未解決事件
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社会 2019年11月09日 22時30分
若き自衛官の不審死、不可解な自殺判定 噂される地元暴走族との関連とは【未解決事件ファイル】
1999年12月27日、徳島県阿南市郊外にある河川敷で当時33歳の自衛官Aさん(男性)の遺体が発見された。警察は早々に自殺であると断定し捜査を打ち切るも、遺族は独自に調査を続行。結果、自殺とするにはあまりにも不自然な証拠の数々が発見されていく。 Aさんの姿が最後に確認されたのは12月25日の夜。当時付き合っていた彼女とのクリスマスデートの帰り道、彼女を家に送り届けたのを最後に行方が分からなくなっていた。 Aさんの家族はすぐに地元警察へ捜索願を提出。警察が捜索を開始したところ、Aさんの車が路上に放置されているのが発見された。しかし、Aさんの姿は見つからず、警察は事件性なしと判断してAさんの家族に連絡するだけに終わってしまう。この時、現場の捜索は行われなかったそうだ。 それから2日後。警察が車の発見現場近くにある河川敷を捜索したところ、Aさんの遺体が発見された。警察は現場検証、遺体の司法解剖結果から、Aさんの自殺であると断定。捜査は早々に打ち切られることになった。 警察発表によると、Aさんの自殺原因は「事故を起こし、車が壊れた腹立たしさ」だったという。Aさんは遺体発見現場にたどり着く前に交通事故を起こし、橋まで車で移動して飛び降りたというのだ。死因は胸部大動脈の損傷。飛び降りる前、交通事故を起こした際に作動したエアバッグが原因と見られた。 しかし、遺族は警察の発表に納得せず。独自に調査を続行し、Aさんの本当の死因に迫った。 まず、遺族が注目したのはAさんの遺体が発見された現場状況。警察はAさんが橋から飛び降りたと説明したが、なんと橋の欄干からAさんの指紋は検出されなかったという。欄干は85㎝の高さがあり、一般男性がジャンプで飛び越えるのは現実的ではない。 さらに、遺体発見現場は橋から4.2mの距離が離れていた。普通にジャンプしただけでは届かない距離である。本当にAさんは自ら橋を飛び降りたのだろうか? Aさんが車で事故を起こしたという話にも不可解な点が残されていた。警察が発表した事故現場は橋から8km離れた位置にあるのだが、エアバッグが作動するほどの事故を起こした車で移動するのは考えられにくい。また、エアバッグの作動だけで胸部大動脈の損傷を負うのかは、多数の医師や車メーカーが疑問視したそうだ。 さらに、警察は司法解剖の結果が判明する前に、Aさんが所属していた自衛隊に死因は自殺であると連絡していたことも判明。 事件への疑念から、遺族は地元警察や県警に再三の捜査申し入れを行った。警察も二度の再捜査を実施したが、最終的には事件性なしと判断。2004年10月8日には、遺族が徳島検察審査会に審査を申し立てするも、翌2005年4月20日に不起訴相当と議決した。 最初から自殺であると決めつけていたかのような警察の捜査に遺族は納得できず、その後も調査を続けているそうだ。 実際、遺族のもとにはAさんの死に関与している犯人の情報が複数送られた。Aさんの車か定かではないが、暴走族風の改造バイクに追いかけられる乗用車、車を取り囲む男女5人の姿が事件当日確認されたそうだ。 ネット上では、Aさんの殺害に関与した暴走族が県の有力者の息子であるという書き込みもあった。実際に名前を上げられた有力者は書き込みに対し、告訴を検討したという報道がなされたが、結局裁判になったのかどうかは確認されていない。警察のずさんとも言える対応には、何か裏が隠されていたのだろうか。
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社会 2019年11月02日 22時30分
東日本大震災の裏で起きた女子高生の怪死、彼氏が首を吊った理由とは【未解決事件ファイル】
