未解決事件
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社会 2019年06月15日 22時30分
忽然と姿を消した美人女性記者、事件の裏に潜む「売春島」の闇【未解決事件ファイル】
1998年11月24日、三重県伊勢市で若い女性が勤務先を出た後、行方が分からなくなった。伊勢市の近くにある売春島との関連、北朝鮮への拉致、知人による怨恨。いくつかの噂が流れたまま、2019年現在も彼女の行方は掴めていない。 失踪したのは当時24歳のAさん。伊勢市にある出版社に勤め、女性記者として精力的に活動していた。失踪した当日も夜遅くまで会社に残っており、見かねた社長が帰宅を促したのは、午後11時過ぎだったという。 Aさんは実家暮らしで両親や祖父と同居していた。仕事が深夜まで及び、帰宅が遅くなることは日常茶飯事だったため、この日も両親は娘の帰宅が遅いことをそれほど気には留めなかったと、後に取材陣に話している。 しかし、結局Aさんは朝になっても自宅に帰宅する事はなかった。昼になっても出社しないAさんを心配した同僚が携帯に電話をかけたものの、留守番電話に繋がるだけだった。 事態が動いたのは翌25日の夕方。Aさんの自宅に、伊勢市内でAさんの車が長時間停まっているという電話が伊勢警察署からかかってきた。電話を受けたAさんの母親と、それを聞いた勤務先の社長は急いで現場に向かった。 警察が現場に残された車を調べたところ、何者かがAさんの所持品を盗んだ形跡があり、またAさんのものではないタバコの吸殻が残されていた。車は駐車ラインをはみ出して停められていた事も併せて、母親の目には不自然に見えたが、警察は事件性無しと判断し、Aさんの家出と断定した。その後、警察が捜査に乗り出したのは失踪から1か月後のことだった。 会社を出てから一体何があったのか。その後の警察の捜査で、Aさんは退社後に一人の男性から呼び出されていた事が判明した。この男性は以前Aさんと取材を通じて出会った人物で、失踪当日も取材関連の話をするために連絡をしたと証言。物的証拠や目撃証言がなかったため、本件では逮捕に至らなかったが、別件の監禁容疑で1999年2月逮捕。別件逮捕として、失踪事件について取り調べを行った。 取り調べで、男性は「無罪になれば全てを話す」と語り、事件への関与を匂わせていた。しかし、それ以上の取り調べが進まない中、裁判で男性の監禁容疑について無罪判決が下る。釈放されたため失踪事件での立件は出来ず、男性も一転して全ての証言を拒否した。 その後、捜査は続けられたもののAさんの行方はおろか、失踪に関わったとされる人物の特定すら出来ていない。その間、失踪に関する様々な噂がネット上に流れた。1つは、北朝鮮の拉致説。三重県から北朝鮮に向かうには本州を回る必要があるため現実的ではないのだが。もう1つは、近くにある通称「売春島」と呼ばれる三重県志摩市にある島・渡鹿野島の実態を取材しようとして、闇組織に殺害されたのではないかという説だ。 98年当時、渡鹿野島では売春が横行していたと言われている。麻薬、多重債務者の若い男女が返済のため、送り込まれたという噂も。好みのコンパニオンを金で買う、レズショーが盛んに行われるなどしていた。連れ込まれた男性はゲイショーに駆り出されたという。時には、街中で言葉巧みにナンパされた若い女性が騙されて、島に連れ込まれることもあったらしい。2013年に、島と行政機関が「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を発表。風俗島からの脱却を目指すことになってからは、廃墟のようになっているそうだ。 実際の所、売春島を取材しようとしていたのかは定かではない。 結局、別件逮捕された男性は事件に関与していたのだろうか。彼が話そうとした事件の全容とは一体何だったのか 。いまだ事件の解明に進展はないようだ。
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社会 2019年06月08日 22時30分
草むらに遺棄された16歳女子高生、ナイフを準備して待ち合わせた謎の人物とは?【未解決事件ファイル】
