徳次の言葉に「すいません」と頭をさげて帰って行ったが、結局、男は二度とやって来なかった。
林町での独身時代にも徳次は騙(だま)された経験がある。やはり冬の日暮れ近く、厩橋を通ると道端に人だかりがしていて、紺絣(がすり)の着物を着たひとりの青年が行き倒れになって苦しんでいた。皆の話では、青年は働き先を求めて上京したが金がなくなり3日間飲まず食わずで、空腹で倒れたということだった。気の毒に思ったが急ぐのでそのまま通り過ぎた。ところが帰りに同じ場所を通りかかると、青年はまだ夜風に吹かれてひとり唸(うな)っていた。徳次は青年を引き起こしてそば屋に連れて行き、てんぷらそばを食べさせた。
彼は山梨県出身の19歳、水谷某と言った。働きたいならおいでと、そのまま連れて林町の家に戻った。職人たちは皆出かけていて家に誰もいなかった。徳次は自分のシャツを出して着せ、銭湯に行かせた。その間に水谷から聞いた住所に、自分のところで働くことになったという手紙を書いた。
彼が銭湯から戻ったので、徳次は親元へ手紙を書いたことを伝え、その手紙を投函かたがた自分も銭湯に行った。帰ってくると、水谷がいない。辺りを見ると引き出しに入れてあった2円50銭あまりの金がなくなっている。100円と20円は紙幣で別の帳簿に挟んであって無事だった。
4、5日して水谷の親元から「勘当した不良の輩(やから)であるから相手にしてくれるな、親としては責任を持てない」といった返事が届いた。
徳次は警察に届けたが、身元不詳の者を家に入れたことがそもそも間違っているとさんざんしかられた。以後も徳次は人に背かれたり、迷惑をかけられたりした。それでも他人を疑うことは苦手だった。