社会
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社会 2009年06月19日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(70)
昭和8(1933)年2月、笹尾の他、数名の社員を伴って徳次は東南アジアに出張した。販路拡大の市場調査および資材買付が目的だった。徳次一行はタイ・バンコクに滞在中に松岡の国連総会退場を知る。 昭和9(1934)年、NHKはラジオ聴取者数150万人と発表。早川金属工業研究所も工場を増設し、200名を超す従業員数になった。中国・上海に出張所を開設したのもこの年だ。昭和10(1935)年5月1日、それまでの徳次の個人経営から資本金30万円の株式会社として早川金属工業研究所を法人化した。 昭和11(1936)年、海外出張所を天津、台北、ソウルなど16カ所に開設。経営を法人化し、翌昭和12年には社名を早川金属工業株式会社と変更した。大正13(1924)年の創業時には235坪だった敷地も、今や3042坪になった。 昭和11年12月末、間歇式コンベアシステムが完成。従来の手送り式に改良を加えたもので、日本初のシステムである。このシステムを使えばラジオ受信機1台の組立に要する時間は56秒だった。 昭和12年の初仕事から運転開始だ。このシステムは各界の関心を集め、同業者は勿論、各工業界からの見学者が多数、訪れた。見学者の多くは電車を利用した。早川金属工業研究所設立の頃は、のどかな田園地帯だった西田辺も、この頃では阪和電車が走り、工場周辺は開けて店舗も増え、すっかり街らしくなった。従業員が総出で工場前の道普請をしたことなど、遠い昔のことだ。徳次には、当初から“不便なこの土地を発展させてみせる”という抱負があった。その抱負を、徳次は事業発展とともに着実に実現していった。 昭和11年5月13日、徳次が“生涯の恩人”として感謝し、尊敬した芳松が死去した。63歳だった。昭和5年におかみさんに先立たれ一人で暮らしていた芳松を、徳次は上京して無理に口説き、大阪の家に連れて帰った。芳松は逝去するまで、足かけ3年を徳次の家で過ごした。何かと遠慮する芳松には簡単な仕事を手伝ってもらったりもした。 徳次は会社の重役に諮って全従業員、取引関係者、知人達の参列する社葬をおこない、遺骨は芳松の菩提寺である東京・亀戸の東覚寺に納めた。
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社会 2009年06月18日 15時00分
北朝鮮44年ぶりW杯出場決定で祝砲ミサイルカウントダウン突入
北朝鮮が準備を進めているとされる長距離弾道ミサイルの発射が早まりそうだ。岡田ジャパンがA組2位で出場を決めた2010年W杯南アフリカ大会のアジア最終予選は17日、B組で北朝鮮が1966年イングランド大会以来となる44年ぶりの出場をもぎ取った。この快挙を金正日総書記が喜ばないはずがない。7月中旬ごろに発射を強行するとの見方が出ていたミサイルは“祝砲”の意味を持つようになり、カウントダウン突入は避けられそうもない。 北朝鮮はリヤドでの最終戦でサウジアラビアと0-0で引き分け、通算3勝3分け2敗で勝ち点12とし、得失点差でサウジを上回って自動出場の決まる同組2位を確保した。 66年大会では1次リーグでイタリアを破るなどして旋風を起こし、当時アジア勢最高のベスト8進出を果たしたことがある。02年日韓共催大会で4位となった韓国も出場を決めており、初の南北そろってのW杯出場は世界的にも話題を呼びそうだ。 最終戦にはJリーグ1部(J1)川崎フロンターレの鄭大世(25)、J1アルビレックス新潟などでプレーした安英学(30)の在日選手が先発出場した。 一方、気がかりなのはミサイル発射の兆候である。韓国政府筋は17日、共同通信に対し、北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の改良型と推定される「大陸間弾道ミサイル(ICBM)級」のミサイルが最近、日本海側の北東部咸鏡北道舞水端里のミサイル発射施設に運び込まれた可能性があると明らかにした。 