徳次は「機械がほしい」と口癖のように言った。職人仲間は陰で徳次のことを“機械狂い”と言っていた。徳次は常日ごろ、これからはいい機械を使わないと成功しないと考えていたのだ。
ようやく最初にセットしたのが、結婚と同時に200円余りで購入した1馬力のモーターとシャフトだ。当時の徳次にはかなりの支出だが、仕事場に据え付けられたモーターは、徳次が考えた通り、早速、万年筆クリップの加工でもその威力を発揮した。ひとつだけ困ったのは、モーターを始動すると隣家のおばあさんが「やかましいよ!」と怒鳴りこんで来ることだった。
万年筆のクリップとは、万年筆を胸のポケットに留めておくための物で、万年筆と別売りされていた。このクリップにも模様を入れる工夫をしたところ、注文が殺到。さらに万年筆のキャップに最初からクリップを取り付ける方法を考案する。現在の万年筆の形だ。これがまた評判になり、スワン、オリバー、サンエス、パイロットといった国産万年筆メーカーがクリップ付きキャップを採用するようになった。
そのころ、得意先の一つに亀戸のプラム製作所という文具製作所があった。プラム製作所は万年筆の模様入りクリップのほかに、繰出鉛筆内部に使う金具の製作を徳次の工場に依頼していた。当時の繰出鉛筆はセルロイド製で、金具が何個も組み合わせてあるために壊れやすく、形も太くて持ちにくい物だった。
徳次には文具というより一種の高級玩具のように思えた。プラム製作所に繰出鉛筆の部品を納品するうちに、徳次は繰出鉛筆そのものの改良を考えるようになる。何とか万年筆並みの実用品にならないかと思ったのだ。
「次の発明は繰出鉛筆だ」決心すると徳次はさっそく開発にかかった。(経済ジャーナリスト・清水石比古)