社会
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社会 2009年06月13日 15時00分
ワケあり物件大人気
部屋で殺人事件や自殺があった「ワケあり物件」の賃貸マンションを、UR(都市再生機構)が大々的にPRすることになった。リーズナブルな家賃で借りられる「特別募集」枠がそれだ。昨年4月、フィリピン人女性=当時(22)=が殺害され遺体をバラバラにされた事件の現場となった東京・港区の高級マンションも、家賃半額で出回ることになる。 旧住宅公団から2004年、独立行政法人化したURは、全国約77万戸の賃貸住宅を擁する。入居に保証人が不要なことから、外国人などにも人気が高い。 URは、全国を4ブロックに分け事業展開。近畿地区はすでにインターネットのサイトで特別募集を公開している。しかし、全物件の大半の43万戸を占める首都圏では営業所などに出向かなければならず、この特別募集は「知る人ぞ知る」ウラ情報だ。 室内で入居者の不幸があった物件が対象で、通常なら取り替えない浴槽や便器、洗面器などの設備機器も場合によっては新品に交換する。最大の魅力は、一定期間の家賃の半額割引(一部の物件を除く)だ。 「半額」のインパクトは高級マンションほど大きい。このほど東京・新宿のUR営業センターで行われた月1回の抽選会には、約40件の募集に200人以上の応募者が集まった。人気のない物件には入居希望者が寄り付かない一方、東京・中央区月島の通常月額15万2800円の1Kは、半額の7万6400円で入居できるとあって、9人が殺到する高倍率となった。 こうした「ワケあり物件」は、一般の賃貸住宅でも入居希望者から敬遠されがちなため家賃を下げて募集するのが通常だが、明確な基準はない。不動産関連業者は「『ワケ』の内容にもよるが、本来家賃の7〜8割程度か」と内情を明かす。 宅建業法では先住者に関するこのような事情を、契約の際に「重要事項」として告知するよう定めているが、どこまで詳しく知らせるかは業界の判断にゆだねられているという。 「ワケ」の内容に関係なく一律に半額のURの特別募集は、契約に向けた予約の段階で「事故」の状況を通告するだけ良心的とも言える。抽選会で多摩地区の2DKを希望し当選した男性は、担当者から説明を受け、「病死だってさ。高齢の方みたいだから、仕方ないよね」と満足した表情で会場を後にした。 昨年4月のフィリピン女性バラバラ殺人事件で現場となった東京・港区台場の高層マンション(33階建て)は、URの物件だ。月25万円を超えたという28階の部屋も、半額で貸し出す特別募集の対象となるはず。取材にURは、「個別の物件の状況についてはお答えできません。事件の性質もあるし」(広報チーム担当者)と答えた。 これまでひっそりと入居者を募ってきた「ワケあり物件」で、URが特別募集のPRに踏み切った背景には、死生観をめぐる変化がありそうだ。 今年2月の第81回米アカデミー賞で納棺師を描いた「おくりびと」が外国語映画賞に輝いたことも影響し、大学生の間で葬祭会社への就職人気が高まるなど、「人の死」に対するネガティブな受け止め方が従来よりも薄れていると考えられる。前出の不動産関連業者も、「最近の若い人は、(ワケあり物件でも)あまり気にしないね」と話す。 一方、ネット公開が近畿圏で先行したことについてUR担当者は、「サイトの制作担当者が別であるためで、特別な狙いがあるわけではありません」と顧客の利便性を強調。死生観に地域性があるのではないかとの記者の仮説を否定した。 入居希望者にとってこうした情報がオープンになることのメリットは大きい。また、他の民間業者にとって、ワケあり物件の扱いを定める指針となりうる。 しかしその半面、URの動きは民間業者にとって脅威でもあり、家賃半額の大々的アピールは、独立行政法人による民業圧迫だとの批判を受ける新たな引き金になりかねない。
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社会 2009年06月13日 15時00分
ヤンキー撃退“新兵器”設置 東京・足立区/若者にしか聞こえない高周波「キーン」音を夜通し流す