2004年6月20日、茨城県岩井市(現・坂東市)で警察に「財布をすられた」と2度電話をかけていた女子高生が何者かに絞殺される事件が発生した。警察に電話をかけてからわずか1時間、彼女の身に一体何があったのか。スリランカ人の彼氏、直前に購入したナイフ、事件はいくつかの手掛かりを残したまま現在も未解決のままだ。 この日、当時16歳の女子高生Aさんは午前0時頃から外で1人の女友達と遊んでいた。ファミリーレストランで食事をして、公園やコンビニで話しながら時間をつぶしていたという。午前4時頃に友達と別れ、Aさんは一人でコンビニに入っていった。 コンビニでは、おにぎりと缶コーヒーの他に、ナイフ付き工具を購入。午前5時頃、コンビニ店内にある棚の前で座り込んでいたAさんは店員に注意されて退店した。 それから45分後の午前5時45分頃、Aさんのプリペイド携帯電話から警察に通報が入った。声の主はAさんで、財布をすられたので最寄りの警察署の電話番号を教えて欲しいという内容だったため、警察は最寄りの警察署の電話番号を教えて通話を切った。その1時間後に茨城県の利根川近くにある排水路脇の草むらで倒れているAさんを通行人が発見した。発見された時点では息はあったものの、その後搬送された病院で死亡が確認。死因は首を絞められたことによる窒息死であった。 警察への通報からわずか1時間に何が起きたのか? Aさんは午前5時頃にコンビニを退店した後、1キロ離れた別のコンビニに向かったのではないかと当時のニュース記事で報じられていた。理由として2つ。1つは1キロ離れたコンビニでAさんの自転車が発見された事。2つ目はこのコンビニで寝そべっているAさんらしき姿が目撃された事。また、このコンビニは午後11時で閉店するため、Aさんは誰かと待ち合わせをしていたのではないかと当時のニュースでは報じられた。事前にナイフ付き工具を購入していた事から、待ち合わせをしていた人物に会う前にトラブルを予想し、護身用に持っていたものではないかという可能性も考えられている。 待ち合わせ相手は一体誰なのか? 当時、容疑者として浮かび上がった人物が2人いた。一人目はAさんの交際相手であった当時36歳のスリランカ人男性。この男性は、Aさんが発見された2日後の22日、「Aさんに携帯電話を買ってあげたのは自分だ」と警察に出頭している。この男性が不法残留だったため、その場で逮捕。殺害への関与も疑われたが男性は否定し、後に犯人でないことが警察の捜査で判明した。 二人目はAさんの当時18歳の元カレと言われていた男だ。事件当日職場を無断欠勤しており、事件から2日後以降行方をくらませていた。しかし、その後男性は取材に訪れた記者達からの質問に答え、Aさんとは面識がないこと、失踪は偶然と事件への関与を否定。 結局、現在に至っても犯人は見つかっていない。 Aさんは何を考えてナイフを用意したのか。無人のコンビニで待ち合わせた人物は犯人なのだろうか。
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社会 2019年06月01日 22時30分
「悪魔の詩」を訳し惨殺された大学助教授、自分の死を予言?意外な犯人の噂【未解決事件ファイル】
大学助教授が奇妙なメモを残して惨殺された事件があった。殺害方法は中東のテロ組織が良く使う手法である事が確認されたが、関連は不明。複数の容疑者像や事件との関連が疑われる一冊の本など、いくつかの手掛かりを残して、事件は2006年に公訴時効を迎えた。現在も真相は掴めていない。 事件が起きたのは1991年7月11日。イスラム学者で、筑波大学比較文化学類助教授のAさん(当時44)が、キャンパスのA棟7階のエレベーターホール前で、何者かに惨殺された。翌早朝、掃除の女性に発見された時には、Aさんの首は切断寸前まで深くかき切られ、刃物による複数の切り傷のある状態だったという。すぐに警察と救急車が駆け付けるも既に死亡しており、司法解剖の結果、前日に殺害されたものと断定された。現場には犯人のものと思われるO型の血液と27.5センチの足跡が残されていた。また、数々の謎も残っている。 事件が起こる約1年前、Aさんはある一冊の海外書籍の翻訳していた。本の名前は「悪魔の詩」。1988年にイギリスで出版された小説で、題材がイスラム教の開祖「ムハンマド」の生涯だったことから、ムスリム社会では冒涜的な内容であると受け取られ、激しい反発を招いていた。 そのことに関係しているのかは定かではないが、警察の捜査で学内にあるAさんの机から、奇妙な記述がされたメモが発見されている。メモは殺害前数週間以内に書かれたとされ、内容は壇ノ浦の戦いに関する四行詩。日本語とフランス語で書かれてあったのだが、4行目におかしな点が残っていた。