社会
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社会 2010年01月25日 14時30分
さらば、さくらや
メールさえあまりくれない友人から本当に久しぶりに電話があった。仮にアメリカ在住のベン君としておく。ベンは90年代の後半、早稲田大学と国際基督教大学に留学していた。外国人にありがちなおかしなイントネーションを全く感じさせない日本語を話す白人だ。5年前位に成田空港で偶然に会ったのが最後だ。 ベンは自分の近況を簡単に説明し、私の家族や仕事の塩梅を聞いて、訊ねた。「『さくらや』がなくなるんだって?」ビックリした。たしかに『さくらや』は来月2月28日をもって全店舗を閉めるそうだが、彼にとっては日本航空が法的整理をされたことより大きなニュースだったらしい。「日本に住んでたときにさあ、よく『さくらや』で買い物したもの」、ベンにとっては他の量販店に比べて煩わしくない接客が大のお気に入りだったそうだ。私もベンと同様に学生時代からよく『さくらや』でお世話になった。ビデオデッキ、大型テレビなどの電化製品は殆んどが『さくらや』のものだった。特に思い出深いのは、初めての給料で購入したスピードマスターや、彼女(現妻)に買ったサントスはウオッチKANで選んだものだ。 急に居ても立ってもいられなくなって、午前中の1時間だけデスクに座り、行動予定表ボードに“新宿”とだけ書き込んで10時30分に会社を出た。社長、許して。山手線の新宿駅を平日のお昼どきに下車するなんて久しぶりだ。階段を上がって東口の地上に出ると、昼食場所を捜して歩く近くの会社に勤める人々も多いが、学生からお年寄りまで予想を上回る混み具合で少し驚いた。 『さくらや』といえばこの店舗、あまりにも有名な新宿東口駅前店だろう。1980年代にはフィル・コリンズの代表曲の1つである“Take Me Home”のミュージックビデオの中、主要都市のランドマークとして世界中に知れ渡った電飾看板、当時は『カメラのさくらや』だったあの店舗だ。今は店内に大きく告知された閉店の文字を見ると複雑な心境になる。たまたま顔見知りの店員さんを見つけて声をかけた。2年くらい御無沙汰していたのに私のことをちゃんと憶えていてくれた。ありがたい。店内の商品は一律20%OFFになっていたが、交渉次第でもっと安くなるそうだ。ただし、先週の週末、怒涛のような買い物客に売れ筋は殆んど買われてしまったそうだが。 15日の土曜日には一日だけで二千数百万円の売り上げがあったらしい。「この日みたいに今までコンスタントに売れていれば生き残れたんでしょうけどね。ま、閉店セールだからしょうがないですよね。皮肉なものですよ」と笑っていたが、現状で決定している事として2月28日の閉店後は450人近くいる全社員の30人がベスト電器へ、130人がビックカメラで再雇用される以外は全員解雇らしい。 私が学生時代にアルバイトをしたハンバーガーの『ウエンディーズ』も先月全店舗閉鎖した。自分の中の思い出が次々に消えていくような気分だ。ああ、とりあえず早いところ景気が上向かないものだろうか…ああ、それと、件の店員さんが言っていたけど、「あと1週間くらいしたら、展示品のセールをしますんで、その時はもっと勉強させてもらいますよ」と。また来週来ます。<プロフィール>青山はじめ、宮城県仙台市生まれ。大学を中退後、フィリピンのニュース社でアルバイト。帰国後はなんでも屋を開業しつつ、フリーのライターも兼業している。
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社会 2010年01月23日 16時30分
ロマンス力を磨け! 日本ロマンチスト協会