東京都足立区は、夜中にコンビニや公園などで騒ぐヤンキーを撃退する“新兵器”を開発した。ヤンキーや暴走族に限らず、思春期の若者には夜がふけるとコンビニや公園にたむろする性質がある。集まれば集まったで悪さをするのは今も昔も変わらない。そこで若者にしか聞こえないという不快な「キーン」音を流し、寄せ付けない試みを始めた。いわば“ヤンキー・コロリ”だが、本当にそこまでする必要があるのか。 公園で夜、たむろして騒いだり、設備を壊したりする若者には困ったもの。それを追い払うため、足立区は若者だけに聞こえるとされる「キーン」という不快な高周波音を出す装置を区立北鹿浜公園に設置した。区によると、コンビニでは使用例があるが、自治体では初めてとなる。 高周波音発生装置は10センチ前後の立方体で、公園の管理棟の壁面に取り付けた。高周波音は17.6キロで、モスキート音とも呼ばれ、大きさは90〜100デシベル。年齢を重ねるうちに聞こえにくくなるが、20代前半ぐらいまでの若者は、装置から20〜30メートル離れても耳障りな音として聞こえるという。 装置は英国製。区は販売代理業者から無償で提供を受け、来年3月までの予定で5月21日に設置。毎日午後11時から午前4時まで1分間隔で3分間鳴らしている。当初は見物客が集まり、パトカーが出動する騒ぎもあったが、現時点までに被害は確認されていない。 北鹿浜公園では深夜、中高生らが大声で騒いだり、防犯カメラが壊されるなどした。被害は昨年度だけで約70万円で、近所から「うるさくて眠れない」との苦情も続出。区は夜間パトロールを強化したが、抑止効果は上がらなかったという。 同区の増田治行・公園管理課長は「公共施設の公園に、行政が音を使って若者を近寄らせない対応を懸念する声もあった。しかし慎重に検討した結果、試験的にやってみることにした。安易に設置していく考えはない」としている。 区には全国の自治体から問い合わせが来ているという。近所迷惑も考えずにバカ騒ぎする若者を擁護するつもりはないが、まるで動物よけか害虫駆除のような対応策には批判も出てきそうだ。
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社会 2009年06月13日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(65)
用意周到な準備で取りかかったため、安い値段で売り出すことが可能になった。実はコンベアシステム導入を皆に相談したところ、ほとんどの者が反対した。そこで徳次は、あたかも他で成功している実例があるかのように話して、皆を説得したのだった。 やがて、ラジオを製造するメーカーが乱立したが、シャープ・ラジオの売れ行きは相変わらず好調で、7月中に月産1万台を突破した。もう万年筆のクリップ製造には手が回らなくなっていた。ラジオは造れば造るだけ売れる状況だったが、現状の工場の生産能力には限界があった。まとまった設備資金を得るために、どういう手段があるか、徳次はずっと考えていた。借金をするのは嫌だった。 考え抜いたある日、石原時計店を訪ねる。石原時計店に入荷した外国製ラジオのセットとパーツを一手に販売させてもらえないかという相談に行ったのだ。 石原は、代金後払いで徳次に品物を卸す提案をしてくれた。その仕事ぶりと人柄を見込んでのことだ。徳次はその条件に甘えず、預かった品物は必ずその日のうちに売り切って、その日のうちに商品代金を支払った。最初は荷を背負い、次にリヤカーを買って、最後には店を出して卸販売をするまでになった。 外国製ラジオの取次販売のおかげで設備投資の資金も出来たが、ラジオの今後の見通しも、その商売の中で学んでいた。販売代行した輸入ラジオの中にドイツ製の真空管ラジオがあった。聴取距離が広いことから真空管ラジオは国産もされ始めていたが、雑音が激しく値段も輸入品並みだった。 今度は、外国製真空管ラジオを分解して研究した。その甲斐あって、大正15(1926)年が明け国産真空管が発売されると、それを使った真空管ラジオを発売することができた。名前はシャープ・ダイン。ニュートロ・ダインという外国製ラジオにあやかった命名だ。 早川金属工業研究所の発展は止まるところを知らず、新工場を増設。受信機や部品を中国、南洋、インド、南米などの各国に輸出するようになった。
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社会 2009年06月12日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(64)