4行目、日本語では「壇ノ浦で殺される」と書かれているのに対し、フランス語では「階段の裏で殺される」と表現されていたのだ。実際には、Aさんが殺されたのは7階のエレベーターホール前だったが、メモの発見によって、五十嵐さんは自身に身の危険が迫っていた事を察知していたのではないかとの噂が生まれた。また、2018年の『AERAdot.』(朝日新聞出版)の取材で、Aさんが知人に「狙われている」と相談をしていた事が判明している。 知人による怨恨、イスラム教徒による報復、右翼団体、CIA元職員はイランの特殊部隊の犯行など、捜査上では様々な容疑者像が浮かび上がった。どの説も犯人特定に繋がる信憑性は薄かったが、異彩を放つ説を唱えた雑誌があった。『週刊文春』(文藝春秋社)の1998年4月30号は、既に容疑者が特定されていたとの記事を記載。事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人を容疑者として捜査していたと報じている。なお、このバングラデシュ人とAさんに何らかの接点があったかは判明していないようだ。この学生はAさんの遺体が発見された当日に成田空港から帰国しているのだが、中東諸国との関係悪化を恐れた日本政府の意向により、捜査が打ち切られたという。 この説に関しては、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのか、などの疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないことから、警察は真犯人と断定するには至らなかったとの見方が強い。 残されたメモは何を示すのか、Aさんは一体何に脅かされていたのだろうか。引用について「悪魔の詩」殺人事件 27年目の真実 スケジュール帳に記された<12:GK>の意味(AERAdot.)2018年7月15日 https://dot.asahi.com/wa/2018071300053.html?page=1
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社会 2019年05月25日 22時30分
「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」惨殺された主婦のポケットに残された謎のメモ【未解決事件ファイル】
ワラビ採りに出かけた主婦二人組が山中で惨殺された不可解な事件があった。現場に残されていたメモが余りに奇妙な内容だったため、事件から40年たった現在でも、度々ネット上で話題に上がっている。しかし、有力な情報も得られないまま、捜査は難航し、1994年5月24日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。 1979年5月23日、京都府長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた当時43歳のAさん(仮名)と当時32歳のBさん(仮名)は、この日一緒に近くの山にワラビ採りに行くことを決めていた。午前10時頃、午前6時からの仕事を終えた二人は、自転車を使用して近くの山にワラビ採りへ出発。しかし、二人は夜になっても帰宅することはなかった。 同日夜、帰宅しない妻を心配したBさんの夫は、一人で山に捜索に向かうも発見できず、翌24日の午後2時50分、向日町署に捜索願を提出。警察官や地元消防団など、計100人以上が集まり、警察犬3頭も合わせて捜索にあたったが、25日に二人は遺体で発見された。 見つかった二人の遺体の損傷は激しいものだった。Aさんは肋骨を骨折し、肝臓は破裂、体内からは犯人のものと思われる体液が検出され、殴打の跡は30か所以上にも及んでいた。Bさんは更に酷く、50か所以上も殴打の跡が残されていた。包丁が体に突き刺さったままの状態で、下着は引き裂かれ、首は絞められた跡がくっきりと残されていた。 警察は包丁を調べてみたものの、指紋は検出されず、販売ルートも不明。ただ、犯人の血液型がO型であることは判明している。しかし、血液型以外犯人に繋がる手掛かりは見つからず、犯人を特定することは出来なかった。 そして、この事件の謎を深める奇妙なメモが発見された。Aさんのジーパンのポケットから「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と走り書きされたメモが見つかったのだ。 