社会
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社会 2010年02月17日 15時30分
男と女の官能事件簿 元不倫相手に「ワラ人形」を送りつけた中年ストーカー男
交際していた相手から別れ話を持ち出され、それを恨んで犯行に及ぶというのは、よくあるパターンだ。 静岡県浜北市に住む家具職人、白石正昭(56)は2003年秋頃、市内のスポーツクラブで会社員の女性(35)と知り合いになり、交際するようになる。白石は妻子がいる身であり、よくある不倫関係であった。 その後、しばらくは関係が続いていたものの、不倫はどこまで行っても不倫である。いつまでも続くわけではない。2人が出会ってから半年ほど経った2004年3月頃、女性のほうから別れ話を切り出された。 「別れたいだと。ふざけるな!」 女性からの申し出に、白石は激怒。「オレは別れないぞ!」などと、女性に詰め寄った。 だが、すでに白石には嫌気が差していた女性は完全に拒絶。すると、逆上した白石は女性宅に押しかけ、こともあろうにナイフを手にして彼女を脅した。 これには女性もたまらず、警察に通報。白石は銃刀法違反に問われ、罰金を払うよう略式命令を受けてしまう。 普通はこれで懲りるものだが、白石はよほど不服だったのか、女性に対する新たないやがらせを実行した。 2004年7月半ば頃、女性の自宅に白石から宅配便が届けられた。かなり大きなものだったため不審に思いながら、彼女は包みを開けてみた。 そして、その中から現われた品物を見たとたんに、まさに背筋が凍りつく思いだった。 荷物の中身は、手作りの「ワラ人形」だった。それも、「丑の刻参り」などで見かけるような小さいものではなく、40センチ以上もある巨大なものだった。しかも、家具職人である白石によって作られたものだったので、細部までかなり精巧に仕上げられていた。 その胴体には女性の氏名とともに、「祟り」「怨念」などと書かれた紙が貼り付けられ、五寸釘が打ち付けられていた。しかも、血が滴っているかのように、赤い絵の具まで塗りつけられている代物だった。 加えて、その後白石は女性に対して数十回にもわたって無言電話を繰り返してつきまとったために、2005年1月にストーカー規制法違反などによって警察に逮捕された。 無言電話も迷惑に違いなかったが、何よりリアルに作られたワラ人形が不気味であったことは、捜査を担当した警察官ですら「ゾッとした」といわれている。(了)
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社会 2010年02月16日 15時00分
男と女の官能事件簿 大阪連続女性監禁事件(4)
警察の取り調べによって、大阪・茨木市の森田篤志(42)は11年の間、判明しただけでも5名もの女性を監禁し、継続的に暴行していたことが明らかとなった。 森田は出会い系サイトやお見合いパーティなどで女性と出会うと、最初は優しく振舞い、部屋に連れ込むとたちまち態度を急変、暴力的な言動や行為で女性を逃げられないようにしていた。 森田は女性たちにろくに食事も与えず、「ちゃんと返事をしろ」「どこを見ている」などと、些細なことで言いがかりをつけては、顔などを力任せに殴りつけた。暴行は素手だけでなく、木刀や木の棒などを使って行われた。時には女性を皮製のベルトで縛りつけ、包丁を突きつけたり、ライターの火を押し付けたりしたこともわかった。 当然、女性たちは悲鳴を上げ逃げ回った。しかし、彼女たちが監禁されていた部屋は、窓も目張りされ、外からは音も光も入らないようにされていた。しかも、電灯は小さな電球がひとつだけ。そんな暗い閉ざされた部屋の中で、食事も与えられずに連日暴行を加えられ、女性たちは衰弱のあまり抵抗する気力もなくなっていった。そして、一種の「マインドコントロール状態」となり、逃げたくても逃げられなくなってしまうという。 それでも、なかには森田の隙をついて、「助けて」と書いた紙を外に見せようとした女性もいた。しかし、そのメモが森田に見つかってしまった。 「逃げようとしたな!」 激怒した森田は、木刀などを手に、さらにひどい暴行を彼女に与えた。 「ごめんなさい、許してください!」 おびえ、泣き叫ぶ彼女に、森田は容赦ない暴力を加えた。女性の体は、皮膚が破れ、血が噴き出す。それでも森田は暴行をやめなかった。 事件発覚後、森田の部屋には折れた木の棒や木刀、手製の革ベルトなどが散乱していたという。 警察の取り調べに対して、森田は犯行を完全に否認。そして横柄な態度で、反省や謝罪の言葉など一切その口から出ることはなかった。それどころか、「被害弁償した金を返してほしい」などと豪語する有様だった。 2007年9月3日、大阪地裁は森田に対して、「女性の人格、人権を踏みにじった残虐な犯行。反復性も強く、反省もみられない」として、懲役20年の判決を下した。森田は控訴したが、翌年に大阪高裁でも、森田の行為は「残忍極まりない」として、同じ懲役20年が言い渡された。(了)