日本ロマンチスト協会をご存じだろうか? 少し恥ずかしくなってしまう名称を持つこの団体だが、今、注目を集めている。そこで同協会を取材、気になる活動などを聞いた。 年間の代表的な活動としては長崎県愛野町で行われる『ジャガイモ畑の中心で愛を叫ぶジャガチュー』と『6月19日のロマンスの日』があるという。「ジャガチューは収穫前のジャガイモ畑でロマンティックに叫び、その甘く叫ばれたジャガイモをロマンスポテトとして販売していこうという試みです。ロマンスの日は大切なパートナーとのホスピタリティ向上のための“きっかけづくり”として活用していきたいです」。解説してくれたのは同協会の事務局長。これらの活動はいくつかのメディアで取り上げられている。 気になるのは設立の経緯だ。「2008年当時、地球温暖化などのソーシャルキャンペーンがはやっていました。しかし地球規模の問題を考える前に自分たちは身近な大切な人を幸せにすることができているのかと考え、“身近な人を幸せにできる人=ロマンチスト”という定義のもと最初は4〜5人でスタートしました」(事務局長)。名前だけから推測すると軟派な団体ではと思ってしまうが、実はとっても熱い趣旨があるのだ。賛同する人は徐々に増え、今では750人程度が関わっているという。 最後に事務局長は「恋人や家族との関係をしっかり考えることができるロマンス力のある人は仕事でも成功するはずです。また協会のメンバーがロマンチスト(身近な人を幸せにできる人)になっていけば自然と活動も広がっていくはずです」と熱く語ってくれた。 環境問題、景気後退など現代社会には多くの問題が存在する。もちろんそれらの問題を真面目に考えることは大切だが、その前に日本ロマンチスト協会で身近な大切な人について考えてみてはいかがだろうか。
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社会 2010年01月23日 15時30分
男と女の官能事件簿 同棲相手を殺害し頭部を切断した歯科助手の女性(2)
神奈川県大磯町のアパートで、会社員の奥田正哉さんが頭部を切断された遺体で発見された事件で、同棲相手だった歯科助手の相原芳美が逮捕されたのは、事件発覚から2日後の午前中のことだった。 芳美は小田原市内の高校を卒業後、2001年頃から大磯町内にある歯科医院で歯科助手として働くようになる。高校時代もとくに問題などはなく過ごしていたらしい。友人も多く、カラオケなどが好きな明るい高校生だったという。 歯科医院での勤務もまじめで、口数は多いほうではなかったようだが、常識的で会話やあいさつもキチンとできる、ごく普通の女性であった。医院のスタッフや来院する患者たちからも、一様に信頼されていたという。 一方、奥田さんは、やはり2001年頃に交際していた女性が妊娠し、いわゆる「できちゃった結婚」をする。横浜市内に新居を構え、子供も無事に生まれたものの、どうやら結婚生活はうまくいかなかったようで、2003年に離婚する。 その後、実家のある厚木に引っ越してきた。芳美と出会ったのは、どうやらその頃らしい。 そして、交際を始めた奥田さんと芳美は、2004年の9月頃から同棲を始めたらしい。 同棲というと、一方がもう一方の住まいに転がり込むというケースがよく見られるが、2人の場合はわざわざアパートを新規に契約して同棲生活を開始したという。 しかも、アパートの契約は、芳美が行ったとみられている。もともと芳美は地元であり、彼女の実家は2人が住んでいた、つまり事件のあったアパートからクルマでわずか15分程度の場所にあった。あえてアパート暮らしを選ぶほど、芳美は奥田さんとの生活に期待していたのだろうか。 当初は、同棲生活も順調だったようだ。だが、しだいに問題が表面化していく。 まず、同棲を始めた頃には、奥田さんは定職についておらず、収入がほとんどない状態だった。そのため、生活費は芳美がほとんど出していた状態だった。 それでも、奥田さんはなかなか職につこうとしない。その上、趣味のサーフィンには頻繁に出かけていた。 そんな状態を、歯科助手の給料だけでまかなうのは困難だった。そこで芳美は、同棲開始直後から平塚や厚木のキャバクラで働くようになる。 昼も夜も働く芳美に対して、奥田さんはヒモのような暮らしを続けていた。(つづく)
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社会 2010年01月22日 15時30分
