政治の責任にされるのはかなわない」と、厚労相・舛添要一に新型インフルエンザの“水際対策”に全力を尽くすようにと指示し命令もした。先の鳥インフルエンザもそうだったように、その対応はすべて政治の責任になってしまう。「この事件、対応がまずく日本に上陸された場合、ようやく支持率が上向いた麻生政権も、命取りになりかねないし、そんなところで解散・総選挙とは言えないだろう」とは、自民党のある領袖のコメントだったが、日本人感染者が確認され、その危ぐも現実に直面している。 なかには、この新型インフルエンザによって、解散・総選挙の日程が先送りになったとみている国会議員も少なくない。確かに経済問題は先が見えない状態だ。そんななかで衆院を解散して国民にどうでしょうかなどと問うと、「自分の生活も危ないのに何を言うか」と、はり倒されそうな雲行きである。だからと言って、遅くとも任期いっぱいまでだとしても、国会議員は気もそぞろで選挙区のことがしきりと気になっているのだ。「選挙の関心を高めるため、取って付けたような世襲制の問題など、国民の関心を高めそうな話題を次々に各党が出し合っているのだ」とは、永田町のやじ馬たちの弁である。 この時期、国民の政治への関心は、自民党と民主党の2大政党の“言動”ばかり。ほかの政策も「遅まきながら話題を提出していこう」とその気になり始めている。新型インフルエンザが果たして与党も野党も、それをチャンスにして選挙運動の“糧(かて)”になるかどうかはこれからが勝負だ。(文中敬称略)
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社会 2009年05月08日 15時00分
大阪・橋下知事が舛添厚労相責めに参戦
新型インフルエンザの感染者は8日未明までに、24カ国・地域で計2468人を数えた。日本国内ではまだ感染者が確認されていない中、大阪府の橋下徹知事(39)が舛添要一厚労相(60)にかみついた。「危機対応の意気込みが感じられない」とぴしゃり。横浜・中田宏市長(44)、神奈川・松沢成文知事(51)に続き“舛添責め”に参戦したかたちだ。 橋下知事が舛添厚労相に“物言い”をつけたのは、7日の記者会見の席上だった。学校の臨時休校や外出自粛を求める際の要件が国から示されず、都道府県任せになっていると指摘。「国を挙げて危機対応するという意気込みが厚労省には感じられない」とバッサリ切り捨てた。 発言の背景には、大阪府の健康医療部長が会長を務め、都道府県の衛生担当部長らでつくる「全国衛生部長会」の決定がある。同会は医療機関への財政支援など国の新型インフルエンザ対策が不十分だとして、8日にも舛添厚労相に緊急要望を行うことになった。要望には、毒性の強弱に関する科学的知見を早期に示すことや、発熱外来を開設する医療機関への支援などが盛り込まれる予定で、こうした意向をくみ取って“先制口撃”を仕掛けた格好だ。 新型インフルエンザ対応では、最初に国内初感染が疑われた横浜市の高校2年男子生徒(17)の情報取り扱いなどをめぐって、会見を急いだ舛添厚労相と横浜・中田市長が1日にガチンコバトルを展開したばかり。中田氏は舛添氏を「カリカリしすぎ。大臣自身が落ち着いたほうがいい」と皮肉たっぷりに批判し、神奈川・松沢知事も「厚労相の勇み足」と追撃した経緯がある。 今回の橋下知事の“参戦”は、諸外国と比べて新型インフルエンザに神経過敏な国内事情を踏まえ、厚労省批判が受け入れられるとの計算が働いた可能性が高い。中田&松沢戦では判定負けムードだった舛添氏を、さらに追い詰めることになりそうだ。 国内での感染者こそ確認されていないものの、世界を見渡せばインフル渦はいまだ拡大し続けている。共同通信によると、8日未明現在、死者はメキシコと米国で計46人。メキシコでは感染者が1204人に達し、死者は44人に上った。米国では初の死亡者が出たほか、感染者は5日時点の403人から41州計896人に急拡大。スウェーデンとポーランドでも初めて感染が確認された。 世界保健機関(WHO)は、警戒水準(フェーズ)の最高レベル「6」への引き上げをまだ決断していない。
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社会 2009年05月07日 15時00分
麻生首相 任期満了まで新型インフル対策!?
