1993年10月27日17時40分頃、青森県八戸市に住む、当時14歳の女子中学生Sさん(仮名)は所属していた陸上部の練習を終え、友人2人と自宅への帰り道を歩いていた。いつもなら、学校の帰り道に友人らと一緒に食料品店に寄るのだが、この日Sさんは「18時までに家に帰宅し、18時20分ごろまで家にいなければいけない」と話していたため、3人は寄り道をせずに帰ることにした。友人の一人が何の用事なのか聞いたが、Sさんは答えを濁すばかりで、結局、用事が何だったのかは分からずじまいだった。
17時53分、本八戸駅前で友人らと別れて、Sさんは一人で自宅に向かった。17時58分頃、通行人がSさんの家の前を通った際に、家に電気が点いていなかった事を確認しているため、Sさんが帰宅したのは18時00分頃だと考えられている。
Sさんが帰宅したと思われる18時15分頃、Sさんの自宅の玄関のガラスが割れる音が住宅街に響き渡った。警察の調べによると、近所に住む16人がこの音を聞いており、中には「助けて」の声を聞いたと警察に証言した者もいた。
それからわずか数分後の18時23分頃、Sさんの母親が帰宅。母親が目にしたのは、寝室で倒れ、胸から血を流しているSさんの姿だった。Sさんは仰向けの状態で両手を粘着テープで縛られ、口もテープで塞がれていた。上半身は学校指定のジャージにパーカーを羽織っていたが、下半身は裸で座布団が掛けられていた。
驚いた母親は近所の住民に助けを求め、住民が110番をしたものの、18時38分頃に救急隊員が到着した時には、既にSさんは息を引き取っていた。約20分の短時間での殺人事件だった。警察の調べによると、室内に物色された形跡はなかったが、玄関、居間、風呂場の脱衣所の3か所の窓が施錠されていなかったという。
司法解剖により、Sさんの死因は心臓を貫通するほどの深い刺し傷による失血死と判明。また、性的暴行の痕跡はなかったこともわかっている。
住宅街で起きた犯行であったため、近隣住民の多くが騒ぎを聞いており、中には犯人と思われる「犯行直後に現場を走り去った中年男」を目撃した住民や、Sさんの自宅付近の駐車場に不審な車を見かけた住民もいた。また、犯行現場には犯人のものと思われる遺留品がいくつか残されており、タバコの吸殻といった個人特定に繋がる重要な証拠品も発見された。
決定的な証拠が揃っているかのように思えたが、目撃証言も遺留品も犯人の逮捕に繋がらなかった。遺留品からは指紋が検出されず、どの目撃証言も個人の特定には繋がらなかったのである。タバコの吸殻から唾液が検出できれば、DNAが検出できた可能性はあったが、不幸にも当時の青森県警はDNA型鑑定を導入していなかった。青森県警がDNA型鑑定を導入したのは事件から2年後の1995年と、全国で最も遅い導入となっている。
青森県警は12万人の捜査員を投入し、事情聴取をした人の数は600人にも及んだが、結局手がかりは得られず、2008年10月27日に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えている。また、青森県警が1995年以降に遺留品のDNA型鑑定を行ったかは不明である。なお、2019年現在も事件は未解決のままだ。
Sさんがこの日に限って帰宅を早めた理由は何だったのだろうか。また何故、下半身だけ裸にされていたのか。友人が聞き出せなかった“用事”に、事件解決の鍵が隠れているかもしれない。