2011年2月19日、福島県南相馬市に住む当時18歳の女子高生Aさんが突如姿を消した。東日本大震災が発生するおよそ1か月前のことだ。そして、震災から1か月後の4月18日、Aさんは変わり果てた姿で発見される。一体、彼女の身に何が起きたのだろうか。 彼女の姿が最後に確認されたのは、2月19日の午後6時頃。家族に「男友達に会いに行く」と言い残し家を出た後、行方が分からなくなっていた。 2月21日には心配したAさんの家族が地元警察に捜索願を提出し、県内全域で警察による捜索が開始された。すると数日後、Aさんの携帯電話から家族や同級生にメールが送られてくる。内容は「心配しないで」「今から帰る」といったものだった。警察は携帯電話のGPSを頼りに所在確認を進めたが、その後Aさんの携帯電話は電源が切られた状態だったため、特定することは出来なかったという。 一方で警察は、2月19日夜にAさんと会っていた南相馬市に住む当時20代の男性Bを特定した。当時AさんはBと交際していたという。 警察による事情聴取でBは「Aさんとは夜に別れた」と話し、事件への関与を否定。しかし、事情聴取から数日後の2月25日、Bは自宅近くの山林で首を吊って自殺した。2月23日には山林近くにある海岸でBのワゴン車が全焼していたという。 Bはなぜ自殺したのだろうか。ワゴン車が燃えた理由も分かっていない。 3月3日からは警察による公開捜査が開始されたが、不運はさらに続く。8日後の3月11日に東日本大震災が発生。捜査は難航を極めた。 その後、Aさんの遺体が見つかったのは、震災から一か月経過した4月18日のこと。地元県警などによる震災行方不明者の捜索活動中に、南相馬市にある沼地のガレキの下からAさんの遺体は発見された。 しかし、遺体の損傷が激しく発見当初は身元不明の遺体として扱われてしまう。他の災害犠牲者同様に、警察による検視とDNA採取が行われた後、南相馬市に引き渡され火葬された。 DNA検査により遺体がAさんだと判明したのは火葬から6日後。その時には既に遺体は火葬されてしまっていたため、結局死因は特定されていないそうだ。警察は「遺体には事件性を疑わせる痕跡がなかったため、司法解剖はしなかった」と説明。その後も警察は交友関係を中心に捜査を進めているという。 失踪当日にAさんと会っていた彼氏の自殺に後日Aさんの携帯電話から送られたメール。2つの大きな謎を残したまま、事件は2019年10月現在も未解決のままである。
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社会 2019年10月26日 22時30分
半裸の腐乱死体で見つかった美人漫画家、マネージャーが証拠を偽造し物議【未解決事件ファイル】
2000年9月29日、東京都江東区亀戸のマンションで当時28歳の女性漫画家Aさんが何者かに殺害される事件が発生した。室内にあった300万円の現金は手つかずの状態で、被害者に暴行の形跡も見られなかったという。美人作家として有名だった被害者のストーカー殺人説も噂されたが、結局2019年10月現在も犯人は見つかっていない。 遺体が発見されたのは9月29日の午後1時頃。Aさん宅を訪れた国勢調査員が換気扇からの異臭に気づき、マンション管理人と共に室内に入ったところ、腐乱状態の遺体を発見したという。 発見当時のAさんの姿はTシャツ1枚だけで下半身は裸。首には絞められたような跡があったが、暴行の形跡はなかったそうだ。警察の捜査では、Aさん宅から現金300万円の他、財布や貴重品が見つかったが、どれも手つかずの状態だったことが判明した。警察は強盗目的ではなく、顔見知りによる犯行ではないかと推定。捜査の焦点はAさんの交友関係に絞られていった。 最初に捜査対象に上がったのが、Aさんが生前に活動の中心としていた同人誌の即売会コミックマーケット。作家が手渡しで作品を販売するのがコミックマーケットの特徴で、美人だったAさんには熱烈なファンが多かったという。警察はAさんの友人や仕事関係者はもちろん、コミックマーケット運営まで聞き取り調査を行ったが、結局犯人に繋がる証言は得られなかった。 次に警察が注目したのが、一部週刊誌で報じられたAさんの副業先。報道によると、Aさんは漫画家として活動する傍ら、芸能界ご用達の会員制クラブに勤務していたそうだ。捜査の手は人気芸能人まで及んだというが、空振りに終わる。 警察はさらに捜査活動を続けたが、事件に関する目撃証言がほとんど得られなかったこともあり、犯人の手掛かりを掴むことは出来なかった 新しい動きがあったのは事件から4年後のこと。2004年に放送された『奇跡の扉 TVのチカラ』(テレビ朝日)でAさんの事件が特集されたのだ。番組にはAさんのマネージャーを名乗る男性が出演し、Aさんが生前に残した手紙を公開した。内容は「私は、あと2〜3日でたぶん死ぬかもです。私が狙われてるのは間違いないです」といったもので、ストーカーに悩まされている様子が書き残されていた。 しかし、この手紙は専門家によって偽造であると断定されてしまう。さらに、偽造された手紙とAさんのマネージャーの筆跡が完全に一致。番組スタッフが問いただしてみたところ、Aさんのマネージャーは手紙の偽造を認めた。「漫画家として成功したAさんに対する妬み」が仲間内で存在し、それはマネージャーである自分にも向けられていたため偽造したと説明。 なんにせよ、事件から4年たった後に、わざわざ手紙を偽造するのは余程のこと。生前のAさんと漫画仲間の関係は一体どのようなものだったのだろうか。会員制クラブの副業も何か関連があるかもしれない。Aさんの人間関係には未だ多くの謎が残されている。