男と女の官能事件簿 同棲相手を殺害し頭部を切断した歯科助手の女性(1)
神奈川県大磯町のアパートの一室で、その部屋に住む会社員の奥田正哉さん(29)が遺体で発見されたのは、2006年5月11日の午前11時30分頃のことだった。 前月の29日、奥田さんから「体調が悪いので仕事を休ませてほしい」と勤め先に連絡があったのを最後に、2週間近く経っても連絡がないままだった。そこで、不審に思った彼の父親がアパートを訪れたところ、死亡している息子の姿を発見したのである。 ところが、その様子は普通ではなかった。室内は血の海となり、そのなかに奥田さんは、下着姿でうつぶせの状態で倒れていた。 そして、その頭部が切断され、遺体の近くに転がっていたのだ。 遺体は死後1〜2週間ほど経っており、畳が出血を吸い込んでどす黒く変色していた。また、遺体の腐敗も進んでおり、部屋には異臭が充満していたという。 そして、遺体の胸には複数の刺し傷があり、室内からは凶器と見られる包丁も見つかった。奥田さんが何者かに殺され、首を切断されたことは明白だった。 事件翌日、神奈川県警は、奥田さんと同棲していた元歯科助手の相原芳美(26)を、殺人容疑で逮捕した。 芳美は4月末にいきなり勤めていた歯科医院を退職し、行方をくらませていた。警察は芳美が事件の事情を知っているとみて行方を追っていた。一方、彼女から居場所を聞いた知人が警察に通報。その内容から県警茅ヶ崎署員が駆けつけ、JR茅ヶ崎駅付近をうろついていた芳美を発見。任意同行して事情を聞くと、犯行を認めたため殺人の容疑で逮捕された。 逮捕時、芳美はやつれた表情で憔悴しきった様子だったという。11日の事件発覚から13日の逮捕まで、近隣の藤沢市や伊勢原市へと電車で移動し、夜はマンションの非常階段などで寝泊りしたという。逃亡というよりも、自失呆然としてさまよっていたというほうが正しいかもしれない。 そして、芳美が逮捕された報せに、知人や職場の人々は一様に驚きを隠せなかった。もともと彼女は地味でおとなしい性格であり、学生時代にも問題行動などを起こしたことは一度もなかったという。勤務先だった歯科医院でも同様で、「まじめな仕事ぶりで、院長ほかスタッフから信頼されていた」という。 そして、同棲していた奥田さんとは、近々結婚する予定だったという。(つづく)
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社会 2010年01月21日 13時00分
トンデモ窃盗犯ご用 被害者は30体以上のペコちゃん!
年の初めに、とんでもない事件が明るみに出た。 今月15日、和歌山東署は窃盗の疑いで、住所不定、元暴力団幹部の男(43歳、窃盗罪で起訴)を再逮捕、大阪府門真市の塗装工の男(43)ら2人を逮捕したと発表した。 この男たちが盗んだのはなんと「ペコちゃん人形」! 3人の逮捕容疑は、2008年8月31日午後5時20分頃、三重県伊賀市の「不二家」伊賀上野店から、ペコちゃん人形1体を盗んだ疑いによるものだ。同署によると、不二家の店舗からペコちゃん人形が相次いで盗まれる事件が続き、被害は和歌山市、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、三重県など関西、近畿で30件以上に上るという。元暴力団幹部の男は「2008年8月以降、約10件の盗みにかかわった」と供述したが、塗装工の男は「喋りたくない」と容疑を否認しているという。ペコちゃん人形は時価5万円程度するそうで、当然、この犯行もネットオークションや専門店への転売目的と想像される。 お宝ブームでいろいろなグッズを収集するマニアが増え、ネットオークションの定着で意外なものにそれなりの値がつき取引される。そんな時代背景に、不況が重なった今の世の中ならではの犯罪なのだろうか。 それにしてもこの犯人たちには、米泥棒と同じような軽蔑したくなるようなみみっちさを感じる。被害に遭ったのがよく知られたキャラクターのせいか、なぜだか誘拐と同じような卑劣さを感じさせる犯罪だ。少なくとも2年前には、この犯行が行われていたことになるから、今回捕まった男たちと同一犯の仕業かはともかく、すでに何体かのペコちゃんはどこかに売られた可能性がある。 このペコちゃんたちがまだどこかに保管されてあり、全員(?)無事にもとの店に戻れることを祈りたい。今後の捜査状況を待ちたいところだ。(横浜 六太 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2010年01月20日 16時00分