黄海側の北西部平安北道東倉里に建設中の発射施設には同改良型とみられる物体が運搬されたことが確認済み。北朝鮮が4月の弾道ミサイル発射に使った舞水端里の施設でも、今回同時に弾道ミサイル発射準備を行っている恐れがある。 同筋によると、東倉里の施設への運搬に使われたのと同じミサイル運搬用列車が最近、平壌近郊の兵器研究所から舞水端里の施設へ移動したのを米偵察衛星がとらえた。列車は舞水端里に数日間停車した後、再び平壌近郊に戻った。 北朝鮮は4月末、国連安全保障理事会が資産凍結対象の北朝鮮企業を指定したことなどに反発し、謝罪しなければ核実験やICBM発射実験を行うと警告、5月25日に2回目の核実験を実施した。韓国政府はミサイル発射も強行する可能性が高いとみている。 一部報道によると、防衛省の分析では、ミサイルは青森上空をかすめて米ハワイ沖を目標としている可能性が高いという。北朝鮮事情に詳しいジャーナリストは「金総書記はW杯出場決定を祝うためにもミサイル発射を急ぐはず。7月中旬とみられていた発射Xデーは前倒しされることになるだろう」と話した。
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社会 2009年06月18日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(69)
日本は昭和金融恐慌から世界大恐慌、金解禁と続く苦境を脱するために、中国大陸へ進出して行った。昭和6(1931)年9月の柳条湖事件を発端とする満州事変で、大日本帝国陸軍(関東軍)は、わずか5カ月で満州全土を占領。翌昭和7年3月には日本の傀儡政権・満州国を建設する。こうした動きの中で日本は景気を回復するかに見え、国民の間には軍部は頼りになるという空気が広がる。同時に軍部は発言力を強め、昭和12(1937)年の日中戦争へと進んで行くことになる。 一方、中華民国(現・中華人民共和国)内では抗日運動が激化し、各地で関東軍と衝突を繰り返した。中華民国政府は、日本による満州国建設を不当なものとして国際連盟に提訴した。国際連盟日支紛争調査委員会はイギリスのリットン卿を団長とするリットン調査団を満州に派遣。調査団は3カ月にわたる調査の結果を報告書(対日勧告案)にまとめ、1932(昭和7)年10月に内容を公表した。 それは、日本の満州における特権を認めるが、形式的には日本は満州を中華民国に返還すること、というものだった。翌1933年2月にスイス・ジュネーブで開催された国際連盟特別総会に於いて、この対日勧告案が可決されると、それを不服として日本代表の松岡洋右は総会会場から退場。松岡は帰国すると、国民から熱烈な歓迎を受ける。翌3月、日本は国際連盟を脱退した。 1929(昭和4)年10月のアメリカ・ウォール街の大恐慌の影響はたちまちヨーロッパ各国や日本に及び、世界的な大恐慌状態になった。イギリス、フランスなどの植民地を持つ大国はブロック経済を作り、イタリア、ドイツなど、僅かな植民地しか持たない国は、植民地を求めて近隣諸国に進出していった。日本の中国大陸進出も、こうした動きの一つだ。 浜松高等工業学校の高柳助教授の教え子・笹尾が入社したのは昭和6(1931)年。この年、早川金属工業研究所はテレビの研究に着手した。また、陸軍から特殊短波受信機の注文が入った年でもあった。
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社会 2009年06月17日 15時00分
鳩山邦夫“巨乳新党”結成情報
