新日本
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スポーツ 2017年11月27日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND73 〈男女一騎打ちの裏事情〉 “猪木案件”をこなした蝶野の意地
2002年10月の東京ドーム大会において、新日本プロレスでは初となる男女一騎打ちが実現し、蝶野正洋とジョーニー・ローラーが対戦した。 橋本真也も武藤敬司も去り、藤田和之や高山善廣、ボブ・サップら外敵軍がリング上を席巻する“新日冬の時代”のことであった。 上司の理不尽な要求に困らされるというのは、およそすべての勤め人が経験することであろう。2002年、新日本プロレスに参戦した女子レスラーのジョーニー・ローラーは、まさにそのような悩ましい“案件”だった。 '97年に“チャイナ”の名前で、マネージャーとしてWWE(当時はWWF)に参戦すると、その筋骨隆々とした姿から“世界9番目の不思議”と注目を集め(世界七不思議に次ぐ8番目はアンドレ・ザ・ジャイアントで、9番目がチャイナとの意味)、'99年からは男子戦線に進出。女子としては初めて同団体の主要タイトルを獲得している。 '00年には米国の男性娯楽誌『PLAYBOY』でヌードグラビアを発表するなど人気も上々だったローラーだが、WWE内部のいざこざにより、'01年をもって退団。翌年4月、新日が設立したばかりのLA道場を訪れたことをきっかけに、参戦を果たすこととなる。 「このときLA道場の責任者だったのがサイモン猪木。新日の総帥であるアントニオ猪木の娘婿です。'00年に新日入社したサイモンが、LA道場の実績づくりとしてローラーのブッキングを画策し、それを猪木が後押ししたことで参戦が決まったわけです」(スポーツ紙記者) それまでにも提供試合という名目で、北朝鮮平和の祭典や東京ドーム大会で女子の試合が行われたことはあったが、男女の絡みとなると新日では初のこと。 猪木の掲げてきた“闘魂”の旗印にはそぐわないと、これを快く思わないファンや関係者も少なくなかった。 では、猪木自身はなぜこれを認めたのか。 「まず、サイモンの手柄にするためというのはあったでしょう。また、同年に主催した格闘技大会『UFOレジェンド』にも参戦させたように、女子格闘家として手駒に加えたいという目論見もあったはずです。さらに加えて、WWEへのコンプレックスというのも大きかったのでは?」(同) かつて提携関係にあったWWEが世界的なビッグプロモーションとなったことに、猪木は悔しい思いを抱いていたと伝えられる。そのWWEのスター選手だったローラーを新日でうまく活用できれば、少しは憂さを晴らすことにもなる。 「この頃、すでに猪木の関心は、小川直也をはじめとした自分の息のかかった選手を総合格闘技に進出させることしかなく、新日は資金を引っ張るためだけの組織としか見ていなかった。なんならローラーのブッキング料も、猪木の方へ入っていたのかもしれません」(同) 交渉についてはこちらで勝手にやるから、お前らはありがたくWWEスターを使っていればいい…ということであったか。 「実のところ、大の巨乳好きで知られる猪木だけに、そのあたりも多少はあったでしょう(笑)」(同) ともかく、押し付けられたものとはいえ、創始者である猪木の要請は無下にできない。ケツを拭わされたのは、現場監督を任されていた蝶野正洋だった。 「同じ年の5月2日には三沢光晴と東京ドームで闘い、夏のG1にも優勝した蝶野が、いくら元WWEスターとはいえ女子レスラー相手では、内心忸怩たるものがあったでしょう。しかし、他の選手ではうまく扱いきれない懸念もあり、永田裕志ら本隊の選手に黒歴史を背負わせたくないという、責任感もあったようです」(プロレスライター) 蝶野が三沢と歴史的対峙をした大会に、まずは猪木の用心棒として登場したローラーは(タイガー・ジェット・シンが猪木を襲うところを蹴散らしてみせた)、特別レフェリーなどを務めた後に選手として参戦。 外道やエル・サムライを金的打ちでKOするなど連勝を重ねた末、蝶野に照準を向ける。そして、10月14日の東京ドーム大会が、一騎打ちの舞台となった。 ローラーは序盤からパンチ、キックで攻め込み、お株を奪うSTFまで敢行するが、慌てず騒がず、ケンカキック一発で勝負を決めてみせたのは、さすが蝶野の意地だった。 「ローラーのお尻をペンペンして勝ち名乗りを挙げるところに、金的打ちを受けて悶絶するというお約束の展開をそつなくこなしたのは、さすがアメプロに慣れた蝶野でした」(同) その後、2人はタッグを結成して、魔界倶楽部との対決などでアングルを継続していく。 ローラーの婚約者との触れ込みで、やはり元WWEのシックスパックが登場。タッグパートナーの蝶野に嫉妬心からの抗争を仕掛けるという、本家WWEさながらのストーリーが展開されるかにみえたが、いつの間にか立ち消えになった。これも現場のやる気のなさの表れだったか。 新日に冬の時代が到来したことを告げる一幕であった。
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社会 2017年11月17日 18時00分
データ改さんで広がる波紋 崖っぷち神戸製鋼に浮上する買収先
銅、アルミ製品などのデータ改ざんの不祥事により、神戸製鋼所(以下、神鋼)の信頼は地に落ちた。残された道は、もはや大手からの吸収合併か解体身売りしかないのではとも囁かれ、飲み込む側の“大蛇企業”の具体的な名前も飛び交い始めている。 まずは鉄鋼業関係者が、今日の神鋼の業界の立ち位置をこう解説する。 「神鋼の凋落は、すでに2012年、新日本製鉄と住友金属工業の合併で新日鉄住金が誕生したときから始まっていました。神鋼は新日鉄の0.77%、新日鉄が神鋼の4.45%の株の持ち合いをして、仲間と思っていた。しかし、突然の合併通知に、神鋼は肘鉄をくらわされた格好になったのです。それには、神鋼がプライドが高く、自主独立路線にこだわりすぎたという理由があったのです」 世界の製鉄業界を見渡すと、中国の過剰生産による鉄鋼不況の影響が、日本にも直撃している。そのため国内企業では、大手製鉄企業が相次いで合併し、防衛と強化を図っている。 '02年、川崎製鉄と日本鋼管が手を組みJFEホールディングスを設立。'13年には、古河スカイと住友軽金属工業が統合し、UACJが発足した。 「それでも、合併して国内首位になった新日鉄住金ですら、粗鋼生産量で世界4位、JFEは同8位。その中で神鋼は、一気に51位にまで転落してしまった。しかも神鋼は、鉄鋼、アルミ・銅、建設機械の規模がどれも中途半端。単独での成長戦略を描けないまま、今年3月期の連結決算でも赤字で苦しんでいたのです」(鉄鋼メーカー幹部) それを打開するために神鋼の川崎博也会長兼社長が背水の陣として目指したのは、独自技術を活かしてそこそこの実績を上げつつ、電力事業で補うというものだった。 「川崎氏は、本業の鉄鋼業ではどうあっても大手とは太刀打ちできないと見て、発祥の地、神戸市の高炉の休止を決断し、同じ兵庫県の加古川製鉄所に工程を集約して、鉄鋼事業の効率化に動いた。そして神戸市の粗鋼生産終了後に火力発電機2基を設け、同市内のピーク時の7割の電力を賄える発電を行い、活路を見出そうとしていた」(電気事業関係者) 今後においても、栃木県に1000億円を投じてガス火力発電所を建設。他にも火力発電所を増設し、近い将来は総発電量390万kWにまで押し上げ、沖縄電力の240万kWを超える国内最大の独立系電力会社にする計画だった。 「電力を屋台骨として、神鋼がもう一つ力を入れ始めていたのが、アルミ事業。今年5月、神鋼は日韓でのアルミ事業に550億円を投資すると発表しており、その直前には、130億円を投じてスウェーデンのプレス装置メーカーの買収を決めた。電力や新たな積極投資の先には“鉄の神鋼”ではなく、鉄鋼も手掛ける複合企業を目指し、それが最大の防衛策になると考えていたのでしょう」(経営アナリスト) しかし、今回は、その積極策の一つだったアルミ事業での不祥事が発覚してしまった。それだけに、これを契機に神鋼の独立採算路線もこれまでか、と囁かれているのだ。 「最終的には、どこに吸収合併されるかが焦点となる可能性が高い。その筆頭は、国内のJFE。神鋼は車のエンジンや足回りに不可欠な線材という特殊鋼製造で、新日鉄住金と国内生産を二分してきた。それだけに、新日鉄住金に追いつけ追い越せのJFEにすれば、喉から手が出るほど神鋼が欲しいところ。実際、神鋼不祥事発覚前も再三、秋波を送っていましたからね」(業界専門誌記者) 一方の新日鉄住金にすれば、前述のように神鋼とはもともと相互に株を持ち合うなど近い関係にある。 「過去、多少の行き違いがあったとはいえ、神鋼が追い込まれれば新日鉄住金が手を差し伸べるでしょう。ただし、単純に合併すれば線材や建材用鋼材で独禁法違反の恐れも出てくる。それをどうクリアするかが問題となります」(同) また、昨年の粗鋼生産で世界第5位の、韓国のポスコも、神鋼の買収を狙っているとされ、「シャープが台湾の鴻海に買収された時と似た状況が考えられる」(同)という。 「中国の宝武鋼鉄集団の名も聞こえています。同国では盛んに“日本の品質危機”と報道されているが、実際はJIS規格よりも厚い部品が使用されていたので、安全性には問題がない。つまり、今回の神鋼のデータ改ざんは、客が150%の品質を求め、神鋼が130%の品質のものを提供した類です。確かに不正は不正だが、これで神鋼が中国に手を付けられるようなことがあれば、国家の損失にもつながりかねない」(同) 果たして神鋼は生き残れるのか、それとも吸収により、その名を消すことになるのか。
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スポーツ 2017年11月13日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND71 〈冬の時代に咲いた好勝負〉 迷走期の中邑真輔が川田利明に挑む
昭和のプロレスファンには奇異にも映るクネクネと体をくねらせる闘いぶりで、今やWWEでもトップクラスの人気を誇る中邑真輔。 新日本プロレス時代と変わらぬ試合スタイルで、しかも、本名のままアメリカで通用したのは、日本プロレス史上で中邑が初となる快挙であろう。 2016年のWWE移籍から、ついにトップをうかがえる位置にまできた中邑真輔。 「世界最大級のスポーツエンターテインメント団体といえるWWEにおいて、今夏のビッグマッチ『サマースラム』でメインイベントを任された中邑の世界的な知名度は、イチローやダルビッシュ以上。日本にいるとピンとこないかもしれませんが、エンタメの世界を見渡してもブロードウェイミュージカルに主演した渡辺謙ですら、相手にならない有名人といえます」(スポーツ紙記者) だが、そんな中邑も、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。 '02年に新日本プロレス入りした当初は、その資質から“総合格闘技戦要員”に抜擢されるも、翌年の大みそかにはK-1のアレクセイ・イグナショフと対戦し、膝蹴りでTKOの裁定を下される。中邑側の抗議により無効試合とはなったが、その印象は決していいものではなかった。 プロレスにおいても史上最年少でIWGP王座を獲得するなど、会社からは大いにプッシュを受けたが、実績のなさもあってファンからの信頼は決して厚いものではなかった。 「プロレス的な魅せるテクニックに乏しく、かといって総合格闘技でトップ争いをしているわけでもない。それでいて会社からは“選ばれし神の子”という大仰なニックネームを付けられ、そんな中邑に反感を持っていたファンも少なくなかった」(同) '04年の再戦でイグナショフに雪辱を果たすと、ようやく中邑はプロレス一本となったが、やはり、どこか煮え切らない状況は続く。 同年11月の大阪ドーム大会では、ファン投票によりメインで棚橋弘至とのシングルマッチが組まれたが、アントニオ猪木の横やりで突如のカード変更。中西学と組んで藤田和之&ケンドー・カシンと対戦することになり、藤田にパワーボムからのサッカーボールキックでピンフォール負けした揚げ句、試合後には猪木からリング上で鉄拳制裁を受けるなど、踏んだり蹴ったりの結果となった。 「その理由についてはさまざまな憶測が流れていましたが、カード変更に文句をつけながらシュートを仕掛けるわけでもない中邑に対して、どっちつかずとみた猪木が感情に任せてやったというのが真相に近いのでは…」(プロレスライター) '06年の1・4ではブロック・レスナーの持つIWGP王座に挑戦するも、見せ場なく敗退。これを受けて海外修行に出た中邑は、半年後の凱旋帰国でひと回り大きくなった体を披露し、ヒール転向でイメージの一新を図ると、蝶野正洋とのコンビでG1タッグリーグ優勝を果たした。 しかし、同年末にはレスナーから棚橋へと移ったIWGPヘビー級のベルトに挑むも、ピンフォール負けを喫してしまう。そうして年の明けた'07年の1・4。中邑はメインでもセミファイナルでもない、またタイトルマッチにも絡まない第6試合での出場となった。 新日本プロレスと全日本プロレスの創立35周年記念と銘打たれたこの大会だが、発表された観衆は2万8000人と過去の新日ドーム大会では最低の数字。いわゆる“プロレス冬の時代”の真っただ中であった。 対するは川田利明。その頃に川田が主戦場としていたハッスルは、試合の放送を予定していたフジテレビが離れて先行き不透明。'06年にノアのドーム大会で三沢光晴と対戦したが、試合後に先方から絶縁宣言をされるなど、中邑と同様に川田もまたどうにもさえない状況にあった。 だが、本来であればメイン級の試合に出場すべき選手が浅い出番となったことで、お互いの意地が爆発したのか、両者の試合は大会ベストバウトともいえる好勝負となる。 中邑の持ち味であるグラウンド技には、川田もストレッチプラムで対抗。激しい打撃やスープレックスの応酬となり、最後は川田がパワーボムから垂直落下式ブレーンバスターへとつなぎ、顔面へのミドルキックで3カウントを奪った。 試合後、川田は「真輔、これまで3回戦った中で、今日は一番まともだったよ。お前、新日本を潰すなよ」「真の新日を引っ張るエースになってほしい」とエールを送った。 そこから巻き返しに出るかと思われた中邑だが、同年夏のG1では優勝かというとき、準決勝で大怪我を負って3カ月の完全欠場。 復帰後は今に続く新日復興の一翼を担い、徐々に中邑個人としての人気も高まっていったが、それでも結局、WWEでも通用する今のスタイルにたどり着くまでには、さらに4年ほどの歳月を要することになる。
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スポーツ 2017年11月11日 22時43分
1・4東京ドーム 問われるオカダカズチカの真価
新日本プロレス毎年恒例のビッグイベントである東京ドーム大会、来年1月4日のカードが一部発表された。 メインにIWGPヘビー級タイトルマッチ・オカダカズチカVS内藤哲也、他にもケニーオメガ対クリスジェリコという大注目のカードも並んだ。特に、クリスジェリコの参戦は、久々の大物の外敵として大きなインパクトをもたらす。 過去、新日本プロレスは、ビッグマッチとなると、ビッグネームの外国人レスラーや格闘家など様々な外敵をリング場に迎え入れてきた。その効果として、観客動員が激増したほか、外部からの刺客と所属レスラーとの戦いで多くのドラマを生み出してきた。 クリスジェリコといえばアメリカ・WWEのスーパースターであり、その名を世界中に轟かせている。新日本ドーム大会史上、トップクラスの外敵レスラーと言っても過言ではないだろう。 その超大物を迎える来年の東京ドーム、真価が問われるのは、現在の新日No.1レスラーのオカダカズチカだ。 超人的な身体能力を擁し、若くして新日本という巨大な組織のトップで、期待以上の存在感を示し続けてきた。そのオカダが、ドームというビッグスケールの大会で、初めて知名度でも遥かに自らの上を行く外敵を迎えることとなり、ジェリコを超えるインパクトをどうやって作り出すか。 また、対戦相手の内藤哲也は、初のドームでのメインとして、圧倒的なファンの支持のもと、こちらも強力な爪痕を残すに充分な要素を秘めている。 早々にメインイベントとして発表されたこともあり、大会の最重要カードであることは間違いないオカダ対内藤。ただし、ジェリコと、今やメインイベンターの風格充分なオメガの試合もメインとなり得るカードだ。このタイミングで、新日本がアメリカ向けのベルト(IWGPUSベルト)を創設するなど、海外へと焦点を合わせてきているのも気になる。全てのアンダーカードを飲み込み、凌駕するインパクトを残すのがオカダカズチカの役割であることは間違いない。だが、今回はオカダをも超える「主役」も「役者」も揃っている。 来年の1・4東京ドーム、新しいストーリーが紡がれても不思議ではないだろう。 例えば、「オカダ時代の終焉」とか。
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スポーツ 2017年11月06日 22時01分
【新日本】1.4ドームにWWEの超大物“Y2J”クリス・ジェリコが電撃参戦!ケニー・オメガに挑戦へ
新日本プロレス11.5ボディーメーカーコロシアム大会に衝撃が走った。 バレッタを相手にIWGP USヘビー級王座の3度目の防衛に成功した初代王者ケニー・オメガが、珍しく流ちょうな日本語で、次期挑戦者を募るも、対戦相手は現れず、リングから降りようとしたその時だった。 場内が暗転し、会場が騒つく中、場内ビジョンにカウントダウンの数字が現れる。そして、0になるとそこには、つい最近まで世界最大のプロレス団体WWEのトップ選手として活躍していた世界的なスーパースター、Y2Jことクリス・ジェリコの姿が映し出された。ジェリコはニヤリと笑い、ケニーの写真を手に掲げると「ケニー・オメガ。オマエはダイナミックなレスラーだ。そして、すばらしいレスラーだ。だが、世界最高はオマエじゃない」と語り、その写真を引き裂く。そして「この俺だ。ショーン・マイケルズ、エッジ、CMパンク、アイツらは過去の人間になった。だが、俺はいまも現役だ。世界で1番のレスラーだからな。俺こそが史上最高のレスラーで、この業界の“アルファ”(頂点)だ。それを証明してみせよう。俺はオマエに挑戦する。ジェリコvsケニー、アルファvsオメガ。どっちがベストなのかを見せつけてやる。俺はオマエに会いたいぜ。1月4日、レッスルキングダム12 in 東京ドーム。どっちが最高のレスラーか確かめようぜ」と、1.4東京ドーム大会への参戦と、ケニーが防衛したIWGP USヘビー級王座への挑戦を表明したのだ。 これは、メジャーリーグで例えるとするなら、かつて日本で活躍した選手が、契約が絡まない期間を利用して日本の球団に移籍するようなものに近いかもしれない。数年前からジェリコとWWEはジェリコのミュージシャン活動との兼ね合いもあり、大会やシリーズ毎という、他のWWEスーパースターとは違って、契約が緩かったと言われている。 新日本とWWEは80年代に業務提携を結んでいたが、解消後は1990年に全日本プロレスが主導する形で開催された『日米レスリングサミット』にWWEと新日本が合同興行を開催した他、1993年から2年間は、WWF世界ヘビー級王座だったハルク・ホーガンが数マッチの契約をWWEを介さずに、新日本と直接交わすことで、古巣への参戦が実現し、IWGPヘビー級王者だったグレート・ムタとのドリームマッチや、ムタとのタッグでヘルレイザーズと対戦。武藤敬司とのシングルや、藤波辰爾との再会もあったが、ホーガンが希望していた師匠アントニオ猪木との対戦は実現しなかった。WWE離脱後は蝶野正洋とのシングルも実現している。 ジェリコの場合も、2015年に獣神サンダーライガーがWWEのブランドであるNXTに新日本の選手としてゲスト参戦しているが、新日本がWWEの配信サイト『WWEネットワーク』に対抗する形で、『新日本プロレスワールド』を開始したことで、WWEを離脱した選手や、アメリカやヨーロッパで知名度が高く、試合巧者な選手を積極的に起用するようになった。これがWWEに刺激を与えてしまったのか、翌2016年1月に中邑真輔、AJスタイルズら主力選手を新日本から事実上引き抜いたことにより、両団体間には緊張が走っていると言われている。ジェリコのTwitterアカウントやプロフィールを見るとWWEの文字はひと言も掲載されてないことからも、これは、旧知の仲でもある邪道、外道の個人ルートを中心に、WWEを介さず参戦が決まったと考えるのが妥当である。 ただ、興味深いのは、ジェリコが5月までWWE US王座を保持していたこと。そして、今夏のWWE日本公演では、イタミ・ヒデオ(元ノアのKENTA)相手に横綱相撲で圧勝していた。バックステージでケニーが「これは『レッスルキングダム』と『レッスルマニア』の闘いだ」とコメントしていたが、言い換えれば新日本プロレスとWWEの対抗戦としての意味合いも持っている。 ジェリコにとっては、1998年以来となる新日本マット参戦。ワンマッチになるのか、その続きがあるのかは知る由もないが、新日本は、来年3月15日にアメリカ・ロサンゼルス大会の開催を発表している。もし、この大会までジェリコが出場するようなことがあれば、WWEの視界に入るのは確実で、新日本のアメリカ進出計画において、ジェリコが果たす役割は大きいものになるだろう。ジェリコは日本マットで育ったという気持ちが強く、WWEの日本公演に自身がリストに入っていないと「行かなくていいの?」とアピールして来るほどの親日家。現在の新日本には邪道、外道、海野宏之レフェリーなどジェリコがライオン・ハートやライオン道のリングネームでWARマットで活躍していた頃の仲間もいるだけに、今回の参戦は恩返しの意味も込められているのかもしれない。 クリス・ジェリコとしての東京ドーム大会参戦は初めてになるので、WWE同様、カウントダウンから始まる入場に期待したい。そして、このレジェンドを挑戦者として迎えるケニーには、新日本代表として90年代のジャパニーズスタイルと現代のジャパニーズスタイルの違いをしっかりと見せつけてもらいたいと思う。 ジェリコの参戦、そして、ケニーとのドリームマッチ実現により、来年の1.4東京ドーム大会は例年以上に世界中が注目する大会となった。ジェリコのTwitterのフォロワー数は334万人! 対するケニーは19万人。WWE入りを拒み続けていると言われているケニーにとっては、ザ・ロックを筆頭に数々の大物スーパースターを相手に勝利を収め、主力タイトルを総ナメにしてきたジェリコと対戦できるのは、自身の選択が正しかったということを証明するチャンス。ベルトもかかっているので、絶対に負けられない試合である。 日本のプロレスファンには、世界が注目するドリームマッチを東京ドームで味わえることに幸せを感じながら、ワクワク感を持って東京ドームに足を運んでもらいたい。文・どら増田カメラマン・広瀬ゼンイチ
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スポーツ 2017年11月05日 14時00分
プロレス解体新書 ROUND70 〈高田vs橋本と猪木イズム〉 格闘技的な強さとプロレス的表現力
1996年4月29日の東京ドーム、UWFインターナショナルのトップにして“最強”の称号を掲げる高田延彦に、橋本真也が挑むIWGPヘビー級タイトルマッチ。 橋本はプロレス流の技である“垂直落下式DDT”でUWFスタイルに勝利することを宣言し、背中に“闘魂伝承”の4文字を刻んだガウンを背負ってリングに臨んだ。 アントニオ猪木に憧れてプロレス界入りした橋本真也は、やがて“闘魂伝承”を公言するようになる。そのプロレス的な表現力の高さにおいては、まさしく猪木の正統的な後継者であった。 「猪木が格闘技戦を通じて身に付けた技術をアリキックや延髄斬り、魔性のスリーパーとしてプロレス技に転化してきたように、橋本も当時、もてはやされた格闘技的な打撃技を重爆キックや袈裟斬りチョップなど、ダイナミックでプロレス的に見栄えのするものへと昇華させた。より過激に強さをアピールする猪木のスタイルを、橋本ははっきりと踏襲していました」(プロレスライター) 橋本の志向が“より激しく分かりやすく”という部分にあったことは、その代表技である垂直落下式DDTにも明らかだ。 「もともとのDDTは一瞬で終わる技なので、フィニッシュホールドとしては物足りないし、ダイナミックさに欠ける。だから相手を体ごと持ち上げて、滞空時間をかけて落とすことで一つの見せ場にした。技の形だけ見れば垂直落下式ブレーンバスターと同じであっても、橋本にしてみればあくまでもDDTをさらにプロレス的に進化させた技なんです」(同) 重爆キックにしても、指導を受けるにあたって「実戦的な蹴りと見栄えのいい蹴りのどちらがいいか」と問われると、橋本は迷うことなく後者を選んだという。K-1への参戦について問われた際に、あっけらかんと「俺の蹴りなんか通用しない」と語ったのは、自身の目指すプロレススタイルに自信があったからこそであろう。 一方、猪木の道場論をもとに、格闘技的な強さを追求してきたのがUWFである。つまり、'96年4月29日、IWGP王者の高田延彦に橋本が挑んだ一戦は、UWFインターナショナルと新日本プロレスの対抗戦であると同時に、格闘技的な強さを求めた猪木とプロレス的な表現者である猪木、それぞれの遺伝子のぶつかり合いという側面もあったわけだ。 この試合の前に「垂直落下式DDTを決める」という橋本に、高田が「そんな技にはかからない」と応じたあたりにも、そうした色合いが見て取れよう。 東京ドームに詰めかけた新日ファンからの橋本コールが渦巻く中、序盤は高田が軽快なキックと関節技で攻勢に出る。しかし、これを受けきった橋本も、ローキックや袈裟斬りチョップで反撃していく。 「橋本の重い蹴りに、高田が不快な表情を浮かべたのが印象的でした。U系の選手は脚にレガースを着けていますが、橋本はリングシューズのままで、しかも溜めをつくって目いっぱいの力で蹴ってくる。キックボクサーから本式の蹴りを習っていた高田にしてみれば、格闘技的なセオリー無視でいながら痛さだけは人一倍の橋本の蹴りは、相当に腹立たしいものだったでしょう」(プロレス記者) そうなれば高田も黙ってはいられない。蹴りの重さでは橋本に軍配が上がるも、速さと回転数では高田が勝る。ローにミドル、ローリングソバットで追い込んで、とどめの一発とばかりにハイキックを繰り出すと、そこにカウンターで橋本の水面蹴りがさく裂する。 「高田がハイキックの直前に橋本の胸をポーンと押していて、それが『水面蹴りを出すタイミングを知らせるためだった』とする声もありますが、本当に合図を送るとしたら、そんな観客からも分かるようなことはしないでしょう。単にハイキックを当てやすいように、距離を取るためだったと思いますよ」(同) とにかく、そこから一気に攻勢に転じた橋本は、ノーマルタイプのDDTから垂直落下式へとつなぎ、最後は三角絞めでギブアップを奪ってみせたのだった。 だが、高田側にとって敗戦以上に誤算だったのは、この試合を最後に新日が本格的な対抗戦から手を引いたことだった。 「新日のリングで高田が橋本に負けるのは、ある意味で仕方のないことです。だから、Uインターとしては当然、そのお返しがあるものと考えていたんですね。例えば、Uルールでの高田と橋本の再戦のような流れです」(同) ところが、新日は橋本の勝利をもって“勝ち逃げ”を決め込んだ。 IWGP戦に限れば高田の2勝2敗(武藤敬司と1勝1敗のほか、Uインター興行で越中詩朗に勝利)。それでチャラだという理屈なのだが、高田にすれば橋本戦の負けと越中戦の勝ちでは帳尻が合わない。そう思うのも仕方のないところだろう。 結局、対抗戦の再開はならず、猪木流プロレスの権化ともいえる橋本に高田が敗れたことは、結果としてUWFの価値を下げ、それがUインター崩壊の大きな要因の一つとなったことは否めない。
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スポーツ 2017年10月31日 22時01分
【新日本】松井珠理奈、試合に間に合わずも“タグチジャパン”スーパー69がJr.タッグT決勝進出!
新日本プロレスは、11月5日にエディオンアリーナ大阪で開催されるビッグマッチ『POWER STRUGGLE』に向けたシリーズ『Road to POWER STRUGGLE』の後楽園ホール大会を29日と30日に2日連続で開催した。両大会ではジュニアヘビー級のタッグチームが8チーム参加する「スーパーJr.タッグトーナメント」がメインとなり、田口隆祐&ACH、TAKAみちのく&タイチ、獣神サンダーライガー&タイガーマスク、金丸義信&エル・デスペラード、BUSHI&高橋ヒロム、ドラゴン・リー&ティタン、KUSHIDA&川人拓来、そして12日の両国国技館大会に電撃凱旋帰国を果たしIWGPジュニアタッグ王座の一発獲りに成功した小松洋平&田中翔改めYOH&SHOのロッポンギ3Kが出場。 29日は、田口&ACH、金丸&デスペラード、BUSHI&ヒロム、YOH&SHOの4チームが勝利を収め準決勝に進出。準決勝が行われた30日は、田口&ACHとYOH&SHOがそれぞれ激戦を制し、11.5大阪大会で開催される決勝へ駒を進めた。 注目は、SKE48の松井珠理奈もメンバーとして名を連ねているタグチジャパン監督、田口隆祐だろう。「(1.4ドーム大会で)タグチジャパンとして試合が組まれるかという大きな問題があります。たぶん、第0試合じゃないですかね」 先日行われた珠理奈の1.4東京ドーム大会スペシャルアンバサダー就任会見で司会を務めた際、田口監督はこんな弱気な発言をしていた。しかし、29日の試合では、得意のヒップアタック封じに固執するTAKA&タイチの執拗な尻攻撃に屈することなく、最後は自らタイツを剥ぎ取る暴挙に出て、尻を剥き出しにしながら、タイチにスライディングヒップアタックを放ち、ACHとのチーム名スーパー69の名が付けられた連携技でタイチを沈めている。後楽園は爆笑の嵐だったが、試合後に田口監督は「大変お見苦しい試合をお見せしたことをお詫び申し上げます」とマイクで謝罪するも、際どい田口節を連発。続く30日の準決勝も勢いは止まらず、最後はスーパー69を炸裂させて、2日間連続で鈴木軍のジュニア部隊に連勝した。ACHと勝利のタグダンスを披露すると、バックステージでは「タグチジャパンとしても新商品が出ますから、新商品宣伝のためにもこのトーナメントを優勝します」と話し、監督としてタグチジャパンの宣伝をすることも忘れなかった。 決勝の相手はIWGPジュニアタッグ王者組であるYOH&SHOに決定。凱旋帰国後、女性ファンを中心に爆発的な人気を集めているロッポンギ3Kは連勝街道を走り始めているが、11.5大阪大会で田口監督率いるスーパー69が勝利を収め優勝するようなことになれば、タイトル挑戦の可能性が一気に高まる。来年の1.4ドーム大会でも第0試合ではなく、本編でカードが組まれることになるだろう。30日の後楽園大会には珠理奈も会場へ駆けつけたが、残念ながら試合には間に合わず、タグチジャパンのタオルを身につけながらグッズだけ購入したことが、ツイッターで明らかになっている。 先日の会見では「密かに応援してください」と控えめな田口監督に対して「密かじゃないです。常に想っています。応援してます!私は監督のお尻を見てます!」と見事な切り返しを見せた珠理奈だが、田口監督が1.4ドーム大会の“本戦”でIWGPジュニアタッグ王座に絡むようなことがあれば、アンバサダーの務めを忘れ、タグチジャパンの一員として熱烈な声援を送るのは間違いない。 11.5大阪大会は、ジュニアのタッグ戦線においても1.4ドーム大会へ向けた重要な大会になりそうだ。取材・文・写真/どら増田
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スポーツ 2017年10月30日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND69 〈夢のハンセンvsブロディ〉 タッグマッチながらド迫力の初対決
1987年に開催された全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦において、シリーズの目玉となったのは、新日本プロレスへの参戦から久々の復帰となる“超獣”ブルーザー・ブロディと、その盟友である“不沈艦”スタン・ハンセンの激突であった。 ファン大注目の中、運命のゴングが鳴らされた。 世界最強タッグ決定リーグ戦は、日本のプロレス史に残る数々の名場面を生み出してきた。 その記念すべき第1回大会が開催されたのは1978年。前年に行われた世界オープンタッグ選手権で、決勝戦のザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークが好評を得たこともあり、より本格的な形で実施された。以後は全日における年末の名物シリーズとして、ファンに定着することになる。 「人気となった要因は、言うまでもなくその出場メンバーの豪華さです。優勝争いの主役を張るファンクスやジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビだけでなく、その他の出場チームを見ても、マスカラス・ブラザースやハリー・レイス&ニック・ボックウィンクルの帝王コンビなど、1人で大会場を満員にできるほどのビッグネームが名を連ねてましたからね」(プロレスライター) それら超一流の選手たちを言わば“負け役”として出場させることが可能となったのは、まさしくプロモーターとしての馬場の力量と信頼度によるものだった。 「スタン・ハンセンが新日参戦を決めた際、ブルーノ・サンマルチノが『猪木のことは分からないが、馬場は信用できる』と語ったという有名なエピソードがあるように、海外の大物からの信頼度は抜群。ファイトマネーはもちろん、試合の勝ち負けにおいても変な真似はしないという、安心感があったのでしょう」(同) そんな馬場に対して「裏切ったのは本当に失敗だった」と悔いたのが、ブルーザー・ブロディだった。 全日(馬場)がロード・ウォリアーズや長州力率いる維新軍を次々と招聘したことに不信感を抱いたブロディは、新日(猪木)へと移籍したものの不満は絶えず、結局、全日へとUターンすることになった。 裏切った相手には冷徹な面もある馬場だが、その価値を認めた相手には、しっかり厚遇でもてなすのもまた馬場流である。 「その端的な例が、ブロディの本格復帰となった'87年の最強タッグです。ブロディのパートナーは当初、別の無名選手であったところを、直前になってジミー・スヌーカに変更しました。当時のスヌーカといえばアメリカマット界ではブロディやハンセン以上の大スター。シリーズを通して拘束すること自体がまず困難で、そのためのファイトマネーも参加選手の中でトップクラスだったのでは?」(プロレス専門誌記者) このときファン最大の興味は、久々の全日復帰となるブロディ自身であり、その盟友であるハンセンとの激突であって、実のところパートナーなどは誰でもよかった。 それでもブロディが優勝争いをするのにふさわしく、またベストパフォーマンスを発揮できるようにスヌーカを呼び寄せ、かつての名コンビを再結成させたというわけだ。 「まさしく期待の表れであり、これにはさすがのブロディも意気に感じたことでしょう」(同) さて、注目のブロディとハンセンの対戦は、開幕2戦目の後楽園ホールで行われた。ハンセンのパートナーはテリー・ゴディ。 まずハンセンとスヌーカがリングに入るも、ファンの期待に応えるべくブロディにチェンジ。2人がにらみ合うだけで、会場は一気にヒートアップする。 両者の絡みでは、それぞれ相手の技をすかすような展開が続き、目立った大技はハンセンのバックドロップぐらい。キングコング・ニードロップもウエスタン・ラリアットも不発のまま、試合は両軍入り乱れてのリングアウト引き分けに終わった。 それでも、2人が同じリングの対角に立っただけで大事件であり、次を期待させるには十分であった。 「両者の激突となれば、普通はシリーズ後半のクライマックスに大会場でやりたいところですが、あえてそうしなかったのも、馬場ならではの気遣いです」(同) リーグ戦も佳境に入ったところでの対戦であれば、何かしらの決着がつかないことにはファンも納得しない。しかし、シリーズ序盤の星取に影響の少ないときだからこそ、次につなげるための顔見世の試合で済ますことができた。 ここで決着をつけさせないことこそ、ブロディを今後も主役で扱うという馬場からの“約束手形”でもあったのだ。 この一戦以降、いよいよファンの期待はハンセンvsブロディに集まり、実際、翌年の夏にはシングル対決が予定されていたという。 しかしその直前、ブロディはプエルトリコで凶刃に倒れ、夢の対決は夢のままで終わってしまった。
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スポーツ 2017年10月22日 17時00分
プロレス解体新書 ROUND68 〈三沢vs川田ラストマッチ〉 ノア東京ドーム大会で運命の激突
2005年、プロレスリング・ノアの2度目となる東京ドーム大会のメインイベント。ノアの顔である三沢光晴は、高校時代からの後輩で5年前に袂を分かった川田利明を迎え撃った。 最高の舞台に最高の相手、最高のクライマックスとなるはずだったが…。 高校時代の先輩と後輩が紆余曲折を経て、ついに東京ドームのリング上で対峙する――。 映画や漫画なら「リアリティーがない」と観客や読者からソッポを向かれそうなストーリーだが、それを現実に成し遂げたのが三沢光晴と川田利明であった。 同級生と先輩、後輩の違いはあるが、野球でいえば桑田真澄と清原和博の“KK対決”のようなものか。 ただし、プロレスのドーム大会ともなれば、失敗が即、団体運営の危機ともなりかねないだけに、メインイベンターの重責はプロ野球選手以上とも言えよう。 プロレスというジャンルは、アングルひとつで一夜にしてスターを作り出すことも可能であるが、現実に大観衆を集められるまでになるには、相応の努力と生まれ持った才能が求められる。その点では、他のスポーツやエンタメ業界と違わないのだ。 「しかも三沢vs川田のカードは2度、それも全日本プロレスとノアという別々の団体で、東京ドーム大会のメインを任されたわけですからね」(プロレス記者) ドーム大会における同一カードによる2度以上のメインとなると、PRIDEの高田延彦vsヒクソン・グレイシーや新日本プロレスの棚橋弘至vs中邑真輔、棚橋vsオカダカズチカなどもある。が、三沢vs川田はそれら団体よりもドーム開催の回数自体が格段に少ない、全日とノアでメインを張っているのである。 「そこに至る経緯のドラマチックさからして、2人のドキュメンタリー番組や実録小説が創作されても何ら不思議はない」(同) ただ、実際には三沢の名勝負という場合、川田ではなく小橋建太戦を挙げるファンは多い。 「技と力のぶつかり合いという単純明快な小橋の試合に比べ、三沢と川田の絡みはどこか難しいところがありますからね」(同) 確かに2人の関係性からして、いまひとつ理解に苦しむところは多い。三沢が全日から独立してノアを立ち上げた際、後輩である川田は真っ先にこれに続いてもよさそうなのに、そうしなかったことで2人は不仲と言われたりもする。 三沢は川田について自伝などで〈好きか嫌いかといえば嫌いだね〉と述べているが、しかし、心底から嫌いであったならば一切触れもしないだろう。 一方の川田は、三沢の葬儀で人目もはばからず号泣する姿が目撃されている。 また、三沢の追悼大会へ参戦して以降、半引退状態となったことについて「三沢さんのいないリングに上がることへの意義が見出せない」と話している。ただし三沢の存命時には、そうした敬意のようなものを表に出すことはなかった。 そんな2人の微妙な距離感は、試合内容にも反映されていた。'93年7月29日、王者の三沢に川田が挑戦した三冠戦。 三沢は、急角度の投げっぱなしジャーマン3連発で失神させた川田を、さらに抱き起こしてタイガースープレックスで勝利した後、「川田は中途半端にやると、中途半端なことを言い出すから」と話している。 だが、それを聞いてもなお、少し前までタッグパートナーだった後輩をそこまで非情に叩き潰すことの真意は、他人には理解し難い。テレビ解説をしていた御大ジャイアント馬場も、「高度な展開すぎて俺には分からない」と話したほどであった。 '98年、全日による初の東京ドーム大会で三沢に勝利した川田が、普段の無口なキャラクターを捨てて「プロレス人生で一番幸せです、今が」と感情を爆発させたのも、やはり相手が三沢だったからこそであろう。 '00年の全日分裂から5年後、ノア2度目となる東京ドーム大会で、そんな2人が再び対峙した。大会開催までの社長業との兼務ゆえか、コンディションの悪さから技のミスも目立った三沢だが、そこは気力でカバーしていく。 顔面キックに花道での投げ捨てパワーボムと、容赦ない攻めを繰り出す川田にエルボーで対抗。 切り札のエメラルド・フロウジョンもタイガー・ドライバー'91も返されて、あとがなくなってもなおエルボーを連打。最後もランニング・エルボーを顔面に叩き込んで勝利の凱歌を上げたのだった。 しかし、試合後に川田がマイクを握り、「今日、打つはずの終止符が打てなくなりました」と継続参戦を匂わせると、その一方的な発言に対してノア経営陣は「川田をノアのマットに上げることは二度とない」と激怒。 一方の川田も、「この5年間やってきたことが台なしになった」と記念すべき一戦にふさわしくない、ネガティブかつ意味深なコメントを残したのだった。 単なる有終の美とならないあたり、この2人の関係性はやはり余人には理解し難いのである。
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スポーツ 2017年10月15日 18時00分
プロレス解体新書 ROUND67 〈新旧スターの“魔性”対決〉 変幻自在のムタに猪木がマジ切れ
1994年5月、新日本プロレスによる福岡ドーム2度目の大会『レスリングどんたく in 福岡』が開催された。メインイベントでは、引退を控えたアントニオ猪木と日米を股にかけるトップヒールのグレート・ムタが激突。多くのファンが心躍らせて見守る中、新旧スターの対戦は意外な展開を見せることになった。 プロレスに限った話ではないが、スター選手がそろえば必ず好勝負、名勝負が生まれるというものではない。互いに守るものが大きいからこそ、逆にそれぞれの持ち味を出し切れないまま凡戦に終わるというのは、往々にしてあることだ。 「総合格闘技のPRIDEで、その草創期にとある看板スター選手が“顔はダメだよ”と言ったなんて噂もありました。何でもありと言いながら“勝ち負けはともかく自分は顔も売り物だから、顔だけは殴らないでくれ”と、対戦相手に注文をつけたというんですね」(スポーツ紙記者) スター同士の対決ということで戦前から観客の期待が高いぶん、凡戦に終わったときの落差は余計に大きなものとなる。 1994年5月1日、福岡ドーム(現・福岡ヤフオク!ドーム)でのアントニオ猪木vsグレート・ムタの一戦も、そうした試合の一つと言えるだろう。 今さらその偉業を並べるまでもない“生ける伝説”の猪木が、遠くない将来に迫る引退に向けたファイナルカウントダウンの第1弾。対するはアメリカでトップを張ったスタイルそのままに、新日マットでも一大旋風を巻き起こしていたグレート・ムタである。 まさに新旧トップスターの激突とあって、当日の会場には遠くから飛行機代をかけてまで、足を運んだファンの姿も多く見られた。 「マッチメーカーとしても、人気絶大の2人を並べた上に猪木の引退までの記念試合と銘打てば、万事OKという考えだったのでしょう。実際、それで客が入ったのだから、その意味では正解だったわけですし」(プロレスライター) 共に千両役者だけあって、入場時から早くもムードは最高潮。大歓声を背にリングに向かう猪木をムタが花道で待ち受け、会場全体に緊張が走ったところでムタがさっと身を引くと、ロープを広げて猪木をリングに誘う。 猪木は奇襲に備えて視線を切ることなく、ファイティングポーズをとったままリングに足を踏み入れる。 「しかし、この試合の見せ場はここまででした。当時、国会議員でもあった猪木は、'92年1・4の馳浩戦から'94年1・4の天龍源一郎戦まで、丸2年の間リングを離れていた。そのため試合勘を取り戻そうと、タッグマッチを2回こなしてこの試合に備えたのですが、それでも全盛期にあったムタの動きについていくのは困難だったようです」(同) グラウンドからラフファイトまで変幻自在なムタの攻めに、猪木は防戦一方となってしまう。相手の攻めを最大限に引き出しながらそれ以上の力で返していく、いわゆる“風車の理論”がムタ相手には通じない。 「たぶん猪木はこの試合を受けるにあたって、楽観していたところもあったでしょう。猪木の脳内にあったムタ=武藤敬司は、新弟子時代のイメージのままで、当然、会社のトップである自分に合わせた試合をしてくるだろうと。ところが、ムタはそんなに甘くはなかった」(同) 花道を駆け抜けてのラリアットやムーンサルトプレスなど、広いドームを縦横無尽に使って猪木を攻め立てると、顔面に向けて容赦なく毒霧を噴射する。 ムタが花道を走る間はきちんと待って、毒霧を食らえば顔を緑色に染めながら“目が見えない”というポーズをとるなど、猪木もそれなりに試合を作ろうとはした。だが、それらを受けて、さあ反撃、というタイミングになると、ムタがさらに攻撃をかぶせてくる。 結局、20分余りの試合の中で、猪木の見せ場は浴びせ蹴りやナックルパートで反撃したわずか数分だけ。フィニッシュとなった側転エルボーをかわしてのチョークスリーパーも、唐突の感を免れなかった。 「武藤にしてみれば“会社がムタで出場しろというからには、こういう試合をやれってことだろ?”との考えもあったのでしょう。多少の流血をさせたものの、猪木を血みどろにまでしなかったあたりは、やはり気遣いもあったのかもしれませんが…」(同) しかし、引退までの貴重な試合を、親子ほど年の離れたムタに翻弄される一方で終えた猪木にすれば、とても納得のいくものではなかったに違いない。 試合後の記者会見で「あの野郎、許さねえ!」「俺の命を獲ってみろ! 中途半端なことをしやがって」「いつでも殺してやる!」と激高してみせたのは、決して演技でもアングルでもない、心の底からのマジ切れだったのではあるまいか。 翌年、UWFインターとの対抗戦における高田延彦と武藤の一戦で、解説席に座った猪木がどこか武藤に冷たかったのは、もしかすると、このときの恨みがあったからかもしれない。
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