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社会 2010年02月15日 15時00分
男と女の官能事件簿 大阪連続女性監禁事件(3)
父親の会社がバブル崩壊によって倒産し、失業状態となった森田篤志(42)だが、その後は定職にもつかず、かろうじて残った父所有のマンションの管理人として生活していた。 さて、事件が発覚する2年前の2004年3月、森田の住む部屋からやはり衰弱した29歳の女性が保護され、病院に搬送されたものの死亡した事件が起きていた。 ところが、この時にも不審な点はいくつもあったものの、女性が浴室で発見され、死因が「凍死」とされたために事件として取り上げられることはなかった。 だが、似たような事が2回も起きていることに、さすがの警察も無視はできなかった。そして、森田を逮捕し捜査を進めていった。すると、森田が管理人という立場を利用して、女性を次々と監禁していた事が明らかとなっていった。 いちばん最初は、1995年6月頃、伝言ダイヤルで知り合った大阪市内に住む20歳の女性を自宅に連れ込み、約半年間監禁した。その際、女性に「お前には悪霊がとりついている」などと言って脅して逃げられないようにしていた。 次いで97年には行きつけのスナックで働いていた22歳の女性に、「借金を肩代わりしてあげる」などと言って、女性の2歳になる息子と一緒に自宅へと連れ込んだ。 ところが、部屋に入ると森田は態度を急変させて、「俺の言う通りにしろ」などと、女性に殴るなどの暴行を加えた。 そして、女性ばかりか彼女の息子までも毎日のように暴行を加えられ、しかも食事はほとんど与えられなかった。 幸い、2週間ほど経った頃、女性は森田が外出した隙をみて電話で実家に助けを求めたため、駆けつけた母親によって2人は助け出されたが、女性は肋骨をおる大ケガをしており、息子も体中に殴られたあざがあった。 さらに、同じく97年にもうひとりの20代女性を監禁している。この時、女性は下着姿のままで放置されていた。 2003年9月、出会い系サイトで知り合った29歳女性を半年も監禁。この女性が、森田の自宅にある浴室で心肺停止状態となって発見される。 2005年には出会い系サイトで知り合った32歳の女性をクルマで連れ回し、ホテルを転々として監禁。そして今回、お見合いパーティで知り合った24歳の女性を半年間も監禁していたのであった。(つづく)
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社会 2010年02月13日 15時00分
男と女の官能事件簿 大阪連続女性監禁事件(2)
大阪府茨木市のマンションの一室で衰弱した女性が保護され、通報した同居人の森田篤志(42)が逮捕監禁などの容疑で逮捕された。女性は24歳だというのに、体重が30キロほどにやせ細っており、しかも体には火傷や打撲などの跡が生々しく残っていた。 そして、警察の捜査によって、森田が女性を監禁してろくに食事も与えず、両手を縛って暴行を加えるなどの虐待を続けていたことが明らかになっていった。 さて、この森田という男、もとは裕福な家系に生まれた、いわゆるボンボンとして育った。 森田の祖父は、市内数か所に土地を所有する資産家で、父親も地元で建設会社を経営していた。犯行現場となったマンションも、父親の会社が所有しており、森田は犯行当時、管理人として住んでいた。 森田の一族も一時期はかなり羽振りがよく、地元でも知られた存在だったという。森田一家は「いつもきれいな服を着て、いかにもお金持ちという感じの上品な家族」といった感じだったようだ。 また、事件の10数年前までは、マンションの一階で森田の母親が喫茶店を開いており、森田も姉や弟たちと手伝いをしていた。その頃の森田は、「明るくて愛想のいい青年」として、近所でも評判だったらしい。学校を卒業後も、森田は父の建設会社でまじめに働いていた。 その一方で、森田のいわば「影の顔」も早くから現われていたともいわれている。 