米川は京子さんとの交際のことを、「妻にはない魅力がある」「毎日にように電話で話していた」「彼女は純真な人で、一緒にいると少年のころの気持ちに戻った」などと、取材に訪れた新聞記者に臆面もなく話していたという。
米川の供述によれば、事件当日、愛知県犬山市の遊歩道で、米川は京子さんから別れ話を切り出されて口論になった。頭に血が上った米川は、道端にあった石で彼女の頭を2度にわたって殴って失神させ、首を絞めて殺害。遺体から衣服をはぎとり、バッグなどの所持品を奪うと、遊歩道側の山林に埋めた。
発見された時、遺体は下着もなくシャツ1枚だけの姿で、ひどく腐敗していたという。米川は、事件当日は遺体に土をかぶせた程度にしてその場から逃走し、後日改めて現場を訪れ、さらに深く埋め直したという。
また、犯行直後には、家族に「今、名古屋にいる」などとウソの電話をかけるなどのアリバイ工作も行っていた。
そして、自分が疑われるのを想定して、事情聴取の準備もしていたらしい。警察の取り調べにウソをすらすら答えられたのも、そのためだと見られている。
さらに、米川は事件後には頻繁に京子さんの家族に電話などで連絡し、彼女の安否を気遣うような素振りを見せている。それはあたかも、自分は無実であるとの演出のようであったという。同時に、彼女の家族から警察の動きを探る目的だったかもしれない。
しかし、そうした行動はかえって怪しいものとしか感じられなかった。結局は捜査の目が米川に向けられることとなったようである。
米川は、殺人と死体遺棄の容疑で逮捕、起訴された。2005年1月に名古屋地裁で行われた公判で、米川は「最初に彼女を石で殴った段階では、殺すつもりはなかった」などとして、起訴事実の一部を否認した。
しかし裁判所は、最初から石で2度も殴るなどの事実から「未必の故意」があったと認識。米川に懲役12年の判決を言い渡した。「一緒にいると少年のころの気持ちに戻った」などと言いながら、優柔不断な態度しか取れなかった米川。分別ある年齢にもかかわらず、あまりに身勝手な犯行だった。(了)