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社会 2019年10月21日 12時00分
韓国 15人連続殺人強姦魔30年後に容疑者特定
「DNAの証拠が出たなら仕方がない。いつかはこういう日が来て、俺のやったことがバレると思った」 10月1日、約30年間も未解決だった韓国犯罪史上最悪の「連続強姦殺人事件」を引き起こした李春在(56)は、釜山の刑務所でDNAの鑑定結果を警察当局に突き付けられると、こう言って観念したという。 1986年から1991年にかけて、のどかな農村地帯だった京畿道華城郡(現・華城市)一帯で起きた同事件は、カンヌ国際映画祭のグランプリ監督・奉俊昊によって2003年に映画化(邦題『殺人の追憶』)され、日本でも大ヒットを記録した。映画の題材となった事件は、5年間で計10件発生。10代から70代の女性が次々に強姦され、首を絞められて殺害されたのである。 韓国国民を震撼させたのは、その異常な手口だ。「被害女性が身に着けていた下着類で手を縛ったり目隠しをしたりして自由を奪い、強姦した後に、陰部に物を詰めるなどの手口が共通していました」(ソウル在住の韓国人記者) お見合いの帰り道で襲われた2人目の被害女性(当時26)は、着用していたストッキングで後ろ手に縛られ、用水路の中で全裸の遺体となって見つかった。 3人目の被害女性(当時25)は、履いていたガードルを口に突っ込まれ、白いパンティーを頭に被せられていたという。「李は、被害者の下着を破いて、わざわざつなぎ合わせて縛るという執着も見せていました」(同) 4人目は赤いツーピースを着た、結婚を控えた当時22歳の女性だった。両家の顔合わせを終えて帰宅する途中、バスを降りたところで襲われたのだ。彼女は、いったん全裸にされて強姦され、再び服を着せられていた。その後、ストッキングで縛られ、パンティーを頭から被せて目隠しをした状態で発見されている。 次第に犯行はエスカレート。現場からは、被害女性の体を傷つける際に使用した「血まみれの傘の柄」なども見つかった。 9人目の被害者となった当時14歳の女子中学生も、手足を縛られた揚げ句、ブラジャーを口に詰められ、ボールペンやフォークで体をひどく傷つけられていた。「女性への攻撃はすべて生きている状態で行っていたようです。映画では、女性の陰部から、いくつも桃の欠片が見つかるシーンがあり、犯人の猟奇性を際立たせていましたが、次第に国民の怒りは、事件を解決できない警察に向けられるようになりました」(同) 警察は延べ200万人を超える捜査員を投入し、疑わしい人物を片っ端から引っ張り、拷問もいとわない激しい捜査を行った。これにより、一方的に容疑者扱いされた3人が自殺し、1人は拷問の後遺症で死亡したほどだという。 当時、韓国は軍事政権下で民主化運動の真っ只中。警察はデモの鎮圧などに忙殺される中、捜査にあたっており、その手法は信じられないほどずさんだった。「映画でも描かれていますが、警察は犯行現場に〈自首しなければお前の手足は腐る〉とか〈お前はいつか捕まり殺される〉というメッセージを刻んだカカシを立てたり、占い師に頼ったりと、めちゃくちゃだった。当時は科学捜査の技術も発達しておらず、被害女性の体内から何度も精液が検出されていたにもかかわらず、事件を解決できなかった。その自責の念から自殺した刑事も出たほどです」(同) 事実、李は何度か警察の取り調べを受けながら、捜査の網をかいくぐって犯行を続けていたというのだ。 李は、1963年に華城市で生まれた。高校を出て、徴兵制度で軍に入隊した後の1986年1月、同市内の電気部品を扱う会社に就職。一連の事件後、李は清州に引っ越し、1992年に結婚していた。「平素は静かだが、一度スイッチが入ると非常に暴力的になり、手がつけられなくなるタイプ。性的な倒錯もひどかった」 元妻は、李の人柄をこう評する。