甘やかされて育ったためか、小学生の頃から森田にはわがままで自分勝手な傾向があったという声も少なくない。それが女性に対する興味に傾いて、いくつかの事を起こしているという。 たとえば、小学生の頃には、マンションの一室に女の子を連れ込んでイタズラしようとしたことがあった。この時は女の子が逃げ出して事なきを得た。 しかし、中学に入ってからも、ストーカーまがいの行為をして近所で騒ぎになったことも。 そうしたことがある度に、家族は相手に何度も詫びを入れて、なんとか事を収めていた。時には現金で解決することもあったとも言われている。 ところが、90年頃のバブル経済崩壊によって、父の会社は倒産してしまう。何の不自由もなく育った森田も、失業状態となる。そして、森田の人生の歯車が、大きく外れていくこととなる。(つづく)
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社会 2010年02月12日 15時00分
男と女の官能事件簿 大阪連続女性監禁事件(1)
大阪府茨木市の消防本部に、「同居している女性の体調がおかしくなった」と119番通報があったのは、2006年7月15日の午前10時頃のことだった。 そこで救急隊員が通報のあった総持寺町のマンションに駆けつけると、そこには目を疑うばかりに衰弱した女性がいた。 24歳の会社員というその女性は、とりあえず意識があり、自分の名前を名乗ることができた。 しかし、その体はひと目見て極端にやせ細っており、自力では満足に歩くこともできないような状態だった。 しかも、女性の姿が異様だった。夏とはいえ衣服らしいものはほとんど身に着けておらず、介護用の紙おむつ1枚という有様だった。 女性はすぐに救急隊によって病院に運ばれた。医師の診断の結果、やはり極度の栄養失調で、体重はわずか30キロほどしかなかった。また、女性の体にはいくつもの火傷の跡があることもわかった。 「これは虐待のようなものではないのか」 救急隊員や医師たちがそう思うのも、無理のないことであった。 さらに、女性が住んでいた自宅を出てから、半年近くも行方不明になっていたことも判明した。 こうした事実に、警察も疑いの目を向けた。そして捜査を進めた。そして8月3日、大阪府警捜査1課と茨木署は、それまで女性と同居しており、救急に通報してきた森田篤志(42)を逮捕監禁と傷害の容疑で逮捕した。 逮捕された時、森田は事件が起きた現場のマンション3階の、自分の部屋に潜んでいた。そして8月3日の未明、捜査員のひとりが森田の携帯電話に連絡したところ、「自分の部屋にいます」と答えた。そこで捜査員は、部屋にいた森田の前で逮捕状を読み上げてから言った。 「わかっているな」 すると森田は、観念したのか「はい」と返事をすると、素直に警察に同行したという。 むしろ、そのまえに行われた、保護された女性への事情聴取はなかなか進まなかった。入院生活によって体力が回復してきたが、精神状態が極めて不安定だった。まるで何かにおびえているような状態で、ろくに話を聞くこともできなかったからである。 「本当に、どんなひどい扱いを受けていたんだ」 そして、警察の取り調べによって、森田が女性にどんな「ひどい扱い」をしていたかが明らかになっていった。(つづく)
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社会 2010年02月11日 15時00分
男と女の官能事件簿 無関係の男性を「レイプ未遂犯」にした身勝手な人妻(4)
「わいせつ行為をされた」というウソの訴えで逮捕された青木善正さん(63)が、そのデタラメな被害届を出した吉野諒子(51)を虚偽の告訴をしたとして訴えた刑事裁判の判決が、2003年8月に福島地裁で下された。 「主文、被告を懲役1年に処する」 諒子に対して有罪の判決だった。判決の言い渡しで、裁判長は「平然とウソをつき、無実の人を罪に陥れようとしたのは言語道断」と述べた。 さらに裁判長は、青木さんについても、「いわれのない罪で19日間も逮捕、拘留されたうえ、著しく名誉を傷つけられ、社会的経済的信用を失った。苦痛、憤激は十分察する事ができる」と理解をしめした。諒子の「夫の気持ちを確かめたかった」という犯行動機についても、「あまりに浅はか」と斬り捨てた。 どこからどう見ても、青木さんの完全勝訴であった。 ところが、この判決が下されても、諒子は反省や謝罪の言葉すら一切口にすることはなかった。それどころか、「量刑不当」を理由に、即日控訴した。 