総務大臣を辞任した鳩山邦夫氏(60)をめぐり、仰天新党結成情報をキャッチした。耳の早い永田町関係者も「初耳」という怪情報。新たに立ち上げることが検討されているのはなんと、“巨乳新党”という。いったいどういうことなのか? 巨乳新党浮上の背景には、政権支持率の急降下がある。事実上、邦夫氏を更迭した麻生太郎首相(68)の支持率は10%台に落ち込み、与党内ではまたぞろ“麻生降ろし”の風が吹き始めた。大手各紙の世論調査では、日本郵政の西川善文社長続投について「辞任すべき」「納得できない」などの批判が大半を占め、邦夫氏にしてみれば“それ見たことか!”といったところだろう。 首相株の急落とは反対に、国民の支持を得た邦夫氏は次期総理の座をうかがう勢い。新党結成情報も飛び交っている。これに重大な関心を寄せるのは芸能関係者だ。 「邦夫さんの事務所はもともと美人秘書がそろっているんでしょ? いまのうちに所属タレントを邦夫氏の事務所に“裏口入社”させたいと狙っているプロダクション関係者がいるんですよ。解散総選挙に突入すれば連日マスコミが選対事務所に押し寄せるようになるし、新党結成となればなおさら。実年齢が25歳を超えたタレントの場合、ヘタな芸能活動を続けるよりよっぽどメディアに露出できるし、大化けするかもしれない。その関係者は政界とのパイプもあるから、便乗したいという連中が多い」 同関係者によると、ライブドア元広報担当の乙部綾子氏(33)のようなパターン狙いという。元スッチーの乙部氏はホリエモン騒動で一躍有名となり、退社後はモデルの蛯原友里、押切もえらが所属する芸能事務所「パールダッシュ」に再就職。本人の希望で広報業務に徹したものの、芸能活動する道を選ぶこともできたといわれる。 「無名タレントで乙部さん以上のタマはいくらでもいる。邦夫さんは巨乳好きらしいから、顔はまあまあでも乳のデカい子が採用されるんじゃないか。新党結成ならばスタッフも新規採用しなくちゃいけないだろうから、さらに門戸が広がる。マスコミも飛び付く“巨乳新党”構想ですよ」(同関係者) つまり、所属タレントを新党の巨乳スタッフや鳩山事務所のタレント秘書として送りこもうという戦略。政界を甘く見過ぎているにせよ、タレント出身の政治家が少なくないのも現実だ。なかには政治家なのかアイドルか分からないような手合いもいる。話は一方的に熱を帯びるばかりだった。 さて、当の邦夫氏はといえば、蝶収集家で知られる通り、純粋に美しいものに魅かれてしまうタイプ。全国紙政治部記者によると、「かつて鳩山事務所には美人秘書が大勢いて、なかには相当グラマーな子もいた。秘書目当てに連日取材攻勢をかけた記者までいた(笑)」というから、あながちあり得ない話ではない。 さらに、邦夫氏の巨乳好きを裏付ける別の事実も判明。元アイドル女優のエミリ夫人は若い頃、高見エミリーとしてドラマやCMなどで活躍し、当時の出演作品にはそのグラマーな姿が映し出されていた。邦夫氏が女性スキャンダルと無縁なのは「エミリ夫人に首ったけだから」(永田町関係者)といわれる。筋金入りの“おっぱい星人”だったわけだ。 そうなると問題は、更迭劇で世論を味方につけた邦夫氏が、あえて自民党を割ってまで新党結成に走るかどうか。なにしろポスト麻生が見えてきたところ。前出の記者は「新党結成の目はある」として次のように語る。 「いま自民党総裁に担がれたところで、衆院選敗北は避けられないから与野党逆転で野党党首に終わる。そもそも邦夫氏は『自然との共生』を旗印に、環境新党を結成する野望を抱き続けてきた。新党を結成して政界再編のキーマンとなったほうが得策。兄・由紀夫氏との関係を修復したうえで民主党連立政権に加わる可能性は十分ある」 蝶コレクターの邦夫氏が、果たして新党の華を求めて巨乳スタッフ集めに夢中になるか。大注目だ。◎公式HPで秘書、スタッフ募集 邦夫氏は昨年6月、公式ホームページで東京と選挙区の福岡それぞれで秘書を募集。男女の別は不明だが、要普通自動車運転免許とするなど“容姿チェック”の気配は全く感じられない。 同時に、都内と都内近郊を勤務地とする「自然との共生」スタッフなるものを募っている。職務内容は、自然との共生および環境政策に関する資料整理と農地整備管理。「農学部系の学生さん、農業に興味をお持ちの方大歓迎」と呼びかけている。
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社会 2009年06月17日 15時00分
これが最新機器の実力だ! 秋葉原アングラ盗撮機器事情