筆跡鑑定の結果、Aさんの文字であることが判明したと、1979年5月28日の中日新聞が報じた。更に、同記事では、Aさんがメモを書く隙があったことから、犯人は一人。犯人はBさんを暴行している最中に、Aさんに対して“逃げたらお前を殺す”と脅し、その後に、Bさんを殺害。Bさんが暴行されている傍で、ばれないように、Aさんはメモを手のひらで隠しながら書き、「オワレている」という文面は、Aさんが隙を見て逃げ出し、メモをどこかに落として誰かに見てもらおうと考えていた事を表すと、警察が断定したと報じた。 1994年の時効を迎える前、この事件から5年後に起きた別の殺人事件が、何らかの関連があるのではないかと噂された事もあった。 同市の当時48歳の主婦Cさんが殺害された事件だ。1984年5月15日、Cさんの自宅が出火し、焼け跡から刺殺されたCさんの遺体が発見された。警察が、この事件とAさんとBさんが殺害された事件の関連性を調べていたことが判明。その事から、「二人のパート仲間であるCさんもワラビ採りに出かけていた」「二人より早く帰宅したから難を逃れたが、真犯人に殺された」などの噂がネット上で流れた。 しかし、1984年5月16日の毎日新聞の記事によると、Cさんは二人とは別の工場のパートをしていたと報じられているため、二人と面識があったのかは謎である。なお、Cさんの事件の犯人も、AさんとBさんの事件の犯人もいまだに捕まっていない。 2つの事件に関連性はあるのか、猟奇的な殺人を犯した犯人の目的は一体何だったのか。野放しになっている真犯人はどこで何をしているのだろうか。
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社会 2019年05月18日 22時30分
下半身裸に座布団…刺殺された14歳少女、ひた隠しにした“用事”とは?【未解決事件ファイル】
人の目が多い住宅街で、女子中学生が自宅で惨殺された不可解な事件があった。友人に語らなかった謎の“用事”、20分間という短時間の犯行、現場から走り去った中年男…。多くの謎と手がかりを残したまま、事件は2008年に殺人罪の公訴時効を迎え、真相は闇の中だ。 1993年10月27日17時40分頃、青森県八戸市に住む、当時14歳の女子中学生Sさん(仮名)は所属していた陸上部の練習を終え、友人2人と自宅への帰り道を歩いていた。いつもなら、学校の帰り道に友人らと一緒に食料品店に寄るのだが、この日Sさんは「18時までに家に帰宅し、18時20分ごろまで家にいなければいけない」と話していたため、3人は寄り道をせずに帰ることにした。友人の一人が何の用事なのか聞いたが、Sさんは答えを濁すばかりで、結局、用事が何だったのかは分からずじまいだった。 17時53分、本八戸駅前で友人らと別れて、Sさんは一人で自宅に向かった。17時58分頃、通行人がSさんの家の前を通った際に、家に電気が点いていなかった事を確認しているため、Sさんが帰宅したのは18時00分頃だと考えられている。 Sさんが帰宅したと思われる18時15分頃、Sさんの自宅の玄関のガラスが割れる音が住宅街に響き渡った。警察の調べによると、近所に住む16人がこの音を聞いており、中には「助けて」の声を聞いたと警察に証言した者もいた。 それからわずか数分後の18時23分頃、Sさんの母親が帰宅。母親が目にしたのは、寝室で倒れ、胸から血を流しているSさんの姿だった。Sさんは仰向けの状態で両手を粘着テープで縛られ、口もテープで塞がれていた。上半身は学校指定のジャージにパーカーを羽織っていたが、下半身は裸で座布団が掛けられていた。 驚いた母親は近所の住民に助けを求め、住民が110番をしたものの、18時38分頃に救急隊員が到着した時には、既にSさんは息を引き取っていた。約20分の短時間での殺人事件だった。警察の調べによると、室内に物色された形跡はなかったが、玄関、居間、風呂場の脱衣所の3か所の窓が施錠されていなかったという。 司法解剖により、Sさんの死因は心臓を貫通するほどの深い刺し傷による失血死と判明。また、性的暴行の痕跡はなかったこともわかっている。 住宅街で起きた犯行であったため、近隣住民の多くが騒ぎを聞いており、中には犯人と思われる「犯行直後に現場を走り去った中年男」を目撃した住民や、Sさんの自宅付近の駐車場に不審な車を見かけた住民もいた。また、犯行現場には犯人のものと思われる遺留品がいくつか残されており、タバコの吸殻といった個人特定に繋がる重要な証拠品も発見された。 