つまり諒子は、24年間まじめに働いてきた人の生活と家庭をメチャクチャに破壊したにもかかわらず、「懲役1年は重過ぎる」というのである。 これに対して青木さんは当時、雑誌のインタビューなどに対して「懲役1年でも軽すぎるくらいだ」と憤慨している。当然の感情だ。 しかも、判決の少し前には、諒子は青木さんに手紙を送っている。そこには、〈私のウソが大きなあやまちになって(中略)本当に申し訳ありません〉などと謝罪めいた言葉で始まってはいるものの、よく読めばただの言い訳と、少しでも罪を軽くしてもらいたいという都合のいい弁明で埋め尽くされていた。 諒子の行動には、青木さんに償おうとか、自らの行為を反省するとか、そういったものはカケラも見当たらなかった。 そして、諒子は控訴したものの、仙台地裁はこの訴えを却下。2004年2月には、諒子はこれを不服として最高裁に上告している。諒子は結局、「自分は悪くない」という考えが最優先なのだろう。 ちなみに最高裁では、憲法違反などよほどのことがない限り、判決がひっくり返ることはない。 単に「夫の気を引きたい」という、あまりに身勝手な理由でまったく無関係の青木さんを事件に巻き込み、しかも謝罪もしない諒子は、現在どこでどうしているのだろうか。(了)
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社会 2010年02月10日 15時00分
男と女の官能事件簿 無関係の男性を「レイプ未遂犯」にした身勝手な人妻(3)
主婦の吉野諒子(51)による被害届によって、まったく身の覚えのない「強制わいせつ」の容疑で逮捕された青木善正さん(63)は、「ウソの被害届が原因で社会的な信用を失った」として、諒子に対して損害賠償を求める裁判を起こした。 そして、2001年の11月、福島地裁会津若松支部は、「わいせつ行為が行われた事実はなく、(諒子の)被害届は虚偽」と認め、諒子に対して150万円の支払いを命じる判決を下した。裁判官は、諒子のウソをすべて見抜いていたのである。そして、青木さんの言い分が、全面的に認められたということである。 これに対して、諒子はすぐに控訴した。だが、翌年の2002年4月、仙台高裁は諒子の控訴を棄却し、判決が確定した。 この民事訴訟での判決が確定したのを受けて、青木さんは諒子を虚偽告訴容疑で会津若松署に同年6月に刑事告訴した。民事で敗訴したにもかかわらず、なおも青木さんを「わいせつ犯」扱いし続ける諒子に、生活も仕事も、すべてをメチャメチャにされた彼は、どうにも我慢がならなかったのであろう。 警察は捜査の結果、翌2003年4月に諒子を書類送検。7月には福島地検が、諒子を虚偽告訴罪で福島地裁に起訴した。 そして、8月4日に福島地裁で行われた初公判で、諒子は「青木さんがわいせつ行為を行った事実はなく、提出した被害届けの内容はまったくのウソ」であるとようやく認めたのである。 しかも、そのウソをついた理由というのが、驚くべきものであった。 諒子は公判で、次のような旨を法廷で明らかにした。 「夫にあまり構ってもらえなかったので、事件の被害者になれば夫が自分に親身になってくれると思ってやった」 つまり、自分の夫の気を引きたいという、それだけの理由から、まったく落ち度のない青木さんを、こともあろうにレイプ未遂の犯人に仕立て上げたのである。 しかも、青木さんが警察に逮捕されるという事態になっても、諒子は平然とウソをつき続けた。警察の捜査に対しても、「わいせつ行為を受けた」というありもしない完全なデタラメを、スラスラといい続けたのであるから、まさに身勝手、自分さえよければ他人はどうなってもよいと考えていたとしか思えない。 そして、2003年になって、諒子に対する刑事事件での判決が言い渡される日がやってきた。(つづく)
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社会 2010年02月09日 15時00分
男と女の官能事件簿 無関係の男性を「レイプ未遂犯」にした身勝手な人妻(2)