「芸能人盗撮DVD」なるものが流出するたびに巻き起こる真贋(がん)論争。そもそも、こうした映像はどのような手段で撮影されるのだろうか? テレビのドキュメンタリー番組や夕方のニュース番組では明らかに潜入取材班が隠し撮りしたと思われる映像も少なくない。実は、これらの映像は機材さえそろえれば素人でも撮影できないことはない。公然と売られるデジタル盗撮機器の最前線を追った。 「迷惑防止条例違反で大学生を現行犯逮捕。デパート内で携帯電話のカメラを使い女子高生のスカート内を盗撮した疑い」 残念ながら新聞でこうした盗撮事件のニュースが報じられない月はない。当人は軽い気持ちでやってしまったにせよ、逮捕で受ける社会的制裁、そして被害女性の被る羞恥心は決して小さくない。 だが、そもそも撮影音の出る携帯電話で盗撮など本当にできるのだろうか。語るのは裏事情に詳しい専門誌編集者。 「今ではセキュリティーが強化されてしまいましたが、ウィルコムの旧機種には撮影音を止めるプログラムがあり、インターネット上で密かに流通したことがあるんです。また、秋葉原のレンタルケース(利用者が透明ボックス内に販売したい商品を入れ、店側が販売と代金収受を代行してくれる)業者では、撮影音を切った携帯電話が1万5000円で売られていたこともありました。実は、中古の携帯電話を買ってきて内部のある線を切断すればわずか1500円で同じことができるんですけどね」 ただ、いかに撮影音を消せたとしても、カメラ付き携帯を持ってウロウロしているのは不自然極まりない。実は、プロが使う機材はまた別にあった。 日本一の電気街、東京・秋葉原に行けば、店頭のショーウィンドウに盗聴器や超小型カメラを陳列した専門店がいくつも軒を連ねている。 「使う場所が屋外か屋内か、画像だけではなく音声も拾う必要があるのか、撮影時間はどの程度必要なのかによってお勧めする商品を変えている」 専門店の店主は平然とこう言い放つ。表向きには商店の盗難防止や従業員の不正監視など防犯目的をうたってはいるが、購入者は決して善良な市民ばかりではない。 「数年前に大手銀行のATMやゴルフ場の貴重品ロッカーに隠しカメラが仕掛けられ、暗証番号をプッシュする場面を盗撮された事件がありましたが、その時使われたのはRFという会社のカード式無線カメラですよ」と話すのは雑貨店「秋葉原MAD」の服部氏。同カメラは赤外線により暗視機能もあるため、テレビ局の撮影隊が買いに来たこともあったという。録画装置までフルセットでそろえると10万円程度だ。 では、そんな盗撮機器の中で現在最も優れた機器はどのようなものなのか? 秋葉原にある複数の専門店を取材すると「サイズや操作性、画質を総合的に考慮すると、『CAM-007』通称『カムコーダ』が一番でしょう」との答えが異口同音に返ってきた。 この商品は100円ライターよりも小さいため手のひらにすっぽり収まり、袖口に簡単に隠すことができる。毎秒30フレームなので画質は相当滑らか。もちろん音声も同時に録れる。さらに、この種の機器の中で唯一、静止画撮影も可能。暗視機能はないが、蛍光灯程度の照度があればよく、概ね100万画素相当の画質である。気になる値段は2万円弱。4GB(ギガバイト)の容量と画質を考えればまずまずである。 「レンズ穴を開けたタバコの箱に極小の『カムコーダ』を仕込めば、相手に気付かれずに盗撮することも可能でしょう。実際、テレビのドキュメンタリー番組での潜入映像には、そうして撮られたものが多いですよ」(裏モノライター) 潜入取材から犯罪にまで使えてしまう特殊機器が素人にも簡単に買える驚くべき実態。あなたも気付かないところで密かに誰かに撮られているかもしれない…。◎鳴り物入りで発売されるも性能はイマイチ? 『ペン型ビデオカメラ』を実地検証してみた! 今から2年ほど前に発売され、裏グッズ業界で話題をさらった『ペン型ビデオカメラ』。外形は太身のボールペンで、字も書ける。胸ポケットに差しておけば相手に気付かれることなく真正面から撮影できるというもの。 ボールペンの軸を回すとUSB端子が現れるので、映像はそれをパソコンに接続して見る。充電もこのUSB端子経由だ。フル充電で1時間あまり連続録画が可能。