衆院解散総選挙のタイミングが注目される麻生太郎首相が、任期満了まで突っ走る可能性が出てきた。永田町関係者によると、新型インフルエンザの流行で国内が過敏になっている中、その対策を口実に選挙を先延ばしにして“逃げ切り”をはかる腹づもりという。7日朝現在、国内の感染者は確認されていないが、インフル渦は麻生政権の寿命を延ばすことになるのか。 日本国内が諸外国に比べて新型インフルエンザの流行に神経質になっているのは間違いない。薬局ではマスクが通常の4〜5倍の売れ行きという。永田町関係者は「西松建設事件で息を吹き返した麻生首相にとっては、今回のインフルエンザも追い風となりそうだ。幸い国内ではまだ感染者は出ていないが、この先、感染者が出ても出なくても、政府が大きなダメージを受けるほど深刻な事態を招く可能性は薄い。つまり、総合的にみて危機管理面では及第点がつけられることになる」と話す。 新型インフルエンザをめぐっては、舛添要一厚労相が横浜市の中田宏市長から「あなたこそ落ち着いたほうがいい」と皮肉られる“場外乱闘”はあったものの、水際の防御策はほぼ完ぺきといっていい。ゴールデンウイーク中はこうした過剰なまでの対策が繰り返し報じられ、国民のあいだには一定の安心感さえ漂い始めている。 そもそも大騒ぎすることはなかったといえばそれまで。 しかし、世界各国では日を追って続々と感染者が確認され続けており、たまたま感染者が出ていないにしても政府のイメージは悪くない。永田町では、麻生首相がそうした空気を利用し、一気に任期満了ギリギリまで解散を遅らせるのではないかとの観測が広がっているという。 前出の永田町関係者は「連立与党を組む公明党に配慮し、7月12日投開票の東京都議選とは最低1カ月は間隔を開けなければならない。そのため、8月中旬以降に解散総選挙となる見方が支配的だったが、その時期まで先延ばしするのであれば9月に入ってからのほうが分がいい。新型インフルエンザは夏場にはいったん収まり、涼しくなった秋以降にウイルスが変異するなどして再び勢いを増す“第2派”が警戒されている。ぎりぎりまで引きつけて『危機管理の麻生』で選挙戦を戦うのではないか」と指摘。麻生首相にとっては、ミソがついている経済、外交通という看板よりも、危機管理能力を争点にしたほうが有利という。 政府もこれを織り込み済みなのか。河村建夫官房長官は6日、厚労省に舛添氏を訪ね、世界保健機関(WHO)が新型インフルエンザの警戒水準(フェーズ)を世界的大流行認定を意味する「6」に引き上げた場合に備えて対策を検討するよう指示。「フェーズ6に上がっても、日本としてやれることは全部やらないといけない。日本の危機管理が問われる」とやけにパフォーマンス色の強いコメントを発した。 「漢字誤読でプライドをズタズタに切り裂かれたころのしかめっ面に比べると、麻生首相はまるで天使か仏様のようなやわらかい笑顔をみせています。一度、地獄の淵をのぞいただけに支持率上昇のうれしさもひとしおでしょう。本音を言えば1日でも長く総理のイスに座っていたいでしょうし、解散など打ちたくないはずです」(政治ジャーナリスト) 本当にそんな夢を見ているのならば、とことん懲りない男である。
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社会 2009年05月07日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(39)
「お前さん、まっとうな商いをやりな。どうも2俵の炭をさげてくるやり方には賛成できない。正直にいい品物を持っておいでよ。すりゃ、私は喜んで買ってあげる。牛車に1台分でも買おうじゃないか。正しい商売に出直すためにな、明日にでも持っておいで」 徳次の言葉に「すいません」と頭をさげて帰って行ったが、結局、男は二度とやって来なかった。 林町での独身時代にも徳次は騙(だま)された経験がある。やはり冬の日暮れ近く、厩橋を通ると道端に人だかりがしていて、紺絣(がすり)の着物を着たひとりの青年が行き倒れになって苦しんでいた。皆の話では、青年は働き先を求めて上京したが金がなくなり3日間飲まず食わずで、空腹で倒れたということだった。気の毒に思ったが急ぐのでそのまま通り過ぎた。