彼女は、下血するほどのひどい暴力を李から振るわれ、まだ1歳に満たない息子も部屋に閉じ込められてアザができるほど殴られていたと証言している。 耐えかねた元妻が、結婚から2年も経たずに離婚を切り出すと、「再婚できないように入れ墨を入れてやる」と脅してきたという。さらに、元妻の妹(当時19)に睡眠薬を飲ませて強姦し、鈍器で殺害したのだ。「この義妹の死体もストッキングで縛られていました。李は、この義妹強姦殺害の罪で逮捕され、無期懲役の判決を下されて釜山の刑務所に収監されているのです」(前出・韓国人記者) 捜査当局は、過去に残された証拠品から新たに検出されたDNAを、現在韓国で収監されているすべての受刑者と照らし合わせ、李を特定した。 当初は関与を認めなかったというが、李が別件で逮捕されていた時期には事件が起こっていないなどの状況証拠も突き付けられ、ついに自白。現在は、自身の性的倒錯について「小学生の時に近所の年上の女性に強姦された幼児虐待のせいだ」と主張している。「その後、別の未解決事件なども自白し、殺人の被害者は15人に上ることが判明しています。単純強姦も30件以上分かっていますが、残念ながらすべての事件が2003年に時効を迎え、李が追加で法の裁きを受けることはありません」(前出・韓国人記者) DNAの一致から9回にわたる取り調べを受ける中、聞き取りをしていた女性プロファイラーに向かって、李はこうつぶやいたという。「綺麗な手だ。触ってもいいか…」
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社会 2019年10月19日 22時30分
妊娠中の主婦が1歳の娘を残して突如失踪、家族が公開した奇妙なメモの意図とは?【未解決事件ファイル】
1994年9月2日、東京都で一人の主婦が失踪する事件が発生した。当時はそれほど注目を集めていなかったこの事件。2011年にテレビ朝日で放送された特番をきっかけに日本中に知れ渡ることになる。番組で注目が集まったのは、失踪者の実家に張り付けられた奇妙なメモ。一体彼女の身に何が起きたのか。 失踪したのは当時27歳の主婦Aさん。出産を控えていたAさんは墨田区にある実家に帰省していたが、同級生に会いに行くと姉に言い残したのを最後に行方が分からなくなった。実家への帰省には1歳の娘も一緒だったという。娘を残したまま帰宅しないAさんを心配した家族が警察に捜索願を提出し、警察による捜索が開始された。 まず、警察が注目したのはAさんが会いに行ったという同級生の男性Bさんだったという。実は、Aさんが失踪した当日の夜、Aさん宅にBさんから複数回電話が掛けられていたのだ。Aさんが不在だったため電話はすぐに切られたそうだが、Bさんの話はこれだけでは終わらない。 事件翌日、家族がAさんのタンスを調べたところ、「旦那がいるのに、Bさんと付き合っていたが、裏切られた」という謎のメモを発見。不審に思ったAさんの姉がBさんに話を聞くと、なんと事件当日の昼にAさんと会っていたことが判明。さらに、「もしAさんが亡くなっていたら、私は刑に服します」と答えたそうだ。しかし、警察がBさんに事情聴取を行ったところ、Aさんの失踪への関与は確認できなかったという。 それ以降、Aさんの行方は掴めないまま17年の月日が経過する。 事件が動いたのは2011年10月13日。『スーパーJチャンネル追跡!真実の行方』(テレビ朝日系)で、Aさんの失踪が取り上げられたのである。内容自体は当時の振り返りや家族の話など目新しいものはなかったのだが、一枚の奇妙なメモにネット上で大きな注目が集まった。 Aさんの父親が自宅居間で番組スタッフの質問に答えていたシーン。Aさんの父親の後ろにある本棚に、「●●(Aさんの姉)のはなしは信じるな」と書かれたメモが張り付けられていたのだ。不可解なメモに、ネット上では「どういう意図?」「なんだか怖い」といった声が挙がったものの、番組内でメモに触れられることはなかった。 実は、Aさんが最後に残した「同級生に会いに行く」という言葉からBさんの話まで全てがAさんの姉による証言。しかし、事件後に警察がBさんに話を聞くと、「Aさんと会う約束はしていなかった」と話したそうだ。 この番組をきっかけに、事件の認知度が飛躍的に高まったものの、結局2019年10月現在も、Aさんの行方は掴めていない。Bさんとの不倫関係に番組で放送された奇妙なメモ。Aさんの失踪は身内との複雑な事情が関係しているのだろうか?