通信販売だと値段は1万4000〜1万9000円前後が相場だ。 果たして本当に広告通りなのか? 実際に購入して検証してみた。 秋葉原の電気街に行けば、5000〜7000円で同じものが買える。早速ノートパソコンに接続して実験開始。確かにカラーで何とか見られる程度の画質だが、いかんせんフレーム数が公称15フレーム/秒と少なく、まるでパラパラ漫画のようなぎこちなさだ。少なくともテレビの潜入映像で見るような動きの滑らかさはない。そのせいか、胸ポケットに差しての撮影ならともかく、手に持って撮影すると手ブレがひどかった。 さて、店頭でチェックしてもらって購入後、自宅で改めてパソコンに接続…あれ? 認識されない? 何度試してもパソコンは反応せず、販売店で交換してもらったが、何と交換品も翌日には認識どころか充電不能に陥ってしまった。極限までの小型化で過充電防止装置がないため、充電時間が長すぎてすぐ壊れたと嘆くユーザーも少なくない。 「この製品は中国製で、故障の苦情が多い割には全くバージョンアップしていないんですよ」とは販売店の本音。この種の機器は国産ではないため、当たり外れが大きいのが実情のようだ。
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社会 2009年06月17日 15時00分
エコブームの裏で暗躍! 高級自転車盗の恐るべき実態
1台十数万円から100万円オーバーまで、高級自転車を専門に狙う窃盗事犯が後を絶たない。環境にやさしいエコブームに乗って自転車通勤する人が増えるなか、高級自転車盗は“稼ぎ時”とばかり暗躍中。チャリンコ族が歯ぎしりする天敵の実態を暴く。 ブームのウラ側では必ずと言っていいほど犯罪が横行するもの。エコブームのほか、脱メタボといった健康志向の高まりを受け、ここのところ自転車通勤族は爆発的に増えている。 最近、貯金をはたいて数十万円の通勤用高級自転車を購入した都内の会社員男性(26)は「自転車ショップでは、くれぐれも盗難防止を怠らないようにと何度も念を押されました。高額自転車はすぐ狙われるみたいですね。ごっついチェーンキーを2つ買わされたうえ、部屋に保管するようにって」と話す。 自転車事情に詳しいジャーナリストによると、「高級車であっても窃盗犯は専用工具を使ってものの十数秒でサドルなどを分解して持ち去ってしまう。自転車のそばを離れないことだ」という。 そうした中、盗品の高級自転車を自宅に保管したとして警視庁北沢署は16日までに、盗品等保管の疑いで東京都世田谷区松原、無職の山口友一朗容疑者(28)を逮捕。 北沢署は10日、山口容疑者の自宅を家宅捜索し、自転車8台とハンドルやタイヤなど60台分以上の部品約450点を押収。約90万円の高級自転車が含まれていたほか、車体番号が削られたフレームなども見つかった。 北沢署によると、山口容疑者は「(逮捕容疑の)自転車は盗んだが、そのほかはフリーマーケットで買った。自転車が好きだった。自転車店を開きたかった」と供述している。 自転車乗りはくれぐれもご注意を。
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社会 2009年06月17日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(68)
欣々は一人で大阪にやって来た。徳次も30代半ばになり、欣々も50歳を過ぎていたが、その美貌は衰えていなかった。 徳次の招待を欣々はとても喜んでくれた。徳次は2階の座敷を欣々のために用意した。しばらくは徳次や琴と、あるいは一人で出かけたり、徳次との夕食時の昔話を楽しんだりしていたが、次第に口数が少なくなっていった。 ある日、今晩は食べたくないから、と夕飯を取らずに2階に上がった欣々が気になって徳次が様子を見に行ってみると、欣々は左手首を切って、すでに息絶えていた。葬儀には江木家からの弔問客はなく、夫亡き後の欣々の寂しさが偲ばれた。徳次はもっと早く呼び寄せればよかったと悔やんだ。 欣々の葬儀の後、徳次は2年以上にわたった日本文具製造との裁判を終わらせ、示談にすることにした。