ところが帰りに同じ場所を通りかかると、青年はまだ夜風に吹かれてひとり唸(うな)っていた。徳次は青年を引き起こしてそば屋に連れて行き、てんぷらそばを食べさせた。 彼は山梨県出身の19歳、水谷某と言った。働きたいならおいでと、そのまま連れて林町の家に戻った。職人たちは皆出かけていて家に誰もいなかった。徳次は自分のシャツを出して着せ、銭湯に行かせた。その間に水谷から聞いた住所に、自分のところで働くことになったという手紙を書いた。 彼が銭湯から戻ったので、徳次は親元へ手紙を書いたことを伝え、その手紙を投函かたがた自分も銭湯に行った。帰ってくると、水谷がいない。辺りを見ると引き出しに入れてあった2円50銭あまりの金がなくなっている。100円と20円は紙幣で別の帳簿に挟んであって無事だった。 4、5日して水谷の親元から「勘当した不良の輩(やから)であるから相手にしてくれるな、親としては責任を持てない」といった返事が届いた。 徳次は警察に届けたが、身元不詳の者を家に入れたことがそもそも間違っているとさんざんしかられた。以後も徳次は人に背かれたり、迷惑をかけられたりした。それでも他人を疑うことは苦手だった。
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社会 2009年05月07日 15時00分
永田町血風録 民主党に新風? 河村たかし名古屋新市長
名古屋市の市長選は“本命”の河村たかしが民主党の推薦を受け、見事に当選した。 西松建設の違法献金事件で民主党代表・小沢一郎の公設第1秘書が逮捕・起訴された後、千葉県、秋田県両知事選で敗れた民主党は連敗に歯止めをかけた。この河村にその“命運”を委ねたのであった。 河村は衆院議員5回当選のキャリアの持ち主。これまで何度となく地方の首長選ほかに出馬をほのめかしたが、その都度、党執行部からプレッシャーをかけられ、手を挙げかけて引っ込めた経緯があった。 「民主党も、もう一つ善悪をわきまえずにいる。今、その党に頼み込んでもいいかどうか、もう一つはっきりしない」と河村は民主党の推薦は受けたものの、あまり党の積極応援を受けるつもりはなかったようだ。 それというのも、かつて民主党代表選に出馬表明したものの20人の推薦者を得ることもなく、あえなく断念。河村はかねがね“名古屋から首相を狙う男”というのをキャッチフレーズにしていた。 「政治家になった以上は、総理を狙うのは誰でも同じ」ということを河村は口癖のように言っていた。しかし当選5回の河村は、テレビにもよく出演しては名古屋弁で熱弁を振るうことが自身のパフォーマンスでもあった。 総理をあきらめて名古屋市長。 「総理をあきらめたわけではない。とにかく市民税みたいなもので名古屋市民に還元したい。名古屋からとにかく政治を変えたい」と。 こうした河村の熱意に民主党も動いた。「市民税10%減税」「市長報酬削減」などの公約を掲げ、自転車に乗って連日市内を回り、無党派層の支持拡大に努めた。 民主党と民主党市議団の一部には公約内容や推薦の経緯を巡って反発があったり、また民主党の支持団体である連合愛知も「河村の支持は控えよう」と、河村自身への推薦を見送った。 しかし、民主党の内部には「これはひょっとするとひょっとする…」と急に手のひらを返すように党内は河村応援に動いた。終盤には代表・小沢のほか、幹事長・鳩山由紀夫、代表代行・菅直人らが駆けつけた。 「河村が当選したら、反旗を翻すかもしれないので、追い込みにかかったところで応援しよう」(民主党関係者)という動きもあった。 つまり、河村が大勝利するという雲行きになったので、民主党執行部としても慌て始めたわけだ。 それにしても、あの名古屋弁の河村は、早速「名古屋からどえりゃあことをしていかんといけんなあ」とあちこちでしゃべり始めている。 宮崎、大阪、千葉そして名古屋と、首長たちにはユニークな政治家たちがそろい始めた。永田町もぼちぼち“チェンジ”しないといけないか?(文中敬称略)
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社会 2009年05月02日 15時00分
石原知事熟年サッカー団入り