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社会 2019年10月12日 22時30分
小さな町で連続した7人の不審死、「違う、違う」と言い残し自殺とされた連続死の真相は【未解決事件ファイル】
1992年、大阪府熊取町で若者7人が相次いで死亡する事件が発生した。亡くなったのはいずれも町内在住の22歳から17歳の若者。その内7人中5人は自殺とされたが、誰一人として遺書は残していなかったという。自殺とするには不審な点が多く残され、生前に共通して「不審な車に追われている」と話していた若者たちに一体何が起きたのか。 発端は4月29日。板金工の当時17歳のAさんが地元のため池に落下し死亡した。警察の捜査でAさんがシンナーを使用していたことが確認されている。それから1か月後の5月29日、今度はAさんの友達である当時17歳のBさんがシンナー吸引による心不全で死亡した。 これだけであれば、シンナーに手を染めた若者が命を落とした事故で片づけられるのだが、不審死は連続していく。 6月4日、当時17歳のCさんが自宅そばの玉ねぎ小屋で首を吊って死亡しているのが発見された。CさんはAさんとBさんの中学時代の先輩で、Bさんとはバイク仲間だったという。さらに6月10日、当時18歳の土木作業員Dさんが以前住んでいた家の納屋で首を吊って自殺。6月17日には、当時18歳の旅館従業員Eさんが農作業小屋で首を吊って死亡しているのが発見された。6月25日、当時22歳の岸和田市職員Fさんが熊取町にある森林の中で首を吊って自殺。最後は7月2日、熊取町の女子大に通う当時19歳のGさんが大学近くにある道路で自身の胸をナイフで刺して死亡した。 DさんとEさんはCさんの結成した暴走族の仲間だったことが確認されたが、残り二人の接点は見当たらなかったという。 連鎖した自殺、彼らが死を選んだ理由は何だったのだろうか? 警察は関係者に事情を聞くなどして捜査を進めたが、遺書らしきものは誰一人として残していなかったそうだ。Dさんに至っては、当時妊娠中の彼女との入籍を控えており、友人であるCさんの葬儀で「俺たちはしっかり生きていこう」と仲間を励ます姿が確認されていた。 警察は7人の事故、自殺全てについて事件性はないと判断したが、一方で他殺が疑われる不審な点も多く残されている。 農作業小屋で首を吊ったEさんだが、遺体発見時には手首が後ろ手に縛られていた状態だったという。森林で首を吊ったFさんは木の枝にシャツを括りつけて首を吊った状態だったが、その枝は手の届かない高さにあったそうだ。Gさんは所属していた陸上部で自己ベスト記録を更新した矢先の自殺。救護にかけつけた人の前で、「違う、違う」と繰り返して息を引き取ったという。 さらに気になるのが、Dさん、Eさん、Gさんが共通して「不審な車に追われている」と周囲に話していた点だ。 また、とある記者が地元住民に話を聞いたところ、多くの人が口を揃えて「誰かに殺されたに違いない」と話したらしい。当時熊取町では原子炉施設の放射能漏れ事故でもめていたこともあり、それが関連しているのではないかという声もネット上で見られた。 一連の不審死は、本当に単なる偶然の重なりだったのだろうか―。
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社会 2019年10月05日 22時30分
「気のせいだよね?」事件直前に怯えていた女子高生、人気の少ない農道で無残に殺害される【未解決事件ファイル】
2008年5月2日の午後7時すぎ、愛知県豊田市で、県内の高校に通う当時15歳の女子高生Aさんが何者かに殺害される事件が発生した。部活の帰り道、人けの少ない農道で一体何が起きたのか。Aさんが事件直前に残した日記には、何かに怯えていたことが書かれていたが、犯人とのつながりは分かっていない。2019年10月現在も事件は未解決のままである。 事件当日、サッカー部のマネージャーを務めていたAさんが学校を出たのは午後6時45分すぎ。校門付近で友人と別れた後、自転車に乗り一人で帰宅していったという。 しかし、普段なら家に着いているはずの午後7時をすぎてもAさんは帰宅しなかった。心配した母親はAさんの携帯電話に何度も電話をかけたものの応答はなく、周辺地域を探したが結局Aさんを見つけることはできなかった。 翌日午前0時頃、Aさんの両親は地元警察署に捜索願を提出。警察は携帯会社の協力を得て、Aさんの携帯電話の位置を探索し居場所を探した。 