身に覚えにない「女性に対するわいせつ行為」によって、ある朝いきなり逮捕された青木善正さん(63)。検察によって不起訴処分となったものの、その逮捕の影響はあまりに大きかった。 まず、逮捕された際、すでに県内で新聞に実名で事件が報道されてしまっていた。そのことによって、青木さんは事実無根の「わいせつ犯」という目で見られてしまう。 しかし、そうした事実無根の風評は、精神的な屈辱とどまらず、「実害」として現実のものとなって現われた。 青木さんは妻と息子の3人で1977年から建材会社を経営していたが、事件直後から「ハレンチな事件を起こすヤツとつき合いはできない」とばかりに、取引の打ち切りが相次いだ。県内に200社はあった取引先は、事件後には5分の1以下に激減した。 さらに、銀行などの金融機関までも、青木さんが警察沙汰になったとの理由から取引を停止されてしまう。 そこで青木さんは、釈放後の同年10月、「虚偽の被害届によって逮捕され、社会的な信用が著しく損なわれた」として、諒子を相手取り、300万円の損害賠償を求める訴訟を地裁会津若松支部に起こした。 しかし、訴訟の結果が出るまでにはかなり時間がかかる。その間、青木さんの会社の経営状況は急激に悪化していった。そして、事件から1年後の2001年8月、ついに廃業を余儀なくされる。事実上の倒産だった。 それまでは、まじめにコツコツと働いて普通に生活していた青木さん夫婦と息子は、生活にも困るようになっていった。 廃業時、気がつけば数千万円の借金ができてしまっていた。廃業した社屋の一部を貸店舗にしたものの、家賃収入は13万円程度。それに受給した年金を合わせても、銀行への返済ですべて消えてしまう。廃業後に青木さんは、慣れないアルバイトをして生活費の足しにしている。それでも、暮らしは非常に厳しい。 さらに、青木さんの息子も失業状態となり、その後離婚してしまった。 一方、青木さんが起こした民事訴訟の口頭弁論では、諒子は真っ向から争う姿勢をみせた。 「たしかに青木さんからわいせつ行為を受けた」 「被害届は本当。私はウソなんてついていない」 あくまで青木さんからの「わいせつ行為」を主張し続けたのである。 そして、2001年11月に、福島地裁会津若松支部判決で言い渡された。(つづく)
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社会 2010年02月08日 15時00分
男と女の官能事件簿 無関係の男性を「レイプ未遂犯」にした身勝手な人妻(1)
2000年9月7日の朝7時頃、福島県会津若松市で建材会社を営んでいた青木善正さん(63)の自宅に、警察官がいきなりやってきた。 「署まで連行する」 まだ朝食もとっていなかった青木さんは、そのまま半ば強制的に身柄を拘束され、会津若松署へと連れて行かれた。そして、取調室で聞かされたのは、青木さんにとって驚くべきものだった。 「女性に対する強制わいせつの容疑で逮捕する」 同署の刑事によれば、市内に住む主婦、吉野諒子から、青木さんが「夫の留守中に自宅に上がりこみ、私を押し倒して馬乗りになり、上半身を撫で回されたり、下半身をいじられたりするなどのわいせつ行為を受けた」と被害届が出されたというのだ。 これは、青木さんにはまったく身に覚えのないことだった。 ただし、「被害者」の諒子とは、たしかに事件の一週間前に会っていた。といっても、諒子の夫が材木業者で、仕事の話をするためにクルマでその自宅を訪れた。 ところが、時間を約束していたにもかかわらず当の業者が留守だった。すると、「夫はすぐに戻りますから」というので、妻の諒子と40分ほど世間話をしていたが、業者が帰宅しないので青木さんは帰った。わいせつ行為など一切していない。 そこで青木さんは、「そんなことは、何もしていません」と否認した。当然のことである。 ところが、取り調べに当たった3人の刑事たちは、ものすごい形相で青木さんに迫った。 「お前がやったに決まっている。100%間違いないんだ!」 「さっさと容疑を認めろ!」 刑事たちは、青木さんの言い分など聞こうともしない。取り調べではなく、自白の強制そのものだった。 だが、本当にやっていないものを、「やりました」と言うことはできない。それらしき行為があったというのならまだしも、諒子のほうから「家に上がって待っていて」と言われ、ただ世間話をしていただけである。 そして、何よりも容疑を裏付ける証拠がひとつもない。あるのは、諒子が警察に出した被害届だけである。 にもかかわらず、刑事たちは「自白しろ!」「容疑を認めろ!」の一点張りである。それでも、青木さんは否認し続けた。 青木さんの拘留は19日間にも及んだ。警察は送検したが、検察は嫌疑不十分として不起訴処分とした。(つづく)
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社会 2010年02月08日 14時00分
草食系を超える?? 「昆虫男子」とは?