これ以上の時間と労力を割くのは無駄に思えたのだ。 昭和5(1930)年1月11日に金解禁が断行され、日本の不況は深刻さを増して行った。そんな中でも、大正15(1926)年8月に日本放送協会(NHK)が成立するとラジオ放送は急速に発展した。同年12月25日、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の高柳健次郎助教授が世界で初めて、ブラウン管による電送・受像に成功。5年後の昭和5(1930)年5月、昭和天皇の天覧実験を行った翌日、徳次は高柳にハガキを送った。内容は“将来、テレビジョンの時代が来ると確信している。開発のために卒業生を紹介してほしい”というものだった。 しばらくして、浜松高等工業高校電機科主任の中島教授が徳次を訪ねて来た。不況続きで大変な就職難の時代だったから、求人は学校としても有難かった。中島は、たとえ小さな町工場でも将来性があれば学生を紹介しようと考えていた。 中島は早川金属工業研究所の設備や技術のレベルが、考えていたものよりずっと高いことに驚いた。また、徳次の人柄や研究姿勢に感銘を受け、卒業生を紹介することにした。やがて入社したのが、第二次大戦後、初の国産テレビを開発した笹尾三郎だ。
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社会 2009年06月16日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(67)
国内外で事業を広げ、前にも増して多忙を極める徳次の元に昭和2年11月13日、日本文具製造から債務2万円を支払うようにという内容証明書が届く。徳次は内容証明書がどういうものか知らなかったので、そのまま机の引出しに入れて放っておいた。エバー・レディ・シャープペンシルの特約の契約金1万円と事業拡張資金として貸与した1万円の計2万円の支払いの請求。大震災の直後に早川兄弟商会に請求してきたものと同じ内容なのだ。東京にあった機械類と48種類に及ぶシャープペンシルにかかわる特許を譲って、この債務は終了している。何かの間違いだろう、と徳次は思っていた。 ところが年の瀬になってから、裁判所の執行吏一行がやって来て、早川金属工業研究所の差押えを宣告した。日本文具製造からの債務不履行の訴えによるものだ。執行吏に債務の返済済みであることを訴えたが、それを証明する書類の提出を要求され、徳次は当惑した。そんな書類はお互いに作成していなかった。信頼に基づく約束と徳次は考えていた。 昭和3(1928)年になり正月も過ぎると、徳次はさっそく欣々に優秀な弁護士を紹介してもらう。欣々は2年前に夫を病気で失った後、社交界からも身を引いて静かに暮らしていた。 紹介された大塚弁護士は、裁判が長引くであろうこと、弁護士の費用もかなりかかることなどを説明して、徳次の意志を確認した。徳次は日本文具製造の、人の誠意を踏みにじったやり方が許せなかったので、時間と費用がかかることは承知の上で訴訟に踏み切った。 昭和4(1929)年、不景気は悪化し、勤勉・倹約が国の方針として国民に奨励され始めた。そこに追打ちをかけて、この年の10月には大恐慌が全世界を襲った。そんな中にあって、早川金属工業研究所の業績は相変わらず順調だった。工場を増設する必要が生じ、それに伴って敷地内にあった徳次の自宅は、近くに移すことになった。 これを機会に徳次は欣々を大阪に呼び寄せた。夫を亡くして寂しく暮らす欣々が心配だった。
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社会 2009年06月16日 15時00分
脱税“四十八手”大公開!/08年度国税庁査察まとめ