そして同5時30分頃、捜索に協力していたAさんの両親の知人が、Aさん宅から1キロほど離れた農道で倒れているAさんを発見。すぐに警察に通報するも、駆け付けた警察官により死亡していることが確認された。司法解剖の結果、死因は窒息死であることが判明。犯行時刻は5月2日の午後7時から午後の8時とみられ、下着を脱がされてはいたが乱暴された形跡はなかったという。 夕方の農道で一体何が起きたのか。 実はAさんの遺体が見つかった農道は地元住民の間で変質者ロードと呼ばれ、犯罪多発地帯として有名だったそうだ。1カ月前にはAさんと同じ高校に通う女子生徒が若い男に押し倒される事件が発生したばかりで、地元では同一犯による犯行ではないかという声も上がった。 帰宅途中の女子高生を狙う変質者に、Aさんは狙われてしまったのだろうか。事件直前、Aさんはネット上の日記サービスで事件を予感しているような書き込みを残していた。「なんであんな日に限って見ちゃったのかなあ…ほんともういや…」「なんかこわいんだけどお母さんおそいよお」「違うんだよね…? 気のせいだよね?」、これが事件前日の書き込みである。 さらに事件当日には「気持ち悪い 部活どうしよ」と書き残していた。単なる学校生活の愚痴か、それとも自身を狙う変質者の存在を示唆していたのかは分かっていない。 この事件の後も、近隣の市内では若い女性が襲われる事件が多発しており、その数は数十件にも及ぶ。中には2019年現在も犯人逮捕に至っていない事件もある。犯人は今もまだ愛知県内にとどまっているのだろうか。
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社会 2019年09月28日 22時30分
地底湖で姿を消した大学生、事件後に本人のmixiアカウントが書き換えられた理由とは【未解決事件ファイル】
2008年1月5日、岡山県新見市にある地底湖で、当時21歳の高知大学生Aさん(男性)の行方が分からなくなる事件が発生した。水深32メートルを超える国内屈指の湖で一体何が起きたのか。被害者のmixiアカウントが何者かに書き換えられるなど不可解な謎を残したまま、2019年現在も事件は未解決のままである。 事件が起きたのは、県内屈指の規模を誇る洞窟「日咩坂(ひめさか)鍾乳穴(かなちあな)」。入り口から最深部までの奥行きが1キロ以上にも及び、県の天然記念物に指定されていた。 同日、中国地方の大学が集まって開かれた合同合宿に参加していたAさんは、午前11時30分ごろに5人のメンバーと共に鍾乳穴に入洞。険しい洞窟の道のりを進み、入洞から約3時間後に問題の地底湖へ到着した。 一般的に地底湖は洞窟の中に存在し、海との連絡がない水のたまり場のため、流される心配はないとされる。しかし、緊急時の対応に時間がかかるため、入洞届が必要となる場合が多い。実際に鍾乳穴でも入洞届の提出が義務付けられていたが、Aさんのグループは出していなかったという。 地底湖に到着後、Aさんは調査のために一人で湖に降りていく。Aさんは命綱をつけずに着衣のままの状態だったが、時おりAさんと他のメンバーは声を掛け合いながら岸壁の調査を進めていたそうだ。しかし、突如Aさんからの反応が途絶えてしまう。 異変を察知した他の4人は全員で洞窟を脱出し、警察へ救助要請を出すことにした。午後6時15分、メンバーの一人から通報を受けた地元警察がすぐに救助活動を開始する。救助活動は県警の他にサークルOBも参加し、夜通しの作業となった。 しかし、狭い洞窟の中では満足に機材を運ぶ事も出来ず捜索は難航する。救助活動は6日間に渡って行われたが、Aさんの発見には至らないまま、二次災害への懸念もあり、1月10日に捜索は打ち切られてしまう。結局、2019年9月現在もAさんの行方は掴めていないままだ。 地底湖で大学生が行方不明になるという衝撃的なニュースは、当時のネット上でも大きな話題となった。中には、Aさんや探検サークルメンバーのSNSを調べる者も現れ、不可解な痕跡が発見された。 捜索活動が行われている最中のことである。Aさんのmixiアカウントが何者かにログインされ、ハンドルネームが変更された他に、全ての日記が削除されていたのだ。mixiは当時日本で流行していたSNSの一つで、コミュニケーションツールとして多くの人が利用していた。mixiにログインするには、登録されたメールアドレスとパスワードを入力するか、情報を記録した本人の携帯電話かPCが必要になるため、Aさんと近しい人物が操作した可能性が高いとされる。 