昨年から「草食男子」という言葉をよく聞くようになった。協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛には積極的ではないタイプのことで、近年、増加傾向にあるという。そんな中で、『草食系男子の恋愛学』(森岡正博著)など「草食系男子」についての本が続々と刊行され、一種の社会現象となった。 ただ、巷ではそんな「草食系男子」を超える「昆虫男子」と呼ばれる男子が今、話題になっているのをご存じだろうか? 「昆虫男子」とは「草食男子」とは逆に女性に対して果敢にアタックをするも女性から相手にされない男のことらしい。その主な要因は「見た目のとっつきにくさ」が挙げられ、“無視”と“虫”をかけているという。話を聞けば「草食男子」より可哀そうな人種と言えるかも…。 「昆虫男子」を見分けるポイントは3つ。「見た目がとっつきにくい」、「人と話すときに目を合わさない(特に女性と)」、「昆虫と話す」が挙げられている。新人類の登場に各界も黙ってはいない。4月3日から公開される哀川翔主演の映画『昆虫探偵 ヨシダヨシミ』は昆虫男子の中の昆虫男子(なんてたって昆虫とお話ができちゃう!?)があることをきっかけに恋をして生まれ変わるというストーリー。「昆虫男子」の生態研究にはもってこいの作品かもしれない。 女子を形容する言葉としては「肉食女子」なんて言葉があるが、男子を形容する言葉は「草食」であったり「昆虫」であったり…。ますます男性は女性に頭があがらなくなっていくのかもしれない。*写真はイメージです
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社会
谷隼人が都知事選候補者を応援
2007年04月02日 15時00分
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社会
都知事候補 黒川氏がメイドさんと“合体”
2007年03月31日 15時00分
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社会
都知事選 ドクター中松、夜の渋谷交差点で新発明「回転舞台」披露
2007年03月30日 15時00分
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社会
都知事選 石原氏「厳戒歌舞伎町演説」で語った手柄話
2007年03月29日 15時00分
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社会
石原陣営に焦りアリアリ!? 今朝の政見放送でまさかの慎太“老”ぶし炸裂!!
2007年03月28日 15時00分
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社会
都知事選政見放送で仰天マニフェスト
2007年03月27日 15時00分
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社会
都知事選「浅草雷門で時間差対決、石原VSドクター中松」
2007年03月26日 15時00分
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社会
都知事選 浅野スニーカー街頭演説でセクシーポーズ
2007年03月24日 15時00分
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社会
都知事選 石原氏満員電車でGO!
2007年03月23日 15時00分
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社会
都知事選きょう告示、石原氏ら第一声
2007年03月22日 15時00分
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社会
桜金造都知事選正式表明
2007年03月20日 15時00分
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社会
都知事選 黒川氏が石原知事をホリエモン呼ばわり
2007年03月19日 15時00分
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社会
ホリエモン実刑
2007年03月16日 15時00分
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社会
丸山弁護士東京都知事選出馬へ
2007年03月09日 15時00分
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社会
石原カジノ構想消滅!?浅野氏に“追い風”吹く
2007年03月07日 15時00分
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社会
上層部スタッフが告発 NOVA 怪文書
2007年02月21日 15時00分