ラジオの原理はもちろん、電気の初歩も知らないという人間ばかりで、分解に取りかかったものの、まるで怖いものにでも触れるように作業を進めた。 検波器、ノッチ、ターミナル、スパイダーコイルと部品の1つ1つを辿っていく。それぞれがどういう意味を持つのかわからない。それでも理論は棚上げにして、部品を厳密に模倣して作ることだけは出来そうだという目途が立つのに3カ月を費やした。 金属工業の仕事の手は休めずに進めた研究だ。徳次は試作を続けながら、ラジオの重要性や将来性を考え、次第に憑かれたようになっていった。 こうしてラジオに予備知識を全く持たなかった徳次達が4月、ついに小型鉱石ラジオセットの組み立てに成功した。商品としての国産ラジオ受信機第1号である。直ちにラジオ製作の準備に入った。 大阪では6月に、社団法人大阪放送局が大阪三越の仮設放送所から最初の電波を流した。この電波は徳次達のセットにも素晴らしく明瞭に入ってきた。工場中の従業員が集まり、小さなレシーバーを奪い合うようにして初電波を聞いた。皆、興奮して歓声を上げた。 初放送とともに世間のラジオへの関心は一気に高まった。徳次は機を待っていた。今がその時だった。すでに準備は万端、手配は整っていた。セット製作を本格化し、即座に市販を開始した。 製品名はシャープ・ラジオ。最初は単に鉱石受信機と名付けたが、しばらく経ってからシャープペンシルに因んで命名した。値段は1セット3円50銭、アメリカ製の半額以下だった。 これが大当たりで、恐ろしいくらいの売れ行きである。続いて7円50銭を最高に4種類を製作し、同時に部品を作って販売した。このラジオ製作に当たり、量産するために材料や部品の手配を早々に行い、コンベアシステムを採用した。ラジオの組み立てに必要な工程を52手と分析、52人を並んで座らせ、1人1工程の流れ作業を行う。うまくいくかどうか心配だったが、実行してみると、それまで1台に要した2時間が、流れ作業では50分で済んだ。
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社会 2009年06月11日 15時00分
テレ朝「金正雲」氏の“スクープ写真”は本当にガセなのか?
スクープ写真は本当にガセ(偽物)なのか? テレビ朝日が10日、北朝鮮の金正日総書記の後継者に内定したとの情報がある三男・正雲氏とみられる人物の近影を放映し、その後、「信ぴょう性に疑いあり」として確認作業中の真贋問題が注目を集めている。40歳の韓国人男性が「これは自分」と名乗り出たため“幻のスクープ”になりそうな気配。しかし、本当にガセと言い切れるのか。 テレビ朝日は、金正雲氏とみられる最近の写真を入手したと報じた後、その後のニュース番組で複数の韓国メディアから別人との指摘を受けたことを明らかにし、「信ぴょう性に疑いが出ている」と説明した。確認作業を進めているという。 同日夜の「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターは、新聞のテレビ欄で予告していた番組内容を変更することについて「本当に申し訳ありません」と謝罪した。 テレ朝は昼のニュースなどで、写真を韓国当局の関係者から入手し、複数の信頼できる関係者が本人であると証言したと報道。関係者の1人は、北朝鮮の指導部に近く正雲氏に何度か会った人物で「90パーセント間違いない」と発言したと伝えた。 正雲氏とされる写真は、Tシャツ姿でサングラスを掛けており、背格好や雰囲気などが金総書記によく似ていた。 ガセ疑惑が浮上した背景には、写真にうつった人物が“これはオレだ”と名乗り出たことがある。 ソウル発共同通信によると、韓国の聯合ニュースは10日、テレビ朝日が同日、正雲氏の最近の姿を撮影したものだとして放映した写真について、40歳の韓国人男性がインターネット上で公開している自分の写真だと主張していると報じた。男性が同ニュースに対し、電話で語ったという。 同ニュースによると、男性は掲示板を運営している建設業者。写真について「昨年夏に農場に遊びに行って撮影した写真で、今年2月に掲示板に掲載した。掲示板の会員たちが見て『金正日(総書記)に似ている』と言い、金正日(総書記)の写真と並べて掲載した」と説明。「こんなことが起きるとは思いもしなかった」と語った。 さらに「テレビ朝日からは報道前も報道後も何(の接触)もない。どうやって入手したのか分からないが、テレビ朝日が公開した写真は私の写真だ」と話しているという。 北朝鮮事情に詳しいジャーナリストは「金総書記ファミリーの顔写真や実像が語られることはほとんどない。それだけ神秘性を大切にしており、簡単に他人の写真に収まるような言動なんかしない。しかし、露出しまくっている長男・正男氏の件もあるから、すぐにガセと決めることはできない」と話した。
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社会 2009年06月11日 15時00分
オタマジャクシに続き空から小魚! 次に降ってくるのはナ二!?