さらに、Aさんが所属していた洞窟探検サークルのHPから部員名簿や活動内容が次々と削除された。事前にHPを閲覧していた人によると、探検サークルでは、地底湖の対岸の壁面にタッチして戻るという習慣があったことや洞窟内でケーキを食べたりするなどの不適切な行為の数々が記されていたという。事件とは直接関係ないものの、炎上を避けるために削除したのか、何か事件と関係ある情報を隠ぺいしようとしたのかは分かっていない。 Aさんが行方不明になった時に、他のメンバーが誰一人残らずに脱出したこと。その際、崖を登るためのワイヤーを撤去していたという不可解な点も残されている。また、Aさんのmixiアカウントやサークル公式HPの情報が書き換えられた点についても、具体的な説明はないままだ。他にもまだ明らかにされていない真実があるかもしれない。
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社会 2019年09月21日 22時30分
戦後唯一未解決となった5歳男児の誘拐事件、場当たり的な犯人の本当の狙いとは?【未解決事件ファイル】
1987年9月14日、群馬県高崎市に住む当時5歳の男の子、Aくんが誘拐される事件が発生した。この日の夜から2日間に渡り、犯人と思われる男から身代金を要求する電話が入ったものの、交渉は決裂し男の子は遺体となって発見される。この事件は戦後の日本で発生した身代金目的の誘拐殺人事件の中で唯一解決していないものだ。 Aくんが姿を消したのは14日の午後2時30分すぎ。家の目の前にある神社で遊んでいたAくんの姿が見当たらないことに家族が気付く。不安になった家族は町中を駆け回りAくんを探したが、結局見つけることはできず、午後6時30分に地元警察署に捜索願を提出した。 その直後の午後6時40分ごろ、Aくん宅に一本の電話が入った。「おたくの子供を預かった。2000万円ぐらいなら家にあると子供が言っている。返してほしければ2000万円よこせ、でなければ殺す」。電話を受け取ったAくんの父親によると、電話の主は中年男性らしき声をしていたという。男は続けて「警察には連絡したか」と話し、Aくんの父親が「捜索願を提出した」と返答したところ、男は「すぐに警察へ行って捜索願を取り下げてこい」と言って電話を切ったそうだ。 家族はこの電話の後、すぐさま警察に通報。捜査班がAくん宅に到着し、逆探知の準備をして犯人からの電話を待った。 犯人からの2回目の電話が鳴ったのは、それから1時間後の午後7時47分ごろ。内容は1回目の電話と同様に2000万円を要求するものだったが、通話時間が短く逆探知に失敗してしまう。 さらに20分後の午後8時ごろ、今度は誘拐されたAくんから電話。父親からの「元気か?」との問いに対してAくんは「元気、これから帰るよ。おまわりさんと一緒にいる」と話したという。しかし、この3回目の電話も通話時間が短く、逆探知することはできなかった。 翌15日は敬老の日で金融機関は休業していた。犯人からの電話もなく、いまだ身代金の受け渡し場所すら指定されていない状況だった。 事件発生から3日目の9月16日。午前7時50分、犯人から4回目の電話がかかってきた。しかし、このとき警察による逆探知態勢は解除されていた。当時の技術では長時間の逆探知には対応できていなかったためである。 犯人からの電話内容は「今日の夕方6時までに1000万円を用意しろ」というものだった。うまく聞き取れなかったAくんの父親が「もしもし、分かりません。もう一度お願いします」と返答するも男は「また電話をする」と返して電話が切れてしまう。これが犯人からの最後の電話となった。 そして同日昼すぎ、Aくん宅から5km離れた川でAくんの遺体が発見された。警察による司法解剖の結果、死因は砂や水を飲みこんだことによる窒息死であることが判明、死亡推定時刻は15日の午前10時ごろと診断された。顎を骨折しており、胃の中は空っぽの状態だったという。 なぜAくんは殺害されたのか?犯人の目的は何だったのだろうか。 犯人は身代金を要求する一方で、一度も受け渡し方法について指示することはなく、金融機関の営業日のことも頭に入っていなかった。さらに犯人は4回目の電話をかける前にAくんを殺害しているとみられる。金銭目的にしては場当たりすぎる行動の数々から、警察は犯人が異常性格者ではないかと考えたそうだ。 警察は群馬県内の素行不良者・不良債務者・変質者など6000人を調査したものの、犯人につながる手掛かりを見つけることはできなかった。結局、2002年に未解決のまま公訴時効を迎えた。 ほとんどの誘拐事件が解決した日本で、なぜこの事件だけが未解決に終わってしまったのか。2019年現在も犯人の手掛かりはいっこうにつかめていない。