男と女の官能事件簿 熟年不倫で美人ヨガ講師を殺害(2)
名古屋市のヨガ教室講師、石田京子さんが失踪した事件で、彼女と交際していた元新聞社次長の米川源次郎が彼女の殺害を自供。供述通り彼女の遺体が発見された。 米川は京子さんとの交際のことを、「妻にはない魅力がある」「毎日にように電話で話していた」「彼女は純真な人で、一緒にいると少年のころの気持ちに戻った」などと、取材に訪れた新聞記者に臆面もなく話していたという。 米川の供述によれば、事件当日、愛知県犬山市の遊歩道で、米川は京子さんから別れ話を切り出されて口論になった。頭に血が上った米川は、道端にあった石で彼女の頭を2度にわたって殴って失神させ、首を絞めて殺害。遺体から衣服をはぎとり、バッグなどの所持品を奪うと、遊歩道側の山林に埋めた。 発見された時、遺体は下着もなくシャツ1枚だけの姿で、ひどく腐敗していたという。米川は、事件当日は遺体に土をかぶせた程度にしてその場から逃走し、後日改めて現場を訪れ、さらに深く埋め直したという。 また、犯行直後には、家族に「今、名古屋にいる」などとウソの電話をかけるなどのアリバイ工作も行っていた。 そして、自分が疑われるのを想定して、事情聴取の準備もしていたらしい。警察の取り調べにウソをすらすら答えられたのも、そのためだと見られている。 さらに、米川は事件後には頻繁に京子さんの家族に電話などで連絡し、彼女の安否を気遣うような素振りを見せている。それはあたかも、自分は無実であるとの演出のようであったという。同時に、彼女の家族から警察の動きを探る目的だったかもしれない。 しかし、そうした行動はかえって怪しいものとしか感じられなかった。結局は捜査の目が米川に向けられることとなったようである。 米川は、殺人と死体遺棄の容疑で逮捕、起訴された。2005年1月に名古屋地裁で行われた公判で、米川は「最初に彼女を石で殴った段階では、殺すつもりはなかった」などとして、起訴事実の一部を否認した。 しかし裁判所は、最初から石で2度も殴るなどの事実から「未必の故意」があったと認識。米川に懲役12年の判決を言い渡した。「一緒にいると少年のころの気持ちに戻った」などと言いながら、優柔不断な態度しか取れなかった米川。分別ある年齢にもかかわらず、あまりに身勝手な犯行だった。(了)
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社会 2010年01月20日 15時30分
今年はどんな年? 干支から見る2010年
2010年も、早くも1か月が過ぎようとしている。政治、経済とも相変わらず嫌なニュースが多く、先行き不安な気がする。何か明るい話題があって欲しいものだがどうなるのだろうか。ちょっと遅いが、2010年はどんな年なのか、干支から占ってみよう。 干支とは、12種の動物による12年周期の「十二支」と、『甲乙丙…』の10年周期の「十干(じっかん)」を組み合わせ、60年周期で変化する時の機運を表すものとされている。「丙午(ひのえうま)」は誰でも聞いたことがあるだろう。また、歴史の授業で習った「壬申の乱(じんしんのらん)」や「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」も、その年の干支から名づけられた出来事だ。 さて、2010年は干支でいうと「庚虎(かのえ・とら)」。まず、十干の「庚」には、“続ける”という意味があるという。また更新の「更」にも通じ、“思い切って改める”という意味も含まれるそうだ。十二支の「寅」は、“助ける”“敬む(つつしむ)”の意味や、“枝葉が伸び始める”“示す”意味があるという。