空からオタマジャクシが降ってきた怪事件が新展開をみせた! 石川県の七尾市と白山市で大量のオタマジャクシが地面に落ちているのが見つかったのに続き、同県中能登町で9日夕に小魚10匹が民家の前に落ちているのが発見されたことが10日分かった。 しかしながら、ミステリーの真相はオタマジャクシ→小魚と続いたヒントだけでは究明できず、次はナニが降ってくるのか…と関心が高まっている。発見されたのは中能登町の無職 近江幸雄(78)方の納屋の近くやライトバンの荷台で、フナとみられる体長2〜3センチの小魚約10匹が見つかった。既に乾いていて死んでいたという。近江さんの家族は「近くにそれらしい川もないのになぜ」と首をかしげている。 石川県では4日に七尾市の市民センターの駐車場で、アスファルトや車のフロントにオタマジャクシ約100匹、6日には白山市の駐車場で同20〜30匹が見つかった。怪現象をめぐり現地では竜巻説や「鳥が運んでいて落としたのか」など話題を呼んでいる。
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社会 2009年06月11日 15時00分
地方自治体によるロケ地招致合戦の予感!? 「ヱヴァンゲリヲン箱根補完マップ」きょうから本格配布
90年代に社会現象ともなった人気アニメシリーズ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の公開を控え、箱根町観光協会(数馬勝理事長)が同作品とタイアップして作った「ヱヴァンゲリヲン箱根補完マップ」=写真=が大反響を呼んでいる。 地図は作品の舞台となる2015年の首都「第3新東京市」が現在の箱根町に当たることから同協会が町おこしの一環とて企画した。きょう11日から箱根の主要観光ポイントなどで1万部無料配布される。 4日から6日まで箱根町内で先行配布が行われた際には、平日にも関わらず300人を超える列ができた。「綾波レイの部屋」や「NERV本部」が“建つ予定”の場所が示されたお宝地図を手にしたファンは大喜びだったという。 地方自治体にはアニメや映画を町おこしに積極的に取り入れ、大成功している例が多数ある。鳥取県の「水木しげるロード」や、最近では「おくりびと」のロケ地となった山形県酒田市などが典型例。町おこしを狙ったロケ地招致合戦が起こるかもしれない。
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社会 2009年06月11日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(63)
早川金属工業研究所は順調に発展していた。東京時代とは比較にもならなかった。徳次は、早く新事業を開拓したいと考え、日夜、心を砕いていた。そんな中でラジオ事業は徳次の関心を引いた。 当時、外国ではすでにラジオは実用化され、報道や娯楽において重要な地位を築いていた。 世界で初めてラジオ局が開局したアメリカに遅れること5年、日本にもラジオ放送局が大正14(1925)年3月に開設されるという新聞発表があった。このニュースは各方面に大きな関心と期待をもって迎えられ、電気器具商や輸入商の中にはラジオ機械の研究を始めようとするところもあった。 しかし、内部構造や性能について日本には情報がなく、実物のラジオが輸入されるのを待つしかない状況だった。 “常に他より一歩先に新境地を拓かなければ事業の成功はない”というのが信条の徳次が、新しいラジオ機械に深い関心を持ったのは当然だった。そんなある日、たまたま石原時計店に顔を出すと、アメリカから鉱石ラジオ2台が着荷したところだった。日本への輸入第一号である。 徳次は即座に1台を7円50銭で購入して帰り、研究を開始する。予備知識など誰も持っていない。最初は、とにかく音を聞いてみるところから始めた。放送はまだ開始されていないので、工場にモールスの手動信号機を置き、ツーツーという試音を送って、それを受信したラジオの音を確認する。 レシーバーを耳に付けて一心にモールスからの試音を聞こうとする従業員。「ああ、聞こえた!」。すると他の者が「どれ」とレシーバーを受け取って耳に当てる。「本当だ!聞こえる!」。この状態から始めたのだ。万年筆付属品、岡田教授の歯科治療材料、それに石原時計店から時計部品の発注もどんどんきて、金属工業の事業も順調に回っていたので、寸暇を割いての研究だった。 年が改まり大正14(1925)年になった年明けから、鉱石ラジオの分解研究は続けられていた。徳次達は模様付けや鍍金(めっき)その他、金属細工には絶対の自信があった。
