スポーツ
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スポーツ 2018年11月26日 17時45分
オリックス金子千尋と西勇輝、これが最後のファンフェス?「長引かせるつもりはない」
オリックスは25日、京セラドーム大阪でファン感謝デー『Bsファンフェスタ2018』を開催した。大阪の街は朝から大阪マラソンで盛り上がる中、今年は13時30分と昨年より1時間遅らせての開催となった。 1年に一度のファンフェスとあって、今年も全国からたくさんのファンが京セラドームに駆けつけていた。大阪マラソンが終わる頃には1階スタンドも昨年より埋まっており、1時間遅らせた効果はあったようだ。 佐藤達也の引退セレモニーをはじめ、今年も選手とファンが触れ合えるいろいろな企画が用意されていたが、去就が注目されている金子千尋と、西勇輝にとっては、これがオリックスで最後のファンフェスになる可能性があるだけに、ファンフェスのエンディングで全選手がグラウンドを一周する場面では、2人が続けて歩いて、スタンドに手を振り続ける姿にファンから「残って〜!」という声も飛んでいた。 オリックスファンの前で行われる今年最後の公式イベントを終えた2人。 まず駐車場に現れたのは、国内FA権を行使した西勇輝。「ファンフェスは楽しかった」と切り出した西は、24日に阪神と2度目の交渉を行ったことについて「非常に熱意を感じたし、短い時間だったけど、しっかりした話ができました」と語ると、「そろそろ決めなきゃいけないとは思っている。長引かせるのは良くない」と続け、「明日、明後日、家族と話し合って決めたい」と近日中に決断をしたい旨を報道陣に話し、ドームを後にした。 続いて、残留または自由契約の2択を迫られている金子千尋が姿を現すと、「自分の中では決まっている」と、結論が出ていることを明らかにした。球団とは「近々会う予定がある」とも話しており、その場で結論を伝えるものと思われる。楽天が調査に乗り出していることについては、「報道で見ました。必要とされる。戦力と思われるのは嬉しい」と率直な気持ちを話した。「決まったらしっかり話します。長引かせるつもりはない」と金子も西と同じく、近日中に決断を下すことになりそうだ。 金子はオリックスのエース、西はネクストエースと言われ続けていたが、そんな2人にとって、今年のファンフェスが最後になってしまうのか?結論は間もなく出る。取材・文 / どら増田写真 / 垪和さえ
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スポーツ 2018年11月26日 17時45分
OBも思わず苦笑い 高校野球超名門校・大阪桐蔭の過酷メニューとは?
25日放送の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)に、共に大阪桐蔭OBである平田良介(中日)と辻内崇伸氏(元巨人)が出演。3年間を過ごした野球部に存在する練習前の過酷メニューについて語った。 近年の高校野球界において、圧倒的な存在感を放っている大阪桐蔭。今年は根尾昴(中日1位)、藤原恭大(ロッテ1位)、横川凱(巨人4位)、柿木蓮(日本ハム5位)といった選手たちを擁し、2012年以来2度目となる甲子園春夏連覇の偉業を成し遂げた。 そんな超名門校の厳しさを物語るものとして、今回番組内で取り上げられたのが練習前の“山ラン”。「1年生はバスに乗り切れないので、練習メニューの一環として走っていく」と辻内氏が話したこのメニューは、学校に隣接する生駒山内のグラウンドまで約3.5kmの道のりを走って行くというものだ。 その道のりの中には、“太もも殺しのロング坂”(50mの急な坂道)、“膝泣かせの山道”(足場が不安定な山道)、“心臓破りの地獄階段”(40段に及ぶ階段)、“全身破壊の坂”(傾斜約20度の坂)といった4つの難所が存在。また、これとは別に“獣道コース”と呼ばれる、ショートカットができる分、さらに道が険しくなるコースも紹介された。 紹介VTRを見た辻内氏は「思い出したくないですね…」と苦笑い。このメニューの後には6時間にも及ぶ猛練習が待っているのだが、それを週6日でこなす日々は相当過酷だったようだ。一方、番組MCの浜田雅功(ダウンタウン)から「当然走ってたでしょ?」と聞かれた平田は、「僕は1か月だけ」と意外な回答。その後「実は1年からメンバーに入りまして、そこを免除されてました」と理由を明かし、浜田からツッコミを入れられていた。 今回の放送を受けたネット上には「軍隊レベルの厳しさやな」、「これやってさらに練習とか信じられん…」、「すごいな、そりゃ毎年強いわけだ」といったコメントが寄せられている。輝かしい実績を誇る大阪桐蔭だが、こうした厳しさもそれを下支えしているのかもしれない。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年11月26日 17時15分
「金子よりも功労者を」の声!石井革命で岩隈帰還が遅延
「石井革命」、そんな言葉も聞かれるようになった。東北楽天ゴールデンイーグルスのゼネラルマネージャーに就任した石井一久氏(45)が積極的な補強を続けている。 浅村栄斗(28)のFA補強に続いて、オリックスとの自由契約が濃厚になった金子千尋(35)の獲得も狙っている。 チーム関係者がこう言う。「浅村との交渉では、移籍する利点を自身の体験談として伝えました。FA取得選手は移籍することへの戸惑いがあります。それを逆手に取り、自身がヤクルト、メジャーリーグ、そして、西武を渡り歩いたからこそ得ることのできたものを語っていました」 石井GMはノホホンとした雰囲気があり、「ヤリ手」のイメージはなかった。チーム編成のセンスを知る一部の関係者も「ここまでヤルとは思わなかった」と驚いていたが、金子獲得だけは慎重になるべきとの意見も出始めたという。「金子に興味を示している球団は楽天だけではありません。スピード勝負を仕掛けた理由も分からなくはないんですが」(プロ野球解説者) 金子は野球協約が定める減額制限を超えるダウン提示を受け、オリックスと揉めていた。思い出されるのは、国内FA権を行使した14年オフで、「4年20億円で残留した」と伝えられたのだが、18年の年俸は6億円だったそうだ。4年の複数年契約が切れ、来季に向けて新たな契約を交わすことになったわけだが、関係者によれば、オリックスが提示した年俸額は「1億円」。近年は不本意な成績が続いていただけに減俸は仕方ないとしても、5億円ものダウンは受け入れられないとし、金子は退団を考えているようだ。 金子は社会人・トヨタ自動車時代、楽天の平石洋介監督(38)とチームメイトだった。 その縁も使って、石井GMが仕掛けてきたわけだが、古参の楽天関係者はこう首を傾げていた。「岩隈(久志=37)はどうするのか…。創設時のエースであり、獲得の順番とすれば、岩隈の帰還を確実にしてから金子にアタックしたほうが良いのではないか」 岩隈も近年は故障に泣かされてきた。9月にマリナーズ退団が決定し、新たな働き場所を見つけている。「日米問わず」の姿勢も一部メディアに伝えており、立花陽三球団社長らの一連の発言からして、「正式オファーも時間の問題、帰還は確実」と見られていた。しかし、金子獲得に動き出した今も、楽天は岩隈サイドと接触していない「メジャー在籍中も、岩隈は帰国すれば必ず楽天の関係者にも挨拶をしていました。楽天の施設でも練習していたし。そういう関係からして、岩隈が楽天以外の日本球団に行くことはないと思っていましたが」(前出・同) 創設時のエースと金子の交渉順位が変更されたことで、さまざまな憶測も呼んでいる。 石井GMはメジャーリーガー時代にチーム組織論を学んだ。日本の球団スタッフは親会社からの出向ばかりだが、米球団はフリーランスだ。選手同様、結果を残せなければクビ、あるいは、実績を積み上げ、将来はどこかの球団でゼネラルマネージャーに成り上がってみせるという野心家が集まっている。だから、球団職員もチームの勝敗に敏感であり、補強やデータ解析だけではなく、トレーニングマシンやサプリメントに関しても、さまざまな企画書を提案する。 当然、こうしたメジャー球団の組織論は岩隈も知っている。元メジャーリーガー同士の嫉妬、敵愾心を予想する声もあれば、「楽天球団がいかに岩隈を大切にしているのかを知らないのではないか?」と懸念する向きもあった。「岩隈は昨年9月に右肩にメスを入れました。マリナーズが解雇に踏み切ったのは、復帰まで待てないと判断したからですが、まだ完全に癒えていないのではないか? 正式な帰還交渉を始めたくても始められないのかもしれない」(11月26日時点/ベテラン記者)「石井革命」には、創設メンバーの排除は含まれていない。楽天ファンは金子よりも岩隈の帰還を望んでいるはずだ。石井GMは「岩隈の帰還」に関する見解を説明する必要もありそうだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年11月26日 12時00分
張本勲氏、FA宣言の丸佳浩選手に「巨人に来てほしい」 広島やロッテのファンは大ブーイング
25日放送の『サンデーモーニング』(TBS系)で、張本勲氏が広島東洋カープからFA宣言し、去就が注目されている丸佳浩選手について独自のコメントを行った。 丸選手の去就が決まっていないことが書かれたフリップを見た関口宏は、「中島さんも炭谷さんも巨人。丸さんも巨人でしょ?」と質問。張本氏は、「いやそれはわかりませんけど」と一言。そのうえで、 「丸は広島もね、絶対出ていってほしくないでしょうし。最後のチャンスだからね、丸もしっかり考えて。自分の人生ですから」 とコメント。関口が「ハリさんはどうなってほしいですか?」と質問が。すると、張本氏は、 「そら巨人に来てほしいわね。条件もいいし。しかし、残って欲しい気持ちもある。広島だからね」と発言。 ペナントレースや日本シリーズなどで広島県出身者として広島東洋カープやサンフレッチェ広島を応援する発言をしていた張本氏だが、外様とはいえ巨人OBであるだけに、複雑な心境を持ちつつも、丸の巨人入りを望んでいるようだ。 張本氏は選手生活晩年をロッテオリオンズで過ごしているのだが、ロッテについてはコメントがなかった。 一連のやり取りに、一部のカープファンやマリーンズファンが反応。「関口宏はなぜ巨人入りを確定事項のようにいうのか」「ロッテ移籍の目がなくなったわけではない」「テレビ番組で個人的希望をいうな」「お前もロッテOBなのになぜロッテの話をしないんだ」など、批判が集中することになった。 丸選手の去就は現在のところ不明。巨人移籍となれば猛烈な逆風が吹き荒れることになりそうだが…。その去就が注目される。
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スポーツ 2018年11月25日 17時00分
非業の死を遂げた名力士 「蔵間(関脇)」
女性ファンを引き付ける甘いマスクの力士を“イケメン力士”と言うが、かつては“美男力士”と言い、いつの時代にもいた。きっと1人や2人、即座に名前を挙げることができるファンも多いはずだ。 昭和50〜60年代の前半にかけて、そんな美男力士の称号を欲しいままにした力士の1人が、蔵間(本名・蔵間竜也、時津風部屋)だった。相撲協会を退職後、タレントとして活躍していたから、まだ記憶に残っている読者も多いに違いない。 蔵間は滋賀県野洲郡野洲町(現・野洲市)で、昭和27年12月16日に生まれている。父は、ある全国紙の地方記者。体力に恵まれ、また運動神経も抜群だったため、八幡工業高時代はラグビー部で活躍し、またホンの片手間にやった柔道でも2段を取得している。 まさに、力士に打ってつけ。そんな少年が大相撲界のスカウト網にひっ掛からないはずがない。「野洲にいい子がいる」 高校2年の時、当時、理事長だった時津風親方のもとに連絡が入ると、すぐさま代理で枝川親方(元大関北葉山)が飛んでいき、入門が決まった。時津風親方はあの69連勝を記録した大横綱の双葉山で、蔵間が入門して4カ月弱の12月16日に劇症肝炎のために亡くなっている。ちなみに、この命日は蔵間の誕生日と一緒だった。奇妙な縁で結ばれていたと言わざるを得ず、のちに蔵間は、次のように吹聴し、自慢していた。「オレは双葉山最後の弟子だ」 初土俵は昭和43年秋場所。早くから大器と目されていたが、出世は遅く、ようやく十両に昇進したのは8年後の昭和50年夏場所のことだった。幕下に4年近くもいたのだ。淡泊な性格に加え、腰痛の持病があったことが災いしたと言われている。 昭和51年名古屋場所で新入幕。滋賀県からは大正11年春場所の伊吹山以来となる幕内力士誕生で、地元はもちろんのこと、「スケールの大きな新人現る」と、注目を集めた。★昭和天皇も気にかけた逸材 大の相撲好きで知られた昭和天皇も、そんな1人だった。入幕して間もない頃、天覧相撲の折りに説明役だった春日野理事長(元横綱栃錦)に、「蔵間はどうなの?」 とお尋ねになると、「あれは(いずれ)大関になります」 と、春日野理事長は自信たっぷりにお答えした。 ところが、大関候補に名前が挙がるものの、いっこうに射止める気配がない。このため、昭和天皇も天覧相撲のたびに、「蔵間は(なかなか)上がらないねえ」 と残念そうにお話しになり、春日野理事長はいたく恐縮。あとで蔵間を理事長室に呼んで、こう叱責したという。「俺は天皇陛下にウソを申し上げてしまった。しっかりしろ」 どうして蔵間は“善戦マン”と呼ばれ、横綱、大関と力の入った大相撲を取るものの、ついに大関の壁は破れなかったのか。 これは、相撲があまりにも左四つがっぷりの正攻法だったことが大きい。自分は十分の体勢だったが、相手はそれ以上の十二分。その上、攻めが遅いこともあって、いいところまで攻め込むものの、あと一歩のところで力尽きるのだ。 横綱との生涯対戦成績はなんと2勝44敗。昭和53年夏場所には自己最高位の西関脇まで上がっているが、3勝12敗と大敗している。 しかし、美男で会話も軽妙だったため、その周りはいつもにぎやかで、様々な面でバックアップしてくれるタニマチも多かった。なにしろ横綱、大関でもないのに、あの横綱輪島の向こうを張るようにピカピカのリンカーン・コンチネンタルや高級車のベンツを乗り回し、千葉県市川市に“蔵間御殿”と呼ばれる豪邸を建て、昭和57年6月には女優の渡辺やよいと結婚しているのだ。「相撲はそんなに強くならなくていいから、ああいう生活をしたい」と、当時の若い力士が憧れる力士ナンバーワンになり、「最近の新弟子は、蔵間を見習って稽古をしようとせず、女の子の尻ばっかり追いかけまわしている」 と、親方たちは渋い顔をしたものだった。 当時の蔵間がどのくらい羽振りがよかったか。付け人の1人は、こんな証言をしている。「財布の中には、いつも300万円は入っていましたね。散々、散財してサイフが凹むと、いつの間にか、また元の厚みに戻っているんですよ。そんな財布でしたから、遊びも豪快そのもの。1晩に100万円使うこともよくありました」 こんな力士生活を謳歌していた蔵間に思いもよらない病魔が襲ったのは、平成元年の秋場所初日のことだった。「場所前の身体検査の結果で気になるところがあるので、来てください」 両国国技館内にある相撲診療所から、このように呼び出されたのだ。そして、再度の血液検査の結果、唯一の完全治癒法が骨髄移植しかないという難病の「慢性骨髄性白血病」に侵されていることが判明する。しかも、骨髄移植の成功率は5割以下。失敗すれば即、死に至ることもある。大変な事態に陥ったのだ。 このため、とりあえず秋場所は4日目まで出場したものの、5日目から休場。場所後、慌ただしく引退することになるのだが、この突然の休場理由は「脾腫により、1カ月の加療を要す」となっていた。本当のことを明かせば、「かわいそうに、あの蔵間も先は短いのか」 と、ファンの同情を買うのは目に見えている。蔵間はそれを嫌ったのだ。美男力士ならではのダンディズムだった。 蔵間が選択した治療法は、危険をはらんだ骨髄移植ではなく、最先端の化学療法だった。最新の薬を注射しながら慢性状態を保ち、奇跡が起こるのを待つという方法だ。★病を隠して人気タレントに こうして、表面的には平穏を装いながら、蔵間は引退して「錣山」を襲名。親方になったが、その親方暮らしも1年とは続かず、まるで何かに追い立てられるように、平成2年6月には相撲協会を退職。やがて、甘いマスクや持ち前の明るさ、軽妙なトークを生かした大相撲をネタにするタレントに転身したのだ。 これなら比較的、自由に治療の時間も取れる。 この思い切った職場転換は当たった。ちょうど若乃花、貴乃花の“若貴”が台頭し、空前の相撲ブームが起き始めたときだった。蔵間は、つい最近まで現役だったキャリアを活かして、ほかのキャスターや記者らが立ち入れないところまでやすやすと潜入。面白い談話やカメラの映像を次々にゲットしてきたのだ。 このため、たちまち様々なテレビ番組から引っ張りだこ。TBS系の『ブロードキャスター』などの情報バラエティー番組にも進出するなど、元力士としては異例の活躍を始めたのだ。“第2の蔵間フィーバー”の始まりである。ただ、それらの番組内の優勝予想では的中したことがなく、「蔵間さん、今場所の優勝予想ではボクの名前を挙げないで」 と、力士たちから真顔で懇願されたこともあったという、笑えないエピソードも残っている。 しかし、このフィーバーも、そう長くは続かなかった。周囲には伏せ、投薬により懸命に抑えていた白血病が、次第に頭をもたげてきたのだ。 平成5年頃から次第に痩せ始め、平成7年1月5日、ついに入院。病状がどうにもならないところまで進行していた。このため、それまではためらっていた骨髄移植に踏み切る決断をし、その準備も始まった。このとき、成功率はすでに30%以下にまで落ちていた。 そんな矢先の1月26日の夕方、ベッドの横に付き添っていたやよい夫人が一時帰宅した留守中に病状が急変。病院からの一報で、やよい夫人が慌てて病院に駆け戻ったとき、すでに蔵間の呼吸は止まっていた。息を引き取ったのは午後8時16分。引退からわずか5年余り。まだ42歳だった。「早く(2人の子どもたちの待つ自宅に)帰ってやって」 やよい夫人が最後に聞いた蔵間の言葉は、家族を想ったものだったという。希代のモテ男も、立派な家庭人だったのだ。 この死から8カ月後、やよい夫人は蔵間との16年にわたる結婚生活を綴った『永遠の千秋楽』(ザ・マサダ刊)という本を出版。翌年、それがTBS系でドラマ化されてヒットした。 蔵間役は渡辺徹、やよいさん役は名取裕子だった。相撲ライター・大川光太郎
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スポーツ 2018年11月25日 06時00分
三冠王は平成で1人 では二冠王は?
今シーズンの終了をもって、平成の記録が全て出揃ったプロ野球。この30年の間には、投打ともに様々な記録が誕生した。 一方、平成のプロ野球においては、たった1度しか達成されていない記録も存在する。三冠王もその1つだ。2004年の松中信彦(当時ダイエー)しか達成者が出なかったこの記録、極めて達成が難しい記録であることは一目瞭然といえるだろう。 しかし、達成まで惜しいところまでいった、いわゆる二冠王は少なくないようにも思われる。直近では2017年のアルフレド・デスパイネ(ソフトバンク)が記憶に新しいところだが、平成ではどれくらい達成されたのだろうか。 1989年から2018年までの30年間で、二冠王が達成されたのは32回(セ16回/パ16回)両リーグを合わせれば約1年に1回、リーグ別でみればおおよそ2年に1回のペースで二冠王は誕生している。 ちなみに、達成回数が最も多いのは松井秀喜(当時巨人)と中村剛也(埼玉西武)の2名。松井は1998年、2000年、2002年に、そして中村は2009年、2011年、2015年にそれぞれ二冠王を獲得している。 三冠王に比べると、意外にも達成回数自体は少なくない平成の二冠王。しかし、二冠王32回における“二冠”の内訳は、「首位打者・最多本塁打」が1回(セ1回/パ0回)、「首位打者・最多打点」が5回(セ3回/パ2回)、そして「最多本塁打・最多打点」が26回(セ12回/パ14回)であり、首位打者が三冠王への大きな鬼門となっている。 中でも、特に首位打者獲得が困難だったといえるのが、1994年から2000年のパ・リーグ。既にピンと来ている人もいるかもしれないが、この期間はイチロー(当時オリックス)が7年連続で首位打者に君臨。後にメジャーリーグでも2度の首位打者(2001年・2004年)を獲得する“絶対王者”の存在は、三冠獲得への高き壁となっていた。 来年からは、新元号の元でシーズンが開催されるプロ野球。“新元号最初の三冠王”を狙うには、首位打者を手中に収められるかどうかが大きなポイントになるのかもしれない。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年11月24日 17時00分
非業の死を遂げた名力士 「貴ノ花(大関)」
人間の運、不運、いいとき、悪いときは、どこかでちゃんとバランスが取れているのかもしれない。この男の一生を振り返ると、つくづくそんな思いにかられる。 この1年、常に騒動の渦中にあり、最後は退職にまで追い込まれた元貴乃花親方の父親でもある元大関貴ノ花(本名花田満)は昭和25年2月19日、北海道室蘭市で生まれている。10人兄弟の末っ子で、22歳も離れた一番上の兄が「土俵の鬼」と言われた人気力士、初代横綱若乃花だった。若乃花は初めてこの年の離れた末弟と対面したとき、両親にこう言い放った。「いい加減にせいや。何人産んだら気がすむんだ」 だが、すでにこのときから貴ノ花は長兄のあとを追って力士になるべく、運命付けられていたと言える。 早くして父親を亡くしたため、一家は長兄の若乃花を頼って上京。貴ノ花も東京で成長した。そして、中学に入ると水泳のバタフライでメキメキと頭角を現し、末はオリンピックの金メダル候補と期待されている。 しかし、貴ノ花の思いは違った。「水泳じゃメシを食えない」 およそ15歳の少年とは思えない大人びたセリフを吐き、すでにその頃、引退して二子山部屋を興していた長兄の下に入門したのだ。 兄譲りの運動神経と猛稽古、それに甘いマスクで早くからファンの注目を浴び、出世も超スピード。初土俵からわずか17場所で、負け越し知らずのまま十両に昇進。このとき、18歳。これは当時の最年少記録だった。 その十両も4場所で通過。18歳8カ月の入幕も最年少記録だった。 こうして、たちまち長兄に負けないような人気力士になった貴ノ花は、20歳のときに、また世間をアッと驚かせている。周囲の猛反対を押し切って松竹の女優だった3歳年上の藤田憲子(現・藤田紀子)と結婚したのだ。2人の仲を取り持ったのが先日、70歳で亡くなった元横綱の輪島だった。 やがて2人の間には、2人の男の子が生まれる。長男の勝、次男の光司。後に、いずれも人気横綱になった若乃花、貴乃花だ。 こうして土俵の内外ともに充実した貴ノ花は、昭和47年九州場所、大関に昇進。それから3年後の昭和50年春場所千秋楽、日本中が熱狂する中で優勝決定戦の末に横綱北の湖を破り、待望の初賜杯を抱いた。 優勝が決まった瞬間、審判部長だった師匠で長兄の二子山親方は唇を震わせ、興奮しきった顔で次のように話した。「全身の血が逆流するようだ」 貴ノ花は、その3場所後にも再び北の湖を優勝決定戦で破って2度目の優勝を果たしているが、残念ながら長兄と同じ横綱にはなれなかった。鉄人のような長兄に比べて肝臓などの内臓が弱く、ひとまわり線が細かったのだ。 晩年には頸椎も痛めて、昭和56年初場所、ついに引退。まだ30歳ながら、大関在位50場所は当時の最長記録だった。 引退後は、「藤島」を襲名。大成できなかった鬱憤を晴らすように部屋を興して、弟子の育成に打ち込んでいく。 この弟子育成が軌道に乗り、花開いたのは、昭和63年の春場所。息子の若乃花、貴乃花(当時は若花田、貴花田)が揃って入門してからだ。2人は相次いで横綱に昇進。また貴ノ浪も大関になり、さらに安芸ノ島、貴闘力ら、猛者がまさに群雄割拠。旧二子山部屋と合併し、二子山部屋となった平成7年夏場所には、横綱貴乃花を筆頭に幕内9人、十両2人の計11人の関取を擁す、大相撲界一の大部屋になっている。★洗脳、兄弟絶縁、離婚騒動… しかし、ほどなくして、満月が欠けるように隆盛を誇った貴ノ花改め二子山親方の運命にも、暗い影が忍び寄る。様々なスキャンダルやトラブルに見舞われるようになったのだ。 その頂点が“平成の大横綱”に成長した貴乃花の「洗脳騒動」だった。平成10年、貴乃花が師匠であり、父親の二子山親方の言うことよりも、自分が心を寄せる整体師の言うことを信頼し、従うようになったのだ。 かつて“若貴”と言われて仲がよく、日本中から「お兄ちゃん」と呼ばれた兄の若乃花すら無視するようになった貴乃花の心を取り戻そうと二子山親方は苦慮し、頭に円形脱毛症ができるほどだったが、1年後にこの騒動は終息した。ようやく貴乃花が整体師のもとから離れたのだ。 とはいえ、この仲直りは表面だけ。若乃花とは今も絶縁状態で、二子山親方との仲も最後までギクシャクしたまま終わっている。 こんな二子山親方に追い打ちをかけるように勃発したのが、自身の離婚騒動だ。結婚31年目の平成13年、大所帯の相撲部屋をテキパキと切り盛りし、「おかみさんのかがみ」とまで言われた憲子さんが突如部屋を飛び出し、やがて離婚することになったのだ。 どうして大恋愛の末に結ばれた2人が別れることになったのか。「(理由を)言えたらラクですが、絶対に言いません。親方個人のことだから、明かすことはできない」 後にタレントになった憲子さんは、このようにテレビ番組内で語ったが、当時のマスコミは憲子さんと18歳年下の青年医師との不倫を大々的に報じた。 いずれにしても、この離婚が二子山親方の心に大きな傷を作ったのは確か。ただ、間もなく寂しさを癒やしてくれる女性が出現。4年後に亡くなるときも、入院生活を支える京都出身の妙齢の女性の姿を関係者に目撃されている。 その一方で、二子山親方は相撲協会内で着実に出世の階段を上っていった。平成8年に理事に初当選して巡業部長の要職に就いたのを皮切りに、審判部長などを歴任。平成16年には協会ナンバー2の事業部長に就任すると、引退して一代年寄になった貴乃花に部屋を譲って協会の仕事に専念し始めた。 もし何事もなかったら、やがて理事長の目も開けたかもしれないし、平穏で豊かな老後が待っていたに違いない。★自身の葬儀で息子がケンカ しかし、またまた二子山親方を不幸が襲った。それも致命的な…。 発端は平成15年秋頃、アゴのあたりに感じたかすかな痛みだった。当初は口内炎と発表されたが、平成16年になると症状が次第に深刻化。入退院を繰り返すようになり、北の湖理事長すら、お見舞いに行けない状態が続いた。 病名は固く伏せられ、貴乃花によって舌の奥から歯茎のあたりにできる「口腔底がん」に侵されていることが公にされたのは平成17年2月になってからだった。 こんな不治の病に侵された二子山親方が最後にファンの前に姿を現したのは、その半月前の1月30日、両国国技館で行われた大関貴ノ浪の断髪式のときだった。「なんとしてもマゲにハサミを入れてやりたい」 自ら足を運んでスカウトした弟子だけに思い入れは深かったようで、周囲の反対を振り切って病室から国技館に駆け付けた二子山親方。しかし、薬のせいで顔は土気色で大きく腫れあがり、足元は覚束なく、土俵に上がるのも呼び出しの肩を借りてやっとの状態。それでもしっかりとマゲを切り、貴ノ浪を大泣きさせた。 そんな二子山親方に、ファンは現役時代、何度も土俵際に追い詰められながら反撃した驚異の粘り腰で再起することを期待し、声援を送ったが、やはり叶わなかった。 このあと、重篤な状態に陥り、3月の春場所中も貴乃花親方は再三、審判の仕事を抜けて病院に駆けつけている。最後はがん細胞が皮膚を破って表面に出るほど病巣が広がっていたそうで、通常の2倍のモルヒネを打って痛みに耐えていたが、5月30日午後5時40分、東京都内の病院で永眠した。まだ55歳だった。 6月1日の通夜には1200人が参列。翌日の葬儀にも600人のファンが押しかけ早すぎる別れを惜しんだが、この二子山親方の死を悲劇的にしたのは、その遺体の枕元で2人の息子が喪主を巡りあわや掴み合いのケンカをしたことだった。 結局、喪主は兄の若乃花が務めたが、これがこの兄弟の不仲にトドメを刺した。当然、先日の貴乃花親方の相撲協会退職、貴乃花部屋消滅のときも、兄にはなんの相談もなしだ。 かつて日本中が羨ましがった仲のいい家族が、今や母親を含めてバラバラ…。 故二子山親方はこんな家族を草葉の陰からどんな思いで眺めているだろうか。相撲ライター・大川光太郎
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スポーツ 2018年11月24日 06時00分
阪神・矢野監督が密かに目指す「読書家野球」
阪神は「止まった時計」の針を動かすことができるのか…。<即戦力右腕、左打ちの遊撃手、高校生左腕の獲得> 補強ポイントとして、関西メディアが挙げていた項目で、これらは藤浪のライバルとなる先発投手の必要性と、鳥谷、能見の後継者を指していた。しかし、この見出しが新聞紙上に踊ったのは、いつかと言うと、2016年11月の秋季キャンプ中なのである。つまり、金本政権の前からチームは何も変わっていないのである。18年シーズンはメッセンジャーが故障離脱すると同時に頼りになる先発投手がいなくなり、ショートの定位置を奪った中堅、若手も現れなかった。 前任者も苦しんだ世代交代の課題を、矢野燿大監督(50)が押しつけられたのである。「阪神監督は関西メディアでは注目の的なので、就任以来、取材オファーが絶えません。行く先々で記者に囲まれて」(在阪記者) そんな矢野監督に対して、こんな意見も聞かれた。「実直というか、考えていることをそのまま喋ってくれるような印象を受けました。阪神に限らず、プロ野球監督には新聞の見出しやフレーズになるような言葉を用意して喋るタイプが多いんですが。失礼だが、コメントに面白みがないんです」(ベテラン記者) 矢野監督の就任以降、インパクトの強いタイガース情報がないのはそのせいかもしれない。だが、近年の阪神指揮官とかなり異なるタイプのようだ。「読書家ですね。自己啓発や起業家の著書、心理学の本などを読みあさっています」(球界関係者) 矢野監督の「読書」は、引退してから始まったという。将来の指導者としての勉強もあったそうだが、二軍監督に就任した昨季の読書量は相当なものだったそうだ。 その読書による独学が、18年ウエスタンリーグ新記録の「年間163盗塁」につながった。阪神は16年秋季キャンプから、400m障害などで活躍した陸上の秋本真吾氏を臨時コーチに招いている。球団の狙いは正しいランニングフォームの習得で、「怪我防止につなげれば」という期待を秘めていた。しかし、当時のコーチスタッフは「専門外」と端から決めつけ、秋本氏のランニングトレーニングをただ遠巻きに見ているだけだった。しかし、矢野監督だけは違った。自身が学生時代に教わった野球の走塁フォームを秋本氏に伝え、「どんなふうに変えていかなければならないのか」と尋ねたという。「野球は野球、陸上は陸上と線引きをするのではなく、日本の陸上選手が国際大会で成果を挙げている要因を探ろうと、秋本氏を質問攻めにしていました」(前出・同) 矢野監督は当時から柔軟な発想を持っていたようだ。163個の盗塁は単に「積極的に走れ」と命令するだけでは達成できない。盗塁を仕掛けることによって生まれる相手チームへのプレッシャー、盗塁を仕掛けるために必要な前準備を訴え、選手にも考えさせた。 矢野監督のこうした言動を聞くと、明らかに近年の指揮官とは異なる。ドラフト1位で俊足外野手の近本を指名したのも、二軍監督時代と変わらず、機動力野球を継続させていくためだろう。また、 「盗塁に必要な前準備を考えさせてきた」と聞くと、機動力野球の延長上に、課題だった「ポスト鳥谷」や「先発投手の育成」があるのかもしれない。新・遊撃手=堅守、無駄な失点を相手に与えず、機動力で点を積み上げていけば、若手投手も安心して投げられるだろう。 関西メディアによる重圧に押しつぶされなければ、矢野阪神は優勝戦線に浮上できると思うのだが…。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年11月23日 22時00分
長与千種だけじゃない? 大御所芸人同士のけんかを止めた意外な人物たち
元女子プロレスラーで女子プロレス団体「Marvelous」代表の長与千種がケンカの仲裁に入り、暴行を受けたことが分かった。長与は同団体の大会のため札幌市内を訪れていたのだが、ホテルの駐車場で男性が女性に馬乗りになっている姿を見かけ、警察に通報すると同時に仲裁に入ったという。「やっていいことと悪いことがあるでしょう」と長与が叱ると、男性は長与の頭に掴みかかったというが、長与は手を出さず場を収めた。 この行動は多くの人から絶賛されたが、実はケンカの仲裁に入ったことのある芸能人は多いのだ。 「元K-1王者の魔裟斗さんは知人と男性がケンカになっているのを止めました。もちろん自らは反撃しなかったそうですが、逆に一方的に暴行を受け続けてしまったそうですよ。相手の男性は魔裟斗さんとは思わず、あとで驚いたと言います」(芸能記者) 他にも、大物芸能人たちの仲裁に入った芸能人は数多くいる。 「タレントの鈴木紗理奈さんはテレビで大物俳優同士のケンカの仲裁をしたことを明かしています。その大物俳優たちは今では結婚し子供もいるようなので現在はそんなことはありませんが、当時は俳優論で揉め、相当やりあったそうです。困った紗理奈さんは『私の胸を見て!』となぜか脱いでケンカを止めたそうですね。また、諸星和己さんは光GENJI時代、なんと志村けんさんとビートたけしさんのケンカを止めたのだとか。高級クラブで飲んだ際、二人はどちらが支払いをするかで揉めてしまったそうなんです。そこで諸星さんは仕方なく、『俺が払います』と名乗り出て、事を収めたと言います。が、支払い額はなんと170万円。それでも諸星さんは『勉強になった』と言っています」(前出・同) また、あの大物女優もケンカの仲裁に入ったのだとか。 「もう随分昔の話になりますが、Vシネマ作品の常連、小沢仁志さんと哀川翔さんが大物俳優が通る道を使って大御所たちを怒らせたことがありました。当時は二人とも血気盛んだったので現場は騒然としたそうですが、なんとその場にいた吉永小百合さんの仲裁によって事なきを得たそうですよ。さすが吉永さんですよね」(前出・同) 芸能界には正義感の強い人が多いのかもしれない。
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スポーツ 2018年11月23日 17時30分
またも主力選手が流出した西武ライオンズ その理由は一体…
西武ライオンズからFA宣言していた浅村栄斗選手が21日、東北楽天ゴールデンイーグルスへの移籍を表明。ライオンズファンに落胆が広がった。 西武は岸孝之投手に続き、またも主力選手を楽天に取られたことになる。同じくFA宣言した炭谷銀仁朗捕手の移籍も確実な情勢で、菊池雄星投手もポスティングによるMLB挑戦が有力視されており、今年パ・リーグを制したライオンズの戦力は大幅にダウンする。 それにしても多い西武ライオンズのFA流出。工藤公康投手・石毛宏典内野手・清原和博選手・和田一浩外野手・豊田清投手・中島裕之選手・涌井秀章投手ら、そのほとんどが、「チームの顔」となった中心選手ばかり。ファンは「なぜ西武ばかり」と憤りを隠せない状況だ。 一体、西武ばかり選手が流出する原因はどこにあるのか。関係者のN氏はこう語る。 「元々西武は、伝統的に選手を最後まで面倒見ないチーム。80年代から90年代初頭のいわゆる黄金時代の主力メンバーで、西武で引退を迎えたのは東尾修や大田卓司くらしかいない。 秋山幸二はトレードに出してしまいましたし、辻発彦や平野謙、渡辺久信ら、主力のほとんどを晩年に戦力外としている。いずれも高額年俸がネックといわれていますが、あまりにも愛がない。唯一、伊東勤が西武で引退し監督となりましたが、結局退任時にいざこざがあり、もう西武戻ることはないといわれる。 交通の便の悪さや西武ドームの暑さ・寒さもあると思いますが、そんな選手を大事にしない姿勢が大きいのではないかと思う」(スポーツ関係者) 一方で、「西武の育成能力の高さも要因ではないか」とする声がある。別の関係者は、こう見る。 「西武はFA流出を見越した選手育成をしている。松井稼頭央のあとには中島裕之が収まったし、中島のあとは浅村が埋めた。浅村の後釜には西川愛也がいますし、ドラフトで即戦力内野手も指名している。 野上、岸が抜けても優勝したように、FA選手が抜けても代わりの選手が出てくる土壌がある。中村のように残ってくれるのがベストだとは思いますが、高年俸で落ち目の選手を抱えるより、若い選手を伸ばしたほうが良いと考えているのでは」 人気面を考えると、主力選手の流出はマイナスのようにも思えるが、若手選手にとってはチャンスが生まれることになり、新たなスターが誕生する可能性が高い。 「FA流出」は悪いことばかりではないのかもしれない。取材・文 櫻井哲夫
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