西松建設の違法献金事件で民主党代表・小沢一郎の公設第1秘書が逮捕・起訴された後、千葉県、秋田県両知事選で敗れた民主党は連敗に歯止めをかけた。この河村にその“命運”を委ねたのであった。
河村は衆院議員5回当選のキャリアの持ち主。これまで何度となく地方の首長選ほかに出馬をほのめかしたが、その都度、党執行部からプレッシャーをかけられ、手を挙げかけて引っ込めた経緯があった。
「民主党も、もう一つ善悪をわきまえずにいる。今、その党に頼み込んでもいいかどうか、もう一つはっきりしない」と河村は民主党の推薦は受けたものの、あまり党の積極応援を受けるつもりはなかったようだ。
それというのも、かつて民主党代表選に出馬表明したものの20人の推薦者を得ることもなく、あえなく断念。河村はかねがね“名古屋から首相を狙う男”というのをキャッチフレーズにしていた。
「政治家になった以上は、総理を狙うのは誰でも同じ」ということを河村は口癖のように言っていた。しかし当選5回の河村は、テレビにもよく出演しては名古屋弁で熱弁を振るうことが自身のパフォーマンスでもあった。
総理をあきらめて名古屋市長。
「総理をあきらめたわけではない。とにかく市民税みたいなもので名古屋市民に還元したい。名古屋からとにかく政治を変えたい」と。
こうした河村の熱意に民主党も動いた。「市民税10%減税」「市長報酬削減」などの公約を掲げ、自転車に乗って連日市内を回り、無党派層の支持拡大に努めた。
民主党と民主党市議団の一部には公約内容や推薦の経緯を巡って反発があったり、また民主党の支持団体である連合愛知も「河村の支持は控えよう」と、河村自身への推薦を見送った。
しかし、民主党の内部には「これはひょっとするとひょっとする…」と急に手のひらを返すように党内は河村応援に動いた。終盤には代表・小沢のほか、幹事長・鳩山由紀夫、代表代行・菅直人らが駆けつけた。
「河村が当選したら、反旗を翻すかもしれないので、追い込みにかかったところで応援しよう」(民主党関係者)という動きもあった。
つまり、河村が大勝利するという雲行きになったので、民主党執行部としても慌て始めたわけだ。
それにしても、あの名古屋弁の河村は、早速「名古屋からどえりゃあことをしていかんといけんなあ」とあちこちでしゃべり始めている。
宮崎、大阪、千葉そして名古屋と、首長たちにはユニークな政治家たちがそろい始めた。永田町もぼちぼち“チェンジ”しないといけないか?(文中敬称略)