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社会 2019年09月07日 22時30分
“交通事故死”と断定の男子高校生、遺族と警察が裁判で争った“他殺の可能性”とは【未解決事件ファイル】
1999年10月25日、北海道中標津町の道路脇で男子高校生が遺体で発見された。遺体の傍にはオートバイがあり、警察は早々に単独事故死であると断定。遺族は警察の断定に猛反発するも覆ることはなく、2006年10月22日に時効が成立した。 遺体で見つかったのは、中標津町に住む当時16歳のAさん。1999年10月22日の午後5時頃、友人宅で遊んでいたAさんは「別の友人の家に行く」と出発した後、行方が分からなくなっていた。 同日、夜になっても帰宅しないAさんを心配した家族は、地元警察署に通報。家族は警察、学校関係者と一緒になってAさんの行方を捜索したが、Aさんを見つけることはできなかった。 事件が動いたのは、Aさんが行方不明になってから3日後の10月25日。Aさんの捜索をしていた一人が、標茶町の道路脇で倒れているAさんを発見した。発見者はすぐさま警察に通報したものの、警察が駆け付けた時にはAさんは既に死亡していた。 Aさんの身に一体何が起きたのか、真相を明らかにすべく地元警察署による捜査が開始された。しかし、その捜査はあまりにもずさんなものだったようだ。 Aさんの遺体は病院に運ばれ、医師による死体検案診断を受けた結果、死因は「頸椎骨折による即死」であるとされた。しかし、後に誤診だったことが判明。死因は「頭と胸部の打撲による失血死の可能性が高く、即死ではなく事故後1日から2日生きていた可能性がある」と訂正された。なぜか司法解剖はされていない。 地元警察署は、Aさんの遺体の傍に中標津町内で盗難されたオートバイが転がっていたことから、早々に「無免許運転で盗難したオートバイを運転していたAさんが、カーブを曲がり切れずに立木にぶつかった単独交通事故死」と断定。これに不信感を抱いたAさんの家族は、協力を申し出た弁護団と協力し、遺体発見現場での調査や関係者の聞き取りを独自に続行したそうだ。その結果、Aさんの単独事故死とするには不自然な点が多いことが判明。 事故死とするのに不自然な点の1つ目は、発見時のAさんの遺体の状態だ。身体が仰向けで、足は揃えられており、靴や軍手が散乱していたが、フルフェイスのヘルメットは顔の右横に置かれていたという。さらに、オートバイはAさんの遺体が発見された5メートル先の斜面に立てかけてあったそうだ。現場には事故死にもかかわらずブレーキ痕が一切見られなかったという。 2つ目は、現場に残されたAさんの遺留品。10月25日の遺体発見時には発見されなかったAさんのメガネが、11月6日にAさんの家族が現場を訪れた際に発見。メガネは折りたたまれた状態で、傷一つなかったという。 3つ目は、Aさんの衣服や身体に外傷がついてなかった点である。木にオートバイでぶつかって外傷がないというのは考えにくいため、Aさんの家族はどこか別の場所で殺されたのではないかと考えたという。 Aさんの家族はその後も調査を続け、最終的に複数の法医学者から「他殺の可能性がある」という鑑定結果を得た。しかし、一向に警察は動いてくれないため、Aさんの家族は2001年10月には北海道県警に捜査資料の開示請求、同年11月には道情報公開審査会に審査を請求するも、両方とも却下されてしまう。同審査会は2003年3月、「公文書の存否を明らかにしない決定処分が妥当である」と却下の理由を説明した。 2003年11月26日にAさんの家族は、被疑者不詳の「傷害致死事件」として北海道県警に告訴。しかし、2005年12月28日に検察は「オートバイの単独事故」であると認定し、不起訴とした。そして、2006年10月22日には公訴時効が成立し、捜査は打ち切りとなった。 警察が早々に事故死であると判断したAさんの事件。その後、遺族の調査によって不自然な点が発見されたが、なぜ司法解剖は行われなかったのだろうか。本当に事件性はないのだろうか。2019年9月現在、単独事故死として処理された本件に動きは見られない。
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