世界各都市12チームが参加して2日に開幕する「東京国際ユース(U-14)サッカー大会」の選手激励会が1日、東京・駒沢オリンピック公園総合運動場で行われ、石原慎太郎都知事(76)が熟年サッカー団入りしたことを明かした。 サッカー少年だった知事は「みなさんは私たち人間の新しい希望です。期待です。サッカーの試合を通じ、世界にまたがって新しい友情を育んでください」と激励。 「私も60年前、中学から大学までボールを蹴っていました。先月、老人たちのチームに入って40年ぶりにボールを蹴ったら、足を痛めちゃった。しかし、近い将来必ずサッカー選手として復活しますから」と唐突にフィールド復帰を誓った。 予感はあった。激励会に先立ち、同陸上競技場役員室で開かれた定例会見直前、知事の入室を待つ記者団がざわめいた。窓ガラス越しのフィールドを、知事と背格好の似た男性が軽快に駆け抜けていった。70代とは思えぬフットワーク。「別人だろう…」と思っていたら、空っぽのスタンドに向かって両手を広げるパフォーマンス。ドリブルシュート。SPが近づいた。スーツにウインドブレーカーを羽織り、スパイクを履いた知事だった。 キックオフセレモニーでは相手の足元にぴたりと送る“キラーパス”を披露した。知事の話を総合すると、出身高の旧制湘南高校OBチームから「仲間が死んでメンツが足りない」などと誘われ、肉離れするほどハッスル。いまも痛みが残っているという。今度はW杯招致か。(高)
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社会 2009年05月02日 15時00分
永田町血風録 「世襲候補制限」案はもろ刃の剣
「世襲候補の立候補を制限しよう」。衆院選の政権公約にこう盛り込もうと自民党選対副委員長・菅義偉の発言が党内で物議を醸している。 与野党とも、2世議員の多いこと。芸能界なら“親の七光”という言葉があるが、政界では“地盤、かばん(カネ)、看板”というこの3つがあれば、まあ落選することなく、常に国会議員として“赤じゅうたん”を踏み続けられる。 言い換えると、永田町では世襲が一番楽な方法で赤じゅうたんを踏むことが可能なわけだ。首相・麻生太郎は、父・麻生太賀吉の跡を受けて代議士になった。祖父が元首相の吉田茂であったことは有名。 民主党代表・小沢一郎の父・小沢佐重喜も政治家だったし、幹事長・鳩山由紀夫は祖父・鳩山一郎、父・鳩山威一郎(元外相)ともに政治家だった。衆院議長・河野洋平もやはり父と叔父は政治家であった。だから世襲議員ということになると、与野党とももっと多くいる。 菅のこうした発言は、米大統領・オバマ流にいえば、“チェンジ”かもしれないが、そうなると与党間で物議になるのは目に見えてくる。 防衛相・浜田靖一の父はハマコーと呼ばれる浜田幸一。少子化担当相・小渕優子の父も元首相だし、前首相・福田康夫の父も元首相。そういえばあの元首相・小泉純一郎の父も代議士だったし、後継者には二男を担ぎ出した。 「そうした世襲がまかり通るという日本の政界は根本から考え直すところに来ているのではないか。菅の発言に怒っている世襲議員たちの方がおかしいのではないか。ここらあたりで考え直すべきだ」といった声もあちこちから上がっている。それだけ総選挙の日が迫っているということになる。 民主党の執行部は、「とにかく代表の小沢を連れて全国行脚を続けて、あの西松建設事件での“失墜”を回復したい」と熱心だ。自民党は幹事長・細田博之を中心に「ねじれ現象を早く解消したい」としているが、参院は選挙がないこともあり、「今回の総選挙でこれ以上の当選者を増やし、衆院では民主党ほかの野党にぐうの音も出ないようにしたい」といった願望を持っている。 そのためには世襲議員を切るわけにはいかないのだ。世襲議員のひとりが言う。「世襲議員がたくさん出ればいいわけだ。つまり、それだけ選挙戦が楽になる」と。 今は自民党を離党している渡辺喜美も「父・渡辺美智雄(ミッチー)とは別に考えてほしい」というのは、世襲議員でも代議士として力を出していることをアピールしている。 あの朦朧(もうろう)記者会見をした中川昭一も大臣を棒に振ったとはいえ、父はかつての自民党の中川一郎(故人)だから、立候補すれば当然親の七光ではないが、これまでの実績があるので、赤じゅうたんを踏むであろう。(文中敬称略)