政治がこの体たらくでは誰だって税金なんて払いたくないだろう。実行すればアウトだが、それをやっちまう輩は後を絶たない。全国の国税局が強制調査(査察)し、2008年度中に検察庁への刑事告発や課税処分をした脱税事件は計208件に上り、脱税総額は351億円だったことが16日までに国税庁のまとめで判明。いわゆる“マルサ”が暴いた税金逃れの手口は多岐にわたった。本紙はその“脱税四十八手”を大公開する。 映画「マルサの女」でもお分かりのように、国税局査察部が脱税をかぎわける嗅覚は半端ではない。昨年度の査察でもまた、マルサの活躍によってそのしみったれた手口が明るみに出た。 ケース1は「金のうまい棒」型。紙幣ではどうしてもかさばる大金をグラム単価の高い金の延べ棒に換え、コンパクトにして隠す方式だ。自宅ロッカーや親族宅などに金の延べ棒約615キロ(約18億円相当)を隠したケースが摘発された。 ケース2は「作物」型。査察の際、まるで農作物かなにかのように現金7000万円をブリキ缶に入れて畑に埋めていた案件があった。タイムカプセル型といってもいい。 ケース3は、オーソドックスな「床下」型。今回の摘発では、自宅エレベーターの床下に現金1億5000万円を隠した事例が見つかった。 関係者は「脱税の手口は性交の妙技“四十八手”を軽く超える。しかし、着眼点はそう変わらないので絶対に隠しきれないものなんです」という。 それでも懲りずに毎年脱税が摘発され、追徴課税を課せられる輩が続出しているわけだ。 さて、昨年度の脱税総額は不景気を反映してか前年度に比べ3億円減。“ミニバブル”と呼ばれた都心部の地価高騰や、鉱物・金属市場の世界的な価格上昇の影響で、不動産業者や鉄くず業者らによる法人税の脱税が大幅に増えたという。 告発総数は153件で、1件当たりの平均脱税額は1億6300万円。 税目別のトップは、97件で前年度の56%増だった法人税。脱税額は186億円で、2倍以上になった。一方、個人の所得税は40件(前年度比30%減)。脱税額は40億円で半分以下に減った。 不動産業では、都内の一等地を地上げした東京都港区の会社を、法人税17億円の脱税容疑で告発した大型事案があった。
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社会 2009年06月15日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(66)
大正15年、政治の経営する早川商事合名会社金属品製作所は、早川金属工業研究所東京出張所に変えた。関東方面へのラジオ販売の拠点にするのだ。8月には、それまで東京・名古屋・大阪にあった各放送局が統一された社団法人日本放送協会(NHK)も誕生、ラジオ聴取者数は前年の約10万人から、約34万人へと激増していた。 徳次は暮れに岩佐琴子と再婚した。 大正15年は、大正天皇崩御の12月25日で終わる。元号は昭和に改まり、1週間足らずの昭和元年が明けて、昭和2(1927)年になった。この年の3月、金融恐慌が起こる。日本放送協会九州支部が5月に開設されるという情報を得て、徳次は福岡県博多でラジオの見本市(福岡放送局開局記念見本市)を開催する計画を立てた。九州地方の市場開拓を図るのだ。 金融恐慌による不況で苦しむラジオの部品メーカーや、卸店、輸入商など十数店に働きかけて特別出品の依頼をした。各業者から商品を卸値よりもさらに1割引きするという格安の取引を結んでもらうことができた。九州一円のラジオ器具販売業者には二等汽車往復料金を添えて送り、見本市へ招待した。 5月の開局を控えて盛り上がっている時期だったため、見本市は大盛況だった。入場者は会場の料亭トキワから溢れるほどだ。ところが、肝心の売行きがよくない。初日の午前中だったが、徳次も含め、売り手の業者たちは皆、心配顔だ。徳次は苦肉の策で、昼食休憩の間に陳列の商品に“売約済”の赤札を張らせてみた。すると、午後になってから売約が続出した。そして予定の2日間で商品のほとんど全部を売りつくすことができた。売約済の赤札を張った商品は、客の前でそれを剥がすわけにはいかないので、予約をとって新出張所に持ち帰り、そこで札を剥がして渡すというややこしいこともした。 6月には中国・上海でも見本市を開いた。九州とは比べ物にならないほど大規模なものだった。中国の人達も始めは様子見をしていたようだったが、ここでも売約済の札は大変な威力を発揮し、全商品を完売することができた。