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社会 2009年06月10日 15時00分
空からオタマジャクシが降る怪奇現象のナゾ
石川県七尾市で空からオタマジャクシが降ってくるという怪奇現象が発生し、地元住民を不気味がらせている。6月に入ってから市内各所で大量のオタマジャクシが地面に落ちているのが見つかり、「竜巻に吸い上げられ降ってきた」「鳥が運んできた」などとさまざまな憶測が噴出。ミステリー現象研究家は、オタマジャクシが示す“天からのメッセージ”の解読やノストラダムスの大予言との関連を調べている。 なぜ空からオタマジャクシなのか? あまりに怪奇チックな“オタマ降り事件”は全国的な注目を集めている。地元関係者によると、地元紙報道をはじめ主婦の井戸端会議などはこの話題で持ち切りという。 事件を振り返ると、4日午後4時半ごろ、七尾市中島町の市民センターの駐車場で「ボテボテ」と何か落ちるような音に気付いた男性職員(55)が外に出ると、約10メートル四方のアスファルトや車のフロントガラスに100匹ほどのオタマジャクシの死骸が散乱しているのを見つけた。 地元ではすぐ、竜巻や鳥が原因かと話題になった。ほかの場所でも見つかったとの情報もある。 山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)の研究員は「カラスはオタマジャクシを食べるが、吐き出すのであればもっと広範囲のはず」。金沢地方気象台は突風などの被害情報は入っていないとしており、謎は深まる一方だ。 そんな中、ミステリー研究家らはオタマジャクシを“天からのメッセージ”ととらえ、その解読に夢中。ノストラダムスの大予言との関連を指摘する声も挙がっている。 「オタマジャクシから連想されるのは男性の精子です。たとえば少子化問題への警鐘かもしれませんよね。地域性に重点を置けば、地元出身のスーパースターであるニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手へのメッセージとか、または地元選出の大物国会議員である森喜朗元首相へのそれかもしれない。1999年7月に襲来するはずだった『恐怖の大魔王』が10年遅れでやってきたのではないか、との仮説を立てている人もいますよ」(ミステリー研究家) ミステリーは混迷の度合いを深めている。
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社会 2009年06月10日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(62)
その場で川本ら2名が徳次に付いて行くと伝えた。しかし後日、結局は全員が徳次のところに戻って来たのだった。 関東大震災からちょうど1年後の大正13(1924)年9月1日、早川金属工業研究所が設立された。当時はまだ電気も引かれていない、木造2階建ての新工場だ。川本ら3名の他に、土地の少年5名を雇った。 松井町での独立当初と同様の気概で陣頭指揮に当たった。朝は薄暗いうちから起き、夜も石油ランプの下で9時、10時まで働いた。休日も月の1日か15日のどちらか1日だけだ。誰も不平を言わなかった。 シャープペンシルの特許は全て日本文具製造に譲ったので、早川金属工業研究所では、まず万年筆の付属金具やクリップの新型を考案して製造、販売することから始めた。 これらの製品を持って、大阪中の万年筆製造元を1軒、1軒訪ね、営業して回った。材料を仕入れるために全て現金販売にした。幸い製品は好評で9月末には相当な利益が上がった。それで設立1カ月後には、電柱10本余りの費用を自己負担して電気を引くことができ、機械類の導入が可能になった。 周辺は元々、水田地帯のため、雨が降ると道がぬかるんで通行が困難になる状態だった。そこで毎朝始業前に全員総出で道普請をした。次第に道の状況は改善され、周辺の住民からも感謝された。 そんな頃、東京の慶応大学医学部の岡田教授から歯科治療材料の注文が入った。以前にも岡田教授から製造を依頼され、納品したことのある品だ。教授は徳次が大阪で事業を開始したことを聞いて、わざわざ注文してきてくれたのだった。 11月に入り、緊急に製作機械を導入する必要が生じた。まとまった資金がどうしても入用になり、徳次は岡田教授と巻島に機械購入のための借金を申し込む書面を送った。2人ともすぐに了承してくれ、徳次は2人に会うために上京した。 久しぶりの東京は震災の傷跡が至る所に残るとはいえ、目覚ましく復興していた。