つまり「前年の道筋を継承しつつ、新たな活路を開く年周り」ということになるようだ。 ちなみに前の「庚虎」の年は1950年(昭和25年)。この年はどんな年だったかというと、「年齢の数え方が満年齢に」「朝鮮戦争勃発」「金閣寺消失」「警察予備隊設置」「プロ野球がセ・パ2リーグに」「公職選挙法公布・施行」などの出来事があった。「特需景気」が起こり、女性の平均寿命が60歳を超えたのもこの年。終戦から5年目、まだGHQの占領下であり、新しい仕組みづくりが続いていた時代だった。 今年は21世紀になって10年目という区切りの年でもある。少しぐらいはいいことがある1年になって欲しいものだ。(横浜 六太 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2010年01月19日 16時00分
男と女の官能事件簿 熟年不倫で美人ヨガ講師を殺害(1)
2004年1月2日、名古屋市千種区でヨガ教室の講師をしていた石田京子さん(53)が、「犬山市のお寺に初詣に行ってくる」と言い残したまま戻らず、そのまま行方不明となった。 家族や知り合いも、京子さんが失踪する理由などまったく思い当たるものはなかった。また、人柄の温厚な京子さんは、ヨガ教室でも慕われており、知人や友人関係でもトラブルになった形跡はない。 ただし、事件に深く関係していたと見られる人物は、早い時期から浮上していた。当時、京子さんと交際していた米川源次郎(61)である。 米川は地元の新聞社に勤務し、整理部次長にまで出世して、事件の前年に定年退職していた。そして、6年ほど前に趣味である山歩きを通じて京子さんと知り合い、彼女が教えるヨガ教室にも通うようになる。そして、京子さんと男女の付き合いを始めるようになっていく。 しかし、彼女と知り合って交際を開始した頃、米川には妻子がいた。そして、2001年頃には家族と別居し、名古屋市内のマンションに移り住んで京子さんとの交際を満喫していた。 ただし、彼女との交際は続けていたものの、離婚はしていない。 実は京子さんが失踪したその当日、家族に「初詣には米川と一緒に行く」と告げていた。 警察も当初、米川が何らかの事情を知っているとみて任意で話を聞いていた。だが、米川は「初詣には自分の家族と行くことになったので、京子さんとは一緒に行っていない。彼女とは大晦日に名古屋市内で会ったのが最後。事件当日は、彼女に『初詣には一緒に行けなくなった』と携帯電話で話しただけ」などと述べた。 事件当日、米川にアリバイはなかった。だが、そのすらすらと供述するその話し振りに、捜査員も強い姿勢を取れなかった。何を聞いても、よどみなく答える。戸惑う様子もない。 そこで、警察は事件と事故の両面から捜査を続けていた。 しかし、地道な捜査の結果、やはり米川に疑惑ありとの見方が強くなっていった。そして、警察は再び米川を追及したところ、ようやく「京子さんを殺して遺体を山に捨てた」と自供した。 そして、10月15日の午後、愛知県犬山市善師野の山林で、変わり果てた京子さんの遺体が発見された。彼女が失踪してから、実に10か月が経過していた。(つづく)
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社会 2010年01月18日 16時00分
男と女の官能事件簿 元彼との交際相手の親友を殺害したキャバクラ嬢(2)
それぞれの理由から精神的にすさんでいた香里と涼子さんは、睡眠薬や違法なドラッグなどの薬物に依存していく。 しかし、それによって2人はさらに荒れるようになり、友人関係がいっそう悪化していく。些細なことでも言い争いになったり、険悪な雰囲気が続いたりするようになっていく。香里が「クリスなんてやめよう」と言っても、それが原因でケンカになったりすることも少なくなかったらしい。 そうした状況で、香里は涼子さんから離れたがっていたとも見られている。だが、涼子さんのほうから「友達をやめたら、ただじゃおかない」などと脅されていたとも言われている。 事件後、香里は涼子さんを襲った動機として、「以前に交際していた男性と(涼子さんが)付き合っていたことが不愉快だった」と供述した。 