失踪したのは当時24歳のAさん。伊勢市にある出版社に勤め、女性記者として精力的に活動していた。失踪した当日も夜遅くまで会社に残っており、見かねた社長が帰宅を促したのは、午後11時過ぎだったという。
Aさんは実家暮らしで両親や祖父と同居していた。仕事が深夜まで及び、帰宅が遅くなることは日常茶飯事だったため、この日も両親は娘の帰宅が遅いことをそれほど気には留めなかったと、後に取材陣に話している。
しかし、結局Aさんは朝になっても自宅に帰宅する事はなかった。昼になっても出社しないAさんを心配した同僚が携帯に電話をかけたものの、留守番電話に繋がるだけだった。
事態が動いたのは翌25日の夕方。Aさんの自宅に、伊勢市内でAさんの車が長時間停まっているという電話が伊勢警察署からかかってきた。電話を受けたAさんの母親と、それを聞いた勤務先の社長は急いで現場に向かった。
警察が現場に残された車を調べたところ、何者かがAさんの所持品を盗んだ形跡があり、またAさんのものではないタバコの吸殻が残されていた。車は駐車ラインをはみ出して停められていた事も併せて、母親の目には不自然に見えたが、警察は事件性無しと判断し、Aさんの家出と断定した。その後、警察が捜査に乗り出したのは失踪から1か月後のことだった。
会社を出てから一体何があったのか。その後の警察の捜査で、Aさんは退社後に一人の男性から呼び出されていた事が判明した。この男性は以前Aさんと取材を通じて出会った人物で、失踪当日も取材関連の話をするために連絡をしたと証言。物的証拠や目撃証言がなかったため、本件では逮捕に至らなかったが、別件の監禁容疑で1999年2月逮捕。別件逮捕として、失踪事件について取り調べを行った。
取り調べで、男性は「無罪になれば全てを話す」と語り、事件への関与を匂わせていた。しかし、それ以上の取り調べが進まない中、裁判で男性の監禁容疑について無罪判決が下る。釈放されたため失踪事件での立件は出来ず、男性も一転して全ての証言を拒否した。
その後、捜査は続けられたもののAさんの行方はおろか、失踪に関わったとされる人物の特定すら出来ていない。その間、失踪に関する様々な噂がネット上に流れた。1つは、北朝鮮の拉致説。三重県から北朝鮮に向かうには本州を回る必要があるため現実的ではないのだが。もう1つは、近くにある通称「売春島」と呼ばれる三重県志摩市にある島・渡鹿野島の実態を取材しようとして、闇組織に殺害されたのではないかという説だ。
98年当時、渡鹿野島では売春が横行していたと言われている。麻薬、多重債務者の若い男女が返済のため、送り込まれたという噂も。好みのコンパニオンを金で買う、レズショーが盛んに行われるなどしていた。連れ込まれた男性はゲイショーに駆り出されたという。時には、街中で言葉巧みにナンパされた若い女性が騙されて、島に連れ込まれることもあったらしい。2013年に、島と行政機関が「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を発表。風俗島からの脱却を目指すことになってからは、廃墟のようになっているそうだ。
実際の所、売春島を取材しようとしていたのかは定かではない。
結局、別件逮捕された男性は事件に関与していたのだろうか。彼が話そうとした事件の全容とは一体何だったのか 。いまだ事件の解明に進展はないようだ。