決定的な証拠が揃っているかのように思えたが、目撃証言も遺留品も犯人の逮捕に繋がらなかった。遺留品からは指紋が検出されず、どの目撃証言も個人の特定には繋がらなかったのである。タバコの吸殻から唾液が検出できれば、DNAが検出できた可能性はあったが、不幸にも当時の青森県警はDNA型鑑定を導入していなかった。青森県警がDNA型鑑定を導入したのは事件から2年後の1995年と、全国で最も遅い導入となっている。 青森県警は12万人の捜査員を投入し、事情聴取をした人の数は600人にも及んだが、結局手がかりは得られず、2008年10月27日に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えている。また、青森県警が1995年以降に遺留品のDNA型鑑定を行ったかは不明である。なお、2019年現在も事件は未解決のままだ。 Sさんがこの日に限って帰宅を早めた理由は何だったのだろうか。また何故、下半身だけ裸にされていたのか。友人が聞き出せなかった“用事”に、事件解決の鍵が隠れているかもしれない。
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社会 2019年05月12日 22時30分
「大切な話が…」 相談の直前に刺殺された16歳少女の謎【未解決事件ファイル】
「とても大切な話がある」。事件の直前、友人に相談を持ち掛けていた少女が、地下道で刺殺された事件がある。 2000年1月20日午前3時50分頃、広島県広島市中区西白鳥町にある地下道で当時16歳の少女Aさん(仮名)が血を流して倒れているのを通行人が発見。救急車で搬送されたが、約1時間後に出血多量のため死亡した。 凶器は刃渡り10cmほどの刃物とみられているが、現在も見つかっていない。Aさんの着衣に乱れはなく、財布の中の現金も残されていた。当初は、通り魔か怨恨による犯行ではないかとみられていたが、目撃証言も物証となるような遺留品も現在まで発見されていない。 Aさんは、前日の1月19日の夜から1月20日の午前3時頃までJR広島駅付近の繁華街で友人と遊んでいた。午前3時15分頃になると、1人でタクシーに乗り、自宅付近へと向かった。Aさんは自宅から50mほどの場所にある事件のあった地下道付近でタクシーから降車。地下道を通って、降車位置とは反対側にあるコンビニエンスストアに向かった。 コンビニエンスストアの防犯カメラには午前3時半頃までAさんが滞在している姿が映っているのが確認されており、特に変わった様子はなかった。これがAさんが生存している姿を映した最後の映像になる。 その後、コンビニエンスストアを出て再度地下道を通った時にAさんは襲われたものとみられている。犯人に襲われた直後、偶然にも友人がAさんに電話をかけており、Aさんは「痛い、血が止まらない」と口にした。しかし、友人が「どうしたの?」と聞いたとたんに電話は切られてしまい、Aさんの口から何が起きたのか語られることはなかった。 Aさんは事件直前、友人に「とても大事なこと」の相談を持ち掛けていた。近いうちに話すからアドバイスしてほしいと友人に依頼していたのだが、相談の内容は明かされないまま被害に遭ってしまった。 また、事件から2年後の2003年1月にAさんの養母が詐欺事件で逮捕されたと産経新聞が報じた。養母の夫が1999年3月に亡くなった時、養母とAさんは別居していたにもかかわらず、Aさんを養育していると民生委員をだまして遺族基礎年金を受け取っていたようだ。なお、養母がAさんの死亡に関係しているとの報道はなく、事件解明の糸口はつかめていない。 Aさんは1999年3月時点で養母のもとを離れ、事件に遭った2000年1月20日まで広島県中区にある祖母宅で実の祖母と2人暮らしをしていた。学校には通わず、アルバイトとして働いていたという。 複雑な家庭環境の中で、Aさんが抱えていた悩みは何だったのだろうか。また、Aさんはなぜ犯人に狙われたのか、2019年になっても事件解明には至っていない。
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芸能ネタ 2019年05月02日 23時00分
【芸能未解決事件】安達祐実宛の小包が爆発!有名人を狙った爆弾事件
地下鉄サリン事件(1995年)が発生する1年前の平成6(1994)年。日本の芸能界はあるテロ行為に恐れおののいていた。 年も暮れかけた12月21日、午後5時45分頃、東京都千代田区にある日本テレビ放送網本社西本館にある小包が届いた。 宛名には当時人気だった子役「安達祐実」の名前が書かれており、日本テレビに居合わせていた安達の所属事務所・サンミュージックブレーンの社員が封筒を開けたところ、小包が爆発。爆発に巻き込まれた社員は左手親指を失う重傷を負ったほか、日本テレビ社内の関連会社「映放」の社員、そして安達祐実のマネージャーの3人が怪我をした。 安達自身はこの日、年末年始の撮影のため日テレ社内にいたが怪我はなかった。 この爆弾は市販の白色封筒の中に単三電池、火薬などを仕込んだ爆弾で、開封と同時に爆発するよう計算されていたようだ。 差出人は不明だったが、宛名に使われた安達本人はこの爆弾事件に強いショックを受けており、芸能活動を10日間休養している。 なお、この安達祐実事件の前後には、同じく有名人を狙った爆弾事件が相次いでおり、1993年にはラジオ局、ニッポン放送に安達祐実に届けられたものと同じ爆発物が届いていたことが明らかになった。 宛名はいずれも当時、オールナイトニッポンのパーソナリティを務めていた女性。7月29日には裕木奈江、8月3日には加藤いづみがターゲットにされた。 また、翌年の5月16日には、東京都庁舎で当時、東京都知事だった青島幸男氏宛の郵便物に爆弾が仕込まれ、開封した男性職員が重傷を負う事件が発生している。 これら有名人を狙った爆発物事件は93〜95年にかけて集中的に発生。これらは全て同一犯の仕業とも噂されたが、これらの爆弾事件は安達祐実の事件含めて時効を迎えており、迷宮入り。平成のうちに解決とはならなかった。
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芸能ネタ 2019年05月01日 23時00分
有名人が狙われた! 許されない遺骨泥棒【芸能未解決事件】
昭和の終わりから平成にかけての芸能史において発生した事件に、「有名人を狙った遺骨泥棒」がある。 第一の事件は、昭和が終わりかけた1987年(昭和62年)12月に発生した。狙われたのはジャニーズ事務所に所属している人気アイドル歌手の近藤真彦で、彼は前年の1986年11月に実母を事故で亡くしており、母が亡くなった事実は一部の関係者以外、明かされることはなかった。 母の葬儀の後、近藤は日本レコード大賞を受賞することになるのだが、その際、ジャニーズ事務所およびレコード会社に以下のような脅迫文が届いた。 「近藤の母親の遺骨を預かった。返してほしくばレコード大賞を辞退しろ」 驚いた近藤は母親の墓へ行ったところ、確かに墓が荒らされており、骨壷から母の骨が盗まれていた。 近藤は、母の遺骨を取り返すため、レコード大賞を辞退しようか本気で悩み、実父に相談したが「受けるべきだ」と説得され、また、「大賞を辞退して骨を取り返しても母は喜ばないだろう」と思い直し、レコード大賞で受賞曲『愚か者』を歌い切った。 その後、近藤の母親の遺骨は何者かに盗まれたまま、2019年現在も帰ってきておらず、事件は時効となった。 犯人はただの愉快犯とも、ジャニーズ事務所に恨みを持つライバル芸能事務所の仕業ともされているが、明らかになっていない。 第二の事件は、1993年3月に発生した。1992年5月、日本を代表するアニメ『サザエさん』の原作者である長谷川町子さんが亡くなった。葬儀・告別式は、静かな式を望んだ長谷川さんの遺言もあり、密葬となったのだが、翌年3月、遺族のもとに以下のような脅迫文が届いた。それは「遺骨を返してほしければ金を出せ。要求に応じるなら返事として新聞広告を打て」という内容で、遺族は犯人の言う通りに、読売新聞に広告を出した。 すると、遺族のもとに2通目の脅迫文が届き、指定の銀行口座に振り込むよう指示があり、遺族が指定の口座に金額を振り込んだところ、今度は「JR渋谷駅山手線ホームのコインロッカーに骨を安置している」との手紙が届き、警察が確認したところ、骨壷を発見したという(遺族が犯人にいくらの身代金を払ったのかは不明)。 犯人は現在も捕まっておらず、また、長谷川さんサイドもこの事件に関しては振り返ることがないため、完全に闇に葬られた未解決事件である。
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社会 2019年04月30日 23時00分
【平成未解決事件】生きたまま赤ん坊を引きずり出す猟奇事件「名古屋妊婦切り裂き殺人事件」
昭和時代も終わりに近づいていた1988年(昭和63年)3月18日、日本全国を震撼させた猟奇事件が愛知県は名古屋市内で発生した。 この日の19時40分頃。31歳の新婚会社員Aさんは、愛知県内の勤め先から名古屋市にある自宅アパートへと急いでいた。Aさんの自宅にはまもなく臨月を迎える愛する妻が待っており、いつ出産してもおかしくなかったのだ。 しかし、Aさんが帰宅すると、自宅には妻はおらず鍵もかかっていなかった「おかしいな…」そう思った刹那、どこからか赤ちゃんの泣くような声が聞こえてきた。 気になったAさんが居間を開けたところ、すると、そこには青いドレスを着て腹から血を流し倒れている妻、横には生まれたばかりの血まみれの赤ん坊が泣き声を上げていたのだ。 Aさんの妻は両手が縛られており、首にはコタツのコードが巻かれ、周囲には血だまりが出来ていた。そして赤ん坊はへその緒が付いたままあった。 Aさんは気が動転したままであったが、救急車を呼んだ。腹を真っ二つに裂かれた妻は搬送後に死亡が確認されたが、腹から引きずり出された赤ん坊は、貧血の症状こそあったものの、命に別状はなく奇跡的に一命を取りとめたという。 この時点で相当インパクトの強い衝撃的な事件ではあるが、もう一点、センセーショナルな出来事があった。 それは彼女の腹から引きずりだされた赤ん坊の代わりに詰められていた「電話機」の存在である。 彼女の腹の中にはキャラクター(ミッキーマウスともハローキティとも噂される)の付いたキーホルダー、そしてAさん宅のプッシュホン式電話機が強引にねじ込まれていたというのだ。 事件発生から30年が経過した今、残されたAさん、そして、不幸な形で産み落とされた子供は住居を海外に移したと伝えられているほか、事件解決の手がかりも1990年頃から完全に途絶えてしまい、事件から15年が経った2003年(平成15年)3月18日午前0時に公訴時効が成立し未解決事件となってしまっている。
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社会 2019年04月29日 22時00分
【平成未解決事件】101円を握って姿を消した「赤城神社主婦失踪事件」
2000年中盤以降、インターネットを中心に急激に知名度を上げた事件がある。 「赤城神社主婦失踪事件」である。 これは群馬県前橋市にある由緒正しい神社である「赤城神社」にて発生した行方不明事件である。 ゴールデンウィーク中の1998年5月3日のお昼頃、48歳の女性Sさん(仮名)は夫の家族全員でこの赤城神社を訪れていた。 しかし、途中で大雨が降り出し、一行は帰ることにしたのだが、「せっかく来たのだから……」と夫と叔父が家族を車に残し、参拝へ出かけた。そして、Sさんも「自分もやはり行きたい」と他の家族へ伝え、二人を追いかけた。 しかし、Sさんは途中で道を見誤ったのか、夫と叔父とは別のルートへ行き、そのまま行方不明となってしまったのだ。 この時、Sさんは赤い傘にピンク色のシャツと黒いスカートという目立つもので、持ち物は車から出るときに財布から出した101円のみ。Sさんには家族から捜索願が提出され、Sさんを探すため現地の警察官延べ100人以上が探索したが、発見することはできなかった。 本事件は当時、群馬県の新聞のほかいくつかの全国紙でも紹介されたが、この時点では現地の人しか知られていない事件だった。 この事件が全国的に広まったのは、2006年に放送されたテレビ朝日の生放送番組『奇跡の扉 TVのチカラ』が本事件を取り上げて以降である。 『TVのチカラ』は、当時、赤城神社を訪れていた観光客のホームビデオを入手。そこにはSさんらしき女性の姿が写りこんでいるとし、事件解決の糸口になるのではないかと期待されたのだ。 結果、この女性はSさんとは別人ということを残された家族は証言したが、その人物とは別にもうひとり、傘を差した別の女性の姿をカメラは捉えており、この人物こそSさんの最後の姿ではないかとされた。 番組はこの事件を扱った後に放送を終了しており、追加取材が行われることはなかったが、「101円しか持っていない」「忽然と姿を消した」というミステリーさから、今でも平成時代に発生した未解決事件の代表として挙げられることも多い。 事件から30年。果たしてSさんは今、どこにいるのだろうか……。
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来年の大河女優・上野樹里の“羊丸刈り”ペットトリミングに、キムタク他一同「ああ、やっぱり」の声
2010年04月14日 15時00分