しかし、それはきっかけのひとつに過ぎなかったのかもしれない。涼子さんは単に香里の元カレと、電話やメールのやり取りをしていただけとの見方も強い。 だが、事件が起きた頃には、2人の関係はかなり悪化していたため、その程度のことでも香里の神経を逆なでするには十分だった。 そこで事件前日、香里はその元カレに会って、「何で涼子と電話しているのよ」と問いつけたところ、これがもとで口論となる。これがストレスになってしまい、ヤケ酒をあおる有様だった。 その翌朝、偶然に出くわしたその元カレと、再び口論となってしまう。その直後、タクシーを拾うとそのまま涼子さんの実家へと向かった。まだ朝の6時である。 涼子さんの家では、母親が対応した。「涼子はまだ寝ている」と母親は断ったが、香里は無理やり家に上がりこんだ。そして、台所にあった包丁をつかむと、涼子さんの寝室に向かった。 部屋に入ると、涼子さんはまだ熟睡していた。香里は彼女を起こそうと頭や背中を何度もたたいてみたが、目を覚ます様子がまったくない。 香里は涼子さんが起きないことに苛立つとともに、彼女から受けた脅しや元カレとのことなどから、次第に怒りがこみ上げてきた。そして、寝ている涼子さんに馬乗りになると、手にしていた包丁を彼女の背中に思い切り突き刺した。 あわてて部屋に入ってきた父親に取り押さえられるまで、香里は十数回も涼子さんをメッタ刺しにし続けていた。かつての親友は、その時すでに亡くなっていた。(了)
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社会 2010年01月16日 16時30分
男と女の官能事件簿 元彼との交際相手の親友を殺害したキャバクラ嬢(1)
2005年1月、お屠蘇気分もようやく抜けた10日の朝6時頃、埼玉県入間市の住宅街で事件は起こった。市内に住む佐山涼子さん(24)が、いきなりやってきた女によって襲われ、包丁でメッタ刺しにされて殺害されたのである。 犯人は所沢市に住む原田香里(25)。2人は友人同士で、しかも最近まで親しく付き合っていた間柄だった。 犯人の香里は、高校を中退してほどなく家を出て、17歳くらいから一人暮らしを始めている。その原因は家族関係のようで、母親とは仲がよかったものの、酒乱ですぐ乱暴になる父親をかなり毛嫌いしていたという。家を出たのも、父親から逃げ出したいという思いがあったのかもしれない。 香里と涼子さんが知り合ったのは、新所沢の某キャバクラであった。店の従業員として働いていた2人は、年齢がほぼ同じだったこと、住まいが近かったことなどから、すぐに親しくなった。2人そろって別のキャバクラに移籍することもあったという。そして、お互いの身の上を話したり、双方の家を行き来したりすることも多くなっていった。 香里はアパートで一人暮らしだったが、涼子さんは両親とともに実家で暮らしていた。その涼子さんの家で、香里は何度も涼子さんの家族と一緒に食事をしたり、泊まったりということを繰り返していた。帰りが遅くなった香里を、涼子さんの父親がクルマで送ったりしたことも数え切れないという。そのように、涼子さんの家族も「娘の大事な友達」として、香里を歓迎し、もてなしていた。文字通りの家族ぐるみの付き合いだったのである。 そんな関係が4年ほど続いていたが、双方が21歳から22歳の頃から、2人の関係がしだいにかみ合わなくなってくる。 香里は以前に男との同棲や、また妊娠して中絶するといった、男女関係での辛い経験を持つ。そうした経緯から、22歳の時にうつやパニック障害、不眠症などに悩まされるようになり、心療内科に通うようになるまでに悪化してしまう。 そんな香里の状態について、涼子さんは以前は親身になって相談に乗っていた。ところが、その涼子さん自身も、同じ頃に付き合っていた男性がトラブルを起こして警察に逮捕されてしまうという事件が起きる。 こうした心身の痛みに耐えかねた2人は、つい「薬